その8:ミミック・七月四日(一)~スポーツ労働移民・かつて「スパルタン(戦闘民族)」と呼ばれた古豪/ギリシャからの刺客・それは「火の国」の軍師の鬼謀か──日本が銃社会に変わる日
八、Let Slip the Dogs of War Act.1
二〇一四年七月から遡ること、およそ一五〇年――今まさに江戸幕府が終焉を迎えようとする間際、
後世に
同地に根を張り、数世代に亘って発掘調査へ心血を注いできた一族は、埋蔵作業の〝事実〟を示す有力な
七月六日の同県
当初は「熱帯低気圧」と気象庁から発表されたものの、前日五日の二一時に「大型で非常に強い勢力」へと変わっている。
広大な関東平野の丘陵地帯で六日の昼下がりを迎えたキリサメ・アマカザリは、凶兆の空を
『
「曇り空のお陰で気温が上がらなかったから、教室も中止にならずに済んだ」と、それでも前向きに捉えようとする母親に対し、口数が少ない中学生の娘は年齢に似つかわしくない諦念で顔面を満たしながら、無理を押して参加したのが間違いであったと言わんばかりに
身の
それにも関わらず、岳当人は能天気の極みとしか表しようがなく、今朝も「暴風雨は洞窟にでも隠れて凌ぐし、足止め喰らっても腐るほど用意した酒と
あまつさえ、
四半世紀も昔であるが、〝徳川埋蔵金〟は日本格闘技界とも関わりの深い有名コピーライターの『
疑惑の地点に穴を掘る
継続的な
以前にも同じ話を聞かされていたキリサメは右耳から左耳へ素通りさせるくらい
現在の
面識はないものの、その
日本でMMAが花開く以前まで遡る友人とはいえ、二〇年に亘って仕事を共にする関係が続いているのだから、この巡り合わせこそ〝徳川埋蔵金〟に匹敵する財宝であろう。
同じ赤城山ではあるものの、
鮮やかに燃え盛るはずであった夏の
東に
馬の足が背の高い草を掻き分けていく音は、岩手県奥州市の競馬場で
土の匂いを微かにも感じないほど深緑で覆われた小道は極端な隆起や窪みに足を取られて転んでしまわないように
「それにしても、アマカザリ君に乗馬の心得があるとは初めて知ったよ。姿勢も安定感抜群で頼もしいじゃないか。MMAの
一本々々を数え始めたら際限がなくなるほど立ち並ぶ木立が枝葉を重ねて作り出した天然のアーチを潜ったところで、キリサメは
鞍からの転落といった不測の事故に備えて互いの馬を寄せ、襟足の辺りで束ねた一房の後ろ髪を
「アマカザリ君ならきっとガンファイターばりの『ファニング』もバリバリ狙えますよ。
二人よりやや
テンガロンハットの代わりに被るのは、色こそ違えども師匠や弟弟子の
馬首を並べる師弟も
「
改めて
しかし、時代劇の撮影ではない。厳密には
練習方法を考案した
乗馬教室を差配するのは〝おんな
(白馬は寅之助にも似合っただろうな。……〝次〟は連れてくるから恨まないでくれよ)
一等大きく鼻を鳴らした馬の首を柔らかな手付きで撫でながら、キリサメは乗馬教室に同行していない
ありとあらゆる格闘技を深刻な人権侵害と一方的に決め付け、その根絶に狂奔する過激思想活動――『ウォースパイト運動』の先鋭化が危ぶまれる状況下ではあるものの、大規模なテロ攻撃でも受けない限りは危害を加えられる可能性が低く、二〇一四年七月六日現在に
日本史上最強の剣士から受け継いだ『タイガー・モリ式の剣道』を
能天気の三字が陣羽織を着て歩く
そもそも寅之助が首都圏を離れられない状況を作り出したのは、
『コンデ・コマ式の柔道』を甦らせた幼馴染み――
電知が体験した技を自分も味わいたくて堪らず、この幼馴染みが闘った人間へ襲い掛からずにはいられない性情も常軌を逸しているが、キリサメ自身も寅之助から仕掛けられた秋葉原の〝
自分が借り受ける馬に寄り添い、厩舎から初心者用の馬場へ引いていくことも
首の後ろで結んだデニムのバンダナとテンガロンハットを組み合わせるという〝ウェスタンスタイル〟の
標高の高い
この措置は参加者の安全確保のみを目的としているわけではない。熱中症は馬にも容赦なく牙を剥き、これを回避する選択肢が人間よりも限られるのだから、最優先で命を守る為には当然の判断であろう。二時間近くマイクロバスに揺られてきた参加者からすれば迷惑な皺寄せかも知れないが、
その移動時間に
年齢差もそれほど開いておらず、「ハセ」、「ブチ」と互いに
そして、その瞳の奥に宿した情熱も、
迂闊にも尻尾を正面に捉えるような位置に立ってしまった『
この乗馬教室自体が
〝おんな
言葉を必要としない〝会話〟が少しずつ出来るようになった馬と人は、建物や馬場の間隙を縫う形で設けられた
「森の小道へ入る前、四角く仕切られた馬場の横も通り過ぎましたが、鞍に掴まったまま逆立ちに近い姿勢になったり、走る馬に飛び付いてそのまま跨る練習をしていました。あのサーカスのような技も馬術の一種なのですか。上級者用の馬場と伺いましたが……」
「あれは〝曲芸馬術〟だね。身軽さと器用さは『
「お陰様で
「
「何でも楽しいお年頃なのさ。
「
「ゆりちゃんの〝古巣〟という言い方もあるかな。彼女がまだサーカス団に所属している頃に真平君が
不意に明かされた為に驚きはしたものの、サーカス出身という前歴自体は意外とは感じない。
格闘家を〝兼業〟するキリサメや
これを率いる
乗馬教室に参加していない〝先輩〟
しかしながら、喧嘩を好むような
格闘技や古武術が身近にある環境で生まれ育った為、髪も派手な色に染めない性格でありながら喧嘩が鬼のように強く、
幼い頃から
駐日大使の愛娘を巡り、国際問題に発展し兼ねない大事件にも巻き込まれた――と、近藤本人が苦笑交じりで語ったときにも、当然ながらキリサメの双眸は大きく見開かれた。
望むと望まざるとに関わらず、大きな争いに飛び込まざるを得ない弟子たちを
(僕だけが
定められた
コンクリートの摩天楼が立ち並んだ東京ではなく、群馬県と同じように自然が豊かな故郷の山梨県では『
神通が生まれ育ったのは『
〝戦場武術〟の若き宗家と己を並べて考えるのは余りにも不遜とキリサメも弁えているのだが、神通と同じ技を試そうものなら、一秒と経たない内に姿勢を維持できなくなって鞍から
しかし、いずれは高度な
数世紀に亘って受け継いできた
見習いの
映像作品に出演する〝役者馬〟が何頭も所属し、極めて難しい馬上での演技の体得を志す俳優への指導にも力を入れているのだ。顎の輪郭線を覆った白髭が際立たせる
移動中の
「会ったこともない選手のことを
「ルワンダも農業国だものね。一種の『ガーデンセラピー』だったのかな、その選手も。ブチもね、呼び方すら定まっていない大昔から『ホースセラピー』の可能性を信じていたんだよ。彼の座右の銘の『馬から学べ』とは繊細な馬を気遣う心得というだけではなく、馬と心を通わせることで
「今、僕も
柵によって仕切られた馬場を出て馬を進める〝
厩舎に
気持ち良さそうに揺れる栗毛のたてがみも、吹き抜けた風と舞い踊る草花も、日本格闘技界を
濁流化した日本格闘技界の混沌によって〝兼業格闘家〟である
その一方で、
師匠や兄弟子から手綱捌きを褒められた瞬間に脳裏を
「――それにしても、キリサメ君に乗馬の心得があるなんて初めて知ったよ。なかなかサマになっているじゃないか。まさか、お袋さんの塾では馬術まで教えていたのかい?」
去年の七月、奇しくも
ペルーという
労働者の権利を侵害し兼ねない新法の公布に端を発する大規模な反政府デモ――『七月の動乱』を裏から操り、怒れる民を内乱の尖兵に仕立て上げて〝大統領宮殿〟に差し向けたテロ組織の
キリサメを
国家警察にとっても想定を大きく上回る犠牲者数となった為に死者の尊厳を守るシートまでもが足りなくなり、乱雑にも新聞紙で覆われた
自分のことを人でなしの薄情者としかキリサメには思えなかった。馬上というただ一つの共通点を
改めて一年前を紐解いてみれば、鞍から振り落とされなかったのが不思議である。互いの呼吸を合わせることなど考えもせず、鞭の代わりに『
警官隊とデモ隊が衝突した
対テロ任務へ就く為に訓練された警察馬は、ペルーの国旗が括り付けられた鉄製の
一刻一秒を争うほど差し迫った状況ということもあって、テロ組織の
今日は
八王子丘陵から望む赤城山に
揺るがし
『
(おまけに
己の状況を振り返ったとき、必ず脳裏に浮かぶのは海を渡った
黎明期の様式を再現した
声優と
想い出のエアーソフト剣を胸元で
ほんの少し紐解いただけでも
岳の隣で寸分違わず同じ姿勢を取る
想い出したように慌てて改造バイクで乗り付け、リーゼント頭の隣でV
今はまだ友好的とは言い
二日前――忌まわしい因縁としか思えない〝七月四日〟から始まった〝内部抗争〟は、日本格闘技界の行く末を確実に左右する。如何なる結末を迎えるにせよ、思い浮かべた誰一人として影響から逃れる道はなかった。打つ手をたった一つ誤っても、自分以外の〝誰か〟と歯車が噛み合わなかっただけでも、心から〝身内〟と呼べる人々が連鎖的に破綻へ追い込まれるのである。
己も含めて、今や日本格闘技界の誰もが生き残りを賭して大博打に挑んでいた。
(同じ年の頃に拳を〝罪〟で
望むと望まざるとに関わらず〝樋口政権〟の転覆に踏み込むということは、直接的な利害の面に
四角いリングに
(――母親の教えを逃げ場にするなと
この〝内部抗争〟では〝敵〟の照準が早くも『八雲道場』へ直接的に向けられている。
自分を迎え入れてくれた〝新しい家族〟の行く末そのものが人質に取られたような状況を決定的に閉塞させない為、考えられる全ての策を講じる。卑劣な〝騙し討ち〟であろうと喜んで選ぶ――
最初に基礎練習を行った丸馬場と、
その草原も
初心者向けの教室ということもあって小走り程度ではあるものの、ずっと
「あの赤城山を挟んだ向こう側――
「カリガネイダーという長野のプロレスラーとも親しくさせていただいているのに、それは全くの初耳です。僕もこうして間接的ながら〝真田忍者〟と接点があるわけですから、岳氏も埋蔵金伝説ばかりではなく身近な話題を話してくださっても良かったのに。バスの
「本家筋の
「
「そもそも沼田の領地は
「
「
「飼い犬に手を嚙まれた――と、単純には言い切れない状況だったことは無学な僕でも察せられました。亡き母の日本史の授業ではそこまで深く掘り下げませんでした」
改めて
以前に聞かされた伝承で
「当然、真田のほうもすぐさま徳川に手切れを叩き付けて、衝突不可避となったのが世に名高い『
「徳川は徳川で、上田と沼田の両方に兵を割かざるを得なくて余裕なんか
「正直、
「そう言いながら、アマカザリ君も
「……
「領地の死守が最優先っていう
「徳川軍と戦った上田城は、その徳川に
「
若き日の八雲岳に忍術の極意を授けた師匠であり、
真田忍者の師弟の間に
「再来年の連続大型時代劇は『
「今のところ、
当初の
〝
『
秀吉も家康も、
後世に
尤も、手段を選ばない生き残りの謀略と
史料上の根拠とは別のところで成立した江戸時代の講談であるが、
『
「
兄弟子が付け加えた
普段の養父であれば、真田家と群馬県の接点を
おそらくは乱世の振る舞いに触発されて
実際、手段を選ばず
『在野の軍師』あるいは〝ランボー〟の異名で法曹界から恐れられるアルフレッド・ライアン・バロッサ弁護士――
日本MMAの黄金時代以来、長く交流してきた友人家族を巻き込む〝騙し討ち〟の応酬に岳は終始一貫して消極的な態度を取り続けている。友情や親愛に惑わされて否定的な思考へ切り替わってしまったと言い換えるべきであろう。
煮え切らない様子でそっぽを向いてしまう
それにも関わらず、二日前に
一つでも選択を誤れば『
ほんの僅かな迷いに囚われて足元が
南半球に位置するペルーは冬だが、北半球の日本は夏であり、遠くに望むのもアンデス山脈ではなく赤城山である。警察馬ではなく
万が一のときには己一人で始末を付ければ済むと思っていた
一年前の『七月の動乱』では忌むべきテロ組織がペルー政府に対する民衆の怒りを煽り立て、イタリアに
『ロンギヌス社』の
『八雲道場』との絆を疑っていないと推定される相手を爛々と輝く目で罠に嵌めようとする未稲の異様さを見ていると、
復讐を果たしたところで
(これが
内なる声に耳を傾けるよう〝心の専門医〟である
「
「ここまで伺った
「あるいは秀吉と
室町幕府の意向を受けて関東に赴き、甥が統治する
口に出して『八雲道場』が置かれた状況を確認せずとも、少年の瞳を隣の鞍から覗き込めば危うい企みを胸の奥に隠していることが
「うんうん――良い顔じゃないか。迷いと悩みを受け
「まだ一七年しか生きていない分際で生意気かも知れませんが、こんなにも頼もしい言葉を僕は他に知りません」
釘は刺しつつも胸の奥の覚悟そのものは
「基礎練習へ移る前の説明でもブチから念を押された通り、馬という生き物は背に乗せた人間の心に驚くほど影響を受けやすいんだよ。不安や不満といった穏やかではない
「キミが心に決めたコトは、一つの信念として間違っちゃいないってコトさ。同じ
栗毛のたてがみがうねるほど激しい
それでなくとも視線の先に
それから間もなくして〝おんな
「馬は良いだろう、アマカザリ君。小さな悩みの
「僕もこれから長い付き合いになりそうです。そう答えられることも嬉しいですよ」
出発地点で〝後輩〟を迎えた
彼は
首都圏で活動してきた
今までの『
対抗戦の相手は違法な〝
同種の〝密造銃〟が対抗戦に持ち込まれることも十分に考えられるのだが、電知は命懸けの戦いでこそ『世界最強』という夢を叶えられると強く信じており、凶弾の餌食にされる危険性など出場を見合わせる理由にはならないのだ。
『
跨る白馬を巧みに寄せ、順番が回ってきたことを知らせるように肩を叩いた
硬い靴を履いた状態での攻防を想定し、暴風雨の如き蹴り技を主体とするフランス発祥の格闘術――『サバット』でもって密造銃事件の犯人を〝成敗〟したホストとも寅之助の仲立ちを受けて面談する手筈となっていた。
歌舞伎町で開催される『ホスト格闘技』の
打てる手は全て打ち、味方になりそうな者は一人として逃さない――その企てに「お前にしか託せないことなんだ」という言葉で加勢を求められた寅之助は、
(結局、誇り高い『メイセイオペラ』にはなれそうもないけれど、そう
四つの瞳が突き抜ける先の赤城山は輪郭がおぼろげになるほど依然として遥かに遠いものの、
もしも、この場に八雲岳が
他の参加者よりも速度を上げて草原を駆けるキリサメ・アマカザリとスコーチャースパイクは、まるで二日前――日本格闘技史上最大の叛乱劇の〝
*
ファンとの交流会を兼ねた
これと同時に『
国内で開催されるMMA
MMA
八時間後に始まるのは未成年の選手生命を犠牲にし兼ねない事態であり、『
あくまでもMMA選手の命に寄り添わんとする杖村の思いは他でもないキリサメ本人が認めており、別れ際の握手にもその配慮に対する感謝を込めたのだった。無論、そこに
「現在、一時帰国している『NSB』の進士選手とアマカザリ選手の
無論、己が仕出かしたことは機密漏洩に等しいとも弁えており、解任を申し渡されることを覚悟してビデオ会議に臨んだのだが、裏切り者と糾弾する声は誰からも一度も上がらなかった。それどころか、法律事務所の所長室でノートパソコンの内蔵カメラを覗いている
「選手を思いやる気持ちを最優先させた杖村君の判断も大正解だよ。我々はみなMMAの発展を目指して集まった〝同志〟だ。君自身の目でアマカザリ君は未来を託し得る人材と見極めたのだろう? それを悪いことなどと、どうして切り捨てられようか」
「樋口さんが押し付けがましいくらい触れ回っている例の
「小耳に挟んだのだけど、あの
対戦型格闘ゲームの開発・販売だけでなく、フィットネスクラブなどの運営やオリンピアン・パラリンピアンの育成支援事業にも尽力する国内有数のゲームメーカー『ラッシュモア・ソフト』の会長であり、『MMA日本協会』の副理事長を兼任する
同協会の会合に本社ビルの会議室を提供している徳丸は、経済人としても国内外から畏敬されており、遠隔地を繋ぎ合わせるビデオ会議にも手慣れている様子だ。絶大な人気で一時代を築いた自社
「
「樋口に気付かれないよう裏で動き回っちゃいるけど、協会の
理事長の
その吉見副会長が口にした『オカケン』とは、『MMA日本協会』で会長を務める
七月四日は同協会にとっても大勝負の日であり、一八時の決行に向けてビデオ会議を設けたわけであるが、岡田会長はどちらも欠席せざるを得なかった。七時間という時差が横たわっている為に時計の針は重ならないものの、政権与党の文部科学大臣として同日にルワンダで執り行われる式典へ特別に招待されているのだ。
現在の首都キガリは三時頃――本人が希望しようとも
「約二ヶ月という短期間での二連戦――単純計算で一ヶ月に一試合という
短期間で立て続けにMMAのリングに臨まざるを得ないキリサメと同条件であれば、疲弊を最小限に留める作戦を互いに採ることであろう。しかし、その必要がないのだから、〝心技体〟を完全に使い潰すような戦い方も選べるわけだ。休息と調整が不十分な状態で迎える
「樋口さんから〝彼〟に突き付けられた最後通告が一種の引き金であったとはいえ、片方ばかりが救済措置を約束されるのは公平性を欠いています。そういう意味でも杖村さんの行動は正解だと思いますよ。〝彼〟は何もかも承知した上で今日の一八時を迎えようとしていたのですから、この捻じれた構図は是正されて然るべきでしょう」
『
「勿論、MMA選手として生き残る為、〝彼〟がこの
「一〇代の回復力で九月までに治療が完了しても、そこからの
「……我々が仕掛けた計略の要ではありますが、ルールの策定によってMMA選手の命を守る〝法の番人〟として、私の責任で提言するべきでした……っ」
「一戦目の負傷と回復の進み具合では、タファレル選手との二戦目のほうを強制的に順延させます。
「若者の自然治癒力を当て込んだ無理が祟って、人生の岐路で大事な
「そういうのは口にしないのが粋では? 吉見さんご本人でなく杖村さんの
「こういうのはね、理屈じゃなくて直球勝負でキメるモンなのよ、館山」
京都の
だからこそ、杖村が『
「杖村さんの
「辞退も正当な権利とアマカザリ選手へ直にお話しさせていただきました。勿論、タファレル選手との試合ではなく一八時から発表されるほうを。……彼に持ち前の誠実さで首を絞めさせてしまったかも知れません。〝火の国〟の怒りから『
「計画丸ごとブチ壊しってワケにはいかねェし、仮にゴネられたら沖縄クレープを手土産に出張るつもりだったけど、大事な
ビデオ会議の出席者が覗き込むパソコンの画面には、四角い枠で仕切られた〝同志〟たちの顔が上下左右にが並んでいる。そこに『MMA日本協会』とは無関係の人間が一人だけ混ざっていた。
〝後輩〟の決断を讃えるかのように沖縄の伝統楽器である
今から七年前――〝格闘技バブル〟の崩壊と『
『がんじゅ~い』と刷り込まれたフードトラックで首都圏を経巡っており、
一八時まで
『MMA日本協会』のビデオ会議へ乱入したかのようにも見える
〝格闘技バブル〟を牽引した当時の最大団体が
〝七月四日一八時に起きること〟にも、欠くべからざる要の一人として関わっている。
「時差があるから午前と午後はあべこべだけど、ルワンダの式典と我々の大勝負が始まる時間は概ね一緒だったね。メールで伝えるにしても岡田会長には事後報告になるか。説明しないわけにいかない人たちが他にもいるが、厄介なのはタファレル選手だ。彼は大らかに見えて意外と細かい。機嫌を損ねると面倒臭いことにもなろう。
「レオニダスねぇ。キリサメに喧嘩売った辺りの無理筋からキナ臭ェって気になってたんですよねぇ。知り合いに頼んで探りを入れてみたんですがね、ブラジルのお友達がキリサメの故郷に潜り込んだっつうのは、タイミング的に怪しいったらありゃしねェでしょ」
「まァまァ、お待ちよ、
「折原センセには〝コソ泥〟みたいにからかわれたくないんですがねぇ。そっちで〝寝業師〟の真似事を始めようってんでしょ? 今から大将首の足元を切り崩していかなけりゃ色々と手遅れになっちまいますからねぇ~」
「人聞きの悪さはお互い様だね。
情報漏洩の
ビデオ会議の出席者たちにも先ほど明かされたばかりであるが、折原理事長は日本MMAそのものに対する
〝大将首の足元を切り崩す裏工作〟と
「あとは
〝何か〟を言い淀んだ
『ウォースパイト運動』の過激活動家が『NSB』の
その首謀者たちが〝サバキ系空手〟の先駆け――『
『
『
「私生活での素行不良はともかく、空手家としては子どもたちの未来を守る為に我が身も喜んで犠牲に出来る方なんです。『ウォースパイト運動』とは全くの正反対と、それだけは公聴会で伝えてください。……私生活の素行不良をツッコまれたらお手上げですが」
「悪ふざけで杖村さんに乗っかるワケじゃね~けど、沙門がスキャンダル以外で弁護士センセのお世話になるなんてなァ~。笑うしかねぇくらい図太い野郎だから、アメリカでバカな真似しねェように手綱捌いてやってくださいよ、館山さん。……アイツ、
支配的な上下関係に基づいた〝シゴキ〟と理不尽な根性論を廃絶させ、負担を抑えながら効率的に
「館山君の懸念は尤も至極。具体的には東南アジア――とりわけシンガポールで飛ぶ鳥を落とす勢いを見せる〝例の団体〟にとって、今度の公聴会は勢力図を塗り替える好機だ。『MMAの未来が決まる決戦の日』という報道も決して大袈裟ではあるまい。館山君が我らの命運を託し得る人物だということを
日本のみならず世界経済にも目が利く徳丸副理事長も、公聴会の影響という一言から館山と同様にMMAを巡るアジア圏の情勢に思い至った。
同団体は『至輪』と漢字二字で表記した上で、『パンゲア・ラウンド』と称している。
太古の昔に地球は一つの
二〇一四年七月四日現在、『
この姿勢は『MMA日本協会』も認めざるを得ない。それ故に〝
「我々が少しばかり打ち合わせにない行動を取ったところで『ナントカは喧嘩せぬ』の金言通りに『ハルトマン・プロダクツ』は気にも留めまいが、『
「……公聴会の結果、
「そのときには『MMA日本協会』の事情も、『
〝第三勢力〟たる『
政府系ファンドが後ろ盾となる事実は極めて重い。徳丸からすれば、『
『
それなりの〝地位〟を築こうとも〝王〟にまで上り詰める将来性はないと『
幼い頃から『シラット』という伝統武術を嗜んできたものの、格闘技に人生の〝全て〟を捧げた人物ではなく、ロシュ・
それ故に収益のみに固執する胴欲者といった印象を持たれがちであるが、シンガポールの旧宗主国――イギリスに
仏教の恩師から一字を貰い受けて『
尊敬と脅威を同時に感じざるを得ないロシュ・
『
館山も徳丸も過剰反応と自覚はしているものの、この警戒心だけは抑え
理事たちが見つめる画面には映らないものの、傍らに控えているであろう秘書が血圧の急上昇を案じるほど憤然と鼻を鳴らしながら、徳丸は
『
前身団体が解散の憂き目に遭った
『
〝格闘技バブル〟の〝亡霊〟が自分という存在を受け入れなかった日本のリングに怨恨を抱いていないはずがなく、前身団体の〝正統〟である『
ましてや『MMA日本協会』が
『
東南アジア伝統の竹笛を
『
「MMAを巡る日米とシンガポールの緊張状態を『在野の軍師』と名高いバロッサ先生が察知していないとも思えません。アマカザリ選手と同じリングに立つ〝彼〟の後ろ盾であることも疑いありませんから、足元を見て何らかの手を打ってくるはず。同じ法曹界に属しているのに向こうの出方を掴めないのが歯痒いばかりですよ」
「自分で足を伸ばして思い知りましたけど、東京と熊本は遠過ぎる。この一言ですよ。見えない読めないのは当たり前でしょう。現地の事情は自分が出張中に探っておきますからご安心ください。仲間同士の助け合いで参りましょうよ」
気を緩めた途端、四面楚歌のような錯覚で館山の正気が脅かされそうになるのは、一八時から決行する騙し討ちに〝法の番人〟として後ろめたい気持ちが強い為である。
弁護士という仕事を通して培った揺るぎない理性は、信念に従った杖村を眩しそうに見つめている。その一方で行動自体は軽率にも私情に囚われたと分析しており、自らに同じ浅慮を許さないのが館山という人物であった。
「オレらがおっ
大勝負を間近に控えているというのに憂色が濃さを増し始めたビデオ会議から幸先の悪い暗雲を蹴散らそうと、不在の会長に代わって吉見副会長が熱烈な雄叫びを上げた。
その言葉に画面上の皆が頷き、
(その〝天〟は、天秤を掲げた正義の女神は、私たちに如何なる審判を下すのかしら)
勇ましく鼓舞されても眉間に寄る皺の数を減らせなかった館山が先ほど言い淀み、咄嗟に依頼人である
不意に脳裏を
「……ここまで〝茶番〟に付き合ったんだ。
『
小刻みに震える肩を一瞥すれば、耐え難い屈辱に苛まれていることは明らかであった。脅迫めいた言葉ではあるものの、その声色は
そこまでして
存在すら認めないと言わんばかりに『
*
二〇一四年七月四日の下北沢は、朝から降っては止んでを繰り返す
キリサメ・アマカザリが人間という種を超える
「……出来過ぎでしょ、天気まで……」
華やかな
それは実父の八雲岳に対する反応である。
「マジかマジかマジか⁉
「俺ならどういう魂胆かと問い詰めるところですし、師匠も直球勝負こそ好まれておられますが、この複雑怪奇な状況を思えば、そうも行かんのでしょうな。ましてやその名前は杖村も〝共犯〟として挙げておらん」
「何でアイツ本人じゃなくて家族のほうが出張ってくんだよ⁉
「僕と岳氏の間では色々な面で物事の基準が違うのだと、この五ヶ月の
朝から続いていた
岳が電話の着信音として設定しているのは、人生の大恩人がハゲワシのプロレスマスクを被るきっかけとなったテレビアニメとしての『ヴァルチャーマスク』の主題歌である。
有刺鉄線デスマッチを繰り広げた直後のような背中の裂傷に、首や下腕の
それ程までに岳は慌てふためいているということだ。着信に応じるか、聞き逃すのが正解か、悩みに悩んでいる間に『ヴァルチャーマスク』の歌は再び
時差が横たわっている為に東京と同時刻とは言い
「――いよいよ
「
暫し逡巡した
困っている人間を捨て置けない面倒見の良さに甘えるような物言いではあるものの、同席する
元妻の
『NSB』の所属選手である藤太が一時帰国に当たって『八雲道場』に滞在していることは、絶対に接触させてはならない関係の嶺子に隠してあったのだが、
キリサメと藤太が『八雲道場』へ
岳が家族に傷だらけの姿を晒したのは、七月三日の夕陽が完全に沈んだ頃である。
「嶺子のヤツ、口じゃボロクソにぶちのめしてくるクセして、やっぱりオレとずっと惚れ合ってるんだからよォ~。アイツのあ~ゆ~トコが可愛くて仕方ねェんだよなァ~」
帰宅するなり、近所迷惑など一顧だにしない大声で元妻への愛を謳い上げたのだ。
指先に至るまで怒りが
その未稲もキリサメと同じ結論に辿り着いている。出発前は頭頂部よりもやや後ろの位置で結い上げていた長い髪を下ろし、それが
明けて四日も
前夜の経緯から通話相手との関係が不健全ではないと確信しながらも、冗談交じりという親愛の情が込められた言葉さえ誰一人として額面通りに受け取れないのは、「一〇年近く昔に教わった電話番号から変更されていなくて安堵した」と前置きする声が分かりやすく震えていたのも理由の一つである。
小器用に生きられない性分だけに、些かぎこちない態度で気付かない
数年前まで師匠と同じリングに立っていた藤太も通話相手と父親の両方の顔を知っている為、
改めて
そもそも彼は師匠の首や胸部、
「お前の父ちゃんも天文学的な確率にひっくり返ったんじゃねぇのか? 例えにしちゃおかしいかもだけどよ、お前の――『メリッタ』の災難は宝くじの一等賞を引き当てるより難しいハズだぜ。将来を見越した覚悟の〝東京留学〟だってのに、
「『八雲道場』に泊りがけでお邪魔していた小学生の頃から何年経ったと思ってるんですか~? とっくに親離れしてますって。昔は
岳と藤太の
大学の夏休みを使い切るようにして組んだ
即ち、エーゲ海と日本を結ぶ国際電話で互いを探り合っているわけだ。
岳から『メリッタ』と呼ばれた通話相手は、
反社会的勢力との〝黒い交際〟が暴かれたことで〝格闘技バブル〟もろとも二〇〇七年に崩壊した
二〇一一年の『
その当時は藤太も同道場の所属であり、嶺子の左手の薬指にも結婚指輪が煌めていた。
鬼貫道明やヴァルチャーマスクも交えた
異邦人の心をも瞬時にして掴んでしまう望遠鏡が東京タワーから撤去されたのは、二〇〇八年のことであった。それまでに間に合ったのは
過ぎ去った日に失ってしまったはずの絆が今も繋がり続けていると、双方が確かめ合う電話とも言い換えられるわけだ。触れ合った時間こそ限られてはいるものの、実の娘と同じくらい慈しんだ
「他ならぬメリッタからの頼み事とあっちゃ前向きに善処するっきゃね~だろ。
「岳さんはそう言ってくださるって信じてました! こうなったら留学中はカプセルホテル暮らしでやりくりするしかないって覚悟した瞬間、東京には岳さんがいるじゃないってハッとした自分にノーベル緊急回避賞を授与したいくらいですっ!」
「
「再三再四、確かめてはみたのですけど、それどころじゃないって感じで……。仲介人が間に入っていたら、そのテの保証もあったハズだし、今回はただひたすら自分の甘い見積もりを後悔しています。単なる観光旅行なら諦めもつくんですけど……」
日希両国間に横たわる一〇年という長い〝空白〟の歳月に緊張していたのか、あるいは〝何らか〟の思惑を胸に秘めている為か、通話の開始から間もなくは声の調子も随分と控え目であったメリッタであるが、言葉を重ねる
岳と藤太の
ギリシャに
未稲が首を縦に振らなかった理由は明白であり、またそこには二重の意味が込められている。メリッタ――つまり、ライサンダー・カツォポリスの一人娘から電話が掛かってきた時点で、『八雲道場』の誰もがこの接触に不審という二字以外を感じなかったのだ。
前日三日から脳を
「――学費の免除などギリシャは世界一というくらい教育制度が充実していると、亡き母から教わりました。同時通訳を生業とするには資格が必要だとも。国家事業にも欠かせない仕事を志す学生が
これは電話越しの近況報告を受けて、キリサメから藤太に耳打ちされた懸念である。前者はメリッタの言行を一つ残らず不審に思っているわけだが、後者も邪推の一言で切って捨てることは出来ず、重苦しい呻き声を返事に代えるしかなかった。
師匠に負けず劣らず一本気な『フルメタルサムライ』は、陰謀めいたことが苦痛でならないところも良く似ているのだった。
「声の一つもずっと聞こえないのが不思議で仕方ないんですけど、嶺子さんもそこに居るんですよね? 折角、スピーカーフォンになっているのですし、是非ともご挨拶したいです! ていうか、『
「
この通話が始まる寸前まで「
一方のメリッタは声の調子から岳が離婚の痛手を未だに引き摺り続けていると感じた様子であり、電話のこちら側でも明確に分かるくらい慌てふためいていた。
「は、初耳! 父さん、そんなコトは一度も……ッ! あの……、ちょっとショックって一言でも表せないっていうか……。同じ
「
「あ~! ひょっとして岳さん、浮気したんじゃないでしょうね? 泣き付いた立場でこんなコトを言うのは命知らずも同然ですけど、人の道だけは踏み外しちゃダメですよ!」
「……さ、察してくれとも言えねぇし、そっとしといてくれや……!」
八雲家の
『フルメタルサムライ』の額や腋に冷たい汗が噴き出す一方で、キリサメは
スピーカーフォン状態に設定されてはいるものの、ビデオ通話ではないので海と大陸を隔てた向こうの顔など見られるはずもないのだが、時おり硬くなるメリッタの声と、そこに滲む〝何か〟を抜かりなく拾わんと前のめりになっているわけだ。
「――お母さんは出てっちゃったけど、私は『
「えっ⁉ その声って……、ひょっとして未稲っ?」
自身の
垂れ込めた沈黙に耐え兼ね、『八雲道場』からの出奔という
「お父さんよりお母さんより、誰よりも真っ先に私に声を掛けるべきじゃないの? 私を頼ってくれたら良いのにさ。私たちの関係って、そんなに浅かったっけ? メリッタが東京に来たときは私を、反対に私がアテネを旅するときはメリッタを、それぞれ助けるって約束したのにな~。私だけが大切にしてる想い出なんて間抜けの極みだな~」
「いや~! いやいやいや~! 『離れ離れになっても私たちは魂の姉妹』っていう誓いは一日だって忘れたコトがないけど、だからって――ううん、だからこそ未稲に甘え過ぎるのはお姉ちゃん的にダメなんだってば~。そもそも岳さんの頭越しに
「勉強熱心なメリッタなら『将を射んとする者はまず馬を射よ』って日本の
「そりゃ確かに嶺子さんと未稲の言いなりだったよ? でも、切羽詰まってるって言ってもそこに付け込むような真似したら人間としておしまいだって。ちなみに一つのお節介焼きだけど、未稲が引用したのは日本じゃなくて中世中国の詩が元ネタだったハズよ」
「東洋の
「父ちゃんの陰口叩いておいて
「師匠の心がだだっ広いコトを
誰かを
来日する
『八雲道場』で暮らすようになって五ヶ月が経とうとしているが、その間に姉妹も同然の友人が
広報戦略を学ぶべく師事している
『
ギリシャとペルーの
「そもそもね、お父さんが
「
すぐには
年に数回かつ不定期であるが、岳は『
日々の激務を通じて澱の如く心に溜まった憂さを晴らそうというわけであるが、〝自分探し〟のように高尚なものではない。行き先も決めずに足の赴くまま自分のことなど誰も知らない町や村を
人里離れたキャンプ地や無人島などに男所帯で繰り出し、焚火を囲みながら正体をなくすまで酒を酌み交わす――釣りや登山などを交えながらも、基本的には酔い潰れることだけを目的としたかのような乱痴気騒ぎのサークル活動であった。
愉快で
大雑把な旅程が招いた想像を絶する失敗を交えながら、キャンプの場景を面白おかしく綴った
〝本家〟のサークル活動は一九六〇年代半ばから二〇一四年まで半世紀を超えており、発足当初のメンバーも
旧態依然とした年功序列制度ではあるものの、最年少だけに雑用係が割り振られ、来週月曜日の出発に向けた買い出しに朝から駆けずり回っていた為、
玄関とリビングルームの間には壁一面という表現しか当て
毎回の恒例ながら廊下を埋め尽くした缶ビールのケースに絶句する未稲に対し、消化器内科・胃腸内科の医者が真っ青になりそうな飲酒量こそが心身の疲弊の証拠であると、岳は胸を張りながら笑って見せた。
今回は瀬戸内海の無人島でキャンプを楽しむ段取りだ。その岳が出発した翌日に入れ違いの如くメリッタを乗せた旅客機が日本に着陸するのだった。アテネ国際空港を発ってイギリス・ロンドンのヒースロー空港を経由する一五時間超えの
「丁度、一〇年前の――二〇〇四年の夏の想い出は、今でも私の心でキラキラと光り輝いてるよ。初めてメリッタが『
「あの日、着せてもらった浴衣は今も大事に仕舞ってあるよ。夜に未稲と一緒にやった線香花火は私にとって一生の想い出だよ。ギリシャのロケット花火とは似ても似つかないんだもん。……こんなに綺麗なモノが世界にあるんだって目が覚める思いで――日本の文化を一生の仕事にしたいと思ったきっかけなのよ、あの夜の花火は……」
「今年も花火をたくさん用意して待ってるよ」
姉妹も同然の友人を心の底から歓迎する――と、口先では繰り返しながらも、未稲の目は少しも笑っていない。それどころか、一〇年前に興じた花火の想い出を紐解いた瞬間などは、傍らのキリサメにも懐古の情とは真逆であろうと一目で分かる想念でもって片頬の筋肉を引き
丸いレンズの向こうで一切の感情を凍り付かせた瞳と、〝カツォポリス家の娘〟に向ける温かな言葉は、矛盾の極致という一言を除いて表しようがない。一家の責任を担う〝立場〟として最終的な決定権を持っている父親を押し退け、ついには己の一存で
そのことを察していればこそ、彼女が紡ぐ一言々々がキリサメの耳にはおぞましいモノのように聞こえてならなかった。自分に〝人間らしさ〟を与えてくれた日の未稲からは想像できない一面とも言うべきであろう。
藤太が『八雲道場』へ帰還した直後は、離れ離れの期間を挟んでも消え失せなかった慕情から随分とめかし込んでいた未稲であるが、緊張感は
今日もキリサメと同じ『ハルトマン・プロダクツ』のトレーニングパンツを穿いているのだが、〝天〟の気まぐれなのか、あるいは運命的な巡り合わせであったのか、これに組み合わせたTシャツには「騙されるとわかっててノコノコついてきたクソ度胸に教育的指導」という
「……お父さんの腹が据わらなくて、本当にどうするの? メリッタからの着信にあれだけ盛大に
〝カツォポリス家の娘〟との通話を終えた
未稲が意外と好戦的であることもキリサメは承知していた。格差社会の最下層で編み出された喧嘩殺法を彼女が初めて目にしたのは空閑電知との
防音効果の薄い木製のドア一枚では筒抜けにも等しく、向かい側の部屋で生活するキリサメも毎日のように聞いているが、主としてネットゲームに興じる最中、未稲は気に食わない事態に対して暴言を吐く悪癖がある。文章形式のチャット機能ではなく、直接的に言葉を交わすマイクの電源が入っていたなら、ゲーミングサークルの
その一方、『八雲道場』の活動報告を目的とした公式ブログや、
このような〝内に秘めた凶暴さ〟を差し引いても、電話の向こうのメリッタには視認することが叶わなかった未稲の
しかし、この局面に限ってはキリサメにとって何よりも頼もしい。
事ここに至った以上、私情に惑わされて立ち尽くしている場合ではない――感情が凍り付いたままの瞳を
「ちィっと落ち着けって、おい! 〝騙し討ち〟って決め付けは幾らなんでも先走り過ぎだぜ! 知らねェ間に〝裏〟で動いてたアレコレには確かにムカつくけど、ライサンダーが『
「うむ……、気付いておらんのかも知れんが、これは運命の分かれ道だぞ、未稲。踏み込んだら最後、二度とは後戻りできん。……『後の祭り』というモノは、決まって
「……今、ツッコむべきじゃないのは
「節操という言葉を知らない進士氏の下半身はともかくとして、杖村氏の情報提供で得られた利点を最大限に生かす迎撃態勢を
「如何なる罵声も甘んじて受け
「みーちゃんの言う通り、お二人とも認識が甘過ぎます。僕一人を
未稲に続いてキリサメにまで
「
「……オレはそこまでライサンダーが追い詰められてるコトに気付けなかった
「じゃあ、キリくんの選手活動を〝外〟から好き放題に利用されて平気なの?
「こうなった以上、〝裏〟で糸を引いている人間の思惑もろともライサンダー・カツォポリスの企みを叩き潰すしかありません。僕の経験上、半端な態度は〝敵〟に付け入る隙を与えるだけです。ましてや騙し合いは油断した瞬間に相手の手のひらの上に乗せられて、そこから破滅まで真っ逆様ですよ」
ペルー社会の暗部の調査に訪れていた日本人記者――
日本MMAの黎明期から苦楽を共にしてきた
「……本気の覚悟なら、俺にどうして止められようか……」
双方の気持ちが察せられる藤太は、再び
日本MMAが最も輝いていた時代の想い出を振り返りながら、通話が終わった
最大の当事者であるキリサメを筆頭に『八雲道場』の誰もがメリッタ・カツォポリスの電話を
〝カツォポリス家の娘〟は二ヶ月にも及ぶ東京への語学留学に当たって『八雲道場』に
前日三日の情報提供の際、キリサメは杖村朱美と握手を交わしたが、これは〝敵〟に先駆けて中長期的な戦略を練ることが可能という利点への返礼であって、感謝の気持ちというよりも皮肉に近い。
『八雲道場』に掛かってきた一本の国際電話は『平成二六年台風第八号』がマリアナ諸島で変貌を遂げる前の熱帯低気圧にも等しい。『八雲道場』で俄かに吹き
*
平日の昼ということもあり、所属弁護士の二人――
四段組の収納トレイや家族写真が映し出されるデジタルフォトフレームなどを並べた執務用のデスクに肘を突き、自らの唇を親指でもって弾き続ける所長――何とも面白くなさそうな
毎日、飽きずに決まってスモークサーモンサンドで腹を満たし、紙巻きタバコで一服した
壁際に幾つも立ち並んだダイヤル錠のロッカーが圧迫感を醸し出す一室に
前者は法律の専門家として、後者はムエ・カッチューアの師範として日本格闘技界に関わっているが、MMAに
「――先刻から何を不貞腐れておるのかと思えば、妻が里帰りの間に男友達と食事したというだけで盛大に
「煩い、黙れ。別にメイの浮気を疑っているわけではない。俺が想像していた以上に話が盛り上がったようで、それが何と言うか、……寂しいだけだ」
「聞いてよ、ゼラール。ご飯行ったのはヴィンセントよ? アルってば自分の親友にヤキモチ焼いてんのよ?
「その疑惑が『NSB』に与える
「こやつめ、抜かしたな。愛さえ唱えれば間諜扱いで妻をFTC関係者に差し向けた言い訳になるというその思い上がり、
所長室には互いを
机上の
主に同業者から〝ランボー〟などと物騒極まりない異名で呼ばれてしまうようなアルフレッドの
カリフォルニア州第一九選挙区から選出された三期六年目の与党下院議員――それが通話の相手が背負う肩書きであった。
他の連邦議員と同様にゼラールも会期中は議事堂が所在するワシントンDCで暮らしており、この電話も下院議員会館の事務所から掛けているわけだ。
七月四日はアメリカ合衆国の独立記念日である。
この時期は全米が華やいだ雰囲気で満たされるのだが、政治には一日たりとも空白期間が許されないようにカザン下院議員も家族と祝日を楽しむことは難しかった。妻も政治家である。二一時過ぎにリンカン記念堂の
恨みがましく思っているわけではないが、一つの事実としてアルフレッドも
熊本とワシントンDCには一三時間もの時差が横たわっている。わざわざ時計を確認せずとも日付が変わって独立記念日を迎えたことは、議員事務所の壁をも貫いて送話口に飛び込んだ喧騒からバロッサの夫婦にも感じ取れた。
太陽が頭上まで昇れば自身の主催するイベントが始まる。軍の慰問に力を注ぐアメリカ最大のプロレス団体によるチャリティー大会とも提携したもので、グアテマラからの〝亡命レスラー〟として話題となった『アグリッポ・フルーツランチ』も参戦するそうだ。
リングの上で披露するスピーチの原稿を通話しながら確認しなければならないほどの多忙であると、昂揚が伝わってくる声でゼラールは語っていた。
彼自身、
目の守護聖人の教えを広める伝道所にして、カリフォルニア州サンノゼの教区教会である『ミッション・サンタクララ・デ・アシス』を預かる神父にも招待状を送ったが、同じ七月四日にルワンダで執り行われる式典への出席が先に決まっていたそうだ。
神に仕える前のことであるが、『ベトナム戦争』当時のホワイトハウスで国家安全保障担当次席補佐官を務めた人物であり、アフガンの兵士と向き合った
このように一秒でも惜しい状況でありながら、カザン下院議員のほうが他国で暮らす旧友に連絡を入れたのだ。しかも、通話の際にはジャーメインを同席させるようにあらかじめ電子メールで指定してきたのである。
事務員から冷やかされたが、アルフレッドは
「余の招きに『クノク・フィネガン』も応じてくれたのだがな、明日の打ち合わせを兼ねた
ゼラールが名前を挙げたクノク・フィネガンとは、先天性の病気で両肘・両膝の下が無いパラアスリートである。
心身のハンデを持つ者と持たざる者が一緒になってスポーツに興じるアメリカで生まれ育ったフィネガンは、子どもの頃から取り組み続けたレスリングでは四肢が自由に使える選手と同じ条件で闘い、ハイスクール時代にアマチュア
フィネガン自身も傷痍軍人の心へ寄り添う活動に取り組んでおり、アフリカ最高峰という険しい山への挑戦も、アフガンで戦没した兵士の遺灰を天国に手が届きそうな場所から散骨するという
互いの活動が結び付き、下院退役軍人委員会に身を置くゼラールと交流を深めたのだ。
プロ・アマの
それ程までの思いを傾けている『NSB』の現状をフィネガンが案じていないはずもあるまい。ありとあらゆる格闘技を許されざる人権侵害と一方的に決め付け、その根絶を呼び掛ける思想活動――『ウォースパイト運動』の一部過激派の手によって、とうとう
今年の七月四日は『NSB』の
昼食を共にした際、クノク・フィネガンは
「俺のメイをわざわざ呼び付けたのは『NSB』絡みということか。……先ほど話題にした独禁法違反の
納得したように鼻を鳴らしたアルフレッドは、日本に帰化した弁護士とアメリカの下院議員という互いの立場を超え、ゼラールとは〝腐れ縁〟としてそれなりの頻度で連絡を取り合っており、
些か迂遠ではあるものの、ゼラールはクノク・フィネガンに成り代わり、血みどろの凶行によって『NSB』が被った
連邦議員の
被疑者全員死亡という最悪の結末を迎えた銃撃事件の余波は、半月が経過した
次期大統領選挙への出馬表明を控えた今、不用意な行動は支持率に響く――冗談めかして高笑いするゼラールであったが、実際には公聴会への影響を考慮して『NSB』に対する接触を控えたのであろうと、長過ぎる〝腐れ縁〟のアルフレッドには
MMAという〝スポーツ文化〟の行く末を占うとまで報じられた公聴会だ。支持者にさえ反感を買い兼ねない傲岸不遜な立ち居振る舞いでありながら、政治的判断は決して誤らないと、アルフレッドはカザン下院議員のことを評価していた。
「……あのテロに遭遇してしまった全ての人たちの〝痛み〟が一日でも早く癒えることを願わずにはいられないわ。あたしが最初に見舞った友人は――この間のジュリアナは、一九九六年のフィーよりずっと落ち着いていたように見えたわね」
全米屈指の視聴者数を誇るトーク・バラエティー番組――『フィーナ・ウィズ・ピースメーカー』の司会進行係はアルフレッドの幼馴染みにして三者共通の友人であり、同時に一九九六年アトランタと二〇〇〇年シドニーの二大会にアメリカ代表として出場したオリンピック選手でもある。
アトランタ大会ではメイン会場内の屋外コンサート施設を狙った爆弾テロが発生し、死傷者一〇〇名を超える大惨事となった。
この時点で女子射撃競技は全て終了しており、フィーナ自身も現場に居合わせたわけではないが、他国の選手と友情を確かめ合った〝平和の祭典〟を暴力で
ほんの一年前――マサチューセッツ州ボストンの市民マラソンを襲った爆破事件など、大規模な競技大会を標的とするテロの悲劇を教訓として立て直しを図ったイズリアルは、当夜の内に所属選手・団体関係者の護衛やカウンセリングといった支援体制を整え、同時に『NSB』の熱狂的なファンの暴発を食い止めるべく公式サイトに
迅速な対応が功を奏したのであろう。ジャーメインは『NSB』の〝絶対女王〟にして古くからの親友――ジュリアナ・オーケアノス・ヴィヴィアンを訪ねたのだが、動揺こそあれども二度と立ち直れないほど決定的に
数日間、
「ゼラール・カザン個人としては、テロに巻き込まれた人たちの心理的な
「取るに足らぬ妄想とはいえ、余の心の
ジャーメインが
退役軍人委員会であるゼラールが復員を
彼の絶命が
それ故にジャーメインは
『
『ウォースパイト運動』の過激派が徒党を組んで銃を乱射したのは、
平和な夜が絶え間ない銃弾によって引き裂かれる瞬間を目の当たりにした者の比率は、
暫しの沈黙を挟んだ
「政治家としてのお前には――カザン下院議員には、今度のテロがアメリカ国内の過激派に与える影響こそ憂いの種なのだろう? 昨晩、電話したときはお互いに銃撃事件には触れなかったが、『ウォースパイト運動』は国家安全保障上の脅威だと、
「我が上官殿はアメリカという国家への挑戦を断じて許さぬ御仁であるからな。相も変わらぬ貴様の小賢しき振る舞い、統合参謀本部議長ではない連邦議員が捨て置けぬこともお見通しと驕っておるようだな。しからば、探りを入れるような物言いなど時間の無駄ぞ」
ビデオ通話ではないので電話を掛けた先の様子はゼラールには見えない。それ故にアルフレッドは
ゼラールに対しては、個人の感情とは切り離した領域で働く政治家としての
アメリカ国内が顕著であるが、全世界に散らばった『ウォースパイト運動』の思想活動家は先鋭化に歯止めが掛からないのだ。
〝IT社会の寵児〟と呼ばれた『サタナス』による
当初は憶測の域を出なかったのだが、自らも現場に居合わせ、
犯人グループと接触した形跡が確認できない為、『サタナス』が主導的な立場でテロに関与したことは立証が不可能に近い。既に国家反逆罪などに問われている〝魔王〟の罪状を上乗せすることも叶わず、仲介役を果たしたと
アメリカの司法制度の限界を嘲笑う〝完全犯罪〟のように、己まで辿り着く道筋を断ち切った上で酸鼻を極める地獄をこの世に作り出せることが問題の根幹ではない。指導者を仰ぐのではなく、個々の活動家が組織的に連帯していないことが『ウォースパイト運動』の特徴であったはずだが、今や〝
そして、それは『サタナス』の意思とは無関係に〝同志〟たちを暴走に駆り立てる。マリオン・マクリーシュがフォルサム刑務所を訪れた日に一部の受刑者が徒党を組んで暴動を起こしたのだが、これは刑務官たちへの〝抗議〟ではなく、ボクシングを通じた更生プログラムの協力者である元ヘビー級
規模と状況は違うが、マリオン・マクリーシュは『ウォースパイト運動』の凶行へ立て続けに二度も遭遇したわけである。
格闘家どもは皆殺し――憎悪の雄叫びを繰り返す暴動は言葉による説得では鎮まらず、刑務官側が発砲を余儀なくされる事態にまで発展していた。ボクシングという〝暴力〟で国家を汚染した元ヘビー級
強い影響を与えていたのは間違いないが、ただでさえ攻撃的に先鋭化していた過激思想が刑務所という閉鎖空間の中で共振と膨張を繰り返し、その果てに破裂した次第である。
『サタナス』が存在し続ける限り、いずれフォルサム刑務所全体が『ウォースパイト運動』に取り
「軽犯罪程度に留まっていた抗議活動を
「億万長者にしては随分としみったれた〝財テク〟だよ。こんなカルト気取りがカイペル家の末路かと思うと、厭味を
『サタナス』の本名がエッジワス・カイペルであり、同じ
スポーツを通じた国際交流と相互理解の素晴らしさを肌で感じ、その夢の舞台であるサラエボが紛争によって破壊される悲劇を目の当たりにした
『NSB』の
ジャーメインが指摘した『サタナス』の
「ボクシング産業がアメリカの政財界に与えた有害な影響を
「……看守が射殺したのは最悪だったな。おそらく弁護士を通して例の論文をバラ撒いてくるはずだが、公権力の横暴が無条件で気に食わない人間の何割かはそれだけで『ウォースパイト運動』に転ぶ。偽善の被害者救済基金と組み合わされば、『サタナス』のほうこそ〝平和の使徒〟と錯覚するような風潮が生まれる。……感情に囚われるがゆえ人間という生き物は、大して理性的ではないからな」
「ドクター・バンバンの場合、重罪人の刑務所にブチ込まれた理由が最低最悪じゃない。あんな鬼畜が〝真実〟の先駆けみたいに持て
「人心が著しく乱れた
「煩い、黙れ」
『ウォースパイト運動』という過激思想の伝播と先鋭化は、『サタナス』という
アメリカから
〝
「確か『格闘技の聖家族』だとか呼ばれるオムロープバーン家は、
「今は
「テロに対する怒りを反転させるわけか。安全確保という名目は聞こえが良い分、
テロは破壊工作のみで完結するわけではない。
それ故に
「
「ムエタイをボクシングに、格闘技としての純度をMMAとの興収格差に置き換えてみれば〝アンチMMA〟の〝顔〟も見えて来ような。夫に染まって皮肉も達者になったようではないか、ジャーメイン・バロッサ」
「アルの色に染められたのは口の悪さじゃないわよ。ムエタイの場合は伝統と歴史を守る為の決断だけど、アメリカで起きようとしている
「今月半ばに開かれる例の公聴会、スポーツメディアは『MMAの行く末を占う』と触れ回っているが、案外、誇張ではないのかも知れないぞ。結果如何で欧米諸国のMMA規制も加速し兼ねない。日本も無関係でいられるはずがない。
「……
三者の共通認識であるが、利害関係からMMAという〝スポーツ文化〟の衰退を望む者たちにとって、この状況は千載一遇の好機でもあるのだ。
無論、ジャーメインが指摘したようにボクシング界の反応も一様ではない。
MMAに対して痛烈な批判を繰り返してきたカービィ・アクセルロッド――かつてプロボクサーとしてヘビー級のチャンピオンベルトを腰に巻いた上院議員も〝
アメリカスポーツ界の象徴とも呼ぶべきボクシングと、歴史の浅い総合格闘技による利権争いは根が深い。ゼラールも鼻を鳴らしながら言及したが、『NSB』の前身――ペンシルベニア州で一九八〇年に初めて試みられたMMA
「特に
「そこはハナック・ブラウンの教育の賜物だよねぇ。既に四冠達成で、ヘビー級統一王座も含めた六冠達成がいよいよ射程距離に入った『ガスディスク』を〝
そこに込めた感情は皮肉のアルフレッドと憂慮のジャーメインで正反対ながら、
その
近年のアメリカ・プロボクシング界は、各階級のチャンピオンベルトの大半が国外から挑戦してきたボクサーの腰に巻かれていた。
アメリカ人ボクサーが精彩を欠くという焦燥感も手伝って、MMAの成功に対する逆恨みのような空気が渦巻いていたわけだが、閉塞した状況に差し込む希望の光となったのがガスディスクであったのだ。
二〇〇一年九月一一日に発生した『アメリカ同時多発テロ事件』では、犯人と無関係にも関わらずアラブ系アメリカ人という出自のみで理不尽な偏見に晒され、これを原因とする傷害事件で刑務所に収監されてしまった――と、バロッサの夫婦も承知している。
更生プログラムの一部として組み込まれていたことからボクシングと出逢い、また技術指導の為に収監先を訪問していたハナック・ブラウンに類い稀なる
闘う
プロボクシング界からすればMMAに対抗する最強の〝切り札〟であるが、ボクシングそのものを純粋に愛するガスディスクはスポーツ利権を最優先させる人々と相容れず、意見を
そして、そのような心根の持ち主であればこそ、如何なるテロ行為も絶対に許せないのである。『ウォースパイト運動』を批難する声明を彼が真っ先に発したことを考えれば、身の危険を秤に掛けて態度が鈍化した人々はテロリズムへ屈したにも等しかろう。
先日、フォルサム刑務所で一部の受刑者たちが起こした暴動は、その背景に『ウォースパイト運動』への〝汚染〟があり、同地を訪れていたハナック・ブラウンが明確な攻撃対象であった。万が一、生涯の師匠が傷の一つでも負わされていたら、ガスディスクは四階級制覇という地位も投げ捨て、報復の為に〝塀の中〟へと殴り込んだことであろう。
栄光の王座に
「目先の利益に惑わされ、己の向こう岸を焼け野原に変えようなど愚の骨頂ぞ。文化も経済も片一方に偏れば、ゆくゆく社会全体の停滞を招く。ほんの小さな澱みが清流を
娘の希更が生まれる前には日本に帰化したとはいえアメリカで生まれ育ち、〝自由〟の意味を正負両面で学んできた
(日米MMAの共倒れも困るが、せめてイスラエルに――こちらの交渉先に余波が及ばないで欲しいものだ。ようやくまとまったばかりだぞ。これ以上の不安材料は遠慮したい)
その一方で、アルフレッドは
日本に
現在も『
精神力だけでは覆せない現状を打開する為、ライサンダーは一試合当たりの
傷だらけの
本来、〝プロ〟の
格闘家・武術家から相談を持ち掛けられることも多いアルフレッドであるが、他団体への移籍の支援などは請け負う機会も皆無に等しい。選手と所属先の間に立つ
しかし、相談内容そのものは〝スポーツ法務〟の範疇には含まれる為、法律事務所の業務から逸脱しているわけでもない。変則的な依頼とはいえ、引き受けた以上は樋口郁郎から妨害工作が入ろうとも返り討ちにするつもりであった。
その
日本時間の七月四日一三時過ぎに
(指し手によって盤面が荒れたときこそ、俺の出番と心得ているのだがな……)
依頼人の利害を第一に考えて適切な助言を与えるのも弁護士の役割であるが、主導権を掌握して行動を支配するわけではない。当然ながら一人娘の語学留学などは依頼内容に含まれておらず、『在野の軍師』といえどもカツォポリス家の内情に指図できる立場でもないのだ。しかし、それがライサンダー当人の希望を絶ってしまう危険性を孕む場合は、
自分の
「とうの昔に捨てた母国の騒乱に野次馬根性を丸出しとは大した余裕ではないか。
「何がどう物騒なのかは分からないけれど、ゼラールのほうこそ
ゼラールが掴んだという情報が『
確かに
(……ゼラールともあろう男が〝あの
比喩でなく本当に人間という種を超えたのだから当然であろうが、渡海したジャーメインが
今の日本格闘技界に
「黙りこくって妄想に耽っているということは、『ロンギヌス社』で開発途中の試作銃を含む武器・弾薬の流出が起きた一件、大間抜けにも知らぬようだな、アルフレッド・ライアン・バロッサよ。例の探偵社も儲けにならぬ話は耳に入れぬと見えるわ」
「……今、何と言った? 『ロンギヌス社』で何があったと……ッ?」
やがてゼラールの口から語られたのは、『スーパイ・サーキット』を例に引いた皮肉でも浴びせられると身構えていたアルフレッドにとって全く想定外のものであり、ジャーメインと顔を見合わせながら、夫婦揃って呆けたように口を開け広げてしまった。
『ロンギヌス社』とはイタリアに
二〇一四年七月現在、アルフレッドに弁護士として生きる道を開いた恩人は同社で首席法律顧問を務めているのだが、ゼラールから明かされたような事件がマスメディアで報じられた記憶はない。日頃から追い掛けている海外のニュース番組や新聞でさえ一言も触れていなかったのだ。
イタリア軍にも銃火器を提供している『ロンギヌス社』から武器・弾薬が〝外〟に
日本のマスメディアなどは『NSB』の
「親バカ二人が
「流出したのは試作銃だと言ったな? 開発中の……。まさか、その密造銃とやら――」
「押収物の中には一枚の紙切れも含まれておったのよ。無論、それは『ロンギヌス社』の試作銃を完成させるのに欠かせぬ設計図――専用の機械など無くとも部品などを加工できるよう独自に手が加えられておったそうだが、さて……?」
「……ゼラールがあたしたちにわざわざ忠告してくれるってコトは、その密造銃や設計図が見つかったのって、もしかして……」
「下手人を捕らえた〝善意の協力者〟は、『
アルフレッドとジャーメインの
「……
「その前にちょっと待って……さっきの事件って――」
瞬く間に顔から血の気が消え失せたジャーメインは、壁際に立ち並ぶロッカーの上に放り出されていたリモコンを今にも取り落としてしまいそうな手付きで操作し、所長室の片隅に設置されているテレビの電源を入れた。
焦燥感が指先まで
しかし、重大な事件が発生した場合には直前のニュース番組を延長し、公共放送としての役割を果たすのだ。今日もその慣例に則り、一時間ほど前に京都の
「――改めてお伝えします。本日正午過ぎに
極限的な緊張状態であろうとも動転しないよう訓練された男性アナウンサーが努めて冷静に、感情を抑えて淡々と述べていく目撃情報をアルフレッドが奇妙に感じたのは、父親が
実際に触った経験のない人間が想像するよりも、拳銃の性能を十全に使い切ることは難しい。そもそも散弾銃は狙撃に全く不向きであり、標的とも十分に接近する必要がある。警戒されないようすれ違い
加えて散弾銃は隠し持って扱えるような大きさではない。監視カメラの死角や
素早く立ち去ってしまえば発砲時に拡散される硝煙の影響は最小限に抑えられるが、これを平然とやってのけるとすれば、『デラシネ』とも呼ばれる裏社会の殺し屋くらいであろう。攻撃範囲の広い散弾銃とはいえ、移動を伴いながら確実に狙いを定めるという高度な技術は一朝一夕の練習で体得できるものではない。
アルフレッドの
「……ゼラール。その密造銃の――いや、『ロンギヌス社』の〝試作銃〟の特徴は?」
「日本は〝
アルフレッドであれば、そこに必ず辿り着くと信じていたのであろう。電話の向こうのゼラールが答え合わせのように一等大きく鼻を鳴らした。
相談窓口を兼ねた事務室と所長室を隔てるドアの真上には一枚の額縁が飾られていた。「私ならこうする」と、たった一言の英文が記された色紙が収めてあるのだが、控えめに添えられた
*
敵将と
黄色いシートのローチェアから望む荒川のせせらぎで危うく押し流されそうになってしまったが、折り畳み式のテーブルの上に
「……意味が分からない……」
晴れ間もない曇天の下に吐き出された神通の一言には、複数の意味が込められていた。
そもそも、亡き父親の幼馴染みと自分のバイクが互いのテントを挟んで隣同士に並んでいることが神通には意味不明としか表しようがない。
七月四日は鬼貫道明が経営する異種格闘技食堂『ダイニング
渓谷の景色が雪化粧を纏い、
金曜日とはいえ、祝祭日に比べて
聞き間違いと思えなかったのは、全く同じ爆音を唸らせながら大型バイクに打ち跨る女性が脳裏に甦った
「偶然ね。まさか穴場で古馴染みとバッタリ出くわすなんて。私の〝運命の人〟は
果たして、神通が視線を巡らせた先には、
他の利用客の邪魔にならないようエンジンを停止させ、間隔を置いて設営されたテントの脇をすり抜けながら大きな荷物が積載された
息苦しさ以外には〝何〟も感じない雑踏で疲れた
現在の居住地である
白々しく偶然を装っていたが、神通が荒川河川敷のキャンプ場に訪れることを〝何らかの手段〟で把握していたのは間違いない。可能な限り、接触を拒みたい相手に七月四日の予定など伝えるはずもなく、幾らでも設営区画が空いてるのに、わざとらしく
尤も、
神通自身、光海の要請を受けて〝民間に
〝内調〟は二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピックに向けたテロ対策も任務に含んでおり、『
日本格闘技界を実効支配する〝暴君〟は、傍若無人な振る舞いによって次回興行先である熊本県の武術家たちを丸ごと敵に回し、〝挙兵〟まで招いてしまったのだが、その鎮圧を『
〝民事介入暴力〟を図らんとする
政府に
ホスト国としては〝
神通からすれば〝内調〟ひいては政府の都合に協力する義務など無いが、『ウォースパイト運動』が過激化すれば、異種格闘技戦の先駆けであり、その手で拓いた〝道〟を
想像するだけでも身震いが止まらなくなる末路を
『
その拳法家が『
その
手ずから香ばしい豆を
神通がコーヒーの味を覚えたのは小学校中学年の頃であるが、それは机上の道具を用いて
机上に置かれたカップは二人分であった。次いで送られた
「折角、
「……成る程、確か
「相変わらず人聞きが悪いわね。さっきも言ったように単なる偶然よ。コンクリートジャングルに疲れて自然が恋しくなっただけ。格好の穴場と聞いて
コーヒーミルのハンドルを回す指使いに見惚れてしまった己自身に顔を
普段も上映中の映画館やカラオケボックスなど
そこに混じるのはアルコールランプで熱せられた球状のフラスコから上部の
今月半ばに未稲と出掛けることになったので、『
イタリアの軍需企業で起きた不祥事と日本で暮らす〝一般人〟に接点などあろうはずもなく、驚愕よりも当惑のほうが大きい神通は「意味が分からない」と呟くしかなかった。
「つい先日、
「
「あら、意外。同じ
「夜叉美濃本人よりも
「わざわざ可愛げのない言い方を選ぶんじゃないの。『進行中の捜査に差し障る為、現時点でマスコミに提供できる情報ナシ』ということよ。……場合によっては日伊の外交問題にまで発展し兼ねないのだから慎重を期すのは当然でしょう?」
神通が名前を挙げた『
同地で軒を連ねるホストクラブを代表して腕自慢たちが出場し、普段の接客とは異なる
その出場者である夜叉美濃も当然ながらホストであり、国内外の来訪者からアジアで一番と謳われる繁華街の中で際立った賑わいを見せる『
些か物々しいが、
『夜叉美濃』という異名の〝本来の持ち主〟である
だが、
「……マスコミにも明かされていない情報がわたしの耳にも入ってくるのは、
「私だって『
二人の間でも認識が共有されているように、
同じ
抗争状態にある非行少年グループの代表者たちを集め、
違法行為の数々は〝格闘大会の試合
出場するだけでも注目を集められることから、歪んだ自己顕示欲の持ち主が格闘技未経験にも関わらず参戦し、大怪我を負う事例も増えている。大会出場権が決定される公開形式のオーディション企画でも候補者たちが罵声の浴びせ合いから乱闘騒ぎを起こしたが、そのような動画ほど再生回数が跳ね上がるのだ。
社会通念に反した振る舞いを面白おかしく
団体代表も所属選手も、試合の内容や勝敗には最初から関心がない。対戦相手を挑発する
本人が出場を希望したのか、親の承認欲求を満たす為に利用されているのかは定かではないが、中学校に
『
後遺症やそれ以上に深刻な事故の予防を最初から放棄して強行される全ての試合が半グレの取り仕切る
〝ホスト崩れ〟と呼ばれる〝身分〟になった直接的な原因は
悪魔の群れとの戦いに『
「……〝試作銃〟を模倣した物と、その設計図が『
二回目の
およそ一〇年ぶりという懐かしい音に暫し耳を傾けた
「遠い『昭和』の昔から海外勢力と
「これだからインターネットは
「私も
「設計図の原本が日本に
「アメリカで『ウォースパイト運動』絡みのテロ事件が立て続けに起きている今、対テロ用として市場でも大歓迎された筈なのに、その見込みも完全に絶たれたわね。株価は勿論のこと、社会的信用もガタ落ち。下手をすればイタリア軍との契約も打ち切られ、老舗の暖簾がまた一つ下ろされることになるわ」
『パリアカカ・
従来の銃器と比べて、『パリアカカ・
無論、イタリア軍だけでなく世界各国の警察から高い評価を受ける『ロンギヌス社』の銃器だけに性能も飛び抜けて優秀である。
その上、日常の風景へ完全に紛れ込めるという利点がある。どこで誰が銃口を向けているのか、見極めることが不可能に近くなってしまったわけだ。神通も〝
外見からは銃器と判別できず、すれ違い
「……
「
『
なまじ銃を相手に戦う方法を知っていればこそ、
「セカンドバッグ型の
「だからこその〝試作銃〟という一言で
「……〝新兵器〟と仰りたいのは伝わりましたけど……」
「小型で軽量な発射機構でも耐えられるレベルまで
「誰かが
「素人にも使いやすいほど
模倣といえども〝世界最新の銃〟によって自らの命が脅かされる事態も望むところと、交戦的に口の端を吊り上げた神通に対して、注意喚起を込めて『パリアカカ・
そもそも〝射撃〟は〝
その瞬間の風速によっては銃弾が煽られ、胸を狙いながら肩に当たるくらい
連射の場合は銃を構え続けるという姿勢の制御すら難しくなる。そもそも標的が俊敏な緊急回避行動を何より得意としていたなら、射撃に要する前提条件は根こそぎ崩れてしまうのだ。銃弾とは発射した先に標的が
そして、一連の動作を補佐して必中へと導くシステムこそが〝射撃管制装置〟なのだ。
戦闘技術として生身のみで成し遂げるには、長年の訓練と経験が不可欠であるが、『ロンギヌス社』が新たに開発し、『パリアカカ・
「
歌舞伎町の事件で回収された模倣品と設計図によって確認されたが、『パリアカカ・
標的をレンズの中央に捉えた時点で射程距離の算出や命中補正は完了しており、誤差修正もAIが実施する為、使用者に専門的な訓練が求められることはない。
軍需企業で研究が進む〝AI銃〟の要素も含んでいるが、事前に登録しておいた人間を空間内から探し当てる映像解析機能を発展させたのであろう――と、
「
「新宿署の駐車場に犯人と一緒に転がされていた模造品には搭載されなかったのだけど、設計図のほうでは暗視カメラが前提になっていたわ。それに集音マイクもね。音声解析で要注意人物の声を拾ったらイヤホンから警報が流れる仕組みになっているわ」
「
「さっきの神通の質問に答えるなら、
種類によって有効範囲は異なるものの、読んで字の如く〝散弾〟は小さな弾丸が幾つも飛び散るという性質を有している。発射に際しては本来の標的以外を巻き込む危険性も孕むわけだが、これを完全に回避できる位置と距離もAIが割り出したはずである。
「……もはや、鉄砲ではなくロボットの話を聞いている気分ですよ……」
携帯電話などインターネットと一体化したような
だからといって
しかし、『パリアカカ・
「……極論、自他の命を割り切れるようになるのが武芸の修練。それは軍隊も変わらないでしょうが、同じことを〝一般市民〟に求めるのは無理があるのでは? 銃による脅しで
「確かに日本と海外の銃社会は単純比較できないけれど、
「ロボットみたいな銃ではなく、人間を感情のないロボットに変える銃……だとでも?」
「現時点で回収できた設計図はたった数枚。模造された
首都圏に留まるかと思いきや、関西に
「……
「私自身はたったの一度だって映画館に誘って貰えなかったのだけど、
「バンジョーとライフルを合体させたのは、クリーフではなくウィリアム・バーガーのほうですが、……そうやって選ばれなかった幼馴染み特有のジメッとした未練をわたしに吹き込むような性格だから、〝あんな女〟に父を
神通と
アメリカ本国の作品と比べて、西部開拓時代という歴史的背景から
「私の場合、
実際に起きた場合を想定し、これを撃ち破る手立てを無意識に
護身用という本来の用途を
「長距離からの狙撃に不向きなのが唯一の救いでしょうか……。これで
「ゆくゆくは地球軌道上の人工衛星と
軍事技術が民生品に転用され、一般社会に広がった事例は数え切れないが、『パリアカカ・
先ほど神通が口にした「建前」の一言こそ正解であり、『ロンギヌス社』は
「
「さっきも言った通り、専用の物でなくとも汎用性の高い工作機械で部品が作り出せるように翻訳された設計図が出回っているのよ。〝射撃管制装置〟でさえメーカーも違う市販品の組み合わせで間に合うという具合にね。映像や音声を解析するソフトは店売りのモノどころか、フリーウェアでも十分。勿論、〝本物〟の性能には全く及ばないけれど、人を撃ち殺せるなら継ぎ接ぎだらけの〝キメラ〟であっても上等といったところね」
「
「気が合うわね。余計なお世話とは思うのだけど、私は〝フランケンシュタイン
各部の機能を連動させるプログラムも
映像解析による索敵と命中精度の自動補正のみに機能を絞れば、〝射撃管制装置〟そのものは高校生のアルバイト代でも十分に賄える――溜め息を挟みつつも次々と説明を並べていく
「銃器流出というより〝
「わざわざシェイクスピア劇の台詞を引用されましたけど、
「ゆっくりと休日を楽しめるのは今日が最後かも知れない――偶然とはいえ、その掛けがえのない時間を
「この期に及んでまだ偶然を装う人の口から〝日頃の行い〟という言葉が飛び出すと、凶兆にしか聞こえませんが……」
『ロンギヌス社』が事態の収拾に動き始めたのであれば、〝戦争の犬〟にも
他国から送り込まれた刺客が日本国内で〝何らか〟の始末を付けるということは、自国の法律を泥靴で踏み
仮に
(十中八九、銃撃犯は消されるでしょう。逆に日本側で身柄を押さえれば、今まで組織的に結束してはいなかった『ウォースパイト運動』を芋蔓式で潰せるかも知れない。……
空の隅々まで覆い尽くした
「これから新聞などでも詳しく報じられるようになると思うけど、
「……幾らなんでも偶然――ですよね?」
「若い頃にフルコンタクト空手で鳴らしたこともあって
「その
「関西の警察もそれを前提に動き始めてはいるみたいね。……恩義のある格闘家が無謀な仇討ちに逸らないことを祈るばかりだわ。状況が状況だけに
「政治の世界に浸かり切った
『ウォースパイト運動』の先鋭化によって、スポーツ観戦の場であっても凶悪極まりないテロに巻き込まれる可能性が跳ね上がった
何の変哲もない日常の風景の片隅で格闘技への憎しみを増幅させ、人権侵害を許しておけない抗議とは名ばかりのテロに
あるいは〝何者か〟がそのように刷り込むのかも知れない。
「――いえ、まさか。銃器流出と機密漏洩の両方を影で操っているのは……ッ」
「……『NSB』を狙って銃を乱射した過激思想家も、
「……『サタナス』……ッ!」
格闘技を許し
己の手に握り締めているのは〝裁きの鉄槌〟と疑わない思想活動家たちは超大国の権威すら恐れずに正義を執行した『サタナス』を神格化し、自らも殉教者にならなければならないという恍惚の中で
『サタナス』――その
「
「確かに『ウォースパイト運動』からすればMMA
「そこが問題の核心よ。模倣品であろうとなかろうと、
「正気を疑う基準に照らし合わせれば、空手が正式種目化の候補に挙がるだけでも攻撃理由には十分でしょうから。……『サタナス』が動かせる手駒は『ウォースパイト運動』の活動家だけではありません。オリンピック・パラリンピックを返上するように求める反対派が首都圏だけでも数え切れない以上、例の設計図が半グレ集団の手に渡るよう〝誰〟が企んだのか、大元に辿り着くのは殆ど絶望的でしょうね」
「半グレ集団もまさか自分たちが『ウォースパイト運動』に巻き込まれているとは想像もしていないと思うわ。そういう意味では
「顔も知らず姿も見えない〝敵〟に〝海の向こう〟からの好き勝手を許すのは、……さすがに面白くありませんね」
「その『サタナス』は〝海の向こう〟の人間を手駒に使っている自覚もないはずよ。地獄の絵図だけを描いて、後は成り行きを見物するだけ。……自分の犯した罪を罪とも思わない人間に〝純粋悪〟の烙印を押すことを私は一瞬たりとも
『ロンギヌス社』から流出した〝試作銃〟やその設計図は、
手先さえ小器用であれば、小さな町工場に置いてある年季の入った工作機械でも『パリアカカ・
それはつまり、天才の二字こそ相応しい人材が格闘技を標的とするテロに加担しているという意味であった。
一つの事実として、『ウォースパイト運動』という危険思想は、不世出の才能を既に何人も塗り潰している。
彼女の担当弁護士であるシルバーマンも、若かりし頃からアメリカの法曹界でエリートと呼ばれてきた人物であった。それにも関わらず、格闘技への憎悪が〝法の番人〟という使命を上回っており、〝正義の同志〟を不当に拘束した捜査当局や、損害賠償を求める『NSB』との闘争に明け暮れている。
このシルバーマン弁護士こそが重罪犯専用のフォルサム刑務所に収監されている『サタナス』と〝外界〟の仲介役であろうと目されており、
渦中の『サタナス』に至っては
〝IT社会の寵児〟とはいえ、民間人に過ぎない『サタナス』が〝空飛ぶホワイトハウス〟を脅かしたのだ。正常に使えば人類の歴史を一歩も二歩も前進させられる才能を無意味な破壊へと駆り立てるのが危険思想であり、貧富の格差や社会に
「……『良心なき科学は魂の崩壊』とは、まさしくこのことでしょう……」
発覚と同時に拳銃自殺を図った為に真相究明は不可能となってしまったが、『ロンギヌス社』内部で流出事件を引き起こした社員も、遺された手掛かりなどから『ウォースパイト運動』の過激活動家であった可能性が高い――そのように言い添えた
『パリアカカ・
「受けて立ちますよ。獄中とはいえ裏で糸を引いて数え切れない運命を狂わせるような
「……その
搾りたてのコーヒーをカップに注ぎながら神通の反応を背中で受け止め、死の恐怖に引き
「身の面目にこだわって散弾で
「なおさら『
「……
「わたしから
理詰めで諭さんとしたことに対する
格闘技を金儲けの手段にして
『
『
「ほんの半年前にも不毛な
「カラーギャングとの
「
「その
「……『
「日本の中近世に親しんでいる学生として生意気に反論させていただくなら、無策な騎馬突撃による一方的な惨敗という通説は、研究が進んだ今、大きく見直されていますよ。武田勢も織田・徳川連合軍に負けない数の鉄砲を駆使していました。
「あの
「
それ故に本物の〝命の
体術と武器術を併用する〝武芸百般〟を掲げつつも、その神髄はあらゆる武具・武技へ完璧に対応することにあり、鎧兜で
標的の認識・予想される行動の分析・これを完封し得る攻防の組み立てと実行――本来は段階的に進行する脳の処理が野性の本能に
しかし、これは死の危険を察知する防衛本能を自ら破壊してしまうことにも等しく、宗家を歴任した哀川家はその才能を遺伝子という極めて深い領域にて受け継いでいる。神通はその〝血〟が
それ故に一等大きな溜め息を噛み殺せず、人生に
『ミトセ』と名乗る熊本
亡き
(キリサメ・アマカザリ――
以前から兆候こそあったものの、近頃は度を越している。
その原因は間違いなくキリサメ・アマカザリであった。『
神通は己の〝半身〟の如くキリサメという存在に共鳴していることであろう。故郷のペルーでは殺し合いの連鎖が格差社会の〝日常〟に溶け込んでおり、常人には理解し
法治国家日本では遭遇し得ない本物の〝命の遣り取り〟を経験していることにさえ、神通は一種の陶酔にも近い
拍車を掛けたのはキリサメの身に宿る『スーパイ・サーキット』だ。人間という種の限界を超越してまで〝敵〟の命を壊すことに猛り狂った
〝火の国〟の誇りを
同郷であるが故、
今度は無数の凶弾によって全身を穴だらけにされるような抗争に獰猛としか表しようのない喜びを感じている。漫画であったなら、瞳の中央に快楽を象徴する紋様でも浮かび上がっているはずだ。
「――
人使いの荒さや性格の不一致などを神通から弔辞で延々と罵倒されるという〝先に旅立つ者〟の最期の楽しみすら今のままでは叶わなくなるだろう。幼馴染みのみならず、その娘の顔まで棺の窓越しに見つめる事態だけは何があっても避けなければならなかった。
「潮時と捉えて、いっそ『
「今の話をどう解釈したら、そこまで脈絡のない言い草になるのですか……」
その言葉を受け
「あなたが〝何〟を志して
「そもそも
「あなたは〝
「……改名が幼稚園や小学生に入る前で良かったです。
「
「その麒麟は角の
「
ソーサーごと渡されたカップとその中で波紋を作るコーヒーに目を落とし、神通は声もなく唇を噛んだ。砂糖やミルクの類いが添えられていないのは
思わず舌打ちしてしまいそうになるくらい細やかな心配りに両の
「……『
その名前を神通が呻くようにして吐き出すと、今度は
彼女の脳裏を
〝別の男〟と逃げた先を暴き出し、復讐を誓う
舌を小さく出して見せるという無邪気な表情ばかりが印象に残っている為、想い出す
「……わたしは
団体代表のヴィクター
「……知性と理性と品性を丸ごと堕落の向こうに置いてきたような正真正銘のクズなんて〝血〟で遺伝するものではないし、なろうと思っても決してなれないから安心しなさい。
おそらくは『
生まれて初めて
もはや、荒川の流れを声もなく見つめ続けるばかりとなり、インターネットに象徴される〝IT社会〟からも俄かに切り離された『
(続く)
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