第十九回 石超は大いに東海王司馬越を破る

 晋帝しんていは親征の軍勢を安陽あんように留めて勅使をぎょうに遣わした後、成都王せいとおう黎陽れいように軍勢を出したとの報告を受けた。

 東海王とうかいおうが軍議を開いて方策を講じるところ、陳珍ちんちんが進み出て言う。

「ご懸念には及びません。成都王に仕える陳昭ちんしょう陳眕ちんしんは吾が兄弟、書状を遣ってこちらに召し寄せましょう。さすれば、成都王の軍勢の虚実が明らかになり、必ずや敵を破れましょう」

 東海王はその献策を悦んで言う。

「陳昭と陳眕が孤に降るとあれば、この戦で第一の勲功と認められよう」

 陳珍は書状を認めると密かに人を遣わし、陳昭と陳眕に届けさせる。二人はその書を見ると、夜陰に乗じて成都王の陣を脱け出し、東海王の軍勢に降った。陳珍が二人の兄弟とともに晋帝と東海王に謁見すると、東海王は成都王の軍勢の虚実強弱を問うた。

 陳昭がそれに答えて言う。

「成都王麾下の部将では石超せきちょう牽秀けんしゅうのみが主戦論を唱え、余人は聖上せいじょうとの戦を願わず、さらに東安王とうあんおう瑯琊王ろうやおうの二万の軍勢を奪い取るなど、道に外れた行いを繰り返しております。その軍勢は緒戦だけはやむを得ず必死に抵抗しましょう。しかし、そこで敗れれば軍勢は一挙に瓦解して鄴を陥れるのも難しくはございません」

 それを聞いた東海王が悦んで言う。

「二将軍がこちらにつけば、成都王麾下の部将は残り少ない。孤の軍勢で成都王を制せよう」

 その後は宴席を開いて麾下の諸将を労い、翌日には軍勢を進めることと決する。宴席で諸将は痛飲し、死を冒して成都王の軍勢を破ることを誓い合った。


 ※


 黎陽の成都王は軍勢を整えて東海王との戦に備えていたところ、右軍の王斌おうひんと後軍の牽秀けんしゅうが駆けつけて報せる。

「昨夜の三更(午前十二時)頃の軍議の後、陳昭と陳眕が軍勢を発して行方知れずとなったとのことです」

 成都王は机を叩いて叫ぶ。

「何という不義か。二将は孤が劣勢と観て叛き、必ずや陳珍の許に向かって東海王に降ったに相違ない。軍勢の虚実が筒抜けになったぞ」

 その表情は土気色になり、心神ともに呆然とした様子であった。

 崔曠さいこうが傍らより言う。

「憂慮されるまでもありません。二将を得た東海王は吾が軍の虚実を得たと悦び、必ずや宴会を開いておりましょう。おそらく、手に唾して吾らを破れると思い込み、その心は驕っているはずです。そこに計略を仕掛けるのです。諸将を軍営に帰さず、黄昏時に六万の軍勢を三路に分けて発し、一更(午後八時)に安陽の敵陣を襲うのです。敵は吾らが出戦してくるとは夢にも思っておらず、その不意を突けましょう。必ずや大勝を収め、諸将が奮励すれば、郭勱かくばん和演わえん董洪とうこう郭嵩かくすうの仇にも報いられます」

 石超と趙譲ちょうじょうが賛同して言う。

「妙計だ。吾らが命を捨てて敵陣を陥れよう。ともに安陽に向かう者は名乗り出よ」

 王彦おうげんがそれを止めた。

「弱兵で強兵を拒み、寡兵で多勢を防ぐには、心を一にせねばならぬ。大王と長史ちょうし、それに一万の軍勢を此処に留め、それ以外の全軍は安陽に向かうべきであろう。興廃はすべてこの一戦に懸かる。全員が命を捨てて東海王の不義に報いるのだ」

 その声に応じて諸将が叫ぶ。

「漢賊を征討して洛陽を包囲した吾が軍勢の威名を知らぬ者はあるまい。今日になって人後に落ちることを看過できようか」

 成都王は諸将の鋭気を悦び、自ら酒盃を執って酒を振舞った。


 ※


 黄昏時になると、諸将は夜陰に紛れて軍勢を発し、ばいを含んで安陽に向かう。その頃、東海王とその麾下の諸将は、昼から歓飲して備えもなく寝こけていた。

 公師藩こうしはん和淳わじゅんをはじめとする八人の部将は六万の軍勢を四路に分かつと、一斉にときの声を挙げて東海王の軍営に斬り込んでいく。東海王の将兵は飛び起きたものの、身に甲冑を帯びず馬に鞍を乗せておらず、にわかに敵には向かえない。

 石超、牽秀、王彦、李毅りきの四将はその隙に軍営の中を駆け回る。東海王に従う諸将は深酔いして戦えず、逮苞たいほう成輔せいほ陳昭ちんしょう陳珍ちんちんがついに討ち取られた。

 東海王はこれに愕いて晋帝をも顧みず、馮嵩ふうすうとともに逃げ出した。上官己じょうかんき王瑚おうこの軍勢が駆けつけるも、二人とも酒に酔っており、石超など四将の必死の勢いを支えきれない。

 王斌、公師藩、和淳、龔茂きょうぼの四将は晋帝がいます軍営に攻め込み、迎え撃つ何倫、宋冑そうちゅう劉佑りゅうよう劉洽りゅうこうと混戦に入る。そこに趙譲が駆けつけて横ざまに何倫の左腿を鎗で突き、傷を受けた何倫は馬頭を返して逃げ去った。

 これを見た宋冑と劉佑の軍勢も崩れ、ついに潰走をはじめる。成都王の軍勢は勝勢に乗じて追い討ちに討ち、矢を雨のように射かけた。

 劉洽が晋帝を鑾輿らんよに乗せて退こうとしたところ、飛来した矢が晋帝の頬をかすめた。頬より血が流れて首に及ぶ。劉洽も両手に矢を受けて如何ともし難く、ついに馬を拍って逃げ奔った。

 侍中じちゅう嵇紹けいしょうは身をもって晋帝をかばい、叫んで言う。

聖駕せいがを傷つけて罪を得るな」

 成都王の兵士はそれを聞いて言う。

「聖上は九重の宮城の内にあって奸賊とともにあるはずもない。自ら軍勢を率いているのは東海王であろう」

 ついに鑾輿に迫って嵇紹を捕らえようとし、それを見た晋帝が言う。

ちんは天子である。退け」

 その言葉に従う者はなく、ついに嵇紹は連行されていった。

「その者は忠臣義士である。みだりに害を加えてはならぬ」

 晋帝の言葉に兵士が言う。

「皇太弟のご命令により、吾らは聖上を侵すことはございません。しかし、東海王の一党はすべて敵、許されることはありません」

 ついに鑾輿の前で嵇紹は斬られ、その血が飛んで晋帝の衣にかかる。晋帝は愕いて転げ落ちると這いつくばって逃げだした。

 そこに石超が駆けつけ、鑾輿に残された玉璽ぎょくじを見て兵士に問う。

聖上せいじょうは何処におられるか」

「先ほど車より転げ落ちると這って逃げ出しました。この先にいるはずです」

 石超は晋帝を扶けて鑾輿に乗せると、軍営に引き返した。それより再び戦場に戻って東海王の軍勢を蹴散らし、もともと石超に従っていた洛陽の禁兵たちはことごとく降った。

 軍営にある晋帝の許に戻ると、すでに辰の刻(午前八時)になろうとしている。晋帝が餓え渇いて食を求めると、護衛の兵士が言う。

「肉が入った粥を食えばよかろう」

▼「肉が入った粥」を「肉糜にくび」という。『晋書』恵帝本紀には「天下の荒亂するに及び、百姓は餓死す。帝は曰わく『何ぞ肉糜を食わざらんや』と。其の蒙蔽は皆な此の類なり」と司馬衷しばちゅうの暗愚を伝える記事があり、この兵士はそれを皮肉っている。

 石超はそれを聞くと一杯の水と一碗の飯を進めた。

 午の刻(正午)になっても諸将は東海王の軍勢を追って還らず、軍営には食物がない。飢えを憐れんだ兵士が桜桃おうとうを献じ、それを食べた晋帝は美味に嘆声を挙げた。しかし、顧みればそれを聞く者は誰もいない。

 嵇紹の忠義を思い出した晋帝は、覚えず涙を流したことであった。

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