第二十六回 邵祿は石勒の軍に降る

 王彌おうび張敬ちょうけいの二将は汲桑きゅうそうの率いる歩軍とともに張顕ちょうけん張榮ちょうえいの首級を掲げて高陽関こうようかんの攻撃に加わった。石勒せきろく張賓ちょうひんはすでに張曀僕ちょういつぼく支屈六しくつりく趙鹿ちょうろく劉膺りゅうようの率いる四軍を遣わして関を抜き、占領を終えていた。

 張兄弟の首級を呈された石勒は悦んで諸将に重賞を施した後、軍議を開いて攻城策を諮る。王彌が言う。

「張兄弟はすでに討ち取られており、渤海城の将兵は怖れて容易く抜けよう。吾が一軍を率いて城下を衝き、不備を襲って城を落とすのを待たれるがよい。大軍で包囲すれば城兵は必死の覚悟を固めて守り、外に救援を求めよう。そうなるとにわかには攻め落とせまい」

 その意見を聞いた張實ちょうじつが言う。

参軍さんぐん邵祿しょうろくが城を守ると聞くが、計略に長けた者という。小勢で攻めかければ必ずや抗い、四方に救援を乞うて厄介なことになろう。大軍を進めて城下を囲み、その知計を使わせないのが上策、つまり、迅雷を見て耳を蔽えど間に合わぬようにするのがよい。城兵は窮して知恵も尽きよう。そうなれば城の陥落は旦夕にある」

 張賓は張實の意見を容れ、軍勢を四つに分けて渤海の城に逼ることとした。


 ※



 晋の斥候は漢兵の進軍を知ると駆け戻って城に報せる。邵祿は僚佐に方策を諮って言う。

張光宗ちょうこうそう(張顕、光宗は字)の兄弟は諌めを聞かずに出戦し、勇を恃んでついに討ち取られた。漢兵は時を置かずに軍勢を進めてこの城を囲まんとしておる。包囲されれば外援は到らず、さらに城内には精兵を欠く。城を守り抜くことは難しい。どのような良策によって処するべきであろうか」

 僚佐は口を揃えて言う。

「朝廷は参軍(邵祿)にこの郡の統治を委ねられました。今や太守はなく、城内の者は参軍に従うのみです。異論がある者はおりません」

「みながそう考えるならば、吾の決定をみなが拒むこともあるまい。愚見によれば、人を青州に遣わして援軍を求め、その一方で軍民ともに城壁に上がってこの城を守るよりないと考える。そうすれば、漢兵が大軍と言えどもにわかに城を陥れることはできまい」

 邵祿の言葉を聞いた僚佐が懸念を口にする。

「漢兵は二十万を超え、郡内を席捲せっけんしております。人を遣わしたところで路上に捕らえられ、青州には行き着けますまい」

「それならば、しばらく城を守って様子を見るよりあるまい」

 僚佐は反対して言う。

いたずらに民を動員して城を守ったところで、米糠で水を塞ごうとするようなものです。どうして流れを止めて崩れずにおれましょう。城が陥って民の命が奪われるのを目の当たりにするばかりです。別の謀によって一城の生命を全うすせねばなりません」

 それを聞いた邵祿が言う。

「みなの言葉に理がある。しかし、民の生命を保るべく城を明け渡しては、忠臣の行いとは言えぬ」

「吾らが命を擲ち、職に尽くして忠に殉じたとして、賊を退けて城を守り抜けましょうや」

 邵祿は呻吟することしばしの後に口を開いた。

「みなの言葉に従う以上、吾を不忠と罵ることはできぬぞ」

「吾らは不忠ではございません。晋朝は諸親王の争いにより自ら損ない、これは時勢というものです」

 ついに邵祿は人を石勒の軍営に遣わした。

「渤海城内の邵参軍しょうさんぐん(邵祿、参軍は官名)の申されるところ、城内の官吏と数万の軍民の生命を救うべく、城を出て降らんと望んでおられます。軍民を損なわぬと元帥にお約束頂けるならば、即刻に城門を開きましょう。お約束頂けない場合は、城を守って援軍を待ち、決して屈しはいたしません。元帥のお言葉に応じて処されるとのことでございます」

 使者の言葉を聞いた石勒が言う。

「吾らの進軍は地を得るためであって人を殺すためではない。古より『逆らう者を仇敵としても、従う者は一体の如し』と言う。従う者を損なう理があろうか。参軍の言葉が真率であるならば、吾は漢兵の蛮行を禁じる高札を書いてお前に授けよう。城に還って衆人に示すがよい。また、開城の暁には城内の官員の階一級を進め、邵参軍を渤海太守に任じよう。吾らの軍勢が入城すれば六街三市や城坊の門を開け放たせ、市は常のように開けばよい。寸毫すんごうたりとも吾らが犯すことはない。万一、一犬一鶏でも損なえば、吾が首級を呉れてやる。慎んで疑い怖れるな」

 使者は城に還って石勒の言葉を伝えると、邵祿は官員を率いて城門を出て、石勒の軍門に到って投降した。

 石勒は賓客を遇する礼により自ら出迎え、一同して城に入る。兵士を遣わして城内に説諭の高札を立てさせ、それを見た百姓は香炉を持って出て、入城する漢兵を道に拝する。掠奪などの蛮行は厳しく禁じられて漢兵たちは秋毫しゅうごうも犯さず、満城の民はことごとく喜んだ。

 石勒と張賓は邵祿に府印をつかさどらせ、呼延模こえんぼ張豺ちょうさいに三万の軍勢を与えて鎮守を命じる。その後に宴席を設け、次に向かうべき進路を襄國じょうこくに定めたことであった。

▼「襄國」は、鄴のほぼ真北にあり、渤海からは西にあたる。石勒の進軍路を考えると、枋頭ほうとうから白溝はくこうに沿って北上し、内黄ないこうに近い黄澤こうたく黄崗こうこうがあると推測される)で晋将を降した後、さらに白溝に沿って北に進む。銅馬城どうばじょう館陶かんとうを経て清淵せいえんから清河せいがに沿ってさらに北に向かい、渤海郡に入ったと考えられる。しかし、襄國に向かうのであれば、館陶の手前にある利曹口りそうこうから利曹渠りそうきょ(曹操が漳水しょうすいからの水を引いて造った水路)に沿って西北に進み、曲梁きょくりょう易陽えきようを経て襄國に向かう道がある。おそらく、枋頭からの経路で考えると襄國の方が近い。縦しんば、先に渤海を落とす必要があったにしても、襄國を落とすためであるとは考えにくい。


 ※


 晋の間諜は渤海の落城を知ると、すみやかに襄國に向かった。襄國に鎮守する徐玖佩じょきゅうはい河東かとう陽邑ようゆうの人、徐晃じょこうの孫にあたる。徐晃には二子四孫があり、長子の子が徐玖舒じょきゅうじょとその兄弟、次子の子が徐玖佩と徐玖瓊じょきゅうけいの兄弟である。

 弟の玖瓊は知識に富んで謀略に秀で、襄國の参軍を務めている。兄の玖佩は膂力に優れて智勇双全と謳われ、はじめは殿中でんちゅう将軍に任じられて張華ちょうか幽州ゆうしゅう赴任に従い、軍功を見た張華が推薦して襄國の太守に推薦したのである。朝廷の重鎮による推挙に与ったため、その威名は甚だ重い。

▼「殿中将軍」は『後伝』、『通俗』ともに「殿将軍」とするがそのような軍号はないため、改めた。

 玖佩は渤海の失陥を知ると間諜を四方に放って実情を探らせ、間諜からの報告を受けると軍議を開いて方策を諮った。

「石勒の驍勇には敵する者がありません。また、軍師の張賓は詭計百出、一戦にして渤海を下してその鋭鋒は甚だ盛んです。野戦となれば容易く勝てる相手ではありません。ここは城に籠もって堅守するのが上策でしょう。その間に人を幽州に遣わして王総管おうそうかん王浚おうしゅん、総管は官名)に救援を求め、援軍の到来を待って城の内外から攻めかければ、漢賊を退けられます」

 玖瓊の献策を聞いた玖佩が気の進まぬ風に応じる。

王彭祖おうほうそ(王浚、彭祖はあざな)の精兵は勇猛、漢賊を退けるに足りよう。しかし、その意は不純であってこの襄國を併呑せんとする心がある。幽州に救援を求めれば、劉備が呂布を徐州に迎え、劉璋が劉備を蜀に誘ったのに変わるまい。虎を引いて身を守ろうとするの愚は、吾の最も懼れるところである」

「王浚に不善の心があろうとも、同じく晋朝の臣下であって一家のようなものです。さらに喫緊の事態であれば、身を喪って家を滅ぼすことを避けるのが第一、まずは幽州に人を遣わして援軍を求めるべきです」

 玖瓊が食い下がって言い、ついに玖佩も書状を認めると人を遣わし、夜に昼を継いで幽州に向かわせた。さらに、属縣に人を遣わして糧秣を集めるとともに城外の民を城に入らせる。それより城壁を繕って濠を深くし、漢兵の包囲に備えさせた。

 襄國を発した使者は昼夜兼行の強行軍で進み、日ならず幽州に到って王浚に書状を呈する。披いて見れば救援の求める旨が認められている。王浚が仔細を問えば、使者が答えて言う。

「漢将の石勒と王彌は渤海を陥れて太守の張顕兄弟を討ち取りました。今また軍勢を率いて襄國を犯さんとしております。城中はこれを危急の事態と観るがゆえ、このように救援を仰ぐべく参りました。総管(王浚)におかれましてはすみやかに兵馬を発して襄國を救い、大晋の城池が漢賊に奪われる事態をお救い下さい。万一、襄國が陥れば幽燕の地も安寧ではあり得ますまい」

「軍議を開いて方策を定めるゆえ、しばらく賓館にて休んでおれ」

 王浚はそう言うと、将佐を集めて事を諮った。参軍を務める游暢ゆうちょうが進み出て言う。

「襄國が危急ということであれば、救わぬわけにも参りませぬ。漢賊が襄國を破ればいよいよ猖獗を極めて必ずや幽州にも害が及びましょう」

 王浚はその言をれて軍勢を発すると決したことであった。

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