第二十三回 石勒は計にて枋頭を取る
北路の先鋒に任じられた
▼「棘津」とは、
その棘津の北岸は晋の軍勢に厳しく固められており、渡し場には土塁と柵が廻らされて城の如く、
諸将に諮ると、主帥の
「上流の枋頭で渡るのがよいだろう。必ずしも棘津を破るには及ばぬ」
「
▼「文石津」は棘津に近い黄河の渡し場であるが、詳細は不明。なお、『晋書』石勒載記によると、
石勒はその言に従い、
三日を過ぎず、孔萇たちは文石津を渡って枋頭に向かい、晋の斥候はそれを知って向氷に告げ報せる。向氷はすぐさま棘津を捨てて枋頭に軍を返し、それを知った王彌は
汲桑は小船から飛び出して晋兵に襲いかかり、斧を振るって斬り散らす。王彌も小船を揃えて矢を射放つ。棘津を守る晋兵は残り少なく、汲桑の暴勇を支えきれない。ついに棘津を捨てて逃げ走った。
王彌は船筏を連ねて浮き橋を組み、対岸に
▼「酸棗」は黄河の南岸にある。『
一方、孔萇たち四将は向氷の軍勢に阻まれて動くに動けずにいた。それを知ると、石勒は
「吾らは敵に阻まれて枋頭を降せずにいる。棘津からの救援に功績を奪われては、何の面目があって顔を合わせられよう。これより枋頭を抜いて首功を挙げねばならぬ」
馬を拍って晋の軍列に斬り込めば、向氷が鎗を捻って前を阻む。一来一往して戦うこと三十余合、鮮于豐は鎗先を乱して向氷に討ち取られる。孔萇は怒って向氷に向かおうとするも、楊龍の軍勢が横ざまに晋軍に突っ込んだ。向氷は鮮于豐を討ち取った勝勢を駆って楊龍を防ぎ止めようと図るも、一刀の下に斬り殺された。
孔萇と廖翀が軍勢を差し招いて晋兵に攻めかかると、主帥を喪った晋兵たちは支えきれず、
ついで枋頭を攻め落とすと、石勒は酸棗の軍営を枋頭に移した。
※
敗卒たちが鄴城で枋頭の失陥を報告すると、
「枋頭は東北の要地、それを奪われたとなると、漢賊は次にこの鄴か
▼「渤海」は
劉演は
「漢賊どもが枋頭に拠ったという。必ずやこの鄴城を陥れんと図るであろう。一万の軍勢とともに
▼「黄崗」とは、鄴の南東にある
二将は二千の軍勢を先発させて黄崗に柵塁を置かせ、自らは八千の軍勢を率いてそれに続く。
枋頭を発して北に向かった石勒は、黄崗の柵塁を見ると先頭に立って斬り込まんとした。その時には王彌の軍勢がすでに晋兵にぶつかっており、牟穆と林深の二将は王彌を挟んで討ち取ろうと図る。王彌の弟の
歩兵を率いる汲桑が大斧を手に晋兵に向かい、
▼「伍丁力士」は道教神話中における神将を指す。
牟穆と林深はそれを見て逃げ出し、ついに黄崗の軍営を堅く守って一歩も出なくなった。
王彌と
「晋将たちの勢はすでに窮している。大軍で攻め寄せればますます堅く守るだけであろう。それでは戦が長引き、この辺りの百姓の暮らしも立ち行くまい。廖翀を遣わして説諭させるのがよかろう。投降するならば刃を血塗るにも及ばぬ」
石勒はその言を
「お二人は劉演の命によって此処に来られたのでしょう。しかし、軍勢を進めて枋頭を奪回できず、黄崗も吾が軍勢に囲まれては風前の灯火、いずれにせよ罪は免れますまい。吾が漢主は恩威ともに備わり、向かうところに敵はありません。日ならずして黄河の南北はすべて大漢に帰しましょう。ともに漢を
廖翀が勧めると、ついに牟穆と林深は枋頭に到って石勒に降った。石勒が鄴城への
「鄴城は洛陽に近く、中原の重鎮です。城郭は堅固で軍勢糧秣ともに備わっており、にわかには攻め落とせません。また、
それを聞いた張賓が言う。
「言うとおり鄴は中原の要衝、晋朝も易々と譲りはしますまい。また、劉琨は
▼「牢城」は『後傳』『通俗』ともに「
▼「趙の旧都」というが、戦国時代の趙の国都は建国から滅亡まで
「劉曜は勇敢であっても粗暴に過ぎる。吾が劣るとは思わぬが、注意するに越したことはなかろう。
石勒が言うと、張賓が声を低める。
「都督(石勒)は天涯孤独の身となっても
石勒はそれを聞くと張賓に謝し、渤海に向けて軍勢を発したことであった。
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