第二十八回 張賓は計って大いに王浚を破る
「
それを聞いた
「王浚が攻め寄せたというならば、城を囲むのを待つには及ばぬ。城外に軍営を置いて迎え撃つべきである。
「先に戦場にて相見えておれば、怖れるに足りぬ」
それより漢の軍勢は城を出て二箇所に軍営を置き、王浚の到来を待ち構えた。
一方の王浚は襄國郡の境を越えて進むこと六十里(約33.6km)、襄國の城から四十里(約22.4km)の地点に軍勢を止めていた。そこに襄國の城を探っていた間諜が馳せ戻って報せる。
「太守の
王浚は
「徐兄弟は知略に長けて謀画を善くし、勇略では人後に落ちぬ。漢賊どもはどのように二人を討ち取ったのか」
「
「狡猾な
すぐさま
※
両軍が対陣して三通の鼓を鳴らすと、王浚は左右に祁弘と孫緯を従えて陣頭に馬を進める。鞭を挙げると石勒を指して言う。
「お前はもともと石家に拾われた
「姓を変じて仇を避けるのは古今の常道、吾らはあくまで漢臣として
石勒の罵倒を聞いた王浚は怒り心頭、諸将を顧みて命じる。
「誰ぞこの
声に応じて祁弘が馬を拍ち、鎗を捻って馬を躍らせ、石勒に馳せ向かう。
「早く馬を下りて縛を受けよ。吾こそ大晋百万の軍勢の先鋒、祁将軍である」
石勒が大刀を抜いて自ら出ようとすれば、王彌が止めて言う。
「吾がこの賊を討ち取ってくれよう」
「飛豹は控えておれ。吾が出てあの賊めを生きながら擒として妄言の罪を正してくれる」
ついに石勒は自ら大刀を振るって祁弘に向かい、二将の刀鎗が火花を散らして陣頭に勇を競う。その姿はまさに英雄にはすべからく敵手があって豪傑には必ず同類がいるという如く、戦は五十合を過ぎても勝敗を決さない。
漢陣の王彌はついに馬を拍って加勢に向かい、それに応じて晋陣からは
漢陣からは
王浚はその到来を知ると、
晋漢の軍勢が入り乱れて戦う戦場に、段文鴦、段末杯、
漢兵の軍列は支えきれずにわかに崩れたつ。
石勒も総崩れとなる軍勢を見ると戦を捨てて逃げ奔る。
王浚は勝勢を駆って全軍で追撃に入り、漢将たちは軍営を放棄して襄國の城に逃げ込んだ。城門を閉ざして追撃を振り切ったものの、この一戦に二万の兵を喪っていた。
※
翌日には王浚の軍勢が城門を囲み、城内の石勒は諸将を集めて方策を諮る。
「吾が軍勢は敵と比して一倍半の多勢、城に引き籠って防戦をつづけるより打って出るべきであろう」
諸将の言葉を聞いて石勒が言う。
「昨日の一戦で軍勢の士気は下がっている。まだ打って出るべきではない。それに、王浚には段部の加勢があり、祁弘や孫緯は歴戦の将である。にわかに退けられまい。まずはこの城を堅守して時間を稼ぎ、その間に平陽に人を遣わして救援を求めるよりなかろう」
王彌が駁して言う。
「必ずしもそうではあるまい。昨日は段部の軍勢に不意を突かれたに過ぎぬ。弱気になるには及ぶまい。まず数日の間は城を守って鋭気を養い、
ちょうどその時、城壁上に出て防戦の指揮を執っていた張賓が戻ってきた。石勒は王彌の言への意見を求める。
「城壁から敵兵を仔細に観たところ、一計を得ました。王浚は段部の軍勢に頼りきっています。今、段部は城下の西北に軍営を置き、王浚は東南にあります。その間は二十里(約5.2km)ほど離れており、急を知ったところですぐには駆けつけられません。西北の城壁に二十箇所ほどの穴を開け、一箇所には千人の兵を配置します。それぞれの穴を守る兵を互いに連繋させる一方、千人の兵を城外に出して段部の軍営を脅かし、さらに二百の兵は柴油を携えて火を放たせます。これらは張實、張敬、
石勒はその策を容れて準備を進めるよう命じる。柴草には油が注がれてそれを携えた兵士は夜が更けるのを待つ。
「日が暮れても城を囲む軍勢が退かなければ、城内より兵を出して足止めし、その間に策を行えばよいだけのことだ。王浚か段部の陣のいずれかを破るか、糧秣を焼き払えばそれでよい。王浚の軍勢が包囲を解いて軍営に退けば、必ずや打ち破れよう」
張賓がそう言ったところ、王浚と段部の軍勢は包囲を解いてそれぞれの軍営に引き上げていく。
「これは天が吾らに味方しているのだ。
ついに人を遣わしてそう命じ、諸将は応諾した。
※
王浚と段末杯は軍営に主だった諸将を集めて事を諮っていた。
「漢の軍勢の士気は高く、石勒と王彌の驍勇は衆に抜きん出ている。それにも関わらず、この数日は出戦しておらず、おそらくは計略を行わんとしているのではないか」
段末杯の懸念に祁弘が哂って応じる。
「先の一戦に大敗を喫して怖気づいただけのこと、救援の到来を待っているだけであろう。計略を行う余裕などあるまい」
懸念を払った段末杯が段疾陸眷に言う。
「漢兵は吾らとの一戦に鋭気を挫かれて城に引き籠もり、救援が来るまで待って吾らの軍勢に抗うつもりらしい」
王浚は有利に戦が進んでいると観て、段部の軍営に酒肴を贈って将兵に振舞った。
軍議の場では、劉曜や劉霊が救援に到る前に襄國を落とさなくては利を失う虞があり、翌日からは協力して厳しく城を攻めることと定められる。段末杯たちは応諾すると西北の軍営に戻り、攻城の器械を用意した後に酒宴を開き、夜が更ける頃に泥酔してようやく散じた。
▼『後伝』『通俗』ともにここでの遣り取りは使者を介したように記述するが、それならば段末杯の懸念に祁弘が答えるのはおかしい。また、翌日からの力攻を定めていることから、使者が伝えたわけではなく、軍議が行われなくてはならない。よって、ここでは王浚をはじめとする諸将が会して軍議を開いたように改めた。
晋の軍営を探る漢の間諜は、西北と東南の両軍営の将兵が歓飲していると知り、城に駆け戻った。城壁から下りた縄梯子を上がると、石勒と張賓の許に向かって告げる。
「明日は力攻めをおこなうべく両軍営は攻城の具を揃え、将兵は酒宴を開いて酩酊しております」
「それならば、吾らの夜襲を防ぎようもあるまい。まずは食事を摂って装備を整え、三更より前には枚を噛んで北門を出よ。都督と汲民徳は軍勢を率いて救援する晋兵を防がれよ。東門に伏せる四将は四万の軍勢を発して王浚の軍営を襲え。張雄は
諸将は張賓の令を受けると勇躍して城外に打って出た。
張實は十将とともに五万の軍勢を率い、段部の軍営に迫る。一斉に鬨の声を挙げて攻めかかると、軍営の幕舎に火を放った。段部の将兵は鎧を身につけたままであったが、酩酊して眠り込み、漢兵の夜襲に応じ切れない。段末杯たちが叱りつけても兵士は動かず、自ら漢兵に当たらざるを得なくなる。
この時、王浚は東門を包囲する軍勢を巡視していたが、段部の軍営に火の手が上がるのを見ると諸将を召し寄せた。祁弘たちが救援に向かうべく馬を拍って駆け出すも、東門が大開して王彌をはじめとする四将が王浚の軍営に攻め寄せる。
王浚が先頭に立って漢兵の突入を防いだものの、晋兵は次々に討ち取られて屍が地を埋めていく。胡矩と王昌の二将では王彌たち四将を支えられず、包囲されて逃げる道を失う。王浚もついに馬を返して逃げ奔った。
段部の軍営に向かおうとしていた祁弘、孫緯、王甲始は、東門の鬨の声を聞くと馬頭を返す。引き返せば漢の四将が軍営を襲っており、祁弘は楊龍を防ぎ、孫緯は趙染を支え、王甲始は趙概を阻み、両軍の鬨の声が十里(約5.6km)に響き渡る。
遊軍を率いる張雄が王浚の軍営に衝き入れば、燃え上がる炎の中で王彌が王昌、胡矩、
胡矩は二将の姿を見て敵か味方かを弁ぜず、怒眼で睨み据えるも張雄はその面前に迫る。その鎗の一突きが胡矩の右肋に突き立つと、崩れるように馬から落ちる。そこに王彌が馬を馳せて馬上からの一刀で首級を飛ばす。蘇艾はそれを見て馬を返して逃げ出すも、後を追う張豺の一刀を頭に受けて馬下に落命した。王昌は軍営に紛れ込んで身を隠す。
張雄が王彌に叫んで言う。
「幽州の将の祁弘は
王彌もそれに同じると、二将は祁弘を求めて軍営を東西に衝き抜けては馬を返す。
この時、祁弘は楊龍との戦の最中にあった。張雄と王彌はその姿を見るや、両側から攻め寄せて挟撃する。さすがの祁弘も阻み得ず、ついに戦を捨てて逃げ奔った。
孫緯は趙染を斬り止めて戦うこと七十合に迫るところ、牟稷、林深、王如の三将が周りを囲んで鎗を突く。二鎗を身に受けた孫緯は命からがら包囲を逃れて奔り去る。その途上で王浚と王昌が林間に身を隠しているのに出会って言う。
「
王浚もその言に従い、ついに段部の諸将を棄てて北に逃れることとした。漢兵は数里に渡って追い討ちに討ち、晋兵の屍が道を埋めた。王浚はついに夜陰に乗じて五十里(約28km)も逃れ、翌朝に敗卒をまとめてみれば一戦に三万余もの将兵を喪ったことであった。
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