応援コメント

第十一回 成都王司馬穎と河間王司馬顒の軍勢は洛陽に入る」への応援コメント

  • この時の七里澗の戦いは洛陽の恵帝・長沙王側と成都王・河間王側の戦力差は圧倒的に後者有利で、これは意外な結果だったようです。

    勝因は司馬乂の軍事能力や人望か、趙王の時は戦わずして降った諸葛亮の八陣などを研究して訓練されていた洛陽の禁軍が強かったのか、成都王側に大軍の奢りと指揮官である陸機が呉人であるために従わず連繋がとれていなかったのか。関中の軍勢はよく精強と言われますが、こういう騎兵中心の兵力は決死の覚悟を決めた軍には弱い感じがしますな。

    ところで、馬隆の息子の馬咸ですが、史実でもこの戦いで戦死しますが、実は成都王側だったようです。馬隆に対するイメージを壊さないための配慮でしょうね。史実での司馬乂の評価はさらに上がりますけど。

    ただ、この戦いでも司馬乂の配下である祖逖の存在が薄いのは残念です。張方か成都王側相手にその配下の将とともに大暴れさせて、後々の伏線にした方が良かったとは思うのですが。

    新たに三国志後伝に即した西晋の重臣たちのリストを作成しました。(名称は「魁!男塾」のパロディです)馬隆はすでに死んでいますので、リストでは✕をいれています。

    西晋十六傑(十四路諸侯+二)

    征西大元帥・陸機
    荊州刺史・劉弘
    西涼刺史・張軌
    幽州惣官・王浚
    揚州刺史・陳敏
    幷州刺史・劉琨
    廣州刺史・陶侃
    青州刺史・苟晞
    豫州刺史・劉喬
    樂陵太守・邵續
    滎陽太守・李矩
    雍州刺史・劉沈
    順陽太守・張光
    ✕武威太守・馬隆
    南平太守・應詹
    南中郎将・祖逖

    作者からの返信

    こんにちは。
    来週いっぱいでネタ切れになりそうでヒーヒーなってます。

    〉七里澗の戦い

    やはり皇帝を擁する軍勢は強い、ということかも知れませんね。いわゆる官軍ですし。それにしても、洛陽の近傍で内戦とは、晋の混乱を象徴する戦でもありますね。


    〉勝因

    洛陽の付近は北の黄河と八関に閉ざされた地形になっており、かつ、その内は山もあって大小の河川が走り、騎兵ではなかなかに難しい地形が多い印象があります。東西魏がこの辺りでよく戦っていますが、奇襲や夜襲による決着ばかりだったような。
    あとは、人的な問題と大義名分による士気の優劣が大きかったと考えています。


    〉関中の軍勢はよく精強と言われます

    関中は歩兵が強いイメージがあります。実際には関中にも朝廷の馬牧がありましたから、馬はよかったはずですが、幽州や并州のように鉄騎や突騎のイメージはあまりないですね。ほかの二つに比して人口が多い地域ですから、数が限られる騎兵が意識されなかったのかも知れません。


    〉馬咸ですが、史実でもこの戦いで戦死しますが、実は成都王側だったようです。

    伝を読んで意外な印象でした。このあたりでは長沙王=善、成都王と河間王=悪という書き分けだったんでしょうね。馬隆は善役なので悪に従うわけにはいかない、と。


    〉祖逖

    劉琨とは友人関係でともに晋に尽くしたわけですが、本作では劉琨を重視した感があります。并州は争奪の地ですし、鮮卑段部とも関わりますから、仕方ないですね。
    後編になると東晋黎明期が描かれるわけですが、そこは王導が無双してしまい、河南に半独立勢力を築いた祖逖は残念ながらスポットライトから外れてしまった感じです。こんな変な人も少ないのに、惜しいですね。


    〉「魁!男塾」のパロディ

    梁山泊十六傑、懐かしいですね!
    ニヤリとしましたが、分かる人は限られますか。
    こうして見ると十四路諸侯の大半は本作にも登場するんですよね。そう考えると、前作の晋漢大戦は本作の布石としてよく効いています。
    なるほどなあ。。。