第四回 王豹は諌めて却って殺戮せらる
齊王の
南陽の隠士に
「大王は宗室の至親であるがゆえに国の大政を執っておられますが、内に
▼「三頌」は『詩経』に頌という祖廟の祭礼に用いる詩歌が収められており、それが殷、周、魯の三国にわたることから三頌の名がある。「三頌の称」は宗室や朝臣が統治を褒め称えることと解するのがよい。
齊王が問い返した。
「何によってそれを知ったのか」
鄭方が答えて言う。
「大王は危うきを慮らずして宴楽は法度を超えており、これが一の失です。宗室の近親が互いに疑い忌まれており、これが二の失です。漢賊を平定していないにも関わらず、掃討を思われず武備を怠っており、これが三の失です。百姓が困窮しているにも関わらず、憐れみ悲しむことなく濫りに征伐を起こされており、これが四の失です。正直の人を捨てて忠言を納れず、朝廷の百官を無闇に罰されており、これが五の失です。殿下にはこの五失があり、しかも自ら省みられない。ひそかに殿下のために危ぶんでおります。すみやかに改められねば、家国の禍は測り知れぬのではないかと畏れております」
言葉を尽くして諌めたものの齊王はそれを信じず、また、鄭方を罪することもなかった。
齊王の長史に
天下の事は五つの難と四つの不可がございます。しかも大王はそれを犯しており、臣は密かに懼れております。
強敵があって辺境の防備を固められておりません。これが一の難です。藩鎮は兵を擅いままにして朝廷の法を畏れておりません。これが二の難です。
また、久しく名望を擅いままにして
今、大王は難の中にあってそれを難と思われず、不可の中にあってそれを可となさっています。臣は実に愚かとはいえ、密かに不安に思います。そればかりか、朝廷の大官はただ大王の顔色を窺って追従するばかり、政事の失を匡す者は見当たらず忠言を述べる者もありません。官吏の登用に当を得ていないのです。
成都王は勲功を誇られないにも関わらず、殿下に信任されず任を辞して帰藩させられました。朝臣にこれを嘆息しなかった者はありません。このような有様では国家多難の時にあたって泰平の治世を現せず、禍乱を惹き起こす奸賊を平らげられようはずもございません。
功成って身を退く道を思われ、賢能の人を登用して成都王、長沙王に政事を委ね、聖上に願って
▼「泰伯」は周の文王姫昌の伯父であり、弟の季歴を跡継ぎとしたい父の意向を知り、弟の
齊王はその上書もついに用いない。
孫恵は害されることを懼れ、母の病気を理由に官を辞して帰郷したいと申し出たものの、齊王はそれも許さず、ついに孫恵は姿を
「先ごろ孫恵が上書して国政を返上して許昌に帰るよう勧めたものの、その言を納れぬと怨んで洛陽から出奔し、行方知れずとなっておる。無礼な行いであり、罪せねばならぬ。急ぎ人を遣わして追い捕らえ、罪科を糾明せよ」
「厳しく物事を禁じれば、それに反発する者が出ることは必然です。大王は高位にあって危事を慮り、臨機に事を処されておられますが、ついに朝政を他の諸親王に委ねて本国にお帰りになるのは善の善なるものと言えます。孫恵の諫言は義をもって大王に示したものであり、忠直の臣と言えます。大王におかれてはご
それを聞いた齊王は納得して諫言を容れ、ついに孫恵を罪することはなかった。しかし、権勢を慕う齊王の欲は強く、朝権を返上して帰国することを勧める孫恵と曹攄の言を納れず、忘れ去ってしまった。
※
さらに、
「政事を余人に譲って本国に帰り、嫉妬を身に受けぬよう避けられるべきです。今はただ禍を避けることに専心されることが上策です」
王豹の進言を聞いて齊王も思うところがあり、思案をはじめる。顧榮、孫恵、曹攄、王豹らの諌めはすべて割符のように同じことを述べていることから、
東海王の司馬越を召して言う。
「王豹が藩国に帰るよう孤に勧め、その趣意は理に合する。弟を此処に呼んだのは他でもない、朝政を委ねる人を定めたいと思ったのだ。孤に代わって朝政を執るならば、長沙王か成都王を
東海王は自らが後任に含まれぬと知って嫉みの心を起こす。齊王の暴虐驕横を非難して諸親王を糾合し、その罪を正して大権を握るのが良策と考えた。
齊王の帰藩を思い止まらせるため、道理を立てて言う。
「大事をおこなう際には三思して後におこなわれるのがよろしいでしょう。事を急いてはなりません。清河王を立てて太子となされた上は、大王と孤が心を合わせて
齊王はそれを聞いても心を決めず、無言で席を立った。それを見た東海王は内心に思う。
「齊王が王豹の諫言を納れれば吾が計略も無に帰しかねぬ」
そう考えると、齊王の腹心である葛旟を
「王豹の如き小人が妄言を進めて齊王を惑わし、国事を誤ろうとしておる。王豹の諫言が納れられれば、王は朝権を余人に与えて本国にお帰りになるであろう。その時には卿らも国許に帰って国事より身を退くこととなり、衆人の望みは断たれる。殊に、朝権が余人の手に渡れば、卿らなどいるもいないも変わりあるまい。長沙王と成都王が権勢を争えば、どのような事態に立ち至るやも知れぬ。ここはよくよく考えるべきところであろうな」
東海王は葛旟の小人なるを知り、その欲心が起こるところを
大いに愕いて言う。
「大王の観られるところは理の当然というものです。明日には衆議を束ねて吾が王の意を探り、過ちは正して頂かねばなりますまい」
そう言うと、足早に東海王の許を去った。
※
翌日、齊王は葛旟、董艾、孫恂、韓泰、衛毅の五人を前に王豹の諫言を示して言う。
「王豹は朝政を辞して本国で休養せよと孤に勧めておる。その言は理にあたるところが多く、この議に従おうと思うが、お前たちの意見はどうか、正直に思うところを言うがよい」
葛旟と董艾の二人が口を揃えて言う。
「このような言など一顧だに値いたしません。これらは大王を謀って国事を誤らせ、己の功を諸親王に売り込んで重禄を貪るより望むところなどございますまい。大王がこのような妄言を信じられ、職を解いて帰国されれば、他人に制せられるだけのことです。大王の威権が重くて動かし難いがゆえ、殊更に王豹に諫言させて大王を誑かさんとするものです。よろしく深くこの意を考えて後悔せぬようになさいませ」
葛旟はさらに罵って言う。
「王豹など主を売って栄を求める小人に過ぎず、誅殺して将来の不忠者の戒めとするべきです」
齊王はそれを聞いても俯いて答えない。
ついで葛旟と董艾は王豹を捕らえて
「吾が行いは主人を思ってのことであり、何らの罪過も思いあたらぬ。齊王に謙退をお勧めしたのは、その身を保って富貴を全うし、無疆の福を享けて頂かんがためのこと、その忠を却って佞とするとは。吾の不明は賢愚を弁ぜず進退を明かにせぬがゆえ、自ら禍に陥ったのだ。傷むべきであってもそれだけのこと、齊王にも吾を殺さんとするお心はあるまい。これはただ葛旟、董艾の小賊どもが己の地位を守らんと図ったのであろう。小賊どもの地位が守られることなどない。吾が朝に死ねば、夕には小賊どもも
▼「大司馬門」は洛陽の内城の南壁に設けられた門、その西には正門にあたる
言い終わると石に頭を打ちつけて絶命した。
これより人心は齊王から離れて麾下の軍勢も忠心を失い、齊王の禍もいよいよ近づいたように思われたことであった。
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