第四十九回 錢廣は反して陳昶を斬殺す

 劉機りゅうきが陣を布いて防備を固めるところ、陳昶ちんしょうが軍勢を率いて到着する。両陣が対峙すると、劉機が馬を出して言う。

「お前たち兄弟は朝廷の重禄を食んでいるにも関わらず、何ゆえに謀叛を企てたのか。朝廷は震怒して五路の大軍を発し、吾を先鋒としてお前たちの罪を問わんとしている。敢えて官兵に手向かうのであれば、族滅されるものと心得よ」

「お前は壽陽じゅようにあって吾らは江淮こうわいの間にあり、地を争っているわけでもない。何ゆえに吾が地を侵そうとするか」

陳恢ちんかいが吾が境を侵したがゆえに、朝廷に請うてお前たちを平定する勅命を受けたのだ。すみやかに投降して一族の祭祀を保つがよい。少しでも遅れるようであれば、大軍とともに微塵になるまで打ち砕いてくれよう」

 劉機の口上を聞いた陳昶は怒り、馬を飛ばして斬りかかる。劉機は陣を開いて迎え撃つ。二人の刀鎗が打ち合って甲高い音を挙げ、馬に付けた鈴が錚々そうそうと鳴る。左右に身を廻らせて武勇を競い、縦横に払い突いて勝負を争う。

 三十合を過ぎたところで陳昶は力尽き、馬を拍って逃げ奔る。劉機は軍勢を差し招いて追撃するところ、錢廣せんこうが横合いから前を塞いで殿後でんごを断つ。

 劉機は強いて争わずに軍勢を返し、錢廣も軍営に引き上げた。


 ※


 軍営で人馬を点検してみれば、一戦に千人以上の兵士を喪っていた。錢廣は密かに将兵に言う。

「劉機の驍勇はこの通りだ。野戦で勝敗を競えば、多くの戦死者が出るだろう」

 錢廣に言い含められた者が潜んでおり、それに呼応する。

「司馬(錢廣)のお力に縋るばかりであります」

「今日の一戦は緒戦に過ぎぬ。明日には大軍が攻め寄せて来よう。おそらく無事ではいられるまい」

「それならば、何か良策を施して吾らをお救い下さい」

「思うに、朝廷の威福は深く重い。陳公ちんこう陳敏ちんびん)は区区たる兄弟を頼って謀叛を企てているが、勝算はない。生き残りたいのであれば、陳昶を殺して官兵に帰するよりなかろう。さもなくば、吾らも禍に罹って九族を誅殺される」

 将兵たちはその言葉に同じて叫んだ。

「司馬の仰るとおりです」

 ついに錢廣は意を決し、慰労の酒宴にかこつけて陳昶を招いた。

「明日には再び軍勢を出し、小将が劉機を生きながらとりことして御覧に入れましょう。それでこそ、今日の恨みを雪げるというものです」

 錢廣の言葉に陳昶は喜び、酩酊するまで酒を呑んで宴席を散じた。


 ※


 その夜、錢廣は幕舎にあって手配を行い、将兵が酔って眠り込んだ隙に乗じ、ついに陳昶を斬り殺した。

 翌早朝、将兵の前に立つと叫んで言う。

「陳敏兄弟が謀叛したために朝廷は詔を下され、陳昶を斬り殺して賊徒を平定するよう吾に命じられた。勅命を奉じぬ者は、陳昶がその処遇の前例となろう」

 将兵はそれを聞くと、声を合わせて言う。

「願わくば、司馬のご命令に従わせて頂きます」

 大半の将兵はその場に留まったものの、陳昶の腹心を務めていた者たちは、密かに陳敏の許に逃れ去った。錢廣は陳昶の首級を劉機の陣営に送り、劉機は軍勢を合わせて先を目指すこととした。

 錢廣の軍勢は陳敏を欺くべく劉準の軍旗を掲げる。灣頭橋わんとうきょうの東に軍営を置き、劉機は西に軍営を置いた。それぞれの軍営から城から五里(約2.8km)ほど離れている。

▼「灣頭橋」は壽陽から廣陵に向かう間の要衝である。『旧唐書』秦彦傳には、「五月、壽州刺史の楊行密は兵を率いて彦を攻め、其將の張神劍を遣り、兵を統べて灣頭山光寺に屯せしむ。行密は大雲寺に屯せり。北は長崗に跨り、前は大道に臨み、揚子江より北のかた槐家橋に至るまで、柵壘は相聯なれり」とあり、壽陽から廣陵に向かう軍勢が屯している。この戦は半年近くつづき、「十月、彥は(畢)師鐸と圍を突いて孫儒に投じ、並びに殺す所と為る。江淮の間に廣陵は大鎮にして富は天下に甲たり。師鐸、秦彥の後、孫儒、行密は踵を繼いで相い攻め、四、五年の間、兵を連ねて息まず。廬舍は焚蕩して民戶は喪亡し、廣陵の雄富は地を掃けり」ともある。これらの記述より、廣陵にとっての灣頭が西からの兵を防ぐ要衝であったと考えられる。なお、『宋史』河渠志の東南諸水條には、「淮郡の諸水、紹興の初め、金兵の淮南を蹂踐して猶お未だ師を退かざるを以て、四年、詔して揚州の灣頭港口牐、泰州の姜堰、通州の白莆堰を燒毀せしむ。其の餘の諸堰は並びに守臣をして開決焚毀せしめ、務めて敵船を通ぜざるを要む」とあり、陸路ではなく水路上の要衝であったと見るのがよい。


 ※


 錢廣は勝勢に乗じて城を攻め打とうとしたものの、陳敏が厳しく守っていると知って攻撃を控える。

 陳宏ちんこうは攻め寄せる両軍を見て陳敏に言う。

「書状を送って錢廣と羊奕ようえきの軍勢を呼び戻し、内外より挟撃すれば劉準など容易く打ち破れましょう。憂慮するにも及びません」

「その通りだ。劉準が此処まで攻め寄せたからには、烏江うこう牛渚ぎゅうしょに兵を配する必要はない。すぐに呼び返せ」

▼「烏江と牛渚」は廣陵より長江の上流にあり、北岸にある廣陵から見れば南岸からの侵攻を防ぐ位置にある。一方、劉準がいた壽陽は廣陵と同じく北岸の西北方にある。よって、劉準が攻め寄せたところで、二つの地点が役割を終えたわけではない。しかし、もはや廣陵に敵を迎えるよりないと考えたのであれば、妥当な判断とも言える。

 陳宏が書状を認める間に、間諜が駆け戻って報せる。

「錢廣が叛いて陳昶将軍を斬り殺し、劉機と道を分けて廣陵こうりょうに向かったとのことです。」

 裏切りを知った陳敏は怒り、錢廣の一族を誅戮するよう命じる。そこに顧榮が進み出て言う。

「まだ一族を誅戮してはなりません。劉機と錢廣は五里ほどの地点に陣を布いています。一族を殺せば死を必してでも恨みを晴らそうとするでしょう。さらに、錢廣に従う将兵には一族が城内にある者が多いのです。明公が錢廣の一族を誅戮したと知れば、命を捨てても城を落とそうとすることは必定、そうなっては手強くなります。まずは城内で不穏な動きができぬよう収監し、劉機と錢廣を打ち破った後に処遇を定めるのがよいでしょう。その際に一族もろとも梟首すれば、衆人は粛然といたします。戦の最中に無用の人を殺して敵に決死の覚悟を決めさせてはなりません」

 陳敏はそもそも無知であるため、顧榮が詭弁を弄しているとは思いもよらない。その言葉に従って錢廣の一族を監獄に入れると、方策を諮るべく甘卓かんたくを招じ入れた。

「錢廣は義に叛く畜生に過ぎぬ。劉機を退ける大任を委ねたにも関わらず、吾が兄弟を殺すばかりか軍勢を率いて灣頭に逼り、この城を攻めんとしておる。そのため、姻戚でもある甘大人かんたいじん(甘卓)を煩わし、小西門を守って劉機を防いで頂きたいのだ。吾が弟の陳宏は顧撫軍こぶぐん(顧榮、撫軍は官名)とともに牛渚に向かって陳泓ちんおうを助け、劉準を食い止めよ。吾は牛新ぎゅうしん錢端せんたんとともに小東門より出て錢廣を生きながら擒とし、それより別の謀を行う」

 甘卓と顧榮を含む諸将がその命令をうべなった。


 ※


 陳敏はさらに淮水と泗水の沿岸部にも人を遣わし、夏文華かぶんか夏文盛かぶんせいの軍勢をも呼び返す。さらに、夏文かぶん夏正かせいを招聘するよう命じた。

 夏文と夏正は私邸に退いていたものの、陳敏に対しては含むものがある。陳敏の使者を迎えて言う。

「先に石氷せきひょうを擒として揚州ようしゅうを復したのは、専ら吾ら二人の勲功によるものであった。それにも関わらず、陳敏は勲功を独り占めにした。吾らと周玘しゅうき賀循がじゅんは何の恩賞も賜っておらぬ。吾のために何か官職を願い出たとも絶えて聞かぬ。陳敏は今や謀叛を起こしたというのに、吾ら兄弟にそれに与して逆賊の汚名を着よとでも言うのか」

 ついに陳敏の招聘を断って使者を追い返した。


 ※


 顧榮はさらに計略を案じ、陳敏をたばかって言う。

「陳宏、牛新、錢端の三人を先発させ、明公は一軍を率いてその後を進むのがよいでしょう。形勢を観望し、牛渚が危うければ牛渚を救い、灣頭が急であれば灣頭を救うことができます」

 陳敏はその献策を容れ、七千の精鋭を選んで顧榮に与えた。出発に際して顧榮は偽って言う。

「錢廣は知識に優れ、劉機は武勇に秀でております。吾は軍勢とともに外に出ますが、明公におかれては便宜に事を処して頂ければ、敵を打ち破れます。吾は近くにおりますので、敵を防ぐ備えができるまでは必ずや防いで御覧に入れましょう」

「卿らは外に出れば自らの敵に専心すればよい。錢廣の小賊など敵とするにも足りぬ。必ずや吾が手ずから擒としてくれよう」

 そう言うと、陳敏は自ら軍勢を率いて城外に出た。

 顧榮は陳敏と別れた後、途中で軍勢を留めると周玘と事を諮って言う。

「陳敏は無知の凡夫に過ぎぬ。吾が案じた軍勢を緩める二つの計略のいずれにも従いおった。実に与し易い相手だ。公は密かに小西門に向かい、甘公(甘卓)に説いて城門を開き、劉機と錢廣の軍勢を迎え入れれば、この戦も終わるだろう。甘公が諾った後には、人を瑯琊王の許に遣わし、一軍を発するように求められよ。これで陳敏を破ることなど嚢中の物を取り出すようなものだ」

 周玘は頷くと、顧榮と別れて城に向かったことであった。

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