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2018年2月14日 23:35 編集済
何回も死んでいた郭勱がやっと、ここで正式に死にましたね(笑)今回、成都王・司馬穎は盧志の献策どおり鄴に戻りましたが、結局、無駄でしたな。これは、斉王・司馬冏が用いれなかった王豹の策と同じで、政府が安定しなければ、どうにもならないということです。司馬冏が影響力を持とうとしたら必ずこうなったでしょう。長沙王・司馬乂を私が擁護したのは、こういう理由ですね。東海王・司馬越の立場としては、司馬穎が皇太弟であるため、恵帝が死ぬ前に仕掛ける必要があるわけで、屈服させられた洛陽の親軍や司馬乂配下の怨みが司馬穎に集まっている間に決起したところでしょうか。司馬乂配下としては司馬越は裏切り者ですが、厭戦気分で共犯になってしまったものも多いわけで、その点をうまく突いた形でしょうか。なお、三国志後伝は私の勘違いで皇太弟になっていないので、前回のリストもあわせて修正しておきます。また、『續三國志演義』45回に出ていた東安王・司馬繇も死んだため、リストで✕にしています。文鴦を楊駿討伐の際に、讒言して、族滅に導いた彼ですが、立派な人物のようにここでは描かれています。人間とは複雑なものですな。(帝室)恵帝:司馬衷皇后:空位→羊献容太子:空位→司馬覃執政:司馬穎・司馬顒・司馬越→司馬越(八王)成都王・司馬穎河間王・司馬顒東海王・司馬越汝南王・司馬亮(死亡)楚 王・司馬瑋(死亡)淮南王・司馬允(死亡)※八王にいれる説あり趙 王・司馬倫(死亡)梁 王・司馬肜(死亡)※八王にいれる説あり斉 王・司馬冏(死亡)長沙王・司馬乂(死亡)(親王公)瑯琊王・司馬睿南陽王・司馬模呉 王・司馬晏范陽王・司馬虓東瀛公・司馬騰✕ 東安王・司馬繇✕ 新野王・司馬歆予章郡王・司馬熾東平王・司馬楙清河王・司馬覃→太子へ
作者からの返信
こんにちは。> 郭勱まだ死んだままなんで、いずれ直さないといけませんね。> 成都王・司馬穎は盧志の献策どおり鄴に戻りましたが、結局、無駄でしたな。司馬穎が安閑としておれたのは、司馬乂が中央を安定させていたから、という理解ですね。司馬越のような腹に一物がある人ではいかんわけです。> 司馬乂配下の怨みが司馬穎に集まっている司馬越が流言を流せば簡単に信じる人も多かったでしょう。死に方が死に方でしたからねえ。。。後段にも出ますが、 司馬乂の部将で司馬越に与した人が多く現れます。> 東安王・司馬繇「美鬚髯,性剛毅,有威望,博學多才,事親孝,居喪盡禮」ということで、無能な人ではなかったようですね。「亮惑其說,遂免繇官,以公就第,坐有悖言,廢徙帶方」と派手に飛ばされたこともあり、なかなかの苦労人です。しかし、帶方って。。。「惠帝之討成都王穎,時繇遭母喪在鄴,勸穎解兵而降。及王師敗績,穎怨繇,乃害之」を見ると、逆恨みで殺された感がハンパないです。そういう面では、この描写もあながち誤りではないかもですね。> 文鴦文俶=文鴦なんですね。段部かと思いました。「東夷校尉文俶父欽為繇外祖諸葛誕所殺,繇慮俶為舅家之患,是日亦以非罪誅俶」ということで、司馬繇の母方は諸葛誕の血筋なのですね。動機は分からなくないです。しかし、司馬氏と諸葛氏も複雑な関係ですね。
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何回も死んでいた郭勱がやっと、ここで正式に死にましたね(笑)
今回、成都王・司馬穎は盧志の献策どおり鄴に戻りましたが、結局、無駄でしたな。これは、斉王・司馬冏が用いれなかった王豹の策と同じで、政府が安定しなければ、どうにもならないということです。司馬冏が影響力を持とうとしたら必ずこうなったでしょう。長沙王・司馬乂を私が擁護したのは、こういう理由ですね。
東海王・司馬越の立場としては、司馬穎が皇太弟であるため、恵帝が死ぬ前に仕掛ける必要があるわけで、屈服させられた洛陽の親軍や司馬乂配下の怨みが司馬穎に集まっている間に決起したところでしょうか。司馬乂配下としては司馬越は裏切り者ですが、厭戦気分で共犯になってしまったものも多いわけで、その点をうまく突いた形でしょうか。
なお、三国志後伝は私の勘違いで皇太弟になっていないので、前回のリストもあわせて修正しておきます。
また、『續三國志演義』45回に出ていた東安王・司馬繇も死んだため、リストで✕にしています。文鴦を楊駿討伐の際に、讒言して、族滅に導いた彼ですが、立派な人物のようにここでは描かれています。人間とは複雑なものですな。
(帝室)
恵帝:司馬衷
皇后:空位→羊献容
太子:空位→司馬覃
執政:司馬穎・司馬顒・司馬越→司馬越
(八王)
成都王・司馬穎
河間王・司馬顒
東海王・司馬越
汝南王・司馬亮(死亡)
楚 王・司馬瑋(死亡)
淮南王・司馬允(死亡)※八王にいれる説あり
趙 王・司馬倫(死亡)
梁 王・司馬肜(死亡)※八王にいれる説あり
斉 王・司馬冏(死亡)
長沙王・司馬乂(死亡)
(親王公)
瑯琊王・司馬睿
南陽王・司馬模
呉 王・司馬晏
范陽王・司馬虓
東瀛公・司馬騰
✕ 東安王・司馬繇
✕ 新野王・司馬歆
予章郡王・司馬熾
東平王・司馬楙
清河王・司馬覃→太子へ
作者からの返信
こんにちは。
> 郭勱
まだ死んだままなんで、いずれ直さないといけませんね。
> 成都王・司馬穎は盧志の献策どおり鄴に戻りましたが、結局、無駄でしたな。
司馬穎が安閑としておれたのは、司馬乂が中央を安定させていたから、という理解ですね。司馬越のような腹に一物がある人ではいかんわけです。
> 司馬乂配下の怨みが司馬穎に集まっている
司馬越が流言を流せば簡単に信じる人も多かったでしょう。死に方が死に方でしたからねえ。。。後段にも出ますが、 司馬乂の部将で司馬越に与した人が多く現れます。
> 東安王・司馬繇
「美鬚髯,性剛毅,有威望,博學多才,事親孝,居喪盡禮」ということで、無能な人ではなかったようですね。「亮惑其說,遂免繇官,以公就第,坐有悖言,廢徙帶方」と派手に飛ばされたこともあり、なかなかの苦労人です。しかし、帶方って。。。「惠帝之討成都王穎,時繇遭母喪在鄴,勸穎解兵而降。及王師敗績,穎怨繇,乃害之」を見ると、逆恨みで殺された感がハンパないです。そういう面では、この描写もあながち誤りではないかもですね。
> 文鴦
文俶=文鴦なんですね。段部かと思いました。
「東夷校尉文俶父欽為繇外祖諸葛誕所殺,繇慮俶為舅家之患,是日亦以非罪誅俶」ということで、司馬繇の母方は諸葛誕の血筋なのですね。動機は分からなくないです。しかし、司馬氏と諸葛氏も複雑な関係ですね。