十九章 五馬の南渡
第四十四回 瑯琊王司馬睿は江を渡って賢を招く
「今や
瑯琊王は
「人の言うところによれば、
王導の言葉に従い、瑯琊王は珍珠、寶玉、金の首飾り、江南の珍しい織物を裴氏に贈った。
※
瑯琊王の
「先に瑯琊王の嫡子が
「諸親王はいずれも狡猾でなければ詐略に長じ、兇悪でなければ権力に執着し、多くは善い終わりを迎えられなんだ。ただ、
「瑯琊王は純粋善良、功を誇らず人に驕らず、器量は比肩する者がありません。聞くところ、陳敏なる者が亡命者を募って不軌を図っていると言います。揚州が乱れれば、江東の糧秣を洛陽に届けられなくなりましょう。万一に備えねばなりません。呉王は
▼「建康」から北に向かい、長江を渡ると「京口」に到る。この二つの城邑は唇歯の関係にある。
裴妃の言葉は、王導が使者に伝えて入れ知恵したものであった。東海王はその言に深く同じ、晋帝に上奏して瑯琊王を
瑯琊王はその詔を奉じると東海王に謝し、合わせて輔佐に任じる人物の推挙を願い出る。東海王は王導を
▼「平東都尉」という官は晋代にはない。
この時、
後に、瑯琊王とこの四人を指して「五馬が長江を渡って一馬は龍と化した」と言われるようになる。
※
瑯琊王は京口に到着すると呉王に見え、ついに建康に入った。これより政事の一切は王導に委ねられることとなる。
「河北の混乱により衣冠の名家はいずれも江南に難を避けんと考えておりましょう。大王が驕ることなく謙虚にされれば、俊傑の心を
王導がそう勧めると、瑯琊王はその言葉を
瑯琊王はこれに悩んで王導に諮ったが、名望ばかりは如何ともし難い。
三月に入って
▼「清明節」は旧暦の三月、春分の日から十五日目にあたる清明からさらに十五日を過ぎた
「江南では清明節の前後三日は貧富貴賎を問わず、墓所に先祖を祀ります。読書人や在野の賢人が山水を遊覧するのはこのためです」
王導は一計を案じると、帰って瑯琊王に言う。
「この佳節にあって江南の賢人君子は先祖の墓を祀り、客商や旅人も故郷に帰っております。大王が賢人を求めておられるにも関わらず誰も訪れないのは、世評を欠くがゆえのことです。大王が自ら野外に出られて山川や鬼神を祀るにあたり、儀仗を備えて衛兵を連ね、郊外に設えた祭壇を護らせます。そこに、
▼「郭隗」は「隗より始めよ」の故事成語で知られる。燕の昭王とともに戦国時代の人、昭王は前三一二年から前二七九年の在位である。
瑯琊王はその言を
※
郊外に向かう瑯琊王の行列は、高士の
その様子から瑯琊王が賢人を好んで士人を敬うと知り、二人は道の左に寄って見物に加わる。瑯琊王は馬から下りると二人に賓客の礼を尽くし、拝謝して別れた。
王導が言う。
「すみやかに賢人を募らねばなりません。遅れては応じる者がいなくなります。先の卞壼と賀循は呉中の高士であり、人々に重んじられております。彼らと面識を得たからには、急いで登用すれば人心を得られましょう。彼らを得れば、余人は募らずとも身を寄せて参ります」
翌日、瑯琊王は二人を府に迎えるべく、王導を遣わした。王導は二人に礼物を薦めると瑯琊王の意を具に申し述べる。ついに卞壼と賀循は王府に到って命を奉じ、
この頃、瑯琊王は酒を好んで酩酊することが多く、それを見た王導が諌める。
「諸親王が浪費する一方、天下の米穀は不足しております。士庶の心を収めなければ、人は反して従いますまい。大王は謙虚に士大夫を待ち、倹約して浪費を省かねばなりません。倹約と謙虚を保って新旧の人々を慰撫すれば、残らず心を寄せましょう。洛陽の士大夫は飲酒を好んで政事を顧みず、ついに天下を破りました。大王の飲酒はそれに倣っておられ、先轍を忘れた行いです」
王導に諌められ、瑯琊王は賀循たちを前に誓って言う。
「今日より禁酒する。先生たちはその証人だ」
言うと、酒盃を地面に投げつけて言った。
「孤は二度とお前を使わないだろう」
それより、瑯琊王はついに酒を止めた。先に謳われた「五馬が長江を渡って一馬は龍と化した」の一馬とは、この瑯琊王を指していたことであった。
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