第四十回 成都王司馬穎は縊られて死す
成都王が新野にあると知った者のうち、ある者が
「成都王を
東海王は
成都王は家眷とともに知人の家に
▼「新野」は
※
この時、馮嵩は朝歌の東にある
「将軍はかつて成都王に腹心として重用されたものの、
陳眕はその言に従って三千の軍勢とともに頓丘に向かった。成都王に与する郭植はそれを知ると、一軍を率いて頓丘への路を阻み、かえって討ち取られた。敗兵が逃げ戻るとそれに続いて陳眕の軍勢が到り、さらに頓丘から馮嵩の軍勢も包囲に加わる。
囲まれた朝歌にある成都王は謀士の盧志を欠いて打つ手もなく、韓玭とともに城を抜けて公師藩の許に逃れようと図った。馮嵩はそれを許さず、厳しく追って韓玭を討ち取り、ついに成都王とその二子を擒とした。馮嵩は成都王たちを鄴に送って范陽王と処分を案じることとした。
※
盧志が朝歌に還ると、成都王が擒とされたと聞いて大哭し、単騎で鄴に向かった。范陽王に見えると、成都王の勲功を論じてその命を救うように願い出る。范陽王は重い病に罹っていたが、盧志の哀訴を聞いて言う。
「孤の死は旦夕にある。王には漢賊を退けた大功があり、それは重々承知している。今しばらくは別室に安んじて孤の死後に卿が策を案じてお救いせよ。孤は許昌の敗戦など意に介しておらぬが、このような仕儀に至ったのは劉輿の怨みによるのだ」
范陽王の言葉を聞き、盧志は拝謝して退いた。
劉輿は許昌で張方に敗れた屈辱を忘れておらず、かつ、范陽王が重病の床にあって成都王を処分できまいと考えていた。さらに、鄴は成都王が長らく鎮守していた大都であり、故旧が与して変事を生じる
陳眕は部将の
※
成都王は鄴の獄にあって監視役を務める田徽と時事を談じていた。
「誰が孤を獄に繋がせたか」
「范陽王のご命令にございます」
「范陽王は重病の床にあってそのような命を下せまい」
「病床にあられるがゆえ、変事の
「それならば、王の病状は如何か」
成都王の問いに田徽は首を横に振るのみ、成都王は話柄を変える。
「お前は今年で幾つになる」
「五十になりました」
「孔子は『五十にして天命を知る』と申された。まだ天命を知らぬと見えるな」
「この乱世にあっては明日がどうなるかも分かりません。まして天命など知りようもありますまい」
「孤は知っておる。たとえば、孤の死後は東海王が軍国の権を握るであろう。しかし、それで天下を安んじられるであろうか」
田徽がその問いかけに答えるに及ばず、勅使が来臨したとの報せが入る。成都王は嘆息して言う。
「孤は鄴を出て放浪すること三年に及ぶ。その間、
田徽はそれを
「成都王は鄴城の戦にて官軍に矢を向けて
成都王は聞き終えると二子と抱き合って哭し、天地を拝して世を辞する。朝服を脱ぎ去って
▼「巾舄」は頭巾と靴の意、死に装束の場合は「
田徽が哭する二子を連れて獄を出ようとすれば、劉輿が遣わした兵士がそれを止める。ついに二子も同じく獄中に戮された。
※
盧志と孟玖は成都王を訪ねて獄に向かう最中、成都王父子が誅殺されたことを知った。
盧志はそれを聞くと獄中に駆け込み、成都王の屍を見ると大哭した。
「大王が臣の言を
屍を拝してそう言うと、兵士は連行して劉輿の許に引き出した。
「主が辱められれば臣はその命を捨てる。死は吾が願うところ、当然の義に過ぎぬ。成都王は勲功多く、罪過は少ない。河間王や東海王たちが煽動して世を乱したため、このような事態に立ち至ったに過ぎぬ。王の屍を収めて葬り、君臣の義を尽くした後であれば、いつでも命など呉れてやる」
成都王に与した罪を責められ、盧志はただそう応じる。劉輿もその忠義に感じ入り、成都王の屍を収めて王礼によって葬るよう官吏に命じる。
孟玖は讒佞にして陸機と陸雲の兄弟を死に追いやり、さらに東安王の殺害を唆したため、その身は誅殺して梟首にするとともに、三族までも夷滅された。
盧志は成都王父子を鄴の東に葬ると、墓の傍らに庵を編んだ。
成都王が時勢に乗じた頃、その門は賓客に満ちていたものの、最後には誰もが逃げ去ってしまった。ただ、盧志だけは艱難にあってもその傍らを離れず、始終変わることがなかった。
世人はその行いを忠であると称揚したことであった。
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