第三十七回 河間王司馬顒は張方を殺して和を請う

 河間王かかんおうの命を受けた郅輔しつほは懐に利刀を隠して夜が更けるのを待つ。衆人が参じるのを観ると、緘封された書状を手に張方ちょうほうの許に向かった。

「河間王より書状があり、機密を記しているとのことです。お受け取り下さい」

 張方が慌しく起ち上がって書状を披く。そこを郅輔は懐の刀で斬りつけた。張方は交わそうとして果たさず、こめかみに傷を負って倒れ伏す。援けを呼ぼうと叫んだところ、返す刀が頸を切り裂いた。

 郅輔は斃れた張方の首級を挙げる。

 周囲にいた百人ほどの衛兵が駆けつけたものの、郅輔の武勇を知るがゆえ、身動きができない。

「郅将軍、何ゆえに主帥を殺されたのか」

「河間王より天子の勅命を受けて張方の罪を正し、東海王とうかいおうの軍勢を退ける。それ以外の理由はない。仇に報いたいと思うのであれば、河間王に伺って吾がほしいままに主帥を殺したとのお言葉を頂いて参れ。無駄な力は費やすに及ばぬ」

 衛兵たちを退けると、郅輔は張方の首級を提げて河間王の許に向かう。河間王は郅輔を護衛ごえい大将軍、都督ととく関西諸軍事かんさいしょぐんじに任じ、人を遣わして張方の首級を東海王の陣に送り、兵を退けるように伝えさせた。


 ※


 東海王は張方の首級を見て言う。

「張方の罪は正されたものの、聖上はいまだ洛陽らくようにお帰りになっていない。それが成った暁には、聖上に上奏して滎陽えいようより西の地を河間王に賜って旧職を復するであろう。ただし、一万人の護衛を越える大軍を貯えることは許さぬ」

 使者の復命を受けて河間王が言う。

「孤は張方を殺して諸親王の軍勢を退けようとしたが、東海王はそれを信じず、聖上を洛陽にお返しして孤の軍勢を解くように言う。これより観れば、東海王は孤を凌ごうとばかり考えておるらしい」

 そう言うと、ついに東海王に回答しなかった。

 河間王が晋帝しんていを洛陽に返すつもりがないと知り、東海王は范陽王はんようおう祁弘きこうと軍勢を会するように申し伝える。霊璧れいへき劉喬りゅうきょうを走らせて劉祐りゅうゆうを斬り、さらに張方も河間王に殺されたと聞くと、范陽王は王浚おうしゅんに使者を送って軍勢を会する期日を伝えた。

 王浚は祁弘に命じて長安に向かわせ、それを知った河間王は成都王せいとおうに事を諮って言う。

「今や霊璧は抜かれて東海王の軍勢が関中に迫っておる。先には張方を斬ってその軍勢を返させようと図ったものの、東海王は聖上を洛陽に返した上に皇太弟の官爵を貶めて孤の軍勢を解くように求めておる。孤の思うところ、そうなっては翼が折れた鳥に同じく何事もなし得ぬ。もはや皇太弟を煩わせて軍勢を委ね、滎陽にて幽州ゆうしゅう冀州きしゅうの軍勢を阻むよりあるまい。この軍勢さえ止めれば、他の軍勢など数えるに足りぬ」

▼「滎陽」は洛陽より東、黄河沿いにある。その道を進めば河南の諸郡に到るものの、冀州と幽州の軍勢は山東を南に下りつつ、ぎょうから朝歌ちょうか河内かだいを経て河橋かきょうから洛陽に入るか、河橋を過ぎて黄河北岸を進み、風陵津ふうりょうしんまたは蒲坂津ほはんしんから黄河を渡って関中に向かうのが定石であろう。いずれの経路においても滎陽を通ることはない。

 成都王がうべなうと、李含りがんが言う。

「まずは河橋に拠って敵の進軍を阻むのがよいでしょう」

 成都王は滎陽に軍営を置き、王彦おうげん趙譲ちょうじょう、それに河間王麾下の樓褒ろうほう王闡おうせんに三万の軍勢を与えて伊水いすいにかかる橋に拠らせる。

▼「伊水」は洛陽の西南にある熊耳山ゆうじさんに発して洛水らくすいの南を東北に流れ、洛陽の東にある偃師えんしの南で洛水に注ぐ。洛水はさらに東に流れて黄河に注ぎ、合流点を越えた先に滎陽がある。北にある幽州、冀州から洛陽に向かう際に滎陽を通る可能性が低いことは先に述べたとおりであるが、洛陽の南を流れる伊水を通る可能性はさらに低い。河橋という字の通り、黄河にかかる橋と解するべきであろう。

 数日を過ぎずに祁弘が軍勢とともに到着し、河橋に拠る軍勢を見ると馬を出して叫ぶ。

「吾は幽州ゆうしゅう総管そうかんより遣わされた祁弘である。聖上を洛陽にお返しして宗廟を正さんとしておる。この河橋を塞ぐお前たちはいずれの兵か」

 長安の軍勢からは王闡が一騎で駆け出て言う。

「吾らは天子と皇太弟の命により河橋を守っておる。お前は故なく軍勢を動かし、禁闕きんけつを犯して乱を起こそうとし、その上に吾らが道を阻むとは言いがかりも甚だしい」

「お前たち逆賊は河間王、成都王に阿附し、洛陽で掠奪を働いて宮城を焼き払い、聖上を脅かして関中への遷御せんぎょを強いた。叛逆は明らかである。吾は主命を奉じ、反逆者を誅殺して天子を奉迎せんとしておる。前を阻む者があれば生きながらとりことして微塵に刻んでくれよう。お前たちの罪を問うにも及ばず、妄言など聞くに値せぬ」

 王闡が怒って大刀を抜きつれて斬りかかり、祁弘は鎗を引っ提げて迎え撃つ。両陣営は金鼓を鳴らして鬨の声を挙げ、二将は戦陣の間に勇を奮う。人が回れば馬も転じ、刀を引けば鎗が突かれる。三十合を過ぎたあたりから王闡は徐々に劣勢になり、ついに祁弘の鎗に心の蔵を刺し貫かれて馬下に落命した。

 樓褒が怯んで陣に逃げ込むと、祁弘は勝勢に乗じて後を追う。王彦と趙譲の二将が代わって陣頭に出て叫ぶ。

「退く者があれば、斬刑に処する」

 崩れかけた軍列はこれにより踏み止まった。

 祁弘が斬り込もうとすれば、王彦が矛を捻って前を阻む。鎗を合わせて十合にも及ばず祁弘の鎗が肩に突き立った。馬頭を返して逃げ出したものの、背後からの鎗を受けて落馬した。

 孫緯そんい王昌おうしょうも祁弘に続いて軍勢を進め、趙譲と樓褒はついに河橋を放棄して軍勢を返す。追撃を受けた兵士の水に落ちる者が夥しく、軍営をも棄てて滎陽の本陣に逃げ帰った。


 ※


 ちょうど日が暮れかかって祁弘たちは河橋の軍営に宿り、翌日には軍勢を滎陽に向ける。祁弘の勇猛を知る成都王は出戦を避けて軍営に籠もった。そこに間諜が駆け戻って報じる。

王幽州おうゆうしゅう(王浚、幽州は官名)と范陽王がそれぞれ五万の軍勢を率いて近づいております」

 成都王が愕くところ、さらに報告がつづく。

「東海王、南陽王が十万の軍勢を率いて進み、先行する糜晃と宋冑が郡境を越えました」

 この時、滎陽太守の李矩りくも成都王に与することをがえんじず、二十万に上る大軍を支え止める策はない。ついに成都王は樓褒、趙譲とともに軍営を払って関中に退いた。河間王は呂朗に二万の軍勢を与えて潼関どうかんで東海王の軍勢を防がせる。

 東海王は潼関に着くと、祁弘と何倫に命じて攻めかからせるとともに、王闡と王彦の首級を呂朗に送る。呂朗は敵し難いと覚ってついに東海王に降った。潼関の兵士が長安に逃げ戻って言う。

「呂朗は敵を怖れて潼関を開きました。早晩には東海王の軍勢が攻め寄せて参りましょう」

 河間王も愕いて林成りんせい馬瞻ばせん郭偉かくい、樓褒の四将に五万の精鋭を与え、覇上はじょうに陣を布かせた。

 王浚は祁弘と劉琨に命じて覇上の陣に攻めかけさせる。陣からは林成が出て応じ、祁弘を指して言う。

「お前たちは晋の禄を食む身でありながら、何ゆえに天子に叛いて此処に来たか」

 劉琨が言う。

「河間王は威勢を恃んで専横を行い、疎族でありながら天子を擁して諸親王を凌いだ。ゆえに吾らは逆賊を助ける党与を誅戮すべく軍勢を進めるのである。それにも関わらず、妄言して吾らの進路を防ぐとは、どのような料簡であるか」

 林成が怒って斬りかかれば、祁弘が鎗を捻って支え止める。二人は戦場を往来して刃を交えること五十合、互いに隙を与えない。馬蹄が挙げる塵埃が滾々と湧いて日を翳らせる中、ついに祁弘の鎗が林成の左肘を刺し貫いた。

 馬瞻と郭偉が陣を出て祁弘を阻み、林成は陣に逃げ込む。馬瞻は祁弘を食い止める間に、郭偉は劉琨との戦に入る。二十合を過ぎぬ頃合に王浚の陣より砲声が続けて挙がり、それを聞いた郭偉が顧みれば、劉琨の一刀を浴びて馬より落ちる。

 糜晃は軍勢を差し招くと一斉に攻めかかり、河間王の軍勢は支えきれずに潰走した。林成たちは敗卒を収拾して長安に逃げ戻り、祁弘はついに覇上の軍営を奪ったことであった。

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