第二十五回 張賓は良策により張顕を殺す

 張顕ちょうけんは軍勢を高陽関こうようかんに入れると弟の張榮ちょうえいに言う。

石勒せきろく霊昌河れいしょうかで十人の部将を続けて討ち取ったというが、偽りではあるまい。思うに、明日からは出戦を避けて関に籠もり、救援を待つ方がよいであろう」

「先に邵參軍しょうさんぐん邵祿しょうろく、参軍は官名)が城に籠もって援軍を待つように勧めましたが、賢兄はそれを拒んで軍を出されました。加えて、先の一戦では両軍の優劣はいまだ測れません。それにも関わらず出戦せねば、漢賊どもは吾らが畏れたと思って関に攻め寄せましょう。高陽関は峻険とは言い難く、土山の上にあって石も揃えられません。攻め寄せる漢賊を退けるには向いていないのです。軍勢を出して戦を交え、戦う間に吾が横ざまに攻めかけて挟撃するのがよいでしょう。この計で石勒は必ずやとりことできます」

 張顕はその言をれて翌日ふたたび出戦して平地に布陣する。石勒はそれを知ると、自ら軍勢を出して対峙した。

 陣頭に立つ張顕が叫んで言う。

「昨日は日が暮れたために擒としなかった。僥倖ぎょうこうであったにも関わらずふたたび攻め寄せてくるとは、愚かなことよ」

 石勒は無言で大刀を抜きつれて張顕に斬りかかる。張顕は鎗を捻って支え止め、二人は戦うこと三十合を超えて隙も見せない。張榮はその間に関から軍勢を率いて攻め下り、馬を駆って石勒の背後に迫った。


 ※


 偽り逃れるべく隙を窺う石勒は、ここで引くと張顕に疑心を生じるかと戦うところ、張榮が軍勢とともに攻め寄せるのを見て馬頭を返す。

 西を指して逃れる後を張顕と張榮は計略があるとも疑わず追う。馬が鳴石山めいせきさんの谷口に近づくと、ふたたび向き合って迎え撃つかと見せかける。張兄弟が追いつく前に馬頭を転じると山麓の間道に逃げ込んだ。

 張兄弟はその後を追って馬を馳せ、路が平坦と見ると間道に馬を乗り入れる。それより五里(約2.8km)も進んだところ、山頂より砲声が響く。

 計略かと見回すところ、山頂に紅旗が翻って砲声がつづき、先に逃れたはずの石勒が攻め寄せてくる。背後からは王如おうじょ張雄ちょうゆうが路を塞いだ。

 計略を覚った張兄弟は軍勢を返して背後を塞ぐ軍勢に斬り込んでいく。王如と張雄は軍勢を開いてそれを阻み、四将の戦は四十合に及んでも勝敗を決さない。

 そこに長矛を手に馬を駆けて一人の漢将が攻め寄せる。雷鳴の如き大音声に罵って言う。

「張顕の狗ころめが、燕人えんひと張仲孫ちょうちゅうそん張實ちょうじつ、仲孫はあざな)を知っているか。知るならば馬より下りて鎗先の汚れとなるのを免れよ」

 張顕、張榮はそれぞれ漢将と戦う上に張實まで迎えては勝ちを得難く、馬頭を返して逃げ奔る。その先では石勒が前を塞ぎ、怒った張兄弟は身を捨てて斬り込んでいく。

「お前たち兄弟は忠臣の子孫でありながら、魏主ぎしゅ弑逆しいぎゃくした晋を助けるのか。ほこを返して洛陽を陥れて先人の勲功を輝かせよ」

 説諭を聞かず張兄弟が斬りかかるも、石勒は二将を相手に一歩も譲らない。張兄弟は戦を捨てて左右に分かれ、陣を衝いて逃げ奔る。石勒はその後を追わず、二将を見送った。


 ※


 張顕と張榮は石勒から逃れたことを喜んで渤海を指して馬を駆る。数里も行かぬうちに北の谷口に二人の漢将が姿を現した。これは北麓に伏せる楊龍ようりゅう廖翀りょうよくである。

 張顕は無言で斬り込んでいくも、楊龍に支え止められて二十合を過ぎても衝き抜けられない。張榮は横ざまに斬り込んで挟撃せんと図るも、廖翀に阻まれて戦に入る。

 張顕が張榮に叫んで言う。

「賊の詭計に陥って包囲されている。おそらく高陽関はすでに陥れられていよう。渤海に向かったところで救援は遠い。ここは東郡に逃れて軍勢を合わせ、復仇を図るべきであろう」

 二人は馬頭を転じて東に向かい、楊龍と廖翀もそれを見送った。

 東麓に逃れたところ、一軍が現れて前を阻む。飛虎ひこ将軍と大書した軍旗を翻すのは、趙染ちょうせん趙概ちょうがいの兄弟であった。

 二人は言葉もなく軍勢を駆って攻めかかり、張顕と張榮はそれを迎え撃つ。各々が武勇を奮って戦うこと二十余合、互いに隙を見せずに互角の戦がつづき、張兄弟の馬はいよいよ疲弊の極に至る。張兄弟は趙兄弟との戦を捨てると脇道から逃れ去る。

 趙概が後を追って叫ぶ。

「大丈夫たる者は戦で優劣を示すべきであろう。逃げ奔ることなど許されぬ」

 それを聞いた張榮が馬を返して迎え撃つ。追いついた趙染が言う。

「今や勢は窮まった。降るより他にお前たちにできることはない」

 張兄弟が怒って言う。

「叛賊めが、吾らがお前たちに敵わぬとでも言うつもりか。これより生きながら擒としてくれよう」

 ふたたび四将の戦となって二十合を越えた頃、にわかに鬨の声が挙がって山谷を震わせる。攻め寄せるのは、晋将を逃がしたかと疑った王如と張雄であった。

 張顕と張榮はそれを見ると戦を捨てて東に逃れ、東郡を指して馬を駆る。


 ※


 東の麓に出ると砲声が響いて伏兵が発する。率いる漢将は長身ちょうしん巨躯きょくに長い髯を垂らして大刀を手にした姿は天神の如く、軍旗には漢の「左先鋒させんぽう王彌おうび」と大書されている。

 東麓の路には間道がなくて前につづくばかり、前を阻む陣を破るより道はない。

「其処にいるのは、張光宗ちょうこうそう(張顕、光宗は字)、張耀祖ちょうようそ(張榮、耀祖は字)の兄弟であろう。許戌きょじゅつ典升てんしょう徐玖舒じょきゅうじょ張駘ちょうたいの如く、お前立ちも生きながら擒となるばかり、吾は先鋒の王飛豹おうひひょう(王彌、飛豹は綽名)である。馬より下りて大漢に降り、漢をたすけて魏をうばった晋の仇に報い、祖宗の名を輝かせるがよい。さもなくば、一族を夷滅されよう」

 王彌の言葉に張顕と張榮が怒る。

羯虜けつりょめが妄言をほざくな。吾らは戦って久しく時を過ごしておるが、鼠輩そはいを斬るなどあくたを拾うようなものよ」

 叫ぶと鎗を揃えて王彌に逼る。王彌は二将を迎えて刀を振るい、二十合もせぬうちに孔萇こうちょうが背後から晋兵を突き崩す。不意を突かれた晋兵たちは総崩れになり、屍は累々と重なって哭声が天を震わせた。

 張顕と張榮はその様を見ると戦を捨てて逃れようと図る。そこに長槍を手に熊虎の勢いで攻め寄せる漢将がある。

「賊奴張顕よ、逃げるな。燕人│張季孫ちょうきそん(張敬、季孫は字)である。吾が其処まで行って生きながら擒とするのを待っておれ」

 三面を敵に囲まれた張顕と張榮は各々に馬頭を転じて包囲を衝く。張顕は張敬に阻まれて張榮は王彌に追われ、五里(約2.8km)も行かぬうちに一丈(約3.1m)の長身にして大斧を手にした死神のような漢将が歩兵を率いて攻め寄せた。


 ※


 張顕はその歩将を強敵とも思わず、討ち取らんと鎗を突く。

「賊めがその手並みで吾に敵し得るか。張泓ちょうおうを擒として弓欽きゅうきんを殺し、沈吟ちんぎんを討って雷霈らいはいを斬り、霊昌河で岸上の陣を陥れた汲民徳きゅうみんとく将軍(汲桑、民徳は字)とは吾のことだ。すみやかに馬を下りて擒戮のはじを免れるがよい」

「お前が汲桑か。これまでの戦果は吾に遭わなかっただけのことだ」

 張顕はそう言うと鎗を捻って汲桑の胸を狙う。汲桑は体を開いて鎗先を交わし、大斧を振るって攻め進む。張顕が馬頭を転じて汲桑を避けんと図るも、汲桑は逃がさず斧の一撃が乗馬の腿を断ち切った。張顕は倒れる馬とともに地に投げ出される。

 汲桑が張顕を仰向けにして押さえ込もうとすれば、張顕は立ち上がらんと抗う。ついに汲桑の大斧がその頭に振り下ろされて張顕は頭蓋を両断される。

 三代の英雄好漢もついに一命を落としたことであった。

 張榮は王彌に追い詰められて戦うところ、敗卒が報せて言う。

「張太守(張顕)は汲桑に討ち取られてしまいました。すみやかに城に戻らねば再戦もおぼつきません」

 それを聞いた張榮の顔は滝のような汗、滂沱と涙を流した。復讐を決意すると王彌の追撃を振り切る。それより数里も行ったところ、漢将の刁膺ちょうよう范隆はんりゅうが一軍とともに前を阻み、後ろに王彌が追い迫る。張敬の軍勢まで追いついて前を阻んだ。

 前に逃れるには三将があり、背後には王彌のみ、張榮は馬頭を返すと王彌の軍勢に攻めかかる。王彌が大刀を抜いて大喝すれば、張榮は鎗を捻って王彌に突きかかる。二将が馬をあわせて力を比べるところ、張敬が張榮の背後に逼る。

 張榮が慌てて鎗先を乱した隙を突き、王彌は一刀の下に斬り殺した。王彌は易々と首級を挙げると軍勢とともに高陽関に向かったことであった。

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