第四十三回 南陽王司馬模は河間王司馬顒を殺す
▼「始平」は『
梁邁は
河間王は馬瞻を遣わして
「梁柳が病死したために長安は鎮守を欠き、人民の心は安定しておりません。仮に河間王を鎮守に迎えてまずは人心を安定させるべきです」
河間王もまた上奏して罪を乞うたが、
「ただ留意して長安を治めれば、他日に封を加えるであろうと河間王に伝えよ」
朱永の使者にはそのように言い含めた。
※
▼「内史」は、諸親王の国の宰相にあたる。『晋書』武帝紀太康十年十一月條に「諸王國の相を改めて內史と為す」とあることによる。ただし、秦州は諸王の国ではなく州であり、内史は存在しない。
「河間王は戦で将兵を喪うのみならず、朝廷に罪を犯した。誅殺を免れただけでも幸いとすべきであろう。それにも関わらず、守将を害された吾らがその罪を
三所の軍勢を会して長安に向かう。河間王は馬瞻、梁邁、朱永を遣わしてその軍勢を防がせ、裴廙たちの軍勢は大敗を喫した。賈疋は河間王を弾劾して言う。
「司馬顒は謀って梁柳を害して長安を奪い、近隣の諸郡を従えようと図っております。朝廷より軍勢を発して不道を伐たんと願う臣らに加勢を願います」
河間王も裴廙たちが関中を奪って叛乱を企てていると上奏した。
これらの上奏を受けた晋帝は
「張方は強兵を恃んで罪を犯したため、河間王は道を誤った。罪過なしとはできぬが、功績の方が多い。また、自ら元凶の張方を処断しており、その罪は許されるべきであろう。その上、宗室の長老でもあって長年関中に鎮守して衆人に重んじられておる。長安の民はいまだに河間王を慕っていよう。しかし、この一戦ですでに各所の郡太守との怨みを結んだであろう。太守たちを助けて河間王を討てば宗室の和を破り、王を助けて太守を討てば国家の忠臣を失う。思うに、河間王を洛陽に召還して事を休ませるべきであろう。王はどのように観るか」
「陛下の天恩は友愛の情に適うかと存じます。詔を下して裴廙たちには任地を守らせる一方、
▼「司寇」は『後傳』『通俗』ともに「司馬」とするが、後段により改めた。
晋帝はその言を
※
詔を読んだ河間王が仔細を問えば、糜晃は晋帝の意をそのままに伝える。
この時、長安は祁弘の軍勢に
東海王は河間王が長安を発したと聞き、勅使を
それを聞いた南陽王は僚佐を集めて言う。
「河間王の心は不仁である。
「大王のお言葉とおりでありましょう。先に相容れなかったものが、後日にどうして相容れるよう変わりましょうや。司徒となれば志を行うにも易く、不測の難を懸念せねばなりません」
「卿の見解は孤のそれに一致する。どのような謀によって河間王の専権を阻めようか」
「洛陽への召還は勅命であり、阻むことはできません。愚見では、精兵千人を発して
▼「新安」は『
「妙計である。卿は孤に代わってこれを行え」
王因は
※
河間王は朝廷からの召還により長安を発ち、警戒もせずに道を進んでいた。
▼「滎陽」が洛陽の東にあったことは先に述べた通り、長安から見れば、新安-洛陽-滎陽と並ぶ。よって、洛陽にも到着していない河間王が滎陽にいたはずはない。
雍谷の隘路に到ったところ、両側から数百の軍勢が湧き出して叫んだ。
「そこを行くのは何者か。金寶を置いていけば、生命だけは見逃してやろう」
河間王が言う。
「孤は河間王である。お前たちが邪を捨てて正に帰せば、洛陽に伴って官職を与えてやろう」
冷辰は先頭に立つ河間王に馳せ向かい、一刀の下に斬り殺す。それに従う兵士たちは二子をも合わせて討ち取った。兵士たちは愕いて後軍に逃げ出し、救いを求めて叫んだ。
「馬瞻将軍、お救い下さい」
それを聞いた王因が冷辰に命じる。
「馬瞻は関中の上将、軽々しく立ち向かえる相手ではない。目的を達したからにはすみやかに逃れ去るのだ」
そう言うと、河間王たちが身につけていた金玉を奪い取ると、山中に逃れ去った。
馬瞻が駆けつけた頃には、賊徒はすでに逃げ去って河間王父子の屍が地に伏せるばかり、大哭すると屍を車に載せて洛陽に向かう。東海王に見えるとその死を報告した。
その死を哀しんだ晋帝は、王の礼によって成都王と同じく
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