第四十七回 陶侃は陳恢の糧船を奪う

 劉弘りゅうこうの書状を得た陶侃とうかんは、張光ちょうこうの許に使いを出して軍勢を合わせると約した後、軍勢を発した。向かう先では張光のほか、夏陟かちょく皮初ひしょ應詹おうせんの軍勢とも会することとなっている。

 そこに小舟に乗った斥候が戻って言う。

陳敏ちんびんがその弟の陳恢ちんかい何有かゆうの五千の軍勢を遣わし、糧秣を運ぶ十余艘の船とともに陳斌ちんひん錢廣せんこうの加勢に向かわせたようです。日ならず此処を通り過ぎましょう。通過させてはなりません」

 それを聞くと、陶侃は将兵を集めて言う。

「五千の賊兵が糧秣とともに向かってくるという。これを襲って糧秣を確保するのがよかろう。荊州を発した費深ひしんの船はいまだ到らず、急場の頼みとはできぬ」

 そこに重ねて報告が入った。

「上流より荊州の軍船が此方に向かっております。李興りこうという将軍が率いており、糧秣を携えて参ったようです。張順陽ちょうじゅんよう(張光、順陽は官名)の軍勢に給するために向かっているらしく、一軍が護衛にあたっております。賊兵が先を塞いでいると知り、此処に向かって吾が軍と合流せんとしているようです」

 陶侃は笑って言う。

「これで吾が事は成ったも同然である。まずは李興の軍勢を迎えてその糧秣を借り、陳恢の糧秣を奪い取れば、餓えを凌げよう。これは天佑というものである」

「先に荊州の官吏たちは明公が陳敏と同郷であることを疑っておりました。此処で李興が運ぶ糧秣を奪い取ったと伝われば、張光と劉弘の二公との間に波風が立ちましょう」

 諸将が懸念すると、陶侃が言う。

「官船を借りて賊の糧秣を奪い、それで官兵の窮地を救えば、文句などあるまい。吾が自ら向かって李興に会おう」

 陶侃は小船に乗って李興の軍勢に向かい、軍船を借用したいと申し出た。李興はそれに従って糧秣を船から下ろす。朱伺しゅし童奇どうきが先頭に立ち、龔登きょうとう李興りこうが後詰となり、一斉に進んで陳恢の軍船の様子を窺った。


 ※


 しばらくすると、間諜が駆け戻って陳恢の軍船はすでに通り過ぎたと言い、四将は二軍に分かれて飛ぶように後を追う。一方の陳恢は廣州兵が岸にあると知ってはいたものの、水軍があるとは夢にも思わず、ゆるゆると船を進めていた。

 未の刻(午後二時)になる頃、陶侃の軍勢は金鼓を鳴らして陳恢の軍勢に逼った。陳恢はそれを見ると、船団を一文字に開いて迎え撃つ。そこに陶侃と李興の軍勢が攻めかかり、李興は先頭に立って敵船に斬り込んだ。

 陶侃が自ら大刀を抜いて助けに向かうと、李興は陳恢と一時ばかりも戦って勝敗を見ない。そこに朱伺の軍勢が矢を乱発しながら攻め寄せる。何有は朱伺の軍勢を迎え撃ち、一船を駆って李興が乗る船に衝きあたる。李興はその船から乗り移る敵兵を防ぎに向かい、何有と出遭って戦となった。

 幾ばくもせぬうちに陶侃の船が傍らから挟撃すべく接舷する。陶侃が大刀を振るって斬りかかれば、何有の左肘から先は断たれて水に落ちた。

 賊兵はそれを見て怖れ、ついに船を返しはじめる。

 陳恢も糧秣を積んだ船とともに退こうとしたものの、朱伺と童奇に襲われて大敗を喫する。廣州兵が風上から追えば、陳恢は逃げ切れないと覚って船を捨て、陸路から長岐ちょうきにいる錢端せんたんの許に逃れ去った。

▼「長岐」は『讀史方輿紀要どくしほうよきよう』卷七十六、湖廣ここう二の黃州府こうしゅうふ黃陂縣こうはけん條に長岐戍ちょうきじゅつがあり、「晉の永興えいこう二年、陳敏は揚州にり、其の黨の錢端等を遣わして江州を略す。陶侃は荊州の諸將と之を長岐に破れり。長岐はけだ沔水べんすいに近し。時に侃等は伏を陸に設け、水軍を沔水にかくすと云う」とある。このことより考えれば、晋代の長岐は武昌郡ぶしょうぐん沙羨縣させんけんの対岸にあたる沔口べんこう(長江と漢水の合流地点)付近にあったと考えられる。なお、武昌郡は九江郡より長江の上流にある。


 ※


 陶侃は十艘の軍船を含む三十艘の船を奪い取り、千斛せんこく(約53.68kℓ)の糧米を得た。そのうちの二十斛(約1.07kℓ)を李興に与えようとすると、断って言う。

▼「斛」は容量を示す単位、明代では一斛は五斗、一斗は十升、一升は約1.07ℓにあたることから千斛は五十升に相当するので53,680ℓ、53.68kℓにあたる。

「下官は劉荊州りゅうけいしゅう(劉弘、荊州は官名)の命を受け、糧秣も支給されております。明公の糧秣はいまだ到着しておらず、すべての糧米を留められるのがよろしいでしょう。目下の朝廷の危急にあたって下官は微力を尽くすのみ、賞を受けるほどの戦功を挙げてはおりません」

 そう言うと、張光の軍勢に向かうべく船を発し、陶侃はそれを見送った。

 張光の軍勢と合流すると、李興は罪を謝して言う。

「此方に向かう途上で陳恢の軍勢に出遭い、陶公(陶侃)とともにこれを破ったがため、期日に遅れました」

「将軍は途にあってよく便宜に事を処した。功を貴ぶべきであり、遅参など言うにも及ばぬ」

 張光はそう言って取り合わない。李興は糧秣を船から下ろすと言う。

「陳恢は戦に敗れて長岐に逃れ、軍勢の士気は下がっております。すみやかに陶侃、皮初の二公と軍勢を合わせて攻めかかれば、容易く打ち破れましょう」

 そう言うと、李興はさらに東に向かうべく軍勢を発した。張光は夏庠かしょうをはじめとする諸将を集めて言う。

「すでに陶公は軍功を挙げた。吾らは陳恢が逃げ込んだ長岐に近く、間を置かずに攻めかかるべきであろう。国家のために賊徒を払って軍功を建てるにあたり、人後に落ちるわけにはいかぬ」

 諸将はその意見に同じると、軍勢を発して長岐に向かった。


 ※


 陳恢の斥候はその進軍を知ると駆け戻って報せ、錢端は陳恢に軍営を委ねて羊類たちと軍勢を発し、張光の軍勢を迎え撃った。両軍は道に出遭って対峙し、それぞれに布陣する。張光は自ら戎装して馬を陣頭に出し、長鎗を手に錢端を指して言う。

「近頃は漢賊どもが辺境を侵して朝廷は多事に苦しまれ、臣子たる者は忠を尽くして節を表す時である。陳敏は重禄を食みながら不軌を企てて謀叛を起こした。お前たちはみな晋朝の良臣であろう。なにゆえに逆賊に従って謀叛に加担し、悪名を後世に残そうとするのか」

「吾が主は謀叛を起こしたわけではない。晋室は自ら殺しあって胡賊の軍勢を防ぎ切れぬ。日ならず洛陽も破られることとなろう。それゆえ、吾らは呉王のご命令により軍勢を発して江淮こうわいを保ち、百姓を救って晋の国統を江東に保とうとしているのである」

 錢端の言葉を聞くと、張光が怒って言う。

「賊徒めがなんという妄言を吐くか。誰か馬を出してこの賊徒を生きながらとりことせよ」

 その声が終わらぬうちに夏庠が鎗を引っ提げて敵陣に向かい、錢端は迎え撃って刀鎗が火花を散らす。人馬が戦場を駆け巡って戦うこと三十余合、二人の刃は一瞬たりとも留まることがない。

 錢瑞せんずいは兄の身を案じ、馬を駆って馳せ向かう。その途上で陣頭に立って指麾する張光を見ると、大刀を振るって斬りかかる。張光も鎗を捻って迎え撃つ。それより十合もせぬうちに錢端は夏庠の鎗を受けて落馬した。

 夏庠が勝勢を駆って攻め寄せるのを見ると、錢瑞は張光との戦を捨てて兄を救い、夏庠を防ぎつつ離脱せんと図る。張光はその後を追って傍らより一鎗を入れ、左脇を貫かれた錢瑞は馬下に絶命した。

 錢端は弟の錢瑞を救えず、ただ逃れようと馬を駆る。そこに羊類が軍勢を出して追撃を阻み、ついに逃れ去った。踏み止まった羊類は張光の軍勢に包囲されて夏庠により生きながら擒とされた。

 張光は軍勢を率いて追い討ちに討ち、ついに長岐にまで攻め込んだ。錢端は敵し得ぬと覚って長岐を棄て、間道から歴陽れきように逃れ去る。陳恢も十人の将兵の七、八が討ち死にしたと知ると、守りきれぬと覚って逃げ去った。

 張光は長岐に入ると人を遣わして陶侃と夏陟に軍勢を合わせるように伝え、擒とした羊類に錢瑞の首級を添えて荊州に捷報を告げる。劉弘は報を受けて悦び、それぞれの軍勢に賞を行った。


 ※


 ちょうどこの時、李興から劉弘への復命があった。書状を披いて見れば、敵の糧秣を奪って大将の何有を斬り、張光の賞を受けた後、さらに東に向かったと認められている。劉弘はそれを知ると、諸軍が思い通りに進軍しているとなお喜んだ。

 この時、張光との間を離間するため、陳敏の間諜が荊州に赴いて次のような流言を撒いた。

「張光は河間王かかんおうに従って天子を長安ちょうあんに遷して道すがらに嬪御ひんぎょを陵辱した。劉荊州(劉弘)は河間王に与せず東海王とともに長安を破って河間王を害したため、張光はこのことを快く思っていない。志を得れば、必ずや復讐を企てるであろう。この機に張光を処断して後患を断つのが劉荊州のためである」

 劉弘はそれを聞くと駁して言う。

「そのような流言があるのか。先に張光は劉沈とともに国家のために兵を挙げ、河間王に抗った。力及ばずして擒とされたものの、河間王はその忠心をよみして殺さなかった。張光は助命されてやむなく従ったのであり、余の悪党とは事情が異なる。さらに言えば、人を危うくして身の安全を図るのは、君子の行いではない」

 流言を取り合うことなく、張光と陶侃の勲功を報せるべく次のような上奏を認めた。

「張光は錢端を破って羊類を擒とし、長岐を恢復いたしました。また、陶侃は陳恢を破って何有を斬り、前後二千を越える賊兵の首級を挙げております。賞賜を下してその大功を顕彰されるべきであります」

 この上奏文は荊州から洛陽らくようにある晋帝しんていの許に送られたことであった。

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