第十一回 成都王司馬穎と河間王司馬顒の軍勢は洛陽に入る

 成都王せいとおう河間王かかんおうの軍勢が三道より発して洛陽らくように向かっている。これを知った各地の駅より早馬が相継いで朝廷に到り、その様を告げ知らせた。

 晋帝しんていはそれを知って怒り、ついに自ら諸将を率いて軍勢を発する。皇甫商こうほしょう上官己じょうかんき宋淇そうき董拱とうきょう陳珍ちんちん成輔せいほらがそれに従い、さらに龍虎の如き羽林うりんの軍勢をはじめとする六軍がその護衛を務め、ぎょうより洛陽に向かった成都王の前駆を阻む。一方、長沙王ちょうさおう王瑚おうこ王矩おうく宋洪そうきょう馬咸ばかん劉佑りゅうゆう豐引ほういんらとともに八万の軍勢を率い、河間王の軍勢の到来に備えた。

 二軍が迎撃の準備を整える一方、東海王とうかいおう司馬越しばえつは洛陽の留守を命じられて守りを固める。

 晋帝自らの臨陣とあって日月の旗を左右になびかせ、六軍の戈矛かぼうが林のように並ぶ。陸機りくきが率いる軍勢が城外十三里(約7.3km)の地にあると報じられると、進軍の命あって官兵たちは足を速めた。

 陸機もそれを知ると、官軍の到来に備えるよう孟超もうちょうに命じる。

 晋帝の軍勢は姿を現すと左右に軍列を展開して陸機の軍勢と対峙した。晋帝は皇甫商に命じて言う。

「すみやかに敵陣に向かい、理を説き聞かせて軍勢を退かせよ」

 皇甫商は命を受けると馬を陣頭に馳せて大音声に叫んだ。

「鄴城の将兵どもは黙って吾が言を聞け。今、畏れ多くも万乗の天子がこの陣に出御されておる。陪臣ばいしんに過ぎぬお前たちが御駕に向かうなど許されることではない。少しでも義を知るならば、馬より下りて兜を脱ぎ、逆賊に従う罪を悔いてすみやかに投降せよ。さすれば、旧悪を問わぬのみならず、重ねて官職を加えて頂けよう」

 孟超はそれを聞くと哂って言う。

「吾らに御駕ぎょがを犯すつもりはなく、ただ長沙王を捕らえんとするのみ。武臣の身に生まれては主人の下知に従うほかに順逆の理など知らぬ。ましてや馬より下りて敵陣に降るなど、襁褓むつきにある頃より恥と教えられておる」

 言い終わる前には鎗を引っ提げ攻めかかる。皇甫商は大刀を抜いて鎗を支えると、馬を交えて戦うことわずか二十余合、孟超は鎗を突き損じると皇甫商の一刀を浴びて馬下に斬り落とされた。

 成都王の部将の王粹おうすいはこれを見ると打って出て、皇甫商を支えんと立ち向かう。それより戦うこと二十余合、ついに王粹も力及ばず馬頭を返して逃げ奔る。入れ替わりに石超、董洪が並んで斬り込み、皇甫商を左右に挟んで斬りかかる。

 皇甫商が二人を迎えて戦うこと十合にも及ばず、上官己と宋淇の二将が救いに向かい、石超、董洪は不利をおそれて戦を棄てる。

 この勝勢に乗じて官軍からは陳珍、董拱、成輔たちが一斉に斬り出し、成都王の陣に襲いかかった。成都王の将兵たちはしばらくその猛攻を支えるも、官兵の勢いにはあたり難く、ついに軍列を崩して潰走をはじめる。


 ※


 晋帝が自ら追撃を下知し、それを受けた官兵たちは先を争って逃げる成都王の将兵を追い討ちに討つ。その有様は鷹が兎を追い、虎が羊群を追うかのようであった。

 追撃が三十五里もつづいたところ、成都王の家将の郭勱かくばん公師藩こうしはんが後軍を率いて到着し、攻め寄せる官軍の前を阻む。その間に潰走する将兵たちも軍列を組み直し、ようやく軍勢をとりまとめる。

 さらに、牽秀けんしゅう陳昭ちんしょうも到着すると、大いに叫んで言う。

「妄りに散って軍列を崩すな。この軍勢を破れば長沙王を捕らえるなど掌を返すようなものである」

 それを聞いた王彥おうげん郭嵩かくすうが言う。

「烏合の衆を切り崩すのに難しいことがあろうか」

 すぐさま二軍を率いて官兵の軍列に攻めかかる。迎える上官己たち六将が命を棄てて奮戦するも、成都王の軍勢の勢いには抗い難い。ついに軍列が崩れて晋帝の陣まで危うくなった。

 そこに長沙王が晋帝を追って駆けつける。長沙王の軍勢はすぐさま成都王の軍列に正面からあたり、馬咸と豐引は横ざまに襲いかかる。成都王の将兵はこの攻撃を支え切ったかに見えた。

 その時、長沙王の部将の王瑚は二本の大戟を馬鞍ばあんに括りつけると太腿で締め、さらに一本の大戟を振るって成都王の軍列に突っ込んでいく。王瑚が振るう大戟と馬鞍から突き出した大戟により、前を阻む敵兵は数多の死傷者を重ねた。官兵たちはその姿に奮い立ち、ついにその跡を追って軍列を突き崩していく。

 成都王の部将の郭勱は軍中随一の豪勇を誇り、王瑚を斬りとどめんと大刀を手に馳せ向かう。十合もせぬうちに王瑚の大戟の一打を受けて馬下に打ち落とされると、馬咸が駆け寄って馬上より一鎗を加える。これにより郭勱は半死半生の重傷を負った。

 王瑚と馬咸はそれより成都王の軍中を駆け回り、王瑚の大戟が左に振るえば、馬咸の鎗は右に突き、この二将に斬りたてられて成都王の将兵は次々に屍を晒した。

 長沙王はその様子を見て叫ぶ。

「成都王の軍勢は多勢であるが、今や士気を沮喪しておる。これに乗じて突き崩せば、司馬穎しばえいとりこにするのも難しくあるまい」

 その声に応じて王瑚が叫び返す。

「主人が憂えて国が危ういならば、大丈夫たる者は主人に報いて功を建てる時だ。忠義を懐く者は吾の後につづいて成都王を擒とし、封侯の賞賜を授けられよ」

 官兵はときの声を挙げてこれに応じ、その声が地をも震わせる。王瑚、馬咸、陳珍、宋洪、豐引らが一斉に斬り込むと、成都王の陣は中央を破られて左右両断に分かれた。

 陸機はこれを見ると慌てて叫ぶ。

「半歩であっても退く者は軍法によって斬刑に処する」

 馬を駆って陣中を馳せ廻ると、将兵たちは決死の覚悟で攻め寄せる官兵を食い止める。石超は獅子吼ししくを挙げると攻めかかり、一刀を馬咸の左腿に斬りあてる。馬咸は馬より落ちてついに討ち取られた。


 ※


 王瑚と宋洪が叫んで成都王の将兵に言う。

「お前たちは多年に渡り国家の禄を食んで朝廷の恩恵に浴してきたのではないか。それにも関わらず、陸機は己が主人をたぶらかして奸言を薦め、畏れ多くも聖駕せいがの威に抗って己が権勢を振るわんとしておる。これが天に逆らう罪でなくて何であろう。陸機は忘恩ぼうおん背徳はいとくの賊に過ぎぬ。先に朝廷は主人の司馬穎を征西の元帥に任じ、八王十五路の諸侯を率いることを許された。その栄寵は比類なき身であり、勲功を建てて国恩に報じるべきところを、その義を忘れて臣を助けて君を伐ち、逆をもって順を犯す罪はこれより大なるものはない。お前たちは世人の噂するところを知らぬのか。天子の朝敵となった者には神も人も幸いせぬ。今、聖駕はつつがなくして後日には斧鉞ふえつちゅうがおこなわれよう。お前たちは一門の滅亡を懼れぬか」

 その言葉を聞くと成都王の将兵たちもさすがに竦み、敢えて前に進む者もない。

 その時、王瑚、陳珍、宋洪、宋淇、曹引、上官己、皇甫商らは怯んだ隙を突いて一斉に斬り込んだ。成都王の将兵に怖れて逃げ出す者も現れ、石超と牽秀は馬頭を返して逃げる兵をなで斬りにし、退く者を許さない。成都王の将帥たちが軍列を立て直さんと図る一方、晋帝は自ら董拱、成輔、馮嵩、劉佑に命じて一斉に衝きかからせた。

 馮嵩が大音声に叫んで言う。

「天子が此処におられるぞ。お前たちが弑逆しいぎゃくをなさんと欲するならば、前に進んで参れ。天恩を知る者はすみやかに引き退け」」

 成都王の将兵は畏れをなして言う。

「天子が自ら陣に望まれているというのに、何処に弓を引いて戟を挙げればよいのか」

 ことごとく身を竦めて逃げ出していく。馮嵩と劉佑はその様子を観て敵が敢えて進まぬと見切り、馬を並べて成都王の陣を掻き乱した。石超と牽秀がまたも軍列を支えんと図るも、逃げ出した士卒に巻き込まれて前に進めない。ついに成都王の軍勢は風を望んで奔走する。

 長沙王は勝勢に乗じて軍勢を駆り、追い討ちに討って留まることを許さない。成都王の軍勢は周章しゅうしょう狼狽ろうばいしてついに主従親子を打ち捨て、先を争って逃げ奔る。

 これにより七里澗しちりかんに多の者が陥り、叫び声が地を震わせ、人馬が谷底に折り重なって討ち取られた者と合わせて数え切れぬほどの死傷者が出た。屍は累々と重なって山をなし、澗水はこれがために流れを止めた。

▼「七里澗」は洛陽の東に位置する河川、南から北の黄河に流れ込み、石橋が架けられていた。

 陸機も敗走する兵卒を留めようとして果たさず、ついに四十余里(22.4km以上)も後退した頃には夜半となり、ようやく軍勢を取りまとめた。この一戦に討ち死にした将兵を数えてみれば、実に人馬あわせて三万人以上を数えたことであった。

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