第四十二回 東海王司馬越は晋帝司馬衷を毒害す

 苟晞こうきは鄴に軍勢を入れると、鎮守する者がいないと知って軍勢を留めようと図った。しかし、劉輿りゅうよ司馬虞しばぐを鄴に迎える懸念があった。そのため、洛陽らくように上奏し、劉輿を洛陽に返して司馬虞を鄴に赴任させないように願った。

 劉輿は苟晞と争ってはかえって害されると懼れ、洛陽に還って東海王に別の官職を与えられるよう願い出る。東海王は劉洽りゅうこうに事を諮った。

盧志ろしは劉輿を評し、人となりは油脂のようなもので近づければ穢れ、清名の士ならば近づいてはならぬと申しました」

 これを聞いた東海王はついに劉輿を用いなかった。これは、盧志が成都王を害した劉輿を恨み、先んじて讒言を撒いたものであった。劉洽は盧志の忠節を知るがゆえ、その讒言を信じたのである。

 劉輿は盧刺と劉洽に謀られたと思い、洛陽で閑居する間に天下の兵馬銭糧、兵士の多寡、倉庫に収められている穀物や布帛の品目、器械や兵器、さらには地理や関津、水陸の形勝を調べて諳んじ、ついに地名を聞くだけですべての知識を引き出せるまでになった。

 東海王が官署や司職の考課を行うにあたっては、劉輿はその傍らにあって東海王に代わって報告を読み、資料を繰ることなく疑義を正して誤りがない。東海王は劉輿を長史に抜擢して腹心とし、軍国の大事までともに諮るまでになった。


 ※


 光熙こうき元年(三〇六)の冬十一月、劉輿は密かに東海王に言う。

「聖上は国を治めるに足りず、民を安んじられません。位を皇太弟に譲って国統を継がせれば、新帝は大王により擁されることとなり、出来ぬことなどなくなりましょう」

「聖上を廃さんとした者は多い。しかし、ことごとく諸親王の叛乱を招いて身を滅ぼしておる。これは聖上が存命であるためのこと、行うならば除かねばならぬ。この策をどう思うか」

 東海王の言葉に劉輿が言う。

「掌を反すようなものです。鴆毒ちんどくを飲食に潜めて進めればよく、大王が望まれれば異議を唱える者などございますまい」

 東海王は劉輿に無言で金帛を渡す。劉輿は晋帝に近侍する者にまいないして食事に毒を加え、晋帝はそれを食してついに崩御ほうぎょした。時に四十八歳であった。

 皇后の羊氏は晋帝の遺骸を見て近侍に命じる。

「皇太弟が即位すれば、妾とは嫂と義弟の間柄、朝に立って事を共にはできません。清河王せいかおうを建てて帝とするよう、百官に諮りなさい。東海王にはその後に報せればよろしい」

 侍中じちゅう華崑かこんは密かに東海王に告げ報せ、東海王は何倫かりん宋冑そうちゅうとともに宮城に入ると、大哭を装って地に倒れ伏す。

 何倫がそれを諌めて言う。

「天下には一日たりとも帝を欠くわけにはまいりません。聖上はすでに世を棄てられ、哭したところで無益です。すみやかに百官を召して大事を定め、その後に喪を発さねばなりません」

 東海王はにわかに立ち上がり、正殿に出て百官を集めた。

 それより、皇太弟の司馬熾しばしを迎えて即位させ、年号を永嘉えいかと改める。司馬衷しばちゅう孝恵帝こうけいていおくりなされ、羊皇后は孝恵こうけい皇后こうごうとなってその居は弘訓宮こうくんきゅうと定められる。

 皇太弟の司馬熾は武帝ぶてい司馬炎しばえんの第二十五子、あざな豊度ほうどという。その性格は慎ましく、それゆえに新帝に立てられたのである。

 新帝は詔を下すと、恵帝を太陽の陵墓に葬るよう百官に命じた。恵帝の在位は十七年、改元を四度おこなった。政事を自ら執ることはなく、すべて臣下により行われたことであった。

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