第三十三回 呂律は楊謙を斬って漢に降る

 関防かんぼう関山かんざん呂鐘りょしょうとりことして軍営に帰ると、関心かんしん関謹かんきんも引き上げてきた。

呂律りょりつの馬を射て落としたものの、ついに取り逃がしました」

 関謹の言葉を聞くと、関防が言う。

「呂鐘を擒として呂律の心胆を寒からしめた。西河せいかも旦夕に陥れられよう」

「城に逃げ帰った呂律が堅守して近隣に援軍を求めれば、そう易々とは落とせません。油断はなりませぬ」

 関心の懸念を聞いても関防は意に介さない。

「呂鐘を除けば呂律を残すばかり、言うに足りぬ」

 関謹が計を進めて言う。

「一計があり、明日行おうと思います。呂鐘より書状を得て呂律に城をもって降るよう伝えさせるのがよいでしょう。城内には楊謙ようけんがあって呂律を疑い、ついに内より変事を生じましょう。その隙に軍勢を進めれば、西河の城は易々と陥れられます。呂律が書状を信じなければ、呂鐘を引き立てて城下に迫り、面前で首をねれば晋兵どもは恐れおののきましょう。その時に城を攻め破ればよいのです」

 関防はその策を容れて呂鐘の縄を解き、着替えさせて降伏を勧めようとした。言葉を発する前に兵が駆け込んで言う。

「太子(劉聰りゅうそう)と都督ととく劉曜りゅうよう)が到着されました」

 関心に呂鐘の監視を命じると、関防は関謹と関山を伴って迎えに出た。


 ※


 劉聰、劉曜、劉霊りゅうれい姜發きょうはつが軍営に入って相見の礼を終え、姜飛きょうひ黄臣こうしん黄命こうめい呼延晏こえんあん呼延攸こえんゆう呼延顥こえんこう曹嶷そうぎょく夔安きあんを招じ入れて酒宴を開いた。

 話題は専ら西河の戦況に終始する。

「呂鐘と呂律の武勇は群を抜いております。道を争って二日戦うも破れず、埋伏の計によってようやく呂鐘を擒としたところです」

 関防の言葉に劉曜と姜發が言う。

「関家の兄弟は父祖の知勇をよく受け継いでいる」

「呂律の勇は兄の呂鐘に劣らず、西河の城に籠もって防備を固めております。さらに、楊謙が傍らにあって謀画をおこない、力攻めでは陥れられますまい。城を抜く功を上げられないことを恥じ入るばかりです」

 関防が詫びると姜發が応じる。

「ご懸念には及びません。明日、擒とした呂鐘を引き立てて城下に攻め寄せ、呂律に降伏を勧めさせれば、兵を労さずして城は自ずから抜けましょう。呂鐘を此処に連れてきて頂きたい。吾が説得して翻意させましょう」

 関謹が呂鐘を宴席に連れてくると、劉聰たちは席を立って賓客のように遇する。

「敗戦の将はただ君父の名を損なうばかり、刑戮されて思い残すことはない」

 呂鐘が拒むと、姜發が言う。

「吾らが聞くところ、呂将軍は蓋世の英雄、漢に付いて晋を忘れることをがえんじられますまい。それゆえ、関継雄かんけいゆう(関防、継雄はあざな)兄弟は計略により将軍を擒として西河を図ろうとしたのです。将軍の心が変じぬとしても、この場は旧怨を忘れて一時の歓飲を尽くして頂きたい。後日、礼をもって西河の城にお送りいたしましょう。その後に一戦して雌雄を決したとて遅くはありますまい。ただ、そうなれば戦により軍民の生命が喪われます。将軍をお呼びしたのは、この一事を論じたいがため、西河を守って戦うのは晋朝への忠心、西河を開いて軍民を救うのは職務への忠心、将軍におかれては、いずれに重きを置かれましょうや」

 それを聞いた呂鐘は決然として言った。

「小将は不才とはいえ、かつて受けた恩を忘れたことはない。降って西河の軍民の生命が救われるならば、敢えて約を違えはせぬ」

 姜發は呂鐘を左側の上席に迎えると、杯を薦めて言う。

「今や晋朝は大いに乱れて骨肉の親が互いに損ない、晋主は関中に蒙塵もうじんして滅亡は旦夕にあります。西河郡だけが晋主への忠節を守ったとしても、行く末は占わずとも知れておりましょう。太子(劉聰)は一城の民の生命を棄てるに忍びず、その中には将軍の一家も含まれております。この心中を西河の官将に伝えるべく書状を認めて頂きたい。これにより西河の城が開かれれば一族は保たれ、軍民の生命は救われて将軍の仁徳となりましょう」

「すでに礼遇を受けて西河の軍民を救うと定めた以上、できぬことはございません」

 呂鐘はそう言うと、一通の書状を認めて翌朝には西河郡に人を遣わした。呂鐘とともに下った軍士は書状を入念に隠すと、軍営を発って西河の城に向かう。その出発に際して姜發が言う。

「城に入ったならば、書状を呂律将軍にお渡しせよ。また、楊参軍ようさんぐん(楊謙、参軍は官名)に覚られるな。万一、事が漏れれば呂将軍のご家族も無事ではおれぬ」

 軍士はうべなうと西河を指して駆け出した。


 ※


 軍士は城下に到ると地に身を投げ出して大哭する。城門を守る兵士はその顔に見覚えがあり、城内に導き入れた。軍士は官衙に向かって帰還を報告すると、隙を見て呂律に書状を手渡した。

 書状をひらけば、明かな呂鐘の筆跡で次のように認められている。

 

 昨日、吾は誤って奸計に陥り、生きながら擒となる恥辱を被った。自ら命を絶たんとしたが、漢の衆人より礼遇を受けた。

 思うに、司馬氏は自ら殺しあって東西に国を分かち、久しからずして滅亡に立ち至るであろう。そうなれば、晋朝への忠義も無益である。賢弟が楊参軍の言をれて吾を見殺しにして孤城を守ったところで、何一つ成し遂げられまい。

 楊参軍を斬って城を明け渡し、身命と宗族を保全して富貴を保つのが良策である。

 さもなくば、西河の城は十五万を超える漢の軍勢に包囲される。それを率いる劉曜、劉霊、呼延晏たちの驍勇を知らぬわけではあるまい。家眷は保ち難く、一城の軍民は生命を喪うこととなろう。

 賢弟はこのことをよくよく熟慮せよ。


 呂律はにわかに意を決せず、私邸に帰ると書状を母とあによめに書状を呈した。

「兄が存命であると知るなら、城門を開いて賓客の礼で迎えねばなりません。漢の勢威は盛んであり、降ればあなたも功名を立てられましょう。楊参軍の言をれて兄の生命を損ない、自家の敗亡を取ってはなりません」

 母の言葉を聞いて呂律の意は決し、二、三十人の軍士とともに楊謙が詰める官衙に向かう。

「漢の大軍が迫り、早晩にこの城は包囲されよう。兵は一万に満たず、どのように守るべきか」

 楊謙が言う。

「一夫が関に当たれば萬夫も通れないと言います。ましてや西河の堅城に拠れば、十五万の軍勢とて怖れるに足りません。漢賊の到来を待って策を定めるのがよろしいでしょう」

 その言葉が終わるのを待たず、砲声が響いて城を揺らす。城門を守る兵が駆け込んで叫んだ。

「漢の軍勢が山野を埋めて四面より攻め寄せてきました」

 それを聞くと楊謙が立ち上がる。

「城門はすでに厳しく固め、城壁と濠は先に修繕を終えております。将軍は城壁に上がって漢賊に軍威を示されよ」

 さらなる報告がつづいた。

「漢兵はすでに城外を囲んで濠に水を入れず、攻撃を始めようとしております。すみやかに防戦に備えて下さい」

 呂律が楊謙を見遣る。

「しばらくは堅守して時間を稼がねばなりません。この地は山西さんせい洛陽らくようを結ぶ要衝、事態は日ならず朝廷の知るところとなりましょう。そうなれば、救援が発されることは必定です」

 呂律が駁して言う。

「洛陽は荒廃して東海王とうかいおうの軍勢は成都王せいとおうとの戦で弱っている。成都王はすでに関中かんちゅうに移った。誰が援軍を発するのか」

「懸念されるには及びません。近隣の郡守や縣令が援軍を発しましょう」

「遠くの水で近くの火は消せぬ。参軍の論は梅を思い出して湧き出る唾で渇きを癒すようなもの、実際に城を救うことにはならぬ。近隣の郡縣が軍勢を掻き集めたところで、一万を超えることはない。どうやって漢兵を退けるというのか。参軍は城壁に上がって漢兵を観て、退ける策を案じよ。吾は自ら軍勢を率いて一戦し、漢兵の強弱を測る」

▼「梅を思い出して湧き出る唾で渇きを癒す」は『世説新語せせつしんご』にある曹操そうそうが渇した軍勢に「この先に梅林がある」と偽って励ました逸話に由来する。実がないにも関わらず、虚言で人を鼓舞する意と解すればよい。

 楊謙が諌める。

「まずは軍勢を点検して防戦に備えるのが肝要です。吾は高札を掲げて民兵と糧秣を集め、その後に良策を案じます」

「この期に及んで民から糧秣を発しても及ぶまい。参軍は吏職であれば、身を慎んで難を避ければよい。かえって武職を担う吾に指示するとは、思い違いも甚だしい。吾ら兄弟を陥れて城を漢に献上し、己の勲功とするつもりであろう」

 呂律はそう断定すると白刃を突きつける。楊謙は身の危険を感じて逃げ出すも、背後からの一刀を浴びて絶命した。

 呂律はその首級を挙げると軍民に示して言う。

「吾が命に従わぬ者は楊謙を戒めとせよ」

 軍士は頭を垂れて呂律に従う意を示す。

「漢兵は猖獗しょうけつを極めて大将軍(呂鐘)はその陥穽に罹った。思うに、大将軍を欠いては漢兵を防ぎ難い。吾はお前たちの命を救うべく、漢に掛け合う」

 そう言うと、西門を開いて楊謙の首級を晒し、自らは漢の軍営に向かう。

「兄を解き放たれるならば、西河の城にお迎えいたしましょう。ただし、軍民の生命を損なわれぬように願います」

 それを聞いた劉聰は、劉曜、関防、姜飛、呼延攸に命じて迎えさせ、三千の軍勢を西河の城に入れて民を慰撫した。

 姜發は軍令を発して兵士が民家に立ち入ることを許さず、市では平日のように商いが行われ、漢の軍勢は城に入って秋毫しゅうごうをも侵さず、犬鶏さえ愕かせなかった。民は喜んで香火を奉げて軍勢を迎える。

 劉聰は城外の軍営内で呂鐘と呂律の兄弟と歓飲した後、城に入って郡の統治を二人に委ねたことであった。

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