その2:アウフヘーベン(後編)~ルワンダ内戦を生き抜いた義足アスリートの祈りよ、届け──ある少女がライフルを撃った月曜日の朝・第三次世界大戦の引き金/平和と人道に対する罪・格闘技という名の「世界の敵」

  二、PA SB 632 Act.2



 潮目と同様に運勢というモノは、が向いていないときには世の中の〝全て〟が自分を見放したのではないかと感じてしまう。

 創設から三四年を経て欧米にまで支部道場を展開するほどの組織に育ったサバキ系空手の先駆け――『くうかん』にいて全日本選手権三連覇を成し遂げ、更には打撃系立ち技格闘技団体『こんごうりき』のリングで臨んだ〝プロ〟の格闘家としてのデビュー戦も華々しい完勝で飾り、〝天才空手家〟の存在感を示したきょういししゃもんであってもは変わらない。

 六月最後の日曜日の昼下がりということもあり、鎌倉の水平線は波乗りを満喫するサーファーたちに埋め尽くされている。風の強さも程よく、浜辺からやや離れた位置に視線を巡らせると、セイルボードの帆が横に連なって壁を作っているようであった

 にびいろの雲に覆われていた午前中とは打って変わって、鎌倉の青空では少し早い夏の情景を太陽が見守っている。潮風を浴びれば誰もが大らかな気持ちとなり、意気投合すれば初対面の相手にも心を許し、だろう――そのように見込んだ沙門は、湘南に居を構える古い友人を訪ねた帰りにいなむらさきへと足を伸ばした次第である。

 海開きには一週間ほど早い為に水着姿は見られないが、サーファーだけでなくいなむらさきで夏の訪れを満喫する誰もが薄手の装いだ。これに対して沙門は桃色のTシャツを着てはいるものの、シルバーグレーの背広にスラックスを組み合わせている。鏡のような光沢を放つサテン生地が陽の光を鋭く跳ね返していた。

 背広の内側に熱が籠る為、両眉を僅かに覆う辺りで切り揃えられた前髪は汗を吸って額に張り付いている。毛の一本一本が細かく螺旋を描くような巻き髪の先からは大粒の雫が舞い散り、何とも例えがたい色気を生み出していた。


「かなりパッションを込めたボード、使ってるよね。ひょっとしてカッティングもオリジナルだったりする? 今日は見舞いの帰路かえりでフォーマルだけど、俺も波乗りは鎌倉ここって決めてんの。そのボードも海沿いのショップで仕立てたのかな――」


 特注品オーダーメイドおぼしきサーフボードを脇に抱え、波打ち際から引き揚げてきたウェットスーツの女性に甘い声を掛けるところまでは平素いつもの通りであった。先月のはまでも今日と同じように厚めの唇に艶を纏わせ、仕事帰りの女性を海沿いのレストランに誘っている。

 ところが、ウェットスーツの女性は沙門の顔を覗き込むなり血相を変え、両手でサーフボードを振り回しながら「これ以上、テオ・ブリンガーの顔に泥を塗るなッ!」と怒鳴り声を叩き付けたのだ。

 彼女が口にした『テオ・ブリンガー』とは『くうかん』の歴史に〝永遠〟の二字と共に刻まれる空手家である。カカト落としの世界一の名手と謳われ、紫電一閃の必殺技を直伝されるなど沙門は実の兄の如く慕っていた。

 『くうかん』の看板を背負って『こんごうりき』にも出場し、面目躍如を果たしていたが、二〇〇〇年に急性骨髄性白血病で急逝している。報いるべき感謝を胸に秘めてからを纏ってきたからこそ、沙門は白血病治療や骨髄バンクを支援する為のチャリティー興行イベント初陣プロデビューの舞台に選んだのである。

 『こんごうりき』の競技統括プロデューサーを兼任する『くうかん』最高師範――実父ちちきょういしともの名誉にキズを付ける放蕩息子とも吐き捨てた女性は、右頬に対する平手打ちをもっ返答こたえに代えた。左頬にも手の甲で追撃を叩き込まれてしまったが、今や日本最強と謳われる空手家もこればかりは甘んじて受け入れるしかなかった。

 テオ・ブリンガーが『こんごうりき』で勇名を馳せていたのは一〇年以上も昔のことである。

 二〇一四年の日本ではテレビのスポーツ番組で取り上げられる機会が少なくなった名前を憤激の理由として挙げた女性は、相当に熱心な格闘技ファンと察せられるわけだ。日本格闘技界の未来を担い得る人材とは胸襟を開いて語り合えるはずだが、はつまり、プロデビュー前から浮名を流してきた沙門の醜聞スキャンダルも把握しているという意味でもある。

 声を掛けた直後には下心を見透かされていたわけである。片手による往復の打撃ビンタを受けて砂浜に尻餅をいた沙門は、振り返りもせずに去っていく女性の背中を見送りながら、「もっとペナルティをキメて欲しかったなァ」と激痛いたみ伝達つたう口の端を舌で舐めた。

 目論見が失敗する一部始終を遠巻きに見物し、侮蔑交じりの口笛ではやし立てる野次馬たちに愛想笑いで応じる沙門の脳内あたまのなかでは「ブリンガーの顔に泥を塗るな」という今し方の怒鳴り声が反響し続けていた。

 四方八方から浴びせられる嘲笑の中には「たった一度、勝ったくらいで調子に乗ってんじゃね~ぞ」といった旨の声も混ざっている。

 第一ラウンド二三秒――〝プロ〟の世界では親の七光りは通用しないと試合前から大言壮語ビッグマウスで挑発していた対戦相手は、テオ・ブリンガー直伝のカカト落としで沈められていた。

 二の腕が剥き出しになるほど袖を短くした特別誂えのからを纏い、クッション材で拳全体を覆うボクシング式のグローブを装着して初陣プロデビューのリングに立つ沙門は、失神KOとなった相手の頭蓋骨に亀裂が走ったという衝撃的な対戦結果リザルトと共に大きな話題を呼んだ。

 二〇〇〇年代半ばに日本の〝格闘技バブル〟が崩壊したのちには『こんごうりき』の興行イベントが地上波で生中継されることもなくなったが、ITが社会全体で一般化した現代は、テレビだけが情報収集の手段ではない。様々な分野ジャンルの情報が氾濫するネットニュースやSNSソーシャルネットワークサービスで沙門の初陣プロデビューを知った者も少なくないわけだ。

 下穿ズボンの裾を靡かせるようにして長いみぎあしを振り下ろし、稲妻さながらのカカトで対戦相手の脳天を叩き割る瞬間を格闘技専門の衛星放送パンプアップ・ビジョンける特集番組や、PPVペイ・パー・ビュー配信で見届けた者が稲村ガ崎に居ないとも限らない。

 きょういし沙門の知名度は『くうかん』の全日本選手権で三連覇を成し遂げたときとは比べ物にならないほど高まっている。全国組織の空手道場とはいえ、武道と接点がなければ〝サバキ系〟という言葉すら聞いたおぼえがあるまい。各国の支部からそれぞれの代表と呼ぶべき空手家たちが集結する世界大会でさえテレビで中継されたことがなかった。

 これに対して『こんごうりき』は『天叢雲アメノムラクモ』の前身団体よりも歴史が古く、種々様々な格闘技の打撃系選手ストライカーが一堂に会するなど名実ともに日本が世界に誇る格闘技興行イベントなのだ。

 言わずもがな出場者は空手家だけではない。アムステルダムを本拠地とするオランダ式キックボクシングの名門ジム『バーン・アカデミア』や、全身凶器などと恐れられる古代ビルマの伝統武術『ムエ・カッチューア』を武術の都・熊本県で教え広めるバロッサ家も有力選手を送り込んでいた。

 〝プロ〟の競技選手アスリートや競技団体でさえ出資者スポンサー確保に難渋する時代の潮流ながれを『こんごうりき』も遠くで見物していられたわけではない。二〇〇八年に訪れた『リーマン・ショック』と、これに連鎖した世界的金融危機の影響で財政破綻の危機に瀕し、シンガポールの〝スポーツファンド〟によるが間に合わなければ、解散の憂き目に遭ったことであろう。

 危急存亡の試練こそ経験したものの、〝格闘技バブル〟と共に一度は崩壊した日本MMAとも異なって『こんごうりき』は未だに健在であった。即ち、きょういし沙門は全世界から熱烈な視線を集める打撃系立ち技格闘技団体で頭角を現した次第である。

 恩人テオ・ブリンガーから授けられたカカト落としは誰もが目を奪われ、〝最強〟の二字に相応しい空手家の再来に歓喜したのだ。

 尤も、沙門自身にとっては本人が持て余すほどの名声も悩みの種であった。根性論や支配的な〝シゴキ〟の根絶といった『こんごうりき』の組織改革を推し進める上で保守的な支部道場を牽制する効力ちからに換わるのであれば、その戦略に組み込んでも構わなかったが、赤く腫れた左右の頬に浴びせられる嘲笑が利点ばかりでないことを端的に表していた。


(今頃、アマカザリも似たような苦労をしてるんだろうなぁ。……あっちは俺よりずっと大変か。ぜにつぼまんきちからかねづる扱いされるなんて最悪と最低をクロスさせたって足りないぜ)


 背広やスラックスの内側に入ってしまった砂を払いつつ沙門が思いを馳せたのは、日本格闘技にけるを『こんごうりき』と二分する『天叢雲アメノムラクモ』の新人選手ルーキー――キリサメ・アマカザリであった。

 総合格闘技MMAと打撃系立ち技格闘技の差異ちがいこそあれども、同日にそれぞれのリングでプロデビューを果たした友人である。キリサメの養父と沙門の実父は若き日から互いを好敵手ライバルとして意識しており、その息子たちを結び付ける運命の糸も決して細くはなかった。

 キリサメのほうは前身団体の頃から日本MMAを支えてきた古豪ベテランと血みどろの死闘を繰り広げた末、〝プロ〟の資格を疑われ兼ねない反則負けを喫してしまったが、試合のなかに引き起こされた事態は、比喩でなく本当に人智を超えるモノであった。

 マスメディアや『天叢雲アメノムラクモ』の主催企業が『スーパイ・サーキット』などと盛んに喧伝する異能ちからを発動させて〝人外〟の領域にまで達し、空に血の涙を撒き散らしながら急降下していく飛び蹴りで四角いリングを土台ごと破壊したのである。

 四肢を動かせば、映画のフィルムのコマが急に飛んでしまったかのような〝神速〟に達する『スーパイ・サーキット』は〝超人〟という願望ゆめの体現であり、MMAひいては格闘技の在り方を根底から覆す〝ゲームチェンジャー〟である――と、『天叢雲アメノムラクモ』代表のぐちいくは触れ回っている。

 露骨あからさまとしか表しようのない樋口のを『天叢雲アメノムラクモ』ファンも格闘技関係者も否定こそしなかったが、その一方でキリサメ・アマカザリという新人選手ルーキーに対する評価はあくまでも冷静かつ冷徹であった。

 キリサメの経歴プロフィールに記された『我流』の技とは、ペルーの貧民街スラムで編み出された喧嘩殺法である。既存の格闘技や武術の常識が通用しない型破りな試合運びを期待する声も多く、迎えたプロデビュー戦では〝幻の鳥ケツァール〟の如くリングをけ、興行イベント会場と場外観戦パブリックビューイング観客ひとびとをまとめて魅了したのである。

 しかし、だけで選手の評価が決まらないのが〝格闘競技〟――即ち、スポーツだ。

 組技や寝技の使用も認められるMMAのリングにいて愚直なまでに打撃を追求し続けるじょうわたマッチを吹き飛ばしたコークスクリューフックなど、異能スーパイ・サーキットに頼らずとも試合を組み立てられる格闘家としての潜在能力ポテンシャルは高い水準レベルで証明されたが、一方で暴力が支配する貧民街スラムで繰り広げてきた殺し合いと、互いの命を守りながら〝心技体〟を競う格闘競技スポーツを混同しているとしか思えない振る舞いが余りにも多かったことは、この新人選手ルーキーに好意的な『天叢雲アメノムラクモ』ファンにも擁護できなかった。

 そもそも『天叢雲アメノムラクモ』のルールすら理解しておらず、だからこそ反則負けという考えられる最悪の結果に終わったのではないか――樋口郁郎の情報工作によって操作コントロールされたネットニュースや格闘技雑誌パンチアウト・マガジンとは正反対だが、新時代の〝スポーツ文化〟として洗練されたMMAのリングに二度と上げるべきではないという辛辣な批評も噴出している。

 『我流』の喧嘩殺法はラフプレーの域をも踏み越えており、正常まともな格闘技とは認められない。致命傷を負った状態で気絶している相手に更なる追撃を試みるなど、殺人鬼と何が違うのか――容赦なき批評に晒された友人キリサメの声を沙門は半月近く聞いていなかった。

 不思議な巡り合わせから一時的に彼の身辺警護ボディーガードを引き受けることになり、東北復興の軌跡を辿る旅にも同行したのだ。沙門にとってキリサメ・アマカザリは〝友人〟と呼ぶことをちゅうちょする理由のない相手である。

 それにも関わらず、岩手から東京に帰ってきたキリサメと互いの健闘を讃え合うようなこともなかった。

 つまり、キリサメに対する批判的な声がSNSソーシャルネットワークサービスなどで上がり始める前後から接触を持っていないという意味である。それ故に友人の名前を思い浮かべた瞬間とき、顔面に自嘲の二字を貼り付けたわけだ。


「――派手なの一発、らったじゃねーか、。得意の〝サバキ〟はどうしたよ。素人相手にゃ口でもやり返せねぇんだから、〝プロ〟ってのは窮屈な商売だよな」


 付着した砂を払い終えた沙門の背中に聞きおぼえのある声が突き刺さったのは、己自身のことを心の中で卑怯者と罵った直後である。

 直接、会ったことは一度もないのでかおかたちは知らないが、東京とりくぜんたか携帯電話スマホで繋いだ際、受話口から鼓膜に飛び込んできた声が底抜けにはつらつとしていた為、何時までも聞いていたくなる心地好さと共に記憶に刻まれたのだ。

 『こんごうりき』での勝利と併せ、名実ともに『くうかん』を代表する日本人選手となったきょういし沙門を捕まえて〝空手屋〟という著しく礼儀を欠いた愛称ニックネームで呼び付ける人間も、たった一人しか思い当たらない。

 電話越しの自己紹介を想い出しながら声が聞こえてきたほうに振り返ると、袖と裾が少しばかり短い風変わりなじゅうどうに身を包んだ少年が砂浜より高い位置にる歩道の柵に両肘を乗せ、冷やかすような表情かおで笑っていた。

 紺色のけんどうを纏い、地に伏せる虎が刺繍された帆布製の竹刀袋を右肩に下げている青年も、柔道家とおぼしき少年の左隣で厭味の二字こそ似つかわしい薄笑いを浮かべていた。

 の顔には沙門もおぼえがある。言葉を交わしたのは身辺警護ボディーガードを引き継いだ際の一度のみだが、〝剣道屋〟のとらすけであろう。

 即ち、〝剣道屋〟の隣に立つのは幼い頃からの付き合いであるという〝柔道屋〟――でんなのだ。

 闘いやすいように短く切り揃えた黒髪を目にするのも初めてだが、明治時代に日本から世界へとばたき、世界中を経巡りながら一〇〇〇回にも及ぶ他流試合を繰り広げ、無敗のまま辿り着いた先にて『ブラジリアン柔術』の祖となった伝説の柔道家――前田光世コンデ・コマの技を現代に甦らせたことは把握している。

 前田光世コンデ・コマの故郷であるあおもりけんひろさきへと自転車ママチャリで赴き、彼がこうどうかんへ入門する以前に学んだとされる古流柔術を探し訪ねるなど、東北の柔道界では『コンデ・コマ式の柔道』と併せて空閑電知の名前が広く知れ渡っていた。

 柔道黎明期の様式を再現したどうの背中にも火山を模したロゴマークを背負っているのだが、この少年は地下格闘技アンダーグラウンド団体『E・Gイラプション・ゲーム』の花形選手エースでもある。

 国際ルールに準拠する〝JUDOジュードー〟にいては〝禁じ手〟とされてしまう類いの投げ技・寝技にな関節技や〝あて〟と総称される打撃技を組み合わせ、電光石火の身のこなしで連ねていく――これが『コンデ・コマ式の柔道』であり、地下格闘技アンダーグラウンドのリングでも前田光世コンデ・コマさながらに常勝を誇っていた。

 〝剣道屋〟こと瀬古谷寅之助のほうは『タイガー・モリ式の剣道』を使うという。『タイガー・モリ』とは日本剣道史上に傑出した最強の剣士――もりとらが勇名を馳せたアメリカにて付けられた愛称である。

 浅草に構えた瀬古谷の道場は森寅雄タイガー・モリ直系の技を継いでおり、〝寅〟の一字もこの偉大な剣士からけたものであった。『タイガー・モリ式の剣道』とは幼馴染みに倣って寅之助個人ひとりが名乗っているだけであるが、〝あて〟や組技など〝現代剣道〟では決して認められない〝古い時代の技〟――即ち、森寅雄タイガー・モリが生きた時代の剣道を使いこなすのだ。

 瀬古谷の道場が継いできた『タイガー・モリ式の剣道』とも異なり、寅之助自身も一種の仮想敵と忌み嫌っている様子だが、太平洋戦争のなか、敵兵の肉も骨も真剣かたなで断つべく教え広められた〝戦時下の剣道〟――『せん剣道』を竹刀で再現することも出来る。

 電知の右隣には、二人の武道家と同い年であろうと察せられる少年が立っていた。

 『八雲道場』と所属先の名称が刺繍されたジャージを着ているが、まぶたが半ばまで閉ざされた顔を凝視した瞬間、沙門は首を絞められた鶏のような声を絞り出した。平手打ちを見舞った女性がこの場に留まっていたなら、そのざまを嘲笑ったことであろう。


「ご無沙汰しています――という挨拶に続いて、お互いの近況を確認し合うのが普通なのかも知れませんが、沙門氏はその必要もなくお元気そうですね」

「……このバッドルッキングに言う台詞じゃないぜ、アマカザリ」


 居た堪れなくなるほどの気まずさが押し寄せ、思わず目を逸らしてしまったのも無理からぬことであろう。視線を巡らせた先に沙門が見つけたのは、半月もの間、連絡を取っていなかったキリサメ・アマカザリである。



                     *



 生まれてから今日まで野郎四人でメシ食う趣味を持ったおぼえはない――両手両足の指を使っても数え切れない量の醜聞スキャンダルによって真実の如く聞こえてしまう冗談を交えつつ、車道の向こうに水平線の煌めきを眺望できるレストランの扉を開いたきょういし沙門は、平素いつもの軽佻浮薄な態度を取り戻したかのように見えたが、キリサメがテーブルを挟んで差し向かいに腰掛けた直後には浜辺で平手打ちを叩き込まれた瞬間ときと同じ表情かおになってしまった。


「城渡氏の容態はどうでした? ……最近、があって個人情報の保護云々を教えられたのですが、出来れば沙門氏が話せる範囲だけでも教えて頂けませんか」


 キリサメの問い掛けは真っ直ぐに沙門の心を貫き、口に含んだばかりのシーフードピラフを吹き出しそうになった。

 カクテルグラスに盛り付けられたフルーツジェラートをスプーンでつつ真隣となりの寅之助からは「鼻から米粒ってだけでも最悪なのに、こっちに飛ばしてきたら二度と『こんごうりき』に出場できない肉体からだにしてあげるよ」と揶揄されている。

 一緒にレストランに入店はいった四人は全員が東京都内を住まいとしており、そもそも隣県のいなむらさきで偶然に遭遇することなど有り得なかった。

 沙門以外の三人は鎌倉で暮らす友人を訪ね、居宅すまいの庭に設置された練習施設で〝次なる試合〟を見据えた訓練トレーニングに打ち込んでいた。はキリサメと電知の二人のみであったが、前者の身辺警護ボディーガードである寅之助も任務の延長として付き合っている。

 海岸線を経路コースとするロードワークもその一環だ。通りがかったいなむらさきで沙門を発見した次第である。


「天文学的な確率のミラクルはボーイズと体験したくなかったぜ。その上、一番ダサいトコを目撃されちまうんだもん。このレストランにはテーブルサイズのおみくじ器は置いてないけど、今、引いたら大凶ワースト間違いナシだよ、絶対に」


 腫れが引き始めた左右の頬を順番に撫でつつ自虐的な薄笑いを浮かべた沙門は、湘南の知人に会いに行った帰路かえりとだけ話し、じょうわたマッチについては一言も触れなかった。キリサメとの試合に向けて、馬乗りマウント状態ポジションでの攻防を体得せんとするじょうわたの猛特訓を手助けした沙門としては、気まずい雰囲気になることが避けられない為に言及し辛かったわけだ。

 それにも関わらず、『くうかん』空手の〝先輩〟との接触を当のキリサメ・アマカザリに見抜かれてしまった次第である。

 じょうわたに辿り着いた手掛かりをえて確かめる必要も感じなかった。『天叢雲アメノムラクモ』の所属選手であるキリサメにとっても〝先輩〟に当たる男とは古い付き合いであると、沙門自身が明かしている。

 じょうわたマッチが率いる暴走族チーム『武運崩龍ブラックホール』の一員であり、彼の自宅いえに居候しているつるぎきょうとの関わりもキリサメは浅くないのだ。〝じょうわた総長〟を妄信する舎弟であれば、湘南でバイク屋を営んでいることも我が手柄の如く熱弁したはずだ。

 恭路から聞かされなくとも、『天叢雲アメノムラクモ』のホームページや興行イベントのパンフレットで公開されるプロフィールには同様の情報が記されている。じょうわたの〝後輩〟選手が湘南という一言から訪問先を察しても不思議ではなかった。

 己自身の印象イメージを著しく悪化させる醜聞スキャンダルすらしなやかに受け流してしまえる沙門がその図太さも忘れて目を丸くしたのは、キリサメが他者ひととの接し方を大きく変えた為である。

 初めて出逢ったきちじょう・井の頭恩賜公園から陸前高田市の旅まで彼と交流した時間は決して豊かとは言いがたい。甘やかに口説こうとした女性から平手打ちを返答代わりにされたばかりでもある為、〝人を見る目〟に胸を張れば滑稽でしかないが、それでも差し向かいの少年キリサメ他者ひととの関わり合いを好まないのであろうとは察せられたのだ。

 陸前高田市では彼の養父――八雲岳が東北復興支援事業プロジェクトの旗揚げに尽力したことなどを語って聞かせたのだが、その際にも他者ひとの言葉に耳を傾けるだけで甚だ受動的であり、反応自体が薄かった。

 しかし、今日は『天叢雲アメノムラクモ』の〝先輩〟選手の近況をキリサメのほうからたずねてきた。人間とは三日も会わなければ見違えるほど成長し、そのさまに刮目させられるものだが、沙門の場合は半月というがもたらした落差に打ちのめされている。

 己の意思で他者ひとに関わろうとする積極性は、反転の二字こそ相応しいだろう。


「――僕もあの人のようになれるでしょうか。岳氏のように……」


 今日の自分たちと同じように陸前高田市の震災遺構――『奇跡の一本松』にて偶然の邂逅を果たし、復興半ばの町並みを一緒に見つめた『NSB』のイズリアル・モニワ代表にたずねたその一言こそ、あるいは変化に至る兆候きざしであったのかも知れない。


「サメちゃんってば自分でブチ壊した相手がず~っと気になってるみたいでね。じょうわたのお宅まででんで何分? 鎌倉ここからそんなに離れていないんだろ~し、自分で見舞いに行けば良いじゃん。今日は道場の稽古も休みなんだから、時間なら腐るほどあるでしょ」

「……アマカザリのフレンドシップに口出しする資格なんか持っちゃいないけど、そのセレクトは遠慮しておいたほうが良いと思うぜ」

「沙門氏の仰る通りですよ。手を差し伸べてくれた城渡氏の気持ちを僕は台無しにしてしまいました。だけど、〝あの結果〟をで詫びることこそ一番の侮辱でしょう。仮に訪ねたとしても、顔を洗って出直してこいって蹴り出されるだけだと思います」


 『スーパイ・サーキット』が引き起こしたリングの崩壊に巻き込まれ、瀕死の状態で緊急搬送された対戦相手の安否ことを気に掛けるキリサメに対し、はやし立てるような皮肉を飛ばした寅之助を遠回しに窘める沙門であったが、差し向かいに座るはそれよりも早く首を横に振っていた。


「最近のサメちゃんってば、電ちゃんみたいにカッコ良すぎて張り合いないんだよねぇ。素直過ぎて面白味がないって言うの?」

「おれを持ち出すなよ、寅。そもそも、おれはキリサメみてーにカッコ良くねーし」


 キリサメの言葉を受けて互いの顔を見合わせる寅之助と沙門であったが、反応そのものは真逆である。物足りなさそうに肩を竦めた前者に対して、後者は双眸と口を大きく開くことによって驚愕の度合いを表している。

 樋口郁郎が印象操作の為に仕向けた『あつミヤズ』の〝暴露番組〟で晒し物にされ、反則負けという初陣プロデビューの結果を受けてSNSソーシャルネットワークサービスでも〝プロ〟の資格を疑問視する声が加速し続けているのだが、一つの事実としてキリサメの来歴は正常まともなMMA選手とは言いがたい。

 キリサメ自身も喧嘩殺法が編み出された背景――即ち、暴力のみを頼りに貧民街スラムで生きてきたという過去を後ろめたく思っているのか、うちに抱えた自虐性から絞り出される言葉を沙門は短い付き合いの中で幾度も耳にしていた。

 ルールによって暴力性を抑制し、〝格闘競技スポーツ〟として整備されたMMAそのものにキリサメが身の置き所を見出せずにいたことも、沙門は感じ取っていた。対戦相手の命を守る責任が課せられる競技選手アスリートという〝身分〟さえ馴染めなかったのかも知れない。

 その上、他者ひととの距離も適切に調整できていない様子であった。陸前高田市を訪れたときのことだが、キリサメは相手の許可も得ず、しかも人前で未稲の唇を遠慮なく貪っていたのだ。「愛を囁くときはパッション全開であるべきだけど、パワーで迫るのは大いにプロブレム」と、醜聞スキャンダルからを纏っているかのような沙門が思わず戒めたくらいである。

 沙門の記憶の中にるキリサメであったなら、半月前にも垣間見せた出口のない迷いに惑わされ、じょうわたマッチの為人ひととなりに想像すら巡らせないまま謝罪に出向いたことであろう。

 今、沙門の目の前に腰掛けているキリサメは違う。じょうわたの神経を何よりも逆撫でする行為を理解し、その上で尊敬する〝先輩〟から預けられたMMA選手としての〝誇り〟を守りたいという決意を示していた。

 ヒサシの如く突き出したリーゼント頭が震えるほどの怒号を恐れて謝罪をちゅうちょしたのではない。黄金時代から日本MMAを支えてきた古豪ベテラン闘魂たましいに応えようとしているのだ。

 そもそも試合結果について選手というで謝罪が行われることが〝プロ〟では珍しい。今回のように危険行為を繰り返した末の反則負けは異常事態であり、感情のやり取りで状況が拗れないよう所属先が応対し、〝然るべき措置〟を取るのがであった。

 試合たたかいはリングの〝内側なか〟で完結させる――〝プロ〟の格闘家が通すべき筋をキリサメは誰に促されるのでもなく自らの口で述べていた。

 幼少の頃より親しく付き合い、この場の誰よりもじょうわたマッチのことを理解している沙門からすれば、キリサメの判断こそ正解であった。『天叢雲アメノムラクモ』の代表に引退の圧力を掛けられながらも愛してやまないMMAのリングに踏み止まり続ける古豪ベテランにとっては、〝プロ〟としての筋目を否定する振る舞いこそが何にも勝る愚弄なのだ。

 〝プロ〟の競技選手アスリートとしてデビューを果たすということは、それ自体が人生の岐路にも等しい。己の行く末を左右するほどの節目を経験したことでキリサメ・アマカザリという少年のなかに大きな変化が生じたことは間違いなかった。

 きょういし沙門という空手家の場合は『くうかん』の組織改革に一生を懸ける覚悟であり、これを果たす為ならば『こんごうりき』さえも利用する腹積もりである。〝プロ〟というさえも一種ひとつの通過点に過ぎず、そこに心境の変化に至るような〝何か〟を感じることもない。

 それだけに沙門のにはキリサメという存在が少しだけ眩しかった。

 初陣プロデビューの経験のみならず、良き師と巡り逢えたことが正面の少年にとっては何よりも大きかったのであろう。

 実戦志向ストロングスタイルのプロレスとサバキ系空手が繰り広げた異種格闘技戦ひいてはの時代から八雲岳を生涯の好敵手ライバルとして意識してきた沙門の実父――『くうかん』最高師範のきょういし袈裟友は、その思いが強過ぎる余り恋する乙女のようになる瞬間も多く、『八雲道場』の活動状況も朝昼夕晩と欠かさず確認している。

 それはつまり、『八雲道場』に電話を掛けようとも思わなかった半月の間にも、キリサメの近況が半ば自動的に沙門の耳に入ってきたという意味でもあった。

 日本でも最高の道場と名高い『とうあらた』へ正式に入門したことも実父を通じて把握していたのだが、かねてより交流があったというたちや、という文化の先駆者でもある大名人――がわだいぜんから大いに薫陶を受けたのであろう。


(見掛けによらず生き方がテクニカルで羨ましいぜ。マイライフのなんてさぁ)


 まぶたを半ばまで閉ざすという眠たげな顔は感情の起伏にも乏しく、意志の強弱すら定かではなかったのだが、この少年は〝闇〟の底からの街並みを遠慮がちに覗き見るだけでは終わらなかったようだ。

 〝地球の裏側〟から日本へ移り住んでから半年も経っていないはずだが、この短期間で経験した〝全て〟を着実に積み重ね、道に迷うことがあろうとも必ず次の一歩を踏み出していくのである。

 キリサメの実の両親については一つとして情報を持たず、詮索するつもりもない沙門であるが、八雲岳の養子となったことで一七年という人生が賑やかなものに変わったのであろうと揺るぎなく確信していた。

 誰に対しても胸襟を開いて無邪気にぶつかっていく行動力の塊のような養父ちちおやから受けた影響が土台となり、急速な変化を支えているのは間違いない。そうでなければ、八雲岳のようになれるだろうかと考えることもないはずだ。


「やけにスマイリーじゃないか、柔道屋。恵比須様みたいな表情かおになってるぜ?」

「嬉しいときに顔に出さないよう我慢するのは一番つまんねーコトだぜ、空手屋。おれの親友、イイ表情かおだろ?」


 キリサメの隣に座った電知はイカスミソースのパスタをフォークに絡める動きを止め、芽生え始めたを示す親友の横顔を誇らしげに見つめていた。

 『コンデ・コマ式の柔道』とはMMAデビューよりも以前まえ路上戦ストリートファイトを繰り広げたと沙門も聞いていたが、この〝柔道屋〟から学んだことも多かろうと察している。

 電知と直に語らうのは今日が初めてだが、言葉を交わせば交わすほど何年も昔から友人として付き合ってきたと錯覚してしまうような親しみや好感が湧き起こるのだ。

 膨大な文献を調べ、偉大な足跡も訪ね歩き、修練の末に前田光世コンデ・コマの技を蘇らせたこの少年には一本気という言葉こそ何よりも相応しかろう。『天叢雲アメノムラクモ』と『E・Gイラプション・ゲーム』の敵対関係を超えて友情を育むことが出来たのは、電知の為人ひととなりるところも大きいはずである。

 真隣となりの電知から親友と呼ばれ、肩に手を添えられたキリサメは、未稲が目の当たりにしようものなら嫉妬で丸メガネが吹き飛びそうなくらい柔らかな微笑みを浮かべていた。

 「トンガった面白味が消え失せたって言ったほうが合ってる気がするけどねぇ」と、電知の言葉に芝居がかった調子でかぶりを振ってみせた寅之助にもキリサメは武道家の精神を感じているはずだ。

 他人ひとの話をいちいち揶揄せずにはいられない皮肉屋であるが、その一方で森寅雄タイガー・モリの名前を口にする際には一礼を欠かさず、剣道とは真摯に向き合っているのだろうと『くうかん』の空手家にも伝わったのである。黎明期のじゅうどうを現代で纏う電知も含めて、武道家としての佇まいからMMAの新人選手ルーキーが〝何〟も吸収していないわけがあるまい。


「岩手県のイベントって奥州市で開催ったんだよな? 市内のホスピタルに担ぎ込まれて間もなく面会謝絶状態からリカバリーしたらしいけど、ドクターからの絶対安静の指示をブッちぎって退院したって笑ってたよ、本人が。早い話がエスケープだな」

「僕は日本の病院を良く知らないのですが、思い付きで脱走できるものなのですか……」

きょうのサポートでホスピタルを抜け出して、始発の新幹線で帰ってきたんだってさ。様子を見に行ったらシックルームはもぬけの殻だったんだから、ほんまつさん――いつもセコンドに付いてるホウキみたいな髪型のパートナーがブチギレるのも当たり前だな」


 初陣プロデビューの激闘を境として大きく変わったキリサメの顔を覗き込み、咀嚼と反芻を重ねるようにして首を頷かせたのち、沙門は彼が気に掛けているじょうわたマッチの近況を許容される範囲で明かしていった。

 MMA選手であるのと同時に〝総長〟という肩書きで湘南の暴走族チーム『武運崩龍ブラックホール』を率いるじょうわたマッチだが、その本業は湘南の海沿いで営むバイク店であった。販売だけでなく修理・整備も引き受けており、試合による負傷を言い訳としてを遅延させるわけにもいかなかった。

 ガレージにける業務はじょうわた家の居候にしてバイク店の従業員でもあるつるぎきょうに任せられるのだが、二人三脚という人手不足を絵に描いたような体制である為、店主としても病床ベッドいびきを立ててはいられないのだ。

 今でこそ『武運崩龍ブラックホール』は中年を迎えた構成員メンバーが〝ゾク車〟で疾走はしることを生き甲斐として愉しむ〝走り屋〟集団サークルのようになっているが、かつては敵対する暴走族チームとの抗争に明け暮れ、チームとしての独立性を守るべく警察機動隊や指定暴力団ヤクザとも乱闘を繰り広げた関東屈指の〝武闘派〟である。

 夫が生死の境を彷徨うことにも、満身創痍でありながら入院先を脱走することにも慣れているのだろう。バイク店で彼を出迎えた妻は、呆れながらも苦笑のみに留めたという。

 怒鳴り声を張り上げたのはセコンドとして新人選手キリサメ・アマカザリとの死闘を見届け、救急車にも一緒に乗り込んだほんまつつよしである。笑い話で済ませられるはずもなく、概要あらましを聞いただけでも背筋が凍り付いてしまう叱られ方であったとも沙門は言い添えた。当然ながら、〝城渡総長〟に手を貸した御剣恭路も隣で正座させられたそうだ。

 剛毅の二字が〝ボンタン〟を穿いているかのような〝先輩〟選手である。担当医から厳命された絶対安静を無視するなど自殺行為としか表しようもないが、怪我など物ともせず前方に突き出したリーゼント頭を躍動させる姿はキリサメにも容易く想像できた。

 考えるな、感じろ――そのように新人選手ルーキーを鼓舞し、総合格闘技MMAのリングで闘える歓喜よろこびを全身で表現した猛々しい威容すがたは、網膜に焼き付いたまま一瞬たりとも消えないのだ。


「大したおっさんだぜ、ホント。『天叢雲アメノムラクモ』は基本的にいけ好かねェんだけどよ、この国のMMAをずっと引っ張り続けてきた〝ホンモノ〟はやっぱりハンねェぜ」

「土産に持っていったねいしゅうさんトコの沖縄クレープも、スイーツとスナックの二種類をぺろりと平らげていたよ。メシ食ってしっかり働いて豪快なたかいびきをサイクルさせてりゃどんどん元気になっていくタイプだし、心配した分だけ骨折り損なのかもな」


 沙門の話に耳を傾けていた電知とも同じ想像を共有できたのであろう。真隣となりの親友が肺に残っていた全ての空気と共に吐き出した称賛ことばに対しても、キリサメは強く頷き返した。


「後遺症ってほどシリアスなものじゃないから、アマカザリも気に病まなくて良いって前置きしておくけどな、ハイアングルなジャンプキックでやられた喉や、見事にクラッシュした鼓膜がリカバリーするまではもう少し時間が掛かりそうだったよ。両耳を覆うガーゼはさすがに痛々しかったかな」


 喧嘩殺法が破壊した部位の経過報告には張本人キリサメも俯き加減とならざるを得なかったが、これを正面で見つめる沙門は「周囲まわりの心配が馬鹿馬鹿しくなるようなタフネスだよ」と、えておどけた調子で片目を瞑ってみせた。


「さすがに折れたアバラは庇っていたし、筆談やボディーランゲージでなきゃトークが成り立たないのは本人もウザったそうだったよ。とは言え、力仕事は恭路が居るし、コミュニケーションならたすくさん――奥さんとツーカー。じょうわたファミリーはノープロブレムさ」

「……ありがとうございます。見舞いに行ける立場ではありませんが、怪我の具合はどうしても気になりますから……」

「今の流れで想い出したよ。本人はアマカザリを恨んでも怒ってもいないけど、恭路のほうはずっとノイジーだったよ。試合が終わった後、城渡さんの仲間とトラブったんだろ。リベンジに手を貸せって、俺にまで言ってきやがってさ」

「まだサメちゃんを狙ってるっての? 恭ちゃんも懲りないねぇ。ボクも気持ちを折りに行ったつもりだったんだけど、役者不足だって肉体からだ理解わからせないとダメかなぁ~」


 岩手興行の会場まで応援に駆け付けた『武運崩龍ブラックホール』の構成員メンバーは〝じょうわた総長〟の〝誇り〟をじゅうりんされたことに激怒し、キリサメを取り囲むべく観客席から飛び出していったのだ。

 その意趣返しは『天叢雲アメノムラクモ』の花形選手スーパースター――レオニダス・ドス・サントス・タファレルがすることに決まり、一旦は収束したのだが、〝じょうわた総長〟を心酔する恭路には甚だ不本意な筋運びであったようだ。

 未だに己自身の手によるカタキ討ちを望んでいる恭路を侮辱を込めて笑い飛ばしたのは、フルーツジェラートの感想を恋人のかみしもしき送信おくろうと携帯電話スマホを操作する寅之助だ。

 抑えがたい激情に駆られ、キリサメに襲い掛からんとする寸前で両者ふたりの間に割って入った寅之助は、負けん気だけでは絶対に埋められない実力差を突き付けて恭路を竦み上がらせたのだが、理不尽な報復を諦めさせるには少しばかり足りなかったようである。


「おいコラ、寅。身辺警護ボディーガード守護まもる対象に余計な気ィ遣わせるんじゃねーよ。現在いまのキリサメは『天叢雲アメノムラクモ』の選手ってだけじゃねーんだ。おめーがデタラメやったら道場にまで迷惑掛かるだろうが」

「電知も代弁してくれたけど、頼むから余計な真似は控えてくれ。……お前と斬り合ったときとは何もかもが違うんだ。僕もを果たさなければならない」

恭路あのバカがマジで暴走しそうになったら、俺のほうで手を回しておくよ。勿論、剣道屋みたいにアウトローなアプローチじゃないから安心してくれて良いぜ」

「万が一のときには沙門氏の力をお借りしますよ。直接、連絡を入れると差し障りがあるようですし、岳氏を経由して空手道場のほうに伝言を頼む形にします」

「ダイレクトにコンタクト取ってくれて構わないって! 言葉にトゲがあるんだよ、アマカザリ~! いや、それを言わせたのは他でもない俺なんだけどさっ!」


 『タイガー・モリ式の剣道』で〝辻斬り〟を働いてしまいそうな身辺警護ボディーガードを三人掛かりで宥めるキリサメであったが、恭路が迸らせた憤怒いかりは暴走族チームの総意であり、その主張も決して間違いではないと深刻に受け止めている。

 思い込み激しさや他人の事情など一顧だにしない傍若無人な振る舞いは迷惑以外の何物でもなく、関わり合うのは大変に煩わしい御剣恭路であるが、一方的に兄貴分を称するなどキリサメに対して友情を抱いていたことは間違いない。

 その絆を裏切られた悔しさもあり、引っ込みが付かなくなっているのだろう。だからこそキリサメには『タイガー・モリ式の剣道』を差し向けるという選択肢はなかった。


「みんな優しいねぇ。てゆーか、サメちゃんの場合、が命取りになるって経験から痛感してるハズでしょ。敵は根絶やしにするのが一番じゃん」


 〝傍迷惑な知人〟を叩きのめす好機を逃した寅之助が窓の外へとつまらなそうに視線を投げ出し、他意もなく呟いた一言が鼓膜を打った瞬間、沙門の顔から笑みが消え、表情そのものが凍り付いた。

 敵は根絶やし――この一言をがどのように受け取るか、口に出した後に気付いた寅之助は、電知が正面からぶつけてきた戒めるような眼差しに小さく頷き返すと、珍しく失言をじる表情かおで眉間を掻いた。



                     *



 〝パラスポーツとしてのMMA〟の未来を背負い、『NSB』の試合場オクタゴンに立つ義足の総合格闘家――シロッコ・T・ンセンギマナを前へ前へと進ませる〝大きな流れ〟が『てんのう』という名の〝運命共同体〟に向かい始めたのは、のちに生涯の好敵手ライバルとなるキリサメ・アマカザリがいわけんおうしゅうで戦慄の初陣プロデビューを果たした翌週のことである。

 その日、八角形オクタゴンの金網で仕切られる試合場オクタゴンはネバダ州・ラスベガスの統合型リゾートに併設された収容人数キャパシティ一二〇〇〇という屋内アリーナにり、ンセンギマナも〝ケージ〟の中央にて近代総合格闘技術の粋――『アメリカン拳法』を解き放っていた。

 この興行イベント経歴キャリアの一区切りとして、〝プロ〟のMMAからアマチュアボクシングに転向する好敵手ライバル――ブラボー・バルベルデと万感の思いを拳に握り締める最終決戦ラストマッチに臨んでいたのである。

 祖国ルワンダを襲った国家的悲劇によって左太腿から下を失ったンセンギマナは、『ライジング・ポルカドット』と呼称されるMMA用の義足を装着し、カーボン繊維ファイバーの〝板バネ〟にて試合場オクタゴン全体が震えるほどのエネルギーを爆発させながら、好敵手ライバルと過ごす最後の時間を噛み締めていたが、その歓喜よろこびが突如として場内に響き渡った異音によって断ち切られてしまった。

 第一ラウンドの終了を告げるブザーではない。音が異なるというだけでなく、試合時間を一分近く残しているのだ。当然ながらレフェリーにも両選手ふたりの攻防を止める理由がない。

 好敵手ライバル同士の最終決戦ラストマッチを見守る人々の意識を引き裂き、泥靴で踏み汚すかのように割り込んできたのは、耳をつんざく笛のである。

 それも一つや二つではない。しかしながら、ともたとがたい。旋律として織り上げようとする気持ちなど全く感じ取れず、ただ乱暴に笛を吹き鳴らすだけであった。このけたたましい騒音で鼓膜を突き刺された人々の心に傷を付けることが目的としか思えない。

 『ヨハネの黙示録』第八章には、世界の終末を告げる七人の天使たちが記されている。順番にラッパを吹き鳴らし、そのたびに大地が厄災わざわいによって引き裂かれていったと伝承されているが、あるいはこれをMMAの試合場オクタゴンにて再現するつもりであったのか。

 如何なる怪異かと場内の全員が一斉に巡らせた視線は、ベイカー・エルステッドに辿り着く――『くうかん』道場のからに身を包み、ンセンギマナとバルベルデの試合を見学していた一団が何時の間にやら小振りとは言いがたい笛を手に取っていたのである。

 選手の集中を妨げる原因にもなり兼ねない物として、サッカーワールドカップの応援でも物議を醸した『ブブゼラ』であった。

 空手家たちが正気を疑わざるを得ないような調子で吹き続けるプラスチック製のブブゼラは、正確には管楽器の一種として取り扱うべきであろうが、この場の誰もが共有する忌まわしい記憶に引き摺られて〝笛〟と認識してしまった。

 エルステッドのセコンドとおぼしき空手家の提げていたドラムバッグが大きな口を開けているということは、その中に隠し持っていたのであろう。

 他のMMA団体と同じように楽器を用いた応援は『NSB』のルールでも全面的に禁止している。それ以前に笛ひいては管楽器を吹き鳴らすという行為そのものが同団体NSBでは深刻の二字をもってしても表し切れないようなを持つのである。

 大統領専用機エアフォースワンの通信システムを掌握ジャックし、狂乱としか言い表せない笛のを機内に鳴り響かせたサイバーテロの首謀者――『サタナス』と名乗るIT社会の寵児は〝空飛ぶホワイトハウス〟への攻撃という国家反逆罪にも等しい暴挙に及んだが、その標的はアメリカ合衆国大統領ではなく同乗していた『NSB』の関係者たちであった。

 その一人が祖国ルワンダを代表してアメリカ合衆国大統領に表敬訪問する為、同機エアフォースワンに乗り込んでいたンセンギマナである。彼が無礼を働かないよう随伴していた相棒のシード・リングも被害者だ。

 大統領の警備体制に対する信頼性を著しく損ねたテロ事件の首謀者ということもあり、地獄の管理者たる天使に由来する通称ハンドルネームと併せて全世界に知れ渡ったのだが、既に重罪犯専用のフォルサム刑務所へ収監された『サタナス』は、全ての格闘技を許されざる人権侵害と決め付けて根絶を訴える『ウォースパイト運動』の過激な活動家である。

 格闘技という名の暴力なき平和な世界を実現させる為ならば、超大国の大統領すら恐れないは数え切れない〝同志〟の先鋭化を招き、『サタナス』と同等のテロが引き起こされるのではないかと各国で警戒が高まっている。

 『ウォースパイト運動』の〝同志〟は、笛や管楽器を吹き鳴らすことによって人権侵害に対する抗議と思想活動の連帯を示している。『くうかん』の空手家たちがと同じ行動で『NSB』の試合を脅かしたという事実から導き出される答えはただ一つであろう。


「――まさか、っていうのか⁉ 『NSB』の選手がッ!」


 聴覚を狂わされるような騒音と全世界の格闘技にとって共通の〝敵〟とも呼ぶべき思想活動が脳内あたまのなかで結び付いたンセンギマナのセコンド――シード・リングは、『ライジング・ポルカドット』を修理・調整する為に持ち込んだ工具を武器に換えて迎撃の構えを取ったジョルジェットを引き留めながら、場内の全員へ注意を喚起するように吼え声を上げた。

 『NSB』のロゴマークが刷り込まれたシャツを着るスタッフたちが呆然と立ち尽くしている間にも『くうかん』の空手家は金網をよじ登り、〝ケージ〟の内側なかに飛び込んでいく。


「カリエンテ、今日は得物を持参してねェだろ。代用かわりになりそうなモンも見当たらねェ。ここはおれに任せとけ。カナリア発祥うまれの棒術も素手じゃどうしようもあるめェよ」

「ルブリンさんにも先に釘を刺しておくけれど、アタシを庇う必要はないわよ。動作の怪しくなった機械は、昔から一発ブン殴って直してきたでしょう? トボけた連中のアタマもスパナで叩き直してやろうじゃない。その邪魔だけはするんじゃないわよ、カリエンテクン

相棒アイツが勝手に作った愛称ニックネームであんまり呼ばないで欲しいんだよなぁ~」


 ベイカー・エルステッドに取りすがるべく右腕を伸ばしながら、足首を掴む寸前で五指がくうを切ってしまったシルヴィオ・T・ルブリン――ンセンギマナの師匠に対して、赤サイドのセコンドたちは隙を突かれて羽交い絞めにされている。

 バルベルデを補佐サポートする三人セコンドを力ずくで押さえ込み、赤サイドの入り口に群がった空手家たちも『くうかん』のどうを纏っているが、いずれもベイカー・エルステッドに同行していた者ではない。所属選手エルステッドの仲間と名乗って会場の何処かに隠れ潜み、ブブゼラを合図としてケージに殺到してきたのであろう。

 伏兵は多く、試合中であった両選手ふたりやレフェリーが脱出していない試合場オクタゴンの内外は、二〇人を超える空手家たちによってたちまち取り囲まれてしまった。その一部は観客にまで危害を加える気配を漂わせており、シード・リングたち青サイドのセコンドも警備員たちも、迂闊に手を出せない状況であった。

 もはや、試合の再開など望めまい。プロジェクションマッピングによる光の演出は言うに及ばず、実況も歓声も途絶え、ブブゼラの騒音に混じるのは発狂にも近い悲鳴である。

 本日の興行イベントに出場する何人かのMMA選手も駆け付けたが、動揺と恐怖によって観客の平常心が押し潰されるに至った原因を確かめると、殆どの者が双眸と口を大きく開いたまま固まってしまった。

 その内の一人――ベトナム出身うまれのアクションスターであり、ハリウッド映画への進出も果たした〝兼業格闘家〟の『ダン・タン・タイン』は、MMA選手でありながら『ウォースパイト運動』に感化されたのであろうエルステッドに怒り狂う〝同僚〟たちを「相手は本物のテロリスト。爆弾を使ってくるかも知れない。迂闊な行動は命取り」という警告ことばで押し止めた。


「試合会場への直接攻撃は今までにもありましたが、この規模の人数で徒党を組んできたのは初めてです。『天叢雲アメノムラクモ』の騒動さわぎに感化されたのかも知れません。日米合同大会コンデ・コア・パスコアを強引に開催すれば、更に危険な事態に発展するというと思えなくもありません」


 ダン・タン・タインが冷静なのは、〝同僚〟たちに向ける言葉のみではない。

 極めて身近な場所でテロ事件が起こり、運悪くに居合わせてしまった人間とは思えないほど涼しげなで〝敵〟の正確な人数や位置関係などを確認していく。

 危険な撮影も自らの肉体からだで難なくやり遂げることから〝ベトナムのブルース・リー〟と絶賛されるダン・タン・タインは、アクション俳優こそ己の本業であり、『NSB』への出場はあくまでもと公言して憚らない。撮影の為ならば長期に亘ってMMA選手としての活動を休止することも躊躇ためらわなかった。

 興行イベントの中でも注目度が高い〝上位メインカード〟を任される実力派でありながら、己のキャリアにとって優先すべき事項を揺るぎなく見定め、金網の外から押し寄せてくる歓声にさえ心を動かされない正真正銘の〝プロ〟とも言い換えられるだろう。

 「肉体からだが資本」とは、万国共通の標語である。MMAの試合ならばいざ知らず、被る理由のない痛手ダメージで俳優業にからぬ影響が及ぶ事態は、〝プロ〟として絶対に避けなければならない。己に備わった最大のをダン・タン・タインは安売りしないのだ。

 出演作品では血気に逸る正義の味方ヒーローを演じることが多いものの、本人が世の中を捉える周囲まわり冷淡ドライという印象を与えていた。雑誌のインタビュー等でも「要求の〝全て〟に無条件で答えるのは〝プロ〟ではなく、便利使いされるコマに過ぎない」と話している。

 『ウォースパイト運動』の制圧に乗り出すつもりはなさそうだが、自らも〝抗議〟の対象に加えられたときには全力で迎え撃つことであろう。目と鼻の先でブブゼラを吹く者たちを効率的に平らげていく手立てを脳内あたまのなかで計算し始めていた。

 から懐中ふところに〝何か〟を隠し持っていることも彼の双眸は鋭く見抜いている。

 北軍の民兵として『ベトナム戦争』に従軍した祖母は少年兵を率いて南軍の地上部隊を強襲し、メコン三角州デルタの密林でカラシニコフ銃の銃爪ひきがねを引いているなかに空爆で木っ端微塵にされたと聞いている。その遺伝子を継ぐ自分も鼻は利くほうだ――胸の内に留めておくべきが口から飛び出しそうになり、ダン・タン・タインは喉の奥へと押し戻した。

 彼もベトナムに生まれた人間である。美しい田園風景に『東西冷戦』のを持ち込み、大破壊をもたらしたアメリカという国に複雑な感情を全く持っていないと言えば嘘になる。『NSB』への出場についてさえ、戦中・戦後の惨状を体験した親類の一部から裏切り者と面罵されたこともあった。

 戦死した家族の服を着てゲリラ戦に身を投じた祖母が旧ソ連から流れ込んだ突撃銃アサルトライフルで全滅させた地上部隊も、〝死の鳥〟と恐れられた爆撃機も、いずれも〝南ベトナム〟を支援したアメリカ軍の所属だ。

 しかし、アメリカ人の〝同僚〟たちと〝スポーツマンシップ〟を分かち合える時代に生きていればこそ、ハリウッド映画にも出演できる。それもまたダン・タン・タインの〝事実〟であった。

 その理念スポーツマンシップによって成り立つ『NSB』はオリンピック・パラリンピックと同じ〝平和の祭典〟だ。突撃銃アサルトライフルで敵兵を殺戮する〝戦場〟ではなく、〝心技体〟を競い合える試合場オクタゴンを守りたいという気持ちはダン・タン・タインも強く持っている。しかし、〝プロ〟としての矜持がは自分の〝仕事〟ではないと先に割り切ってしまうのだった。

 それ故に彼は臨戦態勢を整えず、腕組みも解かなかった。


日米合同大会コンデ・コア・パスコアの開催が決定して以来、アメリカ国内の『ウォースパイト運動』が更にテロ行為を活発化させたのは言い逃れも出来ない事実ですよ。これ以上、を拡げない為には今すぐ計画自体を白紙に戻し、『天叢雲アメノムラクモ』との接点を断ち切るしかないでしょうに」


 誰に聞かせるでもなく苦々しげに吐き捨てたダン・タン・タインは、二〇一五年末に開催される日米合同大会コンデ・コア・パスコアに対し、一貫して反対の態度を取り続けていた。

 MMA選手には興行イベントへの出場に当たって練習トレーニングや体調管理など様々な調が求められる。しかし、日米りょうこくの最大団体が共催する大会ということになれば、必然的に通常とは異なる対応を強いられてしまうのだ。開催先からして日本の東京ドームなのである。

 日本にいて〝暴君〟と忌み嫌われるぐちいくに付き合う意義をダン・タン・タインは見出せない。一分一秒さえ浪費できない〝プロ〟は、『NSB』の所属選手に対する負担が理不尽に膨れ上がる不利益リスクと判断したわけだ。

 エルステッドも日米合同大会コンデ・コア・パスコアに疑問を呈していた――動向うごきを警戒しつつ、ダン・タン・タインはを想い出した。


「どうしてこんな暴挙に出たのか、ずはそこから説明して貰えるかしら? 自己主張しないテロリストなんて聞いたおぼえもないわ。あの忌まわしい――『サタナス』でさえ取り調べに黙秘権を行使しなかったハズよ」


 『NSB』を代表する〝兼業格闘家〟が容易くは割り切れない思いを胸に秘めつつ視線を巡らせた先では、シロッコ・T・ンセンギマナでもブラボー・バルベルデでもない別の人間がベイカー・エルステッドに向かって乱入の理由をただしていた。

 四方八方から怒気を浴びせられようとも全く怯まず、と相対しているのは、最強の二字をもって敬われる『NSB』の花形トップ選手――ジュリアナ・オーケアノス・ヴィヴィアンであった。

 彼女ジュリアナは〝ケージ〟の外で『NSB』の歴史に刻まれるであろう好勝負を見守っていた。しかし、『くうかん』の空手家たちが不審な動きを見せるや否や、主犯格ベイカー・エルステッドよりも早く金網を飛び越え、我が身を盾に換えてンセンギマナたちを守護まもらんとしたのである。


「大事な試合をブチ壊しにされたのは俺とンセンギマナなんですから、こっちで責任を取らせますよ。たかだか二〇人、多く見積もって三〇人。だけで片付けられます。この後に出番が控えているジュリアナねえさんの手を煩わせるワケにはいきませんって」


 そのジュリアナから庇われたバルベルデは、礼を述べるより先に苦笑いで肩を竦めた。

 ブブゼラが鳴り始めた直後は迷惑客と判断し、『NSB』のスタッフに対処を任せて円軌道の打撃を防御ガードすることに集中していたが、の内、最初の一人が金網をよじ登ろうとした段階でバルベルデは試合を中断している。

 その是非についてはレフェリーとも確認し合い、次いでンセンギマナと背中を預け合う形で迎撃態勢を整えたのだ。主犯格が〝同僚エルステッド〟であったことには驚かされたが、この時点で『ウォースパイト運動』による〝抗議〟――『NSB』に対するテロと認識した。

 好敵手ライバルとの最終決戦ラストマッチを踏み荒らした無法なる乱入者たちを一人残らず叩き伏せようと怒りの牙を剥いたところで、迎撃そのものをジュリアナに横取りされてしまったわけだ。爆発的なスタートダッシュに自信のあるスプリンターがスターティングブロックの不備でつまずき、顔面から突っ伏したような状況である。


「ここは〝先輩〟にカッコ付けさせて頂戴な。MMAの――いいえ、格闘技界全体の未来を背負って立つ貴方たちに指一本触れさせないわよ」

「お忘れかも知れませんけど、ねえさん、俺は今日で『NSB』とおさらばなんですよ?」

所属団体NSBを離れても、取り組む競技が別々でも、私たちがこれからも仲間であることに変わりはないでしょう。例え三〇人を返り討ちに出来ても、ボクサー活動に支障をきたす怪我を代償にしてしまったら、それこそプエルトリコの人たちに申し訳が立たないわ」

ねえさん……」

「その拳に譲れない夢を握り締めているのなら、それを育てることだけを考えなさい。未来の種を芽吹かせ、満開の花が咲くよう助けるのも〝先輩〟の役目なのよ。……だからこそ誰かの夢を踏み躙る人間は許さない。今の私は夢とは別の意志を握っているわ」


 先程の問い掛けに対する返答次第では、を一人として五体満足で帰さない――言外に突き付けるジュリアナの眼光を受け止めた主犯格ベイカー・エルステッドの顔は、MMAというを阻んだ愉悦に歪んでいるわけではない。

 ンセンギマナとバルベルデの試合を見学している最中と同じ様子で、生真面目の四字を体現するかの如く口を真一文字に引き締めている。

 目が乾いてしまうのも構わずに全くまばたきをしなかった。『くうかん』の空手家たちは誰もがベイカー・エルステッドと同じ異様な目付きで試合場オクタゴンを取り囲んでいた。


「――ジュリアナにだって頼むわけにはいかないわ。その責任は私が果たすべきもの。何よりも彼は『NSB』に籍を置く選手よ。如何なる影響のもとで今までと別の〝道〟に分かれようとも、訴える手段を誤ったとしても、その声はこの身一つで受け止めるわ。私は逃げも隠れもしない」


 軽く腕を突き出すだけで拳が届いてしまう距離で相対するジュリアナとエルステッドの間に凛と張る声が割り込んだのは、ダン・タン・タインがケージの向こう側にもう一人の〝先輩〟選手を見つけた直後である。

 その声が投げ込まれた方角は、日本人の〝先輩〟選手が立つ位置から少しばかり離れている。場内の皆と共に視線を巡らせた先には『NSB』の現代表――イズリアル・モニワの姿がった。

 左右の肩を大きく上下させながら、額に噴き出した汗を手の甲でもって乱雑に拭い続けるのは、緊急事態を確認して全速力で駆け付けた為であろう。

 幾人かの上級スタッフを引き連れてはいるものの、『天叢雲アメノムラクモ』の岩手興行を視察した際に身辺警護ボディーガードとして伴っていたVVヴァルター・ヴォルニー・アシュフォードの姿はにも見当たらない。

 それどころか、自らも凄まじき戦闘能力を備えた特別顧問たち――かつてヴァルチャーマスクと名乗り、現在いまは異なる通称リングネームで『NSB』に出場する日本MMAの先駆者も、台湾武術界の重鎮にして太極拳の〝武神〟と名高いこうれいそばには居ない。

 前者はそもそも今日の興行イベントに出場予定がなく、後者はアジア地域担当スーパーバイザーの任務を果たす為、本拠地ラスベガスを留守にしている。

 ともすれば、無防備のまま我が身を危険に晒しているような状態であった。初動の遅れを取り戻すべくの制圧に向けて速やかに準備を進めていく警備員たちにも、観客の安全を最優先で確保するよう指示を飛ばした。

 の一人は自らを守るすべを放棄したものとし、ブブゼラを放り捨てながら飛び掛かっていったが、この浅慮極まりない行動をイズリアル・モニワは一睨みで制した。

 ペンシルベニア州の法規制に屈した黎明期の大会コンテストとは比較にならない巨大勢力を誇り、全米どころか、国際社会にまで大きな影響を及ぼすに至った『NSB』を率いる者だ。口さがない人々から『MMA界のサッチャー』と呼ばれる凄味は『ウォースパイト運動』の活動家を圧倒するには十分である。

 静かに燃え盛る炎の如き眼光で心を貫かれた空手家は、呻き声を洩らすことさえ忘れてその場にへたり込んでしまった。すぐ近くでブブゼラを吹きつつイズリアルを威嚇していた〝同志〟たちも左右に分かれて道を譲っている。


「全体の指揮を執る代表こそ、一番安全な最後方ところから大局を見守って貰わないと困るわ。フランチェスカ・ライアン――統合参謀本部議長も、よっぽどのコトがなければ最前線には出張らず、ホワイトハウスの情報分析室シチュエーションルームに詰めているハズよ」

「つまり、〝よっぽどのコト〟が起きたときには、誰よりも早く撃って出なくてはならないということね。今がそのときでないのなら、〝よっぽどのコト〟はを指すのかしら。真の戦士ファイターのみに集うことを許されるのが『NSB』――それ即ち、闘う意志を持たない者は誰であろうと去るのみよ」


 その意を汲んだンセンギマナの師匠マスターが事態の収拾を託すような眼差しと共に開いた青サイドの入り口の前に立ち、一礼を挟んで〝ケージ〟の内側なかに入ったイズリアルに対して、ジュリアナは苦笑を浮かべながらかぶりを振った。

 困った様子で眉根を寄せながらも、激烈な敵意を浴びせてくる『ウォースパイト運動』に一瞬たりとも怯まない団体代表の姿を誇らしそうに見つめていた。


贖罪などしない。『NSB』という罪を滅ぼす為にったのだ」


 共に『NSB』の復活を成し遂げた戦友ジュリアナと肩を並べて立つ団体代表イズリアル・モニワに対し、主犯格ベイカー・エルステッド憤怒いかりに狂うことも目を血走らせて猛ることもなかった。口を開いた瞬間さえ、更なるテロ行為を警戒する人々が驚いてしまうくらい静かであった。


「これは人権侵害に対するしょくざいだ」


 〝抗議の笛〟をもって〝平和の祭典〟を脅かしたテロ事件の主犯格は、「は今こそ罪をあがなわなければならない」と、極めて厳かに繰り返した。


「今日まで『NSB』を支えてきた全ての人々の代表としてかせて頂くわ。私は――いいえ、は如何なる罪を犯したというのかしら。前代表フロスト・クラントンの暴走を止められなかったことを許されざる罪とするならば、裁きの鉄槌は私個人ひとりに振り下ろしなさい。貴方にはその資格がある。ただし、団体全体を貶める企みには抗わせて貰うわよ。……罰するべき相手を見誤るのは、貴方の為にもならないわ」

「自分とて罪にけがれている。として片棒を担いだ事実を誤魔化すつもりもなく、だからこそ今日の決起に至ったのである。……『NSB』が犯したのは『平和と人道に対する罪』ッ! それは代表個人ひとりを火刑台に押し上げたところであがなえる罪ではありますまい」

「随分と高いだわ。『平和と人道に対する罪』か。〝ウォースパイト〟を名乗る思想活動に似つかわしい主張と言うべきかしら。貴方に〝断罪の剣〟を託したのは国際社会の秩序であり、勇気ある正義の執行者――はそのように締め括るつもりね」

「その覚悟で我らはったのである」


 主犯格ベイカー・エルステッドが返答に代えて団体代表イズリアルに突き付けた罪状は、国際法によって規定された〝戦争犯罪〟であるが、本来は別々に取り扱うものであった。

 『平和に対する罪』は他国への侵略といった国際秩序の崩壊を、『人道に対する罪』は狂気に冒された暴君による人権侵害をそれぞれ国際法の枠組みにいて抑止する役割も果たしており、後者が処罰対象に定める〝人道的危機〟は民族虐殺や奴隷化も含めている。

 乱暴にもこれらを一括りにし、MMA団体の活動内容に当てめて糾弾することは拡大解釈の一言でも説明が付かず、余りにも突飛な発想だが、イズリアル・モニワは気色ばんで言い返すこともなく無表情で受け止めている。

 そもそも過激思想は大義名分を実態から掛け離れるほど誇張する傾向があり、口にする主語も異常に大きい。かつて試合場オクタゴンに火炎瓶を投げ込んだ『ウォースパイト運動』の〝同志〟は「MMAなどは正義を定めたもうた神へのぼうとく」と絶叫し、裁判でも同様の主張を繰り返していた。

 を人権侵害とし、これに対して抗議する思想活動にも関わらず、〝ウォースパイト〟を称する所以ゆえんとも言い換えられるだろう。かつてイギリス海軍が運用し、二度に亘る世界大戦を戦い抜いた戦艦と同名だが、意味するところは〝への軽蔑〟である。

 『NSB』を『平和と人道に対する罪』で裁かんとしていることからも明らかな通り、は、内在する暴力性という一点のみを拡大解釈して格闘技と戦争を並べて語っている。

 言行も思考も際限なく過激化していく『ウォースパイト運動』の〝抗議〟は、〝戦争犯罪〟を裁く国際法にさえ基づかないである。格闘技という〝暴力〟を人権侵害と罵りながら、より深刻な破壊をもたらすテロ行為を〝社会正義〟と主張する――傍目には狂乱の一言でしか表せないが、自らの振る舞いを何もかも正当化する者たちのなかではかつな判断となるのだ。

 『くうかん』のからを纏って『NSB』の試合場オクタゴンを占拠したエルステッドたちも、裁判という国際社会のことわりらない断罪に取りかれていることは疑いなかった。


「我らが〝真実〟に目覚めたきっかけはバルベルデ選手のお陰だ。先ずは御礼を申し上げたい。あなたに託された問い掛けが欺瞞に満ちた格闘技から目をまさせてくれたのだ」

「礼を言われる筋合いなんかねぇし、言ってるコトとやってるコトが正反対のデタラメだろうが。俺があんたらに何を託したってんだ? 妄言も大概にしておかねぇと、顔面が原形を留めねェくらい陥没しまくった遺体を警察へ引き渡すことになるぜ、オイ」

「ならば、お答えしよう。金メダルという栄光を故郷プエルトリコもたらさんが為、MMAの経歴キャリアをも投げ打たんとする自己犠牲の意志――MMAからアマチュアボクシングへの転向が〝真実〟の扉を開いたのだ。〝真実〟とは如何なる場合でも残酷なものだと思い知らされた」

「本人を置き去りにして、ェだけ妄想に浸ってんじゃねぇってんだッ!」


 相対するイズリアルにも、試合場オクタゴンの外から事態の成り行きを見守るしかない観客にも、重罪人が犯行動機を自供し始めたようにしか思えないが、ベイカー・エルステッド当人は世界を〝人道的危機〟から救わんとする大演説のつもりである。ケージの網目をすり抜けるブブゼラの騒音もを更に煽っていた。

 『ウォースパイト運動』の〝同志〟にとっては正義と秩序を奪還せしめる笛のであろうが、偏った思想の強要こそがテロリストの証左なのだ。


総合格闘技MMAとボクシングの差異ちがいはあるが、仮にも〝プロ〟として活動していた人間がアマチュアにする危険性リスクは、〝暴力〟という二文字とそっくり置き換えられるのだ。プロとアマは生計を立て得る職業か否かで分けられるものではない。学生スポーツからの延長が大多数を占めるアマチュア選手とは技術的に歴然とした差がある。これは誤魔化しようのない事実である」

「アマチュアボクシングにするボクサーとしちゃあ、競技自体をバカにされてるようで聞き捨てならねェな。〝プロ〟よりも強いアマ選手、こっちは両手の指を使っても数え切れないくらい知ってるぜ」

る限られた視界に入る一例だけで世界全体を語るべきではないし、現実から目を逸らすような物言いで失望させないで欲しい。大多数には自分が辿り着いた〝真実〟こそ当てはまると、アマチュアボクシングの経験を誇るバルベルデ選手は誰よりも理解している。拳を鍛え上げた大人が成長期の子どもをなぶり殺しにするのと何が違うのだ」

から着てボクシングを語んなっつーの。そもそも『クウカン』だってアマチュア選手の育成に力入れてんだろうが。ェの矛盾に気付かないくらいアタマ、やられてんのか」

「このからに身を包み、一〇代の頃から『くうかん』で学んできたからこそ『NSB』も同じ過ちを――いや、『平和と人道に対する罪』を犯しているという最後の〝真実〟まで辿り着けたのである。矛盾をあげつらうならば、これこそ断じて許しがたし」


 周囲まわりの反応など意に介さず、自分たちの乱入によって試合が中断されてしまった相手バルベルデ団体代表イズリアルの肩越しに見据えながら、エルステッドは一方的に雄弁を振るい続けている。

 その間、エルステッドも他の〝同志〟たちも、一度としてまばたきしなかった。


「ゆくゆくは日本の〝同志〟も決起する。サムライたちの勇気も〝真実ほんもの〟だ。イズリアル代表がアマチュアMMAの人材育成に尽力してきたのは、MMAという競技そのものをオリンピック正式種目として認めさせんが為。大望と妄念を履き違えた浅慮が国際社会の秩序を破壊するとは、想像したこともありますまい。……イズリアル・モニワ、貴女が全世界が暴力の恐怖に塗り潰すのだ」

「悲劇としか表しようがないけれど、私が〝何か〟を述べたところで、貴方の耳には見下げ果てた言い逃れにしか聞こえないでしょう」

「もはや、貴女の口は欺瞞しか作り出せないようになっている。未だに〝真実〟に気付いていないのか。気付いていながら、オリンピックという幻想に目が眩んで見て見ぬ芝居フリを続けているのか――いずれにせよ、『平和と人道に対する罪』からは逃れられない」


 総合格闘技MMAのオリンピック競技種目化が引き金となって、全人類の〝暴力本能〟が剥き出しになる――ふんまんの二字を顔に貼り付けながらイズリアルに目を転じ、一等大きな吼え声を上げたベイカー・エルステッドは、岩の如く握り締めた右拳をマットに叩き付けた。

 それは無念の発露なのか。大粒の涙を双眸から迸らせている。


「国家の威信を争うオリンピックにありとあらゆる〝暴力〟が剥き出しとなる総合格闘技MMAなど持ち込もうものなら、たちまち一九五六年の再現になる。国威の顕現にも等しい金銀銅のメダルを獲得する為ならば――否、敵国に渡さぬ為ならば、誰も彼も手段を選ばなくなる。その瞬間とき、人間の暴力性は首狩り民族も同然に野蛮となるのだ。これが文明社会のスポーツか? 人類の進化を逆行させることは歴史への冒涜にも等しかろうよ」


 ベイカー・エルステッドが解説も交えないまま「一九五六年の再現になる」とだけ述べて周囲まわりを置き去りにしたのは、近代オリンピックに負の歴史として刻まれた乱闘事件であり、その惨たらしい有り様に由来して『メルボルンの流血戦』と呼ばれるようになった。

 事件が起きたのは、『ハンガリー動乱』の直後に開催された一九五六年メルボルンオリンピックの水球競技のなかである。

 国論の分裂といった政治的混乱を抱えながらも枢軸国側として〝戦争の時代〟を迎えたハンガリーは、連合国側のソビエト連邦に侵攻と占領を許し、戦後も内政干渉といった圧迫が続いた。

 ソビエト連邦の影響が強い政府中枢はともかくとして、国民の間では穏やかならざる感情が膨らみ、一九五六年一〇月二三日に至って国土の隅々まで憤怒いかりの炎で包まれるような暴動に発展した。これが『ハンガリー動乱』である。

 自由を求めて決起したハンガリーの民がソビエト連邦の軍事介入によって鎮圧されたのは同年一一月一〇日のこと――オーストラリアで初めて開催されるオリンピックが開会式を迎える一二日前であった。

 緊張の二字ではとても表し切れない関係のりょうこくが水球競技で対決したのは、ハンガリーの首都ブダペストがソビエト連邦の戦車に蹂躙されてからたった一ヶ月後のことである。

 そもそも水球は「水中の格闘技」と呼ばれるほど選手同士の接触も激しい競技だが、一二月六日に繰り広げられた因縁の一戦は、両チームが入り乱れて殴り合う惨状と化した。ハンガリーの代表選手オリンピアンも裂傷を負い、その血でプールが赤く染まったことから『メルボルンの流血戦』と名付けられたのである。

 点数の上ではハンガリーの完勝であったが、試合後には応援に駆け付けた観客までもが乱闘騒ぎを起こしており、祖国の雪辱を果たしたとも言いがたい苦い幕切れとなった。

 文化・国籍といった選手間の違いを越え、フェアプレーによって育まれる友情を通じて世界平和に貢献するというピエール・ド・クーベルタン男爵の理想オリンピズムなど通じない〝現実〟がそこに横たわっていた。

 甚だ説明不足であったものの、殊更にMMAの暴力性を強調するような口振りから『メルボルンの流血戦』を例に引いたのであろうとイズリアルも察している。

 一つの事実として一九五六年のハンガリー選手団はソビエト連邦による暴動の鎮圧を祖国に対すると捉え、同胞の怒りと悲しみを背負ってメルボルンオリンピックを戦っている。反ソ連の旗頭は言うに及ばず、死屍累々と表すしかないほどのハンガリー国民が犠牲となり、これを遥かに上回る難民が国外脱出を余儀なくされたのだ。

 えて『メルボルンの流血戦』を取り上げずとも、スポーツによって〝心技体〟を競い合うべき〝平和の祭典〟が国家間の争いに呑み込まれた例は数え切れないのである。


「プエルトリコがアメリカからの完全独立を宣言した後にも先程と同じように反論できるのか、バルベルデ選手。両チームがオリンピックで対戦することになったとき、そして、その競技がMMAだった場合、自治領にメンを潰されたアメリカ本国は試合にかこつけて〝平和の祭典〟の理念を裏切る真似を躊躇ためらうまい。これからあなたがするボクシング競技にとっては今日明日にも迫る事態だと思うがな」

「今度は他人ひとふるさとにケチつける気か? いちいち過剰オーバーなんだよ。何でもかんでも政治と結び付けて、好き勝手にアレコレこじ付けやがって。〝代理戦争〟って目でしか国際大会を見られねぇのはどうかと思うぜ。に何を言っても無駄だと思うがよ」

「バルベルデ選手は〝プロ〟だからとして『NSB』のリングに立てるのだ。その立場があったればこそ、政治と無関係でいられたのである。国家くにの代表として闘うとき、現在いまと同じ意見は断じて口には出来ない」

「またしても一方的な決め付けか? それと騒音妨害以外に芸はねェのかよ。がっかりさせてくれるぜ、エルステッド。随分と自治連邦区コモンウェルスを見下してくれやがるが、はあんたが中指を立てた前代表フロスト・クラントンを想い出してならねェぜ」


 好敵手ライバルとの最終決戦ラストマッチを中断させられた憤りをぶつけてきたバルベルデであったが、こめかみを軋ませる頭痛によって反論する気力も断ち切られてしまった。

 二〇一四年現在、プエルトリコはアメリカの〝準州〟であり、一部の政治家や活動家が本国からの完全独立を目指してはいるのだが、社会全体の方針でもない運動を持ち出した挙げ句、MMAが秘める暴力性の協調に結び付けるのは、発想の飛躍ではなく論理的思考の破綻としか表しようがなかった。


「国の垣根を超えて人材が集まる競技団体への所属という一言を盾に代え、政治とスポーツを切り離せるのも〝プロ〟の特権である。だが、その言い訳はアマチュアの〝立場〟には適用されないし、報酬の代わりとして祖国の〝誇り〟を代表選手オリンピアンは違う。〝代理戦争〟の泥沼がもたらす結果は『ベトナム戦争』を振り返れば明らかだ」

「――からを着てボクシングを語らないように警告されたばかりでしょうッ!」


 バルベルデと入れ替わるようにして金網の外から鋭い大音声を叩き付けたのは、ダン・タン・タインである。

 随分と都合の良い耳であろうが、最初の一言さえエルステッドには届いていない。仮に聞こえていたとしてもダン・タン・タインが紡いだのはベトナム語であり、言葉の裏側に秘められた真意だけでなく、己が纏うどうを指した一言さえも理解できなかったはずだ。

 メコン三角州デルタの密林を切り裂くカラシニコフ銃の発砲音を聞いたおぼえもないような人間が『ベトナム戦争』を語るな――先ほどバルベルデが発した言葉をえて引用し、エルステッドの失言を糾弾したのである。


「拳という名の凶器を振り回すボクシングでさえ危険であるのに、MMAは相手を絞め殺すことも、関節を圧し折って人生を狂わせる後遺症も与えられる。ボクシングとの決定的な違いは寝転んだグラウンド状態の相手に対する打撃パウンドだ。栄光を祖国にもたらさんが為、馬乗りマウント状態ポジションで敵兵を殴り殺す戦争が〝平和の祭典オリンピック〟で再現される! 一体、何の冗談だッ!」

「MMAがオリンピックで採用されたら俺と同じように〝プロ〟から転向したヤツらがアマ選手をなぶり殺しにするとでも言いてェのか? 国同士の〝代理戦争〟も酷くなって『メルボルンの流血戦』の比じゃない悲劇が起こるってか? ……常人には真似できねェ思考アタマに寄せて想像を膨らませると脳が悲鳴を上げるぜ。おまけに胸糞悪くて仕方ねェ!」

「蛮行を正当な競技と容認する人間の想像力はか? ……失望させられたのは自分のほうだ、バルベルデ選手。MMAが全世界で普及すれば、覇権争いに狂奔する為政者たちは〝代理戦争〟の手段として利用する。それが何を意味するのか? 全人類の暴力性が一斉に爆発する! 〝平和の祭典オリンピック〟が第三次世界大戦の舞台と成り果てるのだッ!」


 自らが並べ立てた言葉によって、魂に根を張った憤怒いかりが一等刺激されたのであろう。身のうちより噴き出した激情がベイカー・エルステッドの両頬を小刻みに震わせていた。

 エルステッドは為政者によるMMAの政治利用を予期して激烈に怒り狂っているが、目を血走らせながら大音声を張る様子は、自らの忌み嫌う存在が支離滅裂な演説で聴衆を扇動する姿と何ら変わらなかった。

 尤も、この場にいてはブブゼラを持つ〝同志〟以外に首を頷かせる人間はいない。大音声が際立つほど場内が静まり返っているのは、MMAの危険性を説く言葉に耳を傾けているのではなく、誰も彼も顔が引きっている為であった。

 強い言葉で他者の感情を刺激し、行動理念を上書きするプロパガンダとしても、〝戦争の時代〟に常軌を逸した選民思想でドイツを操り、全世界の敵となった独裁者の足元にさえ及ばないわけだ。


「メルボルンオリンピックの頃――即ち、カラーテレビが一般家庭に普及していなかった一九五六年と違って現代は情報社会。甚だ悲しくも全人類が等しく生まれ持った破壊の本能をかせから外すすべが今以上に広く知れ渡る土壌も整っている。ひとたび、汚染が始まれば拡大する範囲もその速度も、誰にも止められないレベルに達する。学生スポーツまでもが凶暴な兵士を育てる場と化すのだ。無垢な子どもたちを戦争に突き進ませるおつもりかッ⁉」

「情報社会のあだばなである『ウォースパイト運動』がを抜かすワケ? 情報社会の澱みに沈んだ人間の末路を自ら証明しているようにしか見えないわね。いっそ味わい深いわ」


 MMAが第三次世界大戦の火種になるという暴論に接して絶句させられたバルベルデに代わり、痛烈な皮肉を吐き捨てたのは、団体代表イズリアル・モニワと肩を並べてと対峙するジュリアナ・オーケアノス・ヴィヴィアンであった。

 二〇一六年開催のリオオリンピックでは追加種目の候補に挙がっていないが、将来的に総合格闘技MMAがオリンピック競技として採用された場合、アマチュアひいては学生スポーツをも巻き込んでが深刻化する――それがベイカー・エルステッドの主張である。

 商業化に拍車が掛かった一九八四年ロサンゼルス大会以降はスポーツ利権という生臭い思惑が顕著となり、これに絡んだ議論や汚職事件も絶えないが、依然としてオリンピックは世界最高の競技大会であり続けている。だからこそ、世界中の競技選手アスリートたちもこの夢の舞台への出場を目指して厳しい練習トレーニングに励んでいるのだ。

 会場まで足を運ばずともテレビのチャンネルを合わせるだけで誰でも観戦できるオリンピックの影響力が絶大であることも事実である。試合が大きな話題を呼び、マスメディアで取り上げられた途端に当該種目の競技人口が激増していく。

 オリンピックとは競技自体のが大幅に変わる機会でもあるわけだ。

 そのような場でMMAが注目を集めれば、子どもたちのクラブ活動や学校教育に採用されるほど〝一般化〟する危険性が高まる。は分別の付かない年頃から暴力性が助長される事態に他ならず、半世紀も経てば理性なき蛮行が横行し、国際秩序は崩壊する――ベイカー・エルステッドは断定的な語調で言い添えた。

 世界終末の〝真実〟に辿り着いたきっかけであればこそ、故郷プエルトリコにオリンピックの栄光をもたらすべく〝プロ〟のMMAからアマチュアボクシングへする選手ブラボー・バルベルデの試合を決起の場として選んだのであろう。

 独り善がりな妄念に付き合わされる羽目になったバルベルデからすれば、人生最悪の迷惑でしかないが、が『NSB』に対して『平和と人道に対する罪』という結論に至った辻褄は合うのだ。


「……前代表クラントンのバカの悪だくみにも乗らなかったし、世の中のコトをキチンと見極めているって思ってたんだけどな。こんな半端者ハンチクを見抜けなかった自分てめーが情けねぇよ」


 ンセンギマナの師匠マスター――即ち、〝総合格闘〟をカリフォルニア州サンノゼの道場スタジオで教え広めるシルヴィオ・T・ルブリンの嘆息が金網の外から試合場オクタゴンへと滑り落ちた。

 ベイカー・エルステッドのなかでは自分だけが気付いた〝真実〟なのであろうが、MMAがオリンピック競技として採用された場合の問題点や想定し得る危険性リスクは、何年も前から既に議論が進められている。

 ありとあらゆる格闘技術がルールの範囲内で認められるMMAには高い暴力性が内在しており、黎明期にいてもアメリカの上院議員――二〇〇八年の選挙で現大統領とホワイトハウスを争った野党側の指名候補である――から〝人間闘鶏〟と批判されてきたのだ。

 かつてはアマチュアMMAの育成にも携わった団体代表イズリアル・モニワが競技自体の性質を承知していないはずもあるまい。

 国家間の確執が選手を苛烈な試合へ追いやる可能性や、その解決策を話し合っているのは『NSB』内部のスタッフだけではない。そもそもMMAのオリンピック正式種目採用を目指す推進運動は、各国の関連団体が歩調を合わせながら実施しているのだ。

 その中には日本国内で開催されるMMA興行イベントの運営状況や、ルールの策定といった安全性を監督する中立機関――『MMA日本協会』も含まれている。

 エルステッドが言及した通り、アマチュアの競技選手アスリートと学生スポーツは直線的と表しても差し支えのないほど密接な関係である。オリンピックは年少者が楽しむ競技も多い。そこにMMAが加わった場合、成長期の完了していない子どもの間で深刻な事故を招き兼ねないのである。

 脳や内臓、関節の損傷は言うに及ばず、無限の選択肢が用意されているはずの将来に暗い影を落とす後遺症も想定されるのだ。

 『NSB』も『MMA日本協会』も、二度と〝人間闘鶏〟などと扱き下ろされないようなの確保を目的としているわけではない。競技対象年齢の法規制といった議論を共有する各国団体は、推進運動を担う責任にいても総合格闘技MMAという競技に対して慎重な姿勢を保ち続けているのだった。

 自らの〝心技体〟を振り絞るの対価として報酬ファイトマネーを得る〝プロ〟にとって出身国などは経歴プロフィールの一つに過ぎないが、国際大会に臨むアマチュア選手にとっては〝代表国〟であり、そこに生じる意味も重みも大きく違う。

 〝プロ〟は出資者スポンサーの広報戦略も兼ねてロゴマークを、アマチュアの選手は所属先や〝代表国〟の紋章をそれぞれ試合着ユニフォームに背負って大会に臨んでいる。はそのまま試合に求められる結果の差異ちがいを象徴し、後者には国民の期待という名の圧力プレッシャーが宿るわけだ。

 はたから聞いている分には勇ましく感じる「絶対に負けられない戦い」という標語や、対戦国との宿敵関係を無責任に煽るマスメディアに追い立てられ、平常心を失った選手がMMAに内在する暴力性を過剰に引き出してしまう――こうした問題提起など『NSB』は何年も前に通り過ぎていた。

 MMAの更なる発展を推し進めんと努める人々の〝事実〟に意識を向けようともしない『ウォースパイト運動』の活動家は、己のなかだけに芽生えた〝真実〟にしがみ付き、実態から乖離した妄言を撒き散らしているに過ぎなかった。


「勝利至上主義と民族意識が五輪選手オリンピアンを狂わせた例は『ドランドの悲劇』まで遡るほど根が深い。理想論を唱えるだけで改善されると思われますか? 第四回オリンピックの頃から悪化する一方だッ! 例え選手本人が国民の期待を意識しないよう努めても、監督、同僚、家族に友人――と、近しい人間から圧迫されて勝利以外に許されなくなる。それが原因で選手が壊れても、夢に殉じた美談として娯楽化される――恥ずべき〝感動ポルノ〟を一世紀も繰り返してきたのにMMAだけ例外になると、どうして考えられるのかッ⁉」


 一九〇八年ロンドンオリンピックのマラソン競技のなか、スポーツの意義を問われる一つの事件が起きた。

 同大会のマラソン競技はイタリア代表の長距離走の選手――ドランド・ピエトリが一着でゴールしたのだが、その前後には猛暑と極限の疲弊によって何度も倒れ、そのたびに係員が抱え起こし、金メダルを求める人々から容赦なく追い立てられ、意識を保っているとも分からない状態でゴールテープをのである。

 結局、競技中に他者の助けを借りたことが問題視されてドランド・ピエトリは失格扱いで一九〇八年のオリンピックを終えることになったが、ゴール地点で彼を出迎えた観客たちはスポーツそのものの信頼を揺るがし兼ねない事態を感動的な物語ドラマとして称賛し、当時のイギリス王妃に至っては金メダルの代替品まで贈っている。

 あまつさえ、同大会のマラソン競技で二着となったアメリカの代表選手オリンピアンと再対決の舞台まで整えられたのである。オリンピックにける競技結果をの感情だけで不当と決め付けたようなものであろう。

 スポーツ選手は〝何の為〟に闘うのか。その勝利は〝誰の為〟にるのか――それを現代にまで問い掛ける一連の事件を『ドランドの悲劇』という。

 オリンピックのマラソン競技では、この四年後のストックホルム大会にいて日本人初の代表選手オリンピアンであるかなくりそう競走レース中に行方不明となり、フランシスコ・ラザロという名のポルトガル代表は意識を失ったまま翌朝に命を落とした。両選手ふたりとも競技当日の猛暑に蝕まれ、後者ラザロは近代オリンピック初の死者としてスポーツ史に刻まれている。

 ベイカー・エルステッドが怒れる声で語った通り、祖国を代表して国際大会へ出場する競技選手アスリートに勝利が強要される問題と、これを誰とも分かち合えない孤独は、一〇〇年を経ても抜本的な解決に辿り着けないほど根が深いのだ。


「もしも、オリンピックでMMAの試合が強行され、出場選手オリンピアンの首が圧し折られる事態が起きたとしても、殉教者の如く崇められた挙げ句、感動的な娯楽エンターテインメントとして消費される。断言しても構わんが、その年の内に映画化されるぞ」

はイズリアルがハリウッドで働いていたコトを揶揄しているのかしら? ……MMAへの〝抗議〟ですらない侮辱は一言だって許さないわよ。ジュリアナ・オーケアノス・ヴィヴィアンの名前で喧嘩を買ってやろうじゃない」

「自分以外の誰かに〝女神の生まれ変わり〟というを押し付けられたヴィヴィアン選手に理解できないハズがない。大衆は劇的な物語ドラマこそ望むものだ。善かれ悪しかれ、どうしようもなく心が衝き動かされる刺激に餓えている。……前代表フロスト・クラントンが犯した大罪の成れの果てから目を背けるなッ! 幾人もが再起不能に追いやられ、モニワ代表肝煎りの選手は殺されたも同然だと言うのにッ! 他者ひとの人生を娯楽エンターテインメントとして愉しみたい連中はドーピング汚染の〝暗黒時代〟に戻れとほざくッ! この世界はMMAという〝暴力〟を餌としてらう悪魔の棲みと変わらぬのであるッ!」


 ンセンギマナの師匠マスターが唇から滑らせた嘆息は聞き取っておらず、返答でもなかろうが、エルステッドまでもがアメリカ格闘技界から永久追放された『NSB』の前代表――フロスト・クラントンの所業に触れた。

 一九九三年の旗揚げ興行以来、使用し続けてきた八角形の試合場オクタゴンに各国のMMA団体も倣うなど名実ともに〝国際基準〟の牽引役を担う『NSB』だが、前代表フロスト・クラントンが数年前に引き起こしたドーピング汚染によって一度は社会的地位もファンの信頼を失いかけている。

 長期療養を余儀なくされるほどの深刻な故障や有力選手の離脱を招き、のちの格闘技史にお『NSB』の〝暗黒時代〟と記されているのだが、ドーピング汚染の本質は禁止薬物の蔓延ではなかった。は新たに団体代表に就任したイズリアル・モニワ主導による組織改革と健全化を取材し、ピューリッツァー賞の獲得に至った格闘技雑誌ゴッドハンド・ジャーナルも報じている。

 〝人種のサラダボウル〟とも呼ばれるおおきな国家くにの歪みがその根底にった。

 前代表フロスト・クラントンの選手だけにドーピングを手引きし、一種の〝超人〟の領域にまでを施した上で、〝それ以外の者たち〟に差し向けたのである。

 古代ローマの剣闘士グラディエーターが猛獣を相手に誉れ高き戦いを繰り広げた円形闘技場コロッセオを『NSB』で再現させたのだ――と、前代表フロスト・クラントンは当時から誇らしげに語っていたが、それこそが許されざる所業に対して自覚的であった何よりの証明であろう。

 ドーピングの効果によって圧倒的な優位性が備わった〝超人〟に破壊され、再起不能にまで追い込まれたのは、如何なる場合にいてもフロスト・クラントンとは異なる肌の色の選手であった。アメリカ社会から噴き出した批判は言うに及ばず、本拠地ネバダ体育委員会アスレチックコミッションも速やかな是正を強く勧告し、こうちょうかいまで開いたのだが、白雪ともたとえるべき肌の男の対応は誠実の二字とは掛け離れていた。

 フロスト・クラントンには師匠と呼ぶべき存在がいた。彼と同様にショービジネスの世界で大成し、師弟二人三脚のマーケティング戦略やPPVペイ・パー・ビューの確立で黎明期の『NSB』を支えた人物である。循環を繰り返す血と心臓の如く運営の仕組みシステムが機能し始めたのを見届けたのち、MMAの未来をイズリアルたちに託して同団体NSBから離れている。

 現在はラテンアメリカに起源ルーツを持つ選手を中心としたMMA団体の最高経営責任者CEOを務めているが、その師匠が掲げ続けてきた「格闘技を最高の娯楽エンターテインメントに昇華する」という理念を弟子フロスト・クラントンは最後まで受けれられなかったのであろう。

 それが為に北米アメリカ最大のMMA団体をする〝立場〟になった途端、「格闘技を大衆が消化する娯楽エンターテインメントに作り変える」という師弟二人三脚の努力をも水泡に帰すような暴挙に出たのである。

 古代ローマの歴史を振り返ると、剣闘士グラディエーターたちが起こした叛乱は討伐軍によって鎮圧されている。これに対し、自らを円形闘技場コロッセオの再現者などと称したフロスト・クラントンはアメリカ格闘技界から永久追放され、挙げ句の果てには欧州ヨーロッパの打撃系立ち技格闘技団体である『ランズエンド・サーガ』に逃げ場を求めている。この事実こそがMMAの先駆けを差配する大器うつわではなかったという証左であろう。

 結局のところ、前代表フロスト・クラントンは自分と同じ肌の色の選手すらという価値観でしか捉えていなかった。薬物は肉体からだを育てる栄養素などではない。人間離れした〝力〟と引き換えに投与された人間の命を削るのだ。

 〝超人ショー〟の餌食にされてしまった人々とは異なる肌の色でありながら、恥ずべき所業に与せず、ドーピングも断固たる態度で拒絶した選手は一握りではない。MMAそのものの〝敵〟となったベイカー・エルステッドもその一人であった。

 だからこそ、清廉潔白な人物として誰からも厚い信頼を寄せられてきたのだ。翻せば、澄み切った清流ほど濁るのも早いということである。


「人が感情で生きる動物である限り、娯楽エンターテインメントを渇望する心の衝動は止められない。それならば! ……それならば、災いを芽吹かせる種を叩き潰すしかない! MMAという名の〝暴力〟を終わらせることは、幾億の命を救うという人類平和への約束である! 〝暗黒時代〟への回帰を求める恥知らずを地上に解き放ってしまったにとって、果たすべき責任ではなかろうかッ⁉」


 あたかも死神スーパイに魅入られた回路サーキットへと思考あたまが切り替わってしまった様子であるが、世を憂う生真面目さは保ったままである為、エルステッドが並べ立てた暴論の中には、真っ当な指摘として傾聴すべき部分が全く無いわけではない。

 例えば、国威の浮沈や外交問題を抱えた相手国へのを選手へ託す行為ことには、民族意識のもとに言行が過激化する傾向が確認されている。命の危険と背中合わせである〝格闘競技〟全般に共通する懸念事項なのだ。

 国威発揚への貢献と引き換えに政府からの保障を含めた援助を受けるアマチュア選手――『ステート・アマ』を過去に擁していた国家くにでは、今でも政財界と競技選手アスリートが緊密に結び付いている。

 テロの危うさとは被害の大きさで効果を判定する破壊活動のみを指すのではない。社会がひた隠しにする〝真実〟を抉り出すようにも聞こえ、また他者ひとの心を食い破るほど攻撃的な言葉を選ぶからこそ、常軌を逸した過激思想は広い範囲に伝播していく。

 筋の通らない主張を並べ続けるエルステッドに徒党を組むだけの〝同志〟が付き従っていることこそ何よりの証左であろう。理性的な判断力すら押し流してしまう熱量にてられた途端、テロリズムというに罹った人間は歴史を紐解いても数え切れなかった。


「オリンピックが与える影響だけが問題なのではない。かれ悪しかれ『NSB』は全世界のMMAに対して強いリーダーシップを発揮している。この罪深き先駆者が指一本動かすたびに全人類が暴力性を揺り動かされる。そこに来て日米合同大会コンデ・コマ・パスコアだ! 想像するだけで脳が焼け焦げそうになるが、国際社会の注目度はオリンピックに匹敵する! ……もう時間がない! それ故に自分たちは今日、義挙に及んだものであるッ!」


 世界のMMAを牽引し続けてきた『NSB』と、一度は日本のMMAを崩壊させるほどの過ちを犯しながら〝暴君〟のによって甦った『天叢雲アメノムラクモ』の影響力が合わされば〝暴力〟を振り翳す者たちは制御不能と化す――主犯格ベイカー・エルステッドの吼え声に呼応し、ブブゼラの騒音は更に勢いを増した。


「蛮族覚醒の潮流ながれを作り出したことこそ『NSB』の大罪である。選手としてそれに加担してしまった己自身も断じて許せん。……決して、モニワ代表一人に断罪を押し付けるつもりはない。天罰に身を委ねて〝みな〟と共に逝く覚悟である」


 これは贖罪だ――もう一度、は全身を震わせながら吼えた。

 己の言行に一点の疑いもない立ち居振る舞いだが、〝贖罪〟とは呼んで字の如く自らが犯した罪に対する償いを意味している。それにも関わらず、エルステッドが最も声高に主張しているのはなのだ。あるいは惨劇の予防とも言い換えられるだろう。

 自らの発する言葉の一つ一つが矛盾に満ちていると気付けないことも異常性の顕現あらわれだ。

 『ウォースパイト運動』が人類滅亡の危機と訴えるような事態は、必ず引き起こされるとは限らない。ともすれば〝闇〟の底より垂れ込めたもやの如き強迫観念に怯えているようなエルステッドに対して、『NSB』の現代表――イズリアル・モニワは、一握の哀しみが混ざった憐憫の眼差しを向けている。


「――月曜日は嫌い。盛り上げたかったの」


 おもむろに口を開いたイズリアルが紡いだ一言は、ンセンギマナとバルベルデの試合を断ち切ったブブゼラの騒音に負けないくらい前後の脈絡を無視するものであった。

 試合場に乱入してきた『ウォースパイト運動』の活動家や、これと対峙する『NSB』の選手たちは言うに及ばず、金網の外から成り行きを見守っていた人々までもが意味不明な筋運びに面食らい、揃って目を丸くしたのは無理からぬことであろう。

 今日が土曜日ということも含めて場違いとしか表しようのない「月曜日は嫌い」という言葉に続けて、イズリアルは急に歌を口ずさみ始めたのである。

 アイルランドのロックバンド――『ブームタウン・ラッツ』が一九七九年七月に発売した『アイ・ドント・ライク・マンデイズ』である。尤も、哀愁が深く染み込むような節回しは本来のボーカリストであるボブ・ゲルドフよりも、同性のトーリ・エイモスによる二〇〇一年のカバー版に近い。

 趣味の音楽バンド活動でライブハウスのステージに立つこともあり、無伴奏でありながら場内の隅々にまで響き渡るような美しい歌声であるが、大多数の人々は口も結んで聞き惚れているわけではない。強硬姿勢を崩さない『ウォースパイト運動』に狼狽したイズリアルが現実逃避を始めたとしか思えず、酷い困惑を持て余しながら成り行きを眺めているのだ。

 これ以上ないほどの皮肉であろうが、イズリアルがえて『アイ・ドント・ライク・マンデイズ』というナンバーを選んだ理由に誰よりも早く気付いたのは、その口は欺瞞しか作り出せないと、彼女に面と向かって吐き捨てたエルステッドである。

 今までとは異なる様子で瞳に憤怒いかりの火を灯し、決意を秘めた歌声を一秒たりとも止めることのないイズリアルと穏やかならざる視線を交わした。

 歌詞の上でも「月曜日は嫌いアイ・ドント・ライク・マンデイズ」と繰り返す部分には、凶行に及んだ動機を刑事と推定されるたずねる言葉も組み込まれている。事件を起こした心境を「月曜日は嫌いアイ・ドント・ライク・マンデイズ」と言い表す頃には、他の人々も歌に隠された意図を理解し始めた。

 主犯格ベイカー・エルステッドの傍らに立つ〝同志〟の一人は「オレたちの大義を侮辱する気かッ!」と喚き散らし、次いでからの内側に右手を差し込んで棒状の〝何か〟を掴むと、耳障りな金属音と共にを振り出した。

 その空手家が握り締めたのは、三本のパイプで構成される伸縮式特殊警棒であった。ケージの網目からダン・タン・タインが見抜いた通り、からの奇妙な膨らみは、懐中ふところに隠し持つ武器がその正体であったわけだ。

 内部が空洞となっているパイプとはいえ相応の強度つよさを誇る合金製であり、全力で殴打されようものなら頭蓋骨すら砕け散る――側面にも企業名なまえが刻まれているが、その特殊警棒は軍にも兵器を提供するイタリアの古き軍需企業『ロンギヌス社』の製品モノであった。

 昨年の七月にペルーで発生した大規模な反政府デモでも国内のテロ組織から怒れる市民ひとびとに譲り渡され、〝大統領宮殿〟の周辺を脅かしたことで物議を醸した警棒が今度は『NSB』代表の喉元に突き付けられた恰好である。


「――その歌、目立ちたがり屋のテロリストの耳には死ぬほど突き刺さるだろッ!」


 少しずつではあるが、『NSB』のスタッフや観客もイズリアルが『アイ・ドント・ライク・マンデイズ』を唄う意味に気が付き、もって『ウォースパイト運動』をテロと罵る声も上がり始めた。

 網目の〝外〟から投げ込まれる痛罵が引き金となり、警棒を振りかざした空手家は聞く者の鼓膜にこびり付くような怒号を引き摺りながらイズリアル目掛けて突進していったが、忌々しい歌声を断ち切る前に火炎旋風で吹き飛ばされてしまった。

 その火炎旋風はジュリアナ・オーケアノス・ヴィヴィアンという名である。今まさにイズリアルへ届かんとしていた特殊警棒をすり抜けるようにして右拳を直線的に突き込み、空手家の鼻骨を叩き潰した。

 尤も、は大きな痛手ダメージを当て込んだ攻撃というよりも、特殊警棒がイズリアルに届かない位置まで相手を物理的に突き飛ばしたようなものである。右腕を引き戻しつつ同じ側の足で追撃の下段蹴りローキックを放ち、空手家の左外膝を軋ませてからが〝本番〟だった。

 関節全体の破壊を免れたのが不思議に思える轟音と共に片膝を揺さぶられ、その一撃のみで足の動作うごきが完全に止まってしまった空手家に対し、ジュリアナは左右の上段蹴りハイキックを立て続けに繰り出した。

 桁外れに優れた動体視力を持つバルベルデにさえ直撃の回数が捉え切れない猛襲は、頭部ひいては脳を激しく揺さぶり、数秒と経たない内に空手家の意識を刈り取ったが、特殊警棒を阻止した程度で火炎旋風は止まらない。指貫オープン・フィンガーグローブで包まれていない左拳でもって顎を突き上げた。

 中・軽量級とは言いがたい空手家の両足裏がマットから浮き上がるほどのアッパーカットである。顎の骨が割れる音が観客の耳に届くより早く腰を捻り込んだジュリアナは、完全な無防備状態となっている胸部に狙いを定めながら垂直に跳ね飛び、次いで揃えた両足を水平に突き出した。

 両足裏でもって胸部を打ち据えようというわけだ。直撃を回避するすべなどない空手家は誰もが目を剥く勢いで撥ね飛ばされ、そのまま試合場オクタゴンを横断した末、金網を張る為に等間隔で立てられた支柱の一本に叩き付けられた。


「地獄の底から復活した亡者や怪物は聖なる言葉に苦しむのが映画の定番だけど、現実リアルで拝めるとは思わなかったわね。ただし、私は聖水を振りかけて浄化してやるほど優しくないわよ。貴方たちの言う〝罪〟にけがれた拳で粉々にブチ砕いてやるわ」


 現在の『NSB』にいて、ジュリアナ・オーケアノス・ヴィヴィアンは『最強』の二字を冠せられる唯一のMMA選手である。何ヶ所もの骨を砕く音を巻き込みながら吹きすさんだ火炎旋風は、全世界のMMAの先駆けたる団体の頂点いただきを体現するモノとも言えよう。

 殆どの者が視認できなかったが、右アッパーカットを放つ寸前には横薙ぎの左拳で脇腹を穿ち、相手の身体からだを折り曲げさせ、最も狙いやすい位置まで顎を下げさせていた。

 そもそも最初の一撃――直線的な打撃ストレートパンチで顔面を穿つ前にも左足裏を前方に突き出し、イズリアルに飛び掛からんとしていた空手家を押し止めていたのである。攻防の組み立てに一切の無駄がなく、物理的接触や痛覚への刺激によって相手の肉体からだからどのような反応を引き出せるのか、その全てを計算し尽くしていた。

 見るも無残な形で返り討ちに遭った空手家は、勢いよく激突した支柱からも跳ね返されてしまったが、落下したマットに〝光の波紋〟がされることはなかった。

 『NSB』の〝絶対女王〟が慈悲で頭を踏み潰さなかったということではない。MMAを新たな次元へと導くべく開発された『CUBEキューブ』が機能を一時的に停止めているのだ。

 その沈黙が示すのは、今から始まるのが〝格闘技の試合〟から掛け離れた命の遣り取りということである。

 を放り出して失神した空手家を冷たく見下ろしたのち、ジュリアナはケージ内部なかに留まり続けていたレフェリーやバルベルデと共に三方から互いの背中を合わせた。

 その中心には団体代表イズリアルが立っている。

 自分たちを盾に換えてでも、から過剰反応を引き出した歌声を守ろうというわけだ。金網の内外に関わらず、試合場オクタゴンを取り囲んだ空手家たちもブブゼラを投げ捨てて伸縮式特殊警棒を振り出し、臨戦態勢を整えつつあった。


「浅はかな功名心を満足させる為に闘争する者など、我が〝同志〟には――『ウォースパイト運動』には一人としていない……ッ!」


 「深刻な人権侵害でしかない格闘技を根絶して世界平和を取り戻す」という本来の思想活動とは異なる憎悪をイズリアルに向け始めた〝同志〟たちを短慮に走らないよう一喝で戒めたのち主犯格ベイカー・エルステッドは肺の内部なかの空気を全て吐き出しながら、自らも『ロンギヌス社』の特殊警棒を握り締めた。

 戦友ジュリアナの肩越しに主犯格ベイカー・エルステッドを見つめながら、団体代表イズリアルが唄い続ける『アイ・ドント・ライク・マンデイズ』はボブ・ゲルドフが作詞を手掛けたナンバーであり、明確な着想元モチーフがある。

 一九七九年一月二九日――全英シングルチャートの首位トップを『アイ・ドント・ライク・マンデイズ』が数週に亘って独走する半年前であるが、一六歳の少女がカリフォルニア州サンディエゴの小学校エレメンタリースクールで二二口径のライフル銃を乱射する事件を起こした。

 道路を挟んで小学校の向かい側に住む良家の少女がライフル銃のひきがねを引き続けた時間は二〇分――三〇発を超える銃弾によって学校関係者二名の死亡と、生徒八名及び警察官一名の重傷が確認された。

 素行不良は見受けられなかったという声や、日頃から薬物ドラッグを常用していたという声など事件後には様々な主張・証言が錯綜したが、射撃場で夢中になって練習するくらい銃に執着していたのは間違いない。

 事件前年のクリスマスに父親からプレゼントされたライフル銃で凶行に及んだ〝少女〟は二〇一四年で五二歳となるが、全ての仮釈放申請が却下され、未だに刑務所で服役し続けている。一八歳の誕生日を迎えた翌日に終身刑が言い渡されていた。

 狂乱の有りさまと化した現場を窓から眺めることの出来る自宅に立て籠もった少女は、その間に電話で新聞記者のを受け、犯行動機と銃乱射事件がもたらす影響について「月曜日が嫌い。盛り上げたかったの」といった旨を述べている。

 銃犯罪の歴史に〝地獄〟という二字と共に刻まれる惨状を〝少女〟が作り出したのは、退屈と吐き捨てた月曜日の朝である。

 この乱射事件に着想を得て作られた『アイ・ドント・ライク・マンデイズ』を唄うこと自体がたちに対する『NSB』代表の反論であった。

 月曜日は嫌いアイ・ドント・ライク・マンデイズ――全体を締め括る前にこの一言を再び繰り返すナンバーには、二つの意図が秘められている。

 逮捕後の取り調べに対してさえ〝少女〟は反省した素振りも見せず、一一人の死傷者も動物――即ち、狩猟の獲物にたとえて笑ったという。

 その犯行動機は愉快犯や快楽殺人に当て嵌まるようで、本質的にはどちらとも異なっているように思える。嫌いな月曜日をライフル銃で撃ち落とし、退屈という名の憂鬱を盛り上げたい――銃や弾丸へ異常に執着する精神構造はともかくとして、無分別としか表しようのない主張は、一六歳という〝少女〟の幼稚性に衝き動かされた〝理由なき凶行〟の証左であろう。

 イズリアルが唄い上げた『アイ・ドント・ライク・マンデイズ』は、二二口径の銃口が狙いを定めた〝月曜日〟を〝格闘技〟に、ひきがねを引かせた〝退屈〟を〝人権侵害〟にそれぞれ置き換え、『ウォースパイト運動』の思想を切り捨てる白刃であった。

 仰々しい言葉を多用していた為、立派な題目のように聞こえなくもないが、格闘技という人権侵害の根絶を訴えながら特殊警棒を振りかざし、試合場オクタゴンを占拠する暴挙は、三五年前のサンディエゴで〝少女〟が起こした〝理由なき凶行〟と大した違いもなかった。正当性を認めるに値しない幼稚な破壊活動に過ぎないのだ。

 月曜日は嫌いアイ・ドント・ライク・マンデイズ――これを幾度も連呼するナンバーは、『ウォースパイト運動』そのものに対する『NSB』代表のであった。赤青双方の選手が万感の思いを握り締めて臨んだ試合にブブゼラを吹き鳴らして乱入する行為が平和を求める義挙であろうはずもあるまい。

 自己矛盾に満ちた〝暴力〟には一歩たりとも譲らず、『NSB』が育んだ総合格闘技MMAを守り抜くという団体代表としての表明である。

 尤も、思想を全否定されることには『ウォースパイト運動』も慣れている。活動家たちは〝暴力〟なき世界の守護神を気取っているが、その国際社会からはテロリストに準じる過激な思想活動として危険視されてきたのだ。当然ながらを認め、擁護する声のほうが圧倒的に少なく、格闘技関係者以外にも〝社会悪〟と痛罵され続けている。

 理解されない苦しみさえ信念を支える力に換えて貫くのが思想活動家である。他者から浴びせられる否定の言葉は、憤激の導火線にはなり得なかった。テロには屈しないという団体代表イズリアルの表明も、『NSB』のファンや世界最高のMMAを取材する記者など〝外〟に向けたものだ。

 つまり、から過剰反応を引き出したのは、イズリアルの歌声に秘められたもう一つの意図である。


「――テレビに出たいの。その為に〝デカいコト〟をやってやるわ」


 団体代表イズリアルが『アイ・ドント・ライク・マンデイズ』を唄い終えたのち、拳を血の色に染めながら彼女を守り続けるジュリアナが発した一言は、主犯格ベイカー・エルステッドとその〝同志〟たちを茶番と貶めるものであり、狂乱に近い激情を噛み殺す唸り声が四方八方から聞こえてきた。

 はライフル銃の乱射事件を起こす前週に〝少女〟が同級生に語った決意表明のような言葉である。

 試合場オクタゴンへの乱入も、これに続く〝正義〟の宣言も、「テレビに出たい」と望みながら己の身を守る力もない小学生エレメンタリーにライフル銃を向けた無差別殺人犯と変わらない――本職プロの声楽家に勝るとも劣らないほどの美しさとは裏腹に、イズリアルの歌はれいべつの二字をもってしても足りないほど厳しく、の振る舞いを全否定したのだ。

 オリンピックと総合格闘技MMAが結び付けば、全人類の暴力性が加速する。世界の秩序と平和を守る為にもオリンピック競技化運動を強く推し進める『NSB』に裁きの鉄槌を振り下ろさなくてはならない――高尚そうに聞こえる主犯格ベイカー・エルステッドの主張も、所詮は幼稚な目立ちたがり屋の暴発と卑しめたわけである。

 三五年前の凶行に関する記憶が無伴奏の独唱アイ・ドント・ライク・マンデイズによって引き出され、イズリアルの意図を察した観客たちも「目立ちたがり屋のテロリスト」という罵り言葉を浴びせたが、誰も彼もジュリアナと同じように冷たい眼差しでを突き放している。

 犯行動機をたずねる人間に「月曜日は嫌いアイ・ドント・ライク・マンデイズ」と答え続ける歌がの〝正義〟を切り刻む白刃であることに気付いたからこそ、主犯格ベイカー・エルステッドも名を揚げる為ではなく全人類を〝暴力〟なき世界へ導く義挙であると強く抗弁したのだ。


「大好きな校長先生が校門を開けてくれるのを待ち侘びていた小学生こどもたちに向かって『嫌いな月曜日の景気付け』という理由にもなってない理由でライフル弾を撃ち込んだお向かいのお姉さんと、独り善がりな正義感を拗らせて無差別テロに勤しむ『ウォースパイト運動』の間にどれほどの違いがあるというのかしら」

「同じ抗弁ことばを繰り返すのは間抜けに聞こえるだろうが、ヴィヴィアン選手、は揺るぎなき志を鎧の如く纏ってっているのです。罪なき人々を殺戮するライフル銃にたとえるならば、それはに〝理由なき凶行〟の口実を与えるMMAこそ相応しい」

が聖人のように崇め奉る『サタナス』も『NSB』副代表の孫娘を――年端も行かない子どもをいたぶるのが目的ねらい大統領専用機エアフォースワンを攻撃したハズよね? 一丁前に言い訳をねたいのなら、先ずは『クウカン』の名が入ったからを脱いでこいッ!」


 ジュリアナもまた無伴奏の独唱アイ・ドント・ライク・マンデイズに秘められた意図に感付き、忌まわしい銃乱射事件の引用を挑発に代えることで〝同志〟の名誉を守らんとした主犯格ベイカー・エルステッド抗弁ことばを切り捨てた。

 嫌いなモノを破壊して〝理想の世界〟を創らんとする主張は、『ウォースパイト運動』が謳う〝暴力〟なき平和と秩序から最も掛け離れているが、この矛盾を指摘したところで過激思想に取りかれた活動家を揺るがすことは叶わない。

 そもそも異なる思想のせめぎ合いは、これを唱える双方に建設的な名答こたえなどもたらさないまま平行線を辿るものだ。それ故にイズリアル・モニワは『ウォースパイト運動』が〝誇り〟とするモノに狙いを定めて直接攻撃を仕掛けた次第である。

 しかも、無伴奏の独唱だ。打撃に対するのであれば防御も回避も出来るが、歌声には抗うすべがない。『NSB』とMMAを守るという揺るぎない信念は声量にもあらわれており、左右の耳を塞ごうとも僅かな隙間から鼓膜へと滑り込んでいく。

 それ故にたちは特殊警棒を振り回してでも忌まわしい歌を打ち消し、三五年前の凶行と誇り高き義挙は根本的に異なると抗わなければならなかった。

 本当に自己顕示欲の塊のような集団であれば、あるいは過剰反応など起こさなかったはずだ。MMAという〝暴力〟が国際社会に与える悪しき影響と、その成れの果てを心の底から憂えて決起したことだけは否定させるわけにいかない。

 エルステッドとその〝同志〟たちが一斉に眦を裂いたのは、『ブームタウン・ラッツ』のナンバーと、ボブ・ゲルドフを大いなる閃きに導いた着想元モチーフが全米に知れ渡っている為だ。

 全英シングルチャートの首位トップを四週間も独占し続けてきた地名度だけではなく、銃犯罪の歴史に残るほど異常性の高い事件であった為、アメリカ人の誰もが記憶に留めていた。イズリアルの歌声に対する観客たちの反応こそがその証左である。

 試合場オクタゴンを占拠する思想活動家の殆どは、主犯格ベイカー・エルステッドも含めてにさえ届いていない。つまり、月曜日を撃ち抜かんとする乱射事件を直接的には体験していない世代が徒党を組んでいるわけだ。

 血の惨劇より後年あとに生まれた空手家たちの記憶に奇妙な生々しさを伴って焼き付いているのは、〝少女〟が仮保釈を申請するたびに新聞やニュース番組が〝当時の再現〟も交えて取り上げる為であった。三五年の歳月を経た現在いま報道価値ニュースバリューを高く保ち続けるという〝事実〟にこそ、全米に与えた衝撃の深刻さが表れていた。

 アメリカというおおきな国家くにで生きる誰もが分かち合うと確信していればこそ、イズリアルは『アイ・ドント・ライク・マンデイズ』を唄い上げたのである。

 彼女イズリアルからするとベイカー・エルステッドたちは一回り近く年下だが、わざわざ解説など挟まずとも、〝月曜日〟を〝格闘技〟に、ひきがねを引かせた〝退屈〟を〝人権侵害〟にそれぞれ置き換えたことを理解してくれると、信じて疑わなかった。


「この歌に怒りを覚えるのなら、きっとまだ引き返せるわ。理性も知性も品性も――人として大切なモノを失っていない証拠だもの。そして、前代表フロスト・クラントンの誘いを悪と断じた誇り高さが今も燃えたぎっているという意味でもある。この口は欺瞞しか喋らないと言われたばかりだけど、それでもをテロリストと呼ぶことだけは躊躇ためらってしまうわ」

「私の場合、イズリアルとは正反対の意図で三五年前の戯言を持ち出したのだけどねぇ。に恥知らずだってコトを思い知らせてやりたかっただけよ」

「同じ国で生きる人間だもの、テロを憎む気持ちは貴女ジュリアナ一緒おなじよ。掛けがえのない試合たたかいを台無しにされたバルベルデ・ンセンギマナ両選手の怒りと悲しみも察して余りある。それでも、私は三五年前のサンディエゴとは違う未来を今日のラスベガスで掴みたい。今、目の前に立っている空手家たちは、『サタナス』とは似ても似つかないのだと、迷いなく断言できるのだから――」


 再びベイカー・エルステッドと視線を交わした『NSB』代表のは、卑劣なテロリストに対する憎悪ではなく、親しい友人に向ける柔らかな光を湛えていた。


「――格闘技の未来を本気で憂いているのであれば、『NSB』を内側なかから変えなさい、ベイカー・エルステッド。それを成し遂げられる役職を代表の権限にいて用意するわ。の憂慮する厄災わざわいを根から断ち切るような手立てを上級スタッフの一員として思い通りに進めれば良いわ。こうして人材も揃っている。資金面でも支援バックアップできるはずよ」

「……モニワ代表はご自分の口から如何なる言葉が漏れ出ているのか、分かっておいでなのですか? 自分たちは〝格闘技の未来〟ではなく〝格闘技によって壊される未来〟に我慢ならず『NSB』に宣戦布告したつもりなのですが……」

「格闘技――つまり、他者を傷付け、脅かす手段を得た人間による犯罪率の増加や、勝利至上主義が競技スポーツ全体に与える悪影響は、私たちにとっても懸念事項だったわ。頭を悩ませるだけで解決に至っていないという批難も甘んじて受ける覚悟よ。格闘技から暴力性を取り除けていない体たらくにが怒りを覚えるのも仕方ないと思っている。けれど、目的を同じくする〝同志〟ということだけは変わらないはずよ」

「……今一度、先程の言葉を繰り返させて頂きます。……モニワ代表はご自分が〝何〟を喋っているのか、お分かりですか?」

「志を分かち合う人間を喪失うしなうのは私個人としても、何より『NSB』としても、看過し難い損失ということまで理解しているつもりよ。そもそも『NSB』の影響力ちからを世界の誰よりも評価してくれたのは、他でもないでしょう。だったら、試合場オクタゴンの乗っ取りなんかじゃなく、世界のMMAの水先案内人を務めてきた団体で暴力性を抑えた〝格闘競技〟を完成させなさい。それは必ず平和と秩序のしるべとして世界中の人々に伝わるわ」


 共に手を取り合ってより完成されたMMAを目指してくれるのならば、代表の権限に於いて今度の一件は不問に付す――イズリアルから真っ直ぐに向けられた言葉は全く想定していなかったものであり、〝同僚〟たちによる批難すら鋼鉄はがねの意志で跳ね返してきたベイカー・エルステッドも動揺を抑え切れず、思わずあと退ずさってしまった。

 何よりも彼を驚愕させたのは、徒党を組んでテロ行為に及んだ主犯格に対して、オンブズマンに相当する部門を『NSB』に新設し、今まさに試合場オクタゴンを占拠し続けている全員を迎え入れると約束したことだ。

 特殊警棒を握り締める空手家は、全員が『ウォースパイト運動』の活動家である。自らが率いる『NSB』に実害まで与えてきた過激思想の〝同志〟を団体運営へ影響を及ぼし得る役職に据えるなど極大の〝爆弾〟を抱えることにも等しかろう。

 数分と経たずに場内がどよめきの声で埋め尽くされたが、それも無理からぬことであろう。戸惑いの顔を見合わせるのは、観客やスタッフばかりではない。『NSB』の団体代表を世界平和の大敵と一方的に決め付け、大義を貶められたことでくらい殺意を膨らませていた空手家たちも顔面に狼狽の二字を貼り付けている。

 現時点にいても所属選手という〝立場〟が変わっていない主犯格ベイカー・エルステッドに温情を与えるのであれば、理解できなくもなかった。ところが、イズリアルは彼と共に〝抗議の笛ブブゼラ〟を吹き鳴らした共犯者全員も無罪放免にすると明言したのである。


「一九八〇年にペンシルベニア州のチェーンホテルの一室ボールルームで始まった大いなる挑戦から数えて三四年――四半世紀を優に超える長い長い歴史を振り返れば、MMAにも数え切れないほどの過ちがあったわ。私たちが止められなかった前代表フロスト・クラントンの暴走も然り。それら〝全て〟を改めるべき教訓に換え、絶え間ない試行錯誤を繰り返して進化し続けてきたわ」

「……『ぜんせんたくせつ』を由来とする団体名なまえの通りに――そう仰りたいのですか」


 戸惑いから別の表情かおへと移ろい始めたエルステッドの問い掛けに対し、イズリアルは強く深く頷き返した。彼を見据えたまま首を上下させる動作うごきには一切の迷いがない。


「三四年の進化を経てチェーンホテルのボールルームから統合型リゾートのアリーナへと興行イベントの規模も大きくなったように、『NSB』という団体は国際社会にまで波紋を起こせるだけの影響力を持つに至ったわ。それを大いに利用してMMAを――世界の格闘技を正しい在り方に導きなさい。エルステッド選手には一部門の責任者として各種ミーティングにも参加して貰うわ。中立公平を維持したいのなら、希望に添えるよう相談に乗るわよ」

「またそんな大事な約束を軽々しく……。後で副代表から説教されるわよ」


 団体代表による異例の勧誘スカウトを耳にした途端、ジュリアナは大仰なくらい肩を竦めて見せたが、提案そのものには異を唱えなかった。

 エルステッドも語った通り、『NSBナチュラル・セレクション・バウト』という団体名なまえは、俗に言う〝ダーウィンの進化論〟の要とも呼ぶべき『自然選択説』に由来して付けられたものである。

 生きるか死ぬかという極限的な環境に適応し、進化できないモノには未来を生きる資格すら許されない――それは弱肉強食の標榜であるのと同時に、例え隆盛を極めようとも現状維持など望まず、常に〝新たな遺伝子〟を取り入れ、更なる〝先〟に手を伸ばし続けるというMMA団体としての進化論コーポレートアイデンティティでもあるのだ。

 ジュリアナが言及した副代表――孫娘が『ウォースパイト運動』から標的にされたばかりである――は、旗揚げ当初から『NSB』と深く関わってきた本拠地ネバダ体育委員会アスレチックコミッションで事務局長を務めた人物でもあり、その経歴キャリアを生かしてルール策定に携わっている。

 来年末に『天叢雲アメノムラクモ』と共催する日米合同大会コンデ・コマ・パスコアいて、『NSB』サイド責任者プロジェクトリーダーを務める国際事業部長は、前代表フロスト・クラントン追放後に後任の最有力候補と目されながらも、ドーピング汚染によって損なわれた信頼の回復とを成し遂げられるのはイズリアル以外に有り得ないと強く主張し、その座を譲っていた。

 MMA興行イベント成立の最重要人物キーパーソンであるマッチメイカーに至っては、異色としか表しようのない経歴の持ち主だ。年端も行かない頃から貪るように格闘技雑誌ゴッドハンド・ジャーナルを読み漁ってきた筋金入りの格闘技ファンであり、独力でMMAルールを考案できるほどの知識量を評価したフロスト・クラントンの推薦を受けて同職マッチメイカーに就任したのである。

 前代表フロスト・クラントンの側近として名前の挙がる人物であったが、彼が『NSB』を〝モンスター〟によるに捻じ曲げる前後から互いを憎悪し合うほどの敵対関係となり、イズリアルが新代表として就任するとドーピング汚染に翻弄された選手たちの復帰に尽力した。

 試行錯誤の歴史を積み重ねてきたMMA団体だけに内部に働く自浄能力は前代表フロスト・クラントンの暴走でも揺るがないほど高い――格闘技雑誌ゴッドハンド・ジャーナルからそのように評された組織体制は、新代表イズリアル・モニワ個人の能力ちからのみで完成させられるものではない。比喩でなく本物の多士済々であったればこそ成り立つものであった。

 〝人種のサラダボウル〟ともたとえられるおおきな国家アメリカで最高位にるMMA団体は、所属選手のレベルや運営に携わるスタッフの人数、ひいては組織力・資本力を基準に据えてしまうと、その見立てを誤ることになる。

 下手を打てば自らを破滅に追いやり兼ねない〝爆弾〟すら進化への〝力〟に換えてしまえる組織としての成熟度――それこそが『NSB』の強さであった。

 今まさにイズリアルは『NSBナチュラル・セレクション・バウト』という団体名なまえに込められた意味を体現し、本来ならば相容れない〝敵〟であるはずの『ウォースパイト運動』を包み込まんとしている。

 選手一人々々の人生と真摯に向き合うという団体代表としての姿勢を心から尊敬し、共にMMAの発展に尽くせることを『NSB』のスタッフたちは生涯の誇りと感じている。それが証拠に彼女イズリアルの賭けに反対する声は場内のどこからも上がらなかった


「MMAのオリンピック競技化が問題だと言うのなら、〝何〟をもって危険と定めるのか、その改善策もでとことん議論しましょう。が学んできたこと、空手家としての知識を存分に生かせるわ。お互いを高め合うことでMMAは新時代の〝スポーツ文化〟として花開いたのだから」


 マーガレット・サッチャーに重ねて〝鉄の女〟と畏怖される現代表イズリアル・モニワであるが、意見の合わない側を問答無用で押し退け、自らの決定に従わせるという外部そとからの印象イメージや、『NSB』を侵害せんと図る者たちに立ち向かっていく強硬姿勢によってくだんの異称を付けられたという認識は、彼女の仲間を立腹させるような誤解であった。

 怒りに任せて中指まで立てようとしたジュリアナとは違い、現時点にいてさえイズリアルは八角形の試合場オクタゴンを占拠し、自らに危害まで加えようとした者たちをテロリストと面罵してはいなかった。

 愉快犯の如く破壊の快楽に酔いれ、独力ひとりでは反撃さえ叶わないほど幼い副代表の孫娘を狙った『サタナス』とは異なり、悪魔に身を堕としてはいないと見極め、『NSBじぶんたち』こそが理想を分かち合える真の〝同志〟であると手まで差し伸べている。

 善悪の判断はともかくとして、を食い止めんとする思想活動に己の命を懸けられるということは、それだけ社会の有りさまを真剣に考えている証拠であろうともイズリアルは捉えていた。義憤を溜め込んでしまうくらい世情を見つめる〝力〟が強ければこそ、古今東西の様々な事例と重ねてMMAに内在する問題点を抉り出せたわけだ。

 『NSB』に所属するベイカー・エルステッド一人ではなく、『くうかん』道場のからを纏うみなが知性的な人間であることもイズリアルは疑っていなかった。『アイ・ドント・ライク・マンデイズ』に対する過剰反応によって、誰もが豊かな教養の持ち主であろうとも確信している。

 『ウォースパイト運動』の思想活動とは切り離し、格闘技という〝暴力〟が行き着く先を憂う一人々々と向き合っているわけだ。もまた数え切れない思想や信教が共存するおおきな国家アメリカで最大規模のMMA団体を率いる大器うつわと言えよう。

 イズリアル・モニワは紛れもなく〝鉄の女〟である。それはMMAひいては格闘技に関わる人々のありとあらゆる思いを受け止め、有識者の誰もが口を揃えて不可能と断言した『NSB』の〝新生〟を成し遂げた鋼鉄はがねの意志に対する尊称に他ならないのだ。

 無論、イズリアルの判断は理想主義と鼻で笑われてしまうほど甘い。

 外周から金網の向こうを見つめるダン・タン・タインは、人並み以上に高いプロ意識もあって苦笑を抑えられず、視線の先ではバルベルデも呆れ顔でかぶりを振っていた。

 それでも異論を唱える者はなく、まばらであったが、客席ではイズリアルへの支持を示す拍手が起こり始めている。四方の様子を見回すジュリアナたちの表情かおも、自然と誇らしげなものに変わっていった。

 おそらく僅かでもテロ紛いの〝抗議〟に怯むようなりを見せていたなら、拍手ではなく罵声がイズリアルに降り注いだことであろう。全方位から突き付けられている特殊警棒に竦み上がり、我が身可愛さで譲歩したものと受け取られ兼ねない状況なのだ。

 イズリアル・モニワの声は凛々しさが一向に衰えず、聴く者の心を掴み続けている。例えば日本格闘技界を情報戦で牛耳る〝暴君〟――ぐちいくなどは詭弁を弄することで他者を操ろうと謀ったことであろうが、信念の是非が直接的に問われる状況では、如何なる批判をも跳ね返すような強さを示した側にこそ説得力が生まれるのだった。

 先程の歌アイ・ドント・ライク・マンデイズと同じように聴衆の心を動かす声もまた人の上に立つ〝大器うつわ〟であろう。


「人間をふるいに掛ける悪魔の所業に加われと? ……これ以上ない侮辱だ。そのような選民意識こそが『平和と人道に対する罪』にも等しいと申し上げたばかりです。モニワ代表、得意げに語られたの優性思想が前代表フロスト・クラントンとどう違うのか、ご説明願えますか?」

「おそらく貴方エルステッドも『アウフヘーベン』という言葉を知っているはず。それが何を意味しているのか、想い出して貰えたら『NSB』が――MMAそのものが〝平和の祭典〟と呼ばれる未来像ビジョンを共有できると信じているわ」


 エルステッドの口振りは『NSB』の由来となった『自然選択説』をえて歪めて受け止めているとしか思えなかったが、イズリアルの誠意は伝わった様子である。己の眼前に差し伸べられた手を振り払わず、懊悩に二字こそ似つかわしい表情かおまぶたを閉ざした。

 アウフヘーベン――『よう』あるいは『よう』とも表現される哲学用語であった。その意味するところは、互いを否定し合うほどに対立する二つの概念モノを議論によって出発点から更に高い領域へと昇華させ、新しき秩序として取りまとめることであり、優先せざる片方を存在すら認めない偏った思想とは大きく異なっている。


「アタシの記憶違いでないのなら、この間のエルステッドさんの試合では既にプロジェクションマッピングが導入されていましたよね。ウチのンセンギマナクンがユーコン川から来た男と闘ったときの興行イベントですよ。光に彩られた〝演出〟をモニワ代表が推し進めた理由、本当に忘れたっていうのなら、アンタに人間を語る資格なんかないわッ!」


 我慢の限界を超えたかのような声色で金網の外から割り込んだのは、青サイドのセコンドの一人――ンセンギマナの左足に装着されたMMA用義足ライジング・ポルカドットの開発に携わり、試合にいては修理や調整を担当する義肢装具士のジョルジェット・ゼラズニィであった。

 機能の一つとして『CUBEキューブ』に組み込まれたプロジェクションマッピングは、聴覚が正常に働いていない人たちにもMMAの臨場感を楽しんでもらうべく開発されたのだ。現在も視覚のハンデに対応する機能の追加に向けて臨床試験が進められているという。

 パラアスリートひいては心身にハンデを持つ人々に寄り添う義肢装具士であればこそ、選民意識や優生思想という実態から掛け離れた言葉で『NSB』が卑しめられることを見過ごせず、抗議の表明として床を蹴り続けているのだった。

 人権侵害という批判から大衆の意識を逸らす情報工作の為だけに莫大な設備投資などするはずもあるまい。そして、は破壊行為でしか思想を示すことが出来ない『ウォースパイト運動』とは真逆の精神ではないか。


教来石沙門シャモン・キョウライシのアメリカ留学中、随分と影響を受けたって格闘技雑誌ゴッドハンド・ジャーナルのインタビューでしつこいくらい繰り返していましたよね。あんまり〝同僚〟に興味を持ってくれないウチの相棒でさえ、それを読んで『沙門の親友なら自分の親友も同然』って大喜びでしたよ。絶対に試合を申し込みたいってね」

「……もはや、叶わぬ願いだが、その気持ちは自分も同じだ。シャモンから学んだコトを拳に込めて、ンセンギマナ選手とも語り合えたはず――いや、このような言葉を口にする資格など今の自分にはなかったか……」

「エルステッド選手は恥ずかしくないのですか? あなたが親友と慕う教来石沙門シャモン・キョウライシは『クウカン』でも『コンゴーリキ』でも人間がふるいに掛けられることのない未来の為に闘っています。その精神スピリットを学べなかったばかりか、ご自分の手で親友の顔に泥を塗ったようなもの。ウチの相棒にもね。……得物持参でないことをボクは猛烈に後悔していますよ、ええ」


 真隣となりのジョルジェットに続いて静かな怒りを爆発させたのは、外周まわりから八角形の試合場オクタゴンを取り囲んでいる空手家たちの動向うごきを目を光らせていたポンチョ姿の男性――ンセンギマナの相棒にして青サイドのセコンドの一人でもあるシード・リングだ。

 サバキ系空手の先駆けである『くうかん』最高師範の実子むすこ――全日本選手権三連覇を成し遂げ、最強の空手家との呼び声も高いきょういししゃもんは、同門のベイカー・エルステッドと出稽古先で親睦を深めたンセンギマナにとって共通の友人であった。

 その沙門が日本の打撃系立ち技格闘技団体『こんごうりき』でプロデビューを果たしたのは、およそ半月前のことである。

 『こんごうりき』は〝プロ〟の格闘技団体としては異例ともいえるほどチャリティー興行イベントに力を注いでおり、児童養護施設や身体からだにハンデを持つ人々の活動をたすけるなど社会貢献を重要視している。

 二〇〇八年の『リーマン・ショック』と、これに連鎖して起こった世界的金融危機の影響もあってチャリティー興行イベントの開催が経営を圧迫するという悪循環に陥り、シンガポールの〝スポーツファンド〟からを受けて破綻を免れた事実ことは日本国外で報じられたのだが、文字通りに身を削る覚悟で社会福祉を支えてきた『こんごうりき』に対して『ウォースパイト運動』は〝何〟を捧げたのか、シード・リングは鋭くただしていた。

 沙門のプロデビュー戦も、白血病治療や骨髄バンクを支援する為のチャリティー興行イベントなのである。急性骨髄性白血病で亡くなった恩人への思いを胸に秘めた出場とも言われているが、同門の仲間と『こんごうりき』を偽善と罵る勇気があるのか――そのように畳み掛けられたベイカー・エルステッドは、眉間に寄せる皺の数が二本三本と増えていった。

 その様子を見据えるイズリアル・モニワの祖先は、明治維新の前後から常夏の楽園ハワイに入植した日系移民の最初の世代――〝がんねんもの〟である。

 移民団の元締リーダーを務めた旧仙台藩士族・まきとみさぶろうの片腕として東北から移り住んだ同胞たちを取りまとめ、砂糖農場の雇い主や当時の日布両政府と入植者の待遇を巡る交渉に駆け回った人物であった。

 更に時代を遡ると、おうしゅうの筆頭とも〝北の独眼竜〟とも畏怖された希代の名将――まさむねの重臣であり、現代で例えるところの外交官としててんびととよとみのひでよしとも渡り合ったにわつなもとに辿り着く。

 偉大なる祖先から時代を超えて受け継いだ〝力〟を二〇一四年の格闘技界で遺憾なく発揮するイズリアル・モニワは、日本の〝暴君〟であるぐちいくのように選手の人生を弄びはしないものの、海千山千のであることに違いはない。

 つまり、哲学用語アウフヘーベンを引用する提案に込められた意図も一つではないということである。

 純粋にエルステッドたちの才能を惜しんだことも間違いなかろうが、『ウォースパイト運動』の思想と『NSB』の間で折り合いなど付けられるはずもあるまいと提案がね付けられ、警備員を投入するに至った場合、可能な限りの温情を示したというは大きな意味を持つのだ。

 今や〝同志〟たちの間で超大国の権力すら恐れない勇気の象徴と化した『サタナス』による大統領専用機エアフォースワンへのサイバー攻撃以来、『ウォースパイト運動』はアメリカ内にいて最大級の警戒対象となっている。一九九〇年代半ばの日本を震撼させたカルト教団のサリン散布事件との〝自国産ホームグロウンテロ〟として注意喚起も呼び掛けられていた。

 社会を脅かす危険分子に対して、イズリアルの提案は過分なほど寛大と言えよう。これを無下に踏み躙られたなら、世論は間違いなく『NSB』の味方に付く。つまり、が鎮圧の大義名分となるわけだ。

 万が一、『ウォースパイト運動』の側に死傷者が出るような事態に陥ったとしても、マスメディアはであったと盛んに報じ、過剰防衛という批判が噴出しないよう社会全体を誘導していくはずだ。

 オリンピック正式種目化に向けた推進運動や『CUBEキューブ』の開発など、総合格闘技MMAそのものの未来像ビジョンを体現するイズリアルであったが、甘やかな幻想ゆめにも似た理想論のみでは全世界のMMA団体を主導する『NSB』の舵取りなど不可能――と、肩に食い込む重責と共に理解している。

 『ウォースパイト運動』ではなく、自分たちこそ手を組むべき〝同志〟であると、ベイカー・エルステッドに訴える頃にはVVヴァルター・ヴォルニー・アシュフォードも会場に姿を現していた。

 VVは観客の安全を守り抜く為に決死の表情かおで身構える警備員とも違うジャケットを羽織っているが、何時の間にか同じ装いの者たちが場内の各所あちこちに立っていた。顔立ちから察するにハワイ出身うまれの者も少なくないようである。

 今後も『ウォースパイト運動』の〝抗議〟が続くであろうと想定し、会場警備とは別に『NSB』内部で結成されたばかりの〝そくおうたい〟であった。警備員と異なる指揮系統でたちに狙いを定め、それぞれの持ち場へと散開していたのだ。

 これを率いるVV・アシュフォードは『天叢雲アメノムラクモ』岩手興行の臨時視察の為、日本へと赴いた団体代表イズリアル・モニワに付き従ったのだが、その際に警備目的であろうとも日本では携行が認められていない拳銃ハンドガンを隠し持っていた。

 にVVが率いる〝そくおうたい〟の任務と性質が表れているわけだ。現在いまは武器とおぼしき物を一つも手に持っていないが、に当たっては、ありとあらゆる手段を選択肢から排除しないだろう。

 警備員と連携して一斉に攻め掛かれば、例え別の場所に伏兵が潜んでいたとしても根こそぎ鎮圧できる――四分にも及ぶ無伴奏の独唱アイ・ドント・ライク・マンデイズは、説得だけでなく〝そくおうたい〟到着までの時間稼ぎを兼ねていたのである。

 VVは主犯格ベイカー・エルステッドの肩越しにイズリアルと視線を交わせる位置に立っている。口頭による命令などなくとも、目配せ一つだけでが遂行されるわけだ。今や団体代表が示した温情は、特殊警棒を振りかざした空手家たちに対する降伏勧告に変わっていた。

 どのように転んでも『NSB』の有利に働く筋運びを整えはしたものの、これはイズリアルにとって極めて危険な賭けである。

 如何なる事情があれども、テロリストと交渉を持たないことは人間社会の前提だ。これを破ってまで仲間に迎え入れると持ち掛けたのだから、世論対応を仕損じれば『NSB』はテロに屈したという烙印を押され、再び国際社会にける信用を失ってしまう。

 今ならば社会悪の危険分子テロリストではなく、『NSB』に不満を持つとして事態を収束できる――『NSB』の浮沈を担う団体代表イズリアル・モニワ説得ことばは、最後通牒であるのと同時に最大の譲歩なのだ。

 ジュリアナに叩き伏せられ、マットに転がったまま依然として意識を取り戻さない〝同志〟を見下ろし、片膝を突きつつ抱きかかえたエルステッドは、もう一度、まぶたを閉じたのちにこれまでで最も大きな溜め息を吐き捨てた。

 やがて五指を垂直に立てた状態で右手を持ち上げたが、それは降伏の合図ではない。主犯格の決意を感じ取り、『平和と人道に対する罪』と口々に喚き始めた空手家たちの行動がイズリアルひいては『NSB』に関わるみなに決裂の表明であると突き付けたのだ。

 『くうかん』のからを纏った『ウォースパイト運動』の思想活動家たちは等間隔で立ち並ぶ支柱に張り巡らされた金網へ一斉に特殊警棒を叩き付けた。

 右腕を突き上げるというエルステッドの仕草ゼスチャーは総力戦突入の合図であり、『NSB』ひいては総合格闘技MMAの象徴――野獣の〝ケージ〟ともたとえられる八角形の試合場オクタゴンを破壊し尽くすのがということである。

 観客やスタッフが聞くに堪えない怒号と痛罵を降り注がせる渦中では、鼓膜から脳まで一直線に突き刺す耳障りな金属音が絶え間なく鳴り響いていた。人権侵害に対する怒りを先端までみなぎらせた特殊警棒は止まる気配すらない。

 昨年七月にペルーで発生した大規模な反政府デモにいては、労働者の権利を脅かし得る新法に怒り狂った市民たちが握り締めたのだが、国家警察がかざした強化プラスチック製の盾をも打ち砕く高強度であり、試合場オクタゴンの金網を突き破るには十分であった。

 あるいは力任せに引き千切ると表すほうが正確に近いだろう。生じた切れ目に数人で飛び付き、野獣の如き吼え声と共に力ずくで引き裂いていく。MMAに関わる者を蛮族と侮辱しておきながら、自分たちこそが粗暴という二字を体現しているのだった。

 そもそも〝テロ〟とは民間人を標的とする破壊行為そのものを指しているのではない。自らの主張・主義の強要と一体化して、初めて〝テロリズム〟は成立するのである。MMAによって世界平和が乱されると訴えてきた乱入者たちは、この瞬間から正真正銘の〝テロリスト〟に成り果てたのだ。


「やはり、貴女の口から吐き出されるのは欺瞞だけのようだ、モニワ代表。『NSB』を内側から変える? それは問題を先送りにせんとする時間稼ぎでしかありますまい。しかし、我らのなかに芽生えた〝真実〟は決して誤魔化されない。どれだけ時間が経とうとも、正義をすべくった意志が変わることはないのだ。そもそも時間がない。世界が蛮族の雄叫びによってけがされてしまう前に――今ここで暴力の連鎖を断ち切るのであるッ!」


 果たして、がイズリアルに対するベイカー・エルステッドの返答こたえであった。

 おそらくテロの主犯格は、彼女イズリアルが仕掛けた時間稼ぎの計略にも、これによって絶望的な劣勢に立たされたことにも気付いていないはずだ。あたかも悲劇の主人公を気取るかのような言葉は、これ以上ないというほど皮肉であった。

 主犯格ベイカー・エルステッドが視線を巡らせた先では、我が身を盾に代えてイズリアルを守らんとする三人がそれぞれ迎撃態勢を完了していた。ケージを叩き壊したのちには今度こそ彼女に襲い掛かることであろう。例え骨身が軋むような痛手ダメージを被ろうと、団体代表には指一本たりとも触れさせない覚悟である。

 総合格闘技MMAの未来そのものを死守せんとする三人の行動は、そのまま『ウォースパイト運動』に対する『NSB』の意思表示にも等しかった。試合場オクタゴンの金網が破られていくさま外周まわりにて見据えるダン・タン・タインの瞳も〝同僚〟と同じ憤怒いかりで満たされており、乱戦に至れば特殊警棒で客席を威圧している空手家たちを速やかに仕留めることであろう。

 『NSB』の現役選手が過激思想に呑み込まれた事実は言うに及ばず、試合場オクタゴンの破壊など『ウォースパイト運動』による〝抗議〟の中でも前例がない暴挙である。警備員も客席の守備まもりを解いてテロ行為を食い止めるのが先決ではないかと、判断に迷いが生じていた。

 一方、VVが指揮を執る〝そくおうたい〟は、それぞれの持ち場で待機しながらも動揺した様子ではない。およそ正常まともとは言いがたい破壊活動に走ったを仕留めるのが役割なのだ。金網の残骸もろともマット全体を血の色に染めることさえ厭わないわけである。

 誰よりも好戦的に拳を鳴らすのは、先程までVVの傍らに立っていた女性だ。

 他の人々と比べて頭二つ三つは大きく、ジャケットの上からでも瞭然なほど逞しい巨躯を準備運動ウォーミングアップとして揺すりながら、獲物を見繕う肉食獣の如く舌なめずりしている。

 袖口から覗く手首や剥き出しとなっている手の甲には蜥蜴の鱗を彷彿とさせるタトゥーが彫り込まれていた。おそらくは腕全体を彩っていることであろう。


「モニワ代表に恨み言をぶつけるのは筋違いだが、結局は何もかもブチ壊しってオチか。今こそ俺は声を大にして『暴力反対!』と呼びかけたいぜ。仕切り直すったってMMAの試合場オクタゴンじゃサマにならねェし、いっそアメリカン拳法とボクシングの〝異種格闘技戦〟で真の最終決戦ラストマッチでもやってみっか、好敵手ンセンギマナ?」


 目の前の〝敵〟を〝第三勢力〟が横から奪い取ろうとしていることなど夢想だにしないブラボー・バルベルデは、何ともたとがたい嘆息を洩らした。

 も無理からぬことであろう。足元にまで残骸が飛び散り、〝ケージ〟と呼ぶことさえ躊躇ためらう有りさまになった試合場オクタゴンを眺めながらも、暴挙を止めるべく腕を伸ばした途端に団体代表への守備まもりが崩れてしまう為、この場を離れられないのだ。

 ましてやMMA選手としての最後の一戦は、人生の中で掛けがえのない節目となるはずであった。もはや、試合再開など望めまい――諦念の二字こそ似つかわしい声で好敵手ライバルに声を掛けるバルベルデであったが、どれだけ待とうとも返答こたえはなかった。

 それも仕方のないことであろうと、バルベルデも理解している。当のンセンギマナは団体代表を守護まもらんとする行動うごきにも加わらず、八角形の試合場オクタゴンの中央で物言わぬ石像の如く立ち尽くしていた。

 愛してやまないアニメシリーズ『かいしんイシュタロア』の台詞を引用し、自らの口で擬音まで発するなど誰よりも煩かった義足のアメリカン拳法家が現在いまは口を真一文字に結び続けている。

 ドレッドヘアーを荒々しく巻き上げながら、のちに『げん』の水流と呼ばれることになる円軌道を描いて闘っていた威容すがたが幻であったかのようだ。

 いつか拳を交えたいと望んでいたベイカー・エルステッド――即ち、きょういししゃもんとの共通の友人を見つめる双眸は、差し伸べた手を考えられる最悪の形で払い除けられたイズリアルよりも哀しそうであった。


「なァ、ンセンギマナ。畏まって試合を組むってのは難しくなるけど、『NSB』の〝同僚〟でなくなれば模擬戦の相手スパーリングパートナーだって気兼ねなく付き合えるし――」

「――これ以上、『くうかん』の名誉をけがすなッ!」


 好敵手ライバルに対するバルベルデの気遣いを掻き消したのは、金網の裂け目からエルステッドに向かって飛び込んできた怒鳴り声である。

 危害が及ばない場所へ退くよう『NSB』のスタッフたちに促しつつ、主犯格ベイカー・エルステッドと互いの表情かおを視認できるほどの位置まで詰め寄ったのは、ダン・タン・タインと同様に試合場オクタゴン外周まわり事態ことの成り行きを窺っていた一人の日本人選手だ。

 角刈りにした髪の毛に意志の強さを表すかのような極太の眉、全身を包むのは古銭を上下に三枚ずつ並べた『ろくもんせん』という紋章があちこちに銀糸で刺繍された――セコンドも付けずに試合に臨む孤高の『フルメタルサムライ』ことしんとうであった。

 『NSB』内部に隠れ潜んでいた『ウォースパイト運動』の襲撃という急報に接するや否や、控室から場内に駆け付け、一旦は団体代表イズリアルに解決を託してエルステッドとの対峙を見守っていたのだが、MMA選手にとって一番の〝誇り〟が蹂躙されるに至り、とうとう憤怒いかりが爆発した次第である。

 日本人にしてはかなり高い鼻を赤く染めているのは、言わずもがな身のなかより噴き出した激情だ。頭髪かみを全体的に短く切り揃えてある為、額も広く露出しているのだが、そこに浮き出た血管もまた尋常ではないほど太い。

 大言壮語ビッグマウスを好まず、試合の結果のみでを語る一徹者であることから『フルメタルサムライ』という異名を付けられた進士藤太は、平素いつもは無口なだけにひとたび沸騰すると誰にも止められないほどの熱量に達するのだ。


「黙って聞いていれば、好き勝手なことばかりベラベラと! 『恥知らずという言葉が服を着て歩いている』と言いたいところだが! 『くうかん』のどうを纏いながらくの如き暴挙に及んだことこそ何よりの恥知らず! 誉れあるからを手に取る資格すらナシというヴィヴィアンに完全同意ッ!」


 独特の愛嬌を生み出している垂れ気味の双眸も、今日ばかりは激烈な感情によって吊り上がっていたが、さりとて藤太自身のは決して低いわけではない。それどころか、滅多なことでは腹を立てないのだ。

 生き馬の目を抜く競争社会で生きるには甚だ不向きと笑われてしまうくらい道理を重んじる人物でもあった。思考かんがえるより先に肉体からだが動いてしまう八雲岳の愛弟子とは思えないほどの堅物で融通が利かない。それ故に曲がったことは正さずにはいられず、結局は師匠と似た者同士――感情の昂ぶりによって声量を抑えられなくなるのも師弟で共通していた。

 この場はイズリアルに譲るのが道理と己に言い聞かせ、気を抜いた途端に『ウォースパイト運動』へのに殴り掛かってしまいそうになる衝動を堪えていたのだ。団体代表の温情までもが踏みにじられた今、我慢し続ける理由もなく、心の底から湧き起こった怒りは義憤をも呑み込んで濁流と化した。


「沙門の御父上――きょういし最高師範は選手として出場していた頃から『こんごうりき』でも社会福祉の発展を第一に考え、心血を注がれてきた篤志の御仁。仮にもそのからを纏う身で知らぬとは言わせんぞ! その理念おもい恩人テオ・ブリンガーの遺志と共に継いだ沙門と、……我が師に代わり、きょういし最高師範の理想に泥を塗る者は一人残らず成敗するッ!」


 東京に所在する本部道場で後進の育成に励み、『競技統括プロデューサー』という要職で『こんごうりき』の社会貢献活動も推進している『くうかん』最高師範――きょういしともは、八雲岳が異種格闘技戦を繰り広げていた若き日からの好敵手ライバルであった。

 岳の愛弟子である藤太にとってもきょういし親子は近しい存在であり、出稽古の為に『くうかん』本部道場へ足を運んだことは数知れない。

 怒号を張り上げる中で言及した沙門の恩人――スイス出身うまれのテオ・ブリンガーも『くうかん』道場の空手家である。

 〝世界一のカカト落としの名手〟と畏怖され、『こんごうりき』にいて輝かしい栄光を掴みながらも二〇〇〇年に急性骨髄性白血病を発症し、〝魂の片割れソウルメイト〟とまで呼ばれた袈裟友が寄り添う中、三五歳という若さでどうを脱ぐことになってしまったのだが、没後一四年を経た現在いまも理想の空手家として世界中の格闘家たちの尊敬を集め続けている。

 己を倒して成り上がらんとする野心家にさえ真剣に応えるなど謹厳実直にして清廉潔白な人物であり、打撃系立ち技格闘技団体とMMA団体で〝道〟が分かれた為に〝プロ〟の格闘家としては拳を交える機会が得られなかったものの、藤太もテオ・ブリンガーという存在を一日たりとも忘れたことがない。

 偉大なる人々が磨き上げた『くうかん』の精神たましいに言葉では表せないほどの敬意を抱いていればこそ、進士藤太の怒りはこの場の誰よりも深く激烈なのである。


「ましてや、貴様らは気に食わないモノを否定する理由まで他者ひとに求める始末。どこぞの誰かに信念を借りなければ、自分の口では何も喋れないほど中身がスカスカの半端者ハンチクの分際で……正義などと自惚れるなッ! 〝血〟に勝る同盟を気取っているつもりだろうが、まとまりを欠いて聞き苦しいだけの笛を吹き鳴らすとはだッ!」


 藤太は団体代表イズリアル説得ことばを否定し兼ねない大喝を連ねているが、国際社会からの総攻撃という危険性リスクを覚悟した上での提案が目の前で跳ね付けられた瞬間、エルステッドたちを退けるべき『NSB』の〝敵〟としたのだ。


「突き付けられた〝現実〟が受けがたいから、それを誤魔化す為に誰かを〝悪〟に仕立てるという憂さ晴らしのバカさ加減に俺は今! 猛烈にはらわたが煮えくり返っているッ!」


 『フルメタルサムライ』という仰々しい異名の通り、腰に日本刀カタナを差していたならちゅうちょなく鞘から抜き放ち、降り注ぐ照明で白刃を煌かせながら『くうかん』の〝誇り〟を毀損した者たちをで斬りにしたはずである。


逆上のぼせに逆上のぼせた貴様らのほうははらわたでなくあたまが沸いているようだな。そうでないと諸悪の根源さえ成敗すれば、自分にとって都合の良い理想郷がやって来ると思い込んでしまえるあたまの説明がつかん。……漫画でもアニメでもない〝現実〟は妄想如きで覆るものではないッ! 適当に見繕った〝悪〟を倒したところで〝何〟も変わらないから、逆恨みとも呼べないくらい惨めな気持ちが膨らみ、その〝現実〟を認めたくなくて新たな〝悪〟を探し回る! その繰り返しだ! それがテロでなくて何だと言うッ⁉」

「……お言葉を返すようですが、進士選手、我らは断じてテロリストではない……ッ!」

「独善的な理想しか認めないばかりか、暴力に頼ってでも周囲まわりを従わせずにはいられない犯罪者をテロリストと呼ぶことを俺は躊躇わんッ! いいや、貴様らなどテロリスト呼ばわりにも値しないッ!」


 存在自体を全否定された『ウォースパイト運動』の活動家たちは当然の如く怒り狂い、特殊警棒を振り回しながら進士藤太に飛び掛かっていったが、この報復は鼻先を掠めることもなかった。

 側面から攻め寄せた男は、今まさに特殊警棒を振り抜かんとしていた側の手首を掴み返され、その場に素早く投げ落とされてしまった。腕を捻られた状態で全身が宙を舞ったのである。肘関節が折れる音と肩の脱臼は殆ど同時であった。

 〝同志〟と連携して正面から襲い掛からんとしていた男も、その直後には血飛沫を撒き散らしながら意識を失った。

 投げ技を披露したばかりの藤太は、当然ながら前傾姿勢となっている。次いで急角度から飛び上がるような頭突きへと転じ、耳障りな音と共に顎を割られた相手に半歩の踏み込みで追いすがると、更に互いの額をち合わせた。

 『超次元プロレス』を授けられた師匠から〝世界最高のMMA選手〟とも評される進士藤太であるが、現在いまだけはルールによって選手の命を守る〝格闘競技〟を離れ、戦国乱世の〝影〟に生きた忍者たちの秘伝――『にんぽうたいじゅつ』の使い手に戻っていた。

 これがMMAの試合であったなら関節を極めた状態での投げ技や頭突きバッティングなどは〝プロ〟の矜持に懸けて使うまい。いずれも『NSB』にいて反則と定められているのだ。

 最後に返り討ちとなった男は背後から忍び寄り、脳天を叩き割るつもりであったが、藤太は後頭部にも目が付いているかのような反応を見せ、相手が特殊警棒を構えるよりも早くプロレス式の後ろ回し蹴りソバットでもってね飛ばした。

 その勢いは凄まじく、〝同志〟の手によって破られた金網の裂け目から試合場オクタゴンの内側へ落下し、観客たちの呻き声を巻き込むようにしてマットの上を転がっていった。プロジェクションマッピングの代わりに鼻と口から噴き出した血が一本の線を引いている。

 〝とうきょく〟の理論を取りまとめて日本MMAの礎を築き、現在は別の通称リングネームで『NSB』の試合場オクタゴンに立つヴァルチャーマスクは、恩師であるおにつらみちあきから「相手の腕を極技サブミッションで容赦なく折れる本物の戦士」と讃えられたが、かつて『鬼の遺伝子』の一員であった進士藤太にもその精神たましいが宿っているのだ。

 肩と肘を破壊する生々しい感覚が手から伝達つたっても、ドス黒い斑模様が頬や眉間に付着しても、極太の眉で動揺を表すようなことはなかった。


「信念とは己を支える魂の柱であって、他者ひとから借りるモノでも他者ひとに押し付けるモノでもない! イチかバチかの土壇場で死力を引っ張り出す根性と同じようにな! 貴様らが『くうかん』で学んだのは何だッ⁉ きょういししゃもんから何ひとつ教わらなかったのかッ⁉」


 を次々と返り討ちにし、を返り血で汚しながら、進士藤太は主犯格ベイカー・エルステッドに怒号を浴びせ続けた。


「革命への意志とその本質を他でもないシャモンに学んだからこそ、我らはえて『くうかん』のどうを纏い、正義の戦いに臨んだのだ。進士選手のほうこそ教来石沙門シャモン・キョウライシの名を軽々しく語って欲しくはない……ッ!」

「沙門が目指してきたのは『くうかん』の未来だッ! 未来を壊すだけの腐り果てたテロリズムと、次世代の空手家に新たな〝道〟を切り拓かんとする沙門アイツを同列に語るなッ!」


 一等大きな口から迸った藤太の怒鳴り声は、マイクなど用いずとも一二〇〇〇人を収容する興行イベント会場の隅々まで轟き、皆のはらわたを一斉に震わせた。


「……ならば、よろしかろう。我らの義挙がテロでないことをご覧に入れる。教来石沙門シャモン・キョウライシから学んだ覚悟の貫き方を――」


 試合場オクタゴンの破壊という先制攻撃を放り出し、怒りに任せて報復を仕掛けそうな〝同志〟たちと、殺意を帯びた眼光に晒されようとも全く怯まない進士藤太を交互に見つめ、深い嘆息を挟んだのち、抱きかかえていた仲間を優しく横たえると、二振りの特殊警棒を――彼と自分の物をそれぞれ左右の手に握った。

 『くうかん』空手の特徴である〝サバキ〟とは相手に組み付いて姿勢を崩し、無防備化した上で必殺の一撃を叩き込むものであり、両手が使えてこそ真価を発揮する技法である。これを切り捨てるかのような行動は、「これ以上、『くうかん』の名誉をけがすな」という藤太の大喝に対する返答の代わりであろう。


「――オレがシャモンから借り受けたカカト落とし、『クウカン』の目にはどのように映った? 甚だ粗削りであったことは否定せんが、彼に手渡された魂は友情に懸けてけがしていなかったはずだ。それだけはシャモンの〝誇り〟との合わせ技一本で胸を張らせて貰うぞ」


 いきり立つ〝同志〟たちを冷静に制したのち主犯格ベイカー・エルステッドは我が手で進士藤太と決着をつけるべく特殊警棒を構え直したが、その動作うごきを引き留め、自分のほうに振り向かせたのは、ここに至るまで口を真一文字に引き締め続けていたシロッコ・T・ンセンギマナだ。


「第一シーズン第九回ラスト五分の感動を想い出せ。ロアノークちゃん様の『魔爪エテメンアンキ』に弾き飛ばされ、谷底に『神槍ダイダロス』を落としてしまったつむぎちゃんの大逆転劇を。そうだ、今のエルステッドと同じように友の武器を借りて魔獣ディンギル・ウッグゥの化身に一矢報いたのだ」

「ご指名を賜った身分で大変に申し訳ないのですが、ンセンギマナ選手、自分には今の話がさっぱり分かりません……」

「我らがつむぎちゃんがほしみちゃんの『砕弓アルテミュラー』を射って『魔爪エテメンアンキ』を貫いたあの瞬間、全人類の血潮が沸騰する音をオレは聞いたぞ。しかし、友の力を借り受けるマンは互いの心が通い合わねば成り立たん。星の神イア・サークの〝力〟でほしみちゃんが創り出した『砕弓アルテミュラー』を手に取ったつむぎちゃんはどうだ? 口から始まって目や耳から大量の血が噴き出しただろう? 同じ光の乙女戦士イシュタロアであっても拒絶反応で命を削られるほど〝諸刃の剣〟なのだ」

「さも共通認識のようにお話しになられていますが、そもそも『イア・サーク』とは何なのですか? 『いあ! いあ! はすたあ!』のご親戚か何か……ッ⁉」

「お前もと同じ『あさつむぎ』の一人という意味だ、エルステッド」


 傍から見ていて哀れになるくらいベイカー・エルステッドは置き去りとなっているが、改めてつまびらかとするまでもなく、口を開いた途端にンセンギマナが始めたのは、またしても『かいしんイシュタロア』の引用であった。

 仲間の武器を借り受けて絶体絶命の窮地を切り抜けるというアニメの一場面を取り上げることで両者の間に割り込み、交戦を押し止めた次第である。


「どこの誰とも知らないが、そのご立派な眉毛だけは何となくおぼえがある推定ご同僚の言葉にオレもシャモンを想い出したぞ、エルステッド。そして、仲間の手から滑り落ちた武器を取り、その想いを背負う覚悟の深さにもシャモンが重なった。……この期に及んでオレたちの試合に乱入した理由は問うまい。今は共通の友について語り合いたいのだ」


 ンセンギマナが〝どこの誰とも知らない人間〟の如く呼んだのは、言わずもがな進士藤太である。

 愛してやまない『かいしんイシュタロア』や、ごく親しい友人・家族に尋常ならざる情熱を傾ける一方、関心を持てない事柄については記憶の片隅にすら留めない悪癖がある。『NSB』に所属する日本人選手の筆頭とも呼ぶべき存在であろうが、団体代表と共にリトル・トーキョーで日米合同大会コンデ・コマ・パスコア共催の記者会見に臨んだ八雲岳の愛弟子であろうが、ンセンギマナにはおぼえておく理由がなかったわけだ。

 「その教来石沙門シャモン・キョウライシに人付き合いの杜撰さを注意されたのはどこの誰だ⁉」と相棒の非礼を窘め、恐縮した表情かおで藤太にも謝罪するシード・リングであったが、その声すらもンセンギマナ当人は右から左へと受け流している。


「オレたちが日本の戦友ともから学んだのは、未来に向き合うとはどういうことか――それではなかったか? 子どもたちにより良い成長の〝場〟を約束する。今夜の夢に出て来そうな眉毛の人の言葉を借り受けるが、シャモンが挑んでいるのはであったハズ」


 このときのンセンギマナにとっては〝名前も知らない相手〟であるが、それでも同じ結論に達することは不可能ではない。だからこそ、藤太の言葉を引き取るような恰好でベイカー・エルステッドと相対しているのだ。

 MMAの試合では反則と判定されてしまうようなにんぽうたいじゅつ武技わざをも解き放ち、『NSB』の〝敵〟を根絶やしにするべく身構えた直後に割り込まれてしまった藤太はさすがに眉根を寄せたが、ンセンギマナが訴える言葉の一つ一つには首を頷かせている。

 この無礼極まりない〝後輩〟に決着を委ねても、最悪の間違いだけは起こるまいと納得したのであろう。間もなく左右の拳を腰に押し当て、ぶつけ合う言葉の効果を確かめるように双方の顔を交互に窺い始めた。

 団体代表イズリアル・モニワへの守備まもりを解けずにいるジュリアナたちも、金網の内外からを睨み続ける『ウォースパイト運動』の活動家たちも同様である。


シャモンが示してくれたのは、革命には断固たる実力行使が欠かせぬという事実である。彼はニューヨーク支部でこう語った。自分たちよりも下の世代が不当で理不尽な暴力に怯えることのない空手を実現するには、返り血で真っ赤に染まる覚悟が必要だ――と。未来を縛らんとする鎖を断ち切る為なら、過去という名の呪いを上回る〝力〟をふるうしかない。その〝真実〟によって、シャモン自身も『くうかん』の革命を成し遂げてきたのだ」


 ンセンギマナが試みようとしている説得の内容を悟ったエルステッドは、〝革命〟という強い一言でその声を遮った。

 は共通の友人が日本で取り組んでいる『くうかん』の組織改革だ。

 ふるいに掛けるのが目的としか思えない根性論や、大怪我した門下生の悲鳴までもが握り潰されてしまう支配的な上下関係、これらを強要する〝シゴキ〟が未だに蔓延はびこり続けている支部道場の体質を改めるべくきょういし沙門は文字通りに東奔西走していた。

 権益を手放したくない為、あくまでも旧体制にしがみ付かんとする支部道場のたちを罠にめ、その影響力を根こそぎ奪うことも、反対派を実力行使で排除することも辞さないという内部闘争と表裏一体の〝革命〟であった。

 強硬な態度で挑まない限り、長い歳月をかけて作り上げられた仕組みが根を張る全国組織は変えられないと公言して憚らず、支部道場と密接な関係にあるは沙門を〝壊し屋〟などと悪しざまに報じていた。

 尤も、沙門は己に向けられる批判すら〝革命〟のとして利用している。

 『くうかん』という道場名なまえこそ出さなかったものの、『こんごうりき』の勝利者ヒーローインタビューでも旧態依然とした思考あたまの持ち主が武道の未来を閉ざすと発言し、いわゆる〝スポーツの政治利用〟に抵触するのではないかと物議を醸していた。

 プロデビュー戦の勝利を剥奪されてもおかしくない行為であり、場合によっては競技統括プロデューサーを務める父の地位をも揺るがし兼ねなかったのだが、その一言が引き金となって『くうかん』支部道場の指導に疑問を呈する声がSNSソーシャルネットワークサービスで急増していた。

 沙門による組織改革の賛同者はを取りまとめるコミュニティをインターネット上で立ち上げ、情報戦によって支部道場の足元を脅かし始めている。

 『くうかん』内部で起こった急進的な〝革命〟と、己の命を生け贄として捧げる覚悟で旗頭を務めるきょういし沙門の姿勢に触発され、この日の義挙に及んだ――と、主犯格ベイカー・エルステッドは明かしたのである。

 は同時に進士藤太が怒りを爆発させた理由とも言い換えられる。

 稽古中に耐えがた激痛いたみを刻み、これによって逆らいようのない上下関係を刷り込むという支配体制や、「強くなる為の精神修行」と大義名分の如く振りかざし、暴力の正当化に悪用される根性論の刷新をベイカー・エルステッドはテロ行為と混同したわけだ。

 沙門の〝革命〟を『ウォースパイト運動』にとって都合が良いように捻じ曲げられたといっても過言ではない。藤太やンセンギマナ以外に『くうかん』と深く関わる選手がこの場に居合わせていたなら、曲解に基づく暴挙として血走った眼で憤慨するはずだ。


シャモンはオレにこうも語った。例え志半ばで刺し殺されるようになったとしても、自分の亡骸まで利用して『くうかん』の暗部を暴き出す覚悟だった。だが、それもこれも子どもたちの未来の為――同じ釜のメシを食った仲間がオレと同じコトを聞いていないわけがない」


 恨みを買う強硬策をえて沙門が選び続けるのは、苦しみを伴う鍛錬に打ち克った先に昨日の己を超えた成長がるという精神性が形骸化し、〝シゴキ〟によって激痛いたみを強いるだけの悪習に成り果てた根性論によって子どもたちの未来が壊されない為に――だからこそきょういし沙門は『くうかん』の〝革命〟を急いでいる。

 時間がない――国際社会のスポーツ文化に絶対的な影響力を持つ〝平和の祭典オリンピック〟でMMAが解き放たれ、人類全体の暴力性が加速することを恐れるベイカー・エルステッドも、強迫観念に囚われたような情況で同じ言葉を口にしていた。

 沙門が一刻も早く『くうかん』から取り除かんとしている根性論は、成長期が終わっていない子どもに肉体の酷使を強いる上、支配的な上下関係が十分な療養期間やリハビリすら許さない――それが長い一生を苦しめる後遺症や、より深刻な事故に直結してしまう。

 ときに根性論は勝利至上主義とも混ざり合うものだ。心を磨く武道の在り方まで歪め、道場や指導者の名誉の為に子どもたちが犠牲となる事例は少なくなかった。

 その根絶に突き進むきょういし沙門であればこそ、ンセンギマナは深い感銘を受けたのだ。彼もまたアメリカン拳法の道場スタジオで子どもたちの指導を任されている。日本からやって来た空手家とは指導者としての理念によって通じ合っていた。


「ンセンギマナ選手の仰る通り、全ては未来の為です。次の世代に暴力なき平和な世界を約束する為に。……その完成には生みの苦しみが必要なことを示したのも。種の一粒も厄災わざわいを残さぬ徹底的な破壊なくして、未来に手は届かん……ッ!」


 は、格闘技に内在する暴力性を助長してはならないと主張している。強迫観念によって膨らんだ誇大妄想に他ならないが、その根底にはと同じように次世代をより良い未来へ導かんとする強い気持ちがあり、これだけは相通じるとンセンギマナは信じていた。

 だが、きょういし沙門という共通の友人に二人ンセンギマナとエルステッドは別々のモノをていたようである。


「肩を並べるべき友や、肉や骨を分け合った親兄弟と血で血を洗う殺し合いを繰り広げることになろうとも、譲れない覚悟で屍を踏み越えゆく。それこそが〝革命〟ではありませんか。我らが遊戯おあそびのような気持ちでったわけではないと、シャモン大志こころざしに触れたンセンギマナ選手が理解できぬはずがない。貴方はこの場の誰よりも我らに近いのだ……ッ!」


 沙門による〝革命〟の意義を己の〝立場〟と重ねて語ろうとするンセンギマナを遮り、主犯格ベイカー・エルステッドは友人や家族へ犠牲を強いる闘争でさえ最善の手段になり得ると宣言した。暴力の否定という主張との間には矛盾しか横たわっていないが、その言葉に煽られた〝同志〟たちは互いの距離も関係なくンセンギマナに先端を向ける形で特殊警棒を構え直した。

 主犯格ベイカー・エルステッドも含めて『ウォースパイト運動』の活動家たちは本来の所属先で進みつつある〝革命〟を現状の破壊という一側面でしか捉えていないわけだ。を前提として自分たちの思想を押し付けることは、まさしくテロリズムの本質である。

 翻せばそれは〝血〟を流さなければに新たな可能性を拓く余地などないと、最初から諦めているという意味でもあった。

 師匠シルヴィオ義肢装具士ジョルジェットが二人掛かりで押さえ込んでいなければ、シード・リングは相棒ンセンギマナをこれ以上ないというほど哀しい表情かおを変えたエルステッドの襟を掴み上げていたはずだ。

 好敵手ライバルであるブラボー・バルベルデも暴発寸前まで頭に血がのぼったが、歯を食いしばることで何とか踏み止まっている。


「内戦はアニメのようにカッコいいモンじゃない」


 〝革命〟という尤もらしい一言を〝暴力テロによる現状変更〟の大義名分に据えようとする主犯格ベイカー・エルステッドを真っ向から切り捨てたンセンギマナの声は、『かいしんイシュタロア』の台詞や効果音を発する瞬間ときよりも遥かに強かった。

 今でこそ師匠シルヴィオ・T・ルブリンが取り仕切るカリフォルニア州サンノゼの道場スタジオを拠点としているが、ンセンギマナはルワンダ出身うまれである。

 年齢は二五歳――祖国ルワンダで内戦が勃発する一年前に生まれ、産声を上げる自分に祝福の言葉を掛けてくれた隣人と互いに武器を向け合い、じゅうりんし合う地獄の底で旧ソビエト連邦から流れ着いた『カラシニコフ銃』の轟音に脳を震わされながら育ったのだ。

 武力衝突を伴う内戦はルワンダに更なる国家的悲劇を巻き起こし、一九九四年に至って昨日まで親しく交わっていた人々が命を奪い合う虐殺ジェノサイドに突入した。

 およそ一〇〇日に亘って続けられた虐殺ジェノサイドは、神への信仰を棄てそうになるほどの裏切りに遭いながらも生き延びたンセンギマナに大き過ぎる爪痕を残し、身近な存在も数え切れないほど喪失うしなった。


「――戦争はいやだ。……戦争は何も生まない」


 シロッコ・T・ンセンギマナの名前は、〝義足のアメリカン拳法家〟として全米のMMAファンに知れ渡っている。

 しかし、ンセンギマナは先天性の理由から義肢装具を用いてきたわけではない。これはネバダ州まで応援に駆け付けた祖国の同胞たちも同じである。旧ソ連開発の突撃銃アサルトライフルと手榴弾が人間の肉体からだを打ち砕く武力衝突だけでなく、虐殺ジェノサイドなかに実行された拷問や、軍人と民間人を区別せず殺傷する対人地雷によってルワンダ国民の一割が手足を欠損してしまったのだ。

 戦争反対という一言は、それを紡ぐ人間によっては酷く空疎なモノとなり兼ねない。しかし、『かいしんイシュタロア』を愛してやまない〝義足のアメリカン拳法家〟の口より発せられた声は、受け止める者たちの心に重く響く。

 青サイドのセコンドたちは言うに及ばず、この場にる誰もが真剣な面持ちでンセンギマナの一言々々に耳を傾けている。主犯格ベイカー・エルステッドとの対決を彼に任せた進士藤太も、対話で解決できる段階ではないとして先程の決断を翻すこともない。

 この混乱自体を一歩引いたところで眺めていたダン・タン・タインも、自身の家族と同じ〝戦災者〟であるンセンギマナが「内戦はアニメのようにカッコいいモンじゃない」と訴えた瞬間、誰よりも早く強く深く首を頷かせていた。

 アフリカの大地をく太陽のもとで繰り広げられた虐殺ジェノサイドは、軍による掃討のみを指しているのではない。ルワンダという国家くにを構成してきた民族同士の憎悪を煽り立てるラジオ放送が長引く内戦と政治的混乱に動揺していた人々を決定的に狂わせ、日常の風景に溶け込んでいた農具が命を壊す武器に変わった。

 ルワンダの日常が引き裂かれたおよそ四年間の悲劇は、何があっても風化させてはならないという決意と共に全世界が記憶に留めている。


「自分たちの反対に立つ相手を武力ちからに物を言わせて捻じ伏せるだけでは、いつかおのが身に跳ね返ってくる恨みが遺る。歳月だけでは癒し切れない憎しみが育つ。そのからを纏うみなも知っているハズだ。同じどうの朋輩から命を狙われ続けていることをシャモンは武勇伝の如くひけらかしたか? オレが電話で語らったときの声は、……拳を交えて理解わかり合うことを無上の喜びとしている沙門アイツは、自慢とは正反対だったぞ」


 『くうかん』の空手家たちは誰一人としてンセンギマナの問い掛けに答えなかったが、きょういし沙門による強引極まりない組織改革は、全国各地の支部道場から反感を買っている。あくまでもされ、刑事事件には発展していないものの、比喩でなく本当に日本中から刺客を差し向けられているという。

 日本最強の空手家が自分を育ててくれた道場から古き悪習を取り除くべく具体的な行動を始めたのは、アメリカでの〝武道留学〟が終わり、日本に帰国した後のことである。

 つまり、彼という存在を挟んで対峙する二人との交流から大して月日も経っていないわけだ。その短期間で常人の一生分を超える憎悪に晒されるようになったという事実は、極めて深刻に受け止めるべきであろう。

 その沙門を手本とするエルステッドたちのも、今日だけで数え切れない人々から恨みを買ったことであろう。狂信的なMMAファンたちが『ウォースパイト運動』の活動家を私刑リンチに掛け、死に至らしめてから半年も経っていないのだ。『NSB』としても第二の悲劇を招き兼ねない情況は看過できないのである。

 サバキ系の『くうかん』とは系統こそ異なるものの、ルワンダでは日本の青年海外協力隊によって伝えられた空手が広く普及しており、新政権の発足によって動乱が一応の終息を迎えた直後に瓦礫の中で稽古を再開した空手家も少なくなかった。それどころか、同年の内に空手競技の全国組織まで創設されたのである。

 ありふれた日常の如く空手が溶け込んだ風景を見て育ったンセンギマナも、からを纏う人々への思いは格別に深い。今まさに人の道を踏み外そうとしている空手家を放っておくことなど出来ようはずもなかった。


「……内戦はアニメではない。心を通わせた人たちの亡骸は、……決して踏み越えられはしない。立派なお題目で己を誤魔化したところで、りし日の想い出が心を食い破り、罪なる痛みは永遠に消せないのだ」


 彼の故郷を死の影で覆い尽くした国家的悲劇は、ルワンダの大地に根付いた幾つかの民族を分断するという旧宗主国ベルギーの政策が遠因であったとも言われている。事実、難民化して隣国ウガンダに逃れていた少数派民族の一部が雌伏の歳月の末に蜂起し、多数派民族による政権と武力衝突に至ったことから内戦が勃発したのである。

 ンセンギマナの場合は父親が多数派民族、母親が少数派民族であった。様々な問題を抱えつつも同じルワンダに生まれた民として絆を育んできたはずの人々が互いに対する憎悪に呑み込まれていくさまを義足のアメリカン拳法家は生々しくおぼえている。

 内戦期に当たる一九九〇年代のルワンダは成人おとなでさえ識字率が高いとは言いがたかった。そのような社会ではラジオから聞こえてくる情報がにも近い効果を発揮するものである。二〇年という歳月が過ぎた現在いまもンセンギマナの耳にこびり付いているが、敵対民族を根絶やしにするよう煽り立てる歌声が村落の至る場所で垂れ流されたのだ。

 父母それぞれの起源ルーツである民族同士が日用品を武器に換えて命を壊し合う惨状に幼いンセンギマナが放り込まれるまで長い時間は掛からなかった。父の属する多数派民族が母とその同胞の少数派民族を一方的に惨殺していく状況へと悪化するまでは更に早かった。

 茂みに隠れ潜むなかに母とはぐれてしまった幼いンセンギマナの前に手斧を持って現れたのは、家族ぐるみで親しく付き合い、遊び相手にもなってくれた父の友人である。


「戦争はいやだ。戦争だけは……」


 再び繰り返したンセンギマナは、〝何か〟の追憶を映すかのように左右の手のひらへと目を落としていた。

 国家的悲劇が終結した後は民族間の断絶を乗り越えて共に祖国ルワンダの再興に励み、全世界から〝アフリカの奇跡〟と讃えられるほどの経済発展まで成し遂げていた。ンセンギマナの勇姿を見守るべく客席に駆け付けたルワンダの応援団も民族の垣根を超えているのだ。

 虐殺ジェノサイドが互いに歩み寄れるようになるまでには、同じ国家ルワンダで生まれた人間以外には想像できない葛藤があった。

 国民の分断ひいては国家的悲劇の引き金となった旧宗主国ベルギーによる政策の撤廃に始まり、聖職者によって設立されたNGO団体が〝第三者的立場〟で被害者と加害者の橋渡しを務め、内戦が引き裂いた心を理解し合う機会も設けられた。

 虐殺ジェノサイドの過程にいて自分たちが破壊した家屋の建て直しといった加害者たちの〝償い〟も進められた。いずれも村落への復帰を促す〝労働奉仕刑〟の一環ひとつであるが、家畜の飼育などは加害者と被害者の双方による共同事業となり、ルワンダの国民ひとびとは心の復興と社会の再建の両面から手を取り合っていったのである。

 憎悪という一言では表し切れない葛藤を乗り越えたンセンギマナであったればこそ、きょういし沙門が強行する〝革命〟の反動と、破壊という一側面のみを妄信するベイカー・エルステッドたちの危うさを看過できなかった。

 完全には蟠りを拭えない者も少なくないという〝現実〟を抱えながらも、ルワンダは再び一つの輪で結ばれた。ンセンギマナと実母も村落に帰ってきた父の友人や隣人たちを同じ祖国に生きる一員として迎え、謝罪の言葉も受けれた。

 しかし、たちは絆を取り戻す可能性さえも〝革命〟には無用と決め付け、自ら切り捨てようとしているのだ。義足のアメリカン拳法家にとって、これほど哀しいことはなかった。


「――まだ日本で闘っていた頃、俺も『くうかん』の本部道場は出稽古で世話になった。その頃から沙門は試合を相手との対話だと語っていたし、現在いまも本質は変わるまい」


 身内同士で相争う虚しさとおぞましさを自分以外の人間に味わわせてはならないと、言葉を尽くして制止を試みるンセンギマナに加勢したのは、よりもきょういし沙門との親交が長い進士藤太である。

 外周から試合場オクタゴンに乗り込もうとした空手家の腕を捻り、靭帯が切れる耳障りな音を聞いたのち、その手から滑り落ちた特殊警棒を拾い上げている。忍者という一言からしのびがたなを逆手に構える姿を連想する人間は洋の東西を問わずに多かろうが、藤太もそれと同じ様式で特殊警棒を握り直した。

 日本人である藤太にはルワンダで生まれた人々が経験した国家的悲劇を完全に理解することは不可能である。しかし、ンセンギマナが訴える言葉を『くうかん』の空手家にこそ突き刺さる形へ変えることは出来るわけだ。


「今、この場にいては、貴様らこそがの信念を誰より実感しているのではないか? ……!」

ごんぶとマユゲの人の言う通りだ。徒手空拳の空手を愛するお前たちも『あさつむぎ』と同じ相互理解の使者だろう。我が身をつ痛みも、頬を横切るぶきも、耳で拾う心臓の鼓動さえも、互いの心を交わす『生命波動ティアマト』だ。肉体と五感――いいや、第六感の神秘まで使い倒して理解わかり合える喜びをは共に知っている。……だが、戦争は違う。そこに心を感じ合う余地など存在しない。ひきがねを引くだけで命が砕ける。それが〝戦争〟だ」


 合金製とは言えども、特殊警棒を振り下ろせば人を殴打した感覚が手に伝達つたわる。相手の命を脅かす危険性が酷く生々しく感じられる。意識の有無に関わらず、ちょうちゃくの力を加減するようなも起こり得る。

 しかし、〝現代の戦場〟に投入される兵器は違う。カラシニコフ銃の発砲音と、銃口の先でアフリカの空を引き裂いた断末魔の絶叫さけびは、今も鼓膜にこびり付いて消えることがない――それこそが『平和と人道に対する罪』と総合格闘技MMAを分けていると、ンセンギマナは一等強く訴えた。


「……〝ウォースパイト〟とは〝戦争への軽蔑〟を意味する言葉であったはず。その通りだとも。心を持つ生き物が対話の可能性まで投げ捨てることは断じていかん。〝革命〟を望むのなら、……戦いの果てに虚しさだけを残すような真似はしてくれるな」


 肌の色も生まれた国も――起源ルーツの異なる人々が〝暴力〟に対する憤怒いかりで一致し、テロリズムに立ち向かっていた。地上に存在する全ての格闘技を人権侵害と決め付け、空手家としてに加担した罪の意識にき動かされて凶行テロに及んだ『ウォースパイト運動』との対峙が妥協点も見えないまま平行線を辿ることは、最初から分かっていたことであろう。

 対話による解決を最初に試みた団体代表イズリアル・モニワまでもが実力行使による征圧を選択肢から排除しない中にって、ンセンギマナだけが〝非戦〟を真っ直ぐに訴え続けている。

 オリンピック・パラリンピックに限らず、格闘技やスポーツは一まとめにして〝平和の祭典〟と呼ばれることが多い。無秩序に力をふるうのではなくルールによって定められた範囲で勝敗を競うことが所以ゆえんであろうが、翻せばそれは返り血を浴びない距離から銃火器を斉射し、無感情に他者を駆逐する〝戦争の時代〟には成立し得ないという意味でもある。

 民族間に横たわる断絶の歴史が火種となった大破壊と、罪と罰の意識をも超越して祖国ルワンダを蘇らせた新時代の両方を知るンセンギマナは、総合格闘技MMAもまた〝戦争なき時代〟の象徴であることをこの場の誰よりも噛み締めているのだ。

 対するベイカー・エルステッドは、格闘技に内在する暴力性が子どもたちの未来を壊してしまうことを何よりも懸念していた。まさしく次世代を思って組織改革に踏み切ったきょういし沙門の理念が伝わっていないはずがあるまい。

 『くうかん』のからを纏う者たちが相互理解の精神をてられずにいる可能性にンセンギマナは賭けていた。

 祈りにも似た眼差しを受け止めるベイカー・エルステッドの頬を一粒の涙が滑り落ちていった。果たして、その冷たいひとしずく返答こたえであった。


「……戦争の火種を平らげるには戦争しかない。先程も申し上げましたよ、ンセンギマナ選手。我らは遊戯おあそびのつもりでったのではない……ッ!」


 〝非戦〟の意義を呼び掛けられただけで拳を下ろすようであれば、『NSB』の内側からMMAを変革しようというイズリアル・モニワの要請オファーを受けたことであろう。それ以前にテロと断定されるような凶行にも及ぶまい。

 もはや、武力衝突は免れなくなったが、議論で勝ち切れなかった為に自暴自棄を起こしたとしてしまうのは些か乱暴であろう。主犯格ベイカー・エルステッドとその〝同志〟たちは、誰もが大志こころざしに殉じる覚悟を胸に秘めている。それにも関わらず翻意を強要することは心への侵略行為にも等しく、『ウォースパイト運動』と一つとして変わるまい。

 事ここに至った以上、ンセンギマナは無念の表情かおまぶたを閉ざし、左の義足ライジング・ポルカドットでマットを踏み付けるしかない。心の底から溢れ出した悔しさが天井に虚しく跳ね返った。

 八角形の試合場オクタゴンに『げん』の水流ともたとえられる円軌道を描き、ドレッドヘアーを巻き上げながら好敵手ブラボー・バルベルデとの力比べに興じるンセンギマナの勇姿すがたを金網越しに見つめていたときにも、ベイカー・エルステッドは感極まって様子で涙を流していた。

 丁度、両選手ふたりが相互理解の歓喜よろこびを高らかに吼えた瞬間のことである。

 両頬を濡らし続けた大粒の涙は、MMA選手として『NSB』に出場していた己自身との決別あるいはを意味していたのかも知れない。

 五体を自由自在に使いこなせる選手と、MMA用義足を装着する選手パラアスリートが互いを尊重し合うルールに基づき、で〝心技体〟を競い合える唯一無二の舞台を去らなければならないのである。半ば強迫観念にも近い覚悟にき動かされたとはいえ、一人の格闘家としての未練は断ちがたかったはずだ。


「ここから先は任せて貰うぞ、ンセンギマナ。モニワ代表に加えて、お前が差し伸べた手まで振り払われたとあっては我慢ならん。ベイカー・エルステッドは俺の手で成敗する」

「喧嘩を買ったのは私たちが先よ、トー。立ち位置だってこっちのほうが大将首キングに近いのだから、そっちは数だけ無駄にかき集めた雑兵ポーンを蹴散らすことに専念して頂戴な」


 進士藤太とジュリアナ・オーケアノス・ヴィヴィアン――『NSB』を代表する二人のMMA選手によるを見届け、団体代表としての最後の決断を下さなければならなくなったイズリアルにとって、主犯格ベイカー・エルステッドが幾度も逡巡する様子を見せたことはる種の〝救い〟であった。

 彼女イズリアルやンセンギマナの説得ことばは、聞き流されることなく心の奥底まで届いていた。

 それどころか、主犯格ベイカー・エルステッドは『ウォースパイト運動』の主張を強い言葉で繰り返し、他者の声をね付けながらも、自分たちの義挙が国際社会の平和に貢献することを〝誰か〟に認めて欲しい――と、〝救い〟を求めていたようにも感じられたのである。

 その迷走こそが『サタナス』と同じ本物の〝悪魔〟にまで堕ちていない証拠であった。重罪犯専用のフォルサム刑務所に収監されたその思想活動家は、小さな子どもを精神的に追い詰める為だけに国家反逆罪にも等しいサイバーテロを起こしたのだ。

 自分と同じ肌の色とそうでない人間を選り分け、後者の絶滅を目論んだ前代表フロスト・クラントンの暴挙に加担せず、正面切って抗った清廉な空手家――現代表イズリアル・モニワがそのように評価したときからくも悪くも変わっていなかったわけである。

 それほどの人物と相容れなくなったことは哀しいが、だからといって征圧を躊躇ためらう理由にはならない。危険思想に洗脳されたとき、実直な人間ほど際限なく暴走することをイズリアルは経験から知っている。何よりもこの国アメリカの歴史から学んでいる。だからこそ、ベイカー・エルステッドを惜しんでしまう気持ちを葬り去るしかなかった。

 〝そくおうたい〟を率いるVV・アシュフォードに目配せしながら、イズリアルはンセンギマナの信用を失うことを覚悟していた。

 詳しい内容まで把握しているわけではないが、『NSB』所属選手の趣味であり、ハワイ出身うまれの旧友がスタッフの一員として携わっていることもあって、イズリアルも『かいしんイシュタロア』の概略あらましだけは調べていた。

 ぶつかり合った末の相互理解がシリーズを貫く主題テーマであることも承知している。

 心を通わせて育んだ絆が一瞬にして引き裂かれてしまう惨たらしい内戦と、憎しみすら乗り越えていく人と人の結び付きを誰よりも深く知っているルワンダの拳法家にとって、『かいしんイシュタロア』は一個人の趣味を超えた希望の証なのであろう――そのようにイズリアルは察していた。

 彼の気持ちを理解していればこそ、現実の試合場オクタゴンける劇中描写の再現に自重を促しながらも、セコンドの誰一人として内容そのものは否定しないのだ。

 それならばイズリアル・モニワは――未だ臨戦態勢を取らず、願いを込めた哀しい主犯格ベイカー・エルステッドを見つめるンセンギマナを全否定しようとしている『NSB』の団体代表は、破壊行為でしか思想を示せない『ウォースパイト運動』とどれほど違うというのか。


ひとたび、戦争が起きたなら、けがれた策を講じてでも勝たなくてはならない。『ウォースパイト運動』は勿論、『NSB』を狙う全ての者たちに一歩たりとも譲ってはならない)


 わざわざ己に言い聞かせずとも、現在の『NSB』が戦争状態にも等しいということは理解している。

 日本のから知らされたことであるが、来年末に日米合同大会コンデ・コマ・パスコアを共催することになっている『天叢雲アメノムラクモ』では、団体代表――樋口郁郎の不手際から熊本県の武術界と敵対関係に陥り、同地では主催企業サムライ・アスレチックスの襲撃計画まで話し合われているそうだ。

 熊本と似たような兆候は『天叢雲アメノムラクモ』のメインスポンサーである『ハルトマン・プロダクツ』や、日本国内にけるMMA団体の活動を監督する『MMA日本協会』でも現れつつあると、イズリアルも把握していた。

 絶対的権力を握って日本格闘技界に君臨しながら、足元が少しずつ崩れ始めている〝暴君〟と同じ過ちを犯すわけにはいかなかった。たった一つ打つ手を間違えただけでもシンガポールで新たに興ったMMA団体に勢力図を塗り変えられてしまうだろう。前代表フロスト・クラントンの魔の手も欧州ヨーロッパから伸ばされつつある状況であった。

 内憂外患としか表しようもないが、MMAを法規制で葬り去らんと図る政治家はアメリカ国内にも少なくない。付け入る隙を与えようものなら、ペンシルベニア州体育委員会アスレチックコミッションによって頓挫に追い込まれた史上初のMMA大会コンテストの再現となる。

 きょういし沙門が推し進める『くうかん』の〝革命〟は、イズリアル・モニワにとって他人事ではなかった。例え冷酷無情と痛罵されるような事態に陥ろうとも『NSB』を守り抜く覚悟である。

 が繰り広げているのは、紛れもなく〝戦争〟なのだ。もはや、『ウォースパイト運動』という煩わしいだけの存在に足踏みなどしていられなかった。


「アイ・ドント・ライク――」


 我知らず呟いたイズリアル・モニワの視線の先では、VV・アシュフォードたち〝そくおうたい〟がジュリアナや藤太をも押し退けるようにしての制圧に取り掛かっていた。



                     *



 格闘技に携わる全ての人々の心に暗い影を落としたテロ事件から一週間が経ち、その影響はアメリカ国外にまで広く深く波及し始めている。

 そうじょうの場に居合わせておらず、『NSB』の興行イベントに参画してもいないというのに、当事者たちが次々と名前を口にした『くうかん』最強の空手家――きょういししゃもんも無関係ではいられなかった。


「……アメリカで執り行われる〝こうちょうかい〟に重要参考人として召喚されたことは岳氏から聞いています。異例中の異例というか、本来なら有り得ないような要請だとか……」

「図らずもアマカザリが勉強熱心になったコトをチェックするマイルストーンになったみたいだな、俺……」


 抑えられないほど唇が震える理由をキリサメに見抜かれた沙門は、不細工な苦笑いで取り繕ったのち、気詰まりを誤魔化すようにシーフードピラフの残りを平らげ、食いとばかりに手作りピクルスとサーモンのサンドウィッチを追加で注文した。

 MMA選手としての肉体からだを効率的に育てる為、摂取カロリーも計算するようになり、無糖のアイスティーを一杯のみ口にしているキリサメとは正反対であった。

 いなむらさきの浜辺からこのレストランへ移動する間にも好奇の視線を浴びせられるなど、『スーパイ・サーキット』の話題性を煽る『天叢雲アメノムラクモ』の広報戦略によって気が休まらない状況が続いているキリサメにまで心配されるということは、国際社会を揺るがすほどの重大事件に巻き込まれたものと周囲まわりには認識されているようだ。

 を実態から掛け離れた取り越し苦労として否定できないのが沙門にも苦しかった。

 先ほど訪ねたじょうわたマッチにも気遣われたばかりだが、『NSB』を襲ったテロの首謀者たちが『くうかん』の同門であり、つアメリカ留学時に影響を与え合うほど親しく交流していた事実から沙門は一部メディアに事件の〝黒幕〟のように扱われている。

 このテロ事件を巡り、沙門はアメリカ合衆国ネバダ州で実施される〝公聴会〟での証言を求められていた。同国アメリカに幾つもの支部道場を持つ『くうかん』の空手家という〝立場〟でを受けた次第である。

 呼んで字の如く〝公聴会〟とはる事件が発生した際、処罰も含めた解決の道筋を定めるべく第三者委員会あるいはこれに相当する役割を担う人々が当事者や関連人物、参考人から意見を聴取する為のものであった。


「……どこもかしこもMMA団体は乱入騒ぎが大流行りだね。先週末に『NSB』の興行イベントで起きた、ボクからすれば海の向こうの出来事でしかないんだけど、仮にも知り合いが当事者だったとはさすがに驚いたよ」

「人聞きがバッドだぜ、剣道屋。俺だって〝寝耳にウォーター〟だったんだ。を観戦していたワケでもないんだからさ」


 先程の失言以降は皮肉も控え、居た堪れない気持ちを誤魔化すように電知と同じイカスミソースのパスタを注文していた寅之助も、沙門が巻き込まれてしまった公聴会と、その発端となったテロ事件について、周囲まわりの反応を探るような声で言及した。

 キリサメのプロデビュー戦でもじょうわたマッチの舎弟たちが乱入騒ぎを起こしたばかりであるが、『NSB』の興行イベント中に発生した事件ものつるぎきょうの暴走など比較にならず、過去これまでの格闘技史を紐解いても最悪としか表しようのない大惨事となっている。

 ドーピング汚染に匹敵するほど『NSB』というMMA団体の信頼を傷付け兼ねないテロ事件であり、寅之助が何気なく口にした「敵は根絶やし」という一言に沙門が過剰反応してしまった理由とも言い換えられるだろう。


日本こっちのニュースじゃどこも拾ってないし、ボクだってネットで調べた程度しか知らないんだけど、MMAの試合中に起きた事件の公聴会だから、開催先ネバダ体育委員会アスレチックコミッションが取り仕切るんだっけ? ……付き合わされる空手屋も大変だね。『ウォースパイト運動』まで絡んだ事件だったし、デタラメな規模で参考人を掻き集めるのも仕方ないけどさ」

「不勉強でお恥ずかしいのですが、僕は体育委員会アスレチックコミッションがそもそも理解わからなくて。『天叢雲アメノムラクモ』の周辺ですと、『MMA日本協会』のような組織ではないかと想像していますが……」

「格闘技大会コンテストがクリーンに開催されているかをウォッチングする役目だから、アマカザリの解釈で大まかにはビンゴだと思うぜ。任意団体の『MMA日本協会』より規模も権限もずっとワイドでストロングな行政機関だし、俺なんか裁判所に引っ立てられた気分だよ」


 体育委員会アスレチックコミッションとは、アメリカ合衆国にいて各州に設置された格闘技興行イベントの統括組織だ。沙門も言及した通り、競技団体の運営を左右するほどの権限が備わった行政機関である。

 テロの舞台となったMMA興行イベントは、ネバダ州ラスベガスで開催されている。この場合は同州ネバダ体育委員会アスレチックコミッションが公聴会を実施し、事件に至った経緯や実態を調査した上で『NSB』に然るべき裁定を下すわけだ。

 今回の公聴会は事件の真相究明と再発防止が大目的となるだろう。

 主犯格が『くうかん』のニューヨーク支部道場に所属する空手家でなかったなら、参考人招致リストに教来石沙門シャモン・キョウライシの名前が載ることもなかったはずである。

 沙門はアメリカに〝武道留学〟している間、同支部を拠点にしていた。事件の中心人物たちとの関わり合いも体育委員会アスレチックコミッションは既に把握しており、の有無を精査する為の意見聴取であるという。

 沙門自身に罰則を科すことが目的の公聴会ではない為、テレビ電話やウェブカメラによるオンライン参加を希望したのだが、という〝立場〟もあって弁護士を介した交渉は実を結ばず、とうとう現地ネバダまで赴くことになってしまった次第である。


「陰口みたいで自分の気持ちもダウンしちまうけど、『天叢雲アメノムラクモ』の樋口代表は、ザマァないって大喜びだろ? 手を叩きながら爆笑する顔が目に浮かぶようだぜ」

「僕もこの目で見たわけではないのですが、……岳氏と麦泉氏がをしていたのは事実です。特に麦泉氏の溜め息は気の毒になるくらい大きくて……」

「仮にもトップがを晒していたら、味方はワープスピードで減っていくモンだけどな。何しろ試合中に起こったテロだ。現役バリバリの岳さんにとっちゃ他人事ではないし、ウチの親父も『岳に何かあったら樋口をブチのめす』ってヒートしてるよ」

「いつも疑問なのですけど、沙門氏の御父上は僕の養父ちちの何なんですか……」


 二つの意味で眉根を寄せつつ、キリサメは首を傾げてみせた。

 一つの事実として、彼が所属する『天叢雲アメノムラクモ』の団体代表――樋口郁郎は日米合同大会コンデ・コマ・パスコアを共催する業務提携先にも関わらず、『NSB』にくらい敵対心を燃えたぎらせている。友情や絆といった美辞麗句を並べながらにこやかに握手を交わしておいて、机の下では脛に蹴りを見舞うような状態なのだ。

 『ウォースパイト運動』が全世界で過激化する事態を懸念し、共催相手の危機管理能力を確認するべく『NSB』が興行イベントの臨時視察を申し入れた際にも〝内政干渉〟とばかりに不快感を露にしている。

 その『NSB』が試合場オクタゴンへの不法侵入者を遮断シャットアウトできなかった事実は、樋口にとって何よりも痛快に感じられたのであろう。

 だが、『天叢雲アメノムラクモ』にとっても笑い事ではない。『NSB』はテロ対策が不可能なほど組織として脆弱と結論付けられ、本拠地ネバダ体育委員会アスレチックコミッションから興行イベント開催許可を取り消された場合、同団体を規範とする世界中のMMA団体が連鎖的に活動停止に追い込まれ兼ねないのだ。

 この公聴会こそが総合格闘技MMAの行く末を占う正念場となるのかも知れない――格闘技関連のネットニュースでは危機的状況が報じられており、きょういし沙門も参考人招致を拒否できない状況に追い込まれていた。

 あらゆる格闘技術を有効と認める競技形態が災いし、黎明期のMMAは〝格闘競技スポーツ〟として認識されず、暴力性を助長する蛮行といった偏見に晒された挙げ句、体育委員会アスレチックコミッションから法規制を受けた州もあった。先週末の乱入騒ぎによって善くない形で注目を集めたニューヨークでは、二〇一四年六月現在もMMAを州法で禁じているのだ。

 公聴会の結果次第ではネバダ州の体育委員会アスレチックコミッションに追従する危険性おそれがあった。『NSB』がテロの発生確率を高める厄災わざわいの種と判断されてしまったなら、MMAのみならず全ての格闘技興行イベントに開催中止が通達されることであろう。

 『NSB』も他の格闘技団体も、アメリカ社会に組み込まれた歯車の一つに過ぎない。行政機関の命令には逆らえず、裁定を無視して興行イベントを開催しようものなら違法とされてしまうのだった。

 アメリカ以外に目を向けると、タイやノルウェー、更にはフランスでもMMAに法規制を掛けている。〝格闘技王国〟と名高く、数々の有力選手を輩出してきた欧州ヨーロッパのオランダでさえ、現在は格闘技興行イベントの開催が不可能に近い状況となっていた。

 空手家である沙門にとってオランダの情勢は酷く肌触りが生々しい。同国は日本から伝えられた直接打撃制フルコンタクト空手が広く普及しており、これを基盤として『オランダ式キックボクシング』も発展していったのだが、首都アムステルダムの市長が三年前に格闘技興行イベントの開催を全面規制する法案を提出して以来、その風潮が国内各都市に伝播してしまった。

 格闘家や格闘技関係者による犯罪の多発を背景とした措置である。『格闘技の聖家族』と畏敬されるオムロープバーン家も撤回を求めてアムステルダム市長やオランダ政府に働きかけてはいるものの、法律を盾にせずとも各都市が開催申請を承認しなければ、そこで〝格闘技王国〟の名折れともたとえるべき事態に陥ってしまうわけだ。

 『九・一一』――同時多発テロを一三年前に経験したアメリカである。テロ対策に過敏となってしまうのはやむを得ないのだが、体育委員会アスレチックコミッションが『NSB』の活動を著しく制限する命令を発した場合、黎明期のMMAを飛び越えてオランダの再現となり兼ねなかった。

 ましてや『NSB』は世界のMMAを牽引する旗頭である。競技の在り方そのものに否定的な国が存在する中でくだんの公聴会が国際社会全体に与える影響は計り知れない。


「当事者の空手屋キミと違って野次馬ボクらは〝ケージ〟の内側からちょっとずつ零れてくる情報ネタを拾うくらいしか出来ないし、ボンヤリとしていて全体像も掴めないんだけどさ、結局、『くうかん』が裏で糸を引いてたってコトで良いのかい?」

「おれが読んだネットニュースでも空手屋おめーされた連中がバカをやらかしたって書いてあったぜ。寅の言った通り、きょういし沙門っつう名前が黒幕扱いでな」

「そんなワケないだろ。風説の流布をやりやがった連中には近い内に裁判所からコールが行くぜ。俺のフレンドは試合をクラッシュだよ。正反対にされちまってらァ」

「そして、日本では事件自体がニュースにならないから、実態から掛け離れた誤解がまるで事実のように浸透してしまっている――そういうコトですか」

「エブリバディがアマカザリみたいなリテラシーの持ち主だったら、世の中、もっと呼吸し易いのにな。『NSB』で偉大なトライを続ける友人に代わって礼を言わせてくれ」


 両手両足の指を全て用いても数えられないほどの乱入者が金網をよじ登ったのは、る試合の途中であった。


「……自分が所属する団体の代表を例にしなくてはならないのが心苦しいのですが、どのような事情があったとしても、テロを肯定するようなことだけはあってはならないはず。沙門氏が出席する公聴会も、そこが焦点なのでは?」

「バカをやらかしてくれやがった連中――というか、……〝笛吹き仲間〟に間違った成功体験を与えるようなジャッジになるのが最悪のシナリオさ。体育委員会アスレチックコミッションもそこは理解わかっているだろうし、だからこそ難しいケースなんだよな……」

「テロ発生の危険性を理由にしてMMAの活動に何らかの制限を設けたら、それ自体がテロの成功と変わらないでしょうしね」

「だからといってからテロが起こるのを防げなかった『NSB』に対してアクションを起こさないワケにもいかないってな。体育委員会アスレチックコミッションがどう考えているのか、公聴会でサーチを入れるつもりさ。わざわざネバダくんだりまでトリップするんだから、タダじゃスリップしてやらねぇよ」


 キリサメが生まれ育ったペルー国内では長らく〝テロとの戦い〟が続いており、昨年に発生した大規模反政府デモ『七月の動乱』も国家転覆を目論む武装組織が裏で糸を引き、民間人に過ぎないデモ隊の手に銃火器が渡っていた。

 彼が実母の胎内はらのなかで〝ヒトのカタチ〟となりつつある頃、実父が巻き込まれた『日本大使公邸人質占拠事件』もペルーでは〝テロとの戦い〟の一つとして取り扱われている。犯人グループの殲滅に成功した政府は、を〝テロへの勝利〟として国内外に喧伝し、カラシニコフ銃を携えた救出部隊が邸内へ突入した四月二二日も記念日に制定されている。

 銃声や爆発音が子守唄の代わりであり、〝身内〟と呼ぶべき人たちをテロリストに奪われたキリサメだけにテロの成否を占う公聴会は、重要参考人と目された沙門に匹敵するほど深刻に考えているわけだ。


「ブチ壊された試合もデリケートなモノだったしな。空手屋の友達ダチ試合場オクタゴンに入ったところをわざわざ狙いやがったとしか思えねぇ。その根性からして気に入らねぇよ」


 憤然と鼻を鳴らした電知に、キリサメと沙門は揃って首を頷かせた。分かり易い反応リアクションこそ控えたものの、幼馴染みの指摘した要因が問題を更に大きくしたことは、寅之助も断片的な情報から把握している。


「……社会に与える影響が大きくなればなるほどテロリストの思うツボだからな。電知が睨んだ通り、無差別テロじゃなくを標的に選んだのは間違いないはずだよ」


 乱入者たちが〝ケージ〟を飛び越えたとき、八角形の試合場オクタゴン好敵手ライバルと拳を交えていた沙門の〝友人〟とは、彼自身から以前に教わったルワンダ出身うまれの選手であろうとキリサメは察していた。

 名前はシロッコ・T・ンセンギマナ――MMA用の義足を装着して『NSB』に出場する男である。

 ハンデの有無に関わらず全ての人々が一緒になってスポーツに興じる土壌がアメリカという国家くにでは育っており、その精神はイズリアル・モニワ体制の『NSB』をも満たしている。乱入者によって〝ケージ〟が引き裂かれてしまったその一戦は、〝パラスポーツとしてのMMA〟を象徴するものであった為、一部の人権団体は海を渡って『くうかん』本部道場に押し掛け、応対に当たった最高師範――沙門の実父ちちおやに対して抗議と呼ぶには余りにも不穏当な言葉を浴びせていた。


「そりゃ『くうかん』の門下生がアクシデントの火種になったのは言い逃れしないぜ? 留学中、ニューヨーク支部にステイしていたことも乱入騒ぎの張本人たちと一緒にトレーニングしたこともな。だけど、その事実だけでベストフレンドみたいにカテゴライズされるのは迷惑行為をペネトレイトして名誉へのダイレクトアタックだぜ」


 電知や寅之助から顔を逸らすようにして窓の向こうへと目を転じた沙門は、レストランへ入店はいる前よりも色が濃くなったように感じられる青空そら夏雲くもに向かって、何ともたとがたい溜め息を一つ零した。


「おまけにマインドコントロール? 他人ひとから恨みをバルク買いするような俺だけどな、フレンドの大事な試合にトラブルをスローイングするほど腐っちゃいないつもりさ」


 沙門の横顔をキリサメの双眸が捉え続けている。その真っ直ぐな眼差しに込められた意味を察していればこそ、沙門は視線を交わすことを躊躇ためらったのだ。


「実際の関わり合いは僕には分かりませんが、ニューヨーク支部の方々がテロ事件を起こしたのは言い逃れできない事実。影響を与えたと疑われている状況なら、僕だって沙門氏と同じように交流を否定したと思います。『天叢雲アメノムラクモ』にも迷惑を掛けられません」

「……ね? サメちゃんってば、すっかり常識人になっちゃってつまんないでしょ?」

「まさしく常識的な判断だよ、寅之助。現在いまの沙門氏は『くうかん』の組織改革を推し進める立場。それも恨みを買うことさえ恐れない強硬路線だ。反対派はきっと暴力ちからに訴えるテロ行為に紐付けてくる。『きょういし沙門はテロリズムを広めている』なんて吹聴されたら、これまでの取り組みまでもが水泡に帰すはずだよ」


 キリサメも指摘した通り、との関わりは、現体制が覆されることで古くからの権益が損なわれる人々にとって格好の攻撃材料である。醜聞スキャンダルという一個人の問題とは比べ物にならない〝爆弾〟を改革反対派は手ぐすねを引いて待っていたはずだ。

 だからこそ、親しく交わった人間も友情ごと切り捨てなくてはならなかった。そして、はキリサメから距離を置いた理由とも重なっている。

 現在いまでこそ〝ゲームチェンジャー〟などと持てはやされている『スーパイ・サーキット』であるが、異種格闘技戦の時代から数多のプロレスラーと格闘家が心血を注いできた闘魂のリングを大破壊でけがしたのは紛れもない事実なのだ。

 からぬ意味でMMAの在り方を根底から覆す可能性は決して低くはない。今回はじょうわたの悪運と打たれ強さに救われたものの、想定し得る〝最悪の事態〟が起きた瞬間とき、キリサメとの友人関係は同門の空手家によるテロ事件を上回る〝爆弾〟になるのだった。

 ただでさえ『天叢雲アメノムラクモ』の新人選手ルーキーは反則負けという汚点を残しており、大勝負タイトルマッチの場で対戦相手――電知が所属する地下格闘技アンダーグラウンド団体の代表である――の片目から光を奪った『ひきアイガイオン』を想い出さざるを得ないのだ。

 だからこそ、意図的に接触を断っていた――そのことに罪悪感を抱いている沙門はキリサメの一言々々が避けられたことに対する抗議のように聞こえてしまうのである。

 皮肉家の寅之助とは違って、キリサメは弁を弄して他者ひとを揶揄することがそもそも得意ではない。最初から悪感情など込めていないことは沙門にも理解わかっていたが、双方の間に生じた溝を感じ取っていないとも思えなかった。

 先程から横顔に突き刺さっているのは、極めて難しい立場に置かれた沙門を案じる眼差しである。自分がと悟り、その理由にまで理解が及んでいなければ、二つの瞳を憐憫の情で満たすことなど出来まい。

 人との繋がりを何よりも大切にする沙門の姿は、キリサメも初めて遭遇した日から目の当たりにしている。

 改革反対派が差し向けてきた刺客を支部道場の門下生と看破した沙門は、目出し帽で顔を隠した一人々々の名前を順番に言い当てた上、身のこなしの特徴まで正確に把握していたのである。〝武道留学〟の間、寝食を共にしたニューヨーク支部の空手家たちとも同じように接していたことは想像にかたくなかった。

 『くうかん』空手と、これを学ぶ全ての仲間たちへの愛で溢れていればこそ、その将来を壊してしまう理不尽な体罰や支配的な上下関係の根絶に命を懸けているのだ。


「あっさり往復ビンタを喰らう当たり、空手屋は〝サバキ〟よりも〝組織内政治〟のほうがお得意みたいだからね。自分が不利益を被ると判った途端、人間関係だって見直すよ。国際交流を屁とも思わない〝損切り〟の鋭さはボクも見習いたいな」

「レディからのプレゼントは何だって受け取るのがジェントルマンだよ、剣道屋。ライバルとのラストマッチを台無しにされちまった友人が心配だから、七面倒臭い公聴会にも出掛けるんだぜ? 薄情者みたいに言われるのはユニークじゃないな」


 『八雲道場』に身辺警護ボディーガードとして雇われている寅之助も、キリサメと沙門の間に開いてしまった穏やかならざる距離に勘付いているようだ。『くうかん』の内部なかで起こった断絶にかこつけて、キリサメとの交流を切り捨てるべき損害リスクしたことを嘲笑ったのである。

 これに対して沙門当人は見苦しいほど自分が友情に厚いことを強調している。尤も、これは本気の自己弁護などではなく、先に発していた薄情者の一言で面罵して欲しいというキリサメへの目配せであった。


「沙門氏が薄情でないことは理解わかっているつもりです。寅之助の代わりにりくぜんたかで警備を務めてくださったことが好例ですが、例えば格闘技の試合は対戦相手とのトークを楽しむモノといった助言アドバイスは、知識も経験も足りない僕には大きな手掛かりですよ」

「……オーバードーズな褒め殺しは、かえって厭味に聞こえるモンだぜ、アマカザリ……」


 愛想の良い表情かおの下に秘めた罪悪感は、これを抱く相手から口汚く痛罵されて初めて根が断たれるのだが、その可能性を気遣わしい一言で否定されるのは人格を貶める声よりも遥かに心を抉り、何にも勝る残酷な仕打ちであろうと、さしもの沙門も苦笑いしか浮かべられなかった。

 愛する『くうかん』から根性論といった『昭和』の悪習を取り除かんとする大望を掲げ、これを果たす為ならば我が身を生け贄の如く差し出すことさえ逡巡しない沙門に格闘家としての落差を感じたキリサメは、初陣プロデビューからぬ影響が及ぶほど悶え苦しんだのである。

 『天叢雲アメノムラクモ』の新人選手ルーキーを反則負けにまで追い込んだ混乱を思えば、互いの初陣プロデビューを経て逆転したその構図は、皮肉の一言でしか表しようがなかった。

 あるいは格差社会の最下層で生き延びる為に〝暴力〟を振るい続けてきたキリサメ・アマカザリは、血と罪にけがれた自分には如何なる理由があろうとも他者ひとを罰することなど出来ない――と、思い詰めているのかも知れない。


「察しと聞き分けがシャープになるのと、……変な気遣いのテクニシャンは別問題だぜ。アマカザリの趣味とも違うだろうけど、ときにはストレートに文句をシュートするのもスカッとするもんだぜ」


 後ろめたい気持ちに耐え兼ねた沙門は、前後の脈絡も無視して「薄情者」の一言を引き出そうとしたが、それすらもキリサメは真摯な表情かおで受け止めるのみであった。

 洋の東西に関わらず、己が身を置くで起こる〝全て〟を見つめ、心に刻み込む覚悟を決めたのであろう。依然としてまぶたは半ばまで閉ざされているが、瞳の中央に宿る強い光は昨日までの沙門が知らなかったものである。

 元から賢い少年という印象は沙門も持っていた。道路は満足に舗装されず、家を建てる材料にも事欠くような貧民街スラムで生まれ育ったとは思えないほど高度な教育を受けたのであろうと、雑談の中でさえ感じ取れるのだ。

 知識や経験を余さず血肉に換えられる応用力、これを支える観察眼と学習能力も人並み外れて優れている。そうした使を今までとは違う形に切り替えた様子であった。


「ナマの感情をストレートにぶつけると沙門氏が事件のようになり兼ねませんから、理性を突き抜ける衝動も調節できるようになりたいですよ。〝気の練り方〟を学ぶことも道場に入門はいった理由の一つですし」

「俺の目にはアマカザリは十分過ぎるくらいパッションをコントロールできているように見えるぜ? お前さんにとってがわだいぜんがベストなマスターなのは間違いナシだな」


 己の心臓を捧げることになっても本望と思える使命を妨げるのであれば、人間関係すら切り捨てられる非情な判断力は確かに持っているが、きょういし沙門は物事を無感情にする機械ではなく血の通った人間である。損害リスクの計算という理屈で友人と育んだ絆を完全に割り切ることは難しく、だからこそキリサメに対しても罪悪感を抱え続けていたのだ。

 『NSB』の試合場オクタゴンを襲撃したテロの一味が強硬路線の組織改革に感化された可能性も十分に想定される為、表立って認めることは出来ないが、ニューヨーク支部の空手家とも友情で結び付いていたのであろう――が育んだ絆を前提として問い掛けてくるキリサメの眼差しに対して、沙門は自分でも驚くほど素直に頷き返していた。


「スカした顔しちゃいるが、憂さ晴らしには大暴れが効果覿面イチバンだって、下手すりゃキリサメ以上に理解わかってるよな、空手屋? おめーの風聞ウワサ聞いてるぜ。『こんごうりき』とは違う荒っぽいハナシをな」

「頭のカタい連中へのプレッシャーとしてもマストだから、ネット上で晒し物にされるのもぶっちゃけウェルカムだけどな。たまにマイホームを特定して押し掛けてくるのも居るけど、後腐れもなくクローズできるし」


 イカスミソースのパスタを一気に平らげた電知は、明らかにから力が消え失せた沙門に向かって一等明るく笑って見せた。

 携帯電話スマホを介して僅かに通話はなしたことしかなかった電知は、高い頻度で取り沙汰されるただれた醜聞スキャンダル以外に沙門の交友関係を知る由などない。

 それでも三人のやり取りに耳を澄ませていれば親友キリサメが受けた〝損切り〟という仕打ちに気付かないはずもないのだが、眉間に青筋を立てて胸倉を掴むどころか、寅之助が皮肉と共に言い捨てた〝組織内政治〟を否定することもなかった。

 〝客寄せパンダ〟を並べるかのような樋口体制の『天叢雲アメノムラクモ』を拝金主義の如く憎むなど電知は直情径行が強い。を嫌う一方で極端な視野狭窄でもなく、それ故に団体間の敵対関係を超えてキリサメと互いのことを親友と呼び合うまでに至ったのだ。

 その親友キリサメが〝空手屋〟の振る舞いに納得している以上、口を差し挟むのは筋違いと電知は弁えていた。

 幼少期の寅之助が瀬古谷の道場にける荒稽古であおあざだらけになったとき、電知は許されざる虐待として義憤を燃え上がらせている。即ち、『くうかん』から暴力的な指導を根絶せんとする沙門とは武道に対する理念も相通じるわけだ。


ホンはナンパって気分でもねぇんだろ? ストレス発散の模擬戦スパーリングなら付き合ってやらないでもねーぜ!」


 生まれ育った国家くにを超える友情さえ切り捨てなければならない苦境に立たされているのだろうとも認識している。もしも、自分の都合だけで人間関係を使い捨てる正真正銘の薄情者であったなら、電知は親友キリサメに成り代わって報復を仕掛けたことであろう。

 沙門を取り巻く事情と己の感情を全て飲み込んだ上で、電知は憂さ晴らしの相手を引き受けようと呼び掛けた。

 その電知のことを間接的ながら「カッコ良すぎる」と褒めそやした寅之助の言葉が沙門の脳裏に甦っている。彼自身は「おれはキリサメみてーにカッコ良くねーし」などと否定したが、そのような憧憬あこがれが口をいて出る気持ちを実感と共に理解できた。


「……公聴会の準備が忙し過ぎてストレスフルみたいになってたのは間違いないよ。フラストレーションのリセットは難しいけど、スピリットを引き締めるにはベストかもな」


 電知の誘いに対し、沙門は窓越しに夏の海を指差すことで返答こたえに代えた。『天叢雲アメノムラクモ』岩手興行に向けたじょうわたマッチの猛特訓に協力した際、鎌倉の砂浜にて実戦さながらの模擬戦スパーリングを行ったのだ。

 その意図を察した電知は右の握り拳と左の手のひらを打ち合わせ、「そう来なくちゃ面白くねェッ!」と店内の人々が思わず振り返ってしまうほど大きく笑った。

 沙門の正面に腰掛けるキリサメは、心を蝕む気鬱はおそらく発散しようがないとも洩らした彼の顔を静かに見つめ続けている。

 崇高な理想を胸に秘める沙門に対して表しようのない劣等感を覚え、MMA選手としての在り方に迷っていた頃からは想像できないが、を乗り越えた現在いまのキリサメは自ら能動的に国内外の格闘技事情を学び始めていた。

 ではあるものの、己の情況を明かさんとする際に平素いつもの軽やかさを忘れて鬱屈が滲んでしまう沙門の苦悶も、全く想像できないわけではなかった。

 シロッコ・T・ンセンギマナの試合に乱入し、『NSB』の活動そのものを『平和と人道に対する罪』によって糾弾した『ウォースパイト運動』の過激活動家――ベイカー・エルステッドたちは、に全員の死亡が確認されている。

 先ほど寅之助が口を滑らせ、沙門の表情かおが曇ってしまった通り、「敵は根絶やし」ということである。


現在いまが生きていたら、〝富める者〟の道楽も暴力の前にはの命のようにあっさり壊れるって笑い転げるんだろうな。馬鹿にする手拍子まで聞こえてきそうだ)


 鮮血の終焉へと至った経緯こそ異なるものの、〝戦争の音〟を子守歌の代わりにしながら母の胎内はらのなかで〝ヒトのカタチ〟に育ったキリサメは、投降した犯人テロリストが裁判の機会も与えられないまま突入部隊に銃殺された『在ペルー日本大使公邸人質占拠事件』を想い出さずにはいられなかった。

 キリサメの亡き父も人質として拘束された一二七日間の〝籠城戦〟が迎えた結末は〝テロとの戦い〟にける歴史的な勝利として国際社会に認められており、ペルー政府も盛んに称揚している。

 敵は根絶やし――誰の耳にも届かないほど小さな声で呟いた瞬間、キリサメは旧ソ連から故郷ペルーに流れ着いたカラシニコフ銃が命を砕く音を脳内あたまのなかで聞いた。



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