第三十六回 東海王司馬越は兵を会して張方を討つ

 劉輿りゅうよ范陽王はんようおう司馬虓しばこう)に先行して冀州きしゅうに到り、刺史しし温羨おんせんに見えて言う。

張方ちょうほう聖上せいじょうを脅かして関中かんちゅうに遷し、さらに横暴不仁なるがゆえに大臣を虐げて妃嬪きひんを辱めました。そのため、南陽王(司馬模しばぼ)、東海王(司馬越しばえつ)、范陽王、東平公(司馬楙しばぼう)をはじめとする諸親王が聖上をおたすけすべく軍勢を会されたところ、許昌きょしょうに張方の急襲を受けたのです。范陽王は戦に破れて許昌を逃れられ、ひとまず身を逃れて遼西りょうせい段部だんぶの軍勢を借り、再起を期そうとされています。范陽王の落ち着き先を考えたところ、この冀州に明公めいこう(温羨)がおられることを思い出し、まずは拝謁して誠心を通じるべく参りました。何卒、范陽王をお迎えしてこの地に身を安んじられるよう、お取り計らい願います」

 温羨はそれを聞くと嘆息した。

「聞くところ、范陽王にはかつて罪過を犯しておられますまい。それにも関わらず、張方に謀られるとはおいたわしい限りだ」

「明公は惻隠そくいんの情をお持ちのはず、どうか一縣を割いて范陽王の休み処として頂きたいのです。吾は范陽王をたすけて傍らにあり、吾が兄は并州へいしゅう恢復かいふくすべく山西さんせいに向かっております。兄が并州を恢復した後、范陽王の御身を并州に移すか否か、ご相談させて頂きましょう」

「一縣などと言われるには及ばぬ。かつて伯夷はくい叔齊しゅくせいは国を譲った行いを賢明であると称揚されております。范陽王が身の置き所を失われたとあれば、冀州すべてをお譲りすべきでしょう」

 温羨はそう言うと、部将の支安しあんに三百の軍勢を与えて范陽王を迎えに遣わす。范陽王が城に入ると、自らは刺史の職を返上して長史ちょうしの職に就いて輔佐にあたり、劉輿は司馬に任じられて軍事を委ねられた。これは、張方への報復をおこなうためである。

 さらに、參軍を務める李騰飛りとうひ王浚おうしゅんの出兵を促すべく幽州ゆうしゅうに遣わされた。


 ※


 王浚は范陽王が冀州に入り、温羨がその長史となって劉輿が司馬となった経緯を李騰飛より聞くと、裴憲はいけん遊暢ゆうちょう祁弘きこうを召して出兵の可否を諮った。

 遊暢が言う。

「先に東海王の命を奉じて成都王の軍勢を打ち破ったがため、吾らと成都王は怨みを結んでおります。河間王は張方たちにたぶらかされて成都王より皇太弟の地位を奪いましたが、四方で諸親王が兵を挙げれば、必ずや成都王に軍権を委ねて対抗するでしょう。成都王が諸親王を平らげれば、その鉾先が吾らに向かうのは必定です。出兵して范陽王を扶けるのが良策と言えましょう」

 王浚はその言葉に意を決すると、李騰飛を召して言う。

温冀州おんきしゅう(温羨、冀州は官名)は吾と軍勢を合わせて何をなさろうというのか」

劉喬りゅうきょう逆賊ぎゃくぞく張方を助けて范陽王を許昌に襲い、霊璧れいへきに東海王の軍勢を支えて進軍を阻んでおります。それゆえ、まずは冀州と幽州の軍勢を合わせて劉喬を打ち破り、霊璧の道を通じるのが先決とのお考えです。その後は南陽王、東平公と軍勢を会して東海王とともに長安に向かい、張方を討ち果たさんとお考えになっておられます。明公におかれましては、開国の旧勲を思ってふたたび中興の勲を振るわれんことを切にお願い申し上げます」

 王浚は起ち上がって言う。

「温冀州が大義をもって吾を召されるとあれば、どうして従わぬわけがあろうか。祁弘と一万の鉄騎を霊璧に遣わしてすみやかに劉喬を破らせよう。吾は五万の軍勢を率いて長安に向かう準備を進める。范陽王が出兵して吾と軍勢を合わせる期日を連絡されよ。このまま張方の横暴を許すわけにはいかぬ。参軍は先行してこの言葉を温冀州に伝えられよ」

 その言葉を受けた李騰飛は拝謝すると冀州に還り、王浚の言葉を伝える。范陽王をはじめとする衆人は喜び、人を遣わして東海王に事情を伝えた。


 ※


 東海王は劉祐りゅうゆうに阻まれて軍を進められず、焦燥を深めていた。そこに范陽王の使者から王浚が幽州から出兵して加勢するとの報告があり、祁弘とともに霊璧を攻めるべく進軍の準備をはじめた。

 この時、霊璧を守る劉祐の許には、許昌を破った軍勢とともに劉喬が到着していた。この時、張方は軍勢とともに関中がある西に引き返している。

 劉祐は劉喬と軍勢を合わせると意を定める。

「すでに范陽王は敗れて許昌を落とされたと知れば、東海王の軍勢の士気は失われよう。軍を進めて一蹴すべきである」

 ついに軍勢を発して東海王の軍営に攻めかかる。東海王は糜晃びこうに防戦を命じ、劉祐の部将の華文と陣頭での戦となった。四十合を過ぎても勝敗は決さず、東海王はさらに何倫かりんを加勢に差し向ける。

 その時、にわかに劉喬の後軍が乱れたつ。顧みれば、幽州の祁弘が到着とともに劉喬の後軍を一撃し、さらに側面を回って両軍の前面に姿を現した。

 一団となって戦場に控える鉄騎とその先頭に立つ祁弘を見ると、糜晃が叫んで言う。

「そこに来た将は何者か」

「幽州の大将にして二十四路の総先鋒を務めた祁子猷きしゆう(祁弘、子猷はあざな)である。東海王とともに劉喬を破らんと一万の鉄騎とともに加勢に参った」

 その言葉を聞いた糜晃が言う。

「吾は東海王の先鋒を務める糜晃である。ともに敵陣に入って劉喬をとりことせよ」

 糜晃と祁弘は華文を挟撃し、瞬く間に華文は馬下に斬り下とされる。さらに一万の鉄騎が劉喬の軍列を蹴散らすと、脆くも崩れた兵は潰走をはじめる。

 劉祐はその様を見ると、劉喬を先に行かせて自らは殿軍となり、豫州に引き返そうとする。その殿軍も祁弘の鉄騎を支えられず、ついに劉祐は生きながら擒とされた。劉喬はただ豫州を指して逃げ奔り、ついに逃れることを得た。


 ※


 祁弘は擒とした劉祐を東海王の許に送り、東海王はこれを斬刑に処して祁弘に重賞を与える。

「張方はすでに関中に還りました。吾が主(王浚)は長安に向かっておられ、范陽王の軍勢も日ならず長安に到り着きましょう。大王におかれては星夜を冒して関中に軍勢を進められよ。盟主たる者が遅参したとあっては格好がつきますまい」

 祁弘の言葉を聞いて東海王は鋭気を奮い立たせる。

 祁弘の軍勢を還すとともに、人を長安に遣わして上奏した。その上奏文は、張方の横暴と河間王の専権を責めて次のように結ばれていた。

「四方の諸侯はみな義兵を挙げてその兵力は五十万を超えております。日ならず進んで長安を囲み、聖上を洛陽にお返しするでありましょう。河間王は雍州に退いて世々藩職を奉じ、軍勢による討伐を受けることを免れよ」

 河間王は四方の諸親王の軍勢が盛んであると知り、東海王の上奏に従おうとした。張方は自らの罪の重さを知り、東海王が晋帝を擁すれば、天下に号令するどころかその命さえ保ち難いと考え、河間王に言う。

「大王は関中という形勝の地に拠られ、国は富んで兵は強く、天子を擁して天下に号令しておられます。その威令に従わぬ者はございません。東海王の甘言を聞いて聖上を洛陽にお返しすれば、吾らは孤立して東海王の思うがままにされましょう。親王には大王を嫉む者が少なくありません。それらの者たちが兵を擁して関中に向かっているとあれば、易々と近づけては何が起こるか分からず、万一の際には悔いても及びません」

 河間王は張方の勇猛に頼りきっており、ついにその言に従うこととした。

「霊璧の軍営はすでに抜かれ、王浚と温羨は北から、東海王と南陽王は東から、それぞれ長安を目指して大軍を合わせようとしております」

 霊璧失陥の報告を受けた河間王は晋帝を洛陽に戻そうとしたが、張方は固執して従わない。河間王は懼れてその子の司馬暉しばきに事を諮った。

「祁弘はかつて魏郡ぎぐんの戦で張方と先鋒を争ったほどの猛将です。吾の観るところ、張方とて一歩を譲るやも知れません。成都王が張方を左先鋒に挙げたために祁弘は右先鋒に甘んじたに過ぎません。今やその祁弘が先鋒となって張方の罪を問うております。張方は祁弘を向こうに回して戦い抜けるかと言えば、おそらく難しいでしょう。ましてや敵は祁弘だけではありません。ここは張方を切り捨てて吾が身を全うするのが良策ではありますまいか」

 司馬暉がそう勧めると、河間王もそれに同じる。ついで、密かに督護とくご郅輔しつほを召し入れて言う。

「今や三王と二公、それに幽州と冀州の刺史が軍勢を合わせて張方の罪を問おうとしておる。先に東海王より使者があり、『聖上を洛陽にお返しして世々藩職を守れば軍勢を引き返す』と申しておったが、張方が固く反対し、聖上を洛陽にお返ししてはならぬと言う。今や四方の軍勢は関中に迫っており、軍勢を率いる祁弘の勇猛は知らぬ者もない。孤が罪を得るのはすべて張方のためなのだ」

 河間王の言葉を受けて郅輔が問う。

「そうであるとして、大王は主帥をどのように処されるおつもりでしょうか」

「お前は張方の指麾下にあるとはいえ、孤の腹心の将である。包み隠さず言えば、張方の首級を東海王に与えて軍勢の進軍を止め、和睦するのが唯一の策であろう。しかし、孤に代わって張方を討ち取る者がおらぬ。それが出来るのはただお前だけである。忠義の心によって孤に代わって事を果たせば、聖上に上奏して張方の職をお前に授けよう」

「臣として主命を蒙ったからには、理として行わぬわけに参りません。過分の褒賞など望みもいたしますまい。張方の首級を挙げるなど嚢中の物を取り出すようなもの、大王におかれてはご放念下さい」

 河間王は郅輔を厚く賞して送り出したことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る