十八章 八王呑噬:天地否
第三十四回 東海王司馬越は諸親王を会す
▼章名の「
※
▼「従事」とは
「
▼「司馬楙」は
王修を徐州に遣わして二ヶ月が過ぎても音信はなく、東海王の焦燥はますます募る。
「憂慮には及びませぬ。東平公が拒めばすでに王修は
劉洽の言葉が終わらぬうちに、門吏が報せて言う。
「東平公の使者の
東海王は糜晃を引見した後に酒宴を設けて歓待し、五百の兵士に賞を与えて労う。その日のうちに劉洽、
※
東平公の司馬楙は城外まで出迎えると、ともに官衙に入って事を諮る。
「
「国家を建て直して
▼「郊祀」は国都郊外で行われる先祖への祭祀、おおむね天壇に天を祀り、地壇に地を祀るが、それに先祖を配してともに祀る。
「司馬氏の恥を雪いで国家の乱を収める者は、王兄を措いて他にありません。弟は愚かにして義兵を首唱するに足りず、かつ、王兄が徐州に拠らねば衆人の仰ぐところがなく、糾合した軍勢を会するにもままなりますまい」
「それならば、ただ徐州の兵馬の権のみお借りしたい。糧秣や統治は王弟が統べられるがよい」
東海王がそう言っても、東平公は固く願って譲らない。ついに劉洽と王修が勧めて言う。
「東平公の申し出を仮にお受けになるのがよいでしょう。その上で各地に檄文を発して盟主となり、事がなった後には東平公に徐州をお返しするとともに鎮所を増して功績に報いるのが筋というものです」
ついに東海王は東平公より徐州を譲り受け、檄文を発して
▼「司馬虓」は司馬懿の四弟の
※
この時、范陽王の司馬虓は、
「鄴は帝都に適しておらず、宗室の諸親王を和して駕を洛陽に還されるのが上策です。詔を発して王浚の軍勢を幽州に還らせ、
晋帝はその上奏を行えず、成都王は聞き入れずに王浚との戦に敗れ、ついに洛陽に逃れたのであった。しかし、河間王は強横の志を逞しくし、その部将の張方を遣わして洛陽を焚き、ついに晋帝を長安に移した。
それゆえ、范陽王は成都王と河間王を快く思っていない。
馮嵩は范陽王の意を測り、間に乗じて言う。
「今や河間王は帝室の傍系であるにも関わらず、帝を脅かして西に移し、張方は成都王を幽閉して権を
▼「南陽王」の原文は『後傳』『通俗』ともに「南陽王、
「張方は勇猛にしてその勢いは盛んである。義兵を挙げる大事を行うにも、にわかには果たせぬ」
ちょうどその時、東海王より軍勢を会せよと求める檄文が到来し、范陽王はそれを読むと衆人を集めて事を諮った。
馮嵩が進み出て言う。
「東海王がついに義兵を挙げられて東平公は徐州を根拠地として譲られるとのこと、実に壮挙であると考えます。檄文がこの許昌に届けられたからには大王も軍勢を揃えて東海王とともに盟主となり、叛逆者を平らげて朝廷を扶けられるべきです。敢えてこの議に異論を挟む者などありますまい」
范陽王はその言を
※
南陽王の司馬模を前に馮嵩が言う。
「臣は范陽王の命を奉じて大王の許に参りました。ともに義兵を挙げて専権を振るう張方を討ち取り、聖上を洛陽に迎えて九廟に供物を奉げ、晋朝の天下を安からしめることこそ諸親王の務め、ここで義兵を挙げねばついには河間王が簒奪を果たしましょう」
「義兵を挙げて天下を安んじること、誰もが望むところである。范陽王の言は忠義の言というべきであろう。ただ、吾らの軍勢は河間王、成都王の軍勢と比して気勢に劣り、
「
▼「豫州」は『
南陽王はその言に従い、親将の
馮嵩は事が成ったと観ると南陽を発ち、許昌に還ると范陽王とともに軍勢を率い、東海王と会するべく徐州に向かった。
※
河間王と成都王の専権を憎む諸親王は期日までに徐州に会した。
東海王は糜晃、何倫、宋冑を遣わして諸軍を出迎え、諸親王が会すればそれぞれに
東海王の司馬越が言う。
「諸親王におかれては孤の
南陽王の司馬模が応じる。
「孤も先よりこの一事を懸念している。吾が
そこに使者となっていた夏勇が還って言う。
「劉豫州は吾を先行させ、僚属との評議を終えた後に来られるとの仰せです」
それを聞いた馮嵩が言う。
「悠長に時を過ごすわけには参りません。使者を発して劉豫州に催促し、まずは此処に迎えるのが先決です」
東海王はその言を
※
僚属との評議の最中に到った檄文を観ると、劉喬が言う。
「先には南陽王より夏勇を遣わして徐州に軍勢を会せよと言う。今また東海王の檄文が到った。義兵に与するがよいか、与せぬがよいか、諸君の見解は如何か」
劉喬の子の
「東海王の心は不仁にして誰もが知る令徳もありません。また、成都王に敗れて将兵を喪い、報復する術がないばかりに義兵を挙げると偽り、聖上を迎えると称して諸親王の軍勢を借り、公事に託して私欲を満たそうとしているに過ぎません」
劉喬はそれに駁して言う。
「張方が洛陽から長安に遷る際に宮妃を辱めたという事実を名分としている。檄に応じなければ、東海王が張方を破った暁には吾を不忠であると弾劾するであろう」
劉祐が言う。
「長沙王は聖上に尽忠したものの、ついに東海王の讒言により殺害されました。さらに軍勢を発して鄴を陥れ、成都王をも害そうとして果たさず、敗戦して車駕を敵人の手に委ねたのです。その後、王浚を唆して鄴城を破り、車駕を取り返そうとしたものの、洛陽に逃れた聖上は河間王が遣わした張方により関中に移されました。この禍はすべて東海王が引き起こしたものです。もし、東海王の軍勢が河間王や成都王に並ぶものであれば、すでに簒奪を行っておりましょう。その檄文に応じることは馬から虎に乗り換えるようなもの、久しからずしてその身をも食い尽くされましょう」
参謀を務める
「公子の言は深く事実に合致しております。さらに、河間王は天子を擁して諸侯を従えております。東海王に従うことは、天子に逆らうことでもあるのです」
劉喬は眉を
「東海王の檄文に応じねば、おそらくは河間、成都の二王に通じているかと疑われよう。その時はどのように処するつもりか」
夏恵が策を案じて言う。
「范陽王は
劉喬はついに劉祐の言を納れて関中に上奏文を送り、劉琨一門の過失と東海王の挙兵を報せたことであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます