第三十二回 関家の兄弟は呂鐘を擒とす

 呂鐘りょしょう関心かんしんの投げ網で馬から引きずりおろされ、関山かんざんとりこにせんと馬を下りる。呂鐘は早くも起ち上がって迎え撃ち、二人は林の入口で刃を交わす。

 それを見た関心が軍勢を止めて包囲にかかるところ、後につづく晋兵も追い到って漢兵との揉み合いなった。

 関心が関山に加勢せんと馬を進めるところ、呂鐘の一刀を肘に受けた関山が刀を取り落とす。関心は二人の間に馬を入れて呂鐘を支え止める。刀を失った関山は隙を突いて呂鐘の軍袍を掴み、その動きを封じた。

 呂鐘と関山が組み打って関心も刀の下ろしどころがなく、肘に傷を負った関山は呂鐘に組み伏せられる。関心が大刀を振るって関山を救い、三人入り乱れて戦となるも晋漢の兵は揉み合って戦場に辿りつけない。

 その背後に塵埃じんあい滾々こんこんと挙がって一軍の騎兵が駆けつける。馬蹄ばていが揉み合う晋漢の兵が戦うなかを突っ切り、三人の戦う最中に駆けつけたのは、遊軍に控える関防かんぼうであった。

 関防は無言で馬を拍って関山と組み打つ呂鐘の背後に回り、その髪を掴むと馬上に引き上げて擒とした。


 ※


 呂鐘の弟の呂律りょりつは軍営を守って戦に出た兄の援護に備えていた。関山が逃げ去ると呂鐘は後を追って進み、呂律も軍勢を発して加勢に向かう。

 後を追って西の林に向かう道に到れば、一軍がその道を塞いで通さない。砲声とともに湧き出した軍勢を割り、紫の面に長い髯、青龍の大刀を手に関謹かんきんが姿を現した。

 呂律が鎗を捻って突きかかれば関謹は大刀で架け止め、刀鎗が往来すること数十合、そこに敗卒が逃げ戻って叫ぶ。

「大将軍(呂鐘)は投げ網に絡め取られて馬を失い、漢将と歩戦をつづけておられます。吾らは赤い面の漢将に蹴散らされてお守りできませんでした」

 それを聞いた呂律は戦を棄て、救いに向かうべく前を阻む漢兵を衝く。呂律を行かせれば呂鐘を取り逃がすかと懼れ、関謹も後を追う。馬上に矢を抜いてつがえると、矢頃やごろを出ようとする呂律の背に一矢を射放った。

 呂律の駿馬は矢頃を抜け、矢はわずかに及ばず馬の後脚、腿のあたりに突き立つ。愕いた馬はにわかに棹立ちになり、呂律は背から振り落とされる。

 関謹が追いつく頃には副将たちが助けてふたたび馬に上げ、呂律は関謹を捨てて兄を救いに向かわんと図る。

 そこに前から関心の軍勢が攻め寄せ、後ろから追いすがる関謹も逃がさない。前後に敵を受けては勝算もなく、ついに呂律は間道に道を避けて萬戸山ばんこさんの麓に逃れ去った。

 その後を追うべく軍勢を返した関謹に関心が言う。

「呂鐘はすでに捕らえ、二兄(関謹)と呂律の戦に加勢すべく参ったのです。後を追ったところで軍営を打つことになり、多くの兵を喪いましょう。ここは吾らも軍営に返して進取の策を案じるのが上策というものです」

 呂鐘を擒とした関家の兄弟は、呂律を捨てて軍営に引き上げた。


 ※


 呂律は軍営に帰り、間諜を遣わして兄の行方を捜させた。そこに敗卒が逃げ戻って言う。

「大将軍はすでに漢将に擒とされました」

 呂鐘の敗戦を知ると呂律は大哭し、軍営を捨てて西河せいかに軍勢を返した。

 西河では呂鐘が詭計により擒とされた顛末を母とあによめに告げ報せ、一家はみな大哭して呂鐘の妻の曹氏そうしは半刻(約1時間)ばかりも地に伏せた後、起き上がるとその顔色は死人のようであった。

 呂律の妻の郭氏かくしが言う。

「あなたは義兄上あにうえの手足となって戦に出たにも関わらず、お救いできませんでした。そのために義姉上あねうえはこれほどまでに心を傷めておられます。あなたを怨まずにはいられますまい。郡を献じてでも義兄上の命をお救いするべきではありませんか。今や晋朝は乱れて天子は関中に蒙塵もうじんし、勲功を挙げたところで賞する人もありません。一家の生命を捨てて虚名を求めたところで何の益がありましょう」

「お前の言葉とおりだが、楊参軍ようさんぐん楊謙ようけん)が従うまい。そうなっては事は果たされず、さらに不忠と言われよう」

 郭氏と呂律の話を聞き、曹氏が言う。

「軍政の権はあなたにあるのですから、一計によれば楊参軍など懸念に及びますまい」

 妻の郭氏だけでなく、嫂の曹氏にまで詰め寄られ、呂律は慌てて言う。

「まずは落ち着いて下さい。弟には弟の考えがあります。明日には人を遣わして漢賊の様子を探らせ、兄上が健在であればお言葉に従いましょう。万一の事があれば、その時は近隣に援軍を募って仇敵に報い、決してともに天を戴きません」

 曹氏はその言葉をうべなった。


 ※


 呂律が将佐を集めて軍議を開こうとしたところ、楊謙が駆けつける。

 呂律は楊謙を官衙に迎えて言う。

「昨日、参軍(楊謙)のお言葉によらず、ついに蹉跌さてつを致した。吾が兄は擒とされて老母は心を傷め、漢賊に降っても兄の命を救うよう求めておる。思うに、兄が戦死したところで朝廷からの救援はなく、近隣の郡縣も怖れて兵を出すまい。その一方、漢兵は強盛にして驍将が多く、計略に秀でておる。城を囲まれては守り抜けず、軍民を選ばず殺戮されるに至ろう。それより推して、母命に従おうと考えておるが、参軍はどのように考えるか」

「誤っておられます。人の禄を食む以上、公事は私事に先んじます。聖上せいじょうは将軍兄弟に西河の鎮守を委ねられ、それより数十年に渡って恩恵を得られました。それに対して尺寸の功績であっても報恩したとは申せますまい。漢賊が郡を侵す今こそ、力を尽くして守り抜き、芳名ほうめい竹帛ちくはくに垂れるべきであり、平素の志を違えてはなりません。大将軍(呂鐘)が国家に尽忠して節を守られれば、その名は滅びますまい。さらに言えば、大国の名臣の末裔が胡虜こりょに膝を屈するなど、あってはならぬことです」

 呂律はその言葉を黙然と聞き、楊謙が辞去するにあたって言う。

「郡の事をしばらく参軍に委ね、吾はさらに思案したい」

 楊謙はそれを諾って辞去したことであった。

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