このエピソードを読む
2018年2月15日 22:39 編集済
『續三國志演義』で史実を先取りした斉王・司馬冏のかけた司馬騰・王浚による成都王・司馬穎攻撃のフラグが折られず終いで、ついに実現してしまいました。東瀛公・司馬騰は史実では東海王・司馬越の弟なのですが、三国志後伝では司馬越は司馬炎の子なので、兄弟ではないのでしょうか。八王と十六傑以外の西晋側で読者が憶えている可能性が高いであろう石超と牽秀もここで退場ですね。祁弘と友軍として助け合い、ともに馬を並べて漢将と一騎打ちに挑んだこともあったのに、その祁弘に討ち取られるとは。声もかけずに石超を囲んで無情に討ち取るところなど、祁弘も戦闘マシーンのような雰囲気ありますな。羊献容と司馬覃は司馬越により復位していましたが、恵帝は司馬穎に囚われ、洛陽は張方に占領されて、また、廃位されております。史実では少し前後の関係が違いますが、それをリストでは反映しています。なお、三国志との関係では、石超は石苞の孫、牽秀は牽招の孫です。三国志後伝を見る限り、武勇だけは先祖勝りのようですね。(帝室) 恵帝:司馬衷 皇后:羊献容→空位 太子:司馬覃→空位 執政:司馬越→司馬穎・司馬顒 (八王) 成都王・司馬穎 河間王・司馬顒 東海王・司馬越 汝南王・司馬亮(死亡) 楚 王・司馬瑋(死亡) 淮南王・司馬允(死亡)※八王にいれる説あり 趙 王・司馬倫(死亡) 梁 王・司馬肜(死亡)※八王にいれる説あり 斉 王・司馬冏(死亡) 長沙王・司馬乂(死亡) (親王公) 瑯琊王・司馬睿 南陽王・司馬模 呉 王・司馬晏 范陽王・司馬虓 東瀛公・司馬騰 予章郡王・司馬熾 東平王・司馬楙 清河王・司馬覃 新野王・司馬歆(死亡) 東安王・司馬繇(死亡)追伸>孫氏は異民族と絡んだイメージが薄いです。孫呉は山越が有名ですね。川本芳明先生の「中国の歴史 中華の崩壊と拡大」でも少しページが割かれています。
作者からの返信
こんにちは。結局、章名は六十四卦のうち最悪のものにしてみました。さて、誰が生き残りますか(すっとぼけ)。〉斉王・司馬冏のかけた司馬騰・王浚による成都王・司馬穎攻撃のフラグ第六十五回 成都王司馬穎は職を辞して鄴城に還るにありますね。忘れてましたよ。。。〉司馬騰司馬越との絡みが全然出ないですね。悪巧んだ描写もないし、兄弟じゃない設定なんですかね。ナゾ。〉石超と牽秀成都王を支えた代表的な驍将です。張方と祁弘の次に目立っていたんじゃないでしょうか。〉祁弘生臭い張方のが人間味あります。こちらの方はキラーマシーン的というか、キャラ立ってないというか、戦以外のことをしないというか。バケモノちっく。〉司馬覃皇太弟も司馬熾だったり司馬穎だったり、時々により一定しません。基本的にどうでもいい話ではありますが、マジメに読むと混乱必至です。〉牽招ほう。。。田豫、満寵と同じハコですね。袁紹→曹操ルートで東北の異民族対策に捧げた一生と言っても良さそう、演義に出ないのも仕方ないかあ。名臣に近い扱いですね。勿体ない勿体ない。曹操と袁紹の争いは、烏桓や鮮卑が絡んでくるんですよね。馬超にもれなく羌族が絡んでくるのと同じではありますが。蜀漢は羌族や板循が絡んでくるけど、孫氏は異民族と絡んだイメージが薄いです。ははそさんの広州モノがそれに近いのかなあ。。。※〉山越北方版では致死軍になってましたか。呉は江南の開拓にあたったわけですから、先住民との戦いはありますね。忘れてました。
編集済
『續三國志演義』で史実を先取りした斉王・司馬冏のかけた司馬騰・王浚による成都王・司馬穎攻撃のフラグが折られず終いで、ついに実現してしまいました。
東瀛公・司馬騰は史実では東海王・司馬越の弟なのですが、三国志後伝では司馬越は司馬炎の子なので、兄弟ではないのでしょうか。
八王と十六傑以外の西晋側で読者が憶えている可能性が高いであろう石超と牽秀もここで退場ですね。祁弘と友軍として助け合い、ともに馬を並べて漢将と一騎打ちに挑んだこともあったのに、その祁弘に討ち取られるとは。声もかけずに石超を囲んで無情に討ち取るところなど、祁弘も戦闘マシーンのような雰囲気ありますな。
羊献容と司馬覃は司馬越により復位していましたが、恵帝は司馬穎に囚われ、洛陽は張方に占領されて、また、廃位されております。史実では少し前後の関係が違いますが、それをリストでは反映しています。
なお、三国志との関係では、石超は石苞の孫、牽秀は牽招の孫です。三国志後伝を見る限り、武勇だけは先祖勝りのようですね。
(帝室)
恵帝:司馬衷
皇后:羊献容→空位
太子:司馬覃→空位
執政:司馬越→司馬穎・司馬顒
(八王)
成都王・司馬穎
河間王・司馬顒
東海王・司馬越
汝南王・司馬亮(死亡)
楚 王・司馬瑋(死亡)
淮南王・司馬允(死亡)※八王にいれる説あり
趙 王・司馬倫(死亡)
梁 王・司馬肜(死亡)※八王にいれる説あり
斉 王・司馬冏(死亡)
長沙王・司馬乂(死亡)
(親王公)
瑯琊王・司馬睿
南陽王・司馬模
呉 王・司馬晏
范陽王・司馬虓
東瀛公・司馬騰
予章郡王・司馬熾
東平王・司馬楙
清河王・司馬覃
新野王・司馬歆(死亡)
東安王・司馬繇(死亡)
追伸
>孫氏は異民族と絡んだイメージが薄いです。
孫呉は山越が有名ですね。川本芳明先生の「中国の歴史 中華の崩壊と拡大」でも少しページが割かれています。
作者からの返信
こんにちは。
結局、章名は六十四卦のうち最悪のものにしてみました。さて、誰が生き残りますか(すっとぼけ)。
〉斉王・司馬冏のかけた司馬騰・王浚による成都王・司馬穎攻撃のフラグ
第六十五回 成都王司馬穎は職を辞して鄴城に還るにありますね。忘れてましたよ。。。
〉司馬騰
司馬越との絡みが全然出ないですね。悪巧んだ描写もないし、兄弟じゃない設定なんですかね。ナゾ。
〉石超と牽秀
成都王を支えた代表的な驍将です。張方と祁弘の次に目立っていたんじゃないでしょうか。
〉祁弘
生臭い張方のが人間味あります。こちらの方はキラーマシーン的というか、キャラ立ってないというか、戦以外のことをしないというか。バケモノちっく。
〉司馬覃
皇太弟も司馬熾だったり司馬穎だったり、時々により一定しません。基本的にどうでもいい話ではありますが、マジメに読むと混乱必至です。
〉牽招
ほう。。。田豫、満寵と同じハコですね。袁紹→曹操ルートで東北の異民族対策に捧げた一生と言っても良さそう、演義に出ないのも仕方ないかあ。名臣に近い扱いですね。勿体ない勿体ない。
曹操と袁紹の争いは、烏桓や鮮卑が絡んでくるんですよね。馬超にもれなく羌族が絡んでくるのと同じではありますが。蜀漢は羌族や板循が絡んでくるけど、孫氏は異民族と絡んだイメージが薄いです。
ははそさんの広州モノがそれに近いのかなあ。。。
※
〉山越
北方版では致死軍になってましたか。呉は江南の開拓にあたったわけですから、先住民との戦いはありますね。忘れてました。