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2018年3月8日 02:10
ついに、西晋の武勇における双璧の片方が死にましたな。漢軍に対抗する西晋の切り札っぽかったので、この張飛みたいなあっけない死は残念ですな。張方のイメージは若い時の董卓ですね。史実や石珠演義を見ても、やはり、祁弘の方が強かったのでしょうね。史実上の彼は歴戦の武将という感じで、名将までは至らないと思えます。成都王が張方を贔屓し、祁弘との心理的距離が垣間見えた描写の複線が解消されたわけですね。しかし、河間王・司馬顒は張方が暴走した面もあるとはいえ、他人に責任を押しつけたり、成都王への対応をコロコロと変えたり、かなり、自己中な性格の強欲な機会主義者に見えますな。史実では斉王・司馬冏の使者を殺したのに、司馬冏の方が優位と見て、司馬冏側について、趙王・司馬倫を攻撃したというエピソードが残っています。
作者からの返信
こんにちは。>張方確かに、序盤の漢の武勇の象徴だった齊萬年の死とは大きく違い、極めてあっさりした謀殺でした。祁弘と比較すると権勢欲もあり、人間臭くて好きな登場人物でした。董卓と重なるのは洛陽から帝を長安に連行したあたりのイメージ的な重なりが大きいかも知れません。>河間王・司馬顒『晋書』では「少有清名、輕財愛士」とありますから、若いころは親分肌の人物だったようですが、事績を見ると機会主義者というのがふさわしいようですね。こういう人を重鎮とせざるを得なかったのは、晋の不幸なんでしょう。そりゃ一度乱れたら総崩れになりますわね。。。
ついに、西晋の武勇における双璧の片方が死にましたな。漢軍に対抗する西晋の切り札っぽかったので、この張飛みたいなあっけない死は残念ですな。
張方のイメージは若い時の董卓ですね。史実や石珠演義を見ても、やはり、祁弘の方が強かったのでしょうね。史実上の彼は歴戦の武将という感じで、名将までは至らないと思えます。
成都王が張方を贔屓し、祁弘との心理的距離が垣間見えた描写の複線が解消されたわけですね。
しかし、河間王・司馬顒は張方が暴走した面もあるとはいえ、他人に責任を押しつけたり、成都王への対応をコロコロと変えたり、かなり、自己中な性格の強欲な機会主義者に見えますな。史実では斉王・司馬冏の使者を殺したのに、司馬冏の方が優位と見て、司馬冏側について、趙王・司馬倫を攻撃したというエピソードが残っています。
作者からの返信
こんにちは。
>張方
確かに、序盤の漢の武勇の象徴だった齊萬年の死とは大きく違い、極めてあっさりした謀殺でした。祁弘と比較すると権勢欲もあり、人間臭くて好きな登場人物でした。
董卓と重なるのは洛陽から帝を長安に連行したあたりのイメージ的な重なりが大きいかも知れません。
>河間王・司馬顒
『晋書』では「少有清名、輕財愛士」とありますから、若いころは親分肌の人物だったようですが、事績を見ると機会主義者というのがふさわしいようですね。
こういう人を重鎮とせざるを得なかったのは、晋の不幸なんでしょう。そりゃ一度乱れたら総崩れになりますわね。。。