第四章 トライアウト

スーパイ・サーキット誕生~激化する「格闘技三國志」──日本格闘技史上最大の「叛乱」が始まる!

その1:アウフヘーベン(前編)~スーパイ・サーキット誕生・「伝説」に導かれしヒヨッコ殺陣師/義足のアメリカン拳法家、見参!パラスポーツとしての総合格闘技――やがて宿命のライバルとなる両雄(ふたり)

  一、PA SB 632 Act.1



 総合格闘技MMA――〝異種格闘〟ではなく〝総合格闘〟である。

 例えば直接打撃制フルコンタクト空手と柔道というように体系の異なる武道を修めた者同士がそれぞれの様式スタイルを維持したまま立ち合う状況は〝異種格闘〟と定義される。

 空手は立った状態での打撃をもって相手を粉砕し、寝技に持ち込むことはない。一方の柔道は現代のルールにいて打撃が認められず、投げや寝技によって勝敗が決せられる。

 互いの〝領域〟を踏み越えず、己が選んだ〝道〟の中にて相手の技を捉えるとき、初めて〝異種格闘〟が成り立つのだ。現代の柔道家による殴打や直接打撃フルコンタクトの空手家による寝技が認められた時点で、その条件を満たさなくなってしまうわけである。

 これに対して、ボクシングやムエタイといった打撃系立ち技格闘技の技術と、レスリングやブラジリアン柔術に代表される組技・寝技を併用しても「流儀を外れた邪道」とそしられない状況を〝総合格闘〟と呼ぶ。



 地上に存在する全ての格闘技の要素を取り入れ、統一されたルールのもとに技術体系の〝総合化〟を達成した様式スタイル――立ったスタンド状態から寝転んだグラウンド状態まで反則行為を除いたあらゆる攻防が解き放たれる〝総合格闘技MMA〟の黎明期は、アメリカ合衆国にける近現代の格闘技史と歩みを同じくしていた。

 〝興行イベントとしてのMMA〟は、一九八〇年にペンシルベニア州で開催された大会コンテストが先駆けと伝わっている。

 くだん大会コンテストはペンシルベニア州を拠点として継続されたものの、前例のない競技形態ということもあって物議を醸し、同州の体育委員会アスレチックコミッション――格闘技興行イベントを統括する州の行政機関からは中止要請まで受けていた。

 新しい挑戦は無理解が引き起こす数多の妨害に苦しめられるが、黎明期のMMAは文字通りに明日をも知れない状況下での活動を余儀なくされた次第である。

 試行錯誤の段階である為、当然ながらルール自体はこんにちほど整備されていないが、防具ヘッドギアの着用や体重別階級制度の採用など選手の安全性には十分に配慮していた。しかし、一九八一年三月二〇日にペンシルベニア州ジョンズタウン・カンブリア郡戦争記念アリーナで開催された一つの大会コンテストがMMAの〝道〟を挫くことになる。

 その事態は理不尽の三字をもってしか表しようがなかった。

 〝プロ〟のライセンスなど持つはずもない一般人アマチュアを試合に出場させるという危険なボクシング興行イベントで発生した死亡事故が引き金となり、法律によって禁じる『ペンシルベニア州上院法案第六三二号』が州議会へ提出されたのである。

 同じ会場ではMMAの大会コンテストも開催されたが、死亡事故の発生より一年も前なのだ。それどころか、くだんのボクシング興行イベントとは主催者も異なり、こじ付け以外で接点を見つけるほうが困難である。当然ながら、責任を追及される理由もない。

 格闘技経験のない人間をリングに押し上げる危険性リスク自体をにし、最悪の事態とて起こるべくして起こったとしか表しようのないボクシング興行イベントが新しい〝スポーツ文化〟の将来を叩き潰した恰好である。

 体育委員会アスレチックコミッションとの間に確執を抱えていたMMAがかこつけて足元を脅かされたとしか思えない筋運びであり、当時から現在に至るまで陰謀への疑念と論争が絶えなかった。

 何しろ同法案には死亡事故を引き起こしたボクシングへの規制が含まれていないのだ。

 こんにちいてさえ、かつてヘビー級のチャンピオンベルトを腰に巻いた上院議員が批判的な声明を繰り返すなどMMAとボクシングは競技間の摩擦が続いているが、は興行収入を巡る利害関係に留まらないほど根深いわけである。

 結局、『ペンシルベニア州上院法案第六三二号』は一九八三年一一月三日に至って可決承認され、同州内で活動していた黎明期のMMA大会コンテストは幕を下ろさざるを得なくなった。

 アメリカ合衆国にける総合格闘技MMAへの初めての法規制である。

 それはオリンピックという〝平和の祭典〟が創始者ピエール・ド・クーベルタンの理想から掛け離れて商業化へと舵を切るのロサンゼルス大会の前年のことでもあった。アメリカにとってプロボクシングは〝格闘技ビジネス〟の一つの象徴なのだ。

 一九八〇年代にも歴史に名を残す王者チャンピオンたちが次々と誕生し、同時期に作られたPPVペイ・パー・ビューシステムもボクシング人気に支えられて発展していった。この時代にMMAこそが〝格闘技ビジネス〟の未来を切りひらくと予想できたアメリカ人は一握りに過ぎないだろう。

 耐えがたい試練に直面しながらも新時代の〝スポーツ文化〟を目指した志が潰えなかったことは、こんにちの隆盛が証明している。今や北米アメリカ最大の規模を誇り、全世界のMMAを牽引する『NSBナチュラル・セレクション・バウト』がコロラド州デンバーで旗揚げされたのは一九九三年のこと――挫折から一〇年の歳月を経て、見果てぬ夢が大輪の花を咲かせたのだ。

 既に故人となっているが、あらゆる格闘技術が有効となる競技形態に『ミクスド・マーシャル・アーツ』という正式名称を付けたのも『NSB』誕生に携わった一人である。

 元ヘビー級王者チャンピオンの上院議員が〝地盤〟とするニューヨーク州では依然として法規制が続いているが、創設二〇年という節目を超えた『NSB』は、ネバダ州ラスベガスに本部を据えながらアメリカ全土で興行イベントを開催できるほどの組織力・資金力にまで成長していた。

 アメリカで最初のMMA大会コンテストは活動をペンシルベニア州というひとところに限定した為、州法の前に解散を余儀なくされてしまったが、『NSB』は法規制にすら屈しない〝自由〟を勝ち取ったのだ。

 アメリカスポーツ界にいて、今やプロボクシングを圧倒するまでに発展したMMAを最初に妨げたペンシルベニア州で法規制が解除されたのは二〇〇九年である。同年中には大都市フィラデルフィアで『NSB』の興行イベントが開催され、二〇〇〇〇人近くが会場を熱狂で満たしている。同州ペンシルベニアで辛酸を嘗めた先駆者たちの功績も今ではおおやけに讃えられるようになっていた。

 二〇〇〇年代半ばといえば、日本にいてMMAという〝スポーツ文化〟を初めて花開かせた『バイオスピリッツ』――即ち、『天叢雲アメノムラクモ』の前身団体が反社会的勢力ヤクザとの〝黒い交際〟を暴かれ、〝格闘技バブル〟もろとも崩壊した頃である。

 日米りょうこくのMMAは互いに影響し合いながら、肩を並べるようにして歴史を刻み続けてきた。連鎖的に沈没するほど紐づいているわけでもないというのに、年表を振り返ってみると〝暗黒時代〟としかたとえようのない試練を迎える時期さえ殆ど変わらないのだ。

 『NSB』もまた世界の規範たるから転げ落ちる危機に瀕していた。

 禁止薬物で選手の心身を改造し、文字通りの〝モンスター〟によるに作り変えんとした前代表フロスト・クラントンによって『NSB』内部でドーピングが蔓延したのだ。あろうことか、MMA団体としての信頼を失い兼ねない汚染は花形トップ選手にまで及んでいた。

 新代表に就任したイズリアル・モニワが団体内の〝浄化〟を迅速かつ徹底的に成功させていなければ、『NSB』はMMAそのものを巻き添えにして破滅したことであろう。

 奇跡の二字こそ相応しい復活劇の前後にMMAデビューを果たした義足の拳法家は、生まれ変わった『NSB』を象徴する存在であろうと、アメリカの格闘技雑誌『ゴッドハンド・ジャーナル』でも大きく取り上げていた。

 同誌ゴッドハンド・ジャーナルはドーピング汚染の実態と再起までの道程を低俗な暴露にせず誠実に取材し、異例中の異例ながらジャーナリズム公益部門にいて二〇一三年にピューリッツァー賞を獲得している。

 心身にハンデを持つ人々の機会均等を法律で約束するアメリカは、物心つく前から〝全て〟の子どもたちが共に学ぶ環境も整えられている。それはつまり、〝全て〟の選手が同じ条件のもとで運動に興じる機会も多いという意味だ。殆どの場合はパラスポーツを一緒に楽しむのだが、『NSB』では義足の拳法家と四肢が健常な選手によるが組まれていた。

 イズリアル・モニワは二年前に現在の肩書きを背負うまでアマチュア選手の育成と試合を統括する部門に属していた。更に遡るとMMA団体にける経歴キャリアはプロモーターから始まっている。選手一人々々と向き合ってきた経験があったればこそ、人間の可能性が無限大であることを揺るぎなく信じ、他団体では先例がない試合を執り行えるのだ。

 世の中で起きる全てが歪んで見える皮肉屋の中には法律を悪用した〝客寄せパンダ〟と批判する者も少なくない。一つの事実としてくだんの拳法家は『NSB』の査定試合トライアウトと一体化したリアリティ番組を経て選手契約に至ったのである。

 傲慢にも彼を〝客寄せパンダ〟と決め付けた者は、見立て自体が誤りと思い知ることになった。ドーピング汚染のしょくざいや、MMA団体にあるまじき汚点から世間の目を逸らす為の小細工という皮肉すら吹き飛ばすほど義足を〝軸〟に据えたけんは鮮烈なのだ。

 ロープの代わりに金網が張り巡らされ、八角形オクタゴンケージともたとえられる試合場に立つ姿をアフリカ大陸の太陽に重ねる者も多い。


「――ゴアァッ! グイィンッ!」


 右拳を横薙ぎに閃かせれば、ドレッドヘアーに編み上げた頭髪かみが荒々しく逆巻き、太陽にかれたアフリカの大地の如く逞しき肉体からだも、溢れんばかりの生命力を躍動させた。

 二〇一四年の科学力はサイエンスフィクションの世界には追い付いてない為、テレビやパソコンの画面を通して目にする映像ならではの〝演出〟であるが、空中を浮遊するホログラムめいたパネルでは選手に関する様々な情報が紹介されている。

 パネルは上下二層に分かれており、下段には本名フルネームや所属ジム、身長・体重といったプロフィールが表示されていた。

 『NSB』の未来を担う義足の拳法家は、その名を『シロッコ・T・ンセンギマナ』という。出身地であるルワンダの国旗も画像アイコンとして添えられている。

 上段に嵌め込まれた心電図は、ンセンギマナの左足裏がマットを擦って甲高い音を鳴らすたびに波形が大きく跳ね、好敵手ライバルと拳を交える歓喜を映していた。

 稲妻と見紛うばかりの足さばきフットワークで身を揺すりつつ、顔面を狙って立て続けに左右の拳を繰り出し、これによってンセンギマナに防御ガード対戦相手は、ボクシングの強豪と名高いプエルトリコ出身うまれである。

 くだんのパネルには『ブラボー・バルベルデ』という本名フルネームも表示されていた。

 顔面に直撃を被らないよう防御ガードに用いる腕を持ち上げると、腹部が必然的にがら空きとなる。大きく踏み込んだバルベルデは、その間隙をこじ開けるようにして直線的な一撃ストレートパンチを放ったが、対するンセンギマナの反応は稲妻を凌駕するほど早く、自身に突き込まれてきた右拳を垂直落下させた左掌でもって叩き落とした。

 無論、バルベルデも止まらない。更に深く踏み込むと、対の左拳を横薙ぎに振り抜き、右下腕による防御ガードの上からンセンギマナを弾き飛ばした。


「ジャキンッ! シャキィィィンッ!」


 力ずくで後退させられた恰好であるが、ンセンギマナにとっては腕に突き刺さった痛みさえも昂揚に換わるようであり、外から内へと半円を描く右の前回し蹴りでもってバルベルデの追撃を断ち切りながら、厚めの唇をこの上なく嬉しそうに吊り上げている。

 デジタル時計を模したホログラムを挟んで表示されるパネルは二色に分けられ、赤がバルベルデ、青がンセンギマナ――と、指貫オープン・フィンガーグローブの手首に入ったラインのいろに対応していた。

 双方とも『NSB』のルールに則り、競技用トランクスを穿いて試合に臨んでいる。

 ンセンギマナは白黒チェック柄の物を、バルベルデは夕陽が沈みゆくカリブ海を模様として刺繍した物をそれぞれ用いており、色合いからして好対照である。その一方で、剥き出しとなった上半身は筋肉の盛り上がり方にも大きな差がなく、釣り合いが取れているような印象であった。

 は数値として示された身長・体重にも表れており、『NSB』の体重別階級制度にいて二人ともヘビー級に属している。今日まで勝敗を一つずつ分け合い、続く三戦目は激闘の末に引き分けドロー判定で終わっている。あらゆる意味で実力伯仲の好敵手ライバルなのだ。


「――カリブ海のトランクス、綻び一つないのは目の錯覚ではありません。今日という日の為に新調したと聞き及んでいます。これからは故郷プエルトリコの美しき海に己の拳を捧げるという決意表明を込めているのでしょう。バルベルデ選手、『NSB』最後の闘いラストファイトです!」


 英語でもって紡がれた実況の通り、ブラボー・バルベルデはこの一戦を締め括りとしてMMAから離れ、アマチュアボクシングに転向することを発表している。

 ウィルフレド・ベニテスやヘクター・カマチョなど、プエルトリコはその腰に王者チャンピオンのベルトを巻くプロボクサーを数え切れないほど輩出する一方、アマチュアボクシングの頂点であるオリンピックではおくれを取り続けており、メダル獲得は一九八四年ロサンゼルス大会――三〇年前が最後であった。

 同競技ボクシング故郷プエルトリコに金メダルをもたらすという悲願を成し遂げる為、再来年の開催であるリオオリンピック出場を目指すというのだ。

 故郷の期待を背負って闘わんとする好敵手ライバルの決意をンセンギマナはこの場の誰よりも理解できる。

 ンセンギマナ自身、地獄という二字をもってしても表し切れない内戦を生き抜いた人間である。故郷ルワンダを真っ二つに引き裂いた国家的悲劇の終結後、シドニーで開催されたパラリンピックに祖国を代表して出場した水泳選手パラリンピアンから勇気を与えられ、その感動を今も胸に秘めながら『NSB』のマットに立っているのだ。

 だからこそ、ンセンギマナは好敵手ライバルを引き留めなかった。まさしく万感の思いを拳に握り締め、最終決戦ラストマッチに臨んだのである。MMAに未練など残さないよう今こそ完全決着をつける――それがバルベルデに対する感謝と友情の証であった。

 バルベルデの側も好敵手ライバルへの敬意で満ちている。ンセンギマナとの試合には特別ルールが適用され、義足に対する直接攻撃が一切禁じられるわけだが、今回もを即断で快諾していた。

 弱点となり得る部位など狙わず、ただ純粋に持てる限りの〝心技体〟を競いたい――溢れんばかりの尊敬を拳に乗せて撃ち合うたび八角形の試合場オクタゴン全体がはげしく軋むのだった。


「――我が全身で受け止めたブラボー・バルベルデという名の衝撃、我らを魂の兄弟にしてくれた『生命波動ティアマト』! オレの生涯に永遠の喜びとして刻み込もうッ!」


 左太腿から下が機械仕掛けの義足というンセンギマナは、八角形となるよう敷き詰められたマットをブラックゴールドのカバーに覆われたで踏み締めている。

 激しい攻防の最中に義足そのものが外れてしまう可能性を抑える為、太腿から収納するソケットは吸着型を採用し、圧縮率を高める機能も取り入れていた。

 膝に相当するつぎは高い強度を誇るチタン製であり、関節部は複雑な可動にも対応している。運動時に生じる感覚を生身と遜色のない域にまで近付けつつ、つぎ自体の損傷の原因となる負荷を解消する機能を両立させているわけだ。

 足部には生身の足を模したカバーを嵌めることが多く、ンセンギマナ自身も日常生活にいて使用しているのだが、MMAの試合に用いる物はカーボン繊維ファイバーで作られた二枚の板のみである。

 脛から踵、足先に至るまで生身と同じ輪郭シルエットを描く一枚は、弾力性と耐久性を生かし切る計算に基づいて湾曲させた物であり、〝板バネ〟とも呼称されている。荷重を運動エネルギーとして蓄積させ、反発力に変換する構造となっているのだ。

 それ故にンセンギマナが左足一本を〝軸〟に据えて前回し蹴りを放った瞬間にも、防御ガードを固めてバルベルデの猛攻ラッシュを凌ぎ、強烈な一撃で弾き飛ばされた際にも義足は悲鳴一つ上げなかったのである。

 ひざつぎに組み込まれた緩衝器ショックアブソーバーも〝板バネ〟の機能を促進していた。

 剥き出しのままではマットの損壊し、対戦相手の肌も傷付けてしまう為、直接的に地面と接するもう一枚の板は爪先が流線型のカバーで防護され、裏側も全面をゴムで覆ってあるのだが、摩擦によって滑ることがないようスポーツシューズの靴底と同様に極めて繊細な調整が施されていた。

 地面を踏み締める感覚や、そこに生じる力の作用を再現できるように板全体が少しばかり弧を描いている。も弾力性に富んでいる為、体重が掛かると形状も水平に近付いて接地し、もう一枚の〝板バネ〟と連動して負荷を制御コントロールするのだった。

 横転の危険性は言うに及ばず、下肢で定めたはずの〝軸〟にズレが生じてしまうと、重心の崩壊や攻防時の要である勢いの減殺を招くことになる。コンマ一ミリの差に勝敗を左右される競技選手アスリートにとっては、まさしく死活問題なのである。

 『ライジング・ポルカドット』――所属団体NSBが開発や選定を支援し、使用者の潜在能力ポテンシャルを完全な形で引き出すことに成功した総合格闘技MMA用の義足について、本人ンセンギマナ格闘技雑誌ゴッドハンド・ジャーナル取材インタビューでそのような呼び名を披露していた。

 二枚の〝板バネ〟は全体が紫水晶アメジストいろで塗装され、ひざつぎと連結している物の内側には赤・青・黄・黒・白という五色の水玉模様が散りばめられている。運動エネルギーを爆発させるたびにカーボン繊維ファイバーの板も伸縮する為、この意匠は地上から吹き出した色とりどりの泡が天まで昇っていく様子に見えなくもないのだ。

 それぞれの水玉模様には金の縁取りが施されている為、激しい動作うごきの中でさえ見分けられるほど輪郭も鮮明であった。

 これに由来してンセンギマナは『ライジング・ポルカドット』というを付けたわけであるが、義足と一口に言ってもソケットやひざつぎ、足部に至るまであらゆる部分が個別に作られている。現在いまではくだんの呼び方が定着してしまったものの、当然ながら本来は名称もそれぞれ異なっていた。

 意識せずとも刷り込まれてしまうほどに『ライジング・ポルカドット』がアメリカMMA界に与えた衝撃は大きかったというわけである。

 『NSB』の〝同僚〟たちも人間に新しき可能性を示す『ライジング・ポルカドット』を意識せずにはいられないのだろう。八角形オクタゴンの金網の外周まわりには先の試合を受け持つ予定の選手も足を運び、ンセンギマナの一挙手一投足をまばたきも忘れて追い掛けている。

 ベイカー・エルステッド――金髪ブロンドを短く切り揃え、肌の色と同じ真っ白なからに身を包む男性選手は、サバキ系空手の名門『くうかん』のニューヨーク支部にいて師範代を務める実力派である。

 東京に本部道場を構える『くうかん』最高師範の実子むすこにして日本最強の空手家とも謳われるきょういししゃもんは、アメリカ留学の期間中、このニューヨーク支部を拠点としていた。彼が推し進めている組織改革の理念はエルステッドに強い影響を与えた――と、格闘技雑誌ゴッドハンド・ジャーナルも報じている。

 その沙門は打撃のみで勝敗を競い合う日本の打撃系立ち技格闘技『こんごうりき』からプロデビューを果たしたのだが、技術体系に組技を含んでいるサバキ系空手は、むし総合格闘技MMAでこそ真価を発揮すると言われていた。

 その考察を体現するのがベイカー・エルステッドその人なのである。

 の名目で道場スタジオを訪ねたことがきっかけとなり、きょういししゃもんはンセンギマナとも友人関係となっている。『くうかん』の未来を担うであろう青年おとこを間に挟む恰好で、ルワンダの拳法家とニューヨークの空手家は結び付いたわけである。いずれ『NSB』で対戦することもあるのだろうと、MMAファンから注目を集めているのだった。

 尤も、現在いまのエルステッドは別の意味で好奇の眼差しに晒されていた。

 『NSB』の現行ルールでは試合着ユニフォームを自由に選ぶことは出来ず、男性選手は競技用トランクス、女性選手は競技用のウェアとショーツの組み合わせがそれぞれ指定されている。それにも関わらず、エルステッドは本来の所属先である『くうかん』の名が刺繍されたからと黒帯を用いているのだ。

 試合の見学にしては同行者も多い。誰もがエルステッドと同じ出で立ちである為、『くうかん』の門下生であろうとは察せられた。セコンドとおぼしき者は大きなドラムバッグまで提げている。

 確かに珍妙ではあったが、観客たちは言うに及ばず、金網の外周まわりを忙しそうに駆け回る運営スタッフや撮影クルーも、気早にも試合の支度を済ませてきたようにしか思っていなかった。ケージの内側へ足を踏み入れる前にはからも脱ぐのであろうと信じて疑わない。

 現在いまは取り巻きの如く『くうかん』の門下生を一〇人以上も引き連れているが、自身の試合が開始される頃にはセコンドだけが残るはずだ――武道の精神を何よりも重んじ、品行方正を貫いてきたエルステッドが無秩序に振る舞うなどと疑う理由もなかった。

 『NSB』のルールで規定された人数制限に従い、ンセンギマナの試合には三人のセコンドが付いている。先頭に立つ男性は彼をカリフォルニア州サンノゼの道場スタジオに迎えた師匠マスターであった。自らも同団体NSB試合場オクタゴンで闘った経験があり、愛弟子に送る指示も適切である。シルヴィオという名前ファーストネームからも察せられる通り、イタリアに起源ルーツを持つ拳法家であった。

 相当な童顔である為、愛弟子ンセンギマナよりも二回りは若く見えるのだが、実年齢はその反対だ。真紅に染めた頭髪かみを炎の如く逆さに立てているのは、老化に抗わんとする本人なりの気持ちの表れであるのかも知れない。

 その隣で試合を見守るフランス系の女性は、そうである。『ライジング・ポルカドット』を開発したチームの一員ひとりであり、故障などへ即応できるよう道具一式を揃えて待機している。

 もう一人はンセンギマナの親友である。サボテンを模った複雑なビーズ刺繍が施されたポンチョを纏う姿は西部劇の扮装コスプレと見えなくもないが、褐色の肌を持つその青年は実際にネイティブアメリカンの末裔なのだ。

 戸籍に登録された本名なまえとは異なるものの、普段は『シード・リング』と称している。


「何が『生命波動ティアマト』だ、何が。それって確か『かいしんイシュタロア』に出てくる設定だろう? 相手と心を通じ合わせる為のエネルギーとか何とか――こんなツッコミを入れなきゃならない相棒の気持ちを考えてくれよな」

「やたら詳しいじゃね~の。おれも弟子アイツから勧められてカミさんと一緒に一通りは観たハズだけど、さすがに細かい名前まではおぼえ切れなかったぜ」

「……アイツの相棒を務めるというのはですよ、マスター・シルヴィオ」


 愛してやまない日本のアニメシリーズの台詞を引用し、やたらと仰々しい言葉を発した親友ンセンギマナに呆れ返っている様子だが、今日まで切磋琢磨し合ってきた好敵手ライバルとの完全決着に臨む情熱おもいは、共に試合を支える師匠マスター以上に理解しているのだろう。

 自らも握り拳を作り、ベイカー・エルステッドと同じようにまばたきも忘れて金網の向こうに親友ンセンギマナ熱闘たたかいを追い掛けていた。


準備運動ウォーミングアップもそろそろ終わりとしようじゃないか、バルベルデ。お前だって自分のなかで脈打つ『生命波動ティアマト』をオレにぶちまけたいハズだ」

「お前が『あさつむぎ』で、俺は『もとひまわり』ってトコかよ? 丁度、歳の差も二人と同じくらいだもんな。第一部最終決戦のように魂の競演ランデブーシャ込むか!」

「……ん? んん? んんん? 待ってくれ、何だよ、今の会話? ンセンギマナ、さてはバルベルデにまで『イシュタロア』を押し付けたんじゃないだろうな? 布教活動の類いは『NSB』のルールで禁止されているんじゃ――」

「――キュイィィィンッ! ジャドゴォンッ!」


 八角形オクタゴンケージの中央にて相対する両選手ふたりの頭上へと放り投げられたシード・リングの言葉ツッコミは、ンセンギマナの右足によって文字通りに踏み潰された。

 左の義足ライジング・ポルカドットを〝軸〟に据えて高々と持ち上げた右足を勢いよく垂直落下させ、轟音が金網を突き抜けるほど強くマットを蹴ったのだ。

 尤も、直接的にシード・リングの言葉ツッコミを断ち切ったのは、生身の足で打ち鳴らした音ではなく、ンセンギマナ本人の口から発せられたである。

 試合に臨む精神状態を高く維持する為か、攻防を組み立てる拍子テンポ計測はかる為か、開戦以来、義足の可動うごきに至るまで自らの口で身のこなしの一つ一つに効果音をのだ。

 周囲まわりで聴いていると相当に喧しく、マットを踏み付ける行為と併せて悪質な威嚇と判定されてしまいそうだが、対戦相手ブラボー・バルベルデは親指を垂直に立てながら愉しげに微笑み、双方の様子を交互に見比べたレフェリーも「またか」と言いたげな表情かおで肩を竦めるばかりである。

 地面を蹴り付けるという動作うごきも日本のアニメシリーズ――『かいしんイシュタロア』の再現なのだ。

 同作は主要な登場人物が光と闇の軍勢に分かれ、ヘッドフォン型の神器を媒介として異世界の神々と同化し、甲冑や武器を具現化して戦うという設定である。

 女神イシュタルの力を『神槍ダイダロス』に換え、光の軍勢を率いる立場でありながら、闇の主神ドゥムジに選ばれた幼馴染みの『もとひまわり』を慕い、二人で手を取り合って両軍の調和を成し遂げたのが主人公の『あさつむぎ』――つまり、ンセンギマナは心から敬愛する好敵手ライバルとの関係を『かいしんイシュタロア』の物語に重ねているわけだ。

 最後の勝利者が高笑いするのではなく、相互理解を主題テーマに据えたアニメシリーズだが、対話を生温い手段と切り捨て、光と闇の調和へ至る為に血みどろの闘争を繰り広げるのが特徴であった。

 必然的に戦闘描写が作品全体の要となるのだが、『かいしんイシュタロア』は世界各国の様々なダンスをアクション演出に取り入れることで個性を確立させていた。

 人型機動兵器ヒューマノイド・ロボットのような輪郭シルエットを描く黄金の甲冑を纏う『あさつむぎ』は、中学校のフラダンス部に所属している。その設定にちなんで日本にけるフラダンスの聖地――宮崎県が同作の主な舞台となっている。

 高校生ながら日本舞踊の次期家元と認められた『もとひまわり』も人型機動兵器ヒューマノイド・ロボットの如き甲冑で全身を包み、その上から何枚もの羽衣を絡め、輪状の極大な投擲武器『戦輪チャクラム』をもってして闇の軍勢を率いている。

 各舞踊の身のこなしを戦闘たたかいに生かしており、年齢の低い視聴者こどもたちが泣き叫ぶほど惨たらしい仲間割れでさえ情熱的な社交ダンスのように魅せてしまうのだ。この趣向は主人公以外の登場人物たちにも共通していた。

 『乙女戦士』たちが大地を蹴り付けるたび蒼穹そらを貫く虹の如き光の帯が辺り一面へ幾筋も拡散され、世界の全てを照らしていく――この演出が戦闘描写の独自性を一等強調し、シリーズを重ねる中で〝新時代の芸術〟と評されるようになったのだ。

 この眩いばかりの現象を劇中では『生命波動ティアマト』と仰々しく呼称している。神の甲冑でも防げないほど深く浸透し、内的宇宙こころのなかまで伝達つたう光の帯が魂そのものを震わせ、相互理解を促すという設定であった。

 つまるところ、ンセンギマナは『NSB』の試合場オクタゴンで『生命波動ティアマト』が生み出される動作アクションを再現した次第である。

 改めてつまびらかとするまでもなく、光の帯が飛び散るような現象ことは〝現実リアル〟の試合場オクタゴンでは有り得ない。ンセンギマナの右足が振り下ろされた一点を中心として、青く輝く波紋が八角形に敷き詰められたマットに広がっていくのみであった。

 波紋これはプロジェクションマッピングであって、超能力の類いではない。

 〝現実リアル〟と〝虚構フィクション〟が〝世界〟の境い目を超えることは不可能であるが、心を通い合わせた好敵手ライバルの間にいては余人には感じ取ることの叶わない波動が伝達つたい、限界を突破するほどに互いを昂揚させるのであろう。

 対戦相手ブラボー・バルベルデも不可視の波動に対する呼応を鋭い踏み込みによって示し、外から内へと右脚を振り回す中段蹴りミドルキックでンセンギマナの胴を抉らんと試みた。

 その腰に王者チャンピオンのベルトを巻くプロボクサーを幾人も輩出してきたプエルトリコの出身うまれらしくバルベルデもボクシングを主軸として攻防を組み立てているが、反則行為を除く全て技術テクニックが解き放たれる総合格闘技MMAの選手なのだ。

 オランダ式キックボクシングの名門ジム――『バーン・アカデミア』のアムステルダム本部まで遠征し、練習トレーニングを重ねた蹴り技は切れ味も相応に鋭く、踏み込みも深かった。脇腹を打ち据えて肺を揺さぶろうというのではなく、強引に押し込んだ衝撃で腰の可動域まで貫かんとする意図がある様子だ。

 相手の回避動作を妨げる小技の一つも経由しない大振りの中段蹴りミドルキックであったが、好敵手ライバルとして肩を並べる域に達していない選手であったなら、満足に反応も出来ないまま直撃を被ったことであろう。

 対するシロッコ・T・ンセンギマナは、のちの格闘技史にいて『しん』とも呼ばれる東洋の聖獣の一角――『げん』になぞらえられていた。

 根を張るかの如く右の足と左の義足ライジング・ポルカドットでもってマットを強く踏み締めたンセンギマナは、卓越した防御技術を駆使して己に迫る打撃の一切を受け流すのだ。


「――ズドッシャアアアァァァッ!」


 バルベルデの中段蹴りミドルキックも下腕で受け止め、弾き返すだけではなかった。好敵手ライバルの右足から防御ガードに使った左腕へと伝達つたうう力の作用を巧みに反らし、そこに生じる勢いをも利用して相手の体勢を自由自在に操作コントロールしてしまうのである。

 磨き上げた刃物を突き入れようと試みても、切っ先が滑って小さな刺し傷一つ負わせられない甲羅ともたとえられる防御技術であった。それ故に『げん』――即ち、蛇の尾を持つ聖なる亀に重ねられたのだ。

 『げん』は水を司る神でもある。くだんの防御技術で攻撃を受け流された瞬間、を仕掛けた側が緩やかながらも抗いがたい水流に呑み込まれるような恰好で自由を失い、気付いたときには着地点と想定していなかった位置へ強制的に移されていた。

 そこに追い掛けてくるのは、横薙ぎというより円軌道を描く左の鉄拳――水流を切り裂いて追尾してきた蛇が鋭い牙を剥くわけだ。

 バルベルデもまた『げん』が起こした水流に呑まれていた。時計盤にたとえるならば六時から三時の位置へと無防備のまま押し流され、中央に立つンセンギマナの左拳は、九時の位置から半円を描くような恰好で好敵手ライバルを追い掛けたのである。


「――『しんそうダイダロス』ッ! 我が万感の思いを乗せて貫けェッ!」


 腕の表面に血管が浮き上がるほど硬く握り締めた拳を轟々と振り回すンセンギマナが高らかに吼えたのは、『あさつむぎ』が神器ヘッドフォンを媒介として自身のなかに降臨させた光の女神『イシュタル』の魔力をもって創り出した槍のなまえである。

 本来は光の女神イシュタルの象徴である『神槍ダイダロス』を『光の乙女戦士イシュタロア』の中で唯一ただひとり、再現できたのが『あさつむぎ』なのだ――と、ンセンギマナから長時間に亘って熱弁されたことを想い出し、二人のセコンドを苦笑いさせるくらい大きな溜め息を零したシード・リングは、相棒の隣にアニメの主人公が立っているように思えてきた。

 無論、プロジェクションマッピングではなく追憶に基づいて錯覚である。

 身を入れて視聴したおぼえはなかったが、相棒に付き合わされてテレビ画面を眺めている間に登場人物の動作アクションは自然とあたまに刷り込まれるものだ。ンセンギマナによる円軌道の打撃と連携する恰好で『神槍ダイダロス』を繰り出す完全武装フルアーマーの『あさつむぎ』が幻像まぼろしの如く視界に浮かび上がり、シード・リングは比喩でなく本当に頭を抱えてしまった。


「――私の熱情おもいに応えて、『しんそうダイダロス』ッ! 血反吐で紡いだ絆がどうしても響かないのならッ! 私とあなたの心臓を串刺しにして無理心中しようッ!」


 相棒が模倣した『かいしんイシュタロア』の名台詞も、『あさつむぎ』に命を吹き込んださら・バロッサの声で甦ってきた。


「ゴッオォォォォォォンッ!」


 傍目には奇行としか見えない一方、〝神の槍〟に見立てられたンセンギマナの拳は虚飾などではない。一つの事実として仰々しい咆哮に相応しいだけの威力を秘めている。

 すぐさま両腕で防御ガードを固めた為、決定打クリティカルヒットを被ることだけは免れたものの、バルベルデには肩から先を吹き飛ばされるような衝撃が襲い掛かったことであろう。ンセンギマナの拳が突き刺さった一点を中心として、大きな光の輪が鋭く尖った波形に変化しつつ広がっていったのだ。

 ンセンギマナの右足が振り下ろされた直後にマットの隅々まで広がっていった波紋と同じプロジェクションマッピングである。光の輪による〝演出〟自体はここに至る打撃の応酬でも施されてきたが、『神槍ダイダロス』の如き一撃に投射されたものは最も大きく、波形の尖り方も尋常ではない。

 中心部に表示された数値がその証明であろう。肉つ音の重さと驚愕混じりの大歓声からも察せられる通り、半円を描く打撃の威力は六〇〇キロを超えていた。

 接触の瞬間にバルベルデは僅かにかわし、衝撃を巧みに逃がしたのだが、このような防御技術を備えていなければ、左右まとめて腕の骨が砕けていたはずである。

 『NSB』の試合では指貫オープン・フィンガーグローブや競技用トランクスに内蔵したICチップや、特殊カメラを併用することで打撃力をリアルタイムで測定している。計測したデータに基づいて光の輪による〝演出〟に様々な調節を施し、算出された数値をその中心部に表示するシステムを採用しているのだ。

 八角形の試合場オクタゴンを時計盤に見立て、バルベルデの身を六時から三時の位置へと押し流した時点で、ンセンギマナは左半身を開く体勢で腰を大きく捻り込んでいる。これによって限界まで引き絞られた腰と左腕のバネを一気に解き放った次第である。

 即ち、己が最大の攻撃力を発揮し得る位置まで相手を強制的に移動させるわけだ。

 『げん』が起こした水流とは、攻防一体の円運動である。ンセンギマナが極めた拳法の神髄と初めて立ち合う者は、己の身に働いた力の作用を断片すら掴めないまま円軌道を描く打撃によって粉砕されることであろう。

 円運動によって試合運びを支配する拳法はプロデビュー前のンセンギマナが出演したリアリティ番組でも大反響を呼び、これを完璧に使いこなす戦闘能力への評価が『NSB』との正式な契約に結び付いたことは間違いない。

 しかしながら、バルベルデは通算四度目の対戦だ。渦を巻く水流に抗えなかった時点で蛇の牙が追い掛けてくることも承知している。一瞬で体勢を立て直し、骨をも軋ませる破壊力を左右の腕に分散するという防御ガードにも成功した。

 試合開始直後の攻防にいてバルベルデが左右の拳を立て続けに打ち込み、その場にンセンギマナを釘付けとしたのも、腰の可動を阻み得る部位を狙って中段蹴りミドルキックを繰り出したのも、渦潮の如き円運動を起こさせない工夫であった。

 ンセンギマナの右拳も半円を描いて襲い掛かったが、バルベルデは自身の左拳を垂直に振り下ろすことで追撃これを叩き落とし、すぐさま反攻に転じた。迎撃に用いたのと同じ側の拳でもって腹部を抉らんと試みたのである。


「ピキィィィィンッ! ブォゥンッ!」


 まさしく以心伝心の関係と呼ぶべきであろう。最愛の好敵手ライバルであれば、円軌道の打撃を凌いだのちに如何なる反撃を組み立てるのか、ンセンギマナの側も読み切っている。弾かれた側の拳を即座に引き戻し、バルベルデと全く同じ攻撃ボディーブローを繰り出した。

 必然的に両選手ふたりの拳は正面からぶつかり合い、手首から肩まで稲妻を彷彿とさせるプロジェクションマッピングが駆け抜けていった。

 拳から伝達つたって貫通していく威力の表現であろうか、指貫オープン・フィンガーグローブに入ったラインに対応するいろの稲妻であった。


「いつか言おうと思ってたんだがよ、ンセンギマナは『つむぎ』より『ひまわり』のほうが役として合ってるんじゃねぇかな。お前の拳法と重なるのは直球猛進の『神槍ダイダロス』よりも宇宙そらに星屑の輪舞ロンドを生み出すハーヴェストムーン――『極大戦輪チャクラム』のような気がするぜ」

「案ずるな。同じツッコミはお世話になっている神父様にも何回か頂戴している」


 互いの拳を軋ませる交錯であったが、それで怯むようであれば『NSB』の試合場オクタゴンには立つことなど出来はしない。呼吸いきを合わせるかのようにして垂直に跳ね飛ぶと、両選手ふたりは後ろ回し蹴りでもって同時に脇腹を抉り合った。


「フォンッ! ブウォォォンンンッ!」


 マットに落ちた二つの影も片足を勢いよく振り回していたが、その軌道を光の螺旋が追い掛けた。描画された形状からして、吹きすさぶ旋風を表したものであろう。

 紫水晶アメジストいろの残像をくうへ焼き付けるかのように左の義足ライジング・ポルカドットでもって高く跳ね、対の右足から繰り出した後ろ回し蹴りは全円に近い軌道を描いており、全身のバネを引き絞った技の威力も相手バルベルデを凌いでいた。

 僅かに競り負けてしまったバルベルデではあるものの、空中で大きく姿勢を崩すようなこともなく巧みに着地し、呼吸を整えつつ好敵手ライバルに向き直った。これはンセンギマナも同様であり、追撃に逸ることなく落ち着いて相手バルベルデの様子を窺っている。

 言葉では表し切れない想いを『神威光エネルギー』と換えて『神槍ダイダロス』の穂先に漲らせ、これを伝えたい相手の胸や腹へ物理的に突き立てる『かいしんイシュタロア』の主人公つむぎに立ち居振る舞いこそなり切ってはいながらも、思考あたまと判断力の両方がMMA選手として最良の状態を維持しているわけだ。


「……〝次〟へ行く前に謝るぜ、ンセンギマナ。ツッコミそのものがだったってな。どっちが『つむぎ』で、どっちが『ひまわり』か、そんなのは関係ねぇ。今、は魂のひと欠片かけらに至るまで『かいしんイシュタロア』を感じている。『輪になって踊ろう』っていう『つむぎ』のキメ台詞の意味を噛み締めている。……モーレツに燃えているッ!」

「おうとも、ブラボーッ! オレたちは今! 初めて『つむぎ』と『ひまわりお姉様』の競演ランデブーの尊さに触れたのだよッ! これを感動を言わずして何と言うッ⁉ そうとも、これこそぶつかり合って絆を育む『生命波動ティアマト』だァッ!」


 左右の四肢が立て続けに交錯する攻防が俄かに止まると、ンセンギマナとバルベルデは互いの顔を覗き込み、マウスピースで防護まもられる歯を見せ合うようにして大きく笑った。 

 『かいしんイシュタロア』を愛する人々ファンの間でしか意味の通じない遣り取りが続いているが、それはともかくとして――プロジェクションマッピングが追い付かなくなるのではないかと案じてしまうほどはげしい応酬の最中にバルベルデが述べた通り、時計盤の上に立つようなで互いの位置関係を操作コントロールし、最も有利な状況を作り出した末に必殺の一撃を放つのがンセンギマナの拳法わざである。

 自身に迫る打撃を巧みに捌き、互いの身に作用する勢いを受け流す技法そのものは珍しいわけではない。あいどうは言うに及ばず、組技によって相手の体勢を崩し、そこに打撃を叩き込むサバキ系空手は術理にいて共鳴する部分が多く、ベイカー・エルステッドたち『くうかん』の空手家も決して小さいとは言いがたい唸り声を上げている。

 しかし、ンセンギマナがふる拳法わざは渦潮の如き円運動で相手を丸ごと呑み込み、無防備となってしまうほど轟々と振り回すのだ。これによって操作コントロールされるのは体勢のみに留まらないのである。

 女神イシュタルの武器を使いこなすそうじゅつではない。ましてや『あさつむぎ』が寝食すら忘れて夢中となっているフラダンスでもない。

 『アメリカンけんぽう』――空手・拳法・柔術など東洋からハワイに伝来した武術の粋を集めて誕生し、全国組織を持つほどアメリカ合衆国に普及した近代総合格闘技術である。

 技術体系を完成させたハワイの英傑――エド・パーカーは、それ故に〝現代アメリカで最大の功績を成し遂げた武術家〟と語り継がれている。

 エド・パーカーより更に遡った源流たる人物から数えておよそ一世紀――研究と進化の中でアメリカン拳法そのものが様々な〝流れ〟に分かれていった。パーカーが最も信頼を寄せていた弟子によって開かれた様式スタイルを極め、道場スタジオの一つを任されているのが今日の試合にもセコンドとして付いている師匠シルヴィオなのだ。

 る人物からアメリカン拳法を紹介され、二〇〇〇年代半ばに故郷ルワンダを旅立ってシルヴィオ・T・ルブリンに弟子入りしたンセンギマナも、今ではカリフォルニアの子どもたちに〝心技体〟という〝道〟を教え導く立場となっている。

 ミドルネームの如く称する『T』の一字は、そのあかしとして師匠シルヴィオより授けられたものだ。

 れつな振る舞いが目立つものの、シロッコ・T・ンセンギマナは現在のアメリカン拳法にいて〝最強〟の二字に最も近い一人と評されている。世界のMMAを主導する『NSB』の試合場オクタゴンに立ち、『げん』の水流を起こす勇姿こそが何にも勝る証明であろう。


かいの狭間をブチやぶるほどぜろ、オレたちの『生命波動ティアマト』ッ! そこに結ぶべき絆がある限り、火花ハジけぬ理由ワケなどあるものかッ!」

「――ご陽気なキメ台詞を邪魔してすまないけどな、相棒ンセンギマナ。気分もって脳内アタマから抜け落ちたみたいだけど、無闇に義足でするなって注意されているだろう」

「自分の義足あしのことだぞ? 相棒おまえに言われるまでもなく、チタンの耐久力だって計算しているとも。何より直してくれる仲間の腕を信じている。だからこそ故障を恐れず思いッ切り闘えるんじゃないか」

「事故以外のチャな使い方で破損こわれたらお説教だって釘を刺されたハズだろ、相棒おまえ。ていうか、今の返答こたえだって後が怖いじゃないか。本人を目の前にして勇気あるなって感心したくらいだよ。試合後に首絞められたって、ボクは庇ってやらないからな」


 またしても『かいしんイシュタロア』のような〝波動〟でも起こそうというのか、今度は左の義足でマットを蹴り始めた相棒ンセンギマナに対し、シード・リングは窘めることさえ放棄して大きな溜め息を吐き捨てた。

 シード・リングが肩を落とすほど自分自身に辟易うんざりしたのは、完全武装の威容すがたで立つ『あさつむぎ』と『もとひまわり』の幻像まぼろしを金網の向こうにえてしまった為である。

 試合中という状況すら忘れたように両選手ふたりが相当な熱量で語らい続けるのは、『かいしんイシュタロア』第一シーズンの最終盤――第二五回『叛逆の神樹の下で』の佳境クライマックスだ。

 異世界より降臨した神々の代理かわりに地球人が殺し合いを強いられる状況が許せず、光の軍勢に属しながらも、を相手にたった一人で叛乱を起こした自然を司る乙女戦士イシュタロア――主人公が通う中学校の生徒会長エンプレスとの最終決戦とも言い換えられるだろう。

 第一シーズン最強最後の敵から精神汚染攻撃を受け、操り人形マリオネットと化した『もとひまわり』は、最愛の『あさつむぎ』と血で血を洗う死闘を演じることになったのだ。

 先ほどンセンギマナが引用した「競演ランデブー」という台詞も、『ひまわりお姉様』の心を取り戻すべく『つむぎ』が無理心中する覚悟で迸らせた咆哮であった。

 『NSB』の試合はプロジェクションマッピングによって彩られているが、とは別にシード・リングの双眸は、『神槍ダイダロス』と『極大戦輪ハーヴェストムーン』がぶつかるたびに鮮血と混じって撒き散らされる『生命波動ティアマト』を両選手ふたりのすぐ近くにてしまうのである。

 脳に刷り込まれた『かいしんイシュタロア』の記憶に基づく幻覚以外の何物でもなく、それ故にシード・リングは比喩でなく本当に頭を抱えてしまうのだった。

 同じ人型機動兵器ヒューマノイド・ロボットのような輪郭シルエットを描きながらも、光の力を宿す黄金の甲冑――『神甲ローブ』の背面や四肢のパーツには『天地翔咢ノズル』が搭載されており、そこから噴出する『翼焔風バーナー』によって『乙女戦士イシュタロア』たちは蒼穹そらを翔け抜けていく。

 一方、闇の力が創り出した銀の『神甲ローブ』は、全身に纏う羽衣から黒水晶と見紛うような粒子を勢いよく舞い散らせ、を推進力に換えて宵闇裂く閃光と化すのである。

 そして、生物さながらに脈打つ装甲と、魔獣の毛皮を組み合わせた謎の甲冑を纏う〝第三〟の『乙女戦士』――『ディンギル・ウッグゥの化身』は、光の主神イシュタル闇の主神ドゥムジの力が天地を引き裂いて荒れ狂うさまを愉悦の表情かおで眺めるのだ。

 その本質とは、次元も宇宙も超えた〝全てのモノ〟を滅ぼさんとする魔獣――〝影〟から這い寄って光と闇の対立を煽り、生徒会長エンプレスを叛乱に駆り立てたのも『ロアノーク・エルドリッジ』と称する〝第三〟の『乙女戦士』であった。

 事あるごとに『あさつむぎ』と『もとひまわり』の前に立ちはだかり、ベリーダンスの妖艶な動作うごきと魔爪『エテメンアンキ』で二人を追い詰めていくシリーズ全体の宿敵である――無意識の内にかいしんイシュタロア』の設定を想い出してしまう自分がシード・リングには恐ろしかった。

 自分たちのことを『あさつむぎ』と『もとひまわり』に重ねる両選手ふたりであったが、一方で共通の宿敵は名前すら言及していない。この場にいては記憶の水底から浮かび上がってくるきっかけの一つもなかった魔獣の化身ロアノーク・エルドリッジ脳内あたまのなか出現あらわれたわけである。


「……共感できる部分だってないワケじゃないんだよ。手口はギャングスタ―も真っ青なくらいなまぐさいけど、『神甲ローブ』を真っ赤に塗り潰そうとも人は理解わかり合えるという信念を貫き通す『つむぎ』は尊いし――ダメだ。無意識に『尊い』って言っちゃったよ、ボク」


 普段はンセンギマナと同じ部屋で寝食を共にしている為、必然的に『かいしんイシュタロア』に接する機会も増えるのだが、相棒のように前のめりとなって視聴したおぼえは一度もなかった。ただ漫然とテレビ画面を眺めていたと表すほうが正確に近いくらいだ。

 それにも関わらず、両選手ふたりが語らい続ける内容や、当該する場面シーンに登場していない人物キャラクターまでもが脳内あたまのなかで再生されるくらい『かいしんイシュタロア』という作品を刷り込まれていたのである。

 両選手ふたりの会話がる種の呼び水となったのか、シード・リングのあたまは本人の意思を無視してシリーズ第一回から順番にあらすじを振り返り始めている。

 読んだ記憶のない本を何故だか一字一句に至るまでそらんじてしまえる恐怖体験に近いものがあった。試そうとしただけでも寒気が走った為に慌てて口を噤んだが、耳を傾けたことすらないキャラクターソングも唄えてしまうはずだ。

 『あさつむぎ』、『もとひまわり』、『ロアノーク・エルドリッジ』というシリーズを通して登場する主要人物キャラクターの担当声優三人が東京でファンイベントを開催した際には昂奮し過ぎて暴走しないよう見張るべく相棒ンセンギマナに同行し、秋葉原の会場まで足を運んだのである。

 『アメリカン拳法』と同じハワイの出身うまれということもあり、イベントではダンス監修者の談話はなしに耳を澄ませたが、だからといって愛好者ファンを名乗れるほど熱心ではなく、MMAの試合にまで同作の世界観を持ち込んでしまう相棒ンセンギマナを諫める立場であったのだ。

 その前提が崩壊したような恰好であり、だからこそシード・リングの葛藤は深かった。

 全編に亘って相互理解を訴え続ける『かいしんイシュタロア』の信念は、ネイティブアメリカンがを背負う末裔としてシード・リングも高潔と感じている。ルワンダを故郷とする相棒ンセンギマナが生き方そのものに同化させんとするも理解している。

 しかし、相棒ンセンギマナの趣味に染め上げられてしまった事実は別問題であり、シード・リングは何ともたとえようのない表情かおで頬を掻くしかなかったのである。


「――ンセンギマナは今日も日本のカートゥーンに――『かいしんイシュタロア』に夢中の様子ね。うちの息子こどもも彼のお陰で趣味の幅が広がったわ。近頃は毎日、新聞紙で『あさつむぎ』の槍と鎧を真似て遊んでいるわよ」

「……ヴィヴィアンさんのご家族まで巻き込んでいるんですか、うちの相棒は。モニワ代表は寛大な方ですけど、その内に強引な布教活動だって問題視されそうだなぁ……」

「自分の愛する作品ものを熱く語るコトは、悪質な勧誘に当てはまらないハズよ。力ずくで引き込むのは良くないけど、彼は溢れる愛情が他の人に伝達つたわっていくパターンじゃない。押し付けだったら私も自家用車くるまに『妖精ミドラーシュ』のぬいぐるみを飾ったりしないもの」


 溜め息の絶えないシード・リングに背後うしろから声を掛けたのは、言わずもがな『NSB』に所属する相棒ンセンギマナの〝同僚〟であった。正確には〝先輩〟と呼ぶべき選手である。

 その女性が担当する試合は今回の興行イベントの最終盤であったが、〝後輩〟たちの決着を見届けるべく足を運んだのであろう。以前から親しい交流があり、また〝先輩〟の心配りを察すればこそ、シード・リングも気さくな調子で応対したのだ。

 彼が敬称を添えて家名ファミリーネームを呼んだ通り、試合着ではなくトレーニングウェアに身を包んで姿を現した女性は、本名フルネームを『ジュリアナ・オーケアノス・ヴィヴィアン』という。

 『ジュリアナ』という名前ファーストネームの響きや、相棒ンセンギマナ師匠マスターにも似た顔立ちから同じイタリアが起源ルーツであろうと察せられる。かつてはがねいろに染めていたのだが、現在は本来の黒髪に戻していた。

 偽りの金髪ブロンドであった頃は〝女神の生まれ変わり〟と持てはやされ、実際にニューヨークの象徴ランドマークとも呼ぶべき自由の女神に扮したを披露し、色々な意味で物議を醸したことがある。

 そのような過去を持っているとは想像できないほど落ち着いた現在いまは『ザ・フェニックス』の異名で呼ばれるようになり、『NSB』のファンだけでなく団体代表イズリアル・モニワや〝同僚〟のMMA選手からもあつく敬われている。

 来年――二〇一五年末に日米合同大会コンデ・コマ・パスコアを共催する日本最大のMMA団体『天叢雲アメノムラクモ』にける〝統括本部長キャプテン〟のような立場にり、二〇年を超える『NSB』の歴史を紐解いても前例がない形で出場するンセンギマナのことは、プロデビュー前後から気に掛けていた。

 そのジュリアナが口にした『妖精ミドラーシュ』とは『かいしんイシュタロア』に登場し、神の使つかいとして光と闇の『乙女戦士』を補佐サポートするマスコットキャラクターである。最初から商品化を想定し、ぬいぐるみのような容姿でデザインが作られたのであろうと察せられた。

 二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピックにいて、追加種目の最有力候補とされている伝統派空手を体得したジュリアナだが、くだんのアニメシリーズの主演である希更の家族――古代ビルマに由来する伝統武術ムエ・カッチューアを教え広め、民間単位の〝スポーツ外交〟にも尽力するバロッサ家の一族と親交が深いと、シード・リングも格闘技雑誌ゴッドハンド・ジャーナルの特集記事で読んだおぼえがある。

 えてたずねることもないが、おそらくンセンギマナに勧められるより以前まえから『かいしんイシュタロア』という作品アニメを知っていたのであろう。


「――バルベルデ選手の動き、私の目には今までの全て試合で最もキレがあるように見えますね。今日という日の為、二度と拳を交えることが叶わなくなる好敵手ライバルと完全決着を迎える為、〝完全体〟にきたのだろうと、パンチの切れ味からも伝わってきます」


 日本の文化サブカルチャーに記憶を上書きされていくかのような情況に懊悩するシード・リングや、その様子に苦笑いを浮かべるジュリアナを置き去りにして、金網の向こうでは攻防が大きく動き始めた。

 試合を見守る全ての人々の魂は八角形オクタゴンケージが軋む音に共鳴して高鳴るのだが、それは実況担当も同様である。余人には計り知れない思いを胸に秘めて拳をぶつけ合う両選手ふたりの姿に感極まったのか、一等深く踏み込んだバルベルデの背中を追い掛ける声は、抑えがたい感情によって震えていた。

 指貫オープン・フィンガーグローブに包まれた拳を好敵手ンセンギマナ目掛けて叩き付けるブラボー・バルベルデは、世界屈指の〝ボクシング王国〟である故郷プエルトリコいてアマチュア王者チャンピオンにも輝いたボクサーであり、もそこから始まっている。

 しかし、現在いまのバルベルデが立っているのは総合格闘技MMA試合場オクタゴンである。アマチュアボクシングへの転向あるいは〝復帰〟が完了するまでは、ありとあらゆる格闘技術の使用が許されるなのだ。

 本場アムステルダムの名門ジムで猛特訓を重ねたオランダ式キックボクシングだけでなく、レスリングの技術テクニックも併せて体得している。立ったスタンド状態での打撃はにとってほんの一面に過ぎないというわけだ。

 直線的に突き込まれる拳をンセンギマナが垂直に立てた五指――しゅとうで受け止めようとした瞬間、バルベルデは攻撃に用いた右腕を引き戻し、その反動をも利用して対の手を猛然と繰り出した。左の五指にて好敵手ライバルの右手首を掴んだのである。

 無論、これで攻撃が完結するはずもない。バルベルデは対の手も伸ばし、をンセンギマナの右腕に巻き付けると互いの身をマットの上へ放り出すような投げ技を仕掛けた。

 柔道でたとえるならば、いっぽんいに最も近いだろう。自身の背中を相手の胸部に押し付けながら身を沈め、マットに両膝を突くという急激な変化が生み出した縦回転にンセンギマナを巻き込んでいった。

 投げ落として痛手ダメージを与える為のいっぽんいではなく、ンセンギマナをマットの上に転がしながら追撃に最も適した位置へ素早く回り込むという一種の布石であった。『げん』の水流と同じように相手との位置関係を操作コントロールする一手とも言い換えられるだろう。

 身体のハンデがある者と、そうでない者が互角の勝負を繰り広げる為に設定された特別ルールでは、如何なる場合にいても義足への直接攻撃は禁じられている。例え反則行為として指定されなくとも、最大の〝急所〟を狙い撃つという卑劣な真似などバルベルデは最初から選択肢に入れてもいない。

 その一方で、は『こんごうりき』に代表される打撃系立ち技格闘技の試合ではない。『NSB』は総合格闘技MMAの競技団体である。組技も寝技も反則行為ではなく、有効な攻撃手段として認められているのだ。

 総合格闘技MMAであったればこそ、試合運びによっては寝転んだグラウンド状態での攻防に発展し得ることをンセンギマナサイドも承認している。

 マットへ投げ付けられた際に〝受け身〟を失敗して衝撃を減殺できないと、それが原因となって義足が外れる危険性も高まる。それどころか、関節部の破損も起こり得るのだ。

 不慮の事故が発生したときには再装着や交換を行う為、試合の進行を一時的に停止することが特別ルールで認められている。試合中に指貫オープン・フィンガーグローブが外れてしまった場合の対応と同様であった。

 とりわけMMA用の義足は装着に際して繊細な調整が不可欠であり、相応の時間を要することになる。これは試合の膠着化を招く直接的な要因となる上、立て続けに発生すると観客の熱狂にも水を差し兼ねないわけだ。

 試合にはというものがある。義足を原因とする〝仕切り直し〟でそれが初期化リセットされると、互いの形勢を測る天秤の傾きまでもが理不尽に入れ替わってしまうのである。

 これでは選手にも観客にも不満がうっせきし、拗れに拗れた挙げ句に〝遺恨試合〟まで発展することであろう。二〇一四年現在の技術力という〝現実〟も含めて、容易には解決し得ない特別ルールの課題であった。

 尤も、ンセンギマナに関しては、そういった懸念など杞憂に過ぎず、レスリング式のいっぽんいで投げ落とされた後の反応も鮮烈としか表しようがない。

 バルベルデが好敵手ライバルを投げ落としたのは、ほんの少し腕を伸ばすだけで金網を掴めるような位置である。マットの上に転がされたンセンギマナと比べて、膝を突きつつも体勢を保持し続けているバルベルデのほうが次なる行動にも移り易いはずであった。


「――ガギャッ! ギュイィィィィィィンッ!」


 総合格闘技MMAの基本に則り、バルベルデも正面から馬乗りマウント状態ポジションに持ち込もうとしたが、対するンセンギマナは落下の直後には右足裏でもって金網を蹴り付けており、自身の腹の上に跨らんとしていた好敵手ライバルの側面まで即座に逃れたのである。

 渦潮さながらの水流で相手を呑み込むアメリカン拳法の使い手も、この瞬間ときは円ではなく三角形に近い軌道をマットに描き、プラネタリウムの如く点と線を結ぶプロジェクションマッピングがその動作うごきを追い掛けた。

 試合場オクタゴン全体も大きく揺れたのだが、ンセンギマナが蹴り付けた一点に光の波紋が描かれることはなかった。構造上、金網は照射された光の大半を透過してしまう為、プロジェクションマッピングの描画領域キャンバスとしては不向きである。

 大規模な映像投射を俯瞰で眺めるのであれば、観客のなかに生じる違和感も最小限に留まるが、『NSB』で用いられるプロジェクションマッピングは局所的であり、金網に光の波紋を描いたとしても試合場オクタゴンを間近で取り巻く人々が眩しい思いをするだけであろう。


「キッキュウゥゥゥゥゥゥン――オレたちがこの試合場オクタゴンで楽しむ円舞ワルツは、最愛の妹分つむぎを惚れ直させる『ひまわりお姉様』の如く情熱的にッ!」


 一瞬にして右側面まで回り込んだンセンギマナは、先程のとばかりに両の五指を繰り出していく。右腕を捻じり上げてマットに組み伏せようと試みたわけであるが、その意図を読み切ったバルベルデは手首を掴まれるより早く後方へと身を転がし、回避が成功した直後には再び突進タックルを仕掛けて好敵手ライバルの左側面を脅かした。

 吐息が地面に届くほど低い姿勢での体当たりである。両膝を前後に動かすことでマットの上を巧みに滑り、ンセンギマナに組み付いていく。左右の腕を腰に巻き付けると、金網際から引き離すようにして好敵手ライバルの身を再び転がした。

 技が完成する前に両腕を振り解かれてしまわないよう右の五指にて左の手首を掴み、足裏でマットに、引っこ抜くようにしてンセンギマナを放り投げた次第であるが、は緊急回避の措置にも近い。


「バルベルデ選手、さすがに反撃を警戒したようですね。数秒の間に攻守が目まぐるしく逆転し続けていますが、これを魅せてくれる選手たちは観客席の昂奮とは正反対に落ち着き払っているのでしょう。二人とも試合の組み立てが乱れる気配もありません」


 実況の通りにバルベルデは追撃を控え、上体を引き起こしながら後方へと飛び退すさり、やや離れた位置から好敵手ライバルの様子を窺っている。

 ンセンギマナのほうは見上げた好敵手ライバルに向かって四肢を開いたまま左右の拳を握り、その親指を垂直に立てている。余裕さえ感じ取れる姿をもってして、寝転んだグラウンド状態の攻防でも決しておくれは取らないと体現しているわけだ。

 レスリングの技術テクニックを使いこなすバルベルデではあるものの、言わずもがな最も得意としているのは立ったスタンド状態での打撃であった。実力伯仲の好敵手ライバル関係とはいえ、得手不得手は別問題だ。寝技で勝負し続けるのは甚だ不利と冷静に判断し、瞬く間に寝転んだグラウンド状態で闘う体勢を整えたンセンギマナを見下ろしつつ間合いを取った次第である。

 だからこそ、金網を利用できない位置へとンセンギマナをのだ。

 祖の系譜を継いだエド・パーカーが完成させ、ンセンギマナやその師匠マスター現在いまも研究と発展を重ね続けるアメリカン拳法は〝総合格闘〟である。それはつまり、五体の隅々まで武技わざに生かし、あらゆる状態でも闘えるという意味である。四肢の全てが生身でなかろうとも、その真価ちからは十全に引き出せるのだった。

 ときには投げ技をも駆使し、打撃を叩き込む前に相手を無防備状態に陥らせるという攻守の組み立てには似通う部分がありながら、『くうかん』道場で教えるサバキ系空手は、あくまでも立ったスタンド状態での打撃が本質である。

 寝転んだグラウンド状態での取っ組み合いは言うに及ばず、関節技や絞め技で相手を制することも。サバキ系空手とアメリカン拳法の差異ちがいに思うところがあったのか、それとも別の〝何か〟が心の奥底から滲み出したのか――ベイカー・エルステッドは一瞬だけ瞼を閉ざしたのち、黒帯の結び目を一等きつく締めた。


「今は俺が『つむぎ』だぜ、ンセンギマナ! 『神槍ダイダロス』は我が手にありッ!」


 深刻な事故を防ぐ為に『NSB』では踏み付けストンピングをルールで禁止しているが、寝転んだグラウンド状態の対戦相手に打撃パウンドを振り下ろすことは、他のMMA団体と同様に有効である。

 寝転んだグラウンド状態を維持し続けるンセンギマナに対し、バルベルデは徐々に姿勢を低くしていく突進タックルを仕掛けた。これと同時に高く振り上げた右拳を叩き付けようというわけだ。

 傍目には寝技に引き込まれてしまう危険性が一気に跳ね上がったように見えるのだが、当のバルベルデからすれば、捨て身の博打ギャンブルというわけでもない。ボクシングの足さばきフットワークとレスリングの柔軟な全身運動を組み合わせれば、腕を掴ませることのない一撃離脱も十分に可能という自信を右の掌中に握り込んでいた。

 好敵手ライバルの手が届かず、同時に己が全身のバネを十分に発揮できる距離を見極めたバルベルデはマットに左膝を突き、これを〝軸〟に据えて轟然と右拳を振り下ろした。まさしく『神槍ダイダロス』とたとえるのに相応しい一撃パウンドである。

 無論、ンセンギマナにも好敵手ライバルの狙いが理解わかっている。己に迫る拳を命中の寸前まで引き付けてから後方へと身を転がし、マットに穴を穿つような音を背中で受け止めると両腕でもって全身を持ち上げ、逆立ちのような状態から肘の屈伸のみで高く跳ねてバルベルデの頭上をも飛び越えた。

 バルベルデの鉄拳パウンドと、ンセンギマナの豪快な着地によって起きた二つの波紋が交わり、赤と青の火花がマット上に飛び散った瞬間、会場を震わせるほどの大歓声が爆発したことは改めてつまびらかとするまでもあるまい。

 今日の興行イベントは『NSB』が本拠地を置くネバダ州・ラスベガスの統合型リゾートに併設された屋内アリーナで執り行われていた。収容人数キャパシティは一二〇〇〇だが、その全員が一斉に血潮を燃えたぎらせ、天井を抉らんばかりの大音声をもってして会場全体を震わせている。

 ンセンギマナとバルベルデは互いに背中を向け合ったまま後方へと両肘を突き込み、その衝突を合図に換えて再び向き合った。


「ンセンギマナ選手も完成度が桁違いですね。第一ラウンドさえ終わっていない内から最高潮クライマックスじゃないですか。今し方の攻防一つ取っても、バルベルデ選手と育んだ友情の大きさがあらわれていますよ。思いの深さと戦士ファイターの強さはイコールといっても過言ではありません」

「当然だ。親友への返礼に手など抜けるものかよ。オレたちは永遠に親友だ」


 実況が迸らせた熱量の高い解説ことばへ応えるようにンセンギマナが右腕を突き上げると、正面のバルベルデはこの上なく嬉しそうに相好を崩し、彼を支える赤サイドのセコンドも一等大きな声で感謝を述べた。

 先程の跳躍にいてンセンギマナが用いたのは腕力のみである。バルベルデの側も極端に低い姿勢ではあったものの、そもそもヘビー級の自重おもさは生半可な身体能力で持ち上げられるものではない。

 二度と拳を交える機会が巡って来ない可能性が高い好敵手ライバルとの最終決戦ラストマッチを迎える為、ンセンギマナもかつてない猛特訓を積んできたわけである。

 場内の隅々まで届けと言わんばかりに〝同僚〟が輻射させる熱量に触れ、魂が震えたのであろうか、ベイカー・エルステッドは双眸から熱い雫を流し続けている――左右の頬から顎先まで濡らす姿が視界に入ったシード・リングはそのように捉えたのだが、そもそもから姿の青年は、相互理解を主題テーマとする『かいしんイシュタロア』の話題が金網の内側なかで乱れ飛んでいる段階で、既に感情を抑え切れなくなっていた。

 少なくとも、アメリカン拳法に対して己の空手が通じないと思い詰める劣等感や、その悔し涙ではあるまい。『NSB』に義足のMMA選手が誕生したことを祝福し、ンセンギマナの為人ひととなりを尊敬していると折に触れて熱弁してきたのは、他ならぬエルステッド当人なのである。

 ンセンギマナひいては〝パラアスリート〟の〝進化〟を歓迎こそすれども、嫉妬に狂うようなことは有り得なかった。

 リアルタイムで測定される打撃力の数値などに基づき、形状やその大きさが変化していく光の演出プロジェクションマッピングによって視覚的にも表現されたが、一九八〇年から数えて二十余年という歳月は、総合格闘技MMAの技術的進化の歴史でもあった。

 寝転んだグラウンド状態の攻防というMMAのを飛躍的に発展させたブラジリアン柔術は、世界中を巡りながら千戦無敗の他流試合を繰り広げ、やがてブラジルに辿り着いた伝説の柔道家――前田光世コンデ・コマを祖とし、孫弟子に当たるドナト・ピレス・ドス・ヘイスと、彼の道場を継承した一族が普及させた格闘技ものである。

 ブラジルではあらゆる技が解放される〝実戦〟さながらの――『バーリトゥード』が盛んであり、一族の勇者たちも命懸けの試合によってブラジリアン柔術を鍛え上げていった。

 やがてくだんの一族は『NSB』の旗揚げにも関わることになり、バーリトゥードの理念をアメリカに伝え、こんにちに至ってMMAという形に洗練されていく。格闘技史の転換期に立ち会った勇者たちは、前田光世コンデ・コマが千戦無敗の先に拓いた〝道〟を世界のMMAに繋げる大任をも成し遂げたのである。

 ブラジリアン柔術の強さを全世界に知らしめた一族最強の勇者が日本を代表するプロレスラーを次々と撃破し、歴史的屈辱とも呼ぶべきによって同国のMMAが〝覚醒〟を迎えた事実は、前田光世コンデ・コマの存在を振り返れば、数奇な運命としか表しようがあるまい。

 そのブラジリアン柔術にいても、〝パラアスリート〟は少なくないのだ。

 五感や四肢など個々の条件に合わせてルールも整えられるのだが、相手と組み合うことによって真価を発揮するブラジリアン柔術は、立ったスタンド状態の維持が難しい選手も隅々まで潜在能力ポテンシャルを引き出して闘えるのだ。

 ブラジリアン柔術ではなくアメリカン拳法であるが、五感も四肢も健常であるバルベルデに寝技で勝負を挑まんとしたンセンギマナも〝実例〟に含めて差し支えないだろう。

 失ったものを数えるな。残されたものを最大限に活かせ――〝パラリンピックの父〟と呼ばれるルートヴィヒ・グットマン医師の理想が花開いた柔術を同大会パラリンピックの競技として推薦する声も多いのである。

 実際、二〇〇八年キンパラリンピックに『ブラインド柔道』の選手パラリンピアンとして出場した日本代表のすけよりも、寝技の攻防に備えてブラジリアン柔術を学んでいる。

 日本人のブラジリアン柔術家ということであれば、ンセンギマナとは真逆に義足を装着せず五体満足の選手との試合に臨む片足のパラアスリートも活躍が目覚ましい。


「試合中ですが、皆さんの時間を少しお預かりして一つだけ昔話をさせてください。二〇〇九年四月にアラバマでMMAに新時代を告げる挑戦が始まりました。皆さんもご存じでしょう。クノク・フィネガン――他の人々とは異なる個性を手足に持って生まれ、神の恩恵を唯一無二の武器に換えてMMAの試合場オクタゴンに挑んだ不撓不屈ネバーギブアップの勇者。前人未踏の挑戦を次々と成し遂げていくフィネガンの志が祝福の種となり、『NSB』でも芽吹いたことを私は誇りに思います。我々が目の当たりにしているのは未来そのものなのです」


 ンセンギマナとバルベルデの試合たたかいを熱量高く追い掛ける実況担当が例に引いたクノク・フィネガンとは、先天性の病気で両肘・両膝の下がないパラアスリートである。

 心身のハンデを持つ者と持たざる者が一緒になってスポーツに興じるアメリカで生まれ育ち、子どもの頃から取り組み続けてきたレスリングではハイスクール時代にアマチュア王者チャンピオンを戴冠していた。

 それはつまり、四肢が自由に使える選手とで闘い、数多の強豪をくだし続けたという意味である。試合の際にも義肢は装着せず、己の肉体のみを武器としたのだ。

 重量挙げウェイトリフティングでは一〇〇キロ以上を持ち上げ、レスリングと併せてブラジリアン柔術をも極め、更には生まれ持った肉体からだのみで五八九五メートルにも及ぶ険しい山道を這って進み、キリマンジャロ登頂を成し遂げたクノク・フィネガンは、名実ともに世界最高のパラアスリートであった。

 不撓不屈ネバーギブアップを座右の銘とするフィネガンのもう一つの肩書きがMMA選手なのだ。四年間に亘って練習トレーニングを重ね、五年前――二〇〇九年にアマチュア大会で初陣デビューを飾ったのである。

 膝から下がない為、立ったスタンド状態で闘うことは不可能であり、本当に総合格闘技MMAの試合が成り立つのか、レスリングやブラジリアン柔術の実績があってさえ誰もが心配していた。

 デビュー戦は判定負けという結果に終わったものの、クノク・フィネガンは周囲まわりの声援に完璧な形で応え、それを遥かに上回る驚愕と感動を与えたといえよう。

 相手が仕掛けてきた攻撃を巧みに凌ぎ、マットの上を高速で滑ることによって双眸と感覚を惑わし続けたのである。

 両足でマットを踏み締めることが可能な対戦相手との間には、決して小さいとは言いがたい身長差が生じる。拳を振り下ろす側も必然的に低い姿勢とならざるを得ず、身体構造の上でも動作うごきに無理があり、十分な攻撃力が生み出せないのであった。

 寝転んだグラウンド状態の攻防に転じてみれば、フィネガンは柔軟な身のこなしで相手に掴ませることすら許さず、反対に組み付いて絞め技を仕掛ける場面もあった。

 不撓不屈ネバーギブアップの勇者は生まれついて左右の下腕を持たない。しかし、相手の防御ガードをすり抜けるようにして肘打ちを見舞うことが出来る。飛び抜けたりょりょくを発揮し、肘の先で抑え込めば相手は腹這いのまま上体を起こすことさえ難しくなる。脇で挟んで頸動脈を絞めれば、降参ギブアップの一言を引き出す前に意識を刈り取ってしまえるわけだ。

 膝から下がなくとも、義足を装着せずとも、左右の太腿を使えばで追い掛けるのも困難な速度はやさ試合場オクタゴンを駆け巡り、相手の股の下を潜り抜けて翻弄することも出来る――己の肉体を隅々まで生かし、五体満足な選手と相対した際に浮かび上がる差異ちがいをも計算に含めて攻防を組み立てたクノク・フィネガンは、まさしく〝パラリンピックの父〟が思い描いた理想の体現者であった。

 即ち、総合格闘技MMAけるパラアスリートの先駆けとも言い換えられるだろう。

 〝プロ〟ではなく〝アマチュア〟の選手であり、現在までに『NSB』への出場経験はなかったが、いずれ何らかの形で関わって欲しいという旨は団体代表イズリアル・モニワも折に触れて語っている。それどころか、格闘技雑誌ゴッドハンド・ジャーナルでは〝パラスポーツとしてのMMA〟を主題テーマとする対談も実現しているのだ。

 無論、の〝参戦〟であれば、試合の可否を巡って興行イベント開催先の体育委員会アスレチックコミッションと難しい交渉になるだろう。

 当初、フィネガンはジョージア州の大会にてMMAデビューを目指していた。しかし、パラスポーツとしての意義を危険性リスクが上回ると同州ジョージア体育委員会アスレチックコミッションは判断し、出場申請が認められることはなかった。四肢の有無が選手間に深刻な事態を招き兼ねないという回答であった。それが為に初陣デビューの地を別の州アラバマに変更せざるを得なくなった経緯があるのだ。

 義足を装着するンセンギマナと、義肢を一切使用せず生身のみで闘うフィネガンでは条件自体が異なるであろうが、『NSB』の本拠地ホームグラウンドであり、前者のMMA出場を許可しているネバダ州の体育委員会アスレチックコミッションであれば、実現への希望も決して小さくはあるまい。

 〝パラスポーツとしてのMMA〟に直系の〝道〟を拓いたクノク・フィネガンは言うに及ばず、ブラジリアン柔術の取り組みなど様々な先例が結実し、体育委員会アスレチックコミッションも『NSB』も新時代に目を向け、今、義足のアメリカン拳法家は八角形の試合場オクタゴンに立っている。

 そのンセンギマナもまたより後に続くパラアスリートに手本となり得る先例を積み重ねていた。これはMMA用の義足を準備する過程で全面的に協力した『NSB』の方針も同様であろう。

 激しい動作うごきが絶え間なく続き、常に大きな負荷が掛かるMMAであろうとも義肢装具を適切に選び、理解ある人々と手を取り合えば、何一つとして恐れることなく試合へ臨むことができる――この体現から勇気を受け取る者は場内ひいては世界に数え切れなかった。

 客席には同郷ルワンダの人々も多い。異境アメリカで働いている者や、二〇年前の内戦の際に離散民ディアスポラとして移住せざるを得なかった者、ンセンギマナを応援するべく海を渡った者など様々だが、その誰もが世界最高の舞台を義足で踏む同胞なかま勇姿すがたに心を奮い立たせているのだ。

 故郷プエルトリコに悲願の金メダルをもたらす為、〝プロ〟のMMAからえてアマチュアボクシングに転向する好敵手ブラボー・バルベルデと同じくンセンギマナも国家くにの〝誇り〟を背負って闘っていた。

 試合を見守る実況担当がンセンギマナとクノク・フィネガンを重ね合わせたのは、後者が傷痍軍人の心へ寄り添う活動に取り組んでいることを知っていた為でもある。

 レスリングを始めとする不撓不屈ネバーギブアップの挑戦はテレビ番組で幾度も取り上げられ、MMAデビューに至る道程は映画にもなっている。イラクの戦場で心身に深い傷を負い、自殺の寸前まで追い詰められた兵士がフィネガンの映像に触れて生き直す力を取り戻した逸話は、全米に広く知れ渡っていた。

 傷痍軍人の〝現実〟を目の当たりにしたフィネガン自身も彼らを積極的に支援し、アフガン戦争に従軍した経験を持つゼラール・カザン下院議員とも親交を深めている。くだんの議員は下院退役軍人委員会に身を置き、戦場を離れた将兵が安心して生活できるよう力を尽くしている。

 二〇一二年のキリマンジャロ登頂も、傷痍軍人に寄り添う使命ミッションであった。

 アフガンで戦没した兵士の遺灰を抱えてアフリカ最高峰という険しい山に挑戦し、天国を間近に感じる場所から散骨する使命ミッションを成し遂げた次第である。

 パラスポーツの祭典――パラリンピックはイギリス・ロンドン郊外の病院で開催された『ストーク・マンデビル競技大会』が前身である。『第二次世界大戦』最大規模の激戦と名高い『ノルマンディー上陸作戦』に参加し、深刻な後遺症を負った傷痍軍人たちのリハビリテーションとして始まっている。

 最初はじめの一歩を踏み出してから六六年――人類の歴史から戦争の二字が消え去っていないことは大いなる悲劇であるが、スポーツという娯楽レクリエーションを通じて生きる活力ちからを取り戻さんとするルートヴィヒ・グットマンの理念おもいも途切れていないのである。

 一九九〇年より数年に亘って国家くにを引き裂き、旧ソ連から流れ着いた突撃銃アサルトライフル――カラシニコフ銃によって国民ひとびとの命が砕かれた『ルワンダ内戦』と、誰にも鎮めようのない混沌の中で起きてしまった一〇〇日にも及ぶ大量虐殺ジェノサイドを生き抜いたンセンギマナも、二〇〇〇年シドニーパラリンピックに出場した同郷ルワンダの水泳選手から〝心の復興〟に向かう活力ちからを与えられたのだ。

 そのンセンギマナが一四年前のパラリンピアンの使命ミッションを引き継いでいる。彼の試合を見守り、熱烈な声援を送るルワンダの同胞なかまの中にも手足を欠損く者が少なくなかった。


「――共催の交渉はなしがまとまった頃からイズリアルにも話しているのだけど、ンセンギマナには何としても日米合同大会コンデ・コマ・パスコア出場て欲しいわ。彼の試合はクノク・フィネガンと同じように全世界のパラアスリートを覚醒させる。きっと〝プロ〟の格闘技に未来の種を撒くとえて断言させて貰うわ」


 『天叢雲アメノムラクモ』で当該する肩書きは八雲岳と同様の統括本部長キャプテン、〝平和の祭典オリンピック・パラリンピック〟でたとえるならば選手団長――同団体と共催する日米合同大会コンデ・コマ・パスコアいても『NSB』サイドの要となるであろうジュリアナ・オーケアノス・ヴィヴィアンは、国家的悲劇を乗り越えてアフリカ大陸からやって来た〝後輩〟選手に並々ならない期待を寄せている。

 日米両国の最大団体による〝決戦〟は、来年末の開催でありながら早くも全世界の格闘技関係者から注目を集めている。MMAという〝文化〟の行く末を占うであろう大勝負の舞台でクノク・フィネガンからバトンを受け取ったパラアスリートが闘うことは、『ハルトマン・プロダクツ』の息が掛かった競技団体でさえ二の足を踏む〝パラスポーツとしてのMMA〟が国際社会で普及していく起爆剤きっかけともなるはずだ。

 ジュリアナやシード・リングから少しばかり離れた場所にて見学している為、鼓膜まで届かなかった様子だが、空手衣姿の同僚選手ベイカー・エルステッドもンセンギマナに対する評価には躊躇ためらいなく首を頷かせたことであろう。


相棒アイツは喜んでつと思いますよ、日米合同大会コンデ・コマ・パスコア。問題はバルベルデみたく特別ルールを理解してくれる選手が居るかどうか。『こんごうりき』と違ってチャリティー興行イベントにも積極的ではないようですし、例のアニメの言葉を借りるなら、相互理解なくしてンセンギマナの試合は成立できませんから」

「私は別の問題も感じているわよ。『天叢雲アメノムラクモ』にンセンギマナの拳法と互角に勝負できる人材が見つけられるのか――格闘能力だけなら花形選手のレオニダスはバルベルデとも肩を並べるだろうけど、が伴わないから彼の対戦相手として適任じゃないわね」

「……あんまり他所の陰口はくありませんけど、『天叢雲アメノムラクモ』の内幕、シャレにならないくらい大混乱ガタガタみたいですしねぇ~」


 団体代表イズリアル・モニワたちと共に日米合同大会コンデ・コマ・パスコアの出場選手選考に携わるジュリアナから面と向かってンセンギマナのことを讃えられたシード・リングは、共催団体への皮肉を引き摺りながら顔を背けた。

 相棒に対する誇らしさと、それを簡単に認めてしまうのは面白くない気持ちが複雑に入り混じった表情かおをジュリアナに晒したくなかったわけだが、結局は純粋な喜びが上回り、堪え切れなくなったように口元が緩んでいった。


「……大したモンでしょ、ボクの相棒……」


 ンセンギマナも己が闘う姿を通して祖国ルワンダ同胞なかまや世界のパラアスリートに希望を示すという使命ミッションに誇りを持っているが、そこに気負いなどはない。身のうちから湧き起こる衝動の赴くままに振る舞えなくては、試合そのものが無味乾燥な〝義務〟となってしまうのだ。

 それでは己以外の誰かに〝何か〟を伝えることも出来ない。

 だからこそ、ンセンギマナは自らの心を誰よりも自由に解き放ち、愛してやまないアニメシリーズ――『かいしんイシュタロア』の登場人物や世界観を〝現実リアル〟の試合場オクタゴンへと手繰り寄せているのだった。


「ズドゴオオオオオオォォォォォォンッ!」

「あなたが死ぬときは私も死ぬときッ! 大地に立てた『神槍ダイダロス』の先端さきに手を取り合って飛び込んで、はやにえの如く一緒に串刺しになっちゃおうッ!」


 今度は右脚が『神槍ダイダロス』と化している。傍らにて光の主神イシュタルの象徴たる槍を構え、『神甲ローブ』に搭載された『天地翔咢ノズル』から全力全開で『翼焔風バーナー』を噴射させて突っ込んでいく『あさつむぎ』と呼吸いきを合わせるようにして、ンセンギマナも飛び蹴りでもって一直線に風を貫いたのである。

 改めてつまびらかとするまでもなく、ンセンギマナが迸らせた効果音に続けて雄叫びを上げた乙女戦士イシュタロアのほうは相棒シード・リングの双眸に映る幻像まぼろしだが、好敵手バルベルデに迫る飛び蹴りの勢いは、光り輝く『神威光エネルギー』を纏っているのではないかと錯覚してしまうほど凄まじい。

 〝軸〟として据えた左の義足ライジング・ポルカドットでもってマットを蹴り付け、足元に光の波紋を起こしながら跳ね飛んだのであるが、バルベルデとの間合いを一気に詰めんとする速度は〝劇的な変化〟と表すのが最も適切に思えた。

 これこそ〝板バネ〟の特性である。ンセンギマナの場合はひざつぎの先――足部はカーボン繊維ファイバーで作られた二枚の板を組み合わせており、生身の脛に該当する一枚は湾曲した物である。体重を掛けた際に生じる負荷を弾力性によって吸収し、運動エネルギーへと変換した後に反発でもって解き放つ構造なのだ。

 〝エネルギー蓄積型〟と呼ばれる種類タイプである。義足の破損に繋がる荷重の緩衝も〝板バネ〟に備わった機能の一つだが、猛烈な反発力に推進性を与えれば、これを迎え撃たんとする側が瞬間移動を疑うほどの急加速を生み出すのである。

 MMA黎明期に猛威を振るったブラジリアン柔術も、攻略の手立てが研究されたのちには寝技へ持ち込むことさえ容易ではなくなったのだが、これと同様にパラアスリートが競技に用いる義肢装具も進化し続けているわけだ。

 無論、課題が存在しないわけではない。機械が作り出す運動エネルギーと、肉体そのものから生み出される〝力〟を同等に扱うべきか、スポーツ界で絶えず物議を醸していた。

 とりわけ跳躍競技や短距離走では成績を直接的に左右する為、義足の自体に公平性を問う声が増えつつある。

 機械と肉体の高度な融合は技術進化の成果であり、歓喜に値するものであるが、競技者間の有利と不利に与える影響をルール上でどのように扱うべきかという課題は、多様性ダイバーシティの理念とも分けて向き合う必要があるのだ。

 肉体からだ一つで勝負すべき競技に〝武器〟を持ち込むようなものではないか――その指摘を完全に否定できる人間も多くはない。

 格闘技にける事例は、紫水晶アメジストいろの残像を引き摺るようにして繰り出された飛び蹴りが示す通りであった。

 〝劇的に変化〟する速度を見極め、両下腕を交差させて完全に防御ガードしたのち、蹴り足を押し返したバルベルデは、真珠の如き大粒の汗を飛び散らせながら笑顔を弾けさせた。

 飛び蹴りが接触した一点は描画領域として設定するには余りにも狭く、それが為に打撃力の数値はンセンギマナの背中へ表示されたが、一トンを軽々と超えている。

 左右の腕に破壊力を分散させたとはいえ、その衝撃は深く貫通して骨にも悲鳴を上げさせたはずであるが、バルベルデは機械と肉体の融合を喜びと共に噛み締めている様子だ。

 この好敵手ライバルは競技用義足がMMAの試合にもたらす利点を受けれた上で、ンセンギマナとの試合に臨んでいるのだ。これを成立させる為に策定された特別ルールは、心身のハンデの有無を確かめるのみではない。その承認には極めて繊細な判断を要するのだった。

 多様性ダイバーシティ受容インクルージョン――現代スポーツを支える理念の体現者たちは、ンセンギマナの着地と同時に一進一退とたとえるのが最も似つかわしい打撃の応酬へと転じている。

 のちに『げん』の水流とも呼ばれることになるアメリカン拳法の円運動を封じるべく、バルベルデは左右の拳を立て続けに突き込んでいった。側頭部や顎、脇腹など狙える部位を巧みに打ち分け、その場へ釘付けにしようというわけだ。

 散弾銃とも速射砲ともたとえるべき連打をンセンギマナも正面から迎え撃っていく。直線的に突き込まれてきた右拳を自身の左掌でもって叩き落とし、五指を垂直に立てた対の手を刀の如く水平に閃かせ、バルベルデのこめかみを打ち据えた。

 四半円を描く反撃の右手刀は、少しばかり足さばきフットワークを制限してもアメリカン拳法の円運動は停止められないことを知らしめる端緒に過ぎなかった。顔面目掛けて左拳を直線的に突き込み、これに即応したバルベルデが片腕でもって防御ガードを試みると、命中を待たずにその腕を引き戻した。

 引っ掛けフェイントに近い動作と交差させるようにして対の右拳を内から外へと素早く振り抜き、手の甲でバルベルデの腹部をとうと試みた。変則的な裏拳打ちバックブローも左下腕でもって抜かりなく防御ガードされてしまったが、ンセンギマナは更に自身の右掌を繰り出していく。


「クンッ! ズドッシュゥッ!」


 右掌による打撃で痛手ダメージを与えることが目的ねらいではない。下方に向かって急激に働く力の作用でバルベルデの左肩を押さえ付け、瞬間的に全身運動を封じると、力ずくで振り解かれるよりも早く彼の左側面へと回り込んだ。

 その間に高く持ち上げていた右拳をくうに半円を描くような形で振り下ろしたンセンギマナは、手の甲でもってバルベルデの左側頭部を狙った。

 鉄槌さながらの一撃は無防備のこめかみを鋭角に撃ち抜くものと、観客の誰もが予想したことであろう。しかし、鍛錬が行き届いた一流のボクサーの勘働きに隙はなく、危機を察知した直後には好敵手ンセンギマナが腕を大きく振り回しても届かない位置まで飛び退すさっていた。

 射程圏外に逃れられてしまっては側面まで回り込んでも意味がなく、ンセンギマナの右拳も虚しくくうを切るばかりである。

 彼は左右の腕で小さな円運動を連ね、バルベルデを押し流さんと図った次第であるが、幾度となく拳を交えた好敵手ライバルは、そもそもアメリカン拳法の技に底など無いことも身をもって知っている。

 飛び退いた先までバルベルデを追い掛け、大きく踏み込みながら左右の掌を繰り出しても両腕を交差させる形で防御ガードされ、反対に右前回し蹴りで胴を脅かされてしまった。当然ながらンセンギマナの側も素早く下げた左下腕でもって直撃を阻止している。

 接触した部位や強く踏み締めた足元に投射される光の波紋――プロジェクションマッピングは打撃力の計測値と共に両選手ふたりが繰り出す全ての攻撃に施されていた。

 あるいは〝精密狙撃〟と言い換えるべきであろう。強い光が誤って選手の網膜に直撃しないよう最適な描画領域を超高速で計算しているのだ。例えば頭部や顔面に打撃が命中した場合、攻め掛かった側の背中に打撃力を表示するわけである。

 に用いる機械の精度は、嵐とも濁流ともたとえるべき激烈な応酬を一つとして見逃さずにプロジェクションマッピングを施していく追跡能力が証明していた。

 八角形の試合場オクタゴンという限定された空間内ではあるものの、静止目標ではなく絶えず動き回るMMA選手を追い続け、その間に生体データの測定まで完了することは至難の業である。『天叢雲アメノムラクモ』の団体代表――ぐちいくが羨むのも頷ける最先端技術の結晶であった。


「……オレもまだまだ甘いな。一生の不覚と悔やむべきかも知れん。この最終決戦ラストマッチの後にお前と二人で喰らうチョコを用意していなかった。『つむぎちゃん』に倣って手作りすべきなのに気が回らなくてすまん」

「そこまで原作イシュタロアを踏まえなくたって良いんじゃねェかな。『ひまわりお姉様』の台詞を借りるなら、チョコと同じくらいの充実感を味わわせて貰ってるぜ!」


 以心伝心の好敵手ライバル関係であるが為、互いに決定打を欠く攻防が続いていた。絶え間ないでありながら、戦況そのものは膠着にも等しいという不思議な状態である。それにも関わらず、喜色で満たされた顔を見合わせるのは、似たような場面シーンが『かいしんイシュタロア』でも描かれた為だ。

 は第二シーズン第七回「体温よりも熱くキミを感じて」の一幕であった。

 バレンタインデーの些細な行き違いからすれ違った『あさつむぎ』と『もとひまわり』によるたった一度の〝私闘〟が描かれたのだが、心臓から数ミリばかり外れる部位にて『神槍ダイダロス』を受け止めた後者ひまわりが噴き出した血を前者つむぎの顔に塗りたくって愛情を示すという鮮烈なシーンで締め括られた。

 喜びに打ち震えて溢れ出した『あさつむぎ』の涙を「あなたの手作りチョコレートと同じくらい甘い」とささやきながら舐め取る『もとひまわり』の姿は『かいしんイシュタロア』という作品アニメの紹介に際して頻繁に引用されるのだが、劇的な佳境クライマックスに至るまでは今しがた『NSB』の試合場オクタゴンで繰り広げた攻防と同じような展開が続いたのである。

 『あさつむぎ』は無理心中する覚悟で『もとひまわり』に『神槍ダイダロス』を突き込み続けたのだが、魂を分け合う姉妹分には動作うごきを読み抜かれ、神をも討てる穂先は皮膚を微かに抉るのみであった。

 彼女つむぎの想いに応えようとする『ひまわりお姉様』の攻撃も同様である。ドス黒い粒子を撒き散らしながら回転し、己の首を刎ね飛ばさんとする『巨大戦輪ハーヴェストムーン』を『あさつむぎ』は紙一重で避け、あるいは『神槍ダイダロス』で弾き返して頸動脈すら断たせなかったのである。

 互いに致命傷を与えられない拮抗状態は、心を覗き合うことさえ受けれた絆の証とも言い換えられるだろう――金網の外で試合を見守るシード・リングだけでなく、骨身が軋む痛みさえ喜びとして噛み締める両選手ふたりも、くだんの名場面ののちに武器を放り出し、血と泥にまみれながら取っ組み合った『あさつむぎ』と『もとひまわり』の幻像まぼろしをマット上にていた。

 右拳による直線的な一撃ストレートパンチに対し、その手首を左の五指で掴み返したンセンギマナは、腕全体を己の側に引き込みつつ、脇腹を抉るべく対の拳で半円の軌道を描いた。

 左の義足ライジング・ポルカドットを〝軸〟に据え、日本の剣術にける居合い抜きの如く拳を横薙ぎに閃かせた一撃は、死角となる側面から放たれたものである。この時点でバルベルデは右腕の可動うごきを封じられており、咄嗟の防御ガードも難しかろうと誰もが思っていた。


「チョコレートより甘い――と、えて両選手ふたりのやり取りを引き継がせて頂きましたが、今の一手はンセンギマナ選手に詰めの甘さを感じざるを得ません。確かにアメリカン拳法は全方位対応の〝総合格闘〟ですが、《それ》はMMAで基礎中の基礎。『クウカン』のサバキを彷彿とさせる攻防も『NSB』が誇るはお手の物でしょう」


 果たして、実況担当の予想通りとなった。右腕の可動うごきは肩も肘も拘束されているが、対の左手は自由を保ったままである。己の右腕の下を潜らせるようにして左掌を繰り出し、今まさに胴へ突き刺さろうとしていた横薙ぎの一撃フックパンチ防御ブロックして見せた。

 次いで左掌をンセンギマナの胸部に押し当て、ここを支点として右腕を拘束から引き抜いたバルベルデは、えて間合いを取らずに踏み止まり、右外膝に狙いを定めて下段蹴りローキックを繰り出した。

 義足への直接攻撃は反則となるが、生身の足を下段蹴りローキックで揺さぶることは通常のルールと同じように認められている。それ故、レフェリーも両選手ふたりの間に割って入って食い止めようとはしなかったのである。

 対するンセンギマナも左の下段蹴りローキックを右脛でもって巧みに受け流した。しかし、それはであってではない。〝軸〟に据えた左の義足ライジング・ポルカドットと腰を一等大きく捻り込んだ。そのまま大きな円運動へと変化し、バルベルデの全身を『げん』の水流に呑み込んでいく。

 八角形に敷き詰められたマットを時計盤に見立てるならば、バルベルデは三時から九時まで身を移されてしまった格好である。

 またしても無防備に近い状態となっているが、意識まで断ち切られたわけではない。右側頭部に迫る左肘打ちにもすぐさま反応し、命中の寸前で身を沈めてかわし切った。

 半円の軌道を描くその肘打ちは、ンセンギマナ自身が右足でもって生み出した円運動に逆らう形で繰り出されている。外から内へと上半身を捻り込んだ際に引き絞ったバネを一気に解き放つ――ンセンギマナが極めた円軌道の打撃は、身体構造と運動エネルギーの結晶である。

 人体急所であるこめかみに突き刺されば、その衝撃は脳をも貫くことであろう。頭頂をすり抜けていく音は冷たい戦慄が走るほど大きかったが、バルベルデは止まらない。ンセンギマナの胴へ巻き付けるべく回避と同時に両腕を繰り出した。

 脇の下に自身の両腕を滑り込ませるような恰好で正面から組み付き、上体を大きく反り返らせて相手を後方に放り投げるフロントスープレックスを仕掛けようというわけだ。

 マットに投げ落としたのち寝転んだグラウンド状態まで持ち込まんとする意図を見抜いたンセンギマナは、左の義足ライジング・ポルカドットを〝軸〟に据えたまま好敵手ライバルよりも更に深く身を沈ませ、己の腰を巻き付けられようとしていた腕から逃れた。

 高い耐久性を誇るチタン製のひざつぎと、弾力性に富んだカーボン繊維ファイバーの〝板バネ〟でなければ、義足の関節部は強烈な負荷によって破損していたことであろう。

 だが、ンセンギマナにとってはその負荷こそが〝武器〟となる。左の義足ライジング・ポルカドットに限界まで蓄積した運動エネルギーを爆発させながら上体をね起こし、宇宙船発射の如き勢いに乗せて右膝を突き上げたのである。

 声優であるのと同時に、古代ビルマ由来の伝統武術ムエ・カッチューアの使い手でもある希更・バロッサは自らがいのちを吹き込む『あさつむぎ』になぞらえ、得意の飛び膝蹴りを『神槍ダイダロス』とも呼んでいたが、すらも凌駕する一撃であろう。

 あるいは『ライジング・ポルカドット』という名の顕現あらわれと呼ぶべきかも知れない。〝板バネ〟の急激な伸縮は、五色の泡が紫水晶アメジストいろの空へ解き放たれたかのような錯覚を見る者に刻み込んだのである。


「ドギャギャギャオォォォゥゥゥンッ!」


 無防備のまま五色の泡に包まれようものなら失神ノックアウトは免れないと、バルベルデの側も理解わかっており、ンセンギマナの右膝が完全に突き上げられる前に左拳で叩き落とした。

 『ライジング・ポルカドット』が生み出す反発力は文字通りに人間離れしていた。左腕全体がね飛ばされ、そこに働いた力の作用に引き摺られて上体まで反り返ってしまったのだが、それでも蹴りを放つことは出来る。

 体勢を立て直さんとする動作うごきを阻むべくンセンギマナの右太腿に左の前蹴りを見舞ったバルベルデは、同じ側の足でもって腹部をも狙った。これは下腕によって防御ガードされたが、最初から痛手ダメージを与えるのが目的ではない。足裏で踏み付け、後方に大きく跳ね飛んだ。

 第一ラウンド後半に向けて仕切り直しを図るべく、一旦間合いを取ったのである。

 クノク・フィネガンが拓いた〝道〟を真っ直ぐに見据え、人間の可能性と医療技術の進化が綾を成したンセンギマナと、アメリカン拳法による絶え間ない猛攻を一つ残らず見極めていくの動体視力と足さばきフットワークが大歓声を巻き起こした。


「我らがアメリカン拳法の完成者――エド・パーカーは、戦友とものブルース・リーが創始つくり上げし『ジークンドー』を超えるべき好敵手ライバルの頂点に定めていたという。オレがこのけんを授けられた道場スタジオも、エド・パーカーから受け継いだ思いを一つの大望として掲げてきた。師匠マスターの前で言ったら後で叱られそうだが、ブラボー・バルベルデという戦友ともがオレにとってのブルース・リーであり、ボクシングがジークンドー該当あたるぞ」

「俺の魂はボクシングこそが故郷ホームグラウンドだぜ。子どもの頃から夢中に練習してきて何もかも知り尽くしたつもりでいたけど、お前と出逢って拳を交えて、本当の理解には指先一本届いていなかったコトを悟ったよ。現在いまのブラボー・バルベルデがるのはお前のお陰だ」

「リオの晴れ舞台でお前が金メダルを獲得した暁には、『ブラボー・バルベルデを育てたのはこのオレ』と胸を張るとしよう。……戦友ともから貰ったその言葉、一生の誇りだ」

「リオでもトーキョーでも、大いに誇ってくれよ。戦友ともの期待に応えられねェほどブラボー・バルベルデはつまらないボクサーじゃねェからさッ!」


 目の前の好敵手ライバルと巡り逢えたからこそ、自分は強くなれた――生涯の宝物とも呼ぶべき感謝を噛み締めながら、ンセンギマナとバルベルデは指貫オープン・フィンガーグローブに包まれた拳を握り直した。

 ブラジリアン柔術にける前田光世コンデ・コマともたとえるべき祖――己と同じ日系ハワイ人の拳法家の系譜を継ぎ、アメリカン拳法を完成に導いたエド・パーカーは、それ故に〝現代アメリカで最大の功績を成し遂げた武術家〟と呼ばれている。

 そのもう一つの功績は「考えるな、感じろ」という名台詞で世界中の人々の胸を熱くさせた稀代の映画俳優にして伝説的な武術家――ブルース・リーを見出したことである。

 ブルース・リーがまだ無名であった一九六四年八月――エド・パーカーがカリフォルニア州ロングビーチで開催した格闘大会に彼も招かれ、このときに披露した演武が注目を浴び、武術の達人という設定でアクションドラマの助演俳優に大抜擢されたのである。

 伝説とたとえることこそ最も相応しいブルース・リーの経歴キャリアは、エド・パーカーの導きによって開かれたのだ。時代を超えて尊敬を集め続ける孤高の求道者がアメリカン拳法に続いて〝総合格闘〟の体系化を成し遂げ、ジークンドーを創始したのは一九六〇年代後半のことであった。

 そして、総合格闘技MMAの歴史は、エド・パーカーともブルース・リーとも異なるもう一本の〝道〟――ヴァルチャーマスクを世に生み出す。

 〝超人〟レスラーとして畏怖されるヴァルチャーマスクは異種格闘技戦の経験と『とうきょく』の理論に基づき、一九八〇年年代半ば――『昭和』と呼ばれた時代の末期にこんにちのMMAへと通じる礎を完成させたのだ。

 奇しくも世界に先駆けてアメリカ・ペンシルベニア州で開催された〝興行イベントとしてのMMA〟が法の力によって理不尽に頓挫させられ、『NSB』の誕生という大逆転を待つ一〇年の間に起こった展開である。

 あらゆる動作に対応し得る機能性から今や国際基準となった指貫オープン・フィンガーグローブの開発にいても、ブルース・リーとヴァルチャーマスクは一本の系譜で繋がっていた。双方が連携して取り組んだわけではないが、独創という二字を体現する前者ブルース・リーの試作を経て、格闘技の未来に必要なことを具体化する才覚に恵まれた後者ヴァルチャーマスクが完成に至らしめたのだ。

 『NSB』では一九九七年七月から正式に採用されている。ンセンギマナとバルベルデの拳は偉大な先人たちの夢の結晶を纏っているのだった。

 そして、夢はただ甘受するだけのモノではない。ブルース・リーとヴァルチャーマスクが四半世紀も先の総合格闘技MMA指貫オープン・フィンガーグローブという〝形〟で具現化したように、『NSB』も受け取った夢を更なる未来に繋ぐべく進化を目指し続けている。

 赤・青両陣営のセコンドには『NSB』から一枚のタブレット端末が貸与されている。簡易的な経歴プロフィールといった選手の情報が添えられた試合映像と同じように、その液晶画面にも打撃力や有効打の命中回数が表示されているのだが、測定には指貫オープン・フィンガーグローブや試合着に組み込まれたICチップなど最新鋭の技術が導入されている。

 有効な攻撃が成功するたびに加算されていく得点スコアも画面内で確認できる。現在のルールにいては、制限時間内に決着がつかなかった場合、累積された得点スコアがそのまま勝敗の判定ジャッジに直結する。

 タブレット端末自体が公開採点オープン・スコアリングとしての機能も備えているわけだ。当然ながら得点スコアは選手やセコンドが組み立てる戦略にも大きな影響を与えていた。

 特にンセンギマナとバルベルデは互いに決定的な状況まで持ち込めずにいる。八角形オクタゴンの〝ケージ〟を見守る誰もが呼吸を忘れてしまう接戦とは不釣り合いなほど得点スコアも少ないのだ。肉撲つ音が絶えない互角の攻防は観客を白熱させるが、選手を支えるセコンドからすれば相手に対してリードを広げられない状況ほど心理的な余裕ゆとりを削られるものはなかった。

 僅差のまま試合が進行し続け、最終ラウンドの残り時間を使い切る寸前に逆転不可能な得点スコアを対戦相手に許した場合、戦意をし折られるという最悪の情況で最後のブザーを聴くことになるのだ。

 得点スコアに基づいた判定ジャッジではなく、己の手で勝敗を決する方法はノックアウト降参ギブアップなど幾つも用意されているが、これを前提として試合運びを組み立てるには相応の心理状態を維持することも重要だった。それはつまり、決定打クリティカルヒットによる圧倒的な点差ダブルスコア・ビハインドで相手に揺さぶりを掛ける戦略が有効という意味だ。公開採点オープン・スコアリングを利用した圧迫プレッシャーは試合の流れさえ一変させるのである。

 かつては自らも『NSB』に出場していたンセンギマナの師匠マスター――青サイドのセコンドを務めるシルヴィオ・T・ルブリンは、金網の向こうとタブレット端末を忙しなく見比べながら複雑という二字を顔面に貼り付けた。

 サンノゼに開いた道場スタジオへと迎え入れ、こんにちまで共に〝心技体〟を磨き、子どもたちへの指導を任せるほど信頼する愛弟子ンセンギマナはつらつと闘う勇姿すがたをこの場の誰よりも誇らしく思っているのは、言わずもがな師匠シルヴィオである。

 浅知恵や小細工など挟まず、好敵手ライバルと真っ向からぶつかり合う喜びがンセンギマナの顔面にあらわれている。愛弟子の昂揚が我がことのように理解わかる。だからこそ圧倒的な点差ダブルスコア・ビハインドという作戦運用上の優位を求めそうになるたび、その声を呑み込んでいた。

 両選手ふたり最終決戦ラストマッチに水を差すことは、例えセコンドであろうとも許されないのだ。


「アタシが割り出した計算だと『ライジング・ポルカドット』はまだまだ全然負荷に耐えられるわよ。アメリカン拳法の反動を恐れずにドンと行っちゃいなさい。万が一、限界突破して板バネが割れちゃったとしても、ちょちょいのちょいって交換してあげるから」

「……ジョルジェット、相棒アイツを甘やかされたらボクが困っちゃうよ。デタラメな使い方で義足を壊そうものならキミに叱られるって釘を刺したの、そこで聞いていたよね?」

「悪ふざけみたいな真似でおかしなコトになったら、三日間は食事が喉を通らなくなるようなお説教だけど、全身全霊を傾けた勝負で粉々になるのは話が別じゃない。ンセンギマナクンが持ち得る限りの力を出し切れるよう支援サポートするのがアタシたちの役目だもの」

「絶対に言い返せないところをいちいち突いてくるんだもんなぁ。キミ、底意地悪いよ」

「人生で一番大切な試合たたかいで全力を発揮し切れなかったって、義足を見るたびに後悔がぶり返すようになったらアタシのほうだって寝覚めが悪いもの。自分本位な動機への批判は甘んじて受けてあげるわよ」


 もう一人のセコンド――そうのジョルジェット・ゼラズニィは、試合場オクタゴンに悔いなど残さないよう浅知恵など挟まずに力の限り闘い抜くべきだと、ンセンギマナの背中を押していた。

 修理や調整を担う義肢装具士ジョルジェットの為にも大切な義足へ不必要な負荷を掛けないよう先程も相棒ンセンギマナを戒めたばかりのシード・リングは、彼女自身の声援に頬を掻くしかなかった。

 何しろジョルジェットは片目を瞑りながら「でしょ?」とジュリアナ・オーケアノス・ヴィヴィアンに同意を求め、親指を垂直に立てる仕草ゼスチャーを返答の代わりに引き出したのだ。シード・リングと大して変わらない年齢にも関わらず、相棒ンセンギマナとは別の意味で物怖じしないのである。

 現在の『NSB』を代表する選手であり、一回りは年長であるジュリアナに対してさえ同世代の友人の如く接してしまえる肝の据わり方には、シード・リングも呆気に取られることが多い。

 内戦が終結して間もなくの頃からルワンダの人々を支援たすけるべく現地で義肢工房を開いている日本人技師とも肩を組んで語らっていたが、その姿にシード・リングは呆れを通り越して畏れすら抱いたものである。

 ンセンギマナが日常生活で用いている義足を手掛けた恩人でもある。それ故に彼の仲間たちとも気さくに接してくれるのだが、ルワンダという国家くにを二〇〇〇年シドニーパラリンピックへと導き、内戦で傷付いた国民ひとびとの〝心の復興〟を推し進めるという歴史的偉業を成し遂げた人物なのだ。

 『NSB』に限定せず、ンセンギマナが格闘技の試合へ出場する際に〝出張〟という形で同行しているジョルジェットは、アメリカの義肢装具メーカーに籍を置いている。コンピューター制御のひざつぎや外骨格型ロボット装具の開発など同分野の最先端技術を担う企業であり、ンセンギマナも義足モニターとして協力している。

 改めてつまびらかとするまでもなく、ンセンギマナもジョルジェットに全幅の信頼を置いている。設計の段階からMMA用義足の開発に携わり、その〝全て〟を知り尽くした人間といっても過言ではないのだ。

 決して無責任な声援ではない。如何なる故障が発生しようとも問題なく試合を継続させてみせるという宣言にも近いものであった。

 彼女ジョルジェットは『NSB』からセコンドに貸与される物とも異なるタブレット端末を特別に許可を得て持ち込んでいた。ソケットやひざつぎ、二枚の〝板バネ〟など義足各部に取り付けられた小型センサーから『ライジング・ポルカドット』の状態を受信し、常に確認モニタリングしているのだが、負荷の度合いなどは機械に頼らずとも肉眼のみで読み解ける。

 先程の声援は飛び抜けて優れた技能に裏打ちされるとも言い換えられるだろう。


「――ズドッシャァァァァァァンッ!」


 だからこそジョルジェットの激励に応えるべく〝板バネ〟の反発力を全開で解き放ち、口から発する効果音を引き摺るようにして好敵手ライバルへと飛び掛かっていったのである。

 これまでの攻防よりも更に鋭い飛び蹴りを放つと見せ掛けておいて、右足を繰り出す寸前でマットを踏み付けたンセンギマナは、義足の〝板バネ〟で再び跳ね、瞬時にしてバルベルデの背後まで回り込んだ。

 これと同時にンセンギマナが繰り出したのは、右の裏拳打ちバックブローである。

 後頭部ひいては背面への意図的な打撃を『NSB』では反則行為に定めているが、鞭の如く腕をしならせ、風を薙いで半円を描いた拳はバルベルデの左側頭部まで届いている。であれば、レフェリーも止める理由がないわけだ。

 競技用義足の〝板バネ〟はただ取り付けるのみでに蓄積される運動エネルギーを利用できるわけではない。引き絞ったづるの如く〝力〟を溜めるにしても習熟が欠かせず、重心の制御コントロールを一つ仕損じただけで各部の破損を招くのである。

 特にアメリカン拳法の大きな円運動は、膝の関節部の屈伸運動だけでなく様々な方向から猛烈な負荷が掛かる。制御コントロールできなければ、ひざつぎと板バネを連結する部品パーツなどは一個ひとつ残らず弾け飛んでしまうのだ。

 機械と肉体を高度に融合させた拳法を〝実戦〟で使いこなすのは、それだけ難しいのである。急激な旋回を伴う跳躍で相手の双眸を惑わす奇襲にこそンセンギマナというMMA選手の戦闘能力が表れているのだった。

 湾曲した〝板バネ〟に必要なだけの負荷を掛け、瞬間的に運動エネルギーを蓄積し、アメリカン拳法の潜在能力ポテンシャルと共に引き出す――ンセンギマナの姿が視界から消失した瞬間にその意図を読み切ったバルベルデは素早く振り返り、今まさに己の横面を脅かさんとしていた裏拳打ちバックブローも高く持ち上げた右拳でもって受け止めた。


「今日の為に『神槍ダイダロス』を研ぎに研いできたというのに穂先の一ミリも届かないこの戦慄、この感動をもう楽しめなくなるのかと思うと、さすがに未練が湧いてしまうな」

「その内に新しい好敵手ライバルだって見つかるさ。そいつがきっとお前を〝次〟のステージに連れていってくれるハズだぜ。指をくわえてそれを見なくちゃならねェのは妬けるかもよ」

「ブラボー以上の好敵手ライバルなど見つかるものか。ここから先は孤独オレひとりの旅路だ――そういう湿り気のある惜しみ方はお前を困らせるだけだからやめておくがな。その拳から受け取った人生の糧を更に充実させねば、次に顔を合わせたときにお前にも自分にも胸を張れん」


 後頭部にも目が付いているかのような反応である。『あさつむぎ』と『もとひまわり』の競演ランデブーとも重なる以心伝心の攻防は、意識の外から割り込むような裏拳打ちバックブローをも弾き返されてしまったンセンギマナだけでなく、バルベルデも更に昂らせたようだ。赤・青両陣営のセコンドが覗き込むタブレット端末では、二つの心電図が胸の高鳴りともたとえるべき波形を描いた。

 『NSB』の試合では打撃力と同様に特殊カメラなどを駆使することで顔の緊張状態や表面体温などから心拍数を測定している。計測値やに基づく心電図をくだんのタブレット端末に表示しているのだが、八角形オクタゴンの〝ケージ〟の直上に設置されたモニターでも同じ情報が共有されていた。

 そのモニターは試合場オクタゴンを取り囲む客席の何処からも確認できるよう四方に向けて一枚ずつ取り付けられている。試合に臨むMMA選手の情報を記したパネルがホログラムのように浮かび上がる試合映像がそのまま映し出されているわけだ。


「あれだけ激しい運動を続けても外れる兆候すらないスポーツ義足は勿論、……医療技術の進歩が格闘技そのものを〝未来の姿〟に作り変えていくのね。口さがない連中はイズリアルを『MMA界のサッチャー』なんて呼ぶけど、組織改革の姿勢は正反対よ――」


 モニターに表示された心電図や計測値を仰ぎ見たのち、ジュリアナ・オーケアノス・ヴィヴィアンは格闘家に寄り添う医学の進歩を歓迎しながら、何ともたとえようのない溜め息を洩らしながら目を細めた。


「――それをイズリアルに背負わせてしまったのは、の過ちなのだけど……」


 試合中にリアルタイムで測定される各種の生体データは、選手の異常を逸早く検知する為の措置であった。常に新しい波形を描き続ける心電図も、雰囲気を盛り上げる為の装飾などではない。

 心拍数とは心臓の働きを表す生命徴候バイタルサインである。明らかな異常を検知した瞬間、直ちに試合が停止され、医師による診察が行われたのちに必要に応じて然るべき病院へ緊急搬送する体制を『NSB』は整えていた。

 ありとあらゆる角度から八角形の試合場オクタゴンを捉えるカメラには、健全な昂揚たかぶりと病質・外傷性の症状を見分ける機能が備わっている。その差異ちがいは心電図の波形にも反映され、自宅のテレビやパソコンで同団体NSBの試合を観戦している人々にまで公開されるのだった。

 そして、は禁止薬物の投与にる身体強化――ドーピングを見破る〝真実の〟としての役割も兼ねている。

 前代表フロスト・クラントンが組織ぐるみのドーピング汚染を引き起こして以来、『NSB』はアンチドーピング機構とも提携して徹底的な取り締まりを敢行してきた。現代表イズリアル・モニワも崩壊の瀬戸際まで追い込まれていた組織内部の正常化に腐心し、長い時間と労力を費やしてMMA団体としての信頼を取り戻したのである。

 当然ながら、ドーピング検査は現在も厳密に実施されている。主催サイドも所属選手も、世界のMMAにとって規範となるべき『NSB』の誇りを二度とけがすことがないよう努めているわけだが、規制の網目をすり抜けて禁忌の〝力〟に手を伸ばしてしまう人間は未だに根絶に至っていない。それもまた〝現実〟である。

 ドーピング汚染の後遺症というよりも、許されざる罪と理解していながら禁断の誘惑に手を伸ばさざるを得なくなってしまう根本的な原因と呼ぶべきであろう。結果が芳しくなければ、契約解除は免れない――鍛え抜いた〝心技体〟を頼りとして報酬を得る〝プロ〟の競技選手アスリートたちが等しく懊悩する現実問題とも言い換えられるはずだ。

 成績不振や故障など理由は様々であるが、極限まで追い詰められた競技選手アスリートは、愛する家族を養えなくなる葛藤などに衝き動かされ、〝最後の一線〟を越えてしまう。

 情状酌量の余地を残してはいても断じて看過できない過ちを白日のもとに晒し、ドーピング汚染の再蔓延を阻止する為には生体データの計測が不可欠と、現代表イズリアル・モニワも繰り返し主張し続けてきたのである。

 生まれ変わった『NSB』の象徴とするべく団体代表に就任したイズリアルの主導で開発され、総合格闘技MMAの在り方を新たなる領域まで発展させたシステム――『CUBEキューブ』とは〝舞台演出〟の装置ではないということだ。

 測定された打撃力などに基づくプロジェクションマッピングでさえ聴覚にハンデのある観客へ寄り添うことを目的として搭載されたものであり、現実リアル虚構フィクションの境い目が曖昧になるほど派手派手しい〝光の演出〟も副産物に近いのである。

 『CUBEキューブ』に組み込まれた最先端技術の一つ――リアルタイム測定による両選手ふたりの心電図を頭上のモニターに見つめるジュリアナ・オーケアノス・ヴィヴィアンも『NSB』でドーピングが横行していた暗黒時代に過ちを犯してしまった一人なのだ。

 彼女ジュリアナが手を染めてしまったのは、禁止薬物ではなく自己血輸血――心肺能力などの強化を図る〝血液ドーピング〟であった。イメージ戦略によって〝女神の生まれ変わり〟などと持てはやされ、トレーナーでもあった実父から金髪ブロンド花形選手スーパースターであることを強要され、追い詰められた末に道を踏み外してしまったと、格闘技雑誌ゴッドハンド・ジャーナルの取材でも打ち明けている。

 一度は引退を決意したものの、イズリアルから直々に慰留され、同じ『NSB』の選手であった伴侶パートナーに支えられてリハビリを重ね、不死鳥の如く復活を遂げたのだ。

 モニワ体制のもとで過去に一度だけ開催されたの男女混成トーナメントを制し、名実ともに『NSB』の王座に君臨したとき、ジュリアナ・オーケアノス・ヴィヴィアンは『ザ・フェニックス』と呼ばれるようになっていた。

 かつてヴァルチャーマスクと呼ばれ、異なる通称リングネームを名乗って『NSB』に移籍した日本MMAの先駆者を破った〝最強〟の総合格闘家とも言い換えられるだろう。

 生まれ変わらんとする意志さえあれば、人間は絶対にやり直せる――『NSB』の再生に貢献し、〝競技人生〟を全うすることこそ己が果たすべきしょくざいと胸に秘めて闘い続ける『ザ・フェニックス』にとって、MMAとパラアスリートの発展を担うシロッコ・T・ンセンギマナは、大いなる夢を分かち合える〝希望の星〟なのだ。


「ボクシングとレスリング――MMAの二大要素である立ったスタンド状態と寝転んだグラウンド状態の技術テクニックを完璧に兼ね備えたバルベルデ選手と、〝スポーツ義足〟を極めて格闘技の可能性を前人未到の域にまで拡げたンセンギマナ選手は、それぞれ異なる形で研ぎ澄まされた〝力〟の切磋琢磨といういて新時代の〝異種格闘技戦〟でしょう。いつか心身の条件で競技体制が分けられることのない時代を私たちは夢見ています。ンセンギマナ・バルベルデ両選手はその未来図を『NSB』に描いてくださいました!」


 ますます熱量が高まっていく実況担当は、実戦志向ストロングスタイルを掲げた日本のプロレス団体『しんどうプロレス』による〝異種格闘技戦〟をも引用し始めた。

 〝総合格闘〟の団体でありながら『NSB』は〝異種格闘〟の影響を否定していない。

 敗戦によって心まで焼け野原と化していた日本人を奮い立たせた〝戦後プロレス〟の象徴――りきどうざん最後の直弟子である鬼貫道明と、彼のもとに集った『鬼の遺伝子』は、かつての前田光世コンデ・コマと同じく世界中の猛者と異種格闘技戦を繰り広げている。

 『昭和の伝説』と畏敬されるプロレスラーが『アンドレオ鬼貫』の通称リングネームを名乗っていた頃であるが、アメリカ・プロボクシングの歴史に燦然と輝く最強のヘビー級王者チャンピオンを日本武道館に迎えた一九七六年の〝頂上決戦〟は全世界を衝撃で打ちのめし、『NSB』の現代表であるイズリアル・モニワもこんにちに続く〝MMAの元祖〟の如く両雄を讃えていた。

 『アンドレオ鬼貫』が切り拓いた〝道〟には日本国内外を問わず数多の競技団体が続くわけであるが、〝興行イベントとしての格闘技〟の可能性が広がっていく転換期にいて実戦志向ストロングスタイルのプロレスによる異種格闘技戦が果たした役割は計り知れなかった。

 何しろ『アンドレオ鬼貫』が率いたプロレス団体は、今まさに八角形の試合場オクタゴンで唸りを上げているアメリカン拳法の使い手もフロリダから招いていたのだ。しかも、ンセンギマナひいてはシルヴィオと同じく『T』の一字を称する〝同門〟である。

 現在の日本で最大の勢力を誇るMMA団体『天叢雲アメノムラクモ』と『NSB』が二〇一五年末に共催する合同大会コンデ・コマ・パスコアを例に引くまでもなく、日米の格闘技はおおきな輪によって繋がっている。

 そして、その互恵関係はる種の〝循環〟と言い換えられるのかも知れない。日本人初のプロレスラーであるソラキチ・マツダも、日本初のプロレス興行イベントを開催したコラキチ・ハマダも、明治時代に〝サーカス王〟ことフィニアス・テイラー・バーナムを頼ってアメリカに渡り、それぞれの〝立場〟で〝興行イベントとしての格闘技〟に未来を見出したのだ。

 日米両国の格闘技界にとって『コンデ・コマ・パスコア』は一つの集大成であろう。

 実際、『NSB』は前身団体バイオスピリッツの頃から『天叢雲アメノムラクモ』を一蓮托生にも等しい同胞パートナーとして尊重してきた。〝格闘技ビジネス〟の視点にいては、MMA黄金時代の終焉と共に離れてしまったファンの引き戻し工作や、興行イベント中継に対する潜在視聴層の新規開拓も含めて日本という市場マーケットを重要視し続けていた。

 特にここ数年はシンガポールで台頭した新興団体への警戒を緩められない状況が続いている。主にアジア系のMMA選手を中心として興行イベントを開催しているが、『天叢雲アメノムラクモ』と同じ二〇一一年の旗揚げ以降、飛ぶ鳥を落とす勢いは留まるところを知らなかった。

 自国シンガポールの『スポーツファンド』による出資が活動を強く支え、アジア圏のみならず欧米の大企業も名を連ねるなど、スポンサー構成も新興団体とは思えないほど分厚い。

 海外への映像配信を担う放送事業者も、興行運営を支えるスポーツメーカーも、『NSB』と関わりのないを業務提携の相手に選んでいる。それはつまり、国内最大団体を迂回する形でシンガポールに〝アメリカ資本〟が流れ込んでいるという意味だ。

 くだんのMMA団体は、今や東南アジアに〝独立勢力〟を築きつつあった。

 『NSB』代表のイズリアル・モニワが最大の脅威として意識するのは当然であろう。経営陣はオリンピックなど様々な国際大会に携わっており、スポーツビジネスを知り尽くしている。他の競技団体と異なる理念・展望も明確に打ち出し、格闘技雑誌ゴッドハンド・ジャーナルの分析でも数年の内に『NSB』と勢力を二分する可能性が示されていた。

 出場者を大切に育てようとする運営方針や、武道の精神を重んじる競技体制などに興味を持つMMA選手が欧米双方に多い。資金調達の面でも盤石であり、『NSB』でも大規模な人材流出が起こり兼ねない状況なのだ。

 『NSB』の基盤にまで影響が及ぶと想定されるアジア圏の勢力図を〝仮想敵〟の自由にさせない為にも日米の連帯パートナーシップを国際社会に誇示する必要があり、『コンデ・コマ・パスコア』は是が非でも成功させなければならないのである。


「――かの有名な森寅雄タイガー・モリより少し前の世代だけど、日本で義足の剣道家が活躍していたと耳にしたおぼえがあるわね。試合中の写真を見ることが叶わなかったのが残念よ」

「さすがは『NSB』が誇る絶対王者、アンテナの受信レベルまで最強ね。MMAにも匹敵するくらい動作うごきの激しい剣道にも義足は十分に対応できるという東山健之助ケンノスケ・ヒガシヤマの証明は、『ライジング・ポルカドット』を開発しようってときにも大きな励みになったわ」

「どれだけルールの整備に気を配っても、接触競技コンタクトスポーツの中で格闘技や武道が高い危険性リスクを伴うという事実は覆せないわ。心身の個性で分けられてきた試合条件を統一させることは、平等という理想の落とし穴と紙一重だから、慎重にならざるを得ないのだけど……」

「ハンデとなり得る部分が深刻な後遺症を引き寄せる危険性リスクとイコールってコト? ンセンギマナクンもフィネガンさんも――パラアスリートは誰もがその覚悟で闘っているわ。そして、の使命は彼らの夢を最良ベストの形で支えて、危険性リスクを完全に避けるコト」

「子どもを持つとに目が届くようになるのよ。意識という点でもね。私個人は勿論、貴女の考えと一緒おなじよ。世界中の先例が人間の可能性を示してくれたのだから、次の世代の為にもは更なる未来を――」


 世界各国のMMA団体が『NSB』に倣って八角形オクタゴンケージを採用する中、実戦志向ストロングスタイルのプロレスによる異種格闘技戦の〝正統〟を継ぐ『天叢雲アメノムラクモ』は、闘魂の結晶とも呼ぶべき四角いリングを前身団体バイオスピリッツの頃から堅持し続け、その姿勢を時代遅れと批判されることが多い。

 一方で発展的な影響を与え合う分野も少なくはない。〝パラスポーツとしてのMMA〟に挑戦する人々も大いに触発されたようだ。

 〝パラスポーツとしてのMMA〟に深く踏み込んでいく実況に反応した『NSB』最強のMMA選手とそうはドレッドヘアーを巻き上げながら『げん』の水流を起こす義足のアメリカン拳法家を金網の向こうに見つめ、各々の〝立場〟にけるパラアスリートとの向き合い方を語らっていたが、それは未来への意志ともたとえるべきであろう。

 第一ラウンドの残り時間は、間もなく一分を切ろうとしている。

 試合を見守るレフェリーは未だに一度もダウンを宣言していなかった。両選手ふたりとも防御ガードを固めて第二ラウンドで仕切り直しを図るという作戦など考えてもいない様子であり、ンセンギマナによる『げん』の水流も今こそ最高潮とばかりにその勢いを増していった。


「――キュキュキュキュウゥゥゥゥゥゥンッ! ギャリィィィィィィッ!」


 くうに半円を描きながら轟々と振り抜かれたンセンギマナの右掌に対し、左下腕に右手を添えるという恰好で防ぎ切るブラボー・バルベルデであったが、全身に猛烈な力の作用が働く前から自体が布石であろうと悟っている。

 八角形の試合場オクタゴンを時計盤に見立てるならば、横薙ぎの右掌底打ちで一二時から八時の辺りまで押し込まれていた。ンセンギマナの一撃は想像を大きく超えるほどに重く、渾身の力でマットを踏み締めても足の裏が引き剥がされるのを堪えられなかったわけだ。

 身を浮かされたまま意図しない位置まで移されてしまったバルベルデであるが、その間にも追撃が六時の側から迫り来ることを読んでいる。果たしてンセンギマナは一二時から八時へと好敵手バルベルデを追い掛けるのではなく、全円に限りなく近い軌道でくうを切り裂きつつ、水平に構えた右手刀をで振り抜いた。

 『NSB』のルールでは首への直接打撃は危険行為として禁じられており、ンセンギマナの手刀も左側頭部に狙いを絞っている。それすら見極めていたバルベルデは掌底打ちによって骨身まで軋まされていた左下腕を小さな吼え声と共に持ち上げ、一二時から八時まで居合い抜きの如く閃いた一撃を防御ガードして見せた。


「――金網で仕切られた試合場オクタゴンが紳士の集うダンスホールに変わったように見えてしまうのは実況席の自分だけでしょうか? 競技用トランクスも今や燕尾服としか思えません。競演ランデブーの種目は言わずもがな輪舞ロンド。これほどまでに優雅なMMAを自分は他に知りません。一九八〇年まで遡るMMAの歴史がペンシルベニアの舞踊室ボールルームから始まったことを振り返りますと、これもまた三〇年という進化の象徴と言えましょう」


 改めてつまびらかとするまでもなく、バルベルデは直撃を免れただけであってアメリカン拳法の猛攻自体を止めたわけではない。打撃の動作と合わせて好敵手ライバルの左側面まで回り込んだンセンギマナは、を左の五指にて掴もうと試みた。

 手首の〝捕獲〟が完成した瞬間に腕全体を捻り上げられると直感したバルベルデは、巧みな足さばきフットワークで五指より逃れ、更なる追撃に備えて両腕による防御ガードも固めていく。

 これを見て取ったンセンギマナは左側面という位置を維持したまま追いすがると、今度は防御ガードをすり抜けるようにして側頭部へ裏拳打ちバックブローを見舞い、腰の逆回転と連動させた肘打ちで眉間を狙い、更には同じ側の肘でもって顎を突き上げる――右手一本で各部への打撃を絶え間なく連ね、その動作うごきの中で上半身のバネを十分に引き絞ると、溜めに溜めたその力を鳩尾に食い付かんとする横薙ぎの左拳に乗せて解き放った。

 いずれも小さく円軌道を描く打撃である。左側面をられた直後は防御ガードの隙間をも抜けられ、頭部を揺さぶられてしまったバルベルデであるが、体勢を立て直すまでには一秒と要しなかった。顎を鋭角に突き上げんとする肘は自身の拳で叩き落とし、横薙ぎに振り抜かれた左拳に対しては、その腕を潜るようにして迎撃の右拳を突き込んだ。互いの拳を交差させる強打はンセンギマナの頬をち、ついに猛攻ラッシュを崩した。

 一方のンセンギマナも好敵手ライバルの意識が上体に引き付けられているものと見て取り、右足裏でもってバルベルデの左太腿を蹴り付け、姿勢を崩そうとも試みたが、それすらも蝶の如き軽やかな足さばきフットワークで避けられてしまった。

 互いの肉体からだとマット上に次々と光の波紋を起こしていくさまは、実況がたとえた通りに輪舞ロンドそのものである。世界各地のダンスをアクション演出に取り入れた『かいしんイシュタロア』を愛し、先程まで台詞を再現していた両選手ふたりにとってはこれ以上ない称賛であろう。

 身のなかにて昂揚が爆発した様子のンセンギマナは、直線的に繰り出していた右拳を引き戻しつつ、紫水晶アメジストいろの義足でもって一等鋭く踏み込んでいった。

 このとき、彼は腰を深く落としていた。軸として据えた左の義足ライジング・ポルカドットの〝板バネ〟に反発力エネルギーへと転換する為の負荷を蓄積させている状態とも言い換えられるだろう。


「ちょい待て、もう上段蹴りハイキック行く気か⁉ 戦意テンションが青天井になンのは俺だって分かるがよ、第一ラウンドから飛ばし過ぎじゃねーの⁉ 途中でバテやしねぇか、さすがに心配だぜ!」

「マスター・シルヴィオの現役時代の試合はボクもテレビで観ましたし、相棒が動画ビデオで研究するのにも付き合いましたけど、第一ラウンドから飛ばしまくるとスタミナが保たないという助言は、当時のご自分に笑われるのではありませんかね」

自分てめーが若い頃の失敗を弟子に繰り返させねぇのも、年寄りの責任つとめなんだっつーの!」


 重心を落とすという構えから弟子の意図を読み取った師匠マスターのシルヴィオは金網の向こうで目を丸くし、シード・リングから冷静な指摘ツッコミを受けていたが、そのンセンギマナを迎え撃たんとする好敵手バルベルデのほうは、微かな隙間からマウスピースが覗くほど嬉しそうに口の両端を吊り上げている。


師匠マスター相棒カリエンテも心配性だな。全力全開全身全霊で『翼焔風バーナー』を噴射ふかし続けても息切れしないよう鍛え上げてくれたのは、他の誰でもない師匠マスターでしょうに――」


 好敵手バルベルデの期待に応えるべく、ンセンギマナは師匠シルヴィオが言い当てた通りの技を繰り出した。

 片足を高く振り上げ、相手の頭部を狙う上段蹴りハイキックは、アメリカン拳法の体系にいて特別に重視されているわけではない。高い威力と引き換えにして極端に大きな動作を必要とするその足技は、無数の円運動を絶え間なく連ねるという攻守の組み立てから飛び出してしまうだけでなく、付け入る隙を相手に差し出す危険性とも背中合わせなのである。

 即ち、この上段蹴りハイキックはシロッコ・T・ンセンギマナというの独創と呼ぶのが最も相応しいわけである。下方に負荷を掛ける状態を維持したまま、ゴムによって覆われたを滑らせるようにして外から内へと腰を捻り込み、これと同時に〝板バネ〟に蓄積させておいた運動エネルギーを解き放って全身をね起こすのだ。

 右足を振り上げるには不向きな姿勢から腰を捻り込む〝横〟の動作と、〝縦〟に作用するカーボン繊維ファイバーの〝板バネ〟の反発力を噛み合わせた上段蹴りハイキックは、ンセンギマナが極めた技の中で最強の破壊力を誇り、今年二月の試合で対戦した相手ケネス・ラノワの腕を防御ガードの上からし折った上、頭部への直撃によって意識をも刈り取っている。

 その瞬間に計測された打撃力は、二トンに迫っていたのだ。

 二重に働く力の作用を制御コントロールし、一つの技として完成させるには本人の身体能力フィジカルと、MMA用義足の性能スペックを完全に引き出すだけの習熟がそれぞれ高次の水準レベルで求められる。あらゆる意味でンセンギマナ以外には使いこなせず、ようやく〝実戦〟で通じるほどの練度に達したのもおよそ半年前であった。


「バゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!」


 五色の泡が紫水晶アメジストいろの空に向かって逆巻くような形で上昇していく――〝板バネ〟の急激な伸縮に目を凝らしていた者たちは、そのような錯覚を刻み込まれたことであろう。

 ンセンギマナというMMA選手を作り上げる全ての〝力〟を結集した右の上段蹴りハイキックは、〝板バネ〟の反発力を生かして上体をね起こす際に急激な変化を伴う為、対戦相手に五色の水玉模様ポルカドットとはまた違う錯覚をもたらすのだ。

 『げん』とは大地を這う黒き甲羅の聖なる亀であり、その尾は蛇とも伝承されている。さしずめンセンギマナの上段蹴りハイキックは、同じ『しん』あるいはおさとして四柱の中央にったとされる『りん』にしか見極められないような動きでもって人間ひとの目を幻惑し、やがて喉笛に喰らい付く蛇の牙ともたとえるべきであろう。

 ブラボー・バルベルデが突出した動体視力を持つボクサーでなかったなら、おそらくは二月の興行イベントでンセンギマナと闘ったカナダ出身うまれ選手ケネス・ラノワと同じ結末を迎えたはずだ。


「気を緩めた瞬間に失神しちまうようなスリルは『NSB』でしか味わえねぇッ! それだけはちょっと未練かもな――」


 直撃の寸前まで引き付けてから急激に身を沈め、桁外れと評されてきた足さばきフットワークを駆使して上段蹴りハイキックが振り抜かれるのと同じ方向に回り込んだバルベルデは、その流れの中で両腕を繰り出し、ンセンギマナの胴に組み付こうと試みた。

 上段蹴りハイキック動作うごきを見極めた動体視力も、無防備となる腰に狙いを定めた判断も、他のMMA選手には真似できないものである。バルベルデに誤算があったとすれば、頭上を通り抜けていった風を薙ぐ轟音が鼓膜を破られるのではないかと心配になるほど大きく、背中に冷たい戦慄が駆け抜けたことであろう。

 限りなく二トンに近い数値を叩き出した打撃力も、その餌食となって救急救命室ERに緊急搬送された〝同僚ケネス・ラノワ〟の有りさまも脳裏をよぎっている。全くの偶然ながら、二月の興行イベントは今日と同じこの場所で開催されていた。

 ひとしずくの冷や汗は格闘家としての精神こころを大いに昂揚させたが、より深層にる防衛本能は恐怖という形で働き、四肢の動きを僅かに委縮させてしまった。生と死が鼻先ですれ違う戦いの場にいては、まばたきほど短い異変によって明暗が分かれることも少なくない。バルベルデの五指に〝捕獲〟される寸前で好敵手ンセンギマナは空中へと逃れた。

 この瞬間、バルベルデの思考かんがえるよりも早く頭上にて両腕を交差させたのだが、直感に基づく判断は結果的にこれ以上ない正解であった。隕石の如く振り下ろされた右カカトによって脳天を砕かれる前に防御ガードが間に合ったのである。


「友より借り受けた『クウカン』の技だが、練り込みも足りない直伝の直伝ではさすがに通用しないか。無論、お前を侮ったワケでもないのだがな」

「そんなに謙遜すんなって。円軌道に組み込まれたカカト落としだったら、きっと防御ガードごと両腕をハズだぜ。骨が折れてねェのが奇跡に思えらァ」


 必殺の上段蹴りハイキックに続いて、そこから派生させた変則的なカカト落としまで凌がれてしまったンセンギマナであるが、依然として決定打クリティカルヒットを欠くような状況を悔むどころか、を一度たりとも許さない好敵手ライバルの力量に歓喜していた。

 絶対の信頼を置いて繰り出した上段蹴りハイキックかわされたと認めながらも、彼は全く平常心を失わなかった。両腕を胴に巻き付けんとするバルベルデの反撃も冷静に見極めており、軸に据え続けている左の義足ライジング・ポルカドットの反発力を利用して垂直に高く飛び上がると、跳躍の頂点にて姿勢を整え、右足全体を縦一文字に振り下ろすようなカカト落としに転じたのである。

 友人の空手家から借りた技であり、練習も足りていなかった――そのように反省を口にするンセンギマナであったが、ヘビー級の体重を乗せたカカト落としは狙った部位への直撃こそ叶わなかったものの、好敵手バルベルデの身動きを封じるには十分な威力を発揮している。

 着地を待たずに左の五指でもって好敵手ライバルの右腕を掴み、片側の義足がマットを踏んだ直後には顎を目掛けて右の掌底を直線的に突き出していく。対するバルベルデはえてその顎をたせ、代わりに自由を保ったままの左拳でンセンギマナの腹部を抉った。

 肘を折り畳んだ状態から最小限の身のこなしで鋭く突き上げるショートアッパーは、傍目にはと映ったことであろうが、実際には相手の動作うごきを先んじて制するだった。

 物理的に押し返された上、体内にまで痛手ダメージが伝達した為に掌底打ちの威力は大幅に減殺されてしまったが、ンセンギマナも最初から顎を軋ませることを目的ねらいとしていたわけではない。掌を顎に押し付けた状態で先に掴んでいた左腕を引っ張り、これと同時に互いの右足を交錯させ、バルベルデの足首を自身のカカトで払うつもりである。

 顎を押さえた掌を支点とし、その場に投げ倒そうと試みるンセンギマナであったが、その意図を好敵手バルベルデは右手首を掴まれた時点で読み抜いている。互いの右足が絡み合うよりも早く自ら跳ね飛び、身軽な宙返りを経て再びンセンギマナの正面へと着地して見せた。

 レスリングの訓練トレーニングによって培った柔軟性と、これを使いこなす身体能力フィジカルの賜物と呼ぶべきであろう。己を投げようとする力の作用にも逆らわない跳躍であり、右腕に対する〝拘束〟も空中で身を捻って引き剥がしている。


「やはり、ブラボー以上の好敵手ライバルに巡り逢えるとは思えんよ。一撃一撃を重ねるたびに新世界へ導いてくれる存在など他に居てたまるか。今、オレは初めて寂しさで泣きそうだ」


 八角形の試合場オクタゴンの中央にて再び差し向かいとなった両選手ふたりは、情熱的な輪舞ロンドを踊り終えて見つめ合うペアのようでもある。呼吸も忘れて攻防を見守っていた一二〇〇〇人の観客も怒涛としか表しようのない大歓声を爆発させた。

 その様子を〝ケージ〟の外周まわりにて見回したベイカー・エルステッドは、ジュリアナのように拍手を贈るのでもなく、場違いなほどくら表情かおである。ンセンギマナが友人からの借り物であるというカカト落としを披露した直後から沈痛そうに口も結んでいた。

 先程の言葉から察するにンセンギマナが技を借り受けた友人とは、『くうかん』を代表する空手家の一人――きょういし沙門であろう。即ち、エルステッドの同門であり、ンセンギマナとの共通の友人である。


「理屈ではなく直感で心を震わせるようなモノにこそ人間ヒトは魅せられる。本能にも等しい衝動であるのだから、理をもって明かすべき〝真実〟さえ歪められてしまう。……これだから格闘技は危険なのだ」


 余人には真意が測れないほど奇妙なエルステッドの呟きは誰かの耳に届くことはなく、一向に収まる気配のない大歓声によって押し流されていった。


上段蹴りハイキックまで飛び出したからには、さすがに小手調べとは言わねーけど、それでもまだまだ本気じゃねーよな? 円運動も切り裂く稲妻のけん――『T』の名を継ぐの〝奥の手〟もそろそろお披露目と行こうぜ。もっともっとヒリついて行こうじゃねーか」

「人体に秘められしあなを穿ち、けいらくを通う〝気〟にザクッと行く〝アレ〟か。出し惜しみしていたわけではないぞ。切り札は絶体絶命の窮地に放つのが美学だからな。しかし、好敵手ライバルのご所望とあらば、師匠マスターに叱られようとも応えぬわけにはいくまい。絶対に死ぬな――それが条件だ、ブラボー」

「俺が冥土の土産に持っていくのは金メダルさ。そして、好敵手ライバルとの想い出だ。忘れたくとも忘れられなくなるような稲妻で俺をブチ抜いてくれて構わねーぜッ!」


 シロッコ・T・ンセンギマナとブラボー・バルベルデ――互いを生涯の好敵手ライバルとして尊敬する両選手ふたりは、この幸せな時間が一分一秒でも長く続いて欲しいと祈るような表情かおで互いの拳をぶつけ合っていた。



                     *



 アクション映画に限定されたことではないが、戦闘描写を含む映像・舞台作品にはを指導・監修する専門家が必ずといって良いほど参加している。

 日本では古くから時代劇や特撮作品が盛んであり、迫真の大立ち回りが目玉の一つとして取り上げられる場合も多い。古今東西の武術とその表現方法に精通した専門家が細かな所作などを役者や監督に指導し、臨場感溢れる名場面を作り上げていく。

 役者の個性を見極め、秘められた能力を最大限に引き出し、一瞬の緊張を劇的に変化させることで本当に命のやり取りをしているかのように領域を指してあるいはと呼ぶのだった。

 そして、武の芸術を担う専門職ひとびとこそが『』なのである。

 日本刀で胸を貫かれ、その場に膝から崩れ落ちるという時代劇の定番とも呼ぶべき場面にいても、実際の剣先は脇の下を通り抜けている。真横から見ると本当に突き刺したかのように錯覚してしまうのだ。

 カメラの位置あるいは観客の視点まで意識し、本気で斬り合っているとしか思えないほど臨場感を作り込んでいくのがである。刃が相手に触れるか否かという刹那の交錯を見極め、互いに怪我をしないよう刃がすり抜けていくのだから、厳密には〝寸止め〟とも異なっているのだった。

 〝チャンバラ〟という一つの美学が花開いた日本では、と呼ばれる専門職ひとびとは欠くべからざる存在であり、演劇の黎明期より長い歳月を掛けてがれてきた技術を指南する道場も数多く開かれている。

 『とうあらた』という看板を掲げた道場が最も有名であろう。何しろ時代劇ファンの間では知らない人間がいないほどの名道場なのだ。

 毎週日曜日に一年間に亘って放送される大型連続時代劇にいて三作目から指導を担当し、国内外から巨人とも大名人とも謳われるがわだいぜんが主宰する道場であった。半世紀にも及ぶ同番組の歴史を支えてきた伝説のが〝魅せる立ち回り〟の極意を伝授した俳優は数え切れないのである。

 高度な立ち回しが必要とされる場面ではがわだいぜん自らが出演することもあり、幕末を題材とした大型連続時代劇ではさかもとりょう暗殺の刺客を今までに三度も務めている。

 そのがわだいぜんさいたまけんあさに初めて専門の道場を構えたのは、総合格闘技MMAがペンシルベニア州の舞踊室ボールルーム最初はじめの一歩を踏み出したのと同じ頃であった。

 を稽古する建物と知らずに誤って足を踏み入れてしまった者は、古武術の道場という直感的な印象が脳に刷り込まれることであろう。

 四方を取り囲むような形で設えられた木製の棚には種々様々な武具が収納され、運動用のマットも丸めた状態で垂直に立てられている。身のこなしを確認する為の姿見まで揃えてあるのだ。

 特に目を引くのは、壁際で仁王立ちする特撮ヒーローの巨大フィギュアだ。エメラルドグリーンを基調とした造形の巨人が地球と宇宙の平和を守る為に戦う『バイオグリーン』シリーズ――日本を代表する特撮番組の一体である。

 一九六六年に特撮ヒーローの金字塔を打ち立てた初代バイオグリーンではなく、史上初のMMA大会コンテストの開催と同じ一九八〇年に放送が開始されたシリーズ作品の主人公であり、アルカイックスマイルを強く感じさせる面立ちだ。

 がわだいぜんから〝膳〟の一字を授けられたこうていが同作の指導を務めており、その記念として贈呈された物であった。

 壁の高い位置には神棚があり、『がわだいぜん 芸能生活三〇周年記念祝賀会』という文言が目を引く大きなパネルは、差し向かいに掛けられていた。この他にも『とうあらた』に籍を置くたちの写真が額縁に収められた状態で飾られている。

 くだんのパネルに記された『芸能生活三〇周年』も今や遠い昔のことであろう。左右の生え際から後方に向かっていく二筋の白線と共に黒い髪を撫で付け、襟足の辺りで軽く縛り、こうこうとしか表しようのない笑顔で新たな弟子と向き合うがわだいぜんは、今年でよわい七五となるのだ。大型連続時代劇の指導を依頼されるなど、として頭角を現し始めたのはまだ二〇代の頃である。

 日本にいてテレビ自体が一般に普及し始めた時期でもあった。それは時代劇のが映画からテレビ放送へと変わっていく過渡期でもあり、歴史の狭間に立ち会った生き証人であればこそがわだいぜんは〝伝説〟の二字と共に畏敬されるのだった。

 床の全面に灰色のクッションシートを敷き詰めた道場の中央で差し向かいに正座する少年――今日から正式に『とうあらた』の門下生となる弟子は、がわだいぜんの〝道〟を志し、日本の映画がまだ無声サイレントであった頃から〝チャンバラ文化〟を支えてきたのもとで本格的な稽古を始めた年齢とたった一つしか違わなかった。

 る種の〝奇縁〟であろう。異種格闘技戦を繰り広げ、総合格闘技MMAとして結実する一本の〝道〟を拓くことになるおにつらみちあきが日本にける〝プロレスの父〟――りきどうざんに見出されてプロレスラーになったのも、若き日のがわだいぜんや、彼と視線を交わしながら端然と座している少年と変わらない年頃であったのだ。

 がわだいぜんと同じ〝戦争の時代〟に生まれ、戦後の『昭和』から『平成』に掛けてプロレスという〝文化〟の要を果たした鬼貫道明が種を蒔き、彼のもとに集ったヴァルチャーマスクや八雲岳の尽力によって日本でも花開いた総合格闘技MMA――同競技の選手との〝兼業〟を目指して『とうあらた』の仲間に加わった少年の名前は、キリサメ・アマカザリという。

 南米・ペルーの出身うまれにも関わらず、鳥の尾羽根を彷彿とさせる試合着ユニフォームで親戚すらいない中米・コスタリカの〝幻の鳥ケツァール〟に由来する異名が広まってしまったキリサメも、半月足らずの間に様変わりした自身の境遇については、〝不思議な巡り合わせ〟としか表しようがなかった。

 無論、にはがわだいぜんに師事してを学ぶことになった経緯も含まれている。

 本人キリサメに相談の一つもなくMMAの試合の参考になると決め付けた養父――八雲岳に『とうあらた』の体験会ワークショップへ引っ張り込まれたのが全ての始まりであった。

 による実演を見学する中で、自らが編み出した喧嘩殺法に内在する過剰な暴力性を抑えるには殺気の制御コントロールこそ重要であろうと気付き、その手掛かりとして自分なりにを練習してきたのである。

 少しでも気を緩めた途端、法治国家である日本の社会とは相容れない〝闇〟に魂を塗り潰されてしまう己自身につ為の課題と定めていた。

 道場入門を決心した直接的なきっかけは、『天叢雲アメノムラクモ』岩手興行――即ち、キリサメの初陣となったMMA興行イベントである。主催企業サムライ・アスレチックスの依頼を受けた『とうあらた』は幕間に剣劇チャンバラを披露することになっており、そのリハーサルの折にキリサメ・アマカザリとがわだいぜんは初めて顔を合わせた。

 MMAデビュー戦を反則負けで終えたキリサメは、リングから引き揚げる途中で興行イベント会場に潜んでいた地下格闘技アンダーグラウンド団体『E・Gイラプション・ゲーム』――即ち、『天叢雲アメノムラクモ』の敵対勢力から行く手を阻まれ、同団体を束ねるヴィクターくろ河内こうちに〝なんでもアリバーリトゥード〟形式の地下格闘技アンダーグラウンドこそ喧嘩殺法には相応しいと引き抜き行為ヘッドハンティングを仕掛けられたのである。

 格闘技本来の暴力性をえて削ぎ落すようなMMAのルールによってキリサメの才能が損なわれることを憂うヴィクター黒河内は頑なであり、実力行使で排除せざるを得ない状況に陥っていた。

 あわや激突という寸前にキリサメの加勢に駆け付けてくれたのも、剣劇チャンバラの出番まで控室で待機していた『とうあらた』のたちだった。地下格闘技アンダーグラウンド団体の目的ねらいを察知したがわだいぜんが一計を案じ、体験会ワークショップへの参加などを根拠としてキリサメのことを『とうあらた』の一員と偽ってヴィクター黒河内を退けたのである。

 MMA選手との〝兼業〟は肉体からだの負担も大きく、地下格闘技アンダーグラウンド興行イベントにまで出場する危険性リスクは容認し難い――『とうあらた』の一員が『E・Gイラプション・ゲーム』に所属していることを考えると、些か苦しい論法であったが、がわだいぜんという伝説的な人物に凄まれては、無法者アウトローさながらの選手を率いるヴィクター黒河内といえども引き下がるしかなかったわけだ。

 亡き母にも人から受けた恩は何があろうとも忘れず、必ず返すよう教えられてきたが、それを差し引いてもがわだいぜんと『とうあらた』に対する思いは募るばかりであり、未稲たちに背中を押されたこともあって道場の門を叩くに至ったのである。


「――養父とうちゃんとしちゃあ、キリーが本気マジになれるコトを見つけてくれたのは素直に嬉しいし、何を放り出したって応援するぜ⁉ でもなァ、養父とうちゃんと同じMMAをやりたいって言ってくれたときよりガツガツ来るから、『天叢雲アメノムラクモ』統括本部長としちゃあ、ほんのちょっとだけ切ねェなァ~。こんなに前のめりなキリー、見たコトねぇもんよォ~!」


 道場入門を決心して以降のキリサメの行動は、何事にも無感情な平素いつもの様子からは想像できないほど積極的であった。今日は同行していない養父――八雲岳は、ただでさえ大きな口を顎が外れそうになるほど開け広げて面食らい、MMAに傾ける熱量との落差に不貞腐れてしまった。

 『天叢雲アメノムラクモ』岩手興行ひいては東北復興支援事業プロジェクトに関連するチャリティーオークションの業務があった為、キリサメよりも遅く帰宅した養父を玄関で出迎えるなり、新たなる挑戦への決意を打ち明けたのである。初陣の舞台となったいわけんおうしゅうからしもきたざわ自宅いえに帰り着いた当夜のことだ。

 強大なノコギリと見紛うばかりの禍々しい『聖剣エクセルシス』を振りかざし、命を壊す暴力ちからだけを頼りに格差社会の最下層を這いずり回ったキリサメは、今まで他者と関わり合うことを避けてきた。亡き両親の親友である八雲岳に迎えられ、日本に移り住んでからは法治国家で平和を享受する人々との間に埋めがたい溝も感じていた。

 〝貧しき者〟として世に生まれ落ちた己がその出自から目を逸らし、〝富める者たち〟に混ざってみたところで、最後は歪みに耐え切れなくなる。偽りの〝家族〟から押し付けられた〝人間らしさ〟も持て余すくらいなのだから、一刻も早く故郷ペルーに帰るべき――と、思い詰めたことは一度や二度ではない。

 両親が生まれ育ち、己にとっても起源ルーツであるはずの日本と決してあいれないという違和感に囚われてきたキリサメが今、この国の〝文化〟を支えてきたに手を伸ばそうとしていた。この国でしか巡り逢えなかった絆の糸を自ら手繰り寄せようとしている。

 MMA選手としての活動を維持する難しさや、現役引退後に抱える危険性リスクを熟知している為、高校入学か、あるいは〝正業〟に就くことをキリサメに勧めていたマネジメント担当のむぎいずみもんは、岳を突き飛ばすような勢いで賛成し、『天叢雲アメノムラクモ』との〝兼業〟に要する様々な調整もこなしてみせると約束した。

 キリサメが編み出した喧嘩殺法をMMAの試合で生かすには、やショーとしてのプロレスを学ぶことこそ手掛かりになると考えていた養父にも反対する理由はない。何しろがわだいぜんは忍術を授けてくれた師匠の友人であり、愛称で呼び合うくらい岳自身との付き合いも古いのだ。それはつまり、安心して養子を預けられるという意味である。


ことだまというのはあるものだねぇ。『噓から出たまこと』になってくれたら嬉しいなと、実は少しだけ期待していたんだよ。ガクちゃんの息子さんと一緒にをやれるなんて、長生きもしてみるものだね」


 がわだいぜんも弟子入りを快諾し、キリサメは正式な門下生として『とうあらた』の道場に足を踏み入れた次第である。両者ふたりが初めて言葉を交わした『天叢雲アメノムラクモ』岩手興行から数えて一週間後のことであった。

 日米間には一〇時間を超える時差がある為に同日同刻とは言いがたいのだが、義足のアメリカン拳法家――シロッコ・T・ンセンギマナが『NSB』の試合場オクタゴン好敵手ライバルとの決着に臨んでいる頃、のちに『四天王』と並び称されることになるキリサメも新たな運命の兆しを迎えていたのである。

 晴れてキリサメはがわだいぜんじきとなったのだが、道場『とうあらた』の内部なかでは練習生としての出発である。自主的な練習はともかくとして、現時点では体験会ワークショップに参加しただけのには妥当な〝立場〟であろう。

 これはMMAとの〝兼業〟に配慮したものでもある。あくまでも〝本業〟は『天叢雲アメノムラクモ』の契約選手であり、試合前にはの稽古に参加することが難しくなる。〝兼業格闘家〟としての活動を優先できるよう『とうあらた』の側からキリサメに持ち掛けてくれたのだ。

 格闘技の試合で経験したことがという表現にも活かせることをがわだいぜんたちは実感と共に理解している。MMAの試合で発見したことや、リング上で新たに編み出した身のこなしを道場の仲間たちで共有しようという前向きな提案である。

 過分としか表しようのない厚意に対しても、キリサメはこうべを垂れるばかりであった。

 今週末に至ってようやく歩行補助杖を用いず一人で歩けるようになったのだが、プロデビュー戦――じょうわたマッチとの激闘で負った痛手ダメージと疲弊は完全には癒えていない。前身団体バイオスピリッツの頃から日本MMAを支えてきた古豪ベテランの鉄拳は、キリサメの〝かかりつけ医〟であるやぶそういちろうが「よくぞ命を拾ったモンじゃ」と呻くほどのである。

 怪我の具合を悪化させないよう稽古の見学や軽度の運動からとしての第一歩を踏み出すことになっている。それどころか、がわだいぜんは今後の試合にいても同様の支援サポートをキリサメに約束していた。

 今日は午前と午後に外部そとの練習生も参加する稽古が予定されており、一〇時からはがわだいぜん自ら真剣の用い方を教えることになっていた。実際に斬り捨てるわらたばや、床に敷いておくビニールシートも道場の隅に運び込まれている。

 新弟子キリサメとしてはせめて稽古に用いる道具の搬入を手伝いたかったのだが、だいぜんからは見学のみという指示を受けていた。本復に至っていない人間に不必要な負担を強いれば、怪我の回復が遅れるばかりか、稽古そのものに支障が生じ兼ねないという極めて現実的な判断であった。

 がわだいぜんが半世紀に亘って指導を務め、『とうあらた』のたちも参加している大型連続時代劇の収録は原則的に土日が撮休やすみとなっている。相応の稽古時間が確保できる週末は道場にとって一分一秒も無駄に出来ないほど貴重と理解したからこそ、キリサメも伸ばしかけた手を引っ込め、師匠の判断に従ったのである。


「アマカザリ君だけのひいじゃないから、そこは変に構えなくても良いよ。『とうあらた』は事務所プロダクションも兼ねているけど、一人々々の活動はなかなか自由にやらせて貰っているからね。柔軟さを欠いたら、それだけ思考アタマカタくなっちゃうしさ」


 おどけた調子で片目を瞑り、恐縮するキリサメを解きほぐしたのは、がわだいぜんの背後にて正座している愛弟子の一人――だいらひろゆきだ。『天叢雲アメノムラクモ』岩手興行の剣劇チャンバラにも出演し、同地でキリサメとも挨拶を交わしている。

 新弟子の〝世話役〟を称するだいら道場の入門に必要な手続きも助け、キリサメともこの一週間に幾度となく電話でやり取りしていた。その中で以外の創作活動にも力を注いでいると語ったのだ。

 岩手興行への出演が好例であるが、『とうあらた』は日本各地ひいては海外でも剣劇チャンバラを披露している。舞台ステージたちが纏う衣装・小道具の作成や着こなしの調整をだいらが担当する機会も多いという。更には剣劇チャンバラの脚本まで手掛ける多芸多才な人物であった。

 所属先の許諾を得て個人活動に力を注いでいるはキリサメだけではない。恐縮する必要はないと先程も話していたが、だいらもその一人なのであろう。彼が甲冑格闘技アーマードバトルの選手であり、スペインの古城で開催された第一回世界大会に日本代表として出場したこともキリサメは承知している。

 くだん体験会ワークショップで講師を務め、キリサメの個人練習にも付き合ってくれたひめまさただだいらの隣で正座しているが、このジークンドーの使い手に至っては地下格闘技アンダーグラウンド団体『E・Gイラプション・ゲーム』の所属選手なのである。

 『とうあらた』の内部では誰よりもキリサメに近く、それでいて彼とは比べ物にならないほど複雑な〝立場〟なのであろう。『天叢雲アメノムラクモ』の前身団体のような〝黒い交際〟こそ遮断シャットアウトしているものの、『E・Gイラプション・ゲーム』は指定暴力団ヤクザを後ろ盾とするカラーギャングとも抗争を繰り広げ、警視庁捜査一課・組織暴力予備軍対策係からも警戒マークされているのだ。

 『天叢雲アメノムラクモ』岩手興行にいては『とうあらた』ではなく『E・Gイラプション・ゲーム』の仲間と行動を共にしていたのだが、ヴィクター黒河内がキリサメに引き抜き行為ヘッドハンティングを仕掛けた際にはだいぜんたちと口裏を合わせ、団体代表の暴挙を食い止めている。

 「格闘技を金儲けの手段としか考えていない」と活動自体を批判し、あまつさえ所属選手に対する攻撃を企てるなど、『E・Gイラプション・ゲーム』は『天叢雲アメノムラクモ』への敵意を剥き出しにしている。キリサメとひめの二人は対立関係にある団体にそれぞれ身を置きながら、同じ道場で学ぶとなったわけだ。〝不思議な巡り合わせ〟としか表しようもあるまい。

 所属団体間に渦巻く敵対意識はともかくとして、この二人は互いに憎しみなど抱いておらず、それもまた僥倖さいわいであった。

 正面に仰いだ師匠も、二人の兄弟子も、キリサメと同じ白いどうを纏っている。うわの袖とした穿ばきの裾が共に長く、四肢の動作を妨げない程度に細く絞られている為、からと見間違えそうにもなるのだが、いくさしょうぞくの類ではなくの稽古着なのである。

 左の胸元には『どうじょう とうあらた』と色糸で刺繍されていた。

 だいらひめは黒帯を、がわだいぜんを赤帯をそれぞれ締めている。これに対してキリサメはどうと同じ白い帯である。道場にける〝立場〟が帯の色に表れているわけだ。当然ながら、赤帯を用いるのは道場主ただ一人である。


(……この恰好をが見たら、きっとまた陰湿に皮肉ってくるのだろうけど、犬死にしたヤツなんかに構ってはいられない)


 今日までの道程を振り返ったキリサメは、身の引き締まる思いと共に一等深い息吹を唇から滑らせ、がわだいぜんを見つめ直した。

 キリサメが『とうあらた』のどうに袖を通したのは、今日が初めてである。師匠にを手渡された瞬間から背筋も自然と伸びていった。

 一七年というがわだいぜんの半分にも満たない人生の中で、キリサメは〝どう〟に類される物を身に纏ったことがない。『天叢雲アメノムラクモ』の試合で用いる試合着ユニフォームキリサメ個人ひとりの為だけに特別誂えされた物であって、別の選手が使うことはない。統一された服装で連帯を噛み締めること自体が生まれて初めての経験なのだ。

 故郷ペルーの子どもたちは亡き母と同じ青年海外協力隊から伝えられた柔道にも熱心に取り組んでおり、キリサメも遠くから練習風景を眺めたことがある。揃いのじゅうどうに身を包み、互いに技を掛け合う姿を「弱肉強食の格差社会では、仲間意識すら裏切りの前触れに過ぎない」と冷たく蔑んだおぼえもあった。

 指導員の人数が不足していることもあり、基本的なルールが正確に呑み込めていない子どもも少なくなかったようである。柔道の稽古にも関わらず、空手の模倣とおぼしき突きや蹴りを繰り出していた為、何事にも無感情なキリサメの記憶にも刻み込まれたのだ。

 師匠や兄弟子と向き合っていることもあって頬を掻きたくなる衝動は堪えたが、キリサメはりし日に吐き捨てた皮肉を心の底からじている。

 『ケツァールの化身』という異名を体現するMMA用の試合着ユニフォームは、現代日本を代表するデザイナーであり、『人物デザイン』などの役職で数多の映像作品・舞台劇に携わってきたたねざきいっさくによって〝開発〟された物である。

 二〇一〇年と二〇一二年の大型連続時代劇にスタッフの一員として参加し、共に撮影を支えた種崎もがわだいぜんの知識と経験、何よりもその人柄を敬っていた。話を聞かされたときとは異なり、現在いまのキリサメならば彼の気持ちが実感と共に理解できるのだ。

 キリサメが「先生」と敬称を付けて呼んだ相手も、がわだいぜんが初めてであった。

 師弟関係と呼ぶには出会ってからの日が余りにも浅い。それでも心の底から敬慕する人を追い掛け、一挙手一投足に学びたいという衝動は共に過ごした時間の長さとは関わりなく芽生えるものである。そして、それは抑え切れないほど膨らんでいくのだ――半年前の自分であったら鼻先で笑い飛ばしていたような感情が絶えず湧き起こることに、他の誰でもないキリサメが最も驚いている。


「今日のキリくんをお父さんが見たら、悔し涙が止まらないんじゃないかな。『天叢雲アメノムラクモ』にだってそんなキラキラした感じで飛び付いたワケでもなかったしさ」


 どこからどう見ても緊張した様子の背中を丸メガネのレンズに映し、からかい気味に笑う少女はくもしねである。岳の実娘むすめであり、一つ屋根の下で暮らすキリサメの〝家族〟であった。

 今日もまた『課金額に命を懸けるな! コンマ一のドロップ率に賭けろ!』などと意味不明な文言フレーズが刷り込まれたTシャツを着ている未稲は、長時間の正座によって両足が完全に痺れており、末梢神経の悲鳴は〝家族キリサメ〟を冷やかす声にまで伝達つたっている様子だ。


「八雲家の皆サマから強引に押し上げられたMMAのリングと、サメちゃんが自分自身で選んだの道場を比べたら、やる気に差が出るのは当然でしょ。この期に及んでそんなコトすら自覚わかってない体たらくだから、ぜにつぼまんきちにも好き放題させるんじゃないの」


 未稲の隣ではキリサメの身辺警護ボディーガードとして雇われたとらすけが皮肉の二字こそ似つかわしい薄笑いを浮かべ、真横から反論の代わりに突き立てられた眼光と、前方から背中越しに聞こえてきた戒めの咳払いの両方を涼しげに受け流している。

 今日は濃紺色ネイビーのオックスフォードシャツに程よく年季の入ったジーンズという普段着であるが、剣道家の寅之助は脳天から背中まで一本の芯棒でも通っているかのように佇まいが美しく、痺れに屈して足を崩した未稲とは正反対であった。

 彼の右側には平素いつもの如く地に伏せる虎が刺繍された帆布製の竹刀袋が置いてある。

 日本のみならず全米にまで勇名を轟かせた伝説的な剣道家――森寅雄タイガー・モリの直弟子を祖父に持ち、『寅』の一字をけたとらすけは、〝古い時代の剣道〟を現代いまに留める道場の跡取りでもある。

 武芸百般について学べないことはないと謳われる『とうあらた』の道場主だけにがわだいぜん森寅雄タイガー・モリという存在も、浅草に所在するの道場も知っており、その太刀筋の後継者であれば弟子の身辺警護ボディーガードも安心して託せると、先程も親指を垂直に立てていた。

 人の心を踏みにじることこそ無上の愉悦という歪んだ性格とは裏腹に、寅之助は武道に対して誠実そのものであり、森寅雄タイガー・モリの名を口にする際にも一礼を忘れないのだ。がわだいぜんから掛けられた言葉にも皮肉をもって斬り付けるようなことはなく、恋人のかみしもしきてるが目の当たりにしたなら「オレと一緒に過ごしてるときより真剣マジじゃねーか!」と怒り出すであろう大真面目な態度で受け答えしていた。


がわ先生に失礼な口を利いたら、道場ここから追い出す口実になるのだけど、寅之助コイツは変なところで律儀だから望みは薄いか。そんなところでも苛つかせてくれるんだな……)


 この二人が正式入門の日に同行していることは、キリサメとしても甚だ不本意である。

 未稲の場合は家族であるのと同時にキリサメの所属先――『八雲道場』の広報担当という肩書きも背負っている。主に公式ブログで所属選手の活動報告などを行っており、その取材という名目で『とうあらた』の道場にもいてきた次第である。

 今しがた寅之助も口にした『ぜにつぼまんきち』というスポーツ・ルポライターのる発言が火種となり、キリサメ単独ひとりでは出歩くことさえ難しくなってしまった為、身辺警護ボディーガードについてもやむを得なかった。

 一週間前は『天叢雲アメノムラクモ』の〝先輩〟選手であり、天才の二字を冠した音楽家でもあるほんあいぜんや未稲と奥州市内を気ままに散歩していられたのだが、東京に帰り着いた直後から状況が一変してしまったのである。

 MMAデビューを果たす以前まえとは己を取り巻く環境が異なっていることを理解できないほどキリサメは遅鈍でもでもなかった。それでもがわだいぜんと師弟関係を結ぶ儀式だけは、家族も友人も交えずに自分一人だけで臨みたかったのだ。

 幸いなことに誰よりも大騒ぎしそうな養父は仕事の為に同行していない。

 キリサメも親友と共に合宿に加わった長野県の地方プロレス団体『まつしろピラミッドプロレス』にいて、岳は長らく外部コーチを務めてきたのだが、その指導の為に他県へ出張しているわけではない。ましてや『天叢雲アメノムラクモ』統括本部長としての業務でもない。

 一年三六五日、種々様々な〝楽しいコト〟をほぼ毎日欠かさずに発信し続けるインターネット事業に岳は発足当初から参加しており、現在も健康体操のコンテンツを受け持っていた。キリサメのちちおやという立場としては最悪なことに、その収録日と重なってしまった次第である。

 一九九九年の大晦日――興行イベント中継が地上波三局を独占する〝格闘技バブル〟よりも以前のことだが、江戸幕府最後の勘定奉行――現代いまで言う財務大臣――ぐりこうずけのすけただのりが江戸城の〝きんぞう〟から密かに運び出し、群馬県のあかやまへ隠したとされる埋蔵金の発掘調査を生放送形式で実施する〝年越し企画〟がくだんのインターネット事業にて立ち上げられた。岳もヘルメットを被ってスコップを担ぎ、泥だらけの〝黄金スペクタクルロマン〟に胸を躍らせながら二〇〇〇年を迎えたのだ。

 インターネット事業の代表者――ぐるままさやすは日本を代表するコピーライターの一人であり、「あるとしか言えない」という名言を世に放った埋蔵金大発掘プロジェクトや、テレビゲームの開発なども手掛けてきた当代随一の才人である。

 鬼貫道明と、この偉大なる先駆者のもとに集ったプロレスラーたち――『鬼の遺伝子』による異種格闘技戦では実況を務めたこともあり、岳との親交は日本で総合格闘技MMAという〝文化〟が花開く以前にまで遡るわけだ。

 二〇年来の〝友人〟が主催する事業の一環として請け負った仕事であり、更には収録数日前の急展開ということもあって日程変更を交渉する余地もなく、「未稲ばっかりズルいんだよなァ~。養父とうちゃんだってキリーと一緒にアツい想い出作りてェのによォ~」と、子どものように半分泣きながら出掛けていった。

 岳が『まつしろピラミッドプロレス』の外部コーチに就任したのは、『天叢雲アメノムラクモ』の前身団体が指定暴力団ヤクザとの〝黒い交際〟を暴かれ、〝格闘技バブル〟もろとも崩壊した後のことである。

 その際に一度は現役を退き、MMAとの関わりも全面的に遮断していたのだが、当時の八雲岳は隠棲を決め込むにはまだ若過ぎた。無職では実娘むすめの未稲を育てることさえままならず、表に名前が出ない仕事は継続してきたわけだ。

 七月には岳にとって〝人生の先輩〟に当たる作家が半世紀前から主宰してきた野外キャンプの活動に参加する為、暫く家を空ける予定である。尤も、は仕事ではなく完全な趣味であった。


「――キリくんだけじゃ道場まで絶対に辿り着けないって。確か朝霞市だったよね、埼玉県の。携帯電話スマホを持ってないから誘導ナビにも頼れないし、乗る電車を盛大に間違えて千葉県に行っちゃいそうだよ。日本の地図だって読み方、一個も分からないよね?」


 キリサメの脳裏に甦ったのは、他者が同行することへ難色を示した際に未稲から突き付けられた〝現実問題〟である。

 無論、未稲の心配はキリサメも受け止めており、愛しい唇を貪ることで応えている。

 日本に移り住んでから五ヶ月近くが経とうとしているが、単独ひとりで東京都の外まで出掛けたことは一度もない。彼女が懸念する通り、都民にとって一番の移動手段である地下鉄の乗り方すらおぼつかない。決して方向音痴ではないものの、自宅が所在する下北沢でさえ道に迷う有りさまであった。

 故郷ペルーで暮らしていた頃も、生まれ育った首都リマの外には殆ど出たことがなかったくらいなのだ。生前の母に連れられ、殴り合いの奇祭タカナクイを見物するべくアンデス山脈の小さな村まで遠出したこともあったが、今や遠い昔の想い出に過ぎない。

 それどころか、故郷ペルーで最も有名なインカの古代遺跡『マチュピチュ』には足を向けようと思ったこともなかった。

 格差社会の最下層という境遇とも関わりなく、そもそもキリサメは自らの行動範囲を拡げたいという意欲に欠けており、日本へ移り住んだ後も誰かに連れ出されない限りは、積極的に玄関を開けようとしなかったのである。MMAの訓練トレーニングでさえ、ロードワークを除けば自宅に併設された道場や庭先で十分に足りてしまうのだ。

 下北沢から朝霞市までの移動時間は、電車とその乗り換えを合計して約五〇分。そこから道場までは更に徒歩で約一五分の道程だ。未稲に指摘されるまでもなくキリサメとて県境を跨いで一時間という移動には不安が大きく、そのこともだいらへ素直に相談している。

 都内で暮らしているという彼が道場までの案内を申し出てくれたのだが、未稲と寅之助の同行が決まった時点でそれを断らざるを得ず、何事にも無感情なキリサメも意気込みに水を差されたかのような状況にはさすがに不満であった。


(みーちゃんは岳氏や麦泉氏に僕のを頼まれたのだろうけどな。……PTSDだか何だか知らないけど、ワケの分からない疑いを掛けられるのなら親切心だって迷惑だよ)


 自身を取り巻くもう一つの〝変化〟まで想い出し、不意に眉根を寄せそうになったキリサメは、師匠や兄弟子に勘付かれて余計な気を遣われるのは申し訳ないと、かぶりを振って気鬱の種を追い出した。


「――例のルポライターか。何かと身辺が騒がしいときに埼玉こっちまで出向いて貰って申し訳なかったね。近藤君たちも屋外そとの様子には気を付けてくれているけれど、今のところ、厄介な記者連中は付近ちかくに隠れ潜んでいないみたいだよ」

「……こちらこそ、申し訳ありません。の事情で長谷川先生や皆さんにもご迷惑をお掛けしてしまって……」

「それは言いっこナシとしようよ、アマカザリ君。がわ先生もも、『とうあらた』で学び合う仲間を守りたい。ただそれだけさ。迷惑に感じる理由は一個もないって意味」


 結局のところ、キリサメの浅知恵は最初から通用していなかった。だいぜんだいらも、彼のなかで大きな葛藤に変わり始めている気鬱の種を背景事情まで含めて理解しているのだ。二人の言葉に黙したまま首を頷かせるひめも同様であろう。

 養父の岳はとの兼業がMMAの手掛かりになるだろうと期待していたが、キリサメ当人は片方で抱えた問題がもう片方を侵食してしまう危険性リスクを思い知らされている。一つの事実として、入門当日から道場にまでからぬ影響が及んでいるのだ。

 恐縮する必要はないというだいらの心遣いに対して、弟弟子キリサメは呻き声を噛み殺しながらこうべを垂れるしかなかった。


「無駄にカッコつけた名称なまえを付けられていたよね? 『スーパイ・サーキット』だっけ。普段いつも衛星放送パンプアップ・ビジョンじゃなくて地上波のスポーツ番組でデカデカと取り上げられちゃったもんねぇ、『スーパイ・サーキット』とやら。世間じゃ〝遅れてきたユリ・ゲラー〟みたいな扱いだもんね、サメちゃん。ひょっとしたら、今年の流行語大賞にもノミネートされるんじゃないの。ぜにつぼまんきちのヤツ、選考委員もやってるし、最初ハナから自作自演マッチポンプありきかもね」

「……例えとしてもユリ・ゲラーは大外れだと思うんだけど、そもそもに関連した報道は事実から掛け離れた無責任な妄想ばかりで、僕も訂正を求める気にならないよ。そもそも『スーパイ・サーキット』という名付け方だってデタラメじゃないか」

「そのデタラメをとしてお茶の間に刷り込むのがマスコミさ。今や立派に〝時の人〟なんだし、サメちゃんもせいぜい気を付けなよ」

「……おこがましいのは百も承知だけど、どうせなら、ユリ・ゲラーじゃなくて『バイオグリーン』になぞらえて欲しかったよ……」


 キリサメが肩越しに言い返したことからも瞭然であるが、寅之助の口から発せられた皮肉はがわだいぜんではなく彼に向けられたものだ。

 『スーパイ・サーキット』――当事者であるはずのキリサメでさえ全く耳慣れないその言葉こそが気鬱の種であった。

 インカ帝国より舞い降りた黄金の鳥が魅せる『スーパイ・サーキット』――『天叢雲アメノムラクモ』岩手興行に関連するネットニュースの見出しを不意に想い出したひめが躊躇いがちに様子を窺うと、キリサメは何とも例えがた表情かおで押し黙っていた。


「……結局、哀川さんも帰京かえりは『E・Gイラプション・ゲーム』と一緒だったのだが、新幹線の中ではアマカザリ君の試合コトばかり持ち出してずっと大興奮だったよ。……というか、キミの話しかしなかったかな。『キリサメさんは幻の鳥ケツァールなどではない。とうしんしゅが降臨する瞬間をこので見届けた』とね」

「それは『華斗改メこちら』も同じだよ、ひめ君。私自身は勿論、だいら君もアマカザリ君の初陣で昂揚した気持ちが一向に鎮まらず、二人でちょっぴりはしゃいでしまってねぇ」

「本当に空を翔けているような身軽さを見せられたら、俺でなくてもそうなりますって。からすてんをモチーフにしたのセッションをやってみたいとか、インスピレーションも止まりませんでしたし」

「……和気藹々とした雰囲気が羨ましいなぁ……。自分も『E・Gイラプション・ゲーム』とは現地で別れて長谷川先生やみんなと一緒に帰京かえれば良かったって後悔しましたよ。哀川さん――自分とアマカザリ君の共通の友人なのですがね、その人が鼻息荒く彼のことばかり話すものだから、他の選手はドン引きで。黒河内代表が諫めてくれたらよかったのですけど、寧ろ哀川さんの話にいちいち食い付くものだから、仙台駅を抜ける辺りから東京駅までずっと空気がギスギスしていて居た堪れなくて……」

「僕が謝るのもおかしな話ですけど、何だかすみません……」


 『とうあらた』とも一触即発の事態に陥った『E・Gイラプション・ゲーム』の話題を切り出すことに躊躇があるのか、控えめに口を開いたひめは、師匠や兄弟弟子の反応を窺いながら自分と共にキリサメの初陣プロデビューを観戦したあいかわじんつうの様子を明かし始めた。

 哀川神通とは、南北朝時代――即ち、日本という国を真っ二つに割った戦乱の中世にて誕生し、敵将の首級くびを狩り合ういくさで研ぎ澄まされた武器術併用の古武術『しょうおうりゅう』の若き宗家である。

 しょうとくたいの異称を冠する古武術流派の継承者は、五世紀に亘って殺傷ひとごろしの奥義を練り上げてきた〝歴史〟に生涯を捧げるという哀川家の宿命さだめを受けれている。MMAのルールでは決して許されない〝戦場武術〟を錆び付かせない為、乱闘が常態化しているほど危険な『E・Gイラプション・ゲーム』をえて主戦場に選んでいた。

 ともすれば法治国家の社会と相反する存在に対してキリサメは強くし、自らの〝半身〟の如く感じているのだ。

 初陣プロデビュー戦場リングに臨む前であったなら、哀川神通という名前を聞いた途端、彼女のスカートがめくれた際に目撃してしまった純白のふんどしを想い出し、心身とも沸騰していたはずだが、寅之助が『スーパイ・サーキット』に触れた瞬間ときからキリサメは感情の働きが著しく鈍くなっていた。


「一応の名付け親らしい銭坪がスポーツ番組で喚いているのを観た程度しか自分も知らないのだが、『スーパイ・サーキット』の意味は、確か『死神の回路』――だったかな?」

「可能であるなら、その銭坪氏を問い詰めたいくらいです。『スーパイ・サーキット』なんて僕が言ったわけではありませんし、銭坪氏が勝手に付けて、マスコミが好き放題に触れ回っている状態なんですよ」


 言及したことを後悔している様子のひめに頷き返したキリサメの声にも力がない。


「それは聞き捨てならないな。俺はてっきりアマカザリ君か、『天叢雲アメノムラクモ』のほうで考えた技名なまえとばかり思っていたよ。本人のあずかり知らないところで吹聴されるとか、めちゃくちゃ迷惑じゃないか。そこまで行くと悪質だ」

「南米出身なのに中米に棲む鳥の名前を押し付けられるより迷惑ですよ。だいら氏も気を付けてください。甲冑格闘技アーマードバトルの試合で注目されたら、僕みたいな目に遭うかも知れません」


 キリサメの口から『甲冑格闘技アーマードバトル』という競技名なまえが飛び出した瞬間とき、何故だかだいらではなく未稲のほうが両肩を上下させた。

 『甲冑格闘技アーマードバトル』とは読んで字の如く一四~一五世紀の『中世』にいて使用された甲冑を現代にて再現し、刃引きされた長剣ロングソード槌矛メイスなどをぶつけ合う温故知新の格闘競技メディーバル・バトル・スポーツだ。

 友人の神通が古武術宗家として培った経験と知識は、甲冑格闘技アーマードバトルにも生かせると未稲は考えており、同競技の関係者に推薦する機会を窺い続けている。

 だいら広之は戦国乱世の武者と同じ具足を纏う武士団チーム団長リーダーである。今年の五月初旬に開催された第一回世界大会にも日本代表として出場し、ポルトガルの騎士団チームを相手に太刀をふるっていた。

 鼻の下に白髭を蓄えた『めんぽお』と呼ばれる防具で顔を覆い、日の丸を背負った陣羽織の裾をなびかせながら数名の騎士と同時に斬り合う団体戦メーレーの勇姿を未稲は『ユアセルフ銀幕』に投稿アップロードされた動画ビデオで視聴している。

 キリサメの入門当日に無粋な真似は控えるべきと分かってはいるものの、この武者に哀川神通という逸材を売り込むことも隣県の道場まで同行した理由の一つなのだ。

 未稲自身は立ち会っていないのだが、『E・Gイラプション・ゲーム』と対峙した場でもだいらと神通は顔を合わせたという。友人キリサメの窮地に際してひめと共に団体代表ではなく『とうあらた』へ味方した『しょうおうりゅう』宗家に悪印象は持っていないはずだ。

 以前にも未稲は日本の騎士団チームに所属する友人を神通に引き合わせようと試みて失敗しており、今度こそ好機チャンスを逃すまいと意気込んでいるのだった。


「まだまだこれから伸び盛りな甲冑格闘技アーマードバトルの知名度が上がるのなら、悪目立ちも大歓迎だけど、アマカザリ君のケースとは一緒に出来ないって。二人の話を聞いていたら、俺まで腹が立ってきたな」

「……報道関係者を操って『スーパイ・サーキット』を触れ回っているのは、どうやら樋口氏のようですから、……『天叢雲アメノムラクモ』が裏で糸を引いているという見方は、半分正解ではないかと」


 未稲の目論見はともかくとして――兄弟弟子の会話から『スーパイ・サーキット』と名付けられた経緯を把握しただいらは、マスメディアの無責任さに呆れ果て、大仰なくらい口を開け広げながらかぶりを振った。

 キリサメも困惑と憂鬱と空虚を綯い交ぜにしたような表情かおである。少なくとも烙印の如く焼き付けられた『スーパイ・サーキット』という言葉を歓迎している様子ではない。何とも居た堪れない気持ちになってひめだいらから顔を背けつつ、堪え切れなくなった溜め息を吐き捨てた。

 師匠に聞かせるべきではないと後悔してしまうほど重苦しい溜め息であった。

 は数日前――怪我の治療の為にきょうじまやぶ整形外科医院へ赴いた日のことだ。かかりつけ医のやぶそういちろうから回復期にも有効な運動を教わり、玄関を数歩ばかり出たところで駐車場に隠れ潜んでいた記者たちに取り囲まれてしまったのである

 初陣プロデビューの当日は『天叢雲アメノムラクモ』岩手興行の継続が危ぶまれるほどの大混乱の中で緊急搬送された為、記者たちもキリサメに取材インタビューすることが叶わなかった。それ故にかかりつけ医のもとへ足を運ぶタイミングを狙っていたという。

 後になって判明したことであるが、その記者たちを差し向けたのは『天叢雲アメノムラクモ』代表の樋口郁郎であった。言わずもがな『スーパイ・サーキット』を売り出し、社会全体の注目を同団体に集める為の情報戦である。

 この事実を突き止めた麦泉は、血管が破裂しても不思議ではない勢いで樋口に猛抗議したのだが、逃れることの許されない状況で一斉にマイクを向けられたキリサメのほうは、意味不明としか表しようのない筋運びに唖然呆然と立ち尽くすしかなかった。

 平日の昼間ということもあり、高校生の寅之助は身辺警護ボディーガードに付くことが出来なかった。岩手興行に関するチャリティーオークションの業務があった為、その日は岳も麦泉も同行していなかった。つまり、樋口郁郎は取材を遮断できない状況を見計らい、キリサメのもとに記者たちを送り込んだのである。

 やぶ整形外科医院には未稲が付き添っていたが、彼女に何人もの記者を押し返すことは難しく、極度の緊張と動揺によって丸メガネを曇らせるばかりであった。

 戸惑うばかりのキリサメに問われたのは、試合自体の見解などではなく、じょうわたマッチを圧倒し続けた〝神速〟ひいてはリングをも破壊せしめた人外の〝力〟のことである。

 大切なプロデビュー戦を反則負けで終えたことを追及するような声は、誰からも聞こえなかった。それどころか、人間という種の限界を超越した〝力〟をもってして、あたかも時代の寵児の如く扱われたのである。〝何か〟が一つでも違っていれば、じょうわたの命を奪っていたであろう〝闇〟の暴走を持てはやされることへの違和感が絶え間なく押し寄せていた。

 〝異質な存在〟として好奇の目に晒され、比喩でなく本当に〝客寄せパンダ〟にされてしまったような気持ちであった。

 岳や未稲を始めとする大勢の期待を裏切ってしまった負い目もあり、キリサメは話せる範囲で記者たちに〝あの力〟のことを明かしていった。

 死を意識した瞬間に脳が痺れ、思考を超越して肉体が勝手に動いていたこと。その影響下にいては時間の流れを遅く感じること。そして、己の意思では発動も制御も不可能であること――『聖剣エクセルシス』を握るきっかけとなった血塗られた追憶や、飄然ふらりとリングに出現あらわれてMMAを〝富める者〟の道楽と嘲笑った幼馴染みの幻像まぼろしは伏せ、人間という種を超越する代償として極限の疲弊が押し寄せる点までは告白したのだ。

 そこからキリサメの手を離れて勝手に話が膨らみ、取材インタビューの内容に含まれていないことまで付け加えられ、人間ヒト死神スーパイの心を切り替える回路サーキットなどと仰々しい能力名なまえを付けられてしまった次第である。

 『スーパイ・サーキット』――そう名付けたのは〝平成の大横綱バトーギーン・チョルモン〟が角界を追われ、MMAに転向する原因を作ったスポーツ・ルポライターの銭坪満吉であった。

 キリサメ本人が異常と感じるほど岩手興行にけるプロデビュー戦を評価し、ゲストコメンテーターとして出演するスポーツ番組や、格闘技雑誌パンチアウト・マガジンへ寄稿した手記の中でも彼を褒めそやしていた。

 『天叢雲アメノムラクモ』を敵視し、折に触れて貶めてきたとは思えない変わり身であった。

 『ケツァールの化身』の評価を吊り上げる為、対戦相手のじょうわたマッチを一方的に扱き下ろすという陰湿なやり口である。元から『スーパイ・サーキット』なる命名を喜んでいなかったキリサメは更に気分を害し、今や銭坪の顔がテレビ画面に映った瞬間、チャンネルを切り替えるようになっていた。

 何よりも忌々しいのは銭坪に付けられた能力名スーパイ・サーキットが独り歩きした上、マスメディアの影響力によって広く知れ渡り、半ば定着してしまったことだ。早くも『天叢雲アメノムラクモ』の広報戦略にまで採用されている。

 世界の競技団体を牽引する『NSB』の歴史よりも更に遡り、ペンシルベニア州で執り行われた黎明期の大会コンテストから数えて三四年――長い歳月の中で積み重ねてきた総合格闘技MMAの概念を根こそぎ変えてしまう〝ゲームチェンジャー〟になると、樋口郁郎はキリサメの許可も得ずに『スーパイ・サーキット』を喧伝していた。

 憎悪を燃えたぎらせる者たちは恥知らずと罵るだろうが、抜き差しならない関係にあるはずの銭坪満吉スポーツ・ルポライターに便乗することさえ〝暴君〟は平気であるようだ。『天叢雲アメノムラクモ』のとして利用できれば、些末なことなど構わないのだろう。

 『スーパイ』とはインカ神話に登場する死神のこと――銭坪は得意満面で名付けの由来を触れ回っていた。「死を意識する」という発動条件や、その寸前に起こる脳の痺れから着想し、死を司る神に変貌する極限的な心理状態を一種の回路サーキットになぞらえたわけである。

 銭坪に言わせれば、この回路サーキットが切り替わった瞬間、精神に呼応して肉体も人から神の領域に至るそうだ。だからこそ〝神速〟にも達する動きを引き出せるという理屈であった。


(どうしてになるのか、僕にだって理解わからないのに、みんな好き勝手なことばかり……。理解わかっていたら、……じょうわた氏の心遣いを台無しにする事態だけは避けられたよ)


 〝火事場のクソ力の究極進化形〟などとこじ付けだらけの持論を展開する銭坪満吉は不愉快でしかなかったが、その一方で『死神の回路スーパイ・サーキット』という命名そのものは大きく誤っていないようキリサメには思えた。甚だ腹立たしいが、言い得て妙とさえ感じたくらいだ。

 そもそも故郷ペルーの神話に登場する『スーパイ』は、インカ帝国がスペインという征服者コンキスタドールから侵略される過程で生み出された存在モノであるとキリサメは教わっていた。アンデスの土着信仰とキリスト教にける悪魔の概念が混ざり合い、冥府の支配者が姿を現したという。

 る意味では総合格闘技MMAに最も似つかわしい命名と言えるだろう。

 その一方で、銭坪がインカ神話ひいては『スーパイ』の成り立ちを深く理解しているとはキリサメには思えなかった。おそらくはインターネットの検索で発見したインカの死神を適当に当て嵌めただけであろう。征服者コンキスタドールの侵略がインカ文明全体に与えた影響を把握していたならば、を人類で初めて突き止めた考古学者のような顔で語っていたはずだ。

 やぶ整形外科医院でキリサメを取り囲んだ記者たちも『スーパイ・サーキット』の由来について深く掘り下げることはなかった。故郷ペルーで知り合ったネットニュースの記者――ありぞのは、危険地帯に自ら身を投じてまで実態調査に挑んでいたが、大半のマスメディアは話題性を煽るのみで本質に迫ろうとはしなかった。本来、MMAの有りさまを抉り出す役目を担っているはずの格闘技雑誌パンチアウト・マガジンも同様である。

 駐車場での喧騒さわぎを聞きつけたやぶそういちろうが院長室に飾ってあった十文字槍を振り回し、記者たちを追い払ったのだが、散り散りになって逃げ惑う情けない姿を想い出しても、キリサメの溜飲が下がることはない。

 『スーパイ・サーキット』の喧伝が始まって数日の間に、『八雲道場』から外に出ただけで様々な眼差しを浴びせられるようになってしまったのだ。好意的に握手やサインを求める者も、無礼極まりない態度で揶揄する者も、寅之助が身辺警護ボディーガードとして突っねたが、朝霞市までの移動に電車を選んだことは誤りであり、贅沢ながら今後はタクシーを利用しようと悔やんだほどである。

 初めて東京に降り立った日にキリサメが感じたのは、獲物に舌なめずりする気配が絶えず物陰に潜むような故郷ペルーとは異なり、誰もが他人に無関心な都市まちという印象であった。それが『スーパイ・サーキット』によって正反対に変えられてしまったのだ。

 指定暴力団ヤクザ――即ち、と『天叢雲アメノムラクモ』の前身団体の〝黒い交際〟が明るみに出たのち、MMA興行イベントを中継していたテレビ局は放送を打ち切り、二〇一四年六月現在までに同競技は地上波放送に復活していない。

 それ故、岩手興行のポスターが貼られた開催先のコンビニに立ち寄っても、店員から声を掛けられることさえなかったのだ。今やキリサメ・アマカザリの名前は新人選手ルーキーとは思えないほど広がり、他者ひとの注目を集めずに近所を散歩することも難しくなっている。

 旧約聖書の『創世記』によれば、神は七日間で天地を創造つくったとされるが、キリサメのにも同じ時間で明確な落差を感じるほどの激変が起きたわけだ。

 銭坪満吉が〝平成の大横綱バトーギーン・チョルモン〟を誹謗中傷するワイドショーを例として示しながら、〝プロ〟の競技選手アスリートになれば理不尽な罵詈雑言に晒されると、樋口郁郎は注意を促したことがある。初陣プロデビューの前に掛けられた言葉を振り返れば矛盾としか表しようもないのだが、その意味をキリサメに初めて理解させたのは〝暴君〟の所業に他ならない。


(日本大使公邸の人質事件とか、国家警察と一緒になってテロリストを潰して回ったこととか、説明の厄介なモノが騒がれずにいるのも樋口氏のお陰だろうけどな……)


 カラシニコフ銃の発砲音を子守歌の代わりにしながら母親の胎内はらのなか人間ヒトの形となり、暴力以外に頼るモノがない格差社会の最下層を這いずり回ってきたからこそ、命を壊すことに迷いを持たないという魂の〝闇〟を優しく抱き締め、衝動に身を委ねて破壊の限りを尽くすよう甘やかに囁く異形の死神スーパイを想い出さずにはいられない能力名なまえであった。

 吹きすさ砂色サンドベージュの風を纏い、白昼夢の如くキリサメのなかに降臨した死神スーパイは、血の臭いに満ちた故郷ペルーを懐かしく感じた瞬間に幼馴染みと同じ声帯こえで「それこそがお前の真実」と手招きする。

 それ故にキリサメは日本へ移り住んだのちに己のなかに芽生えた〝真実を超えた偽り〟に手を伸ばす。気配を感じる前に異形の死神スーパイ脳内あたまのなかから追い出し、忌々しい『スーパイ・サーキット』が一種の鏡となって映し出したモノを真っ直ぐに見つめたのだ。

 人間という種を超え、自らに捧げられた生贄を貪りらうかの如き〝力〟――『スーパイ・サーキット』が『天叢雲アメノムラクモ』のリングにもたらした鮮血の大破壊を正面に座した三人のは岩手興行の会場で目の当たりにしたのだ。

 試合そのものは『とうあらた』の為に用意された控室のモニターで視聴したのだろうが、介助式車椅子に乗せられた状態で会場を脱出した姿は、血の臭いを感じながら瞳の中央に捉えたのである。

 ルールによって選手の命を守る〝格闘競技〟ひいては法治国家とは相容れない存在としか表しようがあるまい。


(……文字通りの〝人外〟で、『バイオグリーン』とも正反対の化け物なのに、……それなのに――)


 試合中にキリサメのなかに降臨した死神スーパイも、世界のことわりから外れたまことの異形であった。

 愛しい雛を抱き留める親鳥のように大きく広げた砂色サンドベージュの両腕は異様にし、大振りなナイフの剣先さきにも見える突起物が肩とおぼしき部位から幾つも飛び出していた。

 老婆を彷彿とさせる白髪を貫く頭部の角は欠けた月の如く湾曲し、逆巻く炎の如く捩じれていた。亀裂の走った仮面のようにも思える顔は様々ないろが調和することもなく毒々しく入り混じり、金属のような光沢を放っていたのだ。

 虫のはねのように律動し続ける左右の耳で命の鼓動を感じ取り、冥府の門としか思えないほど大きな口から突き出した牙でもって生け贄を喰らうのであろう。

 胴体を覆い隠す漆黒の布は人間界の喪服のようにも見え、焼け焦げたような穴が無数に穿たれていた。

 胸部むねの中央には美しい白薔薇が咲き、から飛び出した何本ものツタおおきな両腕に絡まっていた。脈動に合わせて真紅の明滅を繰り返す長い尾は〝何か〟を吸い上げる植物の茎のようでもある。

 蔦のトゲが食い込んだ部分には〝血〟に相当するであろう体液が滲み、赤黒い皮膚の表面で結晶化していた――何もかも現実の存在モノとは思えなかったのだが、キリサメの心臓を一等激しく揺さぶったのは、血の色が異様に濃く、歪なほどおおきい二つの目玉であった。

 キリサメ・アマカザリという新人選手ルーキーも、異形の死神スーパイと同じように歪なほど大きく双眸を見開き、滴り落ちる血の涙で闘魂のリングをけがしながら獰悪に暴れ回ったのである。

 傍目には『聖剣エクセルシス』と一つも変わらない〝暴力性の顕現あらわれ〟にしか見えなかったはずだ。

 それにも関わらず、がわだいぜんも、兄弟子たちも、恐怖に顔を引きらせるどころか、この上なく嬉しそうに新たな仲間を歓迎してくれた。

 『スーパイ・サーキット』などは煩わしいだけであるが、そのに差し込んだ光明ひかりはキリサメにとって遥かな〝先〟を目指していくしるべなのだ。

 血と罪でけがれた手を握り返してくれる先達に甘えるのではなく

 だいぜんは「命のやり取りをとして見せるからには怪我するようなだけは絶対にいけない」と弟子たちに教えている。としての経験をMMAの試合に反映させるという〝兼業〟の目的ねらいは『とうあらた』の第一義たる理念を裏切る行為にも等しかろうが、それさえも快諾されたのだ。

 『とうあらた』や『天叢雲アメノムラクモ』は言うに及ばず、〝人間らしさ〟を与えてくれた未稲や岳、親友のでんたち――自分キリサメ・アマカザリにとって新しい出発点ルーツとなってくれた人々にじることがないよう背筋を伸ばし、例え半歩ずつでも進むべき道を強く踏み締めていく。何時までも故郷ペルーでの日々を言い訳にしてはいられなかった。

 現在のキリサメが思い浮かべるのは、生まれる前からあたまに染み込んでいるカラシニコフ銃の発砲音などではない。伝説の地方馬メイセイオペラの夢を継ぐ奥州の若駒たちが砂色サンドベージュの風を巻き起こしながら駆けるひづめの音だ。

 二度と体温ぬくもりを感じることが叶わない幼馴染み――・ルデヤ・ハビエル・キタバタケが幻像まぼろしの形で殺陣道場ここ出現あらわれたなら、「自分にウソをき続ければ、その分だけ誤魔化し切れなくなったときにバカを見るよ」といった皮肉を無限に並べ立てるだろう。

 じょうわたマッチの鉄拳に脅かされる岩手興行のリングに浮かび上がったときにも、はMMAという〝格闘競技スポーツ〟自体を〝実戦ほんもの〟とは似ても似つかない偽物まがいものに過ぎないと征服者コンキスタドール言語ことばで嘲っていたが、皮肉屋のにはも同様のものとして映らないはずがない。

 日本で掴んだ〝全て〟を否定してくるに対して、如何なるときにも身に纏わり付いていた死の息吹を〝実戦ほんもの〟さながらの芸術にまで昇華できると、キリサメは反駁するつもりであった。

 ひとず是非は脇に置くとして、屍を踏み越えた経験がに生かせることは体験会ワークショップでも実感している。日本刀で斬り捨てられる役を演じた際には死亡直後の痙攣を再現してみたのだが、これを眺めていた周囲まわりの参加者たちは余りの生々しさに顔を引きらせたのだ。

 他者ひとの命を壊し、己が生き延びる為の糧を得るという罪は、によって浄化されるものではなく、キリサメも「芸の肥やし」という一言で片付けるつもりはない。

 矛盾に満ちた身勝手さはいずれと化し、厄災わざわいとして跳ね返るかも知れないが、それでもこんにちまでのに注ぎ込む覚悟である。

 非合法街区バリアーダスの裏路地で呪われた『聖剣エクセルシス』を振りかざし、罪なき命を薙ぎ払ってきた過去から目を逸らさず、〝暴力〟に頼らずとも今日を明日へと繋いでいけるよう昨日までは想像もしなかった可能性を切り拓く。

 すらも〝富める者〟の道楽と蔑むのなら好きにしろ――どこかで聞き耳を立てているだろう幼馴染みの少女に向かって心の中で吐き捨てながら、キリサメはどうに袖を通し、白帯を締めたのだ。


(もう故郷ペルーにこだわっている場合じゃない。……それに今は〝小さな軍師〟が僕を甘やかしてくれないしな)


 キリサメの脳裏にはおもてひろたかの幼い顔も浮かんでいた。

 未稲の実弟でありながら、両親の離婚によって母親――映像作家のおもてみねの側に親権が渡ったひろたかは、些かややこしい関係性だが、八雲岳の養子であるキリサメにとっても義弟ということになる。

 『天叢雲アメノムラクモ』の統括本部長を父に、同団体の興行イベントなどで使用される映像を一手に引き受ける嶺子を母に持ったひろたかは、七歳という年齢には不釣り合いほど格闘技に関する知識を豊富に蓄えている。

 物心がつく前から身近にあったればこそ、MMAそのものに辟易うんざりしているというひろたかであったが、リングサイドで見届けた義兄キリサメ初陣たたかいには魂を震わされ、同競技に対する向き合い方までもが一変したようだ。

 この一週間、ひろたかから一日に一度、決まった時間に電話が掛かってくるようになった。練習内容の報告を求める義弟おとうとが足踏みなどキリサメに許すはずもあるまい。ほんの少しでも後ろ向きになれば、の岳にも、血を分けた実姉あねにも似ていない極太の眉を吊り上げて義兄あにの尻を叩くことであろう。


「先ほどだいら氏が仰ったカラステングが何なのか、現在いまの僕には想像が付きません。それどころか、本当に〝兼業〟をやり遂げられるのかも自信がないくらい不器用です」

「俺でさえを履き分けられているんだから、アマカザリ君だってきっと大丈夫だよ。キミは俺よりもずっと頭の回転が速いもん。そりゃ慣れない内は迷うことだらけだろうけど、自分なりのペースを掴んだら、応用の道筋だって見つけられるハズだよ」


 弟弟子の不安を打ち消そうというのか、えて冗談を交えて応じてみせただいらに対し、キリサメは背後の未稲から「キリくん、それはも同然だからね」と指摘ツッコミを受けてしまうほど神妙に頷き返した。


「行き届かないところばかりですが、右も左も分からないという現状から逃げ出さず、一つ一つ学んでいく所存です」


 真摯の二字がどうを着て正座しているかのような新弟子キリサメを見つめるがわだいぜんは、とろけるような笑顔である。

 キリサメ・アマカザリという少年は、自らの弱点をさらけ出すことを恐れなかった。何事にも無感情という為人ひととなりい方向に働いているわけだが、己の無知や経験不足を言い訳も挟まずに認め、自他の為に達成すべき課題と心得ている。

 何よりも大勢の人々に支えられていることを自覚し、その恩に報いようと励んでいる。師匠のだいぜんは言うに及ばず、兄弟子たちにもキリサメの誠実さは伝わっているのだった。


「――分からないことは誰でも何でもお答えしますから、安心して下さいね。とは言え、道場に入門はいって間もなくの頃は、何をいたら良いのかも分からないでしょうし、そこは焦らず慣らして行きましょう。逆に私たちもアマカザリ君に身のこなしの工夫とか、ばんばんいていきますから」

「何卒お手柔らかにお願いします……っ」


 朗らかな笑い声と共に道場に入ってきたのは、黒帯を締めた――いまゆり子である。〝おんなだいぜん〟の異名を取る『とうあらた』の古参で、『天叢雲アメノムラクモ』岩手興行の剣劇チャンバラでも流麗ななぎなたを披露していた。

 今日も指導員の一人としてがわだいぜんを支えるいまは、両手でわらたばを抱えている。真剣の稽古に用いる道具を追加で運んできたわけだ。これを手伝うべく反射的に腰を浮かせた弟弟子キリサメにも「を疎かにしないのも上達の秘訣コツですよ」と優しく促した。


「質問が許されるのでしたら、……今日の稽古以外のことでもよろしいでしょうか? がわ先生にずっとお伺いしたかったことがあるのですが……」

がわ先生のをご所望とあらば、花のお江戸でおぎゃあと産声を上げてから児童劇団を経て今日に至るまでの歩みを講談師ばりにお話ししますよ」


 帯に差していた扇子でもって自らの右太腿を打ち、芝居がかった調子で弟弟子キリサメに笑って見せたいまは『とうあらた』の広報にも力を入れている。その一環としてだいぜん本人が「私より私の経歴コトに詳しいんじゃないかな」と目を丸くするほど師匠の歩んできた歴史を詳細に取りまとめていた。

 改めてつまびらかとするまでもなく、はこの場で質問したかったこととは違うのだが、キリサメにとっては何よりも興味を惹かれるものであった為、背中を見守っていた未稲が驚いて丸メガネを吹き飛ばしてしまうくらい前のめりとなり、「是非ともよろしくお願いします!」といまこうべを垂れた。

 一礼を挟んでがわだいぜんに向き直ったキリサメであるが、反応を窺うような新弟子の眼差しに対して、師匠は茶目っ気たっぷりに親指を立てながら頷き返した。


「先週の試合の後、……僕が『E・Gイラプション・ゲーム』に行く手を遮られたときのことです。がわ先生や皆さんが助けて下さったことがずっと不思議だったんです。本人たちにも確認しましたが、岳氏や麦泉氏が手助けを頼んだわけでもありませんでした。それなのに、一体、どうして僕なんかを……?」


 がわだいぜんの優しい笑顔で緊張が和らいだキリサメが思い切ってぶつけたのは、この七日間――正確には『天叢雲アメノムラクモ』岩手興行のなかに『とうあらた』のたちと邂逅してからずっと気になっていたことである。

 体験会ワークショップへの参加から道場『とうあらた』との繋がりが始まった。次に接点が生まれたのは岩手興行の開会式オープニングセレモニーが執り行われる直前であった。偶然ながら剣劇チャンバラのリハーサルに立ち会い、そこで初めてがわだいぜんと握手を交わしたのだ。

 どちらも一度きりのことである。良好な関係であることは間違いないが、さりとて〝友人〟と呼べるほど絆は深くもない。キリサメのなかに湧き起こった感激は脇に置くとして、大して親しくない相手を救出するべく乱闘寸前の場に駆け付け、一計を案じて地下格闘技アンダーグラウンド団体を制してくれた理由がどうしても分からなかったのである。


「ご縁だよ、アマカザリ君。体験会ワークショップに出てくれた。何より私や他のみんなとも顔見知り。『とうあらた』とのご縁はそれだけで十分だよ。ご縁で結ばれた相手にはついついお節介を焼きたくなってしまう性分ってわけ」

 固唾を吞んで見守るキリサメに向けられたがわだいぜん返答こたえは、余りにも意外なものであった。

「えっ、それだけ……っ? こんなご時世ですよ? 『人助けに理由はいらない』みたいなレーごとは有り得ないでしょ」


 呆れ返りながら目を丸くする寅之助は、一字一句に至るまでキリサメの代弁者である。

 例えば、旧知の間柄である八雲岳の養子むすこだから放っておけなかったという理由付けのほうがまだ得心が行く。ところが、がわだいぜんを始めとする『とうあらた』のたちは、ほんの小さな縁を握り締め、まだ弟子入りも決まっていなかったキリサメの窮地に駆け付けてくれたのだ。

 その言葉を素直に呑み込めるほどキリサメは生温い環境で育ってきたわけではない。実母が絶命し、独りきりで格差社会の最下層に放り込まれた直後には見せ掛けの優しさに騙された挙げ句、古くから見知った人間の血を『聖剣エクセルシス』に吸わせる羽目になったのである。

 だからこそ、何事も歪んで受け取る寅之助と一緒になって首を傾げてしまった。

 盛大に面食らっている新弟子キリサメに苦笑いを浮かべたのちだいぜん身辺警護ボディーガードとして彼に同行する瀬古谷寅之助の顔を控えめに覗き込んだ。

 古い付き合いとはいえ頻繁に連絡を取り合っているわけではなく、『八雲道場』が『とうあらた』の体験会ワークショップに参加するまでだいぜんは岳が養子を迎えたことも知らなかった。この寅之助と秋葉原の中心部で繰り広げた〝げきけんこうぎょう〟がインターネットで話題にならなければ、あるいはキリサメ・アマカザリという少年を認識していなかったかも知れない。

 『とうあらた』の外から見れば、は縁と呼ぶには余りにも細い糸であろう。しかし、がわだいぜんは一つ一つの出逢いを大切しながら数多の人々と交わり、道場もたちもこんにちまで育ててきたのである。

 『聖剣エクセルシス』なるの付いた刀剣マクアフティルと『タイガー・モリ式の剣道』が斬り結ぶ〝げきけんこうぎょう〟は樋口郁郎の情報戦にも利用され、動画配信サイトではキリサメが故郷ペルーで剥き出しにしていた暴力性まで報じられてしまった。SNSソーシャルネットワークサービスやネットニュースがからぬ意味で過熱したのは、改めてつまびらかとするまでもないだろう。

 『とうあらた』と一つの縁で結ばれたキリサメが苦しい立場に追い込まれたときには必ず手を差し伸べようとだいぜんは決意し、その心を受け継ぐ弟子たちも揃って頷き返したのだ。

 それだけにキリサメが『タイガー・モリ式の剣道』に身辺警護ボディーガードを託したことにはだいぜんも少なからず驚いたのだが、希代の名女優――りんが夫のうちゆうを自らの邪悪な部分を見つめさせてくれる『だいだっ』にたとえていたことをすぐさま想い出し、これ以上の適任はいないと最後には納得できた。

 それもまたキリサメが自らの力で手繰り寄せた縁である。


「大上段に構える感じになるから年の功とは言いたくないのだけど、から一つ助言アドバイスさせて貰うとね、人生のご縁は大型連続時代劇みたいに壮大な物語性もなく、些細なことから始まるものだよ。それでも人と人とを結びつける運命の糸に変わりはないだろう? 自分でも夢見がちが過ぎるとは思うのだけれどね」

「死んだ母から『袖すり合うも他生の縁』という日本のことわざを教わったことがあります。僕は仏教ブッディズムに疎いのですが、……〝縁〟の意味を今、初めて理解わかったような気持ちです」


 人生の碑文ともたとえるべき皺が幾重にも刻まれた顔を綻ばせながら、おどけた調子で片目を瞑って見せた師匠に新弟子キリサメは堪らない気持ちになった。

 『E・Gイラプション・ゲーム』の一員でもあるひめは、新たに師弟の絆を結んだ二人の様子を静かに見守り、幾度も幾度も首を頷かせていた。

 〝なんでもアリバーリトゥード〟の地下格闘技アンダーグラウンドに喧嘩殺法のキリサメを引き入れようとするヴィクター黒河内に背き、の師匠と仲間たちに加勢したことは間違いではなかったと噛み締めているわけだ。


をスポーツの世界ではどう言い表したら良いのかな? 打ってつけの言葉をラグビーで聴いたおぼえがあるのだけど――ああ、そうだ! 『ワンフォーオール・オールフォーワン』っ! アマカザリ君、ワンフォーオール・オールフォーワンだよ」

「アレクサンドル・デュマ……ですか?」

「デュマの『三銃士』でも合い言葉になっていたね。ワンフォーオール・オールフォーワン――一人はみんなの為に、みんなは一人の為に」


 ワンフォーオール一人はみんなの為にオールフォーワンみんなは一人の為に――キリサメがだいぜんから贈られた言葉は、体験会ワークショップでの出逢いからこんにちまで『とうあらた』のたちが体現してきたことにも通じるものであった。

 それはがわだいぜんという大名人の気風であり、半生をかけて育ててきた道場の隅々にまで彼の精神たましいが行き届いている証左である。

 『とうあらた』のたちも含めて、キリサメは〝地球の裏側〟から日本へと移り住んだのちに出逢った全ての人々の顔を順番に思い浮かべていた。

 自分のことを友と認めてくれた人たちも、相容れない存在として敵意をぶつけてきた人たちさえも、暴力に支配された貧民街スラムを恋しく思い、死神スーパイが手招きする〝闇〟の底へ帰還かえらんとする衝動を封じ込めるもの――仏教ブッディズムが説く〝縁〟を強く感じられるからこそ、キリサメ・アマカザリは師匠たちと同じどうを纏ってこの場にるのだ。


ワンフォーオール一人はみんなの為に

オールフォーワンみんなは一人の為に


 一九八〇年の春から放送された『バイオグリーン』シリーズ九作目の主人公は、仏像をモチーフとして面立ちのデザインが完成されている。窓から差し込む陽の光を受けた巨大フィギュアも、人生のしるべとなるであろう言葉を唱え合うキリサメとだいぜんかんのんさつの如く見守っているようであった。

 ワンフォーオール一人はみんなの為にオールフォーワンみんなは一人の為に――他者をにしなければ己の命一つも明日に繋げない故郷ペルーでは理解できなかった理念ものである。

 『袖すり合うも他生の縁』という諺を教えてくれた亡き母には、人から受けた恩は必ず返さねばならないとも言い付けられている。現在いまのキリサメは恩返しすべき相手を数えるのに両手を使っても足りないくらいであり、そのことから目を逸らすつもりもなかった。

 その双眸には強い光が宿っている。まぶたはペルーという社会の〝闇〟を這い回っていた頃と同じように半ばまで閉ざされているが、今や眠たげな印象を持つ者はいない。

 しばしば『みんなは一人の為に』と解釈されるオールフォーワンには『みんなは一つの目的の為に』という意味合いもある。のちの格闘技史にも刻まれているが、一つの言葉に込められた二つの精神たましいをキリサメの瞳は誰よりも真っ直ぐに捉えることになるのだった。

 その〝目的〟には北米アメリカ最大のMMA団体『NSB』と『天叢雲アメノムラクモ』が共催する日米合同大会――『コンデ・コマ・パスコア』と、今、この時間ときにも八角形オクタゴンの〝ケージ〟の中央で〝パラスポーツとしてのMMA〟を切り拓いているシロッコ・T・ンセンギマナとの〝運命〟も含まれている。

 無論、それはキリサメ自身がまだ気付いてもいない〝宿命さだめ〟であった。



「サメちゃんってばMMAは一戦限りで離脱リタイアして、このままに本腰入れそうな雰囲気だねぇ。キミも広報の仕事が一個減ってラクになるでしょ」

「まぁ……、今ならちょっとだけお父さんの気持ちが分かりますよ」


 寅之助が真横から投げ付けてきた皮肉に対して肩を竦めて見せる未稲であったが、言葉とは裏腹に大して動揺もしていない。

 MMAを蔑ろにしてしまいそうなほどに前のめりなキリサメに対して、戸惑いがないわけではない。尤も、そのの一人に甲冑格闘技アーマードバトルの選手候補を推薦することばかり考えている彼女には寂しく感じる資格すらあるまい。

 未稲はキリサメが〝地球の裏側〟から移り住んできた直後とは異なる顔へと変わっていくことにる種の優越感を抱いており、それが何よりも勝るのだ。


(昨日までの想い出には太刀打ちできないけど、これから積み重ねていく新しい想い出には勝ち筋しか見えないもんね。少しずつでもキリくんの中から削り取ってみせるよ)


 日本に移り住んでから半年近く経った現在いまもキリサメの心の何割かを占めているものとおぼしき幼馴染みが知らない顔を自分は一番近くで見つめている。その事実が未稲にた薄笑いを浮かばせるのだった。

 キリサメの体温ぬくもりを知る唇を右の人差し指でねっとりと撫でる未稲は、二〇一三年に〝地球の裏側〟で発生した大規模な反政府デモ『七月の動乱』の民間人犠牲者名簿に対抗意識を燃やす相手――・ルデヤ・ハビエル・キタバタケの名前が載っていることを未だ知らずにいる。




                                    (後編へ続く)


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