通俗續後三國志前編

十五章 八王呑噬:齊王司馬冏

第一回 成都王司馬穎は佞を避けて職を去る

 しん永嘉えいか三年(三〇九)、すなわち漢の元熙げんき六年の季夏きか六月、成都王せいとおう司馬穎しばえいに従う諸王侯に国許から危急を告げる早馬がつづき、それぞれが帰国せねばならぬと騒ぎ出した。

 その事情を探れば、近隣の異民族たちが晋漢の争闘を好機と見なして辺境を侵し、そこに漢の劉淵りゅうえん山西さんせいより兵を動かして晋の郡縣に兵を遣わしたことが原因であった。

 成都王に願い出て国許くにもとに帰った諸侯はすでに十七人を数え、麾下きかに残ったのは近隣の小国ばかり。大国を許された者の多くは辺境に近く、ことごとく国許で変事が出来しゅったいしていたのである。寡兵では漢の大軍に対峙たいじできず、その余の諸王侯もついに軍を返すことと決し、成都王は全軍の殿後でんごを務めて蕩陰とういんの軍営を発した。

 ぎょうに還ってしばし兵馬を休めると、陸機りくき盧志ろし石超せきちょう牽秀けんしゅうに諮って言う。

「急ぎ入朝して敗戦の責を負わねばならぬ。三千ほどの軍勢を率いて洛陽に向かい、闕下けつかに罪を乞おうと思うが、いかがであろうか」

 盧志が進み出て言う。

「お言葉ですが賛同できませぬ。時勢を観るに、齊王せいおう司馬冏しばけい)が権柄けんぺいほしいままにしております。大王は朝廷の外で兵権を握っておられ、以前のように隔意かくいなく遇されることはありますまい。齊王がそう思わぬとしても、その臣僚どもは疑心を生じて讒言ざんげんを構え、難事に陥ることは火を見るより明らかです。まずは人を遣わして大将軍の印綬いんじゅを返し、齊王の心事を測るのがよろしいでしょう。その後、どのように処するかを定めるのが賢明というものです」

 成都王はその意見に従い、洛陽に使者を遣わすと上奏文に印綬を添えて朝廷に返上した。齊王はこの上奏を見ると、成都王の有能と己への礼譲れいじょうの篤さを喜び、使者に数々の礼物を授ける。また、使者を遣わして下賜品を届けさせ、かねて成都王の入朝を促すこととした。

 成都王が入朝すると、晋帝の司馬衷しばちゅうの勅命により官位を進められ、太尉たいい、大将軍、都督中外諸軍事ととくちゅうがいしょぐんじ録尚書事ろくしょうしょじに任じられた。さらに九錫きゅうしゃくを賜り、剣履上殿けんりじょうでん(剣をいたままで殿中に上がること)まで許される。これらが齊王の意によることは明らかであった。

 盧志が密かに言う。

「およそ、意を満たせば禍もより険しいものです。今の世を考えれば、君子は野にあって小人が朝廷に満ちております。それゆえ、葛旟かつよ董艾とうがい孫恂そんじゅん韓泰かんたい衛毅えいきの五公は才徳なくして政事にあたり、妬忌ときの心を懐いて欲をほしいままにしているのです。余人が己の上に立って、加害を思わぬはずもありませぬ。この理をお察し頂けるのであれば、九錫を辞退して軍権を返上された後、戦死者の遺功を論じて諸王侯の軍功を賞するよう上奏されるのがよろしいでしょう」

 成都王はその意見をれ、陸機に命じて上奏を起草させる。その上奏は、出征した将士の封禄を増して戦死者の忠魂を弔い、子孫を顕彰して義を勧めるべく行賞をおこなうよう願い出るものであった。

 齊王は成都王が軍権を返上したことを喜び、仔細しさいを問うことなく晋帝に上奏して盧志を筆頭とする成都王麾下の文武の官位を進め、かねて陸機を鎮国ちんこく将軍に任じて成都王に代わって軍権を執ることを許した。

 

 ※

 

 成都王は東海王とうかいおう司馬越しばえつ長沙王ちょうさおう司馬乂しばがいとともに洛陽に留まって朝政に参与することとされた。これより成都王の威名は鳴り響き、朝野の敬重けいちょうを受けること、齊王を凌ぐまでになった。

 葛旟はこの趨勢すうせいを見て身のためにならぬと覚り、齊王に勧めて言う。

「成都王は宗室の直系、さらに漢賊の乱を退けた功績がございます。朝野ちょうや輿望よぼうはかならずや成都王に集まりましょう。帝はあれども太子はなく、何者かが一計を案じて成都王を皇太弟こうたいていとするよう上奏すれば、異論を抱く者はありますまい。これでは大王の御為おためになりません。清河せいが王の司馬覃しばたんは八歳ですが武帝の嫡孫、皇太子となって不思議はございますまい。皇太子に立てるよう上奏なさいませ。このはかりごとがなれば、成都王を帝位にけようと望む者は朝野より消えましょう」

▼「司馬覃」は司馬遐しばかの長男。司馬遐は武帝ぶてい司馬炎しばえんの子、晋帝しんてい司馬衷しばちゅうの弟であるため、その子の司馬覃は晋帝の甥にあたる。なお、「嫡孫」は嫡子の子であり、司馬覃にはあたらない。

 齊王はその策を容れて東海王と約を結び、晋帝に勧めて言う。

「司馬覃を太子に立て、東海王を太子太保たいしたいほとなさるのが安国の基となりましょう」

▼「太子太保」は皇太子を教育する守役と考えればよい。

 晋帝は疑うこともなく、司馬覃を太子に立てて齊王を太子太師たいしたいし、東海王を司空しくうに任じて中書ちゅうしょの政務を総攬させ、軍国の大事にあたらせた。長沙王は齊王と東海王が権柄を壟断ろうだんする有様を見ると、閑暇の折に成都王に勧めて言う。

▼「太子太師」は皇太子の師父と考えればよい、

「齊王の専権を観るに、社稷しゃしょくに利なく宗室にも好ましくございません。一方、兄弟の情により誠実に齊王に尽くして変事の備えを欠けば、一旦に変が生じた際に大王も害を受けられることは必定ひつじょうです」

 成都王はそれを聞くと眉をひそめて言う。

「仁義をもって対すれば、彼とて禽獣のようにを噛むことはあるまい。兄弟は手足のようなもの、みだりに疑心を生じて仇敵の如く恨みを結び、他人にわらわれるようなことがあってはならぬ」

 長沙王は言い募る。

「齊王にそのつもりがなくとも、それに従う者たちは久しく謀を懐いておりましょう。趙王ちょうおう司馬倫しばりん)に仕えた孫秀そんしゅう士猗しい司馬雅しばがの行いを御覧になったはずです。趙王と敵対した淮南王わいなんおう司馬允しばいん)が伏胤ふくいんに首級を授けたことを明鑒めいかんとするべきでしょう。骨肉の親族を讒言して仲を裂こうとしているわけではありません。皇弟にこのことを申し上げる理由は、すみやかに備えを設けて身をまっとうされるようご心配申し上げているだけなのです」

 成都王は頷きつつ黙然と聞き終え、言った。

「兄の言葉は虚言ではあるまいが、謹んで余人に漏らしてはならぬ。孤もよくよく考えてみることとしよう」

 座を立って謝すると、それぞれの王府に還っていった。

 

 ※

 

 成都王は府に戻ると密室に盧志ろしを召して長沙王の言葉を伝えた。盧志が言う。

「趙王を討つにあたり、大王は黄橋こうきょうの一戦に敵を破り、黄河を渡って聖上を位にかえし申し上げました。また、先には諸侯を糾合して漢賊を退けられましたが、齊王は大王の威名が振るうことをおそれて兵糧を送りませんでした。これが謀でないはずがございません。また、長沙王と大王とが漢賊との戦をともにして暗に意を合わせているのではないかと疑うがゆえ、朝政を擅にすべく東海王と結んでおります。長沙王は齊王と大王が並び立たぬことから禍が身に及ぶのではないかと怖れ、大王に告げたのでしょう」

「齊王の勢は大きく権は重い。どのように処するべきであろうか」

 盧志が勧めて言う。

「この局面を切り抜けるのは易いことです。上奏して政事への参与を辞退なさいませ。その上奏文には『漢の賊帥ぞくすい曹嶷そうぎょく魏郡ぎぐんの付近にあり、涼秋には軍勢を起こして中原を侵するつもりであることは明白です。そのため、万機ばんきを齊王に委ねて臣はふたたび軍勢を預かり、国に還って防備を整え、漢賊を破って南下の意を絶たしめたいと存知ます』とかこつければ、国に還ることを許されましょう。これこそ虎のかたわらにある害を避ける良策です。大王が還られた後、齊王が主上を奉じて法にしたがい、孜々ししとして政務に努めるのであれば大王に危険はなく、さらに賞賜をも下されましょう。万一、齊王がおごって意をほしいままにし、不仁の政事をなして民を苦しめるのであれば、問罪もんざいの軍勢を挙げて諸王侯を糾合すればよいのです。大王にくみするものは雲のように集まって自ずから兵権は大王の手に落ち、齊王を誅殺ちゅうさつするのも容易いことです。ただ、臣の観るところ、兵を起こされるまでもなく、内より生じる変事を避けられないでしょう。大王はただすみやかに洛陽を離れられればよろしいのです」

 成都王は盧志の意見を容れ、上奏して漢賊の害を申し述べ、ぎょうに鎮守して漢賊の兵禍をあらかじめ防ぎ、かねて朝政はすべて齊王に託すると書き連ねた。

 齊王は己の威徳を宣揚せんようする成都王の上奏を喜び、それに従って晋帝に許しを乞う。晋帝はただ齊王の意に任せ、成都王の官爵を増して魏郡に帰るはなむけとしたことであった。

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