第三十回 関山は呂鐘と悪戦す

 晋の永嘉えいか二年(三〇八)、漢主の劉淵りゅうえんは晋の境域を奪うべく劉聰りゅうそうを総帥とする軍勢を遣わし、南路の都督ととくには劉曜りゅうようを挙げて姜發きょうはつを軍師とし、西河郡せいかぐんに向かわせた。

▼「永嘉二年」の原文は「晋の懐帝かいていの永嘉二年」とする。懐帝は武帝ぶてい司馬炎しばえんの子の豫章王よしょうおう司馬熾しばしである。光熙こうき元年(三〇六)に恵帝けいてい司馬衷しばちゅうの死後に即位した。作中では司馬衷が存命であるために司馬熾は皇太弟であり、懐帝と記すわけにはいかず省略した。

▼「西河郡」とは、『晋書しんじょ』地理志によると治所は離石りせきとある。離石は平陽へいようから汾水ふんすいを遡って太原の南の茲氏じしに到り、そこから西に向かったところにある。すなわち、西河郡は平陽の北にある。よって、劉曜は南路の都督ではなく、北路の都督としたとする方が理に適う。

 西河郡の太守を呂鐘りょしょうあざな正時せいじといい、呂虔りょけんの孫にあたる。膂力に優れ、幼い頃に故郷にあって二頭の牛が争うのを見た。数十人の大人が綱を掛けてこれを引き、引き離そうとしてうまくいかない。

▼呂虔は魏に仕えた。子は呂翻りょほん、孫は呂桂りょけいの名が伝わる。

 呂鐘は笑って言った。

「全員、朝飯を食べていないのではないか」

 おもむろに牛の尾を掴んで引くと、引かれた牛は後ずさって押し込まれる。綱を引いていた人々もそれに引きずられて倒れ伏した。呂鐘は怒って尾を放すと押し込んだ牛の頭を打って退ける。今後は尾を引かれた牛が前に出てふたたび争おうとすると、その牛の脚を打って退けた。ついに両手で牛の頸を押さえて頭を幾度か殴ると、ついに牛は逃げ出した。

 これより、呂鐘は郷里に知られるようになり、その名は府縣にまで聞こえた。

 かつて、齊萬年せいばんねんが叛乱して梁王りょうおう司馬肜しばゆうが征西を命じられた際、諸郡に英勇の者を募った。郡では呂鐘を挙げて征西に参加させ、乱が鎮まった後には千軍長せんぐんちょうの役に任じて遊撃ゆうげき将軍の号を授けられた。

▼「千軍長」という官は晋代にはない。

▼「遊撃将軍」の原文は「游撃将軍」とする。なお、遊撃将軍は六軍の一であるため、禁軍の指揮官に相当し、郡に配される官としては不適。

 成都王せいとおう司馬穎しばえいが漢との戦を終えて鄴に還るにあたり、諸将が議論して言った。

「西河郡は中原の要地であるため、優れた将軍を置いて漢賊を牽制して洛陽に向かわせてはなりますまい」

 それを聞いた涼州りょうしゅう刺史しし張軌ちょうきが言う。

「西河郡に置く将は必ずや戦陣に臨まざるを得なくなり、洛陽から人を遣わしては間に合いません。その上、漢賊には勇将が多い。郡に置いて漢賊を防がせるには、遊撃将軍の呂鐘の勇力は群を抜いており、西河郡を任せるに足りましょう」

 成都王もその意見に従って齊王に願い、ついに呂鐘は西河の太守を授けられて任に向かい、その参軍さんぐん楊謙ようけんが務めることとなった。楊謙は字を守善しゅぜんといい、臨洮りんちょう楊阜ようふの子孫である。機略に秀でて知識は老練、張華ちょうかもその才を重んじ、弱冠にして朝廷に推薦した。

▼「臨洮」は『晋書』地理志によると秦州しんしゅう隴西郡ろうせいぐんの属縣、長安ちょうあんより西に向かって隴山ろうざんを越え、涼州りょうしゅうに向かう途上にある。狄道てきどうも同じく隴西郡に属する。

▼楊阜の子の名は伝わらず、孫の楊豹ようひょうの名のみ伝わる。

 楊謙は直言を好んだために趙王ちょうおう司馬倫しばりんはうるさく思って西河の別駕べつがの任に出し、治安維持とともに郡事をも担わせた。そのため、久しく西河にあって郡事をそらんじている。

 また、呂鐘は西河太守の任を受けると弟である鎮撫ちんぶ将軍の呂律りょりつを挙げて西河の衛督に推薦し、齊王はその願いを許した。呂律は字を正音せいおんといい、勇は兄に劣らない。

▼「鎮撫将軍」の軍号は晋代にはない。

 昔、人に頼まれて銀千両(約37.3kg)を担って郡府に向かった。里程は百里(約56km)を超えて途上には盗賊が多くあり、いずれも凶暴であった。呂律が一人で旅しているのを見ると、単馬で二、三里ほども追って呼びかける。

「銀を入れた袋を置いていけば、命ばかりは助けてやろう」

 呂律はその言葉に振り返りもせずに先を急ぐ。盗賊が近づいて矢を抜き取って言う。

「この矢が目に入らねえのか」

 振り返った呂律が大喝すると、盗賊は馬から転げ落ちる。その帯を掴んで持ち上げると呂律が言う。

「吾が懐中には確かに銀が千両ばかりある。お前は何様のつもりで吾の邪魔をするのか。お前のような犬ころは殺して後患を断つのが一番だ」

 呂律が盗賊を殺そうとすると、その仲間が飛び出して命乞いをする。二度と道で人を襲うような真似はしないと誓ったため、呂律は持ち上げていた男を許してやった。盗賊たちは喜んで銀百両を差し出したが、呂律はそれを受けず先を急いだ。これより名は遠近に聞こえて近隣百里(約56km)の盗賊はその地を離れたという。

 郡太守はそれを知ると団総だんそうに任じて兵曹に名を記録させた。朝廷は本郡の鎮撫巡検に任じてさらに盗賊を捕らえた功績もあり、鎮撫将軍の号を授けたのである。

▼「団総」は近代における自警団の領袖のような任を意味する。

 これより兄弟ともに西河に移って十五年ほどが過ぎ、郡内には盗賊はなく、民は生業を楽しんでいた。


 ※


 劉曜が西河郡に軍勢を向けたと知り、呂鐘は将佐を集めて方策を諮った。参軍の楊謙が進み出て言う。

「漢賊がふたたび兵を挙げて西河に攻め入ったのは、朝廷に新帝が立つも安定には遠く、御駕ぎょがは西のかた長安に蒙塵もうじんして国家の安寧が失われたためです。この機に乗じて洛陽を陥れようと狙っているのでしょう。西河郡は洛陽の咽喉いんこうであるため、厳しく警戒せねばなりません。妄動を防げば百万の漢兵があったところで易々とは抜けますまい。塹壕に水を引いて城壁をつくろい、礫石を集めて堅守に努めるのです。その一方で朝廷に人を遣って救援を求めれば、万全の策と言えましょう」

 呂鐘はそれに駁して言う。

「そうではない。漢賊は郡境に迫っておる。吾らが堅守して城に籠もれば、漢賊どもは吾らを侮って下縣を侵し、人民を損なうであろう。そのような事態に陥れば、それも吾が咎となる。むしろ打って出て漢賊を退けるのが上策である」

「劉曜は勇猛にして謀士の姜發きょうはつは奇策百出、成都王は百万の軍勢を率いて一城に籠もる漢賊を囲み、ついに抜くことができませんでした。野戦となっては到底勝ち目はありますまい。吾らは城を守って洛陽に向かう漢賊を足止めすれば、憂えはございません。それだけでも吾らの功となりましょう。城外の百姓は漢賊を怖れて自ら逃げ隠れいたします。顧慮するには及びますまい」

 楊謙の言葉を聞いて呂律が言う。

「漢賊は無名の帥を興して吾が境界を犯して跋扈ばっこしておる。どうしてこれを許せようか。吾が一軍を率いて出戦し、漢賊の一陣を斬り破るのを待つがよい。この西河郡に吾ら兄弟があると漢賊どもに知らしめねばならぬ」

 楊謙は再三に諌めたものの呂律は聞く耳を持たず、呂鐘も言う。

「出戦して賊を退けるのは、将たるものの本分である。一には漢賊どもの鋭気を挫き、二には大国の威風を知らしめ、三には西河の軍勢の武勇を示すことである。戦わずして城に籠もれば、漢賊どもは忌憚なく横行するであろう」

 ついに楊謙と呂律に城を委ねると、呂鐘は漢兵の侵入を防ぐべく一万の軍勢とともに萬戸山ばんこさんの麓に軍営を置いて城に向かう道を塞いだ。


 ※


 劉曜は劉霊りゅうれいに一万の軍勢を与えて劉聰の警護を委ねると、自らは関防かんぼうを前駆として関謹かんきん関山かんぜんに左右の軍勢を任せ、呼延こえん兄弟(呼延晏こえんあん呼延顥こえんこう)を後詰として西河郡に向かっていた。萬戸山に近づいたところで、斥候が駆け戻って言う。

「晋将の呂鐘が一万の軍勢を率いて西河郡に入る道を塞いでおります」

 関防はそれを聞くと関謹に言う。

「吾ら兄弟はこれまでしばしば敵将を斬って戦功を挙げたものの、いまだかつて先鋒の任を委ねられておらぬ。呂鐘が道を塞いでいるならば、吾らがその軍勢を破って大軍の進路を拓けば、大きな勲功を挙げることとなろう」

 関謹もそれに同じ、ついに関山、関心かんしんを加えた四人で萬戸山麓に軍勢を進め、陣を広げて推し進んだ。呂鐘は漢兵の接近を見ると軍勢を開いて待ち受ける。関防が馬を止めて陣形を整えると、呂鐘は鼓を鳴らして陣頭に進み出る。頭には日に輝く銀の兜を戴いて身に鉄甲を着込み、龍馬と見紛う駿馬に打ち跨って斬馬刀を手に言う。

「漢将よ、敢えて吾が境を侵すか。前に出て来るがよい」

 それを聞くと関防が偃月の大刀を提げて渾紅の大馬の打ち跨り、蜀の錦で作った緑の軍袍を身に纏って頭には朱纓しゅえい幘巾さくきんを戴き、額を紫金の兜で覆って肩には黄金の鎧を着込み、左に関謹、右に関山、後ろに関心があって軍勢は整斉と整っている。兄弟が率いる軍勢は実に威風堂々たる姿であった。

 呂鐘はその姿を認めると、高く叫んで言う。

「お前の軍旗を見る限り、関雲長かんうんちょう(関羽、雲長は字)の後裔と称する。そうであるならば良将名臣の子孫、当然に仁義忠信は知っていよう。何ゆえに夷狄に与して漢家の軍勢と偽り、中華の地を侵して無辜の百姓を害さんとするのか。お前たちは和睦して左國城さこくじょうの支配を許され、五鹿墟ごろくきょに和睦して戦を止めたのであろう。それにも関わらず、今やふたたび盟約に背いて境を侵しておる。この行いは仁義忠信の四字を忘れたものであり、どうしてお前たちが大丈夫と言えようか」

 それを聞いた関防が駁して言う。

「かつて、天下は一つにまとまって四海六合はあまねく大漢の土地であった。お前の祖父は曹瞞そうまん(曹操)に阿附して大漢の基業を簒奪したのだ。今、お前たちは身を屈して晋に仕えている。漢に背いてさらに魏をも棄てた行いは禽獣と異ならぬ。敢えて仁義忠信を口にして吾を責めるとは恥を感じぬのか。吾らは三代に渡って蜀漢への忠義を尽くして大漢四百年の業を恢復かいふくせんとしておる。鼠輩そはいの妄言など耳に入れるにも値せぬ。すみやかに邪を棄てて正に従い、ともに洛陽を落として封侯の位を失わぬようにするがよい。迷妄を執れば鉅鹿きょろく常山じょうざん汲郡きゅうぐん邯鄲かんたん襄國じょうこくの太守の如く馬下に命を落とすこととなろう。その時は身とともに一族も滅び、悔いても及ばぬぞ」

 呂鐘は馬を駆って攻めかかり、関防が身を動かすにも及ばず右手で鑾鈴らんれいを鳴らせば、関山が大刀を手に馬を馳せて横ざまに斬り込もうとする。

「賢弟よ、しばらく留まって吾が晋将を斬るのを待つがいい」

「小弟はこれまで寸尺の功を建てておりません。この一戦は吾に譲って頂きましょう。呂鐘をとりことして軍営に還り、いささかでも祖父(関羽)の志と賢兄の威光を受け継いでいることを示したく存じます」

 言い終わる前に関山と呂鐘の馬頭が接して刃を交わす。刀と刀が対して寸毫の誤りもなく、将は将に対して英雄を逞しくし、往来して幾度も刃を斬り結ぶ。二将ともに一歩も譲らず、八十合を超えても勝敗を決さない。

 それぞれの馬は疲れて駆けるにも自由にならず、呂鐘は関山に言う。

「もはや馬が疲れ果てて戦にもならぬ。馬を換えた後に雌雄を決するべきであろう」

秋蝉しゅうせんが殻を脱するように逃げ出すなよ」

「馬を換えると偽って逃げ出しては、好漢とは言えまい」

 ここにおいて二将はそれぞれの陣に戻ると馬を換える。関防が駆け戻った関山に言う。

「お前はここまでとせよ。吾が出てかの賊を擒とすれば、西河は抜いたも同然となろう」

 それを聞くと関謹が止めて言う。

「賢兄がふたたび自ら出られるまでもない。吾が兄に代わって一臂の力を表すのをお待ち下さい」

 それを聞いた関山が眉のあたりに決意を漂わせる。

「吾は漢の男子、食言はいたしません。先ほど『馬を換えて再戦せねば大丈夫とは言えぬ』と言ったからには、賢兄に代わって出られては哂われて抗弁できますまい」

 関防と関謹はその顔を見ると諦めた。

「それならば、賢弟のやりたいようにするがいい。呂鐘は英勇の宿将、油断するでないぞ」

「ご心配には及びません。必ずや家名に愧じぬ戦をして御覧に入れましょう」

 関防は自らの乗馬を譲り、関山はそれに打ち跨ると呂鐘が待つ戦場に向かった。


 ※


 風が黄砂を捲く戦場に馬を立て、呂鐘は関山を待ち受けていた。

「陣に逃げ戻ったというのにふたたび出てくるとは、お前は死を怖れぬのか」

 関山が哂うと呂鐘が言う。

「無礼な逆賊めが、お前は生きながら擒とし、舌を切り取ってから首をねてやろうぞ」

 関山が大刀を車輪に回して斬りかかり、呂鐘は馬を引いて迎え撃つ。二人の刀が風を捲いて互いの首を付け狙い、二頭の馬は龍が争うように体をぶつける。それぞれに首級を挙げんと武勇を競い、戦うことさらに五十合を超えて一分の隙も与えない。

 晋漢の兵士たちが喝采して脚を踏み鳴らす中、呂鐘は鍔迫り合いつつ言う。

「漢人にしてこれほど武勇を誇り、何ゆえに夷狄と変わらぬ賊を棄てて大晋の良臣とならぬのか。お前にそのつもりがあれば、吾は朝廷に上奏して官職を得られるように計らおう。蜀賊の李雄りゆうを討伐する勅命を願い、平定の暁にはお前の主を漢王に封じて蜀の鎮守を委ね、大晋の藩屏ともなれよう。勝算もなく東西に侵攻して南を得れば北を失い、終わらぬ戦をつづけてまぬよりよほどよかろう」

「つまらぬことを言う。お前は井の中の蛙、社に巣食う鼠に過ぎぬ。吾が主はすでに大漢の帝号を建てて天下の半ばを有しておられる。日ならず洛陽を落として原野に還し、お前たち賊徒を殲滅せんめつするであろう。自らの死期が迫っているとも知らずに大を誇るとは片腹痛い。早く下馬して縛につき、命ばかりは失わぬようにするがよい」

 関山の放言を聞いて呂鐘は怒り、刀を振るって斬りかかる。関山も大刀を振るって弾き返す。これより二人はさらに悪戦し、捲き上がる塵埃が日を翳らせて時刻も分からぬ有様、早くも三、四十合を過ぎんとする。日が没して天は暗くなるも、二人は戦を棄てず夜を徹して戦おうとした。

 関防は暗夜に戦っては不測の難もあろうかと懼れ、馬を陣頭に進めて叫ぶ。

「天はすでに暮れて南北も分かち難い。今日の戦はこれまでとし、翌朝にまた戦うがよい」

 それを聞いた関山が言う。

「今日のうちにお前を擒としてやろうと思っておったが、吾が兄がお前に代わって仲裁してくれたぞ。命を持ち帰って最後の夜を過ごすがよい」

「お前の技量が吾に及ばぬと見て救いに入っただけのこと、今日はこれまでとして一夜の命を貸してやろう」

 呂鐘がそう言い返すと、ついに二人は両陣が鳴らす鉦の音を聞きながら陣に退いたことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る