第二十九回 段末杯を釈いて遼西に帰す
この時、
汲桑は一散に段末杯を目指して進み、大斧を挙げると馬の頸を斬り落とす。段末杯はたまらず馬から投げ出され、汲桑は振り切った大斧を返してその首級を狙う。
「斬り殺してはならぬ。生きながら
張實がそう叫ぶと、汲桑は大斧の柄で段末杯を突き飛ばしてついに擒とする。
段末杯が擒とされたと知らぬ段疾陸眷は、死戦をつづけて軍列を支えたものの、石勒に突き破られて逃げ奔る。段文鴦もまた張敬と
段部の軍勢は北の
「主帥(段末杯)がまだ着いておらぬ。軍勢とともに殿後を務めているのであろうか」
段疾陸眷が言うところに敗兵が逃げ戻って言う。
「すでにすべての軍勢が到着しております。先に漢賊の歩将があり、その身の丈は一丈(約3.1m)ばかり、百斤(約60kg)を超えるであろう大斧を手に主帥の乗馬を斬り殺し、生きながら擒として引き返していきました。その歩将は姓名を汲桑と名乗っておりました」
それを聞いた段疾陸眷は
「奸猾の老賊めが。襄國を奪い取らんと吾らを誑かし、吾らはお前のために力を尽くした。それにも関わらず、軍営を燃やされて炎は天を衝いて百里の外まで見えたであろう。何ゆえに救援さえせぬのか」
ちょうど間諜が戻って言う。
「王総管(王浚)は漢兵に軍営を攻められると、軍営を棄てて幽州に逃げ戻ったようです」
「不義の賊め、吾らの力を借りて勲功をなさんとしながら、難事に臨んで救わず、あまつさえ吾らを棄てて逃げ出すとは。どこまで人を裏切れば気が済むのか」
段疾陸眷は段文鴦に向かって言う。
「王浚は信ずるに足りぬ。もし敗戦しても踏み止まるようであれば、まだ合流して進退を議することもできたが、彼奴は吾らを棄てて顧みぬ。王浚に与したところで無益であろう。むしろ、石勒と好誼を結んで段末杯を取り戻し、王浚とは断交するのがよかろう。お前の意見は如何か」
「妥当だろう。王浚に義理立てして吾が家の豪傑を喪うなど割りに合わぬ」
段文鴦が同意すると、段疾陸眷は襄國に使者を立てるべく、気の利く軍士を三人ばかり呼び寄せた。
※
段部の軍士は襄國の城下に到ると声高に叫んで言う。
「漢の将兵たちよ、矢を放つな。吾が将軍の段疾陸眷、段文鴦の命を受けて
城壁上にある兵士たちはその言葉を聞くと、本営に駆け込んで告げ報せた。
「お前たちは引き返し、『明日の辰の刻(午前八時)に自ら此処に来て相見えよ。遅れるようであれば段末杯を
兵士が城壁より張賓の言葉を伝えると、段部の兵が言う。
「謹んでお言葉に従おう。吾らはこれより陣に戻って吾が将軍にお伝えする。約したからには変心されぬように」
そう言うと、軍士は渚水河畔の陣に引き返し、張賓の言葉を段疾陸眷に伝えた。
「それならば、石勒と張賓には吾らと和を結ぶ心があろう。すでに夜は明けんとしておる。すみやかに此処を発して約を違えてはならぬ」
段疾陸眷はそう言うと、参軍の
秦紳が襄國に着いた時にはまだ辰の刻になっておらず、まずは城内に入って言う。
「将軍(段疾陸眷)と先鋒(段文鴦)も時を移さず到着されますが、先に礼物の目録を献上すべく吾を遣わされました」
呈された目録を
「願わくば、段末杯の幼弟を質に留めて好誼を結ばせて頂きたい。段末杯が解放されれば、吾らは永く好誼を結んで裏切りませぬ。遼西に帰還した後も王浚とは断交して二度と彼に加勢せず、都督の要請があれば、協力を惜しむことはございません」
「ご苦労でした。賓館に入ってしばらくお待ち下さい。協議の後に礼物を受け取らせて頂こう」
石勒は秦紳を労って言うと、
秦紳が退いた後に諸将を集めて事を諮った。
「段末杯は
諸将が口々にそう言うと、張賓と
「遼西鮮卑は戦に長けた部族、将兵の多くは勇敢であり、吾らとの間に
それを聞いた石勒が意を決して言う。
「
ついで秦紳を召し入れると、礼物の目録を受け取って祝宴を設けた。しばらくすると、兵士が駆け込んで段部の到着を報せる。石勒は張賓に命じて秦紳とともに段部の軍中に向かわせ、段疾陸眷と盟約のことを論じさせる。段疾陸眷と段文鴦は白馬を殺し、その血を張賓と啜って誓った。
「結んで兄弟となって互いに境を侵すことを許さず。約に背いて誓いを違えることを許さず。ふたたび王浚に与して兄弟の和を損なうことを許さず」
誓いが終わると、二人は賓客の礼に従って張賓を城に送り返した。石勒は張賓、石虎、王彌、楊龍、段末杯と馬を並べて城を出る。
城外に宴席を設けると段疾陸眷と段文鴦をはじめとする段部の諸将を招いて酒盃を交わす。ついで、石虎に命じて段文鴦を結拝させた。これより石勒と段部は故旧の如く結び、段部の一族は石勒の恩徳に感じて心を寄せる。
この後、段部と断交した王浚の威勢は日に日に衰えたことであった。
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