第十六回 長沙王司馬乂は苦しみて和親を請う

 河間王かかんおう司馬顒しばぎょう雍州ようしゅうの軍勢が長安ちょうあんを攻めたため、張方ちょうほうを呼び返してついに劉沈りゅうちんの軍勢を退けた。

 四州の軍勢は一戦に破れ、新平しんへい雍州ようしゅうは平らげられて関中かんちゅうは河間王に従うこととなった。張方は呂朗りょろう刁默ちょうもくを加えた軍勢とともに洛陽らくように取って返し、長沙王ちょうさの包囲に戻るべく昼夜を問わず軍勢を進めた。

 張方が長安に去った後、長沙王は幾度か城を出て戦を挑んだものの、林成りんせい馬瞻ばせん成都王せいとおうの軍勢を助けて敗戦を重ねるばかり、鉄桶のような包囲はいささかの緩みも見せない。そこに張方の軍勢が戻っては、官軍の士気が高かろうが手の打ちようはない。

 一方、河間王と成都王の将兵たちも臣が君を冒す事態に不審を感じており、さらに城内には朝廷があることから、死力を尽くして城を攻めるには至らない。

 そのため、八月から始まった洛陽の包囲は十月に入ってもつづけられ、事態は膠着してただ城を囲んでいるだけとなった。


 ※


 洛陽城内の将兵は飢えに苦しんで牛馬も殺して喰い尽し、すでに食糧は払底している。包囲のために城外に食糧を求められない。

 家屋をこぼって煮炊きし、餓死する者が連なって枕を並べ、その股肱ここうの肉さえ誰かが盗んで喰らう有様、哀号が日夜止むことがない。これまでの戦で官兵は三万人を失い、河間王と成都王の軍勢は前後の戦で七万人以上が失われた。

 洛陽の困窮が極まって城外の軍勢も疲弊していると知った晋帝しんていは、中書令ちゅうしょれい王衍おうえん光祿勲こうろくくん石陋せきろうに事を諮って言う。

「成都王、長沙王はともに武帝ぶていの子にしてちんの兄弟、連枝の手足とも言うべき間柄である。両卿は詔を奉じて城外に向かい、司馬穎しばえい(成都王)を諭して軍勢を退けさせよ。弘農郡こうのうぐんを境として国を分け、それぞれで治めるよう伝えよ。とにかく、骨肉の争いを免れねばならぬ」

▼「弘農郡」は洛陽から長安に向かう途上、潼関に到る手前にある。実質的には函谷関を指すと考えればよい。この言は、成都王が函谷関より東を、河間王が函谷関より西を分けて統治することを提案するものと解される。

 王衍と石陋は勅命を奉じて成都王の軍営に向かい、勅命を宣したものの、成都王は従わない。それを知った長沙王は書状を認めると成都王に送り遣る。その書状は次のようなものであった。


 先帝は天運に応じ機略をめぐらして四海を統一されました。それより刻苦こっく勉励べんれいして帝業を成し遂げ、吾ら子孫に国を伝えられました。

 先に孫秀そんしゅうが朝廷を乱して天位をうばい、弟(司馬穎)らは義旗を挙げて聖上せいじょうを位におかえし申し上げました。ついで、齊王せいおうが功を恃んでほしいままに非行を行い、上は天下を治める能を欠き、下は朝廷を輔弼ほひつする勲を欠き、ついに骨肉の親と離間して天人ともに憤るに至りました。しかし、それもすでに討ち平らげられております。

 吾と弟を含む十人は同じく皇室の至親にして外郡に封じられているにも関わらず、王教を広く布くことも、四夷を慰撫することもできず、巴蜀はしょくの地は李雄りゆうに奪われて劉淵りゅうえん平陽へいようから虎視こし眈々たんたんと周囲を窺い、北は冀北きほくを犯して南は河東かとうを狙っております。

 弟が鄴都に鎮守して太尉たいい(司馬顒)は関中に拠るがゆえ、李雄は蜀から西の荊州けいしゅうを侵さず、劉淵は敢えて南の河東に兵を出しません。このため、朝廷は二王を国家の藩屏はんぺいとして重鎮を委ね、朝政を劣兄れつけい(書を認めた長沙王の自称)に委ねられました。

 吾は受任するより日々政事を思って小心しょうしん翼翼よくよく、わずかでも職を怠らぬように勤めて参りました。才力の及ばない軍国の大事があれば、すべて王弟(成都王)に事を諮って可否を議し、その後に行っています。

 これは、劣兄の心が向日葵ひまわりが常に太陽を向くのに同じく王弟を向いているがためのこと、天地神明いずれも明かに知るところです。

 試みに往事を思い返し、劣兄に責めるべき罪があるとすれば、すぐに斧鉞ふえつちゅうに就いて余人に吾が罪を噂されぬように願います。

 ただ、二王(司馬穎と司馬顒)の勤皇の功を顕彰しておらぬことは、不才な劣兄の手落ちでありました。それゆえに二王が大軍を催して洛陽を囲み、六十余日の間に十万人を超える死傷者を出したこと、国恩の慈しみを示すものではなく、慙愧ざんきの念に堪えません。

 今、書状をもって王弟に勧めるに、鎮所に還って家国を安んじ、宗族を辱めるところがなければ、子孫の福というものです。たとえ軍勢を返さないとしても、骨肉分裂の痛みを思って宗族を善処し、徒に手足を損なって至親を傷つけ、後人に哂われぬようにされよ。弟におかれてもこれをよくよくお考え頂きたい。

 

 成都王はその書状を読むと深く思い悩み、麾下の諸将に長沙王の書状を示した。衆人も一読すると成都王に勧めて言う。

「大王が兵を挙げるよりすでに二ヶ月余りが過ぎております。城内は困窮を極めて餓死する者が枕を並べておりますが、それでも内より変事が起こらぬのは、長沙王が忠義の心をもって聖上を輔弼し、つべき罪が見当たらぬからです。それゆえに、軍民は心を一にしているのでしょう。すでに両王が忠佞を分かたず、いたずらに大軍を起こして無辜むこの命を損なったと世人は噂しております。大王はまだご存知ないでしょうか」

「その罪は孤とて免れぬ。諸将はしばらく退いておれ。熟慮の上で明日ふたたび議論することとする」

 成都王はそう言って幕舎に退き、その日の軍議はそれまでとなったことであった。

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