第二回 齊王司馬冏は驕横して禍を起こす

 それまでの齊王せいおう司馬冏しばけい成都王せいとおう司馬穎しばえい忌憚きたんする心があり、万事に謹慎であった。しかし、成都王が洛陽を去った後は志をほしいままにして何者をもはばからなくなる。

 朝廷の万機を董艾とうがいに委ねて何勖かきょく中領軍ちゅうりょうぐんに任じて禁兵を統べさせ、配下には四十人を超えるえんじょうを置いた。

▼「何勖」は『後傳』は「何勗」、『通俗』は「何最」とするが、『晋書しんじょ齊王冏せいおうけい傳の記述に従って改めた。

 それらが詰める官署を建て増し、書院と邸宅が棟を並べて屋根が重なる様子はたとえるものも見当たらない。それにともなって敷地が手狭になり、近隣の民家数百戸をこぼつのみならず、西の楼閣から宮城の千秋門せんしゅうもんにつながる道を通した。

 僭上せんじょう沙汰さたはそれに止まらず、天子のみに許される八佾はちいつの舞を私庭に舞わせ、日夜宴飲にふけって朝廷への参内をおこたる。私邸で百官の拝賀を受ける様は人主じんしゅに等しく、礼法をすべて天子に等しいものとしたのは、まさに驕りが極まった証であった。

 人を推挙するにも百官の議論をたず、もっぱら呢懇じっこんの仲で寵愛する者を大官たいかん高位こういに任じる。私邸には数万の軍勢がたむろして護衛を務め、意に叶わぬ者があれば、貴人名家といえども必ず貶降へんこうの憂き目に遭わせた。

 いよいよ齊王の威勢は洛陽を震わせて畏れぬ者がなくなった。


 ※


 丞相じょうしょうとなった顧雍こようの孫に顧榮こえいという者があり、齊王は王府の主簿しゅぼに任用した。そもそも顧榮は仕官を望んでいなかったが、齊王が強いて求めたために一時の方便と出仕に応じたのである。

▼「顧榮」は顧穆こぼくの子、顧雍の孫にあたる。

 王府に入って登用された者たちを観るに、いずれも古くから齊王に仕える者ばかり、それが齊王の威勢をたのんで横暴を働き、世に知られる名賢の英士は一人もない。

 葛旟かつよ董艾とうがいをはじめとする腹心たちは遠大の器量を欠いてただ齊王にへつらうのみ、忠良の士はうとんぜられて直諫ちょっかんの士はへんせられ、ついには内外が失望するに至るかと思われた。

 顧榮はそれを憂えて次のように上書した。


 主簿事しゅぼじの臣である顧榮は齊王の門下に職をかたじけなくし、みだりに国恩を担って事をおこなうに憂慮するところがあり、申し上げずにはおられません。

 切に聞くところ、古人に「謙譲であれば利益を受け、満ちれば損を招く。高職にある者は顧みざるべからず」との言がございます。また、「驕らなければ能を競う者が訪れず、誇らなければ功を争う者は現れない」とも申します。殿下のなされるところは、恣に驕り誇ってその勢は群下を圧倒しております。これは君子のあるべき姿とは申せませぬ。

 学業により人に驕ろうとすれば「周公しゅうこうの才美あるも驕って吝嗇りんしょくならば、他の美点など見るにも及ばない」と孔子の言があり、富貴によって人に驕ろうとすれば、「そもそも貧賎であれば人に驕るべきであり、富貴であれば人に驕ってはならない」と田子方でんしほうの言があります。

▼「田子方」は戦国時代の人、『史記しき魏世家ぎせいか文侯ぶんこう十七年の條によると「子撃しげきりて問うて曰わく、『富貴なる者は人に驕らんか、た貧賤なる者は人に驕らんか』と。子方はわく、『た貧賤なる者は人に驕るのみ。れ諸侯にして人に驕らば、則ち其の国を失う。大夫たいふにして人に驕らば、則ち其の家を失う。貧賤なる者は、行の合わず、言の用いられざれば、則ち去りて楚越そえつくは、くつを脱ぐがごとし。奈何いかんぞそれこれを同じうせんや』と。子撃はよろこばずして去れり」とある。文意は「富貴にある者が人に驕れば失うものが多く、それゆえに驕ってはならない」と言っているに過ぎない。

 伏して願うところ、殿下は謙譲に務めて有終ゆうしゅうを飾り、永く令誉れいよを保たれますよう。馬援ばえん公孫述こうそんじゅつ驕奢きょうしゃわらうが如きさげすみは避けられるのがよろしいかと存じます。

▼馬援と公孫述のくだりについて、『後傳』では「勿使馬援起子揚之笑可也」として『通俗』では「馬援をして子揚しようしょうを起こさしむることなくんば可なり」と読む。しかし、近い時代で子揚という名またはあざなを名乗る者は三国魏の劉曄りゅうようしか見当たらない。後漢初めの人である馬援と劉曄に関わりがあるはずもなく、解しがたい。『繡像しゅうぞう三國志演義續編さんごくしえんぎぞくへん』では「勿使馬援之笑子陽也、馬援をしてきて子陽を笑わしむるなかれ」としており、おそらくこちらが正しい。この場合、「子陽」は後漢のはじめに蜀に蟠踞ばんきょした公孫述の字であり、それを指す。馬援は旧知の仲であったことから帝位を称した公孫述の許に赴いてその驕慢に失望した逸話がある。そこから同様に世人に失望されぬよう勧めていると解した。

 かつ、勢は時が経てば失われ、勢が失われれば傾くのは揚雄ようゆうの言のとおりでございます。朝に兵権を握って卿相けいしょうとなっても夕に勢を失えば匹夫ひっぷとなるもの、寵辱は目を転じる間に変わり、栄枯は掌を返すように移ろうもの、畏れぬわけにはまいりません。

 ただ殿下が分に安んじて時機を測り、自ら処するに平易であれば、鬼神は善行に幸いして謙譲に福をもたらすことでしょう。臣はこのために斧鉞ふえつちゅうを冒して耳に逆らう言を申し上げる次第であります。


 齊王はその上書を読むと怒って引き裂き、地に投げ捨てた。

「小人の無知の言など聞くに及ばぬ」

 顧榮はそのことを知り、齊王は大きな禍にかかって権勢を失い、その餘殃よおうが我が身にまで及ぶと察した。官職を辞さんと図るも、それも許されない。その心は悶々として日夜酒に沈湎ちんめんしたことであった。

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