第三十五回 范陽王司馬虓は破れて冀州に走る

 劉喬りゅうきょうは参謀の夏恵かけいの言をれ、東海王とうかいおう司馬越しばえつの召集を拒むと決めた。すぐさま上奏文を認めると、関中かんちゅうに人を遣わして東海王が軍勢を集めていると弾劾する。

 河間王かかんおうは上奏を読んで愕き、腹心を集めて事を諮る。李含りがんが進み出て言う。

張方ちょうほうは狭量であるために成都王せいとおうしりぞけてはならないと臣が申し上げた理由は、必ずや禍を招くと考えたがためです。果たして四方の諸親王が兵を挙げました。大王はこの事態をどのように処されるおつもりですか」

「悔いても及ばぬ。長史ちょうし(李含)の高見に従って処するよりない。良策があれば隠さず申せ」

 李含は策を案じて言う。

「成都王を解放して主帥に任じ、張輔ちょうほたちの軍勢を委ねて河橋かきょうに防ぎ、劉喬に救援を命じるよりありますまい。劉喬には霊璧れいへきに鎮所を移して西に向かう東海王の軍勢を阻ませるのです。さらに荊州けいしゅう刺史しし劉弘りゅうこう壽陽じゅよう太守たいしゅ劉準りゅうじゅんに詔を下し、軍勢を合わせて許昌きょしょう范陽王はんようおうを防がせます。張方ちょうほうには劉琨りゅうこん劉演りゅうえんの罪を問わせ、密かに劉喬と軍勢を合わせて許昌に直行し、范陽王を破って生きながらとりことさせます。東海王が軍勢を進めようとしたところで、各所に配した軍勢に阻まれて進むを得ず、日を送れば衆心は懈怠して離散に至りましょう。怖れるに足りません」

▼「霊璧」は『金史』地理志中の南京路宿州條によると、宋の哲宗の元祐元年(一〇八六)に設置されている。黄河と淮水の間、徐州の南東にある。なお、徐州からほぼ直線で西に向かうと許昌に到るため、劉喬が霊璧に軍勢を入れた理由は解しがたい。

 河間王は李含の献策を容れて詔を荊州に発した。


 ※


 荊州刺史の劉弘は先に上奏して次のように願い出ていた。

「詔を下して諸親王の怨みを解き、漢賊を防いで群盗を平らげ、境内を清めた後に各々の封境を定め直すのが万世の幸いとなりましょう」

 晋帝しんていはこの上奏を諮ったものの河間王は容れず、かねて張方の横暴を知るため、劉弘は長安の政権が永くつづくと思っていなかった。そのため、詔に従わずかえって東海王に事態を報せた。

 東海王は糾合した軍勢を率いて西に向かい、霊璧まで到ったものの劉祐りゅうゆうの軍勢に阻まれてそれより先に進めない。劉喬はさらに一半の軍勢を割いて張方と合流すべく二百里ほど離れたところに駐屯させた。

▼徐州から西に向かっても南東にある霊璧には到らないことは、前段の通り。

 范陽王は劉琨、劉輿とともに軍勢の出発時期を測っていたところ、張方と劉喬の軍勢がにわかに攻め寄せ、二更(午後十時)の頃には城下を包囲して雲梯を掛け並べ、一斉に攻め込んできた。

 城壁上の兵士は斬り散らされて城門も破られ、張方の軍勢が攻め込む。

「吾は天下二十四路の総先鋒、関西の張方である。劉琨はすみやかに降って縛に就け。さもなくば、黒白を弁ぜず誅戮するのみである」

 劉琨は姫澹きたん李猷りゆうとともに張方の軍勢に対したものの、劉喬の軍勢に挟撃されて潰走する。范陽王麾下の猛将である王曠おうこうが加勢に向かったものの、張方と林成の軍勢に遭って斬り殺された。姫澹と李猷は勝ち目がないと見切り、劉琨とともに西門から身を逃れて并州へいしゅうに逃げ戻った。

 范陽王は張方の追撃を受けて単馬で逃げ去り、同じく西門から落ち延びた。劉輿は范陽王を捜して見当たらず、ついに潰走する軍勢に混じって城を出る。それより西に向かうとちょうど落ち延びた范陽王と出逢った。

「張方めに謀られて軍勢は破れ、事は窮まりました。吾が兄(劉琨)は并州に落ち延びて再起を図るはずです。大王も身を避けて再起を図られねばなりません」

 劉輿はそう言うと、范陽王とともに夜陰に姿を消した。


 ※


 張方は夜陰に追撃してはかえって陥穽があるかと范陽王の軍勢を追わず、劉喬とともに許昌の糧秣を奪うと東海王の軍勢を阻む霊壁に引き上げた。

 范陽王は劉輿とともに夜を徹して馬を奔らせ、ついに劉琨の一行に追いついた。劉琨麾下の部将では姫澹、李猷、盧諶ろしんが健在であるにも関わらず、范陽王の部将はもはや一人も生き残っていない。

「孤は何と不幸であることか。骨肉の親に攻められた上、今度は張方に謀られて軍勢を喪い、許昌にも還れぬ。進退するにも足を立てるべき土地を失ってしまった。何処にこの身を置けばよいのか。孤は此処で自刎して果てよう。二公が孤を愛顧してくれることだけが僅かな救い、旧日の交友を思って孤の骸骨が風に晒されぬように埋葬してくれれば幸いである」

 劉琨が手を執って言う。

「勝敗は兵家の常、興廃は定まりないものでございます。短慮を起こされてはなりません。并州に戻れば段匹殫だんひつせんに説いて軍勢を借り、并州を恢復して大王をお迎えいたしましょう。それまでの間、大王は冀州きしゅうに逃れて身を安んじておられよ」

「天下は大いに乱れて各地の刺史は自らの計を行っておる。どうして孤の身を受け容れようか」

 劉輿が慰めて言う。

「吾が兄は段部の軍勢を借りて并州を恢復かいふくするつもりです。そうなると、并州は戦場となって大王の身を安んじられますまい。冀州刺史の温羨おんせんは忠心は白日を貫くほどに明らか、義気は泰山のように重い人物、臣とも好誼を結んでおります。臣が先行して大王をお迎えするように説得いたしましょう。温羨にはこれまでの艱苦と張方の横暴を訴え、幽州ゆうしゅう王浚おうしゅんと軍勢を会するように命じるのです。王浚が軍勢を出せば劉喬など物の数ではございません。劉喬を破れば東海王は霊壁の陣を破って関中に向かい、張方に仇を報じられましょう」

 范陽王はそれを聞くと再拝して言う。

「孤の身を天下に置いてくれるのであれば、二公は死生の義を共にする骨肉の間柄である。この恩義は決して忘れるまい」

 これより劉琨は西北を指して并州に向かい、劉輿と范陽王は東北を指して冀州に向かったことであった。

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