十六章 八王呑噬:長沙王司馬乂

第十回 成都王司馬穎と河間王司馬顒は長沙王司馬乂を討たんと欲す

 河間王かかんおうが上表して齊王せいおう専恣せんしを責めたことにより、長沙王ちょうさおう司馬乂しばがいは軍勢を糾合きゅうごうして齊王せいおうとその一党を残らず誅殺ちゅうさつし、以降は朝政ちょうせいもっぱらにするようになった。

 この変事にあたり、河間王の部将の張方ちょうほうが率いる軍勢は洛陽らくようの影も踏むこともなく中途に控えて成都王せいとおうも戦陣に臨むことなく、齊王は討ち平らげられた。

 長沙王が齊王の軍勢を破ったところ、二王の軍勢が洛陽の近くに到ったとの風聞が立ち、これらの軍勢が洛陽に入れば少なからぬ混乱が生じるかと慮り、董艾とうがい葛旟かつよをはじめとする六人の首級を二王の許に送り遣る。これは軍勢を中途に返させるためであった。

 長沙王が異母兄であることもあって成都王は意を汲んで功績を譲り、鎮所のぎょうに引き返す。これにより、張方も関中かんちゅうに軍勢を返した。長沙王は洛陽より使者を遣わして二王麾下の諸将の官職を進めた。

 戦もなく長安ちょうあんに還った張方が河間王に復命ふくめいして言う。

「成都王でさえ洛陽に向かうことなく軍勢を返されたがゆえ、吾らも是非に及ばず引き返して参りました。長沙王により齊王をはじめとするその一党はすべて討ち取られ、成都王が功を譲られたからには他に遣り様もございません」

 それを聞いた河間王は歯噛みして言う。

「お前は孤に従ってすでに五十年にもなろうというのに、孤の心を知らぬわけもあるまい。この度の出兵は齊王一党とあわせて小賢しい長沙王をも除き、成都王に朝権を委ねんがためのこと、それにも関わらず、長沙王にすかされて軍勢を返すなどということがあろうか。成都王と軍勢をあわせてほしいままに齊王を殺した罪を問うのが道理であろう。齊王の驕慢きょうまんを正すことはあっても、いまだ大逆たいぎゃく不道ふどうをなしたわけでもあるまいに、齊王を誅戮してよいわけがあるまい。道義から論じれば長沙王は齊王に十倍する罪人である。そのまま洛陽に向かって長沙王を捕らえるべきであろうに、中途に軍勢を返すことなど許されようか。長沙王めは孤と成都王の兵威を借りて権柄けんぺいを執り、ついに孤は彼がために働く鷹犬ようけんに変わるところがないではないか。これで孤の意を満たしたなどと言えるわけもないであろう」

 李含りがんが間に入って言う。

「大王がお悩みになられることはございません。成都王といえども長沙王への憤懣ふんまんを感じておられぬはずはなく、それを抑えて謙退されているに過ぎません。長沙王に功を奪われて空しく鄴に引き返され、快く思っておられましょうか。大王にはしばらく隠忍自重され、時勢と長沙王の遣り様を見物しておられればよろしいのです。彼が矜驕きょうきょうの心を抑えて公に尽忠する心を保ち、趙王ちょうおうや齊王とは道を殊にして私利に固執せず賢才を信任し、聖上を輔弼ほひつして太子には情義を以て仕えれば、宗廟を保って善く家国は治まりましょう。その時は礼儀を守って尊重すればよいことです。万一、己の私党をてて朝政を壟断ろうだんし、才をたのんで放恣ほうしに流れれば、臣が鄴に赴いて成都王を説き伏せましょう。軍勢を会して洛陽に向かい一鼓に彼をとりことするのに何の難事がありましょうや」

 それを聞いて河間王も怒りを抑え、しばらくは形勢を観望することとした。


 ※


 鄴に還った成都王が長沙王の遣り様を観るに、大事があれば使者を遣わして事を諮り、その意見により政事がおこなわれたことから内心では大いに気を良くしていた。

 一日、成都王は盧志ろしと世事を論じて言う。

「孤が卿を得るよりその謀は一つとしてあたらぬものがない。先には簒奪を図った趙王を誅戮し、次いで魏郡ぎぐんの漢賊を退け、さらに驕横きょうおうに流れた齊王を討伐して董艾、葛旟の輩を除いた。今や長沙王は軍国の大事はまず孤にはかって後におこない、正に身を労さずして朝政に参与しているようなものであろう。これらはみな卿の知略を尽くした結果であり、この情勢にあって孤の心は満ち足りておる」

「大王は謙退の心によりよく大事を果たされました。往古の周公しゅうこう召公しょうこう榮公えいこう畢公ひつこうが周の天下を輔弼されたことにもおさおさ劣りはいたしますまい」

周公旦しゅうこうたんは周の武王の弟、召公しょうこうせきとともに幼くして即位した成王を支えた。畢公ひつこうこうは周の武王、成王、康王に仕えた重臣にして王族である。榮公えいこうの事績は不詳、『尚書しょうしょ泰誓中たいせいちゅう第二に武王の言として「予に亂臣十人有り、心を同じうして德を同じうす」とあり、その注疏に「榮公」の名が見える。いずれも周の武王から成王の頃に周の統治を支えた名臣と解すればよい。

 盧志はそう言って成都王の徳を褒めたたえた。この時、傍らに和演わえんという者が侍っており、盧志が成都王に阿諛あゆしていると不快に思っていた。

 ついで、成都王の閑暇を盗んで次のように申し述べる。

「先に趙王を誅殺した折には、齊王が首唱したがゆえに容易くこれを制し得ました。大王だけの兵威では趙王に抗えるはずもございません。また、大王が鄴に帰任されたのは趙王に害されるかとおそれてのこと、理において妥当と申せましょう。しかし、齊王を誅殺するにあたっては大王が首唱され、河間王も賛同して張方を遣わされました。しかし、長沙王は大王の兵威を借りて齊王を誅殺し、ついに奸人は滅ぶに至りました。道理から言えば、長沙王は大王を洛陽に迎えてともに朝政を執られることが当然の理というもの、それにも関わらず、長沙王は大略を知らずして大王が謙退されております。それをよいことに驕って吾らをいいように遣い、功を盗んで位を恣にし、専権して政事をわたくししているものの、狡知により輿論よろん褒貶ほうへんを避けるべく大王に事を諮っているに過ぎません。おそらく、表向きは大王に大事を諮りながらも、その実、お言葉を用いるつもりなどありますまい。大王に諮ったという名分を借りて自らの意に任せて事をおこなっているのです。大王がそのことをご存知なく、長沙王の行いを真に受けて朝政を思われず、虚しく粟粒の如き鄴を安堵の地と思い込んで一生を終えられようとされるとは、大丈夫の志とは申せません。畢竟ひっきょう、謀を欠くと申し上げざるを得ません」

 和演はその心を激さしめるべく言葉を尽くし、それを聞いた成都王は思惑どおりに怒って本心を吐く。

「孤が幾度も戦陣に立って国家のために尽力する所以は、洛陽に身をおいて自由に禁中を出入する平生の志願を叶えんがためである。先には齊王のために抑えられ、ついで長沙王に勲功を奪われ、何時になれば孤の本懐は遂げられるのか。お前の言う如く、司馬乂の小人輩に出し抜かれたことこそ口惜しい限りである」

 そう言うと、事を諮るべく諸将と属官を集めた。


 ※


 陸機りくきが成都王の前に進み出て問う。

「大王が下官かかんどもを召し出されるとは、どのような大事にございましょうや」

「此度、長沙王が孤の兵威を借りて齊王を誅殺したにも関わらず、孤が洛陽に入って聖上せいじょうに朝見することさえ許さず、独り朝政を擅しいままにしておる。孤は鄴にあってその命を聞くばかりとは、実に心外なことである。それゆえ、河間王と軍勢を会して義に背く長沙王を誅殺せんと欲するのである。良策があればそれに従いたい。諸君の高見は如何か」

 盧志が成都王の言葉を受けて言う。

「大王が兵権を辞して鄴に退かれたがゆえ、輿論はそれを美として威権は重く、四海の人民は仰ぎ慕っております。専権を振るった齊王はすでに除かれ、その一党の董艾と葛旟といった逆臣は誅され、朝廷の大難はすでに平らげられました。これは長沙王が誠を尽くして統治を輔弼されているがゆえのことです。大王が洛陽に入朝されるとあれば、干戈かんかを収めて文徳の衣冠を正し、参内するに天下泰平の威儀を示されてこそ、しん文公ぶんこうせい桓公かんこうの盛事に比されましょう」

「卿は文学の士であるゆえ、その勧めはいささか迂遠うえんである。孔子や孟子の言葉を説こうとも、王道と覇道は異なり、今の時勢には合わぬものだ。すべて卿の意見を容れるわけにはいかぬ」

 成都王はそう言うと盧志の勧めを拒む。たまたま鄴に来ていた邵續しょうぞくも諌めて言う。

「人にとって兄弟とは左右の手のようなもの、それより言えば長沙王を討伐されることは片手を切り離すことに同じです。この大難にあって鄴の周囲は漢賊に囲まれております。この間隙に乗じて漢賊どもが兵を動かす虞があり、長沙王を除くことには賛成いたしかねます。長沙王を攻める軍勢でもって洛陽を漢賊より守られれば、それこそ宗廟社稷の幸いというものです」

 成都王はその言葉に応えもせず、陸機を顧みて言う。

「長沙王を討つための方策を申し述べよ。異論は聞くに及ばぬ」

 陸機が進み出て言う。

「大王がさほどに強く望まれるとあれば、余事を論じるつもりはございません。ただ、これは尋常の事ではなく、軽々しく方策を立てるわけには参りません。大王が独り謀主となって軍勢を動かせば、輿論の悪評を受けるのみならず、世人の哂うところとなりましょう。必ずや事を起こそうとされるのであれば、余の親王と会して行われれば、世人のそしりを免れられましょう」

 その言葉が終わるより前に、河間王からの使者の到着が告げられて書状が届いた。成都王がひらいて見れば、次のように認められていた。

「聖上や諸大臣と議論し、賢弟を皇太弟に立てて太子とせんと図っておった。しかし、長沙王が羊玄之ようげんし皇甫商こうほしょうとともにそれを阻み、事はいまだならぬ。彼らは国を盗んで帝位にかんと企て、賢弟の入朝さえ許さず独り朝政を専らにし、孤と賢弟に背いて義挙の大功をも虚しくせんとしておる。これは誠に由々しきことである。賢弟は何ゆえにすみやかに兵を挙げて長沙王の罪を問われぬのか。挙兵されるとあれば、孤も一臂いっぴの力を貸して犬馬の労を代わり、賢弟を扶けて勲功を建てられよう」

 成都王はそれを読んで喜び、次のように返書を認める。

「賢兄と孤の軍勢を合わせて宮闕きゅうけつに向かい、簒奪を図る奸人を誅殺いたしましょう」

 その返書より成都王と河間王はともに図って上表をおこなった。

「司馬乂は私に司馬冏しばけいを誅殺いたしました。司馬冏の一件は、位をおとして朝政にあずからせず、党与を誅殺して鎮所に帰任させれば足りたにも関わらず、長沙王は私怨を手挟たばさんで年長の司馬冏を殺しました。宗族の秩序を乱すことは法に外れた行いであり、密かに画策するところがあったと断じねばなりません。さらに、羊玄之、皇甫商らの意見により国家の常法を破ること、すでに甚だしきに至っております。すみやかに長沙王を拘束して誅殺し、その害を防がねばなりません。この儀を御許し頂けぬとあれば、近日中に二鎮の軍勢を挙げて洛陽に入り、君側の奸を掃い除かせて頂く所存、その際にあたっては臣らが擅いままに兵戈へいかを動かして禁内を騒がせるとも何卒ご容赦頂けますよう、伏してお願い申し上げます」

 この上表を受けた晋帝しんていと長沙王は愕き、羊玄之の如きは顔色を死灰しかいのように変じて為すところを知らぬ有様、ただ戦慄するだけであった。


 ※


 ようやく長沙王は心を静めて言う。

「二王の怒りは、ただ臣が朝廷にあって事を専らにするがゆえ、その欲を逞しくできぬがためでございます。臣の忠心は天日に明らかであり、一時たりとも天恩を忘れたことなどございません。万一、毫忽ごうこつの異心を抱いたとすれば、天神てんしん地祇ちぎ、祖宗の罰によりたちまち落命しても本望、どうして余人の誅殺を待つことなどありましょうか。願わくば、明日早々にも独り騎乗して鎮所に退隠いたしましょう。さすれば、二王の軍勢が宮闕を犯すことなく、国家を誤ることもございますまい」

 それを聞いた晋帝が言う。

ちんはもとより司馬顒しばぎょう司馬穎しばえいの心を知っておる。彼らは朕の愚昧を欺いて天位をうばわんとしているだけのことじゃ。ゆえに二人は無名の帥を起こして洛陽に攻め寄せんとしておる。賊が洛陽に近づいたならば、朕は自ら六軍を率いて一戦を交えるのみ、どうして王を煩わせるようなことがあろうか。王に異心がないことは、朕がつぶさに知っておる。疑心を容れず、ただ心を尽くして朕を輔け、不道の賊どもを平らげよ。朕を棄てて鎮所に還ることは許さぬ」

 長沙王はその言葉を聞くと涙を流して言う。

「二王は必ずや臣を許しますまい。それゆえ、敢えて洛陽にこの身を置かず鎮所に還って閑居すれば、妄りに軍民の生命を害することもございますまい。臣はすでに天地に容れられぬ身、何卒帰国を御許し下さい」

「王の言葉は正しい。しかし、彼らはそれでも許すまい。軍勢とともに鎮所に向かって身柄を捕らえることは、嚢中のうちゅうの物を取り出すようなものであろう。自ら生命を二王に送りつけるには及ばぬ」

 ついに晋帝は長沙王の帰藩を許さず、かえって太尉たいい都督中外諸軍事ととくちゅうがいしょぐんじに任じて二王の軍勢を防ぐよう勅命を下した。さらに、手ずから詔書を認めて二王に命じて言う。

「軍勢を返して長沙王と和するのであれば、後日、両王には別に恩賞を与える」

 その詔書を拝しても河間王は従わない。李含を謀主として張方、林成りんせい馬瞻ばせん郅輔しつほらが率いる七万の軍勢の指揮を委ね、洛陽を指して軍を発した。

 成都王は関中の軍勢が発したと聞くより、盧志の諫言を容れず陸機を謀主に任じて孟超もうちょう石超せきちょう王粹おうすい董洪とうきょうらを将とする八万の軍勢を洛陽に向かわせた。

 この軍勢は前駆となって洛陽から十三里(約7.3km)の地点に軍勢を止める。もう一軍は陳昭ちんしょうを謀主として牽秀けんしゅう王彥おうげん、和演、趙讓ちょうじょう陳眕ちんしんを将とし、後軍となって鄴の南の朝歌ちょうかに屯する。


 ※


 この時、先に齊王の許を出奔した孫恵そんけいは逃れて鄴の近郊にあり、陸機が成都王に阿附あふしていると知ってその許をおとなった。

「長沙王は聖上を輔弼していささかの罪科もありません。それにも関わらず、成都王、河間王は徒に兵威を恃んで誅殺されようとしております。これは天理の許さぬところです。その上、漢賊は先に変わらず精兵を擁して国境に逼り、中国は累卵の危うきにあると申せましょう。それを気にかけず、手足に等しい骨肉の親を討たんとするとは、理において正しいとは申せません。足下そっかは二王に従って臣の身で君を討ち、逆をもって順を犯そうとされています。愚見によれば取らざるところです。道理に従ってこの軍行より身を離し、盧子道ろしどう(盧志、子道は字)の忠言に倣って清名を汚さぬようにさるのがよろしいでしょう」

 孫恵の言を聞いた陸機が答える。

「足下の高見は理において正しい。しかし、今さら辞退して此処を去れば、成都王に従う諸将と官属は吾を不才と呼ぶであろう。それは吾が望むところではない」

 そう言って孫恵の言を用いず、孫恵は辞去すると歎じて言う。

「嗚呼、陸士衡りくしこう(陸機、士衡はその字)には浮華の才はあっても実用の見がない。誤って虚名を得たに過ぎぬ。江東の故郷に還って終わりを全うすることはなかなかに難しいであろうな」

 ついに陸機は軍勢を率いて鄴を発ったことであった。

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