十六章 八王呑噬:長沙王司馬乂
第十回 成都王司馬穎と河間王司馬顒は長沙王司馬乂を討たんと欲す
この変事にあたり、河間王の部将の
長沙王が齊王の軍勢を破ったところ、二王の軍勢が洛陽の近くに到ったとの風聞が立ち、これらの軍勢が洛陽に入れば少なからぬ混乱が生じるかと慮り、
長沙王が異母兄であることもあって成都王は意を汲んで功績を譲り、鎮所の
戦もなく
「成都王でさえ洛陽に向かうことなく軍勢を返されたがゆえ、吾らも是非に及ばず引き返して参りました。長沙王により齊王をはじめとするその一党はすべて討ち取られ、成都王が功を譲られたからには他に遣り様もございません」
それを聞いた河間王は歯噛みして言う。
「お前は孤に従ってすでに五十年にもなろうというのに、孤の心を知らぬわけもあるまい。この度の出兵は齊王一党とあわせて小賢しい長沙王をも除き、成都王に朝権を委ねんがためのこと、それにも関わらず、長沙王に
「大王がお悩みになられることはございません。成都王といえども長沙王への
それを聞いて河間王も怒りを抑え、しばらくは形勢を観望することとした。
※
鄴に還った成都王が長沙王の遣り様を観るに、大事があれば使者を遣わして事を諮り、その意見により政事がおこなわれたことから内心では大いに気を良くしていた。
一日、成都王は
「孤が卿を得るよりその謀は一つとしてあたらぬものがない。先には簒奪を図った趙王を誅戮し、次いで
「大王は謙退の心によりよく大事を果たされました。往古の
▼
盧志はそう言って成都王の徳を褒めたたえた。この時、傍らに
ついで、成都王の閑暇を盗んで次のように申し述べる。
「先に趙王を誅殺した折には、齊王が首唱したがゆえに容易くこれを制し得ました。大王だけの兵威では趙王に抗えるはずもございません。また、大王が鄴に帰任されたのは趙王に害されるかと
和演はその心を激さしめるべく言葉を尽くし、それを聞いた成都王は思惑どおりに怒って本心を吐く。
「孤が幾度も戦陣に立って国家のために尽力する所以は、洛陽に身をおいて自由に禁中を出入する平生の志願を叶えんがためである。先には齊王のために抑えられ、ついで長沙王に勲功を奪われ、何時になれば孤の本懐は遂げられるのか。お前の言う如く、司馬乂の小人輩に出し抜かれたことこそ口惜しい限りである」
そう言うと、事を諮るべく諸将と属官を集めた。
※
「大王が
「此度、長沙王が孤の兵威を借りて齊王を誅殺したにも関わらず、孤が洛陽に入って
盧志が成都王の言葉を受けて言う。
「大王が兵権を辞して鄴に退かれたがゆえ、輿論はそれを美として威権は重く、四海の人民は仰ぎ慕っております。専権を振るった齊王はすでに除かれ、その一党の董艾と葛旟といった逆臣は誅され、朝廷の大難はすでに平らげられました。これは長沙王が誠を尽くして統治を輔弼されているがゆえのことです。大王が洛陽に入朝されるとあれば、
「卿は文学の士であるゆえ、その勧めはいささか
成都王はそう言うと盧志の勧めを拒む。たまたま鄴に来ていた
「人にとって兄弟とは左右の手のようなもの、それより言えば長沙王を討伐されることは片手を切り離すことに同じです。この大難にあって鄴の周囲は漢賊に囲まれております。この間隙に乗じて漢賊どもが兵を動かす虞があり、長沙王を除くことには賛成いたしかねます。長沙王を攻める軍勢でもって洛陽を漢賊より守られれば、それこそ宗廟社稷の幸いというものです」
成都王はその言葉に応えもせず、陸機を顧みて言う。
「長沙王を討つための方策を申し述べよ。異論は聞くに及ばぬ」
陸機が進み出て言う。
「大王がさほどに強く望まれるとあれば、余事を論じるつもりはございません。ただ、これは尋常の事ではなく、軽々しく方策を立てるわけには参りません。大王が独り謀主となって軍勢を動かせば、輿論の悪評を受けるのみならず、世人の哂うところとなりましょう。必ずや事を起こそうとされるのであれば、余の親王と会して行われれば、世人の
その言葉が終わるより前に、河間王からの使者の到着が告げられて書状が届いた。成都王が
「聖上や諸大臣と議論し、賢弟を皇太弟に立てて太子とせんと図っておった。しかし、長沙王が
成都王はそれを読んで喜び、次のように返書を認める。
「賢兄と孤の軍勢を合わせて
その返書より成都王と河間王はともに図って上表をおこなった。
「司馬乂は私に
この上表を受けた
※
ようやく長沙王は心を静めて言う。
「二王の怒りは、ただ臣が朝廷にあって事を専らにするがゆえ、その欲を逞しくできぬがためでございます。臣の忠心は天日に明らかであり、一時たりとも天恩を忘れたことなどございません。万一、
それを聞いた晋帝が言う。
「
長沙王はその言葉を聞くと涙を流して言う。
「二王は必ずや臣を許しますまい。それゆえ、敢えて洛陽にこの身を置かず鎮所に還って閑居すれば、妄りに軍民の生命を害することもございますまい。臣はすでに天地に容れられぬ身、何卒帰国を御許し下さい」
「王の言葉は正しい。しかし、彼らはそれでも許すまい。軍勢とともに鎮所に向かって身柄を捕らえることは、
ついに晋帝は長沙王の帰藩を許さず、かえって
「軍勢を返して長沙王と和するのであれば、後日、両王には別に恩賞を与える」
その詔書を拝しても河間王は従わない。李含を謀主として張方、
成都王は関中の軍勢が発したと聞くより、盧志の諫言を容れず陸機を謀主に任じて
この軍勢は前駆となって洛陽から十三里(約7.3km)の地点に軍勢を止める。もう一軍は
※
この時、先に齊王の許を出奔した
「長沙王は聖上を輔弼していささかの罪科もありません。それにも関わらず、成都王、河間王は徒に兵威を恃んで誅殺されようとしております。これは天理の許さぬところです。その上、漢賊は先に変わらず精兵を擁して国境に逼り、中国は累卵の危うきにあると申せましょう。それを気にかけず、手足に等しい骨肉の親を討たんとするとは、理において正しいとは申せません。
孫恵の言を聞いた陸機が答える。
「足下の高見は理において正しい。しかし、今さら辞退して此処を去れば、成都王に従う諸将と官属は吾を不才と呼ぶであろう。それは吾が望むところではない」
そう言って孫恵の言を用いず、孫恵は辞去すると歎じて言う。
「嗚呼、
ついに陸機は軍勢を率いて鄴を発ったことであった。
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