十七章 晋漢争覇:山天大畜
第二十二回 王彌と劉霊は壷関を取る
▼章名の「
※
漢主の
「軍勢を練って鋭気を養いつつ晋朝の自壊を待ち、間隙に乗じて兵を挙げれば前を阻むものはございません」
それを聞いた劉淵が謀臣を召して事を諮ると、諸葛宣于が進み出て言う。
「晋朝が従来とおり成都王に軍権を委ねて諸親王を糾合させれば、吾が大漢の軍勢といえども易々とは中原に侵攻できません。しかし、今や親王たちは互いに殺戮してその腹心を空虚にし、四肢を損なったような有様です。これは天が晋を滅ぼさんとしているのです。兵法では『天の与える物を取らなければ、かえって
劉淵はその言を納れ、旧に同じく
「この度の出兵にあたっては吾が先鋒の任にあたるべきであろう」
それを聞いた
「
劉曜が色をなして言う。
「お前はまた吾が勲功を奪うつもりか」
「吾が先鋒の任にあたれば敵を破って
石勒の言葉を聞いて劉曜はいよいよ怒る。
「吾が先鋒となっては敵を破れぬとでも言うつもりか。しばらく吾の働きを見ておれ。軍功の残りは譲ってやってもよいぞ」
石勒は哂って言う。
「すでに先鋒は定められている。お前はつまらぬことでまた争いを起こすつもりか」
二人の口論は止まず、
「今や大漢の軍勢は盛んです。出兵するにしても二路によって軍勢を進め、晋の全軍をもって吾が軍を阻めぬようにすべきかと愚考いたします。その上で王彌、劉霊の二先鋒に一万の軍勢を与えて不意を襲い、要衝の
▼「壷関」は山西の平陽と山東の鄴を結ぶ線上にある。西から東に流れる
その提案のとおり、南北二軍は以下の将官により構成されることとなった。
南路
主帥
次帥
後詰
副将
北路
主帥
次帥
後詰
副将
その後、南北の主帥と定められた劉霊と王彌を除く四人が殿上で籤を引いたところ、南路は劉曜が先鋒にあたって姜發が謀士を務めることとなった。当然、北路の先鋒は石勒、謀士は張賓が務める。
南北二路の軍勢が定められると、王彌と劉霊はそれぞれ趙固と范隆を副官として五千の軍勢とともに壷関に向けて軍を発した。
※
この時、壷関は
一連の争乱により鄴城が空虚となったことを知ると、甥の
壷関の留守を委ねられた劉演は、漢軍の侵攻を知ると麾下の諸将を集めて軍議を開き、その席で王曠が言う。
「水が来れば土で塞ぎ、兵が来れば兵で応じるのが常道です。敵の進路を迎え撃って境内に入れないのが上策でしょう」
「漢賊は遠路を進軍してくる以上は兵站に不安があり、利は速戦にある。吾らは河川や険要の地に拠ってその進軍を阻めばよいだけのこと、それだけで漢賊はこの壷関に到れまいよ」
姫澹は王曠の積極策に駁して持久を主張する。
「兵は戦が仕事です。漢賊が遠路を経ているならば疲弊するのは必定、吾らはこの壷関にあって鋭気を養っております。すなわち、形勢は逸を以って労を待つものであり、一戦してその鋭鋒を挫けば二度と壷関を正視できますまい。鋭気を養う時間を与えることこそ危険であり、一戦してその進軍を止めるべきです」
なおも王曠は言い募り、それを聞いた劉演が言う。
「将軍の言も一理ある。しかし、善く戦う者は善く守る者に勝てないと言う」
姫澹がそれに同じて言う。
「将軍の言が正鵠を射ておりましょう。兵法に『善く守る者に対すると、敵はどこから攻めてよいか分からなくなる』と申します。漢賊が此処に到ったとしても、吾らが持久を続けていれば、攻め手を欠いて退かざるを得なくなりましょう。その後退を待って追撃すれば、必ず勝ちを得られます。速戦に付き合う必要はありません」
ついに王曠が怒って言う。
「将軍のお言葉によれば、敵に攻められれば坐して攻め寄せるのを待つということになりましょう。これは大丈夫の行いではありますまい。国家の俸禄を食んでおきながら、危急の際に役に立たないのでは、官職を盗んだと言われて言い返せますまい。どうしてそのようなことが許されましょうや」
劉演はその怒りの激しさに折れて出戦することとした。
王曠は五千の軍勢を率いて前駆となり、姫澹は三千の後詰を率い、漢軍を防ぐべく濁漳水を渡る。劉演は二千の軍勢とともに壷関の留守を務めることとされた。
▼先に述べたとおり山西から鄴への進軍は「濁漳水」に沿って進むことになる。つまり、濁漳水は山西と山東の間を隔てているわけではなく、山西から山東に流れ込んでいる。よって、壷関の諸将が濁漳水を挟んで山西から進み来る漢兵を防ぐことは考え難い。地形により、それまで西岸を進んでいた漢兵が壷関がある東岸に渡らねばならない地点があるとすれば、その限りにおいて濁漳水を挟んでの対峙が成り立つ。ここではそのように解して改めない。
※
鄴城にある劉琨にも漢軍侵攻の報が飛び、自ら敵にあたるべく壷関に引き返した。関に入って出戦を挑んだと聞き、自ら
漢の間諜は晋軍の動向を探ると先鋒の軍勢に報せて言う。
「晋兵は河を渡って進み、進軍経路の上に布陣しております」
それを聞いた劉霊は哂って言う。
「主上の福徳というものであろう。河の対岸に布陣して渡河を阻まれては面倒であったが、河を渡ってくれるとはな。晋将は戦を知らず、自ら敗北したのだ」
王彌が応じて言う。
「
「この策があたれば壷関は陥れたも同然となろうな」
劉霊はそう言って同じると、軍勢を率いて埋伏する。
王彌は三千の軍勢を率いて殊更に目立つよう大道を進み、前方に晋軍が姿を現すと陣を左右に展開した。それを見た王曠は、漢軍の陣が薄いと見て冷笑を浮かべる。
王彌が陣頭に発って叫んだ。
「今や晋の命数は衰え、司馬氏は相争って尽きんとしておる。庫蔵はすでに虚しく将兵は徒に損なわれた。早く弱を棄てて強に就き、吾らに降って富貴を保つならば、時勢に通じていると言えよう。自ら苦しんで生命を落とすにも及ぶまい」
王曠が罵って言う。
「流浪の賊徒、
王彌が怒って馬を
戦うこと三十合を過ぎた頃には王彌が双鞭を防ぎながら退く態となり、王曠は嵩に懸かって攻め立てる。王彌がついに馬頭を返して逃げ奔ると、王曠は勇みたって跟を追う。そこで再び馬頭を返して戦うこと三十合、またも馬を拍って逃げ出した。
勝勢を駆って深追いする王曠を見て、姫澹は王曠を呼び返すべく馬を駆って跟につづく。王彌が顧みれば二将はすでに深く伏処に入っている。号砲を鳴らすと劉霊たちの伏兵が一斉に発し、
王曠と姫澹の二将は計略に陥ったと知って馬頭を返し、包囲を衝いて逃れんと図る。
先に逃れていた王彌も兵を率いて駆け戻り、包囲の輪に厚みが増してにわかに逃れようもない。二将がふたたび包囲を衝かんと備えるところ、天神の如く勢いで劉霊が長矛を手に攻め寄せる。姫澹が前に出て劉霊を阻むところ、背後から攻め寄せる王彌には王曠があたる。
王曠の兵士は王彌の軍勢に蹴散らされ、融けるように逃げ去っていく。
姫澹は包囲に路を拓くと、戦を棄てて王曠とともに逃げ去った。王彌と劉霊は追い討ちに討ってその跟につづく。河畔に到れば趙固の軍勢が前を阻み、王曠と姫澹はそれを支えつつ軍士に渡河の用意を命じる。
軍士が悲鳴のように叫ぶ。
「船はすでに漢賊どもが奪い去ったようです」
河を渡る術がないと知った王曠は、己を怨んでいるやも知れぬ姫澹を棄て、包囲の間隙を突いて
▼「長平」は屯留と長子の間で濁漳水に南から流れ込む
※
翌日、王彌と劉霊は軍勢とともに河を渡って壷関に攻め寄せた。
「王曠と姫澹はすでに討ち死にした。城内の将兵はすみやかに投降して殺戮を免れよ」
城外からの呼びかけを聞いた劉琨は愕き、劉演に命じて言う。
「攻め寄せた漢賊どもは二将を討ち取って首級を挙げたという。二将が戻らず漢賊が攻め寄せた以上、討ち取られてはいまいが、軍勢が破れて落ち延びたのは確かであろう。吾は五百の兵とともに并州に逃れて後挙を図る。お前は一千五百の軍勢とともに鄴城に入れ。漢賊の
劉演はその命を受けて鄴に向かい、劉琨は夜陰に乗じて并州に落ち延びていった。
王彌と劉霊は放棄された壷関に入り、平陽に人を遣って捷報を告げる。数日のうちには劉聰が率いる大軍が壷関に到着した。河に浮橋を架けて軍勢を導き、劉聰は壷関に入って戦勝を慶賀する。
祝宴の席で劉聰が劉曜に言う。
「昨日、国師(諸葛宣于)の令を受けた。永明(劉曜、永明は字)を南路の先鋒に任じて十五万の軍勢を委ねる。諸将と
それを聞いた劉曜が応諾する。ついで、石勒に言う。
「
▼南路北路ともに地理的な誤りがあるが、詳細は後段に譲る。
石勒も任を受けると宴席はお開きとなり、それぞれ出発の準備にかかる。
翌日、出発する諸将は劉聰の軍営で出発を報告する。
「軍勢を二路に分けるとはいえ、その実は一体でなければならぬ。強敵に遭って劣勢となれば、必ず吾に報告せよ。軍勢とともに救援に向かうであろう。吾より檄文が到れば即応せよ。恢復の志を忘れず、協力すれば必ずや大業を建てられよう」
劉聰がそう言うと、諸将は
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