第二十七回 石勒は襄國郡を奪い取る

 王浚おうしゅんは檄文を遣って遼西りょうせい鮮卑せんぴ段部だんぶの軍勢をも発した。酋帥の段匹殫だんひつせんは王浚の檄文を得て同心し、段末杯だんまつかいを主帥にして段文鴦だんぶんおうを先鋒に任じ、段疾陸眷だんしつりくけんに後詰を命じる。総勢三万の鮮卑兵が幽州ゆうしゅうを指して動きはじめた。

 幽州からは孫緯そんいを先鋒として王昌おうしょう胡矩こくに左右の軍勢を委ね、王甲始おうこうし祁弘きこうを後詰とする五万の軍勢が襄國じょうこくの救援に向かった。

 石勒せきろくは自ら軍勢を率いて襄國の城に向かい、迎える徐玖珮じょきゅうはい徐玖瓊じょきゅうけいの兄弟は城に拠って防戦に務め、漢軍は多くの死傷者を出して半月が過ぎても城を落とせない。しばしば軍議を開いて方策を案じるものの、良策を見出せずにいた。

 軍議の席にあって石勒が言う。

「徐玖珮と徐玖瓊は智勇に優れてにわかに城を陥れられぬ。救援が到来してはますます陥落は難しくなろう。良策があれば申し出よ。陥落の暁には功績を論じて官職を進めるべく主上に申し上げよう」

 その時、哨戒に出ていた兵が戻って言う。

「幽州より王浚の軍勢が鮮卑段部の兵と道を分けて進んでおります。近日仲にはこの襄國に到着する見込みです」

 それを聞いた石勒が言う。

「城を抜かぬうちに外援が到着すれば、吾らはどのように処したものか」

 諸将は口を揃えて言う。

「堅城を前に背後を遼薊りょうけいの精鋭が逼っております。軍勢を渤海に返してその鋭鋒を避ければ、王浚も虚しく襄國に留まれますまい。涼秋まで襄國に留まることは考えにくく、必ずや軍勢を返しましょう。その時、ふたたび軍勢を発して襄國を抜くのが良策というものです」

▼「遼薊」の遼は遼西、薊は幽州を意味する。

 石勒は張賓ちょうひんを顧みて問う。

「諸将の議論は一致せず、進退を定められぬ。軍師から何か言うことはあるか」

「軍勢は進むことはあっても退くことは許されません。渤海ぼっかいに引き上げるなどということはあり得ません。計略を用いて処するよりありますまい。遼薊の軍勢が到着するに先んじ、匈奴きょうど五部ごぶの主帥に命じて羌兵を段部の軍勢に装わせ、襄國の城門を開かせるのがよいでしょう。襄國を抜いて王浚の軍勢を迎えねばなりません。吾らが襄國を落としたと知れば、士気は必ず下がります。また、吾らは堅城に拠って戦えます。奇策を用いて翻弄すれば衆寡は敵せず、王浚とて怖れるに足りません」

「これこそ廟算びょうさんというもの、心に留めるべきであろう。しかし、王浚と段部の軍勢が近づくなかで計略を施せるであろうか」

 石勒の言葉を聞くと、張賓は幕舎から出ていく。呼延莫及こえんばくきゅうに段末杯に似せた軍旗を掲げさせ、鮮于登せんうとうに段文鴦に似た軍旗を掲げさせる。三万の軍勢は蛮兵と漢兵が入り混じり、遼兵のようにも見える。


 ※


 石勒はついに断を下した。間道より進んで北方に向かわせ、偽装の計略を行わせる。その一方、趙染ちょうせん呉豫ごよに城を攻めさせた。

 城壁の上では、徐玖珮が弓兵を率いて趙染たちの攻撃を退けんと奮戦する。未の刻(午後二時)に至る頃、ときの声が響いて鳴り止まない。何事かと見れば、真北の空に塵埃じんあいが立ち登って旌旗は日を蔽い、数万の精鋭が野を浸して土を巻き上げ、城を囲む趙染の軍勢に斬り込んでいく。

 軍旗を掲げた夷狄の兵が馬を馳せて城下にまで到り、大音声に叫んで言う。

「吾は遼西の段部の者である。部長の段務勿塵だんむふつじんは王幽州(王浚、幽州は官名)の命を受けて段末杯将軍を将とし、段文鴦将軍を先鋒とする三万の精鋭を救援に遣わされた。段疾陸眷将軍の軍勢は後詰となって王幽州とともに軍勢を進めている。先鋒を委ねられた段末杯将軍よりの言伝ことづてである。軍勢は本日のうちに此処に到る。吾らが漢賊を破れば、城内より打って出て漢賊をともに打ち破れよう。漢賊が支え止めるならば、城内に留まって決して城門を開けるな。吾らは郡境に退いて掎角きかくの勢をなし、幽州の軍勢の到着を待って一斉に漢賊に攻めかかる。こうなれば漢賊を打ち破ることは必定である」

 城壁上で防戦の指揮を執る徐玖珮はそれを聞くと、打って出る軍勢を揃えて自ら指揮にあたることとし、徐玖瓊には城壁から形勢を観望するように申し伝えた。

 徐玖瓊が諌めて言う。

「段部は王浚の姻戚であり、そのために出兵したのでしょう。心中は測りがたく、油断はできません。城下に到着しても辞を設けて城外に駐屯させ、その行いを観てから対処を定めるべきです」

 徐玖珮がその言をれようとしたところ、段部の将帥らしき者と趙染の戦は三十合を超え、漢陣より趙概も馬を馳せて加勢に向かう。それを阻むべく段部より段文鴦が打って出る。戦は十合に及ばず、鉄鞭が趙概の鎗を叩き落とす。趙概は馬頭を返して逃げ戻り、段文鴦は馬を拍って後を追う。

 段部の軍勢は段文鴦につづいて漢軍に攻めかかり、それを見た趙染も戦を捨てて逃げ奔る。これにより漢兵は陣を崩して潰走を始める。徐玖珮は城門を開いて突出し、一軍を率いて漢兵を蹴散らした。

 漢兵が逃げた跡には鎧兜や器械が投げ出されており、十里(約5.6km)ほども追ったところ、漢将の孔萇こうちょう桃豹とうひょうが救援に現れる。段部の軍勢とそれに加勢する徐玖珮はその軍勢をも打ち破った。

 漢兵が逃げ去ったところで段末杯が言う。

「すでに日も暮れかかっており、此処で軍勢を返すべきであろう。明日には必ずや漢兵を駆逐できよう」

 徐玖珮はそれに駁して言う。

「漢賊どもはこの敗戦で混乱していよう。日が暮れるまでは押し込んで戦果を広げるべきであろう」

 そこに王彌、張實、張敬、楊龍ようりゅうの軍勢が潮のように攻め寄せてくる。

「軍勢を城内に入れて戦を避け、明日を待って勝敗を決するよりなかろう」

 段部の者がそう言い、徐玖珮も城に軍勢を返す。王彌たちはその後を追って日が暮れた頃には城下にまで到った。


 ※


 徐玖瓊が城門を開いて迎え入れるところ、徐玖珮が段部の将に言う。

「漢賊どもが包囲できぬよう、段将軍は城外に軍営を置かれよ」

「二軍はすでに入り混じって一軍になっている。その上、後に迫る漢賊が軍営を置くのを許すまい。ともに城内に入って漢賊を退け、王幽州の軍勢を待つのがよかろう」

 この時、段部の将に扮する呼延莫及が先に立って城門を入り、鮮于登もそれに続く。徐玖珮が止めようにも止められず、段部の将兵に言う。

「百姓への掠奪や暴行は許さぬ。ただし、敵を退ければ重賞を与える」

 そこに城壁上の徐玖瓊からの伝令が駆けつける。

「すぐ城壁にお戻り下さい。漢将が各城門に攻め寄せております」

 徐玖珮は馬頭を返して段部の将兵を置いて奔り去る。呼延莫及と鮮于登はその跡を追い、背後からの一刀で徐玖珮を馬下に斬り落とした。漢兵は城門を開けて軍勢を差し招き、二将は叫んで言う。

「吾は漢将の呼延莫及と鮮于登である。すでに城門は破られた。降る者は生き、抗う者は死ぬ。降参を願わぬ者は逃げ去って殺戮を免れよ」

 それを聞いた晋兵の大半は逃げ去り、城に入った王彌たちは火災を鎮めつつ進んで府蔵にまで到る。この時、徐玖瓊は家眷とともに南門から逃れ去っていた。

「徐玖瓊に怨みがあるわけではない。その兄を殺したのであるから、家累を保つためにも放っておいてやれ」

 張賓は報告を聞いてそう言って後を追わなかった。

 一更(午後八時)の頃、襄國の城に向かう刁膺ちょうよう支屈六しくつりく廖翀りょうよく趙鹿ちょうろくの軍勢が図らずも徐玖瓊に行き会い、擒として石勒がいる本営に連行した。石勒が降伏を迫るも徐玖瓊は罵って抗い、ついに斬刑に処した。

 翌日、石勒は襄國の城に入るも、将兵に掠奪を厳禁して百姓を安撫する。その後は祝勝の宴を開いて諸将を労い、賞を行う。その酒宴の最中に哨戒の兵が駆け込んで言った。

「王浚の軍勢が四十里のところに軍営を置き、明日には城下に攻め寄せる見込みです」

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