応援コメント

第四十一回 公師藩は東瀛公司馬騰を殺す」への応援コメント


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    東瀛公・司馬騰まで。西晋の王公が次々と死にますな。八王以外の王公も死が相次ぐようになりました。

    東瀛公・司馬騰は史実としてのドラマなら、とても重要な人物で、奴隷狩りで石勒を捕らえて奴隷とし、決起したばかりの劉淵討伐を行い、汲桑・石勒と戦い、戦死するという、ゲームでいえば、一番初めの中ボスといったポジションの人物です(笑)。

    李豊は史実では汲桑の部下ですね。司馬騰の配下としては、三国志後伝の第六回で續三國志演義では省略された諸王公のリストではその配下に、史実で決起時の劉淵討伐にあたったメンバーの名があるのですが、その設定は使われないままで終わったようですね。

    なお、ここでは司馬虞が生き残っていますが、晋書では、李豊を河に沈めた後、司馬虞も戦死したようで、(じゃ、誰が李豊を討ち取った経緯を伝えたのだという話しですが。これだから晋書は)、生き残ったの四男の司馬確です。

    後で、司馬確の名が出てきますが、ここでは、注釈をするか、司馬虞に変える必要があると思われます。

    しかし、ここでの盧志はいい人に書かれすぎて、成都王の参謀を務めていた人物とは思えませんね。

    (帝室)
    恵帝:司馬衷
    皇后:空位→羊献容
    皇太弟:空位→司馬熾
    執政:司馬穎・司馬顒→司馬越

    (八王)
    河間王・司馬顒
    東海王・司馬越
    汝南王・司馬亮(死亡)
    楚 王・司馬瑋(死亡)
    淮南王・司馬允(死亡)※八王にいれる説あり
    趙 王・司馬倫(死亡)
    梁 王・司馬肜(死亡)※八王にいれる説あり
    斉 王・司馬冏(死亡)
    長沙王・司馬乂(死亡)
    成都王・司馬穎(死亡)

    (親王公)
    瑯琊王・司馬睿
    南陽王・司馬模
    呉 王・司馬晏
    ✕ 東瀛公・司馬騰
    予章王・司馬熾 → 皇太弟へ
    東平王・司馬楙
    清河王・司馬覃
    新野王・司馬歆(死亡)
    東安王・司馬繇(死亡)
    范陽王・司馬虓(死亡)

    追伸
    >『後傳』では、ここで大哭した後に復讐のために
    >北漢に身を投じるというオマケまでついていますね。

    そうでしたか。ここでフェードアウトは私の確認漏れかもと思っていましたが、調べたら「三国志後伝」盧志はここで死んでいたのですね。息子の盧諶は登場するのにどうしたのだろうと思っていました。確かに、劉乂(劉義)に謀反を促して殺されるのは後伝の盧志のイメージとは違いますね。最も、美化されているのは盧志かもしれません。演義の荀彧のイメージでしょうか。

    しかし、少し前までは日本一詳しいのは自分とばかり思ってましたが、少なくとも三国志後伝・續後三國志演義においては、間違いなくもはや河東さんに譲りますね。こういったものでも力の差は地道な作業によって生まれるのですな。

    作者からの返信

    【追記】

    > 日本一詳しいのは自分とばかり思ってました

    いや、たぶん今でも『後傳』はまめさんが日本一詳しいでしょうね。あくまで本作は『通俗』の翻訳なので、『後傳』は参照しているだけですから。盧志の件はあまりに衝撃的だったので覚えているだけです。

    東海王は曰わく「卿の言は是なり」と。
    乃ち人をして新野に往きて之(成都王の王子)を求め、取りて洛陽に回り、反って之を縊殺せり。盧志は聞知するや、乃ち成都王の墳前に往きて大哭すること一場、東海王を棄て、奔りて北漢の劉聰の軍中に往き、劉輿、司馬越の仇に報ぜんと圖る。

    スゴイことになってますね。。。仰るとおりきわめて荀彧っぽいです。


     ※



    こんにちは。

    〉西晋の王公が次々と死にます

    十八章は西晋諸侯の墓地みたいなものです。これまで西晋を代表していた人物がとにかくいなくなる。下のリストを見れば一目瞭然ですが、まさしく壊滅状態です。まだ死にますからね。。。


    〉東瀛公・司馬騰

    王浚とセットだと強い、というイメージです。それは王浚が強いということでは?
    つまり、作中では優遇されていない人です。成都王と東海王の二人を軸にしているので、仕方ないところではあります。ここでも完全にかませ犬な感じで退場となってしまいました。合掌。


    〉李豊

    なるほど、ここでは汲桑→公師藩という置き換えが史実に対して行われたわけですね。結果、汲桑の部下のはずの李豊が公師藩の部下になった、と。
    史実を下敷きにした際は、改変が少ないほど辻褄合わせが楽ではありますが、こういうことは避けられません。


    〉三国志後伝の第六回で續三國志演義では省略された諸王公のリスト

    あー、ありますね。『通俗』「第八回 晋帝司馬炎は大いに宗室を封ず」にあたるあたり。
    まあ、『後傳』第五十七回からの十八路諸侯の列挙とモロに被りますから、省略はやむなしでしょう。
    周良や石鮮を設定したのに使わなかったのは謎です。まあ、扱いが軽いから、というと終わってしまいますが。


    〉司馬虞

    戦死されましたか。作中では司馬確が巻き添え食らってお亡くなりになっており、司馬虞は生き残って爵位を継いでしまいました。
    司馬確を司馬虞として押し通すならそれもよしですが、司馬確が出てくると、アカン感じになりますね。(志怪小説なので、亡霊としての登場は歓迎。そんなことないだろうけど)


    〉盧志

    『後傳』では、ここで大哭した後に復讐のために北漢に身を投じるというオマケまでついていますね。さすが名門、優遇されています。まあ、最期を考えると、何とかして北漢に行かせる必要はあるわけですが、それにしてもまあ。。。

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