その20:謝肉祭(前編)~「格闘技社会」を狂わせる毒の牙・MMAドリームの闇に棲むタランチュラ/MMAに希望を絶たれし暗殺拳──秩序の鎖で封印されたケモノたちは「死神(スーパイ)」に解き放たれ……

  二〇、Casus Belli Act.1



 全世界に登録者ユーザーを抱える動画配信サイト『ユアセルフぎんまく』には、テレビゲームの攻略映像や民間のニュース番組など数え切れない量の動画ビデオ投稿アップロードされている。『天叢雲アメノムラクモ』と業務提携している格闘技雑誌パンチアウト・マガジンも専用チャンネルを開設し、試合内容を総括する番組を興行イベント終了後に生放送していた。


「――第一三せん奥州りゅうじんですけどね、ぶっちゃけた話、第二試合まではこの団体もこの興行イベント限りで終わりでしたよ。二試合続けて客をドン引きさせたら、日本MMAのトップランナーは名乗れねぇっつの。特に第二試合でみっともない真似をやらかした二人、次の興行イベントにも出てくるつもりなら『恥知らず』って書いたプラカード持って入場の刑でしょ」


 映画館のスクリーンを模した画面内で『天叢雲アメノムラクモ』岩手興行の内容を振り返るのは一人の少女である。正確には〝そのように描画されたキャラクター〟と表すべきであろう。

 巫女の用いるころもがモチーフとおぼしき若草色の装束に身を包み、正面に据え置かれたカメラにはつらつとした笑顔を振り撒いている少女は、名称なまえを『あつミヤズ』という。

 動き易さを重視して袴の代わりにスパッツを履き、美しく割れた腹筋を誇示ように着物の前面も大きく開いている。胸部を覆うタンクトップには雑誌名がプリントされており、『パンチアウト・マガジン』に帰属する〝キャラクター〟であることを強調していた。

 三次元描画される〝キャラクター〟の動画ビデオが近頃は流行の兆しを見せ始めている。高度な機材で配信者の動作や表情をコンピューターに取り込み、これを反映させて生身の人間と同じ息遣いを持つ〝もう一つの生命〟を仮想バーチャル空間に誕生させるのだ。


「ハッジ選手のベースは直接打撃フルコン空手。日本にも武道留学したモロッコ最強レベルですからねぇ。『天叢雲アメノムラクモ』は全試合がまぐれ勝ちフロックではない圧勝ワンサイドゲーム。それで幻想ゆめちゃったか~」


 柔軟に形を変える口から発せられるのは外見と同じように愛くるしい声であるが、これによって紡がれるのは格闘技術の検証であった。

 現在は第八試合――『天叢雲アメノムラクモ』の統括本部長に番狂わせジャイアントキリングを宣言し、えなく返り討ちとなったモロッコ出身うまれの若手実力派の敗因を無慈悲に抉り出している。

 そもそも『あつミヤズ』とは格闘技雑誌パンチアウト・マガジンの販促キャンペーンを目的として生み出された〝キャラクター〟であるが、その容姿からは想像もつかないマニアックな技術解説が好評を博し、今では半ば独立したコンテンツとして運用されている。

 統括本部長の肩書きすら軽んじる毒舌に加えて、滑稽さを際立たせる演出も人気の理由であった。彼女ミヤズは自らが〝活動〟する場所を『じんぐう』などと仰々しく呼んでいるのだが、は築数十年とおぼしき四畳半程度のアパートなのである。その上、割れた窓ガラスをダンボールで補強しており、煌びやかな出で立ちとの落差も激しかった。

 彼女のころもは左右の袖が取り外され、肩も剥き出しとなっている。山吹色の長い髪は右耳の上辺りで一つに結わえていたが、紐の部分に差し込まれたかんざしのような飾りは、身を転がすと畳敷きの床にめり込んでしまうのだった。

 は全て三次元描画である。床と接触した髪飾りが折れてしまうこともないが、製作者の趣味こだわりなのか、現実世界と同じような重力の影響を感じられる処理が施してある。


「モロッコは柔道もメジャー。ハッジ選手もカサブランカで一番の道場に通ってますね。フルコン空手と柔道の複合ミックスは、第四試合で名勝負を見せてくれたオリバーレス選手と似ていますけど、あっちは柔道の金メダリスト。空手が〝主〟で、柔道が〝従〟ってな具合の二足の草鞋で『超次元プロレス』を捌くのは最初ハナから無茶だったわなァ~」


 己と同じ身の丈の人形に正面から組み付いた『あつミヤズ』は、その状態を維持したまま後方に反り返り、背中を叩き付ける形で猛烈に投げ落とした。

 即時の三次元描画では動作の取り込みとその処理に限界があるのか、実際の速度スピードとは比較にならないほど緩やかである。若き日に極めた忍術を基礎ベースとして『超次元プロレス』と呼ばれる豪快な立ち回りを完成させた八雲岳は、投げ落とした対戦相手ハリド・ハッジのすり抜けるようにして身を転がしたのだが、もまた忍者さながらの早業であったのだ。

 花形選手スーパースターに取って代わらんとする野心を隠そうともしないハリド・ハッジは、それだけにほんの一瞬で窮地に追い込まれるという事態を認識できず、岳が馬乗り状態マウントポジションを完成させた後も唖然呆然と目を丸くするばかりであった。

 その攻防を再現するべく『熱田あつたミヤズ』は左右の拳を一度ずつ振り下ろし、その拍子に山吹色の髪が上下に大きく揺れた。岳も短いとは言い難い頭髪かみを首の付け根辺りで一房に結わえており、パウンドを叩き込む際には躍動する馬の尾の如く跳ね上がっていた。


「八雲統括本部長が馬乗り状態マウントポジションになった時点で、あの決着フィニッシュを予想できたのはミヤズくらいでしょ。養子のカレがパウンドでボコられてあんなザマになった直後だし、同じパウンドで『八雲道場』の汚名返上を狙うって誰もが勘違いしたでしょ。養父おやの顔に泥塗ったバカむすも耳かっぽじって聞いときな。ベテランって呼び名は年寄りの同義語じゃねーのよ」


 光沢のある質感からして、件の人形はビニール製として描画されているのだろう。表面にはミヤズを模倣したと思しき絵柄が刷り込まれている。

 本人との対比を強調しているのか、同じデザインの衣装は紫色であり、肌は陽にけたかのようは浅黒い。目付きも険しくなっているのだが、利き手と反対側に筆を握ったとしか思えない絵柄である為、凄味を感じ取るのは非常に難しかった。

 しかも、ビニール人形こちらは〝キャラクター〟ではなく完全な物体オブジェクトなので、無反応つ無抵抗である。物言わぬを口数の多い少女が殴り付ける姿は滑稽としか表しようがない。


「ブラジリアン柔術に自尊心プライドごと叩き潰された一九九四年悪夢の一戦、勝敗を分けたのは実戦志向ストロングスタイルのプロレスでも採用していなかった『パウンド』ですからね。自分を血ダルマにしてくれた技は八雲統括本部長だって研究し尽くしますよ」


 質感そのものは三次元描画でも再現できるが、本物のビニール人形ではない為、『あつミヤズ』の跨った腹部が凹むことはない。パウンドを浴びせられた顔面も同様である。


「城渡選手みたくバカ丸出しで無限に殴り続ける気はなかったと思いますよ。我らが統括本部長、アメリカで活躍中のお弟子さんと同じようにセコンドを付けませんよね? 一人でも攻防をカンペキに組み立てられるってコト。ハッジ選手はも見誤ったわね。足を拘束ロックしなかったのだって相手の反撃を誘う〝罠〟以外の何物でもありませんし」


 己の力量をひけらかすのではなく、あくまでも『天叢雲アメノムラクモ』岩手興行の再現である為か、『あつミヤズ』もビニール人形に自身の足を絡めてはいない。物体オブジェクトであればこそ無反応であったが、意思も思考も持つ生身の人間ハリド・ハッジならば、自由に動かせる下肢でもって馬乗り状態マウントポジションからの脱出を試みるのは当然であろう。

 両足が拘束ロックされなかった点に『あつミヤズ』が言及した直後、突如として意思が宿ったようにビニール人形が動き始めた。自身に振り下ろされた拳を左右のてのひらで受け止め、互いの〝力〟が拮抗したその一点を〝軸〟に据えて大きく身をよじり、体重によって押さえ込まれていた腰を素早く引き抜いたのである。

 が八雲岳の戦略であったと『あつミヤズ』は見抜いていた。

 彼女がビニール人形を相手に再現した通り、『天叢雲アメノムラクモ』の統括本部長もマットに腰を下ろすような姿勢となったハリド・ハッジの頭上を飛び越え、その背後に素早く着地した。

 場内ひいては場外観戦パブリックビューイングで攻防を見守っていた観客たちは、誰もが忍者の二字を思い浮かべたことであろう。馬乗り状態マウントポジションを外された瞬間、高い跳躍へと転じたのである。

 片膝を突く恰好でマットに舞い降りながら〝忍者レスラー〟は右の五指を繰り出し、背後からハリド・ハッジの左腕を捻り上げた。当然ながらモロッコ最強の空手家は極技サブミッションの完成を警戒して力任せに振り解こうとしたが、その間に岳は互いの肘を交差させるような形で自身の左腕を巻き付けていく。

 左手首を掴み上げていた五指は既に離れており、ハリド・ハッジの意識が背後に向いた直後、岳は自由になった右腕でもって相手の頭部を抱え込んだ。

 凹凸の少ないビニール人形に仕掛けても効果は解りづらいのだが、岳の五指が組み合わさると、ハリド・ハッジは肘と顔面の両方を同時に締め付けられる形となる。これによって肩と首の可動域が後方へと反り返り、二つの関節に耐え難い負荷が掛かるのだ。

 『チキンウィング・フェイスロック』――腕関節への極技アームロック頭部への極技フェイスロックを複合させたプロレス技であり、『鬼の遺伝子』に名を連ねるレスラーにも使い手が多い。八雲岳は言うに及ばず、日本で初めて〝総合格闘〟を体系化したヴァルチャーマスクも、〝柔術ハンター〟と畏怖されたじゃどうねいしゅうも、この極技サブミッションで勝利を挙げたのである。

 ハリド・ハッジは依然として尻餅をくような姿勢を変えられず、四肢に力を込められない。これでは岳の左肘の内側に挟まれた片腕を引き抜くことすら不可能なのだ。右手は拘束ロックされていないが、文字通りに上体の動作うごきを掌握された状態では、顔面への締め付けを引き剥がすには足りなかった。

 岳が組み合わせた両の五指は貨物列車の連結器さながらに固く、どれほど身をよじっても外せない。そもそも背骨まで固められたような状態なのだ。とうとう観念せざるを得なくなったハリド・ハッジは、自身の顔面を締め付け続ける腕を右手で叩き、駆け寄ってきたレフェリーに降参ギブアップの意を示したのである。


「プロレスじゃないMMAのリングで、わざわざ見栄えのする『チキンウィング・フェイスロック』を仕掛けたのはレスラーの意地ってより場内を恐怖のドン底に叩き落としてくれやがったバカむすの尻拭いでしょうねぇ。〝場〟を盛り上げる技を思い通りにキメられる時点で、ハッジ選手にはまぐれ勝ちフロックの芽も有り得なかったっちゅ~ワケですけど」


 試合の再現に用いたビニール人形を部屋の隅へと蹴飛ばした『あつミヤズ』は、両拳にMMAの指貫オープン・フィンガーグローブを装着している。右手が青で左手は白と、それぞれ色違いであるが、二種ふたつとも青空そら叢雲くもを映した『天叢雲アメノムラクモ』公式のイメージカラーと全く同じなのだ。

 『あつミヤズ』を運用する格闘技雑誌パンチアウト・マガジンは『天叢雲アメノムラクモ』と業務提携を結び、興行イベントの後に検証番組も生放送してはいるが、さりとて主催企業サムライ・アスレチックスの支配下に置かれたわけではない。

 それにも関わらず、『天叢雲アメノムラクモ』を率いるぐちいくから操り人形の如く利用されてしまうことがあった。日本格闘技界に君臨する〝暴君〟は、かつて格闘技雑誌パンチアウト・マガジンの編集長を務めており、同社を離れた後にも逆らい難い影響力を維持し続けているのだ。

 話題性の為だけに〝客寄せパンダ〟としか表しようのない選手を投入するなど格闘技を愛する人々ファンの間で樋口郁郎はかつの如く忌み嫌われており、『あつミヤズ』が嵌めている指貫オープン・フィンガーグローブの色合いも『天叢雲アメノムラクモ』の追従と決め付けられた挙げ句、〝暴君〟に飼われた首輪の代用かわりなどと口汚く揶揄されることも少なくなかった。

 『ユアセルフ銀幕』は配信される動画ビデオに視聴者がコメントを書き込み、再生画面へ即時に表示されるシステムを特徴としている。営業妨害にも近いのだが、『あつミヤズ』の番組には表現する側と閲覧する側による双方向のコミュニケーションを悪用し、「独裁者にすり寄っておまんまにありつく忠犬」といった事実無根の誹謗中傷が執拗に投稿されていた。

 八雲岳とハリド・ハッジの試合を開設した際には、第一試合の終盤に起きてしまったリングの崩壊に言及しないことへの批判も混ざっていた。


「何でもかんでも取り上げりゃ良いってモンじゃないでしょ。重箱の隅を突っつくヒマがあるなら、ネタにして面白いモンと、拾ってみても一部の連中が騒ぐだけで大して話題ハナシが広がらないモンの違いを考えろっちゅ~の!」


 クッション材で覆われた支柱ポールを四隅に立て、落下防止のロープで結び合わせ、重量級選手が飛び跳ねても連結部が外れないよう骨組みを組んだリングが崩壊した原因も技術解説の範疇にも含まれることであろうが、『あつミヤズ』はえてを語らずにいた。

 『天叢雲アメノムラクモ』の評価を損ねると判断した樋口がかんこうれいを敷いたのかも知れないが、その姿勢に対する批判が次々と投稿されたことで『あつミヤズ』も我慢の限界に達したようだ。


養父おやに尻拭いして貰わなきゃ試合もやれね~っちゅうド素人をリングに上げんなってのがミヤズの本音ですよ! ちゅ~か、アマカザリ選手をブッ叩きたいのなら、まず反則連発だったコトをコスれやッ! 『喧嘩師』ってな煽り方だって謳い文句程度の意味しかないのに、本当マジにMMAで路上の喧嘩をやってど~するんですか、あのバカッ!」


 悪質なコメントを書き込んだ視聴者へ激しい憤りを見せつけるかのように山吹色の髪を掻きむしり、真っ白な歯を食い縛りながら地団駄を踏んだ。

 画面の向こうから壁を叩くような効果音が飛び込んできたのは、この直後である。

 隣室から苦情が入ったというであり、『あつミヤズ』は殆ど泣きそうな表情かおを引き摺りながら、カメラに映らない画面端へと姿を消した。

 四畳半の『じんぐう』に聞こえてくるのは隣室となりの住人に対する平身低頭の謝罪であった。侘しいアパート暮らしや、華美な装いに似つかわしくない生活感に視聴者も親しみを抱いており、罵詈雑言を上回る支持が『あつミヤズ』を支えているのだった。

 間もなくカメラの前に戻ってきた『あつミヤズ』は、隣室の壁に向かって右手を突き出した。握り拳がモザイクによって隠されたということは、企業系チャンネルの中でも群を抜く登録者数を誇る〝キャラクター〟にあるまじきをやってのけたのであろう。


「あのバカ、この事態をどこまで深刻に考えてンのかしらねぇ! リング全損の被害額やクレーム対応だけでも一大会分の興収が余裕でブッ飛ぶし、そうなりゃ東北復興支援事業プロジェクトにも大迷惑ッ! MMAのルールすらおぼえてなさそうなあのバカに、自分てめーの所属団体を解散寸前まで追い込んだコトを理解できるとは思えませんねぇ~ッ!」


 再びカメラに向き直った『あつミヤズ』は、第一試合終盤のキリサメ・アマカザリを模倣するかの如く双眸を見開いた。三次元描画された目玉も顔から飛び出しそうだ。

 プロデビューを控えたキリサメ・アマカザリが秋葉原で不祥事を起こした際、『あつミヤズ』はその衝撃を和らげる情報工作として一種の暴露番組を生放送していた。

 絶望的な貧富の格差に社会全体が蝕まれ、法治国家日本とは比較にならないほど治安の悪いペルーの貧民街スラムで生まれ育った少年は、に手を染めなくては自らの命も守れなかった――同情を煽る形で人々の意識にキリサメ・アマカザリの生い立ちを刷り込み、仮にも『天叢雲アメノムラクモ』と契約した〝プロ〟でありながら路上戦ストリートファイトを強行してしまえるへの理解を促したのは、段取りから放送の強行に至るまで樋口郁郎による命令であった。

 『あつミヤズ』という〝キャラクター〟も、その活動を支えるスタッフたちも、キリサメ・アマカザリにからぬ感情を抱いている。リング崩壊が所属団体に壊滅的な打撃を与える危険性おそれがあったことを指摘して以来、彼女は普段にも増して饒舌であった。


「無責任な連中は『リングを吹き飛ばすなんて漫画みたい』って能天気にアオッてくれやがるんでしょうが、ぶっちゃけ、そこは大した問題じゃねェのよ! あのとき、城渡選手の意識は吹き飛んでいた! 追及しなくちゃなのはそこそこそこォッ! どこからどう見ても気絶してると判る相手に殺意剥き出しの蹴りを入れるのがアウトッ! 無法者アウトロー気取りが抜けやがらねェのか、そのあとも念入りにトドメを刺そうとしやがりましたからねぇ、あのバカッ! 〝歩くルール違反〟を無罪放免にして、本当マジ花形選手スーパースターとセットで売り出すつもりなら、『天叢雲アメノムラクモ』からMMA団体としての信頼が消し飛ぶわァッ! ……ドーピング汚染が『NSB』をどんな風にブチ壊したのか、忘れるにはまだ早過ぎるッ!」


 対戦相手であるじょうわたマッチの責任を問わない点からも、憤怒の激しさが察せられた。キリサメ・アマカザリの肩越しに庇護者たる〝暴君〟の顔も見え隠れしており、この状況こそがの怒りを膨らませるわけだ。




 実戦志向ストロングスタイルのプロレスを掲げた『鬼の遺伝子』による異種格闘技戦から前身団体バイオスピリッツの〝格闘技バブル〟に至る日本のMMAを牽引してきた古豪ベテランの貫禄を見せつけた八雲岳すら〝養子の尻拭い〟と冷たく突き放したのち、四畳半の『じんぐう』では第九試合セミファイナルの解説も始まった。

 そもそも岩手興行は前身団体バイオスピリッツの時代から日本MMAのリングに君臨し、『かいおう』の異名で畏怖される絶対王者の二大会ぶりの復帰が〝目玉メインイベント〟であって、五〇〇〇という観客を戦慄させた新人選手ルーキーの試合も、統括本部長による〝尻拭い〟も余禄おまけに過ぎない。

 それにも関わらず、第八試合の終了と共に再生が停止されたのは、画面を見つめる人々にとって『かいおう』復活の儀式と喧伝された第一〇試合ファイナルが大した意味を持たない為だ。

 日本では芸能人タレントとしても活動し、格闘技ファン以外にも人気の高い花形選手スーパースター――レオニダス・ドス・サントス・タファレルは、自身が受け持った第九試合セミファイナルいて新人選手ルーキーとはでリングをしんかんさせ、統括本部長が盛り上げた空気を再び凍り付かせたのだが、それすらもには含まれないのだ。


「――ただでさえ東南アジアからの突き上げが厳しいってときに樋口のヤツ、何してくれちゃってんのよ。こんなことだから海外のMMAに水を開けられるんじゃないのさ」


 軋み音が起こる勢いでもたれに体重を預け、憤然たる鼻息と共に腕組みしたのは、日本初の女性MMA選手であるよしさだであった。

 京都・はなしょ学院大学の准教授であり、『MMA日本協会』の副会長を兼任する吉見はMMAを普及させるべく全世界を飛び回っていた。〝格闘技地球連合〟を志した『昭和の伝説』――鬼貫道明の夢を継ぐかのように〝スポーツ外交〟の使命を担っている。

 女子総合格闘技MMAの〝道〟を拓いた先駆者であり、その功績が国際的にも評価されていればこそ、『ハルトマン・プロダクツ』が開発したスポーツ用ヒジャブの発表会にも立会人プレゼンターとして招待されたのである。

 〝プロ〟選手としての活動こそ終えたものの、技術指導が共通言語に代わるほどMMAのは継続しており、生涯現役を貫く覚悟なのであろう。

 同じデニムを用いながら、新しい生地のブラウスと、古びた味わいヴィンテージのフレアスカートを組み合わせるという装いで会合に出席しているが、格闘技雑誌パンチアウト・マガジンには現在いまでも試合着ユニフォームで登場する機会が多いのである。

 その吉見定香が憂えているのは、言わずもがな日本MMAの行く末であった。

 『天叢雲アメノムラクモ』の前身団体が反社会的勢力との〝黒い交際〟を暴露されたことでMMAという〝スポーツ文化〟そのものに対する不信感が強まり、〝格闘技バブル〟とも呼ばれた黄金時代は終焉を迎えた。

 テレビ局がMMAの地上波放送を打ち切ったのも同時期のことだ。

 今ではスポーツ番組の一コーナーか、衛星放送の専門チャンネルでもなければテレビ画面に映ることもない。日本国内で開催されるMMA興行イベントの運営状況や安全性を監督する中立機関――『MMA日本協会』にとっては暗黒時代としか表しようもあるまいが、格闘技興行イベントの生中継が地上波三局を独占した大晦日の夜など想像できない人間が圧倒的に多いことは、誤魔化しようのない〝現実〟であった。

 旗揚げ当初こそ『MMA日本協会』と歩調を合わせながらも、方針の違いによって道をたがえることになった『天叢雲アメノムラクモ』は『NSB』との合同大会を取りまとめ、前身団体バイオスピリッツと同様に〝日本最大のMMA団体〟として存在感を示しているが、それで失われた信頼がただちに回復するものではない。

 かつて吉見が所属していた女子MMA団体『メアズ・レイグ』は、その『天叢雲アメノムラクモ』に吸収合併されている。日本格闘技界にける勢力拡大を企んだ樋口が謀略を張り巡らせ、興収が圧迫されるほど同団体メアズ・レイグの信頼性を貶めたという風聞もまことしやかにささやかれていた。

 おそらくはそれが真相であろうと、〝暴君〟を忌み嫌う誰もが考えている。の副会長という立場ではあるものの、『天叢雲アメノムラクモ』は吉見にとっても不俱戴天の敵なのだ。


「個人的には俄然応援したくなったわね、アマカザリ君。イキの良さじゃバロッサ家の新星も負けてないけど、常識の枠をブチ壊してくれるかも知れない期待感で観客オーディエンスを引っ張れる選手は現在いまの日本MMAじゃ最高に希少価値よ」


 故郷ホームグラウンドとも呼ぶべき団体メアズ・レイグを蹂躙した『天叢雲アメノムラクモ』には穏やかならざる感情を抱いているはずだが、吉見のなかでは岩手興行に感じた昂揚が私憤をも凌駕するわけである。MMA選手としての〝血〟が騒いだとも言い換えられるだろう。

 『MMA日本協会』に名を連ねる他の役員たちと同様に吉見副会長もキリサメ・アマカザリのことは試合前から注視していたのだが、は組織間のが大きい。

 何しろくだん新人選手ルーキーはプロデビューの直前に暴力事件さながらの不祥事を起こし、団体代表の樋口もマスメディアを操って隠蔽工作に近い情報戦まで仕掛けている。

 秋葉原のは、あくまでもPVプロモーションビデオの撮影――世間に対しては宣伝活動の一環と取り繕ったものの、格闘技界で生きる人々の目を欺けるはずもなく、岩手興行は『天叢雲アメノムラクモ』の信頼性が大きく揺らぐ状況下で開催された次第である。

 財政状況まで含む運営の体質やルール策定など、ありとあらゆる面にいて健全な団体活動を監督している『MMA日本協会』としては、頭突きバッティングの採用や完全無差別級試合など所属選手の安全を軽んじている樋口体制を野放しにはしておけないのだ。

 格闘技やスポーツと向き合う医学ひいては法律の観点から捉えても〝暴挙〟の二字こそ似つかわしい団体が日本MMAの象徴として祭り上げられたなら、いずれ前身団体バイオスピリッツと同等の破滅を引き寄せることは想像に難くない。

 〝スポーツ文化〟としての信用失墜である。『天叢雲アメノムラクモ』は東北復興支援事業プロジェクトの旗振り役でもある為、万が一の場合には〝格闘技バブル〟の崩壊より遥かに痛手ダメージは大きいはずだ。

 MMAそのものが今度こそ日本から消滅するかも知れないのである。

 ましてや樋口郁郎はレフェリーの派遣すらとして反発し、『MMA日本協会』に敵愾心を叩き付けてくるのだ。それ故に樋口体制の〝爆弾〟ともなり得るキリサメ・アマカザリの動向には、吉見も含めて役員の誰もが注視せざるを得なかった。

 くだん新人選手ルーキーが『天叢雲アメノムラクモ』統括本部長の養子という点も、MMA日本協会には大いに悩ましい。快男児の八雲岳は組織間に横たわる確執をも飛び越えて役員たちと良好な関係を保ち続けており、同協会の会合へ足を運んだことも一度や二度ではない。

 〝暴君〟との関係修復は望まないとして、『MMA日本協会』も『天叢雲アメノムラクモ』との完全決裂は望んでおらず、自らの監督下に置くことが最も望ましい筋運びなのだ。

 日本MMAをへと正す際には統括本部長が〝架け橋〟の役割を果たすはずであり、だからこそ養子キリサメ・アマカザリを樋口失脚の〝爆弾〟として軽々しく利用するわけにはいかないのである。

 副会長という要職を担い、MMAという〝スポーツ文化〟を世界に広めるべく尽力してきた吉見定香である。〝裏〟の事情が思考あたまから抜け落ちてしまうほど無責任ではないが、キリサメの喧嘩殺法は想像を遥かに凌駕するものであったのだろう。

 秋葉原で起こした不祥事を受けて、「野放しにしておくのはよろしくない」と警戒を口にしたこともあったが、『あつミヤズ』が第一試合を再現した際には身を乗り出して再生画面に見入っていた。


「停止なんかしねェで第一〇試合ファイナルまでブッ通して観てェが、そうも言ってられねェわな。〝最年少選手〟と呼ばれたアイツが日本MMAオレらに牙を剥こうってんだからよ」


 〝最年少選手〟という一言で四方八方から重苦しい溜め息を引き出したのは『MMA日本協会』の会長を務めるおかけんだ。

 〝日本プロレスの父〟であるりきどうざんの正統な系譜を受け継ぎ、ショーアップされた試合で観客を楽しませる古き良き団体――『大王道プロレス』の名誉会長でもあり、二〇一四年六月現在は政権与党にいて文部科学大臣の肩書きを背負う要人おとこであった。

 物言いこそ〝大人〟になり損ねた少年のようであるが、象牙色アイボリーの背広の襟では内外に立場を示す議員記章が煌めいているのだ。


「……同じ〝最年少選手〟が娯楽のように消費されてしまう状況も、その触れ込みが話題性を煽るような体質も、野放しにすれば七年前の自分たちに笑われてしまいます。一〇年後の格闘技界の為に今こそ変えなくては」


 理事の一員ひとりとしてMMAのルール策定に携わってきた弁護士のたてやまさちは、この場の誰よりも岡田会長の発言を重く受け止めている様子であった。

 白いブラウスに合わせたブレザーと、ベルトを用いる種類タイプのタイトスカートはどちらも紺色であり、その装いが〝法の番人〟としての発言に更なる重みを付与し、ひいては会議室の空気を引き締めている。

 会議室に集まった人々は楕円形の長大なテーブルの左右に分かれて着席しており、岡田会長はを見渡す上座――即ち、議長席にるわけだ。改めてつまびらかとするまでもあるまいが、彼を仰ぐのは『MMA日本協会』の役員たちと一人のオブザーバーであった。

 読んで字の如く日本MMAの行く末を見守る重要人物キーパーソンが一堂に会したのは、国内有数のゲームメーカー『ラッシュモア・ソフト』の本社ビルだ。同社の創業者であり、『MMA日本協会』の副理事長を務めるとくまるの厚意で会議室が提供されたのである。

 常会の会期中である岡田会長は、この場の誰よりも時間に追われている。彼も名を連ねた委員会が開かれる午後に『MMA日本協会』の会合が割り込んでいたなら、始発の新幹線で京都から駆け付けた吉見副会長が議事進行を代わらなければならなかったはずだ。

 一秒たりとも無駄に出来ない状況に加えて、心情的にも岩手興行の解説番組を最後まで視聴する余裕がないことは、会議室に充満する数多の溜め息が表していた。

 各々の席には一台ずつタブレット端末が設置されており、『あつミヤズ』の解説放送はその液晶画面に映し出されていたわけである。

 尤も、岩手興行の終了後に実施される生放送ではない。ガラス窓を覆うアルミブラインドの隙間からは陽の光も差し込んでいるのだ。タブレット端末で再生されたのは、『あつミヤズ』のチャンネルに投稿されたアーカイブ動画であった。

 普段は社内プレゼンなどが行われる会議室の使用許可申請書には、『天叢雲アメノムラクモ』の岩手興行から一夜明けた月曜日の午前一〇時と記されている。


「――『ハルトマン・プロダクツ』の懸念は先程も申し上げた通りです。いいざかぴんが樋口代表の手配りで『天叢雲アメノムラクモ』のリングに押し出されてしまったら、キリサメ・アマカザリという〝最年少選手〟が仕出かした今回のアクシデントと似たようなことが確実に繰り返されます。皮肉なことに樋口代表自身が述べていますが、『ウォースパイト運動』の脅威が差し迫った状況で格闘技が持つ暴力性を殊更に強調することは、日本MMAにとっても間違いなく命取り。そのような事態は我々としても看過できません」


 〝暴君〟に対する嫌悪が色濃く滲んだ言葉で皆の意識をタブレット端末ひいては『あつミヤズ』のアーカイブ動画から引き剥がしたのは、世界最大のスポーツメーカーであり、『天叢雲アメノムラクモ』のメインスポンサーでもある『ハルトマン・プロダクツ』の創始者一族――ザイフェルト家の御曹司であった。名前ファーストネームをギュンターという。

 頭髪全体を短く刈り込み、眉間と頭頂部の間にのような塊を残すという風貌からは想像し難いのだが、オブザーバーとして『MMA日本協会』の緊急会合に招かれていた。

 『七星セクンダディ』の徽章を背広にて煌めかせるギュンター・ザイフェルトは、ドイツ出身うまれとは思えないほど流暢な日本語で『天叢雲アメノムラクモ』が抱える〝闇〟を抉り出していた。


「守るべき選手でさえ使い捨ての道具も同然に扱う団体を『ウォースパイト運動』の思想家連中はどう見るのかしらね。……私たちの目から見ても契約を免罪符の代わりに使う人権侵害でしかないわ」


 ザイフェルト家の御曹司による問題提起を受ける恰好で発せられた吉見定香の言葉に対し、居並ぶ役員たちは揃って首を頷かせた。

 ありとあらゆる格闘技を許し難い人権侵害と見做し、如何なる手段に訴えてでも根絶すべしと訴える思想活動――『ウォースパイト運動』の脅威は、MMAの普及活動を通じて〝スポーツ外交〟に携わる吉見も肌で感じている。それ故にギュンターの懸念に誰よりも早く首を頷かせたのだ。欧米では試合場に対する火炎瓶の投擲や放水といった過激なが繰り返されている。

 暴力と批難する格闘技を同じ暴力で攻撃することは矛盾以外の何物でもないのだが、人権擁護という名の〝正義〟を妄信する活動家たちは傲慢にも世界秩序の守護者を自負しており、罪悪感に苛まれるどころか、何をしても許されると疑わない。

 SNSソーシャルネットワークサービスける群集心理によって攻撃性は際限なく膨らんでおり、精神的な痛手ダメージを与えたいが為に『NSB』の関係者や所属選手が同乗するエアフォースワン――アメリカ合衆国大統領専用機にサイバーテロを仕掛ける重罪人まで現れた。

 二〇一四年六月現在にいて、日本の格闘技団体では〝実害〟は確認されていないが、国内で活動する過激思想家の存在は『ハルトマン・プロダクツ』も把握しており、その内の一人をギュンターは篭絡している。


「有力議員が『NSB』の現状に批判的な声明を出していることからも明らかな通り、テロ事件を呼び起こすMMA団体を社会がどう見るのかも憂慮すべきでしょう。そこに来てシンガポールの〝新風〟です。『ウォースパイト運動』でさえ抗議を渋る安全体制との比較――相対的な評価が日本のMMAに与える影響は深刻と、ご注進申し上げます」


 『ハルトマン・プロダクツ』は世界中の競技大会に影響力を及ぼし、そこに生じる莫大な利権を貪ってきた〝スポーツマフィア〟でもある。日本MMAという市場マーケットが抱えた問題点も居並ぶ役員たちに強く訴えた。

 全ては『ハルトマン・プロダクツ』の利害を制御下に置く為である。

 同企業ハルトマン・プロダクツはアジアのMMA情勢に危機感を抱いている。『天叢雲アメノムラクモ』と同じ二〇一一年にシンガポールで産声を上げた新興団体が格闘技社会の勢力図を大きく塗り替える可能性を秘めているのだ。

 主にアジア系のMMA選手を中心として興行イベントを開催しているが、飛ぶ鳥を落とす勢いは留まるところを知らず、今では日米の狭間に〝独立勢力〟を築きつつあった。

 アジア圏のみならず、欧米の企業も名を連ねるなどスポンサー構成ものだが、シンガポールの市場マーケットいて単独で二割近くを占め、大きな影響力を握った『ハルトマン・プロダクツ』でさえ発展途上の新興団体へ入り込めずにいる。

 『MMA日本協会』の役員ひとびとほぞを噛む思いであろうが、アジアで最も有力な『天叢雲アメノムラクモ』もいずれは上回るだろう。〝暴君〟に翻弄され、〝スポーツ文化〟としての進歩が鈍っている日本に対し、シンガポールはMMAの新たな潮流を確実に生み出しているのだ。

 こんなことだから海外のMMAに水を開けられる――先ほど吉見も呻いたが、『MMA日本協会』も複雑な気持ちと共にくだんの新興団体に注意を払っている。

 経営陣はオリンピックにも携わり、スポーツビジネスを知り尽くしている。他の競技団体と異なる理念・展望も明確に打ち出し、アメリカのメディアも数年後には『NSB』と勢力を二分すると予想していた。

 〝東西冷戦〟の延長ともたとえるべき『ベトナム戦争』を二一世紀の格闘技社会で再現するようなものだが、アジアの利権争いを睨む『ハルトマン・プロダクツ』は『天叢雲アメノムラクモ』こそシンガポールの新興団体に対抗し得る〝最後の砦〟と捉えている。

 日本格闘技界の秩序を乱し続ける〝暴君〟への対処は、『天叢雲アメノムラクモ』のメインスポンサーにとっても差し迫った〝現実問題〟である。だからこそ、を議論する『MMA日本協会』の緊急会合にザイフェルト家の御曹司が自ら足を運んだ次第である。

 格闘技を根絶すべき人権侵害として忌み嫌う思想活動と、アジア全体のスポーツ市場マーケットを間違いなく揺るがすであろうシンガポールの動向――前後左右から圧し潰されるような危機が日本MMAと『ハルトマン・プロダクツ』に迫っている。

 それ故にザイフェルト家の御曹司も役員たちの危機感を煽り立てる物言いとなるのだ。


「このまま事態が泥沼化して一番辛い立場になるのはいいざかぴん本人だわな。自分のタンがMMA全体をブチ壊しにする引き金になっちまったら針のムシロも良いトコだぜ」


 岡田会長が頭を掻きつつ口にしたのは、ゲストとして岩手興行に招待されながらも脅迫電話によって出演を断念せざるを得なかったローカルアイドルの名前である。

 未だに犯人逮捕には至っていない為、『ウォースパイト運動』との関連性は不明だが、玩具の弾丸が添えられた脅迫状からは『天叢雲アメノムラクモ』との接触を阻止せんとする目論見が読み取れた。これに対して飯坂稟叶ローカルアイドルは樋口郁郎の手引きで岩手興行のリングに上がり、MMAへの挑戦という形で脅迫犯に宣戦布告したのである。

 『ウォースパイト運動』に更なる先鋭化の兆候が感じられる中、『ハルトマン・プロダクツ』は『天叢雲アメノムラクモ』ひいては主催企業サムライ・アスレチックスの危機管理能力を洗い出すべく臨時視察を実施したのである。メインスポンサーは樋口体制を信用していないという警告を込めて、経営者一族の御曹司が差し向けられたといっても過言ではあるまい。

 同日に臨時視察を行った『NSB』は、団体代表イズリアル・モニワが自ら岩手興行に乗り込んでいる。樋口体制では欧米で繰り返されているテロ紛いの抗議活動に対応できまい――断定にも等しい猜疑心まで含めて、ギュンター・ザイフェルトの来日と全く同じ理由であった。

 『天叢雲アメノムラクモ』と日米合同大会コンデ・コマ・パスコアを共催する『NSB』としては、警備体制の軌道修正を促すことは急務なのだ。関係者と選手がおびやかされた同団体は『ハルトマン・プロダクツ』よりも遥かに強い危機感を募らせている。

 数え切れない人間が集まる〝メガスポーツイベント〟はテロの標的に選ばれる可能性も高い。格闘技・スポーツにいても従来と異なる対策が求められる局面だからこそ、『NSB』も『ハルトマン・プロダクツ』も、『天叢雲アメノムラクモ』への臨時視察を強行したのである。


「この一連の事件、七年前に〝最年少選手〟と呼ばれた〝彼〟の画策という可能性はありませんか? シンガポールのスポーツ分野シーンが新たな動向うごきを見せ始めたタイミングで不穏な出来事が重なり過ぎている。偶然にしては出来過ぎのように感じるのですが……」

「例の〝最年少選手〟が食い込んだのは同国シンガポールの〝スポーツファンド〟ですからね。経済カネは社会的信用に支えられるもの。〝彼〟ならば『天叢雲アメノムラクモ』もろともMMAを沈没させる策もで打ってくるハズです」

「可能性は高いというわけですね。……欧米がこぞって群がるスポーツ利権のり合いは〝彼〟個人ひとりで動かせる情勢モノではないと信じたいのですが、何しろ背後にはあの〝スポーツファンド〟が付いているようですから……」


 館山弁護士はシンガポールに関する〝全て〟を疑わしく感じ始めている様子であった。

 『あつミヤズ』の解説番組を視聴する前にザイフェルト家の御曹司は同国シンガポールの〝スポーツファンド〟について『MMA日本協会』に一つの情報を提供している。が毒のように回り始めたさまをギュンターは油断なく観察していた。

 東南アジアでの存在感を示し始めたMMAの新興団体を旗揚げ当初から支えているのは、本拠地シンガポールの〝スポーツファンド〟だ。

 そもそも〝シンガポールマネー〟は『MMA日本協会』にとって天敵にも近い。岡田会長たちが発足に携わったMMA団体の一つが同国シンガポールの企業に買収され、興行イベントも開催されずに〝塩漬け〟としか表しようのない状態で放置されているのだ。

 くだんの〝スポーツファンド〟も日本格闘技界への侵食を始めている。打撃系立ち技格闘技団体『こんごうりき』が経営難となった際に財政を援助し、見返りとしてシンガポールから特別顧問を送り込んでいた。

 『MMA日本協会』の役員が恐怖をもって口にする〝彼〟がその〝スポーツファンド〟に辿り着いたこともギュンターは抜かりなく。誰もが過去から襲い掛かってきた亡霊に怯えている様子であった。

 〝彼〟はシンガポールの〝スポーツファンド〟に日本格闘技界の財政的欠陥を説き聞かせ、経済カネによる侵略を焚き付けているのかも知れない――裏付け調査も実施していない個人の推理という前置きを添え、ギュンターは更に『MMA日本協会』を煽った。

 キリサメ・アマカザリと同じように〝最年少選手〟の異名で呼ばれた〝彼〟は、己を受けれなかった日本格闘技界に恨みを抱いていないわけがない。在りし日に基づく想像もまた毒として役員たちを蝕んでいる。


「――大きな出来事にフォーカスするのは仕方ありませんが、いいざかぴんさん本人を置き去りにしてはなりませんよ。私たちには選手一人ひとりを守る使命があります」


 会議室のを一変させるように新たな問題提起を行ったのは、スポーツ医学の中でも格闘家・武道家の肉体を専門的に扱う分野――〝格闘技医学〟から『MMA日本協会』に参加するつえむらあけであった。

 同協会が管轄するMMA団体の興行イベントいて医療班を指揮するほか、競技選手とそのスタッフに対して〝予防医学〟の理念を説いていた。いずれも選手生命と引退後の健康的な生活くらしを守る為の取り組みである。

 格闘技・武道にける安全性の確保を訴え続けてきたスポーツドクターとしては、いいざかぴんのMMA参戦は断じて看過できない問題であった。会合の出席者を見回しながら、彼女の置かれた状況こそ憂慮すべきと強く熱く語ったときにも、椅子を倒し兼ねない勢いで立ち上がったのである。

 裾全体を外に出す種類タイプのブラウスにパステルグリーンのショートスリーブジャケットとスラックスを組み合わせており、明るい色合いが見る者に快活な印象を与えている。


「飯坂さんをリングに引っ張り上げたことで再確認させられましたが、樋口さんの根っこは前身団体バイオスピリッツの昔から変わっていません。……出来れば変わっていて欲しかったのですが」

「杖村さんが激怒マジギレするのも当たり前だよ。格闘技経験が一個もない人間を話題性優先で起用するのは、悪魔の所業としか言いようがないわ。それを言い始めたら、キリサメ・アマカザリの境遇も議題にしなくちゃ不公平かな?」

「副会長のご指摘はご尤もですが、……彼の場合は競技選手アスリートとしての経験こそなくとも怖いくらいに戦い慣れていますから、飯坂さんの境遇と一緒くたにしては問題の本質を見誤るかと。飯坂さんと切り離して個別に改善策を考えるべきと心得ています」

「あのコが『よさこい』で鍛え上げた身体能力と運動神経は間違いなく格闘技にも生かせるけど、だって一朝一夕じゃ不可能ね。格闘技をカジッた人間なら実感として理解わかるコトなのに、完熟する前の果物でも摘み取って売り物にするタイプだからねぇ、樋口は。……シンガポールの例の団体とは正反対だよ」


 震災復興を支援するべく二〇一一年に奥州市で結成されたローカルアイドルのグループは同地でも盛んな『よさこい』の文化を骨子に持っており、ダンスの技術テクニックなど飯坂個人の運動神経も優れている。そのことは杖村も事前に配布された資料で確認していた。

 だが、格闘家としての経験はない。試合にいて攻防を組み立てることなど不可能という意味を杖村医師は極めて深刻に受け止めている。対戦相手にとっては格好の的サンドバッグにも等しく、プロデビュー戦で再起不能に陥り兼ねないのだった。

 ありとあらゆる格闘技術が解き放たれるMMAには、同じ数のリスクが潜在している。マットへ投げ落とされたときに受け身を取り損ねれば、日常生活に支障をきたす後遺症へ直結する。寝技で首を攻められた際に降参ギブアップのタイミングを見極められず、精神力で耐え凌ごうとした為に〝リング禍〟という最悪の結末を自ら引き寄せてしまう可能性もある。

 〝心技体〟の全てを尽くして競い合う格闘技であればこそ、たった一度の失敗が取り返しのつかない致命傷となってしまうのだ。

 杖村の本業は整形外科である。〝格闘技専門のスポーツドクター〟として数え切れないほどの選手を診察しており、格闘技や武道に関連する事故も自然と彼女の耳に届くのだ。

 本人の意思を尊重したいとは杖村も思っているが、〝客寄せパンダ〟として利用されることが明白な以上、『MMA日本協会』の役割としても、若者の将来を守る為にも、格闘技未経験の人間ローカルアイドルが日本最大のMMA団体へ参戦することには賛成し兼ねるのである。

 『よさこい』のローカルアイドルは大手芸能事務所に所属しているわけではない。飯坂が所属するグループも地域の活性化を目的とした非営利団体であり、半ばボランティアに近い。『天叢雲アメノムラクモ』に対して責任を問うべき事態に立ち至ったとしても、〝暴君〟の情報戦で提訴すら断念せざるを得ない状況に追い込まれてしまうはずだ。


「卑劣な脅迫にも屈しないローカルアイドル出身の新人選手ルーキー――もしかすると格闘技雑誌パンチアウト・マガジンの来月号で特集記事が組まれるかも知れません。でも、それを謳い文句として容認してしまったら、本当に格闘技界から良識が失われてしまいます。『天叢雲アメノムラクモ』はアマカザリさんのことも〝最年少選手〟と過剰なくらい強調していますし……」

「お養父とうちゃんの八雲岳はあのコより若い年齢トシでプロレスデビューしてるんだけどねぇ。こそ杖村さんが――〝格闘技医学〟が個別にメスを入れるべき案件よね」


 吉見と言葉を交わしながら、杖村は苦々しそうな左右の拳を握り締めていく。

 『MMA日本協会』は総合格闘技MMAの普及と発展に尽力しているが、その一方で成長過程の子どもには同競技をさせるべきではないと警鐘も鳴らしていた。

 脳の損傷や関節の変形といった後遺症は、だけでは予防し切れないのだ。子どもの頭蓋骨はとても柔らかく、馬乗り状態マウントポジションという逃げ場のない状況で叩き込まれるパウンドは、損傷ダメージの蓄積によってその将来をも叩き壊してしまうのである。


「年端も行かない選手をリングに平気で上げてしまう点も含めて、杖村さんの心配は尤も至極です。樋口体制に危機意識が欠落している動かぬ証拠。練習不足のまま強引に試合を組まれ、それが原因で飯坂さんが重傷を負っても自己責任の一言で切り捨てるでしょう」


 眉間の皺に表れた杖村の苦悩を慰めるように幾度も頷き返す館山は、法律の専門家の立場から〝格闘技専門のスポーツドクター〟の使命を受け止めていた。

 パステルグリーンの杖村と紺色の館山――二人の装いは好対照であったが、飾りボタンやスカーフなど後者のほうが装飾品を多く身に着けているようだ。逆に前者は磁気の効果が期待できるだろうスポーツネックレス一つのみである。


主催企業サムライ・アスレチックスは自分たちが追及を受けない契約で選手を縛っています。競技団体としての体質自体を改善しない限り、樋口代表が辞任しても話題性だけで選手の安全が弄ばれ、防げた筈の事故が繰り返されます」


 現在の『天叢雲アメノムラクモ』に必要なものとして館山が説いたのは、彼女の専門領域にいて法整備と呼ばれる措置である。

 選手と取り交わす契約の中で、『天叢雲アメノムラクモ』は試合を原因とする故障を自己責任と定義していた。その上で同団体は体重別階級制度をえて設定せず、互いの命を壊し合うかのような攻撃までルールで許可しているのだ。

 ルールと契約内容の両面で所属選手の安全性を放棄しているようなものであった。これらの不備を原因とする負傷さえも樋口という名の〝暴君〟は契約書を盾に代え、自己責任で片付けてしまうのである。

 そのような体制を法律の専門家が許せるはずがなく、館山は法整備にも通じる組織改革の必要性を強く訴えるのだった。

 資金のみならず、試合で使用される様々な物品の提供など『天叢雲アメノムラクモ』の活動をメインスポンサーとして支える『ハルトマン・プロダクツ』にとっても契約選手が己の〝全て〟を安心して所属団体に預けられる環境の整備は急務である。

 その必要性を理解している館山弁護士と杖村医師は今後これからの日本MMAに欠くべからざる人材だと、ザイフェルト家の御曹司も認めていた。

 このとき、ギュンター・ザイフェルトの脳裏を掠めたのは、マイク・ワイアットという現職の難民高等弁務官である。

 吉見副会長が立会人プレゼンターを務めたスポーツ用ヒジャブの発表会には難民高等弁務官マイク・ワイアット賓客ゲストの一人として招いたのだが、その際に『ハルトマン・プロダクツ』傘下の競技団体に〝難民選手〟の出場枠を新設するよう要請されたのだ。

 国際社会にける難民の可能性を拡大させる為、難民高等弁務官マイク・ワイアットはスポーツ界に〝難民選手〟という新しき〝道〟をひらかんとしている。二〇一六年リオオリンピック・パラリンピックでも〝難民選手団〟を結成するようIOC国際オリンピック委員会など関連団体に働き掛けていた。

 紛争や弾圧などやむにやまれぬ理由から故郷を離れざるを得なかった人々にとって、避難先から競技大会へ挑戦する〝難民選手〟は大いなる希望である。難民問題に揺れ動くドイツにとっても積極的にならない理由のない提案であった。

 純粋な〝難民選手〟が同企業ハルトマン・プロダクツと関わりの深い団体や競技大会に出場した記録はない。〝平和の祭典オリンピック・パラリンピック〟にも先駆けてこれを打ち出すことは、国際社会の良い規範となるだろう。

 その難民高等弁務官マイク・ワイアットは一人の少年を〝難民選手〟に推薦していた。かつて〝少年海賊〟として銃火が轟く場に駆り出されたソマリア難民である。

 仲間たちを養う為、その〝少年海賊〟はまとまった金を必要としていた。リーダーとしてグループの将来これからに責任を持ちたいという志はギュンターも受け止めたが、相手は思春期半ばという年頃なのだ。難民に活躍の場を開くことを難民高等弁務官マイク・ワイアットに約束する一方、未成年を〝プロ〟のリングに出場させるという相談には応じなかった。

 成長期が終わっていない子どもの格闘技参加を巡る論争は、洋の東西を問わないのだ。法律でを規制し、幼い命と将来を守らんとする国も欧米には少なくない。その観点を『MMA日本協会』と分かち合えることが確認できただけでも、ザイフェルト家の御曹司には大きな収穫であった。

 その一方で〝最年少選手〟という喧伝に対する『MMA日本協会』の過剰反応に己が吹き込んだ〝毒〟の効果も見極めている。

 『MMA日本協会』が発足したのは『天叢雲アメノムラクモ』の前身団体――『バイオスピリッツ』が反社会的勢力ヤクザとの〝黒い交際〟を暴かれて社会的信用を失った頃である。役員の中にはスタッフとして同団体バイオスピリッツに携わった者も居ない。それでも黄金時代の〝生き証人〟であることは間違いないのだ。

 その末期にも一人の青年おとこが〝最年少選手〟として時代の中心に押し出されていた。

 大陸より伝わったとされるいにしえの武術――〝どくしゅ〟を極め、かつてのねぐらに由来して『祇園の雑草魂』とも呼ばれた〝彼〟は、〝暴力〟でもって他者を食い物にしなければ生き抜けない〝裏〟の社会を渡り歩いてきたのである。

 日本の〝格闘技バブル〟が終焉を迎えたのは、血塗られた過去と訣別した『祇園の雑草魂』が栄光のリングでとしていた二〇〇七年のことであった。

 無法者アウトローであることが最大の喧伝材料であった『祇園の雑草魂』も行き場を失った。〝暴力〟しか頼るものがないという生い立ちを問題視した交渉相手から拒絶され、MMA選手として活動する可能性が絶たれたのだ。

 当時の日本で最大の勢力を誇ったMMA団体が僅かな時間で沈没するさまを目の当たりにした直後だけに他団体も社会の信頼を失い得る〝爆弾〟を抱え込むことは難しかったのであろう――ザイフェルト家の御曹司もそのように推察している。


(日本MMAにとって永遠に癒せないきずあとなんだな。……十字架を背負い続ける意味は、ザイフェルト家として分からなくもない)


 樋口郁郎の手配りによって日本MMAの歴史からも抹殺されてしまった〝彼〟は、格闘技界でどくしゅ〟をシンガポール社会の〝裏〟でふるっている。ザイフェルト家の御曹司から教えられた事態は、『MMA日本協会』にとっては亡霊の帰還としか表しようがないのだ。

 居並ぶ役員は言うに及ばず、日本格闘技界全体が今日まで『祇園の雑草魂』の消息を見失っていたのだろう。放逐されたのちにシンガポールへと流れ着き、くだんの〝スポーツファンド〟に与したことを知らされた瞬間、岡田会長は椅子に座ったまま後方うしろに倒れてしまったのである。

 七年という歳月を経て戻ってきた〝彼〟――『祇園の雑草魂』は、今や日本格闘技界にとって最大最悪の〝仮想敵〟なのだ。


「……口にするだけで吐き気を催すくらい悪趣味極まりない話だが、見目好い子が打ちのめされる姿を好んで眺める輩も世の中には少なくない。樋口君がくだんのローカルアイドルに目を付けたのは、も見込んでのことだろう」

「徳丸のとっつぁんよぉ、発言にはくれぐれも気を付けてくれよなぁ~。ハラスメント裁判が起こったら、オレは迷うコトなくとっつぁんを向こうに回すぜ」

「だから、先に『口にするだけで吐き気を催す』と言っただろう? 私だってね、そんな趣味は許容しようとも理解したいとも思わんよ。しかしね、娯楽というモノがときに人間の邪悪な嗜好を刺激するという事実から目を逸らすわけにもいかんのだよ、岡田会長」


 岡田の諫言ことばに反論しつつ〝客寄せパンダ〟のを指摘したのは、自社ラッシュモア・ソフトの会議室を解放したとくまる――『MMA日本協会』の副理事長である。


「やっとのことでドーピング汚染を切り抜けた現体制の『NSB』がどんな声に晒されているのか、岡田会長も忘れてはおるまい。自分にとって甚だ不愉快であっても、臭い物に蓋をするばかりでは改めるべき点まで見失うぞ」


 徳丸が例に引いた通り、『NSB』は前代表――フロスト・クラントンによって崩壊寸前まで追い詰められたことがあった。

 同団体を世界最高のMMA団体にまで成長させた功労者であることは間違いないが、エンターテインメント業界で生きてきたクラントンは骨の髄までショービジネスに染まっており、命を懸けて闘う選手すらという価値観でしか捉えていなかった。

 代表就任後には団体内にドーピングを蔓延させ、禁止薬物を用いた肉体改造による〝超人ショー〟の舞台へと『NSB』を作り替えてしまったのである。

 若手選手が過剰投与オーバードーズによって命を落とすなどドーピング汚染は取り返しのつかない犠牲をもたらし、前代表フロスト・クラントンはアメリカの格闘技界から永久追放されたが、徳丸が指摘したように嗜虐性の高い〝超人ショー〟に酔いれた者が全く存在しなかったわけではない。

 現代表――イズリアル・モニワの努力が実を結んでドーピングは駆逐され、『NSB』はMMA団体としての信頼を取り戻したのだが、一部の出資スポンサー企業からは「今さら〝ただの人間〟を出場させても迫力不足でしかなく、超人たちを集めたを寄越せ」と、再び禁止薬物を解禁するよう促す暴論が浴びせられていた。

 フィットネスクラブを全国展開させ、将来の有力選手を育てるスポーツ支援活動にも力を注ぐ『ラッシュモア・ソフト』であるが、主たる事業はテレビゲームの開発である。

 『昭和』の後期にファミコンが登場して以来、テレビゲームは老若男女を問わずに娯楽の王道となった。国内の老舗メーカーとして業界を牽引してきたからこそ、徳丸はありとあらゆる娯楽に広く目を向け、が国際社会で果たす役割を考え続けているのだ。

 格闘技経験がないローカルアイドルの悲劇的な破滅をもって話題性を作り出すような負の享楽を一度でも許せば、日本MMAは『NSB』と同じ暗黒時代に突入するだろう。


「……『NSB』の前代表が白日の下に晒したのは、人間という生き物に秘められたどうしようもない嗜虐性――徳丸副理事長はそう仰りたいのね」

「無論、〝人種のサラダボウル〟が抱えた問題と表裏一体であるから『NSB』のケースをそのまま日本のMMA団体に当て嵌めるのは無神経が過ぎるがね。若いモンが理不尽な苦しみを味わうかも知れんというときに年寄りが日向ぼっこしているワケにはいかん」


 暴力性を娯楽に換えて愉悦に浸るような所業は、何があろうとも食い止める――その言葉に誰よりも強く頷き返したのは〝スポーツ外交〟という立場で国際社会と関わってきた吉見副会長である。


「……徳丸副理事長の願いを嘲笑う声がシンガポールから聞こえてくるようです。〝彼〟はいいざかさんを生け贄にして日本MMAに呪いを掛けようとしているのかも知れません。アイドルグループへの脅迫も〝彼〟の手引きとする場合の仮定ですが……」


 事実の列挙に基づいて闘う弁護士には似つかわしくない心霊的な現象を口にする館山であるが、日本MMAが直面しているのは現実の脅威だ。

 アジアにける日本MMAの地位を脅かし始めたにも『祇園の雑草魂』は間接的ながら関わっているのだ。『天叢雲アメノムラクモ』に致命傷を与え得る事態を見逃すはずもなく、それどころか、〝彼〟の魔の手が岩手にも伸びているとする推理は信憑性が高いのだった。

 神出鬼没としか表しようのない〝彼〟にはギュンターも少なからず恐怖を抱いている。

 世界最大のスポーツメーカーが誇る情報網をもってしても足取りを追跡できず、現在の拠点であるシンガポールの出入国記録すら不明瞭なのだ。〝スポーツファンド〟の指示であるのかも定かではないが、〝裏の仕事〟に手を染めている可能性もある。これについては捜査を進めている同国シンガポールの警察機関も手詰まりに近いそうだ。

 密かに奥州市へと潜入はいり、誰にも気取られない〝裏〟の舞台から『バイオスピリッツ』の後身団体に攻撃を仕掛けていたとしても誰一人として驚くまい。


「――格闘のも知らないまま『天叢雲アメノムラクモ』の試合に出場るっていう最悪のシナリオは避けられたかな。飯坂さん、今さっき『ちょうじょうプロレス』入団が正式に決まったよ。ギロチン・ウータンさんに任せておけば、大切に守りながら育て上げてくれるさ」


 口笛を挟んだのち、息が詰まりそうな会合に一筋の光明を差し込ませたのは、押し黙ったまま皆の言葉に耳を傾けていたおりはらひろゆきという男――『MMA日本協会』の理事長だ。

 会合の最中にも関わらず自身の携帯電話スマホを操作していたが、『祇園の雑草魂』という存在を避けていたわけではない。日本MMAに関わる最新の情報を確認していたのである。

 皆に見えるよう折原がかざした携帯電話スマホの液晶画面には、るネットニュースの記事が表示されていた。別々に撮影した物であるが、『よさこい』の装いで唄い踊る飯坂稟叶ローカルアイドルと、日本を代表する〝悪玉ヒール〟レスラーの写真が並んで添えられている。

 〝暴君〟の手で運命を狂わされそうになっていた飯坂稟叶ローカルアイドルがギロチン・ウータンの率いる女子プロレス団体『ちょうじょうプロレス』に入団する――急展開としか表しようのない折原の報告はなしを受けて、居並ぶ人々もそれぞれの携帯電話でくだんのネットニュースを確認し始めた。

 机上のタブレット端末を用いて記事を読み取った徳丸は、人一倍大きな耳朶を指で弄りつつ「それでこそギロチン・ウータン」と、この上なく嬉しそうに微笑んでいる。

 吉見定香は携帯電話スマホを右耳に宛がったまま会議室から飛び出していったが、長年の盟友でもあるギロチン・ウータンへじかに詳細を確かめるつもりであろう。

 『ハルトマン・プロダクツ』の一員として国際社会の動向にも常に目を光らせているザイフェルト家の御曹司でさえ今し方の急報ネットニュースは初耳だが、いいざかぴんが女子プロレス団体へ参加する兆候は前夜の時点で既に確認されていた。

 復興支援という岳の呼び掛けに応じ、『天叢雲アメノムラクモ』にも旗揚げ当初から出場しているギロチン・ウータンは、岩手興行にいて第六試合を受け持っていた。稀代の天才と名高いほんあいぜんに惜敗を喫したものの、彼女ギロチン・ウータンの〝本番〟は決着を告げるゴングが鳴り響いた後といっても過言ではなかった。

 勝利者インタビューの為に向けられていた手持ちマイクの一本を愛染がもぎ取り、敗者であるはずのギロチン・ウータンに手渡したのである。

 プロレス興行であったなら、ファンを昂揚させるマイクパフォーマンスが始まったことであろうが、その夜のギロチン・ウータンが語り掛けた相手はMMAへの挑戦を宣言したばかりのいいざかぴんであった。

 飯坂本人は開会式オープニングセレモニーが終了して以来、一度も姿を見せなかった。卑劣極まりない脅迫を受けている最中ということもあり、速やかに興行イベント会場を去ったことであろうが、それでもギロチン・ウータンは大音声を張り上げ、「本気で格闘技に打ち込む意志を持っているのであれば、『ちょうじょうプロレス』で一切の面倒を見る」と呼び掛けたのである。

 りきどうざんよりも先駆けてプロレス興行に挑んだがりさだを源流としながら不当に軽んじられてきた女子レスラーの地位向上と、誹謗中傷カミソリレターが常態化していた〝悪玉ヒール〟の印象回復に心血を注いできたギロチン・ウータンである。〝客寄せパンダ〟として弄ばれようとしていた飯坂稟叶ローカルアイドルを見過ごせるはずもなかった。

 有言実行でMMAデビューを果たすのか、それともプロレスとローカルアイドルの〝兼業〟で活動していくのか。飯坂が下した最終的な選択について余人は限られた情報に基づいて想像するのみであるが、いずれにしても最悪の事態は回避されたのである。

 樋口郁郎の暴挙は言うに及ばず、『祇園の雑草魂』が岩手興行に仕掛けたかも知れない画策もによって挫かれたことであろう。裏舞台より張り巡らされた糸を良心の刃が断ち切ったという事実には、ザイフェルト家の御曹司も心の中で素直に拍手を送った。

 この筋運びに胸を撫で下ろしたのは杖村である。『天叢雲アメノムラクモ』に根差したは一つとして改善されない為、館山のほうは依然として険しい表情を崩さないが、それでもギロチン・ウータンが練習生を心身とも大切に育て上げることは理解しているはずだ。


「いよいよ『天叢雲アメノムラクモ』の危機管理を映す鏡はアマカザリ君に絞られるってワケだね。現状のままだと飯坂さんとは別の意味で納得のいく成果を出せるとは思えないよ。に起こった騒動も含めて、存在そのものが次の火種になりそうだ」


 日本で初めて〝総合格闘〟の理論を完成させたヴァルチャーマスクは、『とうきょく』の神髄を教え広めるべく一八九九年に全国団体を旗揚げしている。

 己に克ってたたかいを修める――その理念に基づいて体系化された〝総合格闘〟の使い手たちは、プロレスの用語ことばで真剣勝負を意味する『シュート』に由来して自らを〝MMA選手〟ではなく〝シューター〟と称していた。

 『MMA日本協会』の理事長である折原浩之も〝シューター〟の一人であり、創始者ヴァルチャーマスクの信任も厚い直弟子なのだ。師匠の要請を受け、二〇代そこそこの頃から試合に用いる道具の開発にも携わっている。

 おどけた調子を崩さず、自らに賞金を懸けて挑戦者を募り、地下格闘技アンダーグラウンドにも近い形式で試合を敢行するなど掴みのどころのない〝粋人〟でもある。若い頃からファッションモデルをこなすなど「格闘家は日常生活でさえどうを纏っていて汗臭そう」という偏った誤解イメージを払拭させた最初の世代でもあるのだ。

 現役引退後の生活セカンドキャリアも見据えており、香水やアクセサリーなど独自のブランドを立ち上げて高い評価を得ていた。

 今日の出で立ちも奇抜に近い。背広姿という点は岡田会長や徳丸副理事長と同様だが、上下とも着物の生地で仕立てているのだ。しかも、左右で色が違う。赤地と黒地を組み合わせ、更には背広とスラックスで互い違いとなっているのだ。

 赤地には空を目指して伸びゆく季節の草花が、黒字には横殴りに吹く風の模様が、それぞれ色糸でもって刺繍されていた。いずれも下品ではない数に留めており、自らデザインを手掛けた折原の美学が感じ取れた。

 ともすれば悪目立ちしてしまう服を自然に着こなせるのも〝粋人〟の証であろう。

 その一方で東日本大震災が発生した際には逸早くチャリティー試合マッチを敢行している。

 人好きのする笑顔の裏で〝何〟を考えているのか、掴みどころのない曲者であるが、その行動理念は揺るぎない良識に基づいていた。


「何でもアリって状況は、選択肢が多過ぎて思考あたまが取っ散らかるってコトさ。が許されるか、僕も若い頃は〝迷子〟に陥ったものです。第一試合の終盤にアマカザリ君、たがが外れたようになったでしょう? 僕に言わせれば、むべなるかなってトコですよ」


 折原浩之が「たがが外れた」と言い表したのは、キリサメ・アマカザリが繰り返した反則行為のことであろう。会場の特等VIP席にて決着まで見守ったギュンターも「をMMAに引っ張り込んじゃダメだろ」と顔をしかめたものである。

 第二ラウンドまで続いた攻防にいて、キリサメ・アマカザリも途中までは正常まともと思えるように振る舞っていた。しかし、窮地に陥ってからは後頭部へ意図的に打撃を加えた上、明らかに失神状態と見て取れる相手の喉まで狙っている。選手の安全を軽んじていると批判を浴びてきた『天叢雲アメノムラクモ』でも、の攻撃は認めていないのだ。

 あまつさえキリサメ・アマカザリは、自らの蹴りでもって骨をし折った脇腹に追撃の踏み付けストンピングまで試みたのである。リングサイドまで駆け寄った彼の〝家族〟が制止を訴えていなければ、あるいは本当に死者が出ていたかも知れない。


「……日本のMMAを監督する協会が倫理と道徳を弁えた役員ひとばかりで正直、安心しましたよ。昨日、道理にもとる場面を厭というほど見せられたもんでね」


 ザイフェルト家の御曹司が『MMA日本協会』の良識を一等強く実感できたのは、キリサメ・アマカザリが場内を戦慄させた〝神速〟――人間という種を超越したとしか思えない〝力〟を折原理事長も含めて役員の誰一人として持てはやさなかったことである。

 人並外れた身体能力による空中殺法ルチャ・リブレで日本列島を隅々まで熱狂させたヴァルチャーマスクへの比喩ではなく、本物の〝超人〟として『天叢雲アメノムラクモ』は喧伝し始めていた。〝暴君〟の支配から逃れられない格闘技雑誌パンチアウト・マガジンも岩手興行の特集記事ではを強く打ち出し、反則負けというからぬ印象を操作することであろう。

 それが証拠に同誌の編集部が運営する『あつミヤズ』の解説番組でも、第一試合は喧嘩殺法の応酬ではなく〝神速〟を中心に考察が行われたのだ。

 一世紀近く世界の競技選手アスリートを導いてきた『ハルトマン・プロダクツ』の一員メンバーとしても、架空フィクションの世界から飛び出してきたとしか思えない〝超人〟が数多の耳目を引くことは十分に理解できる。日本国外のスポーツメディアも報道価値ニュースバリューを見出すことであろうが、『MMA日本協会』はそのような潮流ながれに追従せず、むしろ警鐘を鳴らすはずだ。

 若手選手の将来をとして弄ばせるわけにはいかないという断固たる決意が役員たちの言行に顕れていた。


「本人の練習不足も大きいとはいえ、ルールの咀嚼が足りない新人選手ルーキーをリングに送り出してしまったのは、そりゃあセコンドの責任ですよ。むしろ、八雲のしくじりかな? 麦泉君はそんな軽率な真似をしないハズだからねぇ。疑い始めたらキリもありませんがね、その状態を理解わかった上で樋口代表はアマカザリ君をデビュー戦に追い立てたのかも――いやいや、トシを食うと疑り深くなっていけませんねぇ」


 ヴァルチャーマスクの直弟子であり、『とうきょく』を知り尽くした折原は、アマチュアMMAの普及と選手育成にも尽力している。格闘技界の次世代を育まんとする志が高いからこそ、いいざかぴんの行く末にも神経を尖らせていたのだ。

 その一方で、キリサメ・アマカザリに対するも強かった。

 ヴァルチャーマスクが自らを生け贄に捧げて礎を築いた〝総合格闘技MMA〟と、たたかいを修めるという精神こころにて作り上げた〝総合格闘〟は、同じ実戦志向ストロングスタイルのプロレスを出発点としながらも似て非なる〝道〟であり、それぞれの象徴とも呼ぶべき八雲岳と折原浩之は、限りなく宿敵に近い意識で互いの在り方を見据えてきた。

 傍目には他者へ強く執着するようには見えない折原だが、宿敵の養子むすこである『天叢雲アメノムラクモ』の新人選手ルーキーが気に掛かってならないわけだ。


「樋口のバカさ加減もひっくるめて主催企業サムライ・アスレチックスのデタラメな危機管理が日本格闘技界全体を吹っ飛ばす展開は避けなきゃならねェ。『祇園の雑草魂』の影までチラつき始めた以上、もう『天叢雲アメノムラクモ』だけで済む問題じゃねェよ」


 岡田会長が左右の拳を叩き付けながら紡いだ言葉には、オブザーバーも含めて誰もが頷き返した。電話の為に一時的に退室している吉見副会長は、この場に居合わせたなら誰よりも早く反応を示したことであろう。

 競技団体に求められる〝危機管理能力〟は、様々な側面を持っている。『ウォースパイト運動』という過激な思想活動によって格闘技そのものが脅かされる情勢下でもあり、テロ対策も包括する警備体制が最初に連想されることであろうが、には所属選手の命と将来を守る安全管理も含まれるのだ。

 ルールのもとで執り行われるべき〝格闘競技〟を理解できず、対戦相手を本気で殺めんとしたキリサメ・アマカザリも、彼のような危険人物や格闘技経験のないローカルアイドルを〝客寄せパンダ〟に仕立て上げる樋口郁郎も、安全意識欠如の象徴である。その存在こそが〝歪んだ正義〟にの口実を与えるのだった。

 樋口体制の危機管理能力は『ハルトマン・プロダクツ』が臨時視察を実施する以前まえより悪化している――ザイフェルト家の御曹司は言うに及ばず、会合に居合わせていない『NSB』の団体代表イズリアル・モニワも同じ結論に達したことであろう。

 選手の安全管理に対する社会的信用は日米双方のMMA団体がシンガポールのに敵わなかった。巨額の予算が唸る華やかな興行イベントではなく、選手たちが純粋に〝心技体〟を競い合える試合環境を万全に整えているのだ。

 世界最大のスポーツメーカーでさえ切り崩せないほど盤石なスポンサー構成に支えられていればこそ維持できる事業形態であろうが、試合の成果として興行収益を求めないMMA団体は国際社会でも稀有であろう。これによって選手に与える心理的負担の大幅な軽減も成し遂げていた。

 所属選手一人一人を花形選手エースに育成する体制など、団体代表もオリンピックの運営に携わった経験を生かしている。くだんの新興団体を経済的に支援たすける〝スポーツファンド〟と、その〝影〟として立ち回っているのだろう『祇園の雑草魂』が主催者に与える影響力は判然としないが、少なくとも〝彼〟のように絶望を抱えたまま試合場から放逐される悲劇は起こり得ない。

 シンガポールの新興団体がとして台頭したのは、日米双方のMMA団体から大量の人材流出が懸念される為であった。良好な環境を求めることもMMA選手の正当な権利である。これを阻むことは法律が許さないのである。

 ザイフェルト家の御曹司とイズリアル・モニワが臨時視察という強硬手段を駆使してまで『天叢雲アメノムラクモ』に警鐘を鳴らし続けるのは、樋口郁郎という〝暴君〟への悪感情だけが理由ではないのだ。


「……〝謝肉祭〟と冗談めかしていたが、現状としてはタファレル君のお陰で『天叢雲アメノムラクモ』は首の皮一枚繋がったな。樋口君はリオの方角に足を向けて寝られんのではないかね」


 徳丸副理事長がきゅういっしょうにも等しい言葉を選んで表したのは、岩手興行から一夜明けた『天叢雲アメノムラクモ』のではない。第一試合を終えた時点にける状態をたとえているのだ。

 ザイフェルト家の御曹司は特等VIP席で一部始終を見守っていた。それ故に徳丸がるMMA選手を讃えると、皮肉めいた調子で鼻を鳴らしつつも首を頷かせたのである。

 MMA団体としての信用性を揺るがし兼ねない危機的状況が発生したのは、〝プロ〟の自覚を著しく欠いた新人選手ルーキーに敗北を突き付けるゴングが鳴り響いた直後であった。

 第一試合の顛末をつまびらかとした際に『あつミヤズ』も「ろくでなしはろくでなしを呼び寄せやがる!」と容赦なく扱き下ろしていたが、城渡マッチの率いる暴走族チームがキリサメ・アマカザリとそのセコンドを標的として場外乱闘を仕掛けようとしたのである。

 岩手まで応援に駆け付けた〝舎弟〟たちもの果てに決した勝敗であれば〝城渡総長〟の敢闘を称えるのみで、対戦相手に憎悪を叩き付けることはなかったはずだ。

 だが、キリサメ・アマカザリは違う。得体の知れない新人選手ルーキーを同じリングに立つ仲間として迎え、試合中にも関わらず鼓舞し続けた〝先輩〟の思いすら踏み躙ったのである。

 城渡マッチに対する侮辱以外の何物でもなかった。おとこ溢れる〝城渡総長〟に触れ込んだ〝舎弟〟たちが暴発に至る火種としては十分であろう。

 血走った目で新人選手ルーキーを睨め付ける暴走族チームは、誰も彼もがキリサメ・アマカザリを叩き殺すまで収まりが付かない様子であった。

 ブラジリアン柔術とルタ・リーブリ――ブラジルを代表する格闘技の勢力争いといった〝場外戦〟が過去に無かったわけではない。

 しかし、日本にける〝格闘競技〟の筆頭格――『天叢雲アメノムラクモ』が興行イベントの進行中に場外乱闘など許そうものなら、MMAそのものがアメリカの上院議員から野蛮な〝人間闘鶏〟と批判された時代まで逆戻りしてしまうのだ。

 『天叢雲アメノムラクモ』は地下格闘技アンダーグラウンド団体『E・Gイラプション・ゲーム』から激しい敵意を向けられ、ときには選手やスタッフを巻き込む小競り合いまで発生している。現在までに警察が出動する状況に立ち至っていないのは、代表同士が水面下で事態の収拾に奔走している為であった。

 しかし、衆人環視のもとで正面から衝突してしまったなら、樋口郁郎の情報工作をもってしても隠蔽し切れるものではない。

 ブラジル格闘技界が全面抗争で揺れていた時代にも『ウォースパイト運動』が蔓延していたならば、血みどろの潰し合いを悪質な人権侵害と見做し、根絶を訴えて抗議の笛を吹き鳴らしたことであろう。

 つまるところ、昨夜の『天叢雲アメノムラクモ』はに匹敵するほどの瀬戸際に立たされたのだ。

 新人選手ルーキーのもとにも加勢が駆け付け、暴走族チームと一触即発の睨み合いとなったのである。特等VIP席にったザイフェルト家の御曹司も衝突は必至とかぶりを振っていた。

 考えらえれる最悪の状況を奇策で取り鎮めたのは、『天叢雲アメノムラクモ』ひいては日本MMAの人気を支える花形選手スーパースター――レオニダス・ドス・サントス・タファレルであった。

 暴力的な混沌を〝謝肉祭〟と愉しげにたとえた花形選手スーパースターが岩手興行に出場していなかったなら、『あつミヤズ』の解説番組も全一〇試合が揃うことはなかったはずである。


「個人的な気持ちとしては〝謝肉祭〟を大騒ぎするのも危ういと思うのですよ。アマカザリ君へのお膳立てが過ぎれば過ぎるほど、その反動は制御コントロールできないくらい大きくなる。藪蛇になったら最悪じゃありませんか」

「……『祇園の雑草魂』の意趣返しがオレたちの想像じゃなくなるってコトか、浩之?」

「自分と同じ〝最年少選手〟と呼ばれる人間が、自分には許されなかった脚光ひかりを浴びる姿を見て〝何〟も感じないと岡田会長は思いますか? 日本MMAに甘い夢をさせられた挙げ句、全ての希望を絶たれた〝彼〟が。……ザイフェルトさんから提供して頂いた情報の通りだとすれば、その手には日本格闘技界じぶんたちを破滅させる〝力〟を握っているのですよ」


 折原理事長が感情のない声でもって紡いだその言葉は、面と向かってこれを受け止めた岡田会長のみならず、オブザーバーも含めて会議室の皆に重苦しい沈黙をもたらした。

 『祇園の雑草魂』と『ケツァールの化身』――日本MMA一七年の歴史の中で〝最年少選手〟と喧伝された二人は、〝暴力〟の〝闇〟に塗り潰された生い立ちも酷似している。

 七年前にその異名を冠した前者は〝表〟の社会で希望を託した総合格闘技MMAに裏切られ、未来まで奪い取られた。その所業を忘れたかのように『バイオスピリッツ』の後身団体が旗揚げされたのだ。

 アジアで最も有力なMMA団体に返り咲いたたちを穏やかな気持ちで応援できるとは考えられなかった。日本格闘技界そのものの滅亡を望んだとしても不思議ではない。

 『祇園の雑草魂』が〝毒手〟と共に極めた『そう』――長い鎖で繋がれたかぎづめが本当に生まれ故郷を狙わんとしているのであれば、これを放つ瞬間には『MMA日本協会』を苦しめた〝シンガポールマネー〟がめっさつの〝力〟として宿ることであろう。

 〝亡霊の帰還〟とは過去から迫り来る毒の刃とも言い換えられるのだった。



                     *



 この国から総合格闘技MMAという〝スポーツ文化〟が根絶引き金にもなり兼ねないと『MMA日本協会』が戦々恐々とする事態は、緊急会合の前夜――『天叢雲アメノムラクモ』第一三せん奥州りゅうじんの第一試合が無惨な有りさまで終結した直後に発生している。

 一九九七年一〇月の『プロレスが負けた日』からこんにちに至る日本MMA一七年の歴史を紐解いても前例が見当たらないリング崩壊は言うに及ばず、を引き起こした〝人外〟の攻撃を城渡マッチは意識不明の状態で刻み込まれてしまったのだ。

 青サイドのセコンドを務めたほんまつつよしや木村レフェリーが見守る中、速やかに医師リングドクターの応急手当が施されたものの、とうとう彼は息を吹き返さなかった。

 無論、医師リングドクターによって死亡が確認されたわけではない。その場では目を覚まさなかったということである。左右の鼓膜まで破られた為、仮に意識が回復しても二本松セコンド医師リングドクターの問い掛けにも首を傾げるのみであったはずだ。

 し折られた肋骨は一本や二本ではない。陥没こそ免れたものの、胸骨には間違いなく亀裂が走っている。命の危険を脱したとは医師リングドクターも断言しなかったが、マット上で確かめた限りでは内臓の損傷や心臓震盪の可能性は低いという。

 その一方、急降下の勢いに乗せた猛烈な蹴りでもって抉られた喉は、内側が腫れて呼吸困難を引き起こし兼ねない。それどころか、患部から出血した場合には窒息死の危険性も跳ね上がるのだ。迅速な精密検査と、より高度な治療を要すると判断した医師リングドクターは、担架の支度を済ませて待機していたスタッフに医務室まで運ぶよう指示を飛ばした。

 既に出動要請を済ませてある救急車の到着を医務室で待ち、然るべき医療機関に引き継ぐのである。

 猛特訓を重ねて編み出した〝切り札〟も破られ、新人選手ルーキーの反則行為で勝利をことになった古豪ベテランは、担架に乗せられたまま退場していったが、意識を保っていたなら右腕を持ち上げ、新たな仲間の健闘を称えるように親指を立てて見せるはずだ。

 ほんの些細な行動ではあるが、ただそれだけで〝舎弟〟の怒りは抑えられたであろう。

 キリサメの反則負けが木村レフェリーから宣言された直後には、観客席の隅々まで騒がしくなっていた。〝プロ〟としての自覚が疑われるような危険行為を繰り返した末に失格となった新人選手ルーキーを「八雲岳という看板を傷付けた」と扱き下ろす罵声ブーイングは聞こえないが、その代わりにもっと攻撃性の高い怒号が天井に突き刺さったのである。


「――よくも総長の顔に泥を塗ってくれやがったな、アマカザリィッ! てめーだけは絶対に生かして帰さねェッ! ヤキ入れたるッ! 総長のカタキ討ちだァッ!」


 粗暴の二字こそ似つかわしいダミ声を張り上げ、崩壊リングの傍らに立つキリサメを威嚇するのは、城渡マッチが総長リーダーを務める暴走族チームの構成員メンバーであった。言わずもがな、先陣を切って燃え盛る眼光を叩き付けるのは親衛隊長のつるぎきょうだ。

 総長を応援するべく岩手県奥州市まで駆け付けた暴走族チームは、人間という種の限界を超えた〝力〟によって打ちのめされた思考が時間の経過と共に落ち着いた途端、それまでの驚愕が憤怒に塗り替わったわけである。

 誰よりも早く吼え声を張り上げたのも御剣恭路である。それは油の如く仲間たちの怒りを燃え上がらせ、〝城渡総長〟を慕う全員が揃って逆上した。比喩でなく文字通りに親衛隊長を先頭にして立ち上がり、観客席からリングサイドへ飛び出していったのだ。

 MMAの試合ばかりではなく、暴走族チームにいても二本松は副長――即ち、補佐役を担っており、恭路のように血気に逸る者を穏便に抑えてきた。しかし、現在いまは城渡に付き添って医務室へ向かっており、そののちは救急車にも同乗することであろう。

 今まさに暴徒と化そうとしている恭路たちの手綱を締められる人間は、この場に一人も居なくなってしまった。

 暴走族チームが怒り狂うのも当然ではある。傍目には〝城渡総長〟の差し伸べた手が振り払われ、包容力とも言い換えられるおとこまで踏みにじられたようにしか見えないのだ。命を預けられるほど尊敬する相手が侮辱され、腹を立てない人間など居るはずもあるまい。

 顔の筋肉が引きるほど怒り狂いながら、キリサメと対峙する距離で足を止めたのは、劫火さながらの憤激によって思考回路が焼き切れ、かたきに追いすがって袋叩きにすることさえ脳内あたまから抜け落ちた為であろう。

 本能の領域から噴き出す破壊の衝動さえ凌駕した怒りが両者の間に奇妙な真空状態を作り出している。怒りに取りかれた本人にも解き明かせない狂気がに渦巻いていた。

 場内各所に配置された警備員は双方の対峙に割って入るべきか、誰も彼も判断し兼ねていた。常識に照らし合わせて判断するならば、明らかに正気を失っている暴走族チームこそ止めるべきであろう。しかし、眼前で繰り広げられているのは『天叢雲アメノムラクモ』の選手とその関係者による諍いなのだ。

 乱闘騒ぎという名の〝内輪揉め〟に対する介入が警備の業務に当て嵌まるのか、警備員には軽々しく結論を出せないわけである。

 『天叢雲アメノムラクモ』のロゴマークが刷り込まれたジャンパーに身を包むスタッフたちもリングの残骸を片付ける手を止め、万が一の場合には体を張ってでも押し止めるべく表情かおを強張らせているが、人数で勝っていても濁流と化したの前にはすべもあるまい。

 正々堂々とした〝試合〟を放棄し、これによって〝城渡総長〟の顔に泥を塗った〝敵〟へ仁義を貫く理由など暴走族チームの構成員メンバーは持ち合わせていない。

 に手が届くというだけで団体代表から冷遇される城渡と同じように舎弟の大半が中年層である。若かりし頃は警察機動隊に襲い掛かった荒くれ者も現在は年齢相応に落ち着いており、聞き分けのない人々が群れを成しているわけではない。歳月がもたらした良識を怒りの炎が焼き尽くしてしまった為、余計に抑えが効かなくなっているのだ。


「てめぇなんか格闘家じゃねぇ! ただの腐れた犯罪者だッ!」


 口汚い罵声と共に暴走族の誰かが履いていた革靴を投げ付けたが、キリサメはこれをかわそうとはしなかった。

 人間という種の限界を超えた反動で肉体からだが満足に動かず、そもそも回避できなかったわけではない。憎悪と共に浴びせられた「犯罪者」という罵り言葉こそ全く正しいと思い、甘んじて顔面に受けようとしたのである。

 関係者の為に用意されたリングサイドの席から駆け付け、身辺警護ボディーガードとして臨戦態勢を整えていたとらすけが竹刀でもって叩き落とさなかったなら、キリサメの顔面は靴底に付着した泥で見苦しく汚されたはずだ。


「……そんなこと、誰に言われなくたって分かっているさ……」

「お前は立派に闘っただろ。キリーは城渡マッチが認めた総合格闘家なんだぜ?」


 虚ろな声で己の存在意義を否定しようとするキリサメの頭を岳は乱暴に撫で付けたが、養父の体温ぬくもりさえも慰めにはならなかった。


「本物のバカにバカ呼ばわりされるのって、こんな感じなんだね、サメちゃん。犯罪者と紙一重の連中が何を偉そうにほざいてんだって言い返してやりなよ。面倒臭いのならボクのほうでやっちゃおうか? 勿論、肉体からだで分からせてやるけどね」

「ま、待ってくれ、瀬古谷君! 本当に場外乱闘まで拗れるのだけは止めてくれ! センパイが――統括本部長が殴り返したら一巻の終わりなんだ! キリサメ君だってもう闘えない! この場の全員が巻き込まれるというのは、なんだよ!」

「自慢じゃないけど、ボクも大人数での潰し合いには慣れっこでね、は実体験で理解わかってるよ。一五分以内に全滅させられたら、特別ボーナスをよろしく」

「頼んでもいないコトを勝手にやって報酬まで要求するなんて、キミ、前世は山賊⁉」


 全員が目を血走らせた暴走族を先制攻撃で蹴散らさんとする寅之助を大慌てで引き留めた麦泉は、確かに賢明ではある。しかし、睨み合うだけで自然と解決する問題でもない。

 日米合同大会コンデ・コマ・パスコアの準備が進行するなかに一般客を巻き込む乱闘が起きてしまったなら、MMA団体としての信用は地に落ち、『NSB』との協力体制も間違いなく瓦解する。

 『NSB』の団体代表――イズリアル・モニワは、現在いま特等VIP席から事態ことの成り行きを見守り続けているのだ。それどころか、『天叢雲アメノムラクモ』のメインスポンサーである『ハルトマン・プロダクツ』の創始者一族まで臨時視察として岩手興行に訪れている。

 たったの一度でも岳が口を滑らしただけで暴徒化し兼ねない暴走族チームと対峙する麦泉は、全身から冷たい汗が噴き出していた。共催団体とメインスポンサーの双方に背を向けられるような事態だけは何としても避けなくてはならなかった。

 城渡が率いる暴走族チーム――『武運崩龍ブラックホール』には特攻隊長の肩書きを担う強面の男も属しているのだが、以前に麦泉の耳にした風聞うわさに間違いがなければ、物騒にも別名は〝湘南の処刑人〟であるという。

 その特攻隊長が応援に駆け付けていた事実も、麦泉の胃を鋭く突き刺していた。

 一〇代前半の頃から敵対する暴走族チームとの抗争に明け暮れてきた特攻隊長は六気筒のモンスターバイクで突撃し、車体ごと敵を薙ぎ倒す姿を破壊神にもたとえられている。

 自分を追跡してきた白バイに飛び掛かり、高速回転する後輪でもって車体を真っ二つにしたという実しやかな武勇伝は、立ちはだかる敵を躊躇なく撥ね飛ばす血も涙もない〝処刑人〟の気性と併せて麦泉も把握していた。

 部外秘であるが、選手関係者にける要注意人物をまとめた一覧リストにもその男の名前は記されていた。だからこそ、麦泉も大勢の構成員メンバーと彼の強面を見分けられた次第である。

 眉間に極太の血管を浮かび上がらせながら新人選手キリサメ・アマカザリを睨み据える特攻隊長に竹刀の剣先さきを突き付け、全米に勇名を馳せた日本史上最強の剣士――森寅雄タイガー・モリの直系という古い時代の剣道で斬り結ぶとしても、リングサイドの関係者席にまで血飛沫が散るほどの激闘となるはずだ。宣言した通りの短期決戦は難しかろう。


「――こちらのアブない皆さんと穏便に話を付けちゃくれないか、岳ちゃん。今こそ統括本部長の出番だと思うんだよ。いぶし銀のカリスマを発揮して貰いたいねぇ~」


 差し迫った状況を認識できていないのか、千切れたロープといった残骸が散乱するリングサイドに秘書を伴ってやって来た『天叢雲アメノムラクモ』の団体代表――樋口郁郎は、統括本部長に向かって無謀としか表しようのない仲裁を要請し始めた。

 八雲岳がキリサメ・アマカザリの養父であることは広く公表され、『天叢雲アメノムラクモ』の広報活動にいても強く打ち出しており、城渡の舎弟たちも知らないわけがない。肩に引っ掛けたタオルも示している通り、今し方の第一試合では白サイドのセコンドも務めたのだ。

 つまり、この緊張状態を作り出した当事者の一人なのである。養子キリサメの失態を擁護する立場の人間が〝何か〟を喋ったところで、暴走族チームの神経を逆撫でするだけであった。

 しかも、岳は人並み外れて口を滑らせ易い。そのことを厭というくらい思い知らされてきた麦泉は、彼と城渡の舎弟が直接的に言葉を交わすことを最も恐れているのだ。


「社長、理性のない相手を刺激するアクションは控えるべきかと。今はアマカザリさんに留まって頂くべきではないでしょうか? 退場はほとぼりが冷めてからということで」

「そうさ、ちゃん。その落としどころまで持っていく為にも〝誰か〟が話を付けなくちゃならないだろ? 養子せがれの責任は養父とうちゃんに取って貰うのが当然だと思うがね」

「それも道理とは思うのですが、ここは社長ご自身が日本の総合格闘技MMAを背負って立つ姿を『NSB』と『ハルトマン・プロダクツ』に見せ付けるのが最善かと」

を目論むヤツらに見張られている状況を逆手に取れってコトかな? 控え目な声とは正反対にちゃんってば大胆だねぇ~。嫌いじゃないよ、


 眉間に脂汗まで滲ませている麦泉へ助け舟を出したのは、パンツスーツに身を包んで樋口郁郎の傍らにはべる秘書――であった。状況を打開し得る策を樋口に耳打ちしたのである。


「社長が愛してやまない『天叢雲アメノムラクモ』を横から割って入って好き勝手に作り変えようとする人たちへ社長ご自身が目に物見せて差し上げる――樋口郁郎ここにありと知らしめる大逆転を望んでしまうのは、私のワガママ……でしょうか」


 肩にも手を添える囁きが快感へといざなったのであろうか、自ら解決に乗り出すよう日野目に促された樋口は〝暴君〟という蔑称に似つかわしくないほど破顔している。

 麦泉は言うに及ばず、実況席に留まっていた仲原アナも慌ただしく駆け回るスタッフたちも、ただ一言で他人の人生を狂わせてしまえる〝暴君〟に恐怖を抱いた誰もが、その蕩けるような笑顔に目を丸くしていた。


「あ~、アマカザリ君。お疲れのところ、大変にすまないが、控室に引き揚げるのはもう少し待って貰ってだね、とりあえず今はその場に留まっていなさいよ。理性が吹き飛んじまった連中とは会話がそもそも成り立たんから反論も控えておくようにね」


 樋口の指示に逡巡もなく頷き返したキリサメであるが、そもそも最初から反論するつもりなどなかった。城渡マッチを思って怒りに打ち震える構成員ひとびと私刑リンチを望むのであれば、それすらも甘んじて受けれたいと思っている。

 大勢の期待と信頼を裏切り、プロデビュー戦で許されざる罪を犯してしまったという事実を突き付けるのは、キリサメ自身が崩壊させたリングである。

 彼が待機する白サイドのコーナーポスト以外はロープを巻き込むような恰好で支柱ポールが横倒しとなり、マットに至っては二度と使い物になるまいと一目で分かるくらい波打っていた。そもそもリングを支える土台の底が抜けてしまっているのだ。

 『プロフェッショナル・ミクスド・マーシャル・アーツ』――マット全体を覆うシートに英字で刷り込まれたMMAの正称は、悍ましいいろの斑模様によってけがされている。阿鼻叫喚の有りさまから目を逸らしてはならないと、キリサメは己自身に言い聞かせていた。

 その間にも彼の両耳には絶え間なくカメラのシャッター音が飛び込んでくる。つい先程までリングサイドで第一試合の攻防を追い掛けてきた記者たちが屍肉に群がるハゲタカの如くキリサメ一人にレンズを向けているのだ。

 『あつミヤズ』によって暴かれた故郷ペルーでの犯罪行為と、MMAのリングで繰り返した反則行為を絡め、『格闘家になるべきではなかった無法者アウトロー』といった見出しの記事で批判の集中砲火を浴びせることであろう。

 岩手興行には足を運んでいないようだが、『天叢雲アメノムラクモ』を敵視している銭坪満吉スポーツ・ルポライターもテレビ番組へ出演した際には誹謗中傷にも等しい言葉を並べ立てるはずだ。

 己自身が磔刑さながらの状況に追い込まれることは、当然の報いと受け止めているキリサメであるが、これと同時に連座のような恰好で岳や未稲まで罵声を浴びせられるのではないかと案じていた。

 交友関係を洗い出した記者などは『天叢雲アメノムラクモ』に所属しているわけでもない空閑電知や、きょういししゃもんのもとにまで押し掛け、無遠慮にマイクを突き出すのかも知れない。

 『八雲道場』のかかりつけ医であるやぶそういちろうは餌食として狙われる可能性も高いが、若かりし頃に指定暴力団ヤクザの実働部隊で幹部を務めた疑惑がある彼の場合は、院長室に飾ってある十文字槍を振り回し、礼儀知らずの記者に浅はかな行動を後悔させるだろう。

 奇妙な筋運びから故郷ペルーで知り合い、取材期間中の身辺警護ボディーガードを依頼されたネットニュースの日本人記者は鬱陶しく感じるような変わり者であったが、報道の使命には極めて真摯に向き合っていた。

 大量の港湾労働者が殺戮されたばかりの港町や、革命という大義のもとに政府転覆を企むテロリストの潜伏先――『恥の壁』によって富裕層の居住区と隔てられた非合法街区バリアーダスにも、カメラを片手に自ら身を投じていったのである。

 その当時は日本のことにも無関心であった為、うろ覚えに近いのだが、くだんの記者――ありぞのは、動画サイトでネットニュースを配信していたはずである。

 リングサイドで砲列を作る記者の大半は、有薗思穂と同じような使命感を胸に秘めているわけではなさそうであった。

 キリサメに向けられるのはカメラだけであり、手持ちマイクや録音機能を起動させた携帯電話を差し出して反則負けの自己弁護いいわけを求める記者は一人もいない。迂闊に近寄れば城渡と同じ目に遭わされるという恐怖心が報道に携わる矜持すら上回ってしまうのだ。

 リングの残骸が飛び散った際に逃げ遅れて負傷した人間は、一人や二人ではない。木村レフェリーに至っては倒れてきた支柱ポール頭部あたまを強打し、顔面を鮮血に染めている。俄かに垂れ込めた死の臭いに記者たちがすくんでしまったのは無理からぬことであろう。


(……有薗氏はMMAの記事なんか書かないだろうから、顔を合わせることはないハズだけど、……〝〟が苦しくても〝未来これから〟を諦めるなって、今でも僕に言うのかな)


 ペルーという国家くにを震撼させた大規模な反政府デモ『七月の動乱』にも有薗思穂は立ち会っている。

 怒れる民を内乱の尖兵に仕立て上げるべくテロリストが持ち込んだ銃を手に取り、国家警察との戦いに及んだ末、無惨にも頭部あたまを吹き飛ばされた幼馴染み――・ルデヤ・ハビエル・キタバタケの亡骸にすがり付いていてくれたのだ。


「――人間は誰にでも幸せになる資格があると話したことが誤りだったとは思いません。嘘吐きと罵られても、他人の事情も考えられない無神経と批判されたって、報われない命があるのは当たり前という声には真っ向から反対する覚悟です。〝〟がどんなに苦しくても、自分の命をちっぽけなものだと割り切ったり、亡くしたあの子と同じで幸せにはなれないんだと〝未来これから〟を諦めないで――誰かを守れるその力で何ができるのか、考えることだけは止めないで欲しい。……それが遺された者の務めだから……ッ!」


 キリサメの脳裏に甦った有薗思穂の言葉は、無法者アウトローがMMA選手としてという挑戦にも通じるものであった。しかし、現在いまはドス黒い血と罪にけがれた手で新しき未来に手を伸ばしてしまったことが過ちの始まりであったと、後悔ばかりが心を蝕んでいる。

 己の命を脅かさんとする存在モノ全てを〝闇〟からは、どうあっても逃れられない――それが今し方のプロデビュー戦で証明された事実ことであった。だからこそMMA選手としての出発点であり、己に〝人間らしさ〟を与えてくれた未稲との約束さえも心から抜け落ちてしまったのである。

 寅之助から危害を加えられると信じ込まされたときには、〝プロ〟のMMA選手という立場も忘れて『聖剣エクセルシス』を振り回したほど大切に想っている存在ひとなのだ。新人選手ルーキー宿命さだめとも呼ぶべき極度の緊張で空回っていたとはいえ、未稲と誓い合った約束だけは脳内あたまから消え去るはずがない。

 そのあってはならない事実に辿り着いた瞬間、キリサメは身のうちから噴き出した〝力〟によって壊してしまったリングに〝末路〟という二字を感じ取っていた。改めてつまびらかとするまでもなく、は己の行く末という意味である。

 肩も肘も軋む右腕を揺り動かし、親指でもって左右の頬を撫でてみれば、先程まで流れ続けていた血の涙は既に乾き始めている。

 今回だけはリングの崩壊というに留められたが、このままMMA興行イベントに出場し続けるようであれば厄災わざわいが呑み込む範囲も果てしなく拡がり、最後には大切な人々の未来まで壊してしまうかも知れない。行き着く末路はキリサメ自身にも全く想像できず、その恐ろしさにまで無感情でいられるはずがなかった。

 城渡マッチの鉄拳パウンドによって消えゆく意識の間隙をこじ開け、魂の深淵に降臨した異形の死神スーパイは、〝次〟に対峙するMMA選手さえ〝生きていてはいけない存在〟と甘やかに囁きかけてくるのかも知れない。

 脳の痺れと共にる種の回路サーキットが切り替わると、目の前に立つ〝敵〟を『聖剣エクセルシス』で根絶やしにするという故郷ペルーの〝闇〟まで全身の感覚を引き戻されてしまうのだ。このときにはもはや、互いの命を守るという〝格闘競技〟の前提は成り立たなくなっていた。


(……今から思えば、ひめ氏に――に手解きを受けた殺気の制御コントロールが完成していたとしても、きっと付け焼き刃にしかならなかったんだろうな……)


 鼻先まで死神スーパイの影が迫る瞬間とき、決まって脳内あたまのなかに浮かび上がるのは酸鼻を極める追憶だ。血の海に身を横たえた一人の女性が何よりも強い眼光で少年の心を射貫くのである。

 その女性は首から胸元まで巨大なノコギリによって肉も骨も抉られていた。助かる見込みがないと一目で理解わかる有りさまにも関わらず、瞳に宿した力は誰よりも強い。

 纏わり付く死の気配が一等濃いような場合は、かつての『聖剣エクセルシス』の持ち主であり、現在いまより少しばかり幼かったキリサメの足元に血の海を作った男――『神父パードレ』が物言わぬ亡骸となって川面に浮かぶ姿まで記憶の水底から引き摺り出されてしまうのだった。

 例えどんなことがあっても、どんなことをしてでも、絶対に生きろ――格差社会の最下層にりながらも、無意味に野垂れ死ぬことを決して許さないという女性の吼え声は、キリサメが死神スーパイの息吹を感じた瞬間にこそ甦る。

 あるいは血のいろの追憶そのものが以前かつての〝相棒〟に揶揄された生への渇望なのかも知れない。母の胎内はらのなかで産まれる前から子守唄の代わりに聴いてきた突撃銃アサルトライフルの発砲音――〝戦争の音〟が脳内あたまのなかに鳴り響くと、キリサメ自身の意思を超えて肉体が衝き動かされ、迫りくる死に抗わんとするのであった。

 死に瀕した瞬間に少年の魂を喰らい尽くす追憶に対して、幻像まぼろしとも白日夢とも思える形で冥府より降臨した死神スーパイは、幼い雛を慈しむ親鳥の如く異形の両腕を拡げながら『聖剣エクセルシス』を握り締める意味を自らに問い掛けるよう告げていた。

 MMAにける指貫オープン・フィンガーグローブと同じように〝仕事道具〟として故郷ペルーで振り回してきた中米マヤ・アステカ刀剣マクアフティル――鋭利な鉄片などをノコギリの如く並べた『聖剣エクセルシス』は、禍々しい刀身が示す通りに破壊と殺戮の象徴である。己の身に流れるものと同じ〝血〟を吸い尽くし、今まで屠った数多の命が怨霊と化して取りく暴力性の顕現あらわれとも言い換えられるだろう。

 ひとたび薙ぎ払えば、間違いなく標的の命を破壊する『聖剣エクセルシス』こそがキリサメ・アマカザリを産み落とした〝闇〟の本質であり、その真実から目を逸らすことは自己否定にも等しいのだと、死神スーパイ征服者コンキスタドール言語ことばでもって語り掛けていた。

 その『聖剣エクセルシス』を握らざるを得なくなった日の追憶が引き摺り出したのは、血と泥にけがれようとも生き抜かなければならないという渇望である。そして、己の命を脅かす存在モノは誰であろうとも死に至らしめるという衝動が「生きろ」と命じる吼え声と合わさった瞬間、死神スーパイの囁きは〝富める者〟に幻惑されていた魂を〝自由〟へと導く甘やかな誘惑となり、キリサメの双眸から血の涙が零れたのだ。

 日本ハポンのリングに立ちながらキリサメ・アマカザリという存在を形作る〝全て〟が〝地球の裏側〟まで回帰していた為、あたまで理解し、口で紡ぐ言語ことばさえも砂色サンドベージュの風と共にったモノしか受けれられなくなっていたのであろう。

 異種格闘技戦から出発し、総合格闘技MMAという大輪の花を咲かせた偉大な先達の闘魂たましいさえも穢してしまったを一つずつ紐解いていくたび、己の意思では食い止めようがないという絶望的な諦念がキリサメのなかに滲み出す。

 キリサメが生まれ育った非合法街区バリアーダスにも程近い闘牛場に降り立ち、故郷ペルーの大地を影で覆い尽くした異形の死神スーパイは、まさしくその場所で深紅あかい泥濘に呑み込まれた幼馴染みの声を借りて囁きかけてきた。犬死した者に縛られることは愚かの極みと理屈では理解していても、遥か彼方に去っていった体温ぬくもりに手を伸ばしてしまう衝動は抑え切れるものではなかった。

 無様なほど生き汚くさせる追憶も同様である。血まみれの女性から下された命令には決して抗えない――だからこそ、キリサメはMMAそのものを〝富める者〟の道楽と冷たく突き放しながらも『天叢雲アメノムラクモ』のリングで闘うことを望む数多の声を受け止めてきたのだ。

 人から期待を寄せられたときには全力で応えろ。それがおとこの花道だ――かつて厳しく言い付けられた教えから己を解き放てるほどキリサメは器用ではない。


「――この場での待機という指示には同意し兼ねます! 先程までアマカザリ選手は両目から血を流し続けていたのですよ? 城渡選手の鉄拳パウンドで脳にダメージが及んだ可能性も決して低くありません! 今すぐに病院へ連れていくべきです! 然るべき診察を!」

「木村君こそ頭部あたまの怪我は大丈夫なのかい? 後頭部を金棒でブン殴られたようなモンだろう? この先の試合は他のレフェリーに割り振れるし、様子を見る為にも医務室で横になっといたほうが良いんじゃないか?」

「はぐらかさないで頂きたい。城渡選手の処置を終えて医師リングドクターが戻ってきたら、間違いなく自分と同じことを進言しますよ!」


 自分が〝プロ〟の競技選手アスリートであってはならない理由をかき集めるキリサメからすれば、樋口の判断に異を唱える木村レフェリーは意外の一言でしか表しようがなかった。

 土台から潰れてしまったリングに身を投げ出し、誰の目にも意識を失っていることが明らかであった城渡を見下ろして無感情に右足を振り上げたとき、反則行為を重ねんとする新人選手ルーキーを阻むべく木村レフェリーは我が身を盾に代えて立ちはだかったのだ。

 このときのキリサメは故郷ペルーの〝闇〟に感覚の全てが塗り潰されていたが、抜き身の殺意を迎え撃つべく〝神速〟を発動させた瞬間のようにあらゆる動作うごきを無意識の内に完了させたわけではない。トドメを刺さんとしたのはあくまでも彼自身の意思である。

 無論、双眸で捉えたモノは一つ残らず記憶に刻まれるわけだ。城渡を庇った際の木村レフェリーの表情かおも網膜に焼き付いている。無法の振る舞いによってMMAのリングがけがされてしまったことへ彼は激しい怒りを燃やしていた。

 それにも関わらず、失格負けした新人選手ルーキーの命を守るべきと樋口に直訴したのである。

 MMAを愛する一個人としての悪感情と、レフェリーとしての使命を完全に分けて考えられる〝プロ〟ということだ。しかも、相手は日本格闘技界を思うがままに操る〝暴君〟である。少しでも逆らえばリングに立つ機会を永遠に奪われてしまうかも知れないのだ。

 それを承知した上で立ち向かってきた木村レフェリーの直訴ことばには、否定しがたい道理があると認めたのであろうか――秘書と顔を見合わせながら肩を竦めたものの、樋口は日本格闘技界からの抹殺をほのめかして翻意を迫るようなことはなかった。


「どいつもこいつもナメ腐りやがってッ! 勝手に話を進めンじゃねェよッ! どこの誰がアマカザリを五体満足で帰すっつったッ⁉ ココがバカの墓場っつってんだよッ!」


 もはや、この場にキリサメを留め置くべきではないとする木村レフェリーの主張に噛み付いたのは、言わずもがな暴走族チームの側――御剣恭路である。

 〝城渡総長〟のカタキへ報復を仕掛けるべく立ち上がったというのに、『天叢雲アメノムラクモ』というMMA興行イベントを取り仕切る者たちにはを完全に無視されているわけだ。一方的に憎悪を煮えたぎらせているのみとはいえ、恭路が怒号を張り上げるのは当然であろう。


「選手を無事に帰すかどうか、それは我々の責任であってそちらの判断ではないッ! 格闘技のリングをバカにするのもいい加減にして貰おうかァッ!」


 殺気を漲らせる暴走族チームから凄まれようとも、木村レフェリーは一歩も譲らず、一喝された恭路のほうがたじろいでしまったほどである。

 〝城渡総長〟に対する尊敬と同じくらい自尊心の強い恭路からすれば、大勢の前で顔に泥を塗られた恰好である。怒鳴り返された直後には金髪のパンチパーマを掻きむしり、言葉にならない歯軋りを反論に代えた。

 荒れ狂う激情を増幅させたのは他の構成員メンバーも同様であり、キリサメに浴びせられる暴言も秒を刻むごとに酷いものになっていった。「お前など格闘家ではない」という糾弾をキリサメが無視したものと捉えた様子の特攻隊長は、殺人鬼の如き目付きとなっている。

 狂わんばかりの怒りによって生み出された真空状態で隔てられているとはいえ、未だに敵味方が入り乱れて殴り合う事態に発展していないのが不思議なくらいであった。

 無論、暴徒への刺激を最小限に抑えるという対応策は裏目に出ている。の助言をれ、キリサメに決して言い返してはならないと指示した樋口も苦虫を噛み潰したような表情かおで頬をくしかない。

 電話一本で『あつミヤズ』や日本のスポーツメディアを操ることは出来ても、格闘技界と関わりのない人間を屈服させる権力ちからは持ち合わせていないのだ。特に暴力を振るうことで思い通りの状況を作り出さんとする者たちには情報戦も通用しにくいのである。


「想像以上のキレ方だなぁ。城渡とアマカザリ君、対戦交渉マッチメイク以降は関係も悪くなかったんだろ? 随分と拗れちまったもんだけど、こいつら、どうすりゃ止まるんだ?」

「……社長がそれを言いますか? 何もしないよう仰ったのはご自分でしょう⁉ あまつさえ城渡さんの仲間を説き伏せようともしないのですから、拗れて当然ですッ!」

「ですから! 自分もアマカザリ選手を引き離すべきだと言っているのです! 今の有りさまは、火事の現場にガソリンたっぷりのプラスチックタンクを投げ込むのと一緒だッ!」


 樋口郁郎が口を滑らせてしまったのは、日本MMAを代表する競技団体の代表にはあるまじき失言である。乱闘に発展し兼ねない危機的状況さえ他人事のように思っていると、周囲まわりの人々から誤解されても不思議ではないのだ。

 実際に麦泉は平素の穏やかな顔を投げ捨てて樋口に詰め寄り、木村レフェリーも傷口から再び血が噴き出すのではないかと案じてしまうほどの剣幕で畳み掛けた。


「逃げ場塞がれてお説教喰らったら、イイトシしてマジで凹むってばよ。真っ先に説得に動いて然るべきだった岳ちゃんがお目こぼしってのも公平フェアとは言えんぞぉ~」

「オレに矛先かよ⁉ つーか、オレが行ったら逆効果だって、絶対! 恭路なんか『ガキのやったことに親が出てくるのか!』っつって大暴れすんぞ⁉ それでこいつらの気持ちが晴れるんなら、オレだって喜んで付き合うがよォ~!」

「待て待て待て待て、……軽い冗談だって。統括本部長に、それも試合を控えた岳ちゃんにそんな危ない真似させられんよ。俺が代表の責任でキチッと収拾おさめて見せるさ」

「オレらを丸め込めるって思い上がりもムカつくがよッ! この状況で冗談ぶっこきやがる余裕っぷりがイチバン腹立つぜッ! アマカザリの前に樋口てめーからったろうかッ⁉」


 ついには統括本部長まで巻き込み、怒れる暴走族チームを置き去りにして樋口たちが言い争う中、キリサメは苦悶の呻き声を噛み殺しながら未稲のもとへと歩み寄っていく。危害を加えられることがないよう我が身を盾に代えようというわけだ。

 開戦のゴングが鳴り響いて以来、未稲は関係者席で試合を見守っていたのだが、キリサメが踏み付けストンピングで城渡にトドメを刺さんとしていることを認めると、すぐさまリングサイドまで駆け寄り、喉が傷付くような大音声を張り上げて最悪の事態を食い止めたのである。


「――スポーツマンシップに欠ける行為は一番やっちゃいけないコトだよッ!」


 競技選手アスリートにとって何よりも大切なことを呼び掛ける声が間に合わず、正気を取り戻せていなかったなら、キリサメは全体重を掛けて折れた肋骨を押し込み、内臓に突き刺していたことであろう。

 観客席から飛び出した暴走族チームがキリサメを取り囲まんと図ったのはこの直後である。少しばかり離れた位置に立っている未稲もリングサイドから身動きが取れなくなり、とうとう残骸の只中に取り残されてしまった。

 御剣恭路はMMAデビューに向けてキリサメが強化合宿を実施していたすがだいら高原にも乗り込み、襲撃を企てた末に返り討ちとなっている。その際に未稲とも関わりを持ち、一方的に名前を呼び捨てにするなど馴れ馴れしく接していた。

 この状況で恭路の視界に未稲が入ってしまったなら、標的に加えられる危険性が高い。キリサメ自身も辟易するほど思い知らされているが、御剣恭路という青年おとこは何から何まで常軌を逸しており、その言行も人間社会の常識や理性では推し量れないのである。


「……みーちゃんには指一本、触れさせないから……」


 城渡の思いを叩き潰した自分自身は暴力による制裁を受けるべきである。しかし、そこに未稲が巻き込まれることだけは断じて認められなかった。依然として肉体の消耗は回復せず、四肢を僅かに動かすだけでも肺や心臓が張り裂けそうになるが、例え骨身が粉々に砕けようとも彼女だけは守り抜く覚悟であった。

 この〝陽だまり〟だけは失うわけにいかない――寅之助の策略によって喪失の恐怖を刻まれてからというもの、その想いは変わるどころか、際限なく膨らみ続けているのだ。

 双眸から深紅あかい涙を垂れ流し、懐かしき〝闇〟に呑み込まれながら〝暴力〟を振るう姿に未稲は立ちすくんだ様子であり、手を差し伸べたところで振り払われてしまうかも知れない。明確な拒絶を想像しただけでも心臓が軋み始めるのだが、はキリサメにとって足を止める理由にはならなかった。


「大事なみーちゃんに教わったスポーツマンシップは理解しなかったクセして、本人からフラれそうになったら必死になってすがり付くなんて矛盾してない? 『こんなみっともない子に育てたおぼえはない』って、ミサトおばさんも死神スーパイのお膝元でカンカンに――」

「――だめだよ、キリくん。私は良いから、自分のことをもっと考えて」


 どこからともなく聞こえてきた芽葉笑の嘲笑を掻き消し、焦燥に駆られたキリサメの心を優しく包み込んだのは、他ならぬ未稲の体温ぬくもりであった。

 両肩に飛び乗って視界をも塞ぎ、その状態を維持したまま頭部あたまを殴り続けるという城渡の〝切り札〟を引っ繰り返したのち、リングを崩壊させるに至った最終盤の攻防は、空閑電知と繰り広げた命懸けの路上戦ストリートファイトと比べても明らかに異様であり、未稲も余りの恐ろしさに堪り兼ねてあと退ずさってしまった。

 生け贄に求めて獰悪に舌なめずりする死神スーパイとしか表しようのない威容すがたであり、それが為に仲原アナが無意識の内に零したであろう「総合格闘技MMAが殺される」という呻き声にも首を頷かせそうになったのだ。

 試合終了のゴングが鳴り響く前から極限の混乱状態に陥っていた為、岳も麦泉も、頭頂から足の爪先さきまで赤黒く濡れたキリサメの身をタオルで拭うことさえ失念していた。叢雲くもいろを映す指貫オープン・フィンガーグローブに付着した返り血も通常の試合と比べて遥かに多量であり、凄惨な有りさまに本能的な部分でおののいてしまったことも未稲は否定できない。

 しかし、まぶたを半ばまで閉ざすという眠たげな双眸と、自分のことを何よりも案じてくれる言葉は普段いつものキリサメであった。

 それを見て「戻ってきた」と安堵してしむ自分に小さいとは言い難い嫌悪感を抱きつつも、未稲は先ほどちゅうちょしてしまった一歩を自ら踏み出し、足がもつれて転びそうになった彼の身を支えた。

 シャツにも血の臭いが移ってしまったが、未稲は構わずに彼の体重を受け止めた。

 右の掌中にる小さな〝預かり物〟を握り潰してしまわないよう細心の注意を払いながら、試合開始までにを届けられなかったことをキリサメと空閑電知の二人に心の中で詫び続けた。特に後者には幾ら謝罪しても足りないとさえ思っている。


(……さえ間に合っていたら、キリくんも反則技だけはギリギリで踏み止まったかも知れないのに。……悔しいけど、今の私じゃ空閑さんには全然勝てないもんね)


 キリサメに気付かれないよう俯き加減で唇を噛む未稲が左手で引っ張ったのは、尾羽根の如き帯の一本である。

 MMAデビュー戦で反則負けを喫し、ただでさえ〝プロ〟としての資格を疑われている状況にも関わらず、万が一の場合には暴走族チームを迎え撃つことも辞さないというキリサメを宥めようというのだ。

 未稲の体温ぬくもりは唇を通して心の奥底まで伝達つたわっている。そして、が〝人間らしさ〟を与えてくれた――その彼女が〝ケツァールの化身〟なる異名の由来となった尾羽根を手繰り寄せた瞬間、キリサメのなかで応戦への意思が僅かに落ち着いた。

 八雲未稲という存在がしるべとして心に根差していなければ、キリサメも幼馴染みの声を弄する死神スーパイいざなわれた〝地球の裏側〟から日本まで帰還できなかったはずだ。

 その幼馴染みはキリサメを除いた誰の目にも映ることのない幻像まぼろしとなって初陣のリングに出現あらわれ、城渡の息の根を止めようとした瞬間にも〝闇〟の底から溢れ出す殺意に身も心も委ねることこそ〝真実ただしい〟と言わんばかりに背後から抱き着いてきたのである。

 城渡を見下ろしながら右足を振り上げんとする間際のことであり、の様子を振り返って確かめはしなかったのだが、シャツの上から頬擦りされようとも懐かしき体温ぬくもりなどは感じなかった。

 暴走族チームの凶行を許せば、未稲の体温ぬくもりまで喪失うしなってしまうかも知れない――そのような場景を想像するだけでもキリサメの全身は小刻みに震え出すのだ。


「僕なんかどうなっても構わない。みーちゃんだけは……」

「自分を大切にしない人は好きじゃないよ。キリくんのこと、嫌いにさせないでね」

「うっ……」


 前回の長野興行の直後――『天叢雲アメノムラクモ』と敵対する地下格闘技アンダーグラウンド団体『E・Gイラプション・ゲーム』に狙われた希更・バロッサの巻き添えとなり、統括本部長の娘も攻撃対象に認定されてしまった。そのときと同じように自分を守ってくれることは未稲も素直に嬉しいのだが、三ヶ月前の路上戦ストリートファイトと現在では状況が違い過ぎる。

 団体同士の対立関係に加えて、希更を襲撃しようとした電知たちは『E・Gイラプション・ゲーム』の所属選手である。決して望ましいことではないものの、拳を交える状況に立ち至っても〝正当防衛〟として許容される相手といえよう。

 しかし、暴走族チームは〝許容〟の範囲に含まれない可能性が高い。刑法の観点では先に危害を加えない限りは〝正当防衛〟も成立し得るが、その一方で城渡の舎弟たちは〝一般〟の観客である。暴走しているとはいえ、〝一般人〟に〝プロ〟が拳を向けてしまったなら、反則負けの比ではない重大な制裁が課せられることだろう。

 危険行為を繰り返した事実と組み合わされば、『天叢雲アメノムラクモ』のみならず日本格闘技界から追放されることは免れまい。MMA団体としての損害ダメージが大きくなる前に〝爆弾〟を切り捨てる腹積もりであるならば、その好機を樋口郁郎が見逃すはずもなかった。

 理不尽極まりない言い掛かりとはいえ、キリサメが暴走族チームに殴り返してしまったなら、団体の存亡に関わる事態を迎えるのも間違いない。万が一のときには『天叢雲アメノムラクモ』が道連れとならないよう新人選手ルーキー一人に責任を負わせて〝全て〟を葬り去るはずだ。こそが他団体を陥れる謀略も躊躇ためらわない〝暴君〟である。


「てめーら、さては状況分かってねぇな⁉ 乳繰り合ってる場合か、コラァッ! こちとら先週も告白大爆死したばっかりだっつーのによォッ! もう勘弁ならねェぜッ!」


 恭路の言行がいよいよ理不尽の極みに達し、未稲の懸念も一気に現実味を帯びた。

 で裁かれるべきキリサメが『武運崩龍じぶんたち』を黙殺し、未稲と睦み合っているように恭路の目には映ったのであろう。無分別な青年おとこは妄信する〝城渡総長〟の為に燃やした怒りの炎へ私生活にける鬱憤まで油の如く投げ入れてしまえるのだ。

 暴走族チームの仲間と比べて身勝手極まりない激情に駆られた恭路は、ベルトの代わりとして巻き付けていたバイクのチェーンをズボンから引き抜き、観客たちの悲鳴を切り裂くようにしてを振り回そうとした。

 恭路は『メリケンサック』の俗称で広く知られる拳具ナックルダスターを常に隠し持っており、殴り合いの喧嘩となる場合には必ずを両手に装着している。

 親指を除く四指に嵌め込み、拳の前面を金属で覆う拳具ナックルダスターは外見からして凶器以外の何物でもない為、MMA興行イベントの会場には持ち込めなかった。これはバンド活動にも用いているV字型シェイプのエレキギターも同様であったが、持ち物検査を担当した『天叢雲アメノムラクモ』のスタッフも腰に巻いたチェーンまでは武器と認識できなかったのであろう。

 すがだいら高原の合宿先でキリサメを襲った際にも長いチェーンを一種の飛び道具に見立て、地面を滑らせるような形で撃ち込んだが、今度は振り回すことさえ叶わなかった。それどころか、を握り締めた右手すら振り上げられなかったのである。


「――ヤクザごっこの悪ふざけ程度は笑って見過ごしてあげられたけどね、本気で一線を踏み越えようってつもりなら、は覚悟してもらうよ、恭ちゃん」

「て、てめぇ……! 瀬古谷ァッ!」


 今まさに不可視の真空状態を踏み越えようとしていた恭路の動作うごきを制し、一切の攻撃を許さなかったのは瀬古谷寅之助だ。

 身辺警護ボディーガードの対象であるキリサメに危害を加えんとする恭路の懐へ瞬時にして潜り込み、左肩から体当たりを仕掛けたのである。

 奇しくも恭路を苛立たせたキリサメと未稲に近似する恰好となったが、寅之助は接触するか否かという紙一重を見極め、肩でもって胸をつ寸前でえて踏み止まっていた。直接的な痛手ダメージこそ与えなかったものの、威圧としての効果は覿てきめんであった。

 右半身を開く形で恭路の正面に突進した寅之助は、彼の股を割るようにして左足を深く踏み込んでいる。

 両足の間に他者の片足が滑り込んだ状態は、恭路からすればくさびを打ち込まれたようなものだ。下肢の可動が物理的に阻害され、膝や脛で金的を蹴り潰される危険性おそれもある。

 現代のルールでは反則に該当する打撃技――〝あて〟と呼称――が技術体系に組み込まれた〝古い時代の剣道〟を極めた瀬古谷寅之助である。床を踏み締めた瞬間、天井に跳ね返った音は周囲の人々を驚かせるくらい大きく、波紋の如く拡がった振動も思わずすくんでしまうような恐怖として恭路の股まで駆け上がったはずだ。


「今日の客の入りは五〇〇〇人だっけ? 大勢お集りの皆さんの前でのたうち回る屈辱に恭ちゃんってば耐えられるかな?」

「ほ、ほざくな、てめーッ! 最初ハナからメンツを潰すのが狙いなんだろうがッ! 根性のひん曲がったカス野郎の剣道なんざ真のおとこに効くかってんだッ! クソ喰らえだぜッ!」


 右肩の辺りまで引き付けるようにして竹刀を垂直に構えていた寅之助は、互いの鼻息が掛かる至近距離で恭路を恫喝すると、四ツ割の竹片を組んだ刀身を水平に下げていく。けんせんを相手の反対側に向けるような構え方へと切り替えた次第である。

 気圧されて後方うしろ退すされば、その瞬間に竹刀が閃いて頭部や胴にあおあざが刻まれる。例え大きく飛び跳ねたとしても、片腕を限界まで伸ばした突き技でもって追尾されるはずだ。

 寅之助は『八雲道場』に雇われた身辺警護ボディーガードである。守るべき対象キリサメに害意を剥き出しとする〝敵〟と向き合ったからには、下腕うでを軽く叩いて警告に代えるというような生温い対処では済ませないだろう。

 ましてや寅之助は人並み外れて嗜虐性が強いのだ。武道を志す者にあるまじき振る舞いも多く、キリサメに向かって「五体満足では帰さない」と吠えていた恭路のほうこそ再起不能にも等しい目に遭わされるのかも知れなかった。

 鼻の下に蓄えた髭によって一等際立つ威圧感にまるで実力が追い付いていないのだが、御剣恭路も古武術家の端くれではある。数多の道場がひしめくほど武芸が盛んな山梨県のやまざと――『しんげんこうれんぺいじょう』で生まれ育ち、『りゅう』の一つにも数えられる『あらがみふうじ』を不完全ながらも体得しているのだ。

 互いの肌すら触れていない状態にも関わらず、寅之助によって身動きの一切が封じ込められてしまった事実を認識できないほど恭路も遅鈍ではなく、たちまちの内に戦慄と驚愕が憤激を塗り替えていった。


身辺警護ボディーガードなら危ない真似は控えてくれよ、瀬古谷君。警察から事情聴取を受けるような事態にまで発展したとき、『やり過ぎ』の一言で顔を顰められたら敵わないからね」

「二度とバカな気を起こせなくなるくらい徹底的にツブしておくほうが後腐れもなくて良いじゃん。イイ歳して社会のはみ出し者を気取る連中だよ? 死なない程度に手加減しておけば、警察も大目に見てくれるでしょ。寧ろの感謝状が頂けるんじゃないの」

「二度とこんな事態が起きないよう決着をつけるのは主催企業われわれの仕事だよ。その為にもこれ以上、厄介に拗れてしまうと困るんだ」


 身辺警護ボディーガードが恭路の制したものと見て取った麦泉は、竹刀でもって暴虐の限りを尽くさないよう寅之助の背中に釘を刺しつつも、同時に事態が収拾へと向かう期待も抱いていた。

 視界に入った存在ものへ手当たり次第に咬み付く狂犬さながらの恭路が押さえ込まれたことによって、暴走族チーム全体の気勢ががれるかも知れないのだ。


「ちょ、ちょっと待ちやがれッ! てめーら、誰に断ってお開きみてーな空気を作ってやがるんだッ⁉ 上等だぜッ! とことんやったらァッ! 『武運崩龍ブラックホール』をナメんなッ!」

「ドモりながら啖呵を切る時点で結果なんか見えてるでしょ。ボクと本気でり合って、互角に勝負できるなんて恭ちゃん自身が思ってない証拠だよ。鼻っぱしらを折られるのが怖くて仕方ない? 大声でイキがっても後で掻く恥が増すだけなんだよ」


 寅之助が吐き捨てた言葉は侮辱にも等しいほど厳しかったが、さりとて今は恭路の心を弄んで愉しむつもりはない。虚勢を張っても戦闘力の差は埋められないという〝現実〟を冷たく突き付けているのだ。

 キリサメと寅之助が秋葉原の中心部で繰り広げた〝撃剣興行たたかい〟にも奇妙な成り行きから当事者の一人として関わった恭路は、『聖剣エクセルシス』と『タイガー・モリ式の剣道』による斬り合いを誰よりも近くで目の当たりにしている。

 彼自身も寅之助とは小競り合いを演じており、全米にまで勇名を馳せた森寅雄タイガー・モリ直系の技にも触れていた。本気で戦ったなら、奇跡が起こる余地すらなく完膚なきまでに斬り伏せられることであろう――つまり、寅之助は如何ともし難い〝現実〟をみ込み、痛い目に遭わされる前に矛を収めるよう言外に促しているのだった。

 人並外れて自尊心の高い恭路にとっては見悶えるほどの屈辱であろうが、寅之助との間に開いた戦闘力の差はとして無視できない。だからこそタバコのヤニで汚れた歯を剥き出しにし、その隙間から悔しげな呻き声を漏らすのだ。

 至近距離ということもあって攻撃手段の選択肢は確かに狭まってしまったが、四肢の自由を完全に奪われたわけではない。腕さえ伸ばせば寅之助の胸倉を掴み上げることも、力任せに突き飛ばすことも出来る。反撃を恐れなければ右手で握り締めたままのチェーンを鞭の如く繰り出せるのだ。その気配を全く感じられないことが恭路のといえよう。

 真剣カタナではなく竹刀なのだから、を垂直に構えていた際に両手で刀身を掴み、『タイガー・モリ式の剣道』を使わせまいと強引に押さえ込むことも可能であったはずだ。


理解わかってるとは思うけど、他の皆さんも他人ひとごとじゃないからね。『八雲道場』の人間に指一本でも触れたら『機動隊はまだ優しかったんだ』って思い知ることになるよ。だった頃は白バイ相手にも大暴れしてたんだろうけどさ、残念ながらボクは公僕みたいに甘くない。送る先は〝豚箱〟じゃなくて集中治療室ICU。運が悪けりゃあの世に直行だ」


 おくれから目も合わせていられなくなった様子の恭路を鼻で笑ったのち、暴走族チーム全体を見回せる位置まで退すさった寅之助は、鹿革に包まれた竹刀の剣先さきでもって一人ずつ順繰りに指し示し、実力行使による排除を改めて突き付けた。

 命を狩る死神スーパイさながらに暴れ狂い、自らの晴れ舞台をも叩き壊すというキリサメの威容すがたに引き摺り出された昂揚を持て余していたところである。寧ろ、寅之助は暴走族チームに取り囲まれることを望んでいるくらいであった。

 にもならない恭路一人を滅多打ちにしても不完全燃焼は免れなかったことであろうが、標的まとが増える乱戦であれば心地好い汗と共に満足できるはずだ。

 かつては関東屈指の武闘派として恐れられた『武運崩龍ブラックホール』である。親衛隊長を任されながらも構成員メンバーとしては最年少であり、その最盛期を知らない恭路とは違って警察機動隊と幾度も闘い、チームとしての独立性を守るべく指定暴力団ヤクザにも立ち向かっている。

 寅之助から威圧された程度で勢いが衰えるはずもなかった。無言で拳を鳴らし続ける特攻隊長を筆頭に誰もが高い戦意を維持しているのだ。

 麦泉の期待などは最初から虚しい妄想に過ぎず、城渡の舎弟たちはその場で一斉に床を踏み鳴らし始めた。彼らが暴走族チームということを考えると〝ゾク車〟のエンジンをかす真似のようにも思えるのだが、天井に跳ね返る轟音は地響きさながらに大きく重く、場内の運営スタッフをすくみ上がらせていた。


チキショーめッ! 何時までも沈黙ダンマリを決め込んでんじゃねェよ、アマカザリィッ! お偉いさんにお喋り禁止を言い渡されたからって口が無くなったワケじゃねェだろッ⁉ 死ねって命令されても死なねェタマだろ、てめーはッ! それが何で……ちょいと邪魔が入っただけでブッたられちまうくらいオレとてめーの絆は脆かったのかよッ⁉」


 周囲まわりの仲間が天をも焦がす勢いで怒りの熱量を維持する中、自分だけ気圧されたという事実が恥ずかしくてならない恭路は、本来の標的であるキリサメを寅之助の肩越しに睨み付け、観客のSNSソーシャルネットワークサービスで負け犬の遠吠えと揶揄されることになる喚き声を上げた。


「この期に及んでてめーの口じゃ何も答えねぇってかッ⁉ 一度でもこんなカスを〝兄弟分〟だなんて思っちまった自分が恥ずかしいったらありゃしねェッ! ……こうなったら絶交だ、絶交ッ! てめーなんかもう弟分でも何でもねェよッ! 裏切り者がァッ!」

「間接的に二人の間を取り持ったようなボクが言うのもなんだけど、恭ちゃん一人が勝手に盛り上がって、一方的に〝兄貴分〟を名乗ってただけじゃん」

「ンなワケねーだろッ! 〝兄弟分〟に入れて貰えなくてムカついてたのは分かるがよ、やっかみで適当ブッこくんじゃねェやッ! 未稲からもコイツに何か言ったれッ!」

「下の名前で馴れ馴れしく呼び捨てにされるのも、平行線まっしぐらな口喧嘩に巻き込まれるのも、どっちも迷惑なんですけど。十中八九、キリくんも私と同じ気持ちですよ」


 寅之助の皮肉と未稲の溜め息はともかくとして、キリサメ自身は恭路から浴びせられた「絶交」という二字を静かに受け止めている。

 寅之助が指摘した通り、恭路のほうから一方的に決め付けられただけであって、キリサメも彼のことを一瞬たりとも〝兄弟分〟と思ったおぼえはない。結んでもいない関係の解消を宣言されたところで痛くも痒くもなく、馴れ馴れしくも〝弟分〟と呼び付けられるたびに鬱陶しくてならなかったのだ。

 むしろ、望ましい筋運びのはずであったのだが、絆を断ち切るという怒れるダミ声にキリサメは少なからず動揺し、そのような自分に大きく口を開け広げるくらい驚いていた。

 何時にも増して吊り上がった双眸は、熱い雫を迸らせている。これに加えて見苦しいほど垂れた鼻水も断絶の証左であろう。すがだいら高原の遭遇からこんにちまで育んできた絆を怒りに任せて引き千切り、キリサメ・アマカザリを二度と相容れない〝敵〟と見做したわけだ。

 犯罪が生計を立てるすべであった故郷ペルー非合法街区バリアーダスでは、亡き母の私塾で机を並べた旧友から集団で襲撃されたこともある。逆にキリサメの側から攻撃を仕掛け、その日を食い繋ぐ為のを奪い取ったこともあり、親しい相手との殺意の応酬にも慣れていた。

 共闘関係にあった国家警察からの依頼を受け、ペルー国内に潜伏している反政府組織の追跡と殲滅を連れ立って遂行した〝相棒〟――ニット帽がトレードマークという日本人傭兵が帰国する日にも惜別の念など湧き起こらなかったのである。

 それにも関わらず、現在いまは親しい間柄とも考えていなかった相手から見限られたことで心が大きく揺れ動いているのだ。己自身の心の在り方を見失う情況は一七年という人生の中でも数え切れなかったが、このような形で胸が締め付けられたのは初めてであった。

 恭路が駆る単車バイクの後部に跨った際には、〝地球の裏側〟でも放送された日本のテレビアニメ『せいれいちょうねつビルバンガーT』という共通の話題で少なからず盛り上がったのだ。

 趣味を分かち合う機会が永久に失われたことが寂しいとでも言うのか――己自身に問い掛けても、関係修復など望むべくもない事態に至った原因しか思い浮かばなかった。

 『天叢雲アメノムラクモ』の〝先輩〟選手と拳を交える中で恭路が〝城渡総長〟に寄せる熱烈な感情きもちを理解し、共感をもって限りなく距離が近付きながらも、結局はを叩き壊してしまった。


(――が『真実を超えた偽り』だったら、無意識でも最後の一線は踏み止まったはずじゃないか。……結局、踏み越えてしまったじゃないか、僕は……)


 裏切り者という蔑称は一方通行な感情の成れの果てに過ぎないのかも知れないが、それでもキリサメ・アマカザリという見下げ果てた無法者アウトローには最も相応しいものである。

 自分の側からも絆という名の糸を恭路に差し向けていたことと、を今さら自覚しても取り返しが付かないほど手遅れであることを同時に悟ったキリサメは、力なく自嘲の薄笑いを浮かべるしかなかった。

 その惨めな気持ちを絶え間なく刻まれる地響きが追い立てているようだ。


「何だ、その薄笑い? 何だ、その薄笑いッ! 最初ハナッからオレのコトをナメてやがったんだなッ⁉ そのクサれた根性、やっぱりすがだいらで轢き殺しておくべきだったぜッ!」


 キリサメの口角が吊り上がった直後、己の落涙さえも鼻先であしらわれたものと受け止めた恭路は再び頭に血がのぼり、左右の五指にて両端を掴んでいるチェーンを噛み始めた。常人の理解を超える行動であったが、寅之助による心理的な圧迫を怒りの炎で焼き尽くしたことだけは確かであろう。

 改めてつまびらかとするまでもなく、恭路は思い込みの激しさで誤解しているわけだが、もはや、キリサメには「話が噛み合わない」と訂正する気力も残っていなかった。


「何時でも誰かに咬み付いていないと自信を保てない人に限って、周囲まわりからバカにされてるって強迫観念がキツいって言いますけど、御剣さんこそキリくんをナメないで欲しいんですよ。性格最悪みたいに一方的に決め付けてくれちゃってさぁ~」

「るせぇんだよ、未稲ェッ! オレとアマカザリが深いトコで繋がってたって理解わかりもしねェくせにしゃしゃり出るんじゃねェやッ! すっ込んでろッ!」

「口喧嘩に引っ張り込んだかと思ったら、今度は口出しするなって? 手のひら返しが忙しいったらありゃしないなぁ。大体、バカと思われても仕方のないコトばっかりやってるじゃないですか。フザけるのはその前時代丸出しなコスプレだけにしてください」

「うっせぇ! うっせぇッ! うるっせぇぇぇぇぇぇッ! てゆーか、未稲は同じ台詞を自分のオヤに言いやがれッ! おとこの戦闘服をみてーに言うな、シバくぞッ⁉」

「陣羽織は紳士服と同じなんだぜ、恭路! 時代を超えた武人の正装ってヤツだァ!」

「……お互いにイキり散らすコスプレ大会になってるし、お父さんは黙ってて……」


 八雲親子との言い争いに耳を傾けても察せられるが、親友である空閑電知と同じように恭路もまた感情の発露が直線的であるとキリサメは理解していた。言葉の裏に計算を張り巡らせることもなく、脳内あたまのなかに浮かんだものがそのまま口から飛び出していくわけだ。

 皮肉の味が舌に染み込んでいるような寅之助とは違って言動が捻くれることもない。

 勢いがある代わりに弁舌による駆け引きなどは望むべくもない。幼稚とも言い換えられるが、無垢なる心で突き刺されるが故に言葉を受け止める側には一等堪えるのだった。


「――これからどんなコトが起きるとしても! オレの背中で燃え盛る『げき』の二文字が一緒に背負ってやらァ! 何があっても二度とひとりぼっちになんかしねぇ!」


 プロデビュー戦の直前に秋葉原で起こしてしまった――寅之助と斬り結ぶなかに横から鼓膜へ飛び込んできたダミ声もキリサメの脳裏に甦っている。

 本人に根掘り葉掘りとただしたことはなかったが、寅之助が喜々として暴いたペルーの暗部にも恭路は触れているはずなのだ。

 今日までの言動を振り返ってみると、二〇一三年に首都リマで発生した『七月の動乱』の最終局面――アメリカ大陸最古にして最大の闘牛場で繰り広げられた銃撃戦を近隣住民が隠し撮りした動画ビデオまで視聴してしまった可能性も否定できないのである。

 闘牛場の駐車場へと運び出された数多の犠牲者も、あるいは携帯電話スマホの液晶画面を通して目の当たりにしたのかも知れない。

 生みの親と早くに別離わかれてしまったキリサメの境遇が己自身の生い立ちと重なった為、恭路は「お前はオレとおんなじ」と傍迷惑な大声で共感を迸らせたのであろう。秋葉原で繰り広げた〝げきけんこうぎょう〟の日を境として、彼は〝兄弟分〟を称するようになったのだ。


「だーかーらァッ! てめーは沈黙ダンマリをやめろってんだよ、アマカザリィッ! 知らん顔を決め込んでりゃ、その内に『武運崩龍オレら』が諦めて帰ると思っていやがるんなら――」

「――口を開けば駄々を捏ねるガキみてーなコトしか言わねぇクセにカッコ付けておとこを名乗るんじゃねぇ! 生きてて恥ずかしくねーのか、本気マジで疑っちまうレベルだぜっ!」


 もはや、言葉の刃で斬り刻まれるしかないとキリサメ自身は受け入れていた。その批難を本人の了解も得ないまま真っ向から否定したのは、比喩でなく本当に頭上から降り注いだ少女の声である。

 聞きおぼえのある声は、果たして誰が発したものなのか――これを確かめるべくキリサメと恭路は揃って視線を巡らせようとしたが、両者の意識は次いで天井に突き刺さった轟音へと引き付けられてしまった。

 天上より振り下ろされた鉄槌がリングの残骸を揺らした――そのようにしかたとえようもない。間もなく場内の誰もが同じ一点に目を凝らし、唖然呆然と口を開け広げた。未稲に至っては驚愕の為に丸メガネが吹き飛びそうになったくらいだ。

 が耳をつんざいたのも当然であった。そこには全身を鎧兜で固めた一人の騎士が屹立していたのである。

 鎖帷子チェインメイルの上から堅牢な板金鎧プレートアーマーを纏い、バケツをひっくり返したような形状のヘルムで頭部を完全に覆っている。左手には逆三角盾ヒーターシールドを構え、同じ側の腰には鞘に納めて|幅広の両刃剣ブロードソードまで携えているのだから、中世ヨーロッパの戦場を生きる者が時空を超えて現代日本に迷い込んできたのではないかと誰もが錯覚してしまうのだ。

 逆三角盾ヒーターシールドの表面には四振りの剣と八枚の旗を組み合わせた勇ましい紋章が浮き彫りにされているのだが、それにもキリサメはおぼえがある。が属する『ギルガメシュ』という騎士団チーム象徴シンボルであった。

 この出で立ちに由来してインターネット上では『ヘヴィガントレット』なる通称ハンドルネームを用いていることも想い出したキリサメは、丸メガネを掛け直している未稲には一瞥もせず関係者席の様子を窺った。

 間もなく、その場所にて立ち尽くしているおおとりさとと視線がぶつかった。背広姿の彼は希更の現地マネージャーであり、セコンドも務めるバロッサ家の一族ひとびとに引き継ぐまで担当声優の警護も担っていた。その役割から離れた現在いまは、一人の観客として岩手興行を観戦していたのである。

 何事かをただすかのようなキリサメの眼差しに対し、大鳥は首を横に振ることで返答こたえに代えた。MMA興行イベントの会場に現れた騎士とは幼馴染みの関係であり、西洋剣術の同門であるという彼は、奇々怪々としか表しようのない事態に全く関与していないというわけだ。

 大鳥がキリサメへと向ける眼差しには、自分が御剣恭路たちを食い止める為に西洋剣術をふるうことはないという意思表示も込められていた。軽率にも乱闘騒ぎへ加わろうものなら所属する声優事務所オフィス・アッポジャトゥーラは言うに及ばず、担当声優の希更にまで損害ダメージを与え兼ねないのだ。

 友人としての関係よりも〝社会の一員〟としての立場を優先させるという大鳥の判断こそキリサメには望ましいものであった。これを見て取ったからこそ安堵の溜め息と共に頷き返したのである。


「よ、よりさんっ⁉ それに照ちゃんまで、一体、どうして……ッ⁉」


 双眸の辺りに設けられた覗き穴や、口元に等間隔で並んだ縦長の通気穴を除いて、ヘルムは顔面の大部分が板金で覆い隠されている為、素顔を確かめることは不可能であった。それにも関わらず、未稲は「よりさん」と本名で呼び掛けた。

 丸メガネの向こうから未稲の双眸が追い掛けているのは、騎士の真隣に立つ一人の少女である。彼女の怒鳴り声こそが御剣恭路の批難ことばを縦一文字に斬り捨てたのだ。

 右の側面に添えられた水玉模様のリボンが目を引くデニムのキャスケットを被り、袖なしのキャミソールにオーバーオールを組み合わせた少女に対して、未稲は「照ちゃん」と親しそうに呼び掛けていた。

 かみしもしきてるつかより――因縁浅からぬキリサメのプロデビューを〝一般客〟の立場で見守っていた未稲の友人たちが二階席からリングサイドへ飛び降りてきた次第である。

 乱入者が上下屋敷一人であったなら、五〇〇〇もの人々を一まとめに驚愕させることは不可能であったはずだ。しかし、もう一人は中世ヨーロッパの騎士である。人智を超えた筋運びは地響きをも止めさせ、暴走族チームは激烈な怒りの反動で呆けたように立ち尽くすばかりであった。


「て、照代ッ! 依枝ッ! てめーらまでアマカザリに付くってかッ⁉ どいつもこいつも仁義ってモンを理解わかっちゃいねェ……ッ! 手ェ貸すならオレのほうだろがァッ!」


 当事者でもない二人が張り詰めた空気の渦中へ飛び込んだ理由は、恭路の喚き声が解き明かしたようなものであろう。

 この二人は未稲と同じゲーミングサークルに属し、共にネットゲームを楽しんでいる。これに対してキリサメとは友人と呼べるほど親しく付き合っているわけではない。距離感としては〝友人の友人〟と言い表すのが最も相応しいことであろう。

 さりとて挨拶を交わした程度の知人ではなく、一言では説明し難い不思議な絆で結ばれていることも間違いない。それ故に恭路たちの暴挙を看過できず、キリサメ側の加勢に駆け付けたのだった。


「どちらに味方をするというわけではありませんよぉ。暴力沙汰を止めたいだけです。特に御剣さんとアマカザリさんはお友達じゃありませんか。喧嘩別れなんて悲し過ぎます」


 臨戦態勢を解く気配もない寅之助の隣に立ちながら恭路を睨み据え、これ見よがしに拳を鳴らし始めた上下屋敷はともかくとして、加勢といっても筑摩依枝には幅広の両刃剣ブロードソードを抜き放つ意思はないのだろう。自らの役割を知らしめるよう暴走族チームに向かって勇ましい紋章の逆三角盾ヒーターシールドを翳して見せた。


「私も詳しくは存じ上げないのですけれど、は専門用語で『ケジメを取る』と言うのではなかったでしょうか? スポーツマンシップに反する行為がアマカザリさんの側にあったことは私も否定しませんし、御剣さんや皆さんのお腹立ちはご尤もです」

「そこまで理解わかってんなら『武運崩龍オレたち』のほうに付けよッ! どうせ大鳥の野郎もその辺に居るんだろッ⁉ 騎士の剣ってのは正義の為に使うのがお約束じゃねェかッ!」

「法律上、現代で認められていないことは大前提として、正当な理由のない仇討ちは不当な暴力と何ら変わるものではありませんよぉ。仮に意趣返しを成し遂げたとしても、御剣さんが尊敬してやまない御方は喜んで下さるのでしょうか? 最後まで正々堂々とリングで闘い抜いた選手の誇りを傷付けはしませんかぁ?」

「て、て、てめーに総長の何が分かるんだよ……ッ!」

「勿論、私には分かり兼ねますよぉ。でも、御剣さんは違うはずです。貴方が〝総長〟と呼んで慕う御方が自分の仇討ちを喜ぶ為人ひととなりでしたら、御剣さんも胸を張って元気いっぱいで私に言い返せたのではありませんか? 大昔からのお約束といえば、正義と強調するのは後ろめたさの裏返し――というのも入るのではないかと」

「くっそう……ゴツい見た目に反してチクチクと小賢しい攻め方しやがって……ッ!」


 鞘に納まったままであるとはいえ、中世の戦場で威力を発揮する幅広の両刃剣ブロードソードを帯びた騎士は不審人物以外の何者でもないのだが、その言動は道義を重んじるものであり、恭路に対しても頭ごなしに軽挙を戒めるのではなく、彼の恩人を悲しませないよう柔らかな声でもって説き続けている。

 鞭の如きチェーンや『あらがみふうじ』の技を逆三角盾ヒーターシールド盾で受け止めるのはあくまでも最終手段であって、言葉を尽くした説得で暴力ちからによる衝突を避けるつもりなのだ。だからこそ場内各所に配置された警備員たちも、顔面に困惑の二字を貼り付けたまま成り行きを見守るしかなかったのである。

 城渡の試合を貶めてはならないと言い諭した声には、一等強い力が込められている。

 身じろぎのたびに金属の擦れ合う音を立てる筑摩依枝は、刃を潰された長剣ロングソードなど中世の武具を用いて試合を執り行う甲冑格闘技アーマードバトルの選手である。二〇一四年――今年の五月にスペインのラ・マンチャ地方で開催された第一回世界大会にも日本代表の一員として出場し、各国から集結した騎士たちと技を競い合ったのだ。

 総合格闘技MMA甲冑格闘技アーマードバトルで種目こそ異なるものの、競技選手の喜びを知っていればこそ筑摩は暴走族チームの振る舞いを黙って見過ごせなかった。


「照ちゃんも、依枝さんも、……マズいでしょ、に関わったら……」

「今日のオレたちゃただのお客サマだし、寅に任せるのがスジだって分かっちゃいるんだけどよ、知った顔がバカやってるもんだから、どうにも見てらんなくなっちまったぜ」


 友人たちの加勢に感謝しつつも、未稲には手放しに喜ぶことが出来なかった。

 希更・バロッサ襲撃計画を企てるなど『天叢雲アメノムラクモ』と激しく敵対してきた地下格闘技アンダーグラウンド団体『E・Gイラプション・ゲーム』の所属選手である上下屋敷は、その正体が露見した時点で強制退場を命じられ兼ねないのだが、それ以上に高い危険性リスクを背負っているのは筑摩のほうであった。

 幅広の両刃剣ブロードソードの刀身が照明あかりを跳ね返して煌めくような事態に立ち至った場合には、が威嚇を目的とした行為であったとしても、甲冑格闘技アーマードバトルそのものの社会的信用にも傷が付いてしまうだろう。これから発展していく〝格闘競技〟の将来まで『天叢雲アメノムラクモ』の内輪揉めに巻き込んで良いわけがなかった。

 洋の東西を問わず一四~一五世紀の間で実際に用いられた例のある武具を可能な限り、往時の素材で再現する甲冑格闘技アーマードバトルは、歴史絵巻あるいは幻想ファンタジー世界さながらの趣とは裏腹に二〇一三年の発足という新しい〝格闘競技〟である。温故知新の〝スポーツ文化〟として世界中に広がりゆくなかであった。


「依枝の言う通りだぜ。特に武運崩龍てめーら』と近いんだろうし、落とし前ってのも分からないでもねぇよ。だからな、ハッキリ断然させてもらうぜ。城渡マッチのメンツをツブしてんのはてめーらだ。そんなに楽しいか? 自分てめーの大将の顔に泥塗るのがよ」

「し、し、知ったような口を叩くじゃねーか……ッ!」

なんだよ、恭ちゃん。ボクの可愛い照ちゃんが『てめーらと近い』って言い切った意味、分からないワケないよね?」

「ンが……ッ⁉」

「変な勘違いされちゃったら、ボク個人の事情で恭ちゃんを病院送りにしなくちゃならなくなるから釘を刺しておくけどさ、誰よりも照ちゃんに近いのはボクだよ? キミは根がストーカー予備軍だし、意味を履き違えられたら困るんだよなぁ~」

「勝手に口を挟んで勝手にノロケて、トドメにストーカー呼ばわりかァッ⁉ アマカザリと未稲も、瀬古谷も照代も……ッ! ちょっと前にフラれたオレに何の厭味だよッ!」

「え~、私とサトちゃんを忘れないでくださいねぇ~。全国の新婚さんがゲストに招かれるテレビ番組にペア甲冑ルックで出演するのが夢なんですからぁ」

「……僕が口を挟むことではありませんが、そのさと氏、苦虫を嚙み潰したような顔で頭を抱えていますよ。筑摩氏一人で先走るのは、控えたほうがよろしいのでは……?」

「てめー、アマカザリィッ! オレのコトはガン無視なのに、そんな下らねーハナシにはツッコミ入れるってかッ⁉ てめーの中で優先順位、ど~なってやがんだァッ⁉」


 キリサメに対する憤激とは別の理由でも目を剥いて歯軋りする恭路は、これらに合わせて頭を上下に大きく振り始めた。

 『E・Gイラプション・ゲーム』などの地下格闘技アンダーグラウンドは〝アマチュアの競技団体〟に分類され、数千という観客を相応の収容人数キャパシティを備えた会場に招く〝プロ団体〟の『天叢雲アメノムラクモ』とは異なり、興行イベントの開催に当たっては廃倉庫や酒場の一角を借り切ってリングを設置している。

 試合を行う選手と観客が血の臭いが充満するほど狭い空間に揃って詰め込まれると〝実戦〟の臨場感が極限まで高まるのだが、たちまちの内に攻撃的な感情が伝播してしまうという弊害もあり、これによって穏やかならざる事態が幾度も引き起こされてきた。

 挑発的な言動がファン同士の口論にすり替わった挙げ句、乱闘にまで発展してしまった模様は、動画サイト『ユアセルフ銀幕』にも数多く投稿アップロードされている。それどころか、判定に不服を持った観客たちがリングに飛び込み、レフェリーへ筋違いの報復を仕掛けることも地下格闘技アンダーグラウンドでは少なくないのだ。

 刑事事件と紙一重という様々な問題を抱えてはいるものの、観客たちが選手の間近まで接近できる距離感は、グローブを嵌めない素手ベアナックルまで承認されてしまう過激な試合形式と併せて『E・Gイラプション・ゲーム』が支持を集める理由であった。

 〝場慣れ〟の一言で完結させてしまうのは二つの意味で乱暴であろうが、乱闘の火種となり得る人間との向き合い方を上下屋敷も心得ているわけだ。

 それが証拠に「意趣返しに逸る恭路たちが城渡に恥を掻かせている」という指摘は、筑摩依枝の説得を引き継いで畳み掛けた場合に暴走族チームを大きく動揺させるのである。

 甲冑格闘技アーマードバトルの筑摩と地下格闘技アンダーグラウンドの上下屋敷が連携しながら並べ立てるのは、『天叢雲アメノムラクモ』とも関わりのないである。キリサメや未稲との繋がりはあるものの、この二人こそが仲裁役として最も適任であったのかも知れない。

 恭路を凌駕するくらいに殺気を先鋭化させていた暴走族チームの特攻隊長までもが筑摩と上下屋敷の言葉には素直に耳を傾けているのだ。


「てめーらの根性がいけ好かねぇんだよな。総長アタマをやられたら脊髄反射みてぇに報復ってよぉ……。単細胞丸出しのザマだから〝珍走団〟呼ばわりされるんじゃねーのか?」

「半グレ紛いのの分際で〝走り〟に命を懸けてる『武運崩龍オレたち』をコケにしようってのかァッ⁉ 『アンダーグラウンド』だとか横文字使ってカッコ付けても悪行三昧は隠せねーんだよッ! 中野でハデにやらかしたハナシ、オレの耳にも入ってんぞッ!」

「てめー、今、『E・Gイラプション・ゲーム』を半グレ扱いしやがったなっ⁉ カネも名誉も取っ払って純粋に格闘技を愛してるオレらをよぉっ! 悪党ワル遮断シャットアウトしてきた『E・Gオレら』と違って暴走族こそ『昭和』の大昔から指定暴力団ヤクザとズブズブじゃねーかっ!」

「てめー、さては記憶力ゼロだな⁉ 『武運崩龍ブラックホール』は〝走り〟に命を懸けてるっつったろうがッ! そのプライドを守る為に薄汚ェヤクザもんにも中指立ててきたんだよッ! 〝反社〟の子分だったカラーギャングをアゴで使うクセして健全ぶるとかよォ、鼻で茶ァ沸かしちまわァ! 『武運崩龍オレら』と『E・Gてめーら』は覚悟が違うぜッ!」

「鼻とへその区別もつかねぇレベルのバカに何を言われても、『ボクちゃん、必死こいてイキがってのね』って哀れに感じるだけだなぁ!」

「苦し紛れの逆ギレもそろそろ品切れみてーだなァッ! ど~せ『E・Gてめーら』のトコも大昔にやらかしたMMA団体みたく〝反社〟のに使われてんだろッ! オレの記憶力はてめーと違って上等だからなァ、同じ『こうりゅうかい』と例のカラーギャングがツルんでたコトもちゃ~んとおぼえてるぜッ! オラッ! まだ口答えすんのか、オラッ⁉」


 一対一の言い争いは上下屋敷と恭路の激情に拍車を掛け、穏やかならざる方向へと突き進んでいる。一度は和らぎかけた空気が暴言の応酬によって再び張り詰めていく。


「横から口挟んで申し訳ないけど、その名称なまえを出すのはマズいんじゃない? 『天叢雲アメノムラクモ』の興行イベント会場でってことだけじゃなくてさ、恭ちゃん的にもアウトじゃん。の耳に入ったら逆さ吊りの刑にでも処されるんじゃないの。足の甲から五寸釘を打たれて、そこに火の付いた百目蝋燭を立てられてさ。ボクのほうから電話しておこうか?」

「そ、そ、それだけは勘弁しやがれ、瀬古谷ァッ!」


 憤怒の色に染まった二つの顔を交互に見比べたのち、上下屋敷を押し止めるよう寅之助に目配せでもって訴える未稲であったが、この気遣いを嘲笑おうというのか、彼は要請とは正反対に恭路を追い立てることを言い始めた。

 歪んだ享楽家である寅之助は、『八雲道場』の身辺警護ボディーガードでありながら、暴走族チームとの間に乱闘が起こることを望んでいるかの様子である。上下屋敷に自重を促せるのは恋人しかないと未稲は考えたのだが、それは最初から叶う見込みのない期待であった。

 ここに至って未稲は、衝突回避の希望と感じたものが最悪の事態へ陥る凶兆であったのだと思い知らされた。


きょうじま医者センセの手を煩わせる必要はねぇよ! 〝珍走団〟の腐り切った根性、今、この場で叩き直してやるぜ! 一人残らずブッ潰してやらぁっ!」

「照ちゃん、それ、宣戦布告になっちゃってるっ!」


 キリサメの身体からだを支える状態でなければ、未稲は丸メガネが吹き飛ぶほどの勢いで頭髪かみを掻きむしったことであろう。

 様々な事例が示している通り、選手と観客の距離が物理的にも心理的にも限りなく接近する地下格闘技アンダーグラウンドは、大人数がぶつかり合う乱闘騒ぎも少なくなかった。

 先程の口論の中でも恭路によって言及されたが、非行少年が寄り集まったカラーギャングとの抗争にいて上下屋敷や空閑電知たちが所属する『E・Gイラプション・ゲーム』は、力ずくでこれを屈服せしめたのである。

 以前に寅之助は「腕力ちからに訴えて不都合を引っ繰り返すことに慣れ過ぎている」とキリサメのことを揶揄したが、それは『E・Gイラプション・ゲーム』も同様だ。会話が成立しない相手には握り拳を説得の言葉に代えてのだった。

 乱闘の鎮圧や敵対者の制圧など、上下屋敷も拗れた状況を腕力ちからで解決してきたのだ。


「そうだそうだ! 黙って聞いていれば図に乗りがやって! 結果に関係なく選手の熱闘に拍手するのがファンの務めじゃねーか! 腹癒せを許す城渡と一緒に辞めちまえ!」

「害悪という言葉を簡単には使いたくないが、それ以外の結論を自分も持ち得ないな。誇り高き『天叢雲アメノムラクモ』に野蛮な連中は不要だ。MMAをけがされる前にご退場願おう」


 上下屋敷の宣戦布告へ呼応するかのように新たな声が一階・可動席で上がった。

 『天叢雲アメノムラクモ』が旅行代理店と提携して企画した岩手興行の公式オフィシャル観戦ツアーに参加する〝優待客〟の中の数人が立ち上がり、恭路たちを敢然と睨み付けているのだ。

 いずれの顔にもキリサメはおぼえがあった。秋葉原にいて寅之助と繰り広げた〝げきけんこうぎょう〟を野次馬として追い掛け、荒々しい喧嘩殺法に魅了されてキリサメ・アマカザリという新人選手ルーキーのファンになった旨を公然と表明する人々である。

 〝プロ〟のMMA選手にはあるまじき反則を繰り返し、あまつさえ闘魂の象徴とも呼ぶべきリングまで破壊してしまった愚かな新人選手ルーキーにも幻滅せずにいてくれたのであろう。キリサメに向けられる眼差しは試合開始前から些かも変わっておらず、瞳に湛えた熱情が今度の応援も約束しているようだ。

 何事にも無感情なキリサメも少なからず感謝の念を抱いたのだが、その全てが心に滲み出す気鬱によって塗り潰される情況であった。

 開会式オープニングセレモニーに先立ってリングチェックを行った際、〝先輩〟の一人であるバトーギーン・チョルモンから『客寄せパンダ』と一方的に決め付けられ、小競り合いにまで発展しかけたのだが、〝優待客〟の特権として興行イベント開始前の会場を見学していたは、少しも臆することなく〝平成の大横綱〟の非を咎めていた。

 二〇代半ばという若さで通算六〇〇勝に達し、銭坪満吉スポーツ・ルポライターらの執拗な攻撃さえなければ、現在いまもまだ最強の横綱として角界に君臨し続けていたであろう『はがね』すら恐れない気骨は敬服に値するが、この状況下ではこそが恭路たちの暴発を招き兼ねないのだ。

 幻の鳥ケツァールの翼に見立てた両手を上下に大きく動かして暴走族チームを威嚇する男女ふたりは、今でこそ交際関係にあるそうだが、野次馬として〝げきけんこうぎょう〟を見物していたときには諍いを起こし、周囲まわりの人々を巻き込むほどの騒動さわぎにまで拗れていた。

 この場にいても同じことが繰り返されようとしている。間もなく場内の各所あちこちでキリサメに味方する声が上がり始め、恭路は眩暈に見舞われるほどの勢いで四方を見回しながら「反撃喰らわねェ場所からイキがるなッ!」と床にチェーンを叩き付けた。

 一階・可動席から〝優待客〟が飛び出せば、他の観客ひとびとも雪崩を打って乱闘に加わることであろう。


(……僕一人が制裁を受ければ済むハズなのに、良く分からない間に他人ひとが入り込んで、どんどんややこしい事態ことになっていく……)


 暴力によって支配されるような状況を『天叢雲アメノムラクモ』に作り出してしまった罪の深さは、他の誰かに追及されるまでもなくキリサメ当人が強く自覚している。それにも関わらず、我が身を差し出して罪をあがなう機会までもが目の前で閉ざされようとしているのだ。

 進退これきわまれり――もはや、キリサメの脳裏にはその言葉しか浮かばなかった。

 亡き母によるの授業で僅かに触れたのみであるが、平安時代末期に栄えた名門の栄枯盛衰としょぎょうじょうつまびらかにする古典――『へいものがたり』の一節であったと、キリサメはおぼえていた。

 武家の棟梁として名乗りを上げ、朝廷を圧倒するほどに権勢を強めた〝驕るへい〟の総帥たる父――へいしょうこくきよもりと、自らが忠義を尽くすかみ――しらかわほうおうが抜き差しならないほどの敵対関係に至り、板挟みに陥ったまつ殿どのしげもりの慟哭である。

 きよもりの長男――嫡男の地位はのちに三男のしまだいじんむねもりに移っている――でもあった重盛にとっては忠と孝の片方のみを選ぶことは不可能であり、ついには「しげもりくびを召されそうらへ」と直訴に及んで父の暴挙を食い止めたのである。

 日系ペルー人であるキリサメにとって儒教にまつ殿どのしげもりの道徳観は、多少なりとも故郷ペルーの日系社会で触れた仏教ブッディズム以上に馴染みのないものである。

 親を敬うという〝孝〟であれば、己自身の感覚として理解できなくもないのだが、誠心から主君に仕えるという〝忠〟の精神こころは、〝誰か〟の理想を落とし込む物語の中にしか存在し得ない空虚なものとしか思えなかった。

 暴走族チームが憤激という形で迸らせたのは、まさしく城渡マッチへの忠誠心だが、同じ観念が芽生えようのない〝世界〟でキリサメは禍々しい『聖剣エクセルシス』を振るってきたのだ。

 共闘関係であった国家警察も内紛の果てに長官が挿げ替えられたばかりである。貧困層の一部は政府転覆を目論むテロ組織に与しているが、革命の理想に心服した者は皆無に等しく、絶望的な格差社会の打開という実益を期待して協力しているに過ぎなかった。

 ペルー政府による掃討作戦を受けて勢力が衰退する以前が顕著であったが、テロ組織の内部にいてさえ〝表〟の社会で正業に就けない為に銃を取らざるを得なかった若者も多かった。は裏切りが横行する温床とも言い換えられ、キリサメも造反を画策した一派と死闘を繰り広げたことがある。

 東洋の文学作品に記される誠忠をキリサメは絵空事と嘲笑ったおぼえはない。己の全てを他者へ委ねることを愚の骨頂と見下す以前に、精神構造として理解できないのだった。

 そもそも現在はまつ殿どのしげもりの如く忠と孝のはざに立たされているわけでもない。

 しかし、己の手が届かない領域ところで作り出された〝大きな流れ〟に呑み込まれ、その只中に取り残された状況と捉えるならば、「進退これきわまれり」としか表しようがないのである。


「上等だぜ、ちきしょーめがァッ! どいつもこいつもブチ殺してやンよッ! 『武運崩龍ブラックホール』に喧嘩売ったコトをあの世で死ぬほど後悔しやがれェェェェェェッ!」

「バカは死ななきゃ治らないっつーよなぁ? 御剣てめーも一回、輪廻転生とかいうヤツからやり直してこいよ! あの世は死んでから送られる場所だって実地で理解わかるぜっ!」


 恭路と上下屋敷による悪感情のぶつけ合いは、まさしく最後の火種であった。中世ヨーロッパの騎士から叩き付けられた衝撃が一時的なブレーキとして機能し、暴走族チームを食い止めてきたのだが、またしても燃え上がった怒りの炎がを焼き尽くしたのだ。

 とうとう〝最後の一線〟と呼ぶべき真空状態も消滅し、おのおのが攻撃態勢に移った。特攻隊長などは睨み一つで『天叢雲アメノムラクモ』のスタッフを退け、回収されないまま転がっていた支柱ポールの一本を拾い上げ、鬼の金棒の如くを肩に担いだ。

 道理をもって説き伏せようとしていた当初の冷静さを欠くほど過熱した彼女の物言いは、今や暴走族チームそのものへの侮辱に変わっている。これに併せて場内では反則負けを批難されるべきキリサメを擁護する声まで上がり始めているのだ。

 より正確に表すならば、新人選手ルーキーの危険行為を是認しないことは大前提として、私刑リンチでもって裁くという暴挙が数千という声によって糾弾されている。城渡が率いてきた暴走族チームの大半は無分別な人間ではない為、その義憤も正当であると理解している。目を血走らせながら言い返しているのは、恭路ただ一人なのである。

 、引くに引けない状態に追い込まれたとも言い換えられるだろう。もはや、チーム全体の体面を傷付けられた恰好であり、このまま引き下がろうものなら関東最強の威信までもが再起不能というくらい失墜してしまうのだ。

 どちらにも味方せず事態を静観し続ける大半の観客は、口こそ噤みながらも携帯電話に内蔵されたレンズでもって暴走族チームを捉えている。恭路の怒号と重なって聞こえる無数のシャッター音は、あるいは面罵よりも遥かに神経を逆撫でするものであろう。を見つけた記念撮影などではなく、SNSソーシャルネットワークサービスで晒し物しようというわけだ。

 自業自得という謗りを受けることは承知の上で、この場にいて汚名返上を果たさなければ〝城渡総長〟に顔向けできないのである。今や恭路たちを衝き動かす激情ものは、本来の目的であったはずの仇討ちからも掛け離れてしまっていた。

 再び起こった地響きは更に大きく、鼓膜を揺さぶる吼え声までもが加わったのだが、それこそが決定的に理性を失った証左である。

 依然として恭路に対しては返事一つも控えているキリサメであったが、その代わりに双眸でもって行動うごきを追い掛け続けている。

 聞くに堪えない罵詈雑言を迸らせ、野獣さながらに鼻息を荒くした姿は『天叢雲アメノムラクモ』のスタッフを怯えさせるには十分であろうが、一方で数の利を生かした戦い方には精通していない様子であった。

 理性を何処か遠くに置いてきたとしか思えない御剣恭路でさえ従順に従うという点からも一目瞭然であるが、〝城渡総長〟の統率力には疑念を差し挟む余地もない。しかし、乱闘では全体の指揮を取らず、攻防の組み立て方も個々の判断に委ねているはずだ――と、キリサメは推察していた。

 すがだいら高原の合宿先で襲い掛かってきた恭路が好例であるが、暴走族チーム同士の抗争でも先ずは殴り合う相手を見繕い、一対一という状況に持ち込むのであろう。勝敗を決しようとする気概こそ読み取れるものの、隊列を組んで旧ソ連の突撃銃アサルトライフルを構えるテロ組織や、寄ってたかって標的を追い込んでいくギャング団を『聖剣エクセルシス』で薙ぎ払ってきたキリサメの目には、闘い方を知らない素人のようにしか見えなかった。

 誰よりも強い威圧感を漂わせているのは特攻隊長だが、脳天への一撃で致命傷を与え得る支柱ポールを担いでさえ大した脅威とも思えなかった。似たような人間は故郷ペルー非合法街区バリアーダスに掃いて捨てるほど闊歩していたのだ。


(現役の格闘家である城渡氏より体力が劣っているはずだから、持久戦になったら勝手に自滅するな。支柱ポールを持った大男を先に始末して士気を挫けば、残りは烏合の衆で――)


 未稲に身体からだを支えられている状況すら忘れて、キリサメは無意識の内に暴走族チームを殲滅させる手立てを捏ね繰り始めていた。

 生兵法という言葉が示す通り、怪気炎を上げている一部の〝優待客〟を戦力として当て込むのは、被害を無意味に拡大させることと同義であった。

 そもそも数で圧倒する必要もなかった。逆上した相手は視野狭窄にも等しい状態で突進してくることをキリサメは経験から知っている。これに加えて城渡マッチの舎弟たちは一対一という状況にこだわる余り、標的を取り囲んで畳み掛けるという思考が全く抜け落ちているのだ。連携の一つも取れない集団など、個別に踏み潰していくのみである。

 尤も、は実行へ移される前に終わった。自ら酷く嘲るような薄笑いを浮かべたのち、キリサメは思考かんがえることそのものを打ち切ってしまったのだ。

 乱戦の巻き添えとなり得る〝誰か〟へ想像が及んだ直後のことである。邪念を捨て去るようにかぶりを振り、心の中で「結局、お前は地獄のような惨状を作り出したことに何の責任も感じていないんだ」と己の浅慮を罵った。


「――集団に囲まれたときは辺り構わず大暴れして、巻き込まれた人たちも盾の代わりに使ってきたじゃん。今日は満員御礼で、しかも援軍まで見込めるんでしょ? わたしのアタマが吹っ飛ばされた日と同じようにさ、みんなでぐちゃぐちゃになっちゃいなよ」


 鼓膜に滑り込んでくるの囁きを振り切るようにしてキリサメが視線を巡らせたのは、先程まで未稲が腰掛けていた関係者席である。その未稲も全く同じ懸念を抱いたようであり、二人揃って同じ側へと振り向かせる恰好となった。

 二人が窺ったのはの弟――おもてひろたかの様子である。

 四角いリングが倒壊した際に起こった轟音は、その間近に用意された関係者席を直撃している。これによって錯乱状態に陥り、椅子を蹴倒しながら逃げ出す者も少なくなかったのだが、ひろたかは空席の只中に留まり続けている。

 彼の傍らには何時の間にかおおとりさとが立っていた。未稲からキリサメと順繰りに視線を交わした大鳥は、万が一にもひろたかへ危害が及びそうになったときには身を挺してでも守り抜くと、言葉の代わりに首を頷かせて二人に約束した。

 が〝大人〟の責任つとめだ――と、眩いと感じるほど強い力を秘めた瞳で語っている。

 未稲が安堵の溜め息を吐き出したのは当然であろう。御剣恭路にひろたかの顔を知られているという事実は、彼女の不安をこれ以上ないほどに煽るのだ。

 城渡マッチの身に降り掛かった厄災わざわいには心の底から同情するが、自分たちの総長リーダーが望ましくない形で倒されたことで逆恨みし、あまつさえ報復まで仕掛けるような無法者の集団を未稲は少しも信用していなかった。

 〝珍走団〟という蔑称が喉の奥から飛び出しかけたくらいだ。とりわけ恭路は試合前のキリサメを襲撃している。その上、私怨と呼ぶにも値しないほど幼稚な動機であった。

 口では古式ゆかしい〝こう〟を気取りつつ、腕力ちからで抗えないひろたかを人質に取るという卑劣極まりないも開き直ってやってのけるはずだ――と、未稲は軽蔑の念を強めていた。

 おおとりさとが弟の傍らにいてくれるのであれば、考えられる最悪の事態は免れることであろう。御剣恭路に対する感情こそ一致しないものの、胸に詰まっていた危機感を丸ごと吐き出すような溜め息が唇から滑り落ちたのは、未稲もキリサメも一緒であった。

 しかし、その安堵も一度の瞬きという刹那しかたなかった。己の身体からだを支えてくれる未稲の手が小刻みに震えていたことに気付いてしまい、キリサメの胸中は再びやり場のない気鬱に満たされていった。

 一応の義弟に当たるひろたかの眼差しも、キリサメの心に突き刺さったままトゲの如くうちへと深く食い込み続けている。

 まだ七歳とは思えないほど世情に通じ、莫大な知識をも備えた小さな賢者は、極太の眉毛を吊り上げて批難するのでもなく、「誰にでも過ちはある」と身贔屓で擁護するのでもなく、ただ静かに義兄の有りさまを見据えていた。

 一〇歳にも満たない内から末恐ろしいくらい肝が据わっていると言うべきか、血みどろの姿に怯えるようなこともない。強い光を宿した瞳は余りにも真っ直ぐであり、先程までリングであった残骸の只中に立つキリサメには義弟おとうとを見つめ返すことが出来なかった。

 顔を逸らした義兄を情けないと思いつつも、ひろたかの側から視線を外すつもりはないのだろう。しかし、今から起こる事態を見届けた後には、幼い瞳は間違いなく失望の二字で満たされるはずなのだ。そのさまを想像するだけでも義兄キリサメは心臓が締め付けられるのだった。

 比喩でなく本当に歯噛みせざるを得ないのは、幼い義弟おとうとを脅かし兼ねないこの騒動さわぎがキリサメ自身にも止めようがない為である。

 己の過ちが発端という事実から逃れようとは思わず、制裁を求める恭路たちに我が身を差し出す覚悟もあった。しかし、暴力的な衝動が数百数千という範囲にまで伝播してしまうと、例え一人を十字架に磔としたところで完全には終息しないのだ。

 夥しい量の人間が一斉に理性を失って暴力に酔い痴れるさまは、数え切れないほど繰り返されてきた故郷ペルーの反政府デモで物心が付く前から目にしてきたのである。幼馴染みの少女が死神スーパイに捕まってしまった『七月の動乱』をわざわざ例に引くまでもなかった。

 それ故に「進退これきわまれり」と、やり場のない諦念と共に拳を握り締めるしかない。


「お客様におかれましては、ここが関ヶ原でないことをお忘れなく! 平安時代に黄金で栄えた奥州ですっ! 合戦と無縁の穏やかな土地柄だったと想い出してください! とか言ってる間に私も想い出してきました! その平安時代に黄金を丸ごと焼き尽くす大合戦が起きてますよね、ここ奥州で! 敵も味方も入り乱れるド派手なラッシュアワーに似つかわしいのかっ⁉ ええい、鬼貫さんがいないとツッコミ不在でボケ倒すだけになってしまう! とにかく皆様、深呼吸でもして落ち着いてください! 落ち着けやァァァッ!」


 唖然呆然と成り行きを眺めるばかりであった仲原アナもマイクを掴み直し、場内の隅々にまで自重を訴えたが、に分かれてぶつかり合う事態は避けようがないと、彼女自身も理解しているようだ。喧しさこそ平素の実況と変わらないものの、その声色はこれ以上ないというくらい焦燥感で張り詰めていた。


「――ここから先、お前さんの役目はオレが引き受けさせて貰うぜ」


 幅広の両刃剣ブロードソードを鞘に納めたまま、四振りの剣と八枚の旗を組み合わせた紋章が勇ましい逆三角盾ヒーターシールドを高くかざし、己が為すべきことを改めて示さんとする現代の騎士――筑摩依枝の肩を板金鎧プレートアーマーの上から叩く者がった。

 言わずもがな、八雲岳である。キリサメと未稲の父親であり、また『天叢雲アメノムラクモ』にいて統括本部長の肩書きを背負う男が逆三角盾ヒーターシールドに託した決意を自分に譲るよう求めていた。


「まぁまぁ、そう仰らずに。一人より二人ですと更に安全、これぞ万全の防護まもりですよぉ。八雲さんが息子さんを、私が未稲さんの盾になるということで」

「気持ちだけ有難く貰っておくってコトには出来ねぇか? オレも甲冑格闘技アーマードバトルは前々から面白ェと思ってたんだよ。まだちょっとだけ想い出が苦い一九九七年――この国でMMAを花開かせようって燃えてた頃の自分たちが重なってワクワクしてなァ……。これからいよいよ盛り上がろうってェ新しい挑戦チャレンジに迷惑は掛けられねェってハナシさ」


 ここまで事態が悪化してしまった以上は、岳にも覚悟というものがある。むす実娘むすめの正面に立ち、我が身を盾に代えて暴力の嵐から守ろうというわけだ。例え拾った支柱ポールで頭蓋骨にヒビが入るくらい殴打されようとも、恭路のチェーンで身を斬り裂かれようとも、暴走族チームの憤怒いかりを一つ残らず受け止めるつもりであった。

 『天叢雲アメノムラクモ』の統括本部長は、興行イベントの後半に控えた己の試合を捨てている。岳にとっては子どもたちを守ることのほうが遥かに大切なのだ。えて比べるまでもあるまい。

 若かりし頃――『新鬼道プロレス』の主力レスラーであった頃には、今や日本を代表するサバキ系空手の道場となった『くうかん』との全面抗争も経験している。観客をも巻き込む乱闘によってどれほど夥しい血が流れるのか、現在いまも岳は生々しくおぼえているのだ。

 無論、襲い掛かってきた恭路たちに対し、『超次元プロレス』で応戦することはない。頬に滴る血の味を己の舌で確かめるような状況になろうとも、歯を食い縛って耐え凌ぐのみである。〝一般人〟に振るう拳など持ち合わせてはいない――良識に基づく判断もまた〝プロ〟のMMA選手としての矜持なのだ。

 『天叢雲アメノムラクモ』とも無関係であろう甲冑格闘技アーマードバトルの選手を八雲岳という不器用な男の生き方に付き合わせる理由もない。『打投極』の理論を取りまとめ、〝総合格闘〟として体系化をも成し遂げたヴァルチャーマスクと共に日本MMAの先駆者と謳われる岳は、失敗する可能性が限りなく高い挑戦でしか感じられない青春の喜びを知っていた。そして、些細なことで夢と希望が砕け散ってしまう恐怖も味わってきた。

 だからこそ、甲冑格闘技アーマードバトルの選手という立場を己に問い掛け、この場を去るよう筑摩に促したのだ。中世と呼ばれる時代から甦った騎士には、一九九七年のMMA選手が体験したものと同じ未来への昂揚だけを感じて欲しいのである。

 ただひたすら前へ前へと突き進み、見据えた〝先〟に伸ばす手も、新しき可能性を踏み固めていく足も、一瞬たりとも止まらない――彼女が携えた幅広の両刃剣ブロードソードは、その〝道〟を切り拓く為にこそるはずなのだ。


「心配ご無用ですよぉ。私、人より欲張りなので、甲冑格闘技アーマードバトルの夢と未稲さんの安全、両方を守ります。この剣に賭けて――って、今日は出番がありませんけどねぇ、私の


 岳が言わんとしていることを受け止めながらも、筑摩は頑として譲らなかった。声の調子こそ穏やかだが、金属が擦れ合う音を引き摺りながらかぶりを振り、高くかざした逆三角盾ヒーターシールドも微動だにしないのである。

「この剣に賭けて」という一言を岳への返答こたえに代えているが、大切な友人たちを守り抜くという決意は、筑摩依枝にとってまさしく騎士の誓いなのだ。


「……腰の得物を抜かなきゃ済むってハナシでもねェんだけどな。もしも、〝何か〟が起きちまったときには、然るべき皆さんのトコにあんぎゃするぜ。オレの責任ケジメとしてな」


 己の子どもたちとの揺るぎない友情が逆三角盾ヒーターシールドに宿っていると示されては、力ずくで押し退けることなど出来ようはずもない。「忍者と騎士――和洋折衷の共同戦線タッグマッチなんてアメリカ人好みっぽいけど、特等VIP席の賓客ゲストも喜んでくれてるかねぇ」という苦笑いを挟みながら陣羽織の襟を正したのち、岳はまことの騎士と肩を並べるのだった。

 『天叢雲アメノムラクモ』の統括本部長と甲冑格闘技アーマードバトルの騎士の想いを背中でもって受け止めたのか、それとも闘争本能が昂っているだけなのか。暴走族チームの殺気を真っ向から浴びせられる位置に立った瀬古谷寅之助と上下屋敷照代の二人は、それぞれ臨戦態勢を整えている。

 『天叢雲アメノムラクモ』の新たな『客寄せパンダ』と目されていた希更・バロッサ襲撃を企て、偶然に居合わせたキリサメによって返り討ちに遭った路上戦ストリートファイトや、寅之助の暴走を止めるべく乱入した秋葉原の〝げきけんこうぎょう〟では武器を用いた上下屋敷であるが、MMA興行イベントの会場にはに相当する物を持ち込んでいなかった。

 他団体と同様に『天叢雲アメノムラクモ』の興行イベントでも入場に際して手荷物検査が実施されるのだから、万が一にも凶器の類いを所持していれば、そもそもこの場に立っているはずがない。

 江戸時代の発祥とされるとりじゅつ――現代でたとえるところの逮捕術を極めた上下屋敷は、武器など持たずとも十分に闘えるのである。選手として身を置く地下格闘技アンダーグラウンドも徒手空拳で〝心技体〟を競い合うのだ。


「半分は寅に任せるぞ。この期に及んで警棒の一本も持ち出さねーってコトは、警備の連中、高みの見物を決め込むつもりと見えるぜ。清々しいくらいの給料泥棒じゃねーか」

「だったら支柱ポールを拾って得意になってるデカブツは、ボクにやらせて貰うよ。見るからにがありそうだもん」

「イチバン面白い獲物を独り占めすんのかぁ? ガキが落としていった飴玉にしゃぶり付くアリんこみてェなコトを言いやがって! 御剣のアホは――あいつは放っときゃ良いか。他の連中のに与ろうとしてる間に、でも喰らって勝手にくたばるだろ」

「恭ちゃんを甘く見ちゃダメだよ、照ちゃん。そんな風に小賢しく立ち回れるなら、二度も留年ダブったりしないって。あの調子だと来年もきっと高校三年生だよ」

「黙って聞いてりゃ、オレを掛け算割り算も出来ねぇ本物のバカみてーに言いやがってからにッ! 三角形の面積だって足し算使って軽く割り出せらァッ! ナメてくれた分、伝説の『しんけん』で思い知らせてやるぜッ! 二人仲良く地獄巡りにご招待だァーッ!」


 標的の討ち取り方を相談し始めたことからも察せられる通り、上下屋敷も寅之助も、自分たちが立つ位置より〝先〟にはなんぴとたりとも進ませるつもりはない。怒号と共に飛び散る唾がキリサメの顔に届くよりも早く暴走族チームを全滅させようというわけだ。

 過去には寅之助も『E・Gイラプション・ゲーム』に関わっていた時期がある。大勢の人間がひとところで暴力性を剥き出しにする乱闘も慣れるほど経験しているのだ。加えて、恋仲である上下屋敷とは闘いの場にいても以心伝心なのであろう。数こそ多くとも個々に暴れることしか出来ない暴走族チームとは異なり、多勢に無勢という状況を連携して覆す算段を立てていた。

 思考かんがえること停止めるまでの間にキリサメが脳内あたまのなかで捏ね繰っていた戦略と同じように、一部の〝優待客〟を頼もしい援軍とは考えていない。乱闘に加わるのを待とうとも思わず、リングサイドで無意味に動き回って攻防を掻き乱すようであれば、蹴りを入れて視界の外に追いやることであろう。


「――キミたち、ちょっと小遣い稼ぎをしてみないか? 緊急かつ臨時のアルバイトだからね、をこの場で約束しようじゃないの。何なら言い値で支払おう」


 いきり立つ恭路には一瞥もくれず、仕留めていく順番を確認していた寅之助と上下屋敷に背後から声を掛ける者があった。

 すいされる前にそれぞれの肩を叩き、決して大きいとは言い難い隙間へねじ込むような恰好で二人に顔を寄せたのは、『天叢雲アメノムラクモ』の団体代表――樋口郁郎その人である。

 日本格闘技界を実質的に支配する〝暴君〟も、すっかり理性が吹き飛んだ暴走族チームを抑え込めずに肩を竦めるばかりであったのだが、キリサメを守らんとする人々を眺めている間に〝何か〟を閃いたのか、傍らにはべる秘書と頷き合ったのちに立つ寅之助と上下屋敷の背後へ忍び寄っていったのである。


「……あんた、本気マジで言ってんのか? あのアホがペラペラ喋ってくれやがる前からオレがなのか、把握してたんだろ? ……オレも舐められたもんだぜ」


 一瞬たりとも〝敵〟の動向うごきを見逃すまいと姿勢を変えず、振り返ることもない上下屋敷は聞こえよがしに大きな舌打ちを披露した。

 詳細については曖昧な表現に留め、その代わりに高値たかい報酬を提示するという樋口郁郎の意図は、状況が許すのであれば唾を吐きかけてやりたいほど腹立たしかったが、何よりも癪に障ったのは『E・Gイラプション・ゲーム』の選手と認識した上で要請してきたことである。


「何しろ今日の興行イベントにはオレ以外にも『E・Gイラプション・ゲーム』の人間が潜り込んでる。その内の一人は鬼貫道明に可愛がられてると来たもんだ。……そんな状況で、つい最近に『天叢雲じぶんトコ』と揉めたヤツが客席に居るって情報ハナシ団体代表あんたの耳に入らないワケがねぇよなァ?」

「キミんトコの代表とはだよ。妙にいがみ合ったりせず〝持ちつ持たれつ〟で行こうじゃないの。お小遣いに加えて、希更ちゃんを狙った一件もすっぱり水に流そう。期待の大型新人に不祥事をそちらの剣道青年も同じようにね」

「面白いね、それ。ボクとサメちゃんの〝げきけんこうぎょう〟は『天叢雲アメノムラクモ』の広報活動プロモーションだったハズでしょ? どうして撮影に協力したボクが脅されるのかな? 何ならSNSソーシャルネットワークサービスで真相のお披露目と行こうか? 前身団体バイオスピリッツまで行くのか、試してみるのも面白いかもね」

「結構結構! 皮肉は飛ばしても要請そのものは拒絶しない――が済んだら、このちゃんに振込先を伝えておくれ。それとも、現金取っ払いがお好みかな?」

「お手本みたいな〝大人の対応〟だね。どのみち耳障りなは止めなきゃならないし、〝棚から牡丹餅〟を断る理由もないさ。照ちゃん、臨時収入で熱海温泉に行こうよ」

「……気に食わねェ野郎に手のひらの上で転がされたみたいで釈然としねーがな……」


 喜色満面で「商談成立」と囁く樋口に上下屋敷は鳥肌が立つ思いであったが、寅之助も述べたように〝暴君〟の提案へ頷かざるを得ない状況なのだ。


「向こう見ずな思い切りの良さは若者の特権だろう? 責任は私が持ってあげるから、元気良くやっちまってくれ。、派手なほうが大衆も納得し易いってモンさ」

「さっきから何をコソコソやってやがんだァッ⁉ 代表アタマが出張るってコトは『武運崩龍ブラックホール』と『天叢雲アメノムラクモ』の全面戦争だと思って構わねーなァッ⁉ 上等だぜ!」

「……アホも大概にしとけよっ! 口を開くたび自分てめー総長アタマが『天叢雲アメノムラクモ』のリングから引き離されるってコト、いい加減に自覚しやがれっ!」


 上下屋敷が舌打ちを止められないのは当然であろう。今から起きる〝何か〟を情報工作で揉み消すと、樋口郁郎はこの上なく愉しそうな声色で仄めかしたのだ。今すぐにでも耳を洗いたいという衝動が彼女の全身を駆け抜けていった。

 〝暗愚な大衆〟など意のままに操れると言わんばかりの傲慢な振る舞いは、格闘技という〝文化〟そのものへの冒涜である――このように義憤を燃やす人間が『E・Gイラプション・ゲーム』には多く、こそが『天叢雲アメノムラクモ』に対する敵愾心を生み出しているのだ。言わずもがな、上下屋敷照代もその一人であった。

 情報戦に長けた樋口が『E・Gイラプション・ゲーム』に渦巻く憤怒いかりの根幹を把握していないわけがない。その上で同団体の所属選手を『天叢雲アメノムラクモ』の為に利用せんと目論んだのである。上下屋敷のなかで憎悪が膨らまないはずもなく、隠蔽工作が不可能となるよう誰かが命を落とすまで暴れてやろうかと、一瞬ながら本気で考えてしまった。

 少しばかり離れた位置で樋口郁郎の横顔を見据えていた麦泉も、かつてないほど険しい表情かおとなっている。

 耳打ちにも近い密談であった為、三人の声は麦泉まで届かなかったが、新人選手ルーキーを不祥事に追い込んだ青年と、希更・バロッサを襲撃した『E・Gイラプション・ゲーム』の選手という取り扱いを誤ればを負い兼ねない者たちに〝暴君〟が吹き込んだ内容は、問いただすまでもなく分かってしまうのだ。

 脳内あたまのなかで捏ね繰り回している悪だくみはおおよその察しが付く――それほどまでに樋口郁郎との付き合いは長く、だからこそ麦泉は全身を怒りで震わせていた。

 主として外部からの侵入者を防ぐべく場内に配置された警備員を〝内輪揉め〟の範疇に含まれる乱闘騒ぎへ差し向けることが難しいのであれば、『八雲道場』が雇った身辺警護ボディーガードと、その加勢に駆け付けた者たちへ事態の収拾を委ねるしかあるまいが、は競技団体の代表にとって禁忌の一手であろう。

 格闘技はスポーツであって暴力ではない――その大前提を代表自らが否定したのだ。

 『昭和』と呼ばれた時代を代表する漫画原作者であり、精神論に基づく〝シゴキ〟という形で現代に悪しき影響を及ぼし続ける〝スポ根〟ブームの火付け役――くにたちいちばんは、分野こそ違えども樋口郁郎の師匠に当たる。

 ヴァルチャーマスクとの提携タイアップなど日本格闘技界と深く結び付いた国舘は、興行イベントの開催内容を左右するほどの圧倒的な影響力を掌握にぎっていた。それは〝剛腕〟の一言で片付けられるものではなく、確執が生じた鬼貫道明を密室に軟禁し、交流のあった指定暴力団ヤクザの構成員を背後に並べて威圧するという一大事件を起こしている。

 高度経済成長期を支えた情熱の残滓の如き夕陽と共に〝古き良き時代〟として持てはやされることが多い『昭和』は、大衆文化ひいては娯楽の振興にいてさえ暴力と密接に結び付く弱肉強食の世界であった。

 社会や経済が隆盛していく〝裏〟で、これを促す為の〝必要悪〟は間違いなく存在していた。歴史書に記されることは少ないが、戦後日本を発展に導いた様々な事業へ反対の声を挙げた人々も暴力によって押し退けられた。

 『昭和』と呼ばれた時代では何ら珍しいものではないという事実をもってしても、傍若無人の振る舞いは許されるはずがない。法律さえも踏み破る数々の暴挙が白日の下に晒された為、一度は〝表〟の社会から抹殺されたのだ。

 その復権に尽力したのが最後の弟子――樋口郁郎であった。最愛の師匠が晩節を汚すことになった経緯を誰よりも熟知していながら、剥き出しの暴力によって〝白〟を〝黒〟に変えてしまうという禁忌の一手を受け継いだのである。

 あるいは弱肉強食の『昭和』を終われなかった人間の哀しい残照でもあろうが、そのような感傷を『NSB』と『ハルトマン・プロダクツ』が酌量するはずもあるまい。成果を示すかのように秘書のに片目を瞑って見せている場合ではないのだ。

 樋口が仕掛けたのは、地響きの如き威嚇すら幼児こども遊戯おあそびと感じてしまう凶行である。

 久方振りの帰国にも関わらず、日本MMAのを目の当たりにすることとなったヴァルチャーマスクに対して、麦泉は今すぐに額づいて詫びたい気持ちだった。

 脇目など有り得ない状況の為、特等VIP席を窺うことさえ叶わないが、今はプロレスマスクを被っていないその顔が失望の色に染まっていたなら、麦泉は主催企業サムライ・アスレチックスける在り方まで見失い兼ねなかった。日本に総合格闘技MMAという〝スポーツ文化〟を花開かせるべく己の敗北をも生け贄として捧げた大恩人ヴァルチャーマスクへの裏切りにも等しいのだ。


「……総合格闘技MMAを殺すのは、一体、〝誰〟なんだ……⁉」


 信じ難いものを目にしたような表情かおかぶりを振り続ける木村レフェリーも、おそらくは同じようなことを考えていたのであろう。その呟きは麦泉の心に一等重くし掛かった。


「……ブッ殺せ」


 感情的に喚き散らすのみであった恭路のダミ声は、暴走族チームの仲間にとってさえ既に雑音でしかなく、戦局に与える影響も微少である。だが、ここに至るまで押し黙ったまま憤怒を燃えたぎらせてきた男の一言は、そこに宿った力が違う。

 『武運崩龍ブラックホール』の特攻隊長が風を斬り裂きながら支柱ポールを縦一文字に振り下ろし、攻撃命令を発した途端に状況が一変したのである。恭路が物騒なことを口走ったときには反応すらしなかった暴走族チームの構成員メンバーが地響きを止め、次いで間合いを詰め始めた。

 あたかも血に餓えた猛獣たちが一斉に解き放たれたかのような場景である。


「キリーからは絶対手ェ出すなよ。お前はまだまだこれからなんだ。将来までひっくるめて養父とうちゃんが守ってやる。未稲は――つか、未稲は何でここに居るんだよ? 元の席に居れば危ねェ目に遭わなくて済んだろ。アホな出しゃばりまでは面倒見れねェぞ」

「お父さんにだけは言われたくないんだよなぁっ! ここを無事に切り抜けられたら、試合中にどれだけアホやってたか、大反省会だからねっ!」


 上下屋敷は言うに及ばず、張り詰めた空気すら愉悦に換えてしまえる享楽家の寅之助までもが薄笑いを消して竹刀をせいがんに構え直した。岳と筑摩もまた守るべき二人を覆い隠すようにそびえる壁と化した。

 もはや、ここは総合格闘技MMA興行イベント会場などではなく、抜き身の暴力が命を壊し合う戦場である――冷たい戦慄が場内の〝全て〟を凍り付かせ、無責任に乱闘を煽っていた声までもが沈黙の中に沈んでいった。


「――の音色でラテンの血が騒いだから駆け付けてみれば、最高に面白そうなコトが始まってるじゃないの! お祭り騒ぎはオレにも声を掛けてくれなくちゃ! 何せカーニバルの国からやって来た男だよ、オレ!」


 場内の隅々にまで素っ頓狂な声が響き渡ったのは、今まさに張り詰めた空気が大爆発を起こさんとする寸前のことであった。

 混沌の渦中に中世ヨーロッパの騎士を上回るが落とされたようなものであり、五〇〇〇を超える視線が声のした方角へ――一階・南側の壁際へ一斉に集束していく。


「ど、ど、どこのどいつだァッ⁉ おとこの喧嘩を邪魔するヤツは馬に蹴られてブッ飛ばされたトコを更にオレが轢き殺してやるァァァッ!」


 寅之助と上下屋敷に飛び掛からんとしていた恭路は、出鼻を挫かれた拍子に顔面から床に突っ込んでしまった。鼻血を噴きつつ起き上がると、一等喧しいダミ声を引き摺りながら仲間たちが振り返ったほうを睨ね付けたのだが、そこに見つけた人物によって憤激を驚愕で塗り替えられ、大きく口を開け広げながら立ち尽くすばかりとなってしまった。

 果たして、数多の視線を抱き留めるような恰好で立っていたのは、本来ならばこの場に居合わせるはずのない男――レオニダス・ドス・サントス・タファレルであった。

 場内の誰もが格闘競技とは真逆の事態に全神経を注いでいた為、姿を現わしたことにも気付かなかったのだが、各種セレモニーを実施する為の特設ステージから『天叢雲アメノムラクモ』が誇る花形選手スーパースターが大音声でもって割り込んできたのである。

 船首の一部分のみであるが、海賊船を模した大掛かりなステージは、前身団体バイオスピリッツの頃から日本MMAに君臨し続ける絶対王者――『かいおう』とも畏怖されるゴーザフォス・シーグルズルソンの玉座でもあった。

 家族に不幸があった為、前回の長野興行を含む二大会を欠場していたアイスランドの巨人にとっては復活の舞台でもある。岩手興行の〝目玉〟とするべく樋口郁郎によって仕掛けられた〝演出〟なのだ。ヴァイキングの奥義をもってして日本のMMAの頂点に立ったからこそ、『天叢雲アメノムラクモ』の絶対王者には『かいおう』なる異称が付けられたのである。

 その『かいおう』の玉座を狙うレオニダスは、岩手興行で第九試合セミファイナルを担当することになっている。故郷ブラジルを熱狂の渦に巻き込んでいるサッカーワールドカップの観戦よりも優先させた活躍の場を乱闘騒ぎで台無しにされては叶わないということなのだろうか。

 本人にただせる状況でもなく、その真意は他の誰にも判らないが、いずれにしても思わぬ救世主が現れたことは間違いない。

 尤も、救世主と呼ぶことを躊躇ってしまう珍妙な出で立ちだ。芸能人タレントと格闘家のどちらが〝本業〟なのか、境界線も定かではないレオニダスは〝キャラクターの強さ〟をえて強調しており、巨大なアフロをヘアバンドで持ち上げた姿はブロッコリーにも見える。

 虹色の模様が染め抜かれたズボンは表面にはラメ加工が施してあり、照明を跳ね返すとミラーボールのように毒々しく煌めくのだ。開会式オープニングセレモニーから一度も着替えていない様子であるが、観客が自分に注目するよう全身でアピールしているのだろう。

 救世主の佇まいということであれば、『かいおう』のほうが近いように思える。現在いまはレオニダスが独り占めしている玉座に現れたとき、アイスランドの巨人はヴェールの如く白銀のローブを被り、神話の時代から訪れた聖者の如き気配を漂わせていたのである。

 改めてつまびらかとするまでもあるまいが、MMAの花形選手スーパースターだけに〝戦士としての肉体〟は〝地球史上最強の生物〟とまで恐れられる『かいおう』に勝るとも劣らない。剥き出しの上半身は剽悍という二字を体現しているかのようであった。

 それ故に格闘技を愛する人々は、レオニダスのことを〝タレント気取りの紛い物〟などと侮らず、期待と羨望の眼差しをもって迎えるのだった。

 逞しい胸板からヘソに掛けて蜘蛛の巣を象ったタトゥーを刻んでいる。一番のこだわりであろうか、左胸の辺りには糸に絡まって身動きの取れなくなった蝶が描かれていた。


「リオを想い出せば分かり易いけど、〝謝肉祭〟といったら、やっぱり思い切りの良い乱痴気騒ぎでなくっちゃな~。今、の目の前で起きているコレこそ最高の祭り騒ぎだもんよ~。呼んで貰えないと寂しいぜェ~」


 観客の注意がキリサメから自分に移ったことを見て取ったレオニダスは、おもむろに右腕を持ち上げ、次いで握り拳を作り、天を示すかのようにして人差し指を立てた。天啓の如く〝謝肉祭〟と口にしたのは、その瞬間のことだ。

 芝居がかった振る舞いは一瞬にして人々の心を掴み、我を忘れて荒れ狂っていた暴走族チームでさえも、現在いまはレオニダスただ一人を見つめている。

 生来のスター性であろう。マイクを使わずとも場内の隅々まで行き届く声量であったから注目を集めたわけではない。レオニダスの発する声は心地良く耳に染み込むのだ。

奇抜な衣装さえ埋もれてしまう雑踏の中で〝何か〟を小さく呟いたとしても、レオニダスの声だけは聞き分けられるだろう。

 その上、垂直に立てた右の人差し指に五〇〇〇を超える視線を惹き付けている。外見を除いて大仰なパフォーマンスを試みたわけでもなく、ただ腕を突き上げただけで大勢の人間が魅せられてしまうのだ。このような芸当は『かいおう』にすら不可能であろう。

 右腕を下ろした後も人々の視線は決して離れない。海賊船という名の玉座を降りたレオニダスは、〝全て〟の眼差しを引き連れながら崩壊したリングの残骸が散乱している会場中央へと向かっていった。そのさまはまさしくトップスターである。

 激突寸前に虚を衝かれ、勢いまで断ち切られた恰好だが、彼が足を向ける先では依然として暴走族チームが寅之助や上下屋敷と対峙し続けている。良くも悪くも誰より目立つ恭路の前で歩みを止めたレオニダスは、まるで親友と接するかのように明るく笑い掛けた。


「キミたちが売ろうとしている喧嘩、オレに譲っちゃくれないかい? ジョーワタの仇討ちはこのオレ! レオニダス・ドス・サントス・タファレルが引き受けてあげよう!」

「な、何ィッ⁉」


 恭路の発した素っ頓狂な声と入り混じるようにして天井に跳ね返った鈍い音には、暴走族チームの驚愕が表れている。レオニダスの提案が鼓膜を打った瞬間、特攻隊長が凶器の代わりとして担いでいた支柱ポールを取り落としてしまったのだ。

 彼らの返事を待たないまま寅之助と上下屋敷のほうに振り返ったレオニダスは、肩を並べて立つ二人の間におどけた調子で割り込み、小気味好い鼻歌を引き摺りながらをすり抜けていく。

 八雲岳と筑摩依枝に対しては、二人の頭上を越えるようにして高く飛び跳ね、次いで派手な宙返りを披露しつつキリサメの背後に降り立った。

 予想外としか表しようのない展開に面食らい、やや反応が遅れてキリサメと未稲が振り向くと、今度は二人と目線の高さを合わせながら愉快そうに片目を瞑り、茶目っ気たっぷりに舌まで出して見せた。

 顎の端まで先が届くほど長い舌にもタトゥーが刻まれていたが、丸みを帯びた輪郭からしてブラジルに生息するタランチュラの一種であろう。この種に分類される蜘蛛は神経を冒す猛毒を持っており、咬まれた人間は狂わんばかりの幻覚に苦しみ抜いて絶命すると、隣国ペルーで生まれ育ったキリサメも聞いたおぼえがある。

 舌のタトゥーは毒蜘蛛の牙にも等しかったのか、を瞳の中央に捉えた瞬間、キリサメも脳の働きが石の如く固まり、指先一つまで動かなくなってしまった。

 尤も、タランチュラが体内に致死性の神経毒を蓄えているというのは、中世の伝承に基づいた誤解に過ぎない。それにも関わらず、キリサメのあたまには数世紀を超えて広まった迷信が刷り込まれていたのだ。彼と同様の反応を示す人間は少なくあるまい。

 神経毒という実際にはありもしない幻覚に翻弄される人々を笑い飛ばす為、〝毒蜘蛛タランチュラ伝説〟のタトゥーを舌に刻んだのかも知れない。


「キリサメ・アマカザリ、『ブラザー』と呼ばせてもらえないかい? オレたち、きっと気が合うと思うぜ!」

「……ブ……ラザー?」


 先程とは異なる形で脳が痺れてしまったキリサメの肩を両手でもって馴れ馴れしく撫で回したのち、レオニダスは『ブラザー』と真っ白な歯を見せて笑った。

 〝毒蜘蛛タランチュラ伝説〟の幻覚はともかくとして、この一幕のみを切り取れば〝少年チコ〟の愛称ニックネームでキリサメを呼び、『天叢雲アメノムラクモ』の仲間として迎え入れたアンヘロ・オリバーレスと同じように新人選手ルーキーへ友好的に接する〝先輩〟選手としか見えないが、レオニダスは恭路たちに向かって城渡マッチの仇討ちを代行すると約束したのである。

 それは事実上の宣戦布告であった。

 『かいおう』の玉座を狙う地位にるレオニダスが悪質な危険行為で反則負けとなったばかりのキリサメに挑戦状を叩き付けたのだ。

 〝プロ〟にはあるまじき敗因を差し引いても〝優待客〟との同行を特典とする公式オフィシャル観戦ツアーのプランが過去最速で売り切れる花形選手スーパースターと、岩手興行でデビュー戦を迎えたばかりという新人選手ルーキーの対戦など主催企業サムライ・アスレチックスが認めるはずもないのである。

 当然ながら会場内はどよめきで埋め尽くされ、至近距離で聞かされた未稲などは、自分の鼻から丸メガネが滑り落ちたことにも気付かず茫然と固まり続けている。


「個性って言葉を履き違えているとしか思えないアフロ君、タレント活動の片手間っていう典型的な『客寄せパンダ』かと思ったけど、見た目に反して〝本業〟もきっちりこなすタイプかい。テレビで観るたびに胡散臭そうだったのに意外だなぁ~」

「バカ言え、レオニダスだぞ。格闘技雑誌パンチアウト・マガジンの人気投票でも『かいおう』を押さえて一番人気。アマカザリのほうから喧嘩を売るのも身の程知らずってブッ叩かれそうなのに、その逆なんてぶっちゃけ有り得ね~んだよ。竹刀の振り方をおぼえたばかりの新米にみやざきまさひろが果たし状を送り付けようとしたら、周囲まわりが全力で止めんだろ」

「アフロさんとアマカザリさんの場合、格闘家の経歴キャリアから読み解くと照代さんが仰った意味が理解わかり易いかも知れませんねぇ。経験の差は読んで字の如く命取りになりますから」

「ボクもサトさんも、気配り上手の恋人カノジョを持って果報者だよ」


 辛うじてリングの残骸に埋まらなかった丸メガネを拾い上げ、未稲の鼻に掛け直してやりながら、上下屋敷は眼前で起きた事態への理解を促すであろう一例を寅之助に示した。

 彼女が例に挙げ、寅之助が敬意を表すように一礼した『みやざきまさひろ』とは、全日本剣道選手権大会で六度もの優勝を果たした現代の〝剣豪〟である。これは二〇一四年六月現在にいて空前絶後の大記録であり、その愛弟子も同大会で連覇を成し遂げていた。

 格下の選手が番狂わせジャイアントキリングを狙って遥かに上位の選手へ挑戦するケースは格闘技興行イベントでも少なくないが、今回は正反対なのだ。絶対王者との決戦が待望される花形選手スーパースターが格付けしようもない人間に試合を求めるなど上下屋敷が述べた通りに前代未聞であった。

 筑摩も二人に歩み寄りながら補足説明を言い添えたが、実力の差が絶望的に開いている試合は『ワンサイドゲーム』とも呼び難い〝なぶり殺し〟となり得る。一部の球技であったなら、審判員が『コールドゲーム』を宣言し、が、〝格闘競技〟ではテクニカルノックアウトを待たずに致命傷を負わされてしまうのだ。

 キリサメと城渡が繰り広げた第一試合を振り返るまでもなく、指貫オープン・フィンガーグローブを嵌め始めて日が浅い未熟者からすれば、経験に裏打ちされた総合格闘技術など防御も回避も不可能である。花形選手レオニダスの宣戦布告は、安全の確保というMMAルールの大前提そのものへの挑戦にも等しいのだった。


「普通の選手、正常まともな試合なら二人が話したような事態コトになるだろうけどさ、何しろ相手はサメちゃんだよ? ヤバい目に遭えば遭うほど反対に――」


 三人の会話がレオニダスの耳に届いていないはずもない。る予想を呟いた寅之助に握り拳を突き出し、享楽家の共感を引き出すような笑顔と共に親指を垂直に立てて見せた。


「タ、タファレル選手は確か『ファヴェーラ』の出身――でしたよね? ヤンチャな方々を宥めるのもお手の物というコトでしょうか? いえ、ブラジルの皆さんには私、友好的フレンドリー陽気ハッピー印象イメージしか持っていないのですけど……」


 他の人々と同様に仲原アナも混乱した調子で的外れなことを口走っている。

 『ファヴェーラ』とはブラジルに於ける貧民街スラム――即ち、ペルーにとっての『バリアーダス』と同義であると、キリサメもかつて聞いたおぼえがあった。

 高級リゾート地を見下ろす丘陵地帯に貧困層の掘っ立て小屋がへばり付くという都市部の景色も、『ファヴェーラ』と呼ばれる土地の大半が不法占拠されている事実も、リマと大きくは変わらない――と、亡き母が教えてくれたのだ。

 強盗や殺人などの凶悪事件がまかり通るほど治安が悪く、銃犯罪の温床にもなっている。麻薬カルテルの巣窟でもある為か、警察でさえ迂闊に立ち入れない区域が多いという。

 隣国ブラジルの『ファヴェーラ』と故郷ペルーの『バリアーダス』は、同質の貧民街スラムであろうとキリサメは今日まで考えてきた。だからこそ、の小奇麗な姿に四ヶ月前までの自分を重ねることは難しかった。少なくとも、似たような生い立ちとは思えない。

 この場にいてレオニダスは祖国ブラジルの公用語であるポルトガル語を一度も使っていない。テレビのバラエティー番組へ出演したときと同じように流暢な日本語で喋っているのだ。

 言語ことばを自由自在に操ることは、教養のある人間にしか出来ないことであった。そして、相応の教育を受けるには費用カネが欠かせない。そのような〝表〟の社会の恩恵を受けられないくらいに困窮していればこそ、〝貧しき者〟は非合法街区の掘っ立て小屋まで追いやられてしまうのである。

 キリサメは両親が日本人であり、母が亡くなるまで日常会話に用いていたから日本語を習得できたようなものである。〝戦争の時代〟に一度は引き裂かれてしまったが、日秘の交流は歴史が深く、神輿や盆踊りの再現など〝日系文化〟の催し物も少なくなかった。

 生活に不可欠なものでなければ、〝外国の言語ことば〟というなどキリサメは興味すら持たなかったはずである。日本語を全く話さない日系人も多く、亡き母の私塾でこれを学んでいた幼馴染みのも堪能とは言い難かったのである。


「マットってコパカバーナの波みたいにウネウネするもんなんだな! いっそ爽快なくらいブッ壊れたリングは、さしずめ〝謝肉祭の皿〟ってところかァ~!」


 仲原アナが述べたようにブラジル出身うまれ為人ひととなりなのか、レオニダスという男性は異常なほど自己主張の強い風貌と同様に言行も落ち着きがない。目を丸くしたまま立ち尽くすキリサメに背を向けると、土台から潰れてしまったリングに飛び上がり、破壊の影響によって隆起したマットへと腰を下ろした。

 城渡を冥府に葬送おく死神スーパイと化していたキリサメはまぶたを完全に開いた双眸から血の涙を撒き散らし、マット全体を覆うシートに英字で刷り込まれたMMAの正称をも穢している。

 『プロフェッショナル・ミクスド・マーシャル・アーツ』――が〝プロ〟として貫くべき信念モノを左右の人差し指でもって示したレオニダスは、これを成し遂げられるとは思えなくなったリングの有りさまを〝謝肉祭の皿〟と言い表した。


「……無知を晒すようですが、ブラジルには〝カルナバル〟――〝謝肉祭〟に皿を叩き割る風習があるのですか? 隣国となり出身うまれですが、正直なところ、サンバのパレードと山車だしくらいしか想像イメージできないもので……」


 〝謝肉祭の皿〟という独特の言い回しに対し、岳は「焼肉屋の広告か?」と小首を傾げたが、その傍らに立つ養子キリサメはレオニダスが言わんとしている意味を限りなく正確に近い形で読み取っていた。

 あるいはブラジルの隣国で生まれ育ったキリサメだからこそ、〝謝肉祭の皿〟という耳慣れない言葉から同地の風習ではないかという推察まで発展させられたのかも知れない。


「日本で学んだ〝び〟にたとえりゃブラザーにも理解わかるかなぁ。〝カルナヴァウ〟の翌朝は町中に割れた皿が散乱していて、あんなに物悲しい景色はないねぇ」

「……故郷ペルーの〝謝肉祭〟では他人ひとに水を引っ掛ける風習があります。いきなり顔面に浴びせて怯ませるような強盗犯罪にも利用されるので、近頃は規制されつつありますが……」

「風習じゃなくて風情のハナシだぜ、は。分かる? 詩的ポエミーってヤツ。割れた皿は単純にどんちゃん騒ぎの成れの果て。マナー違反のゴミってだけなんだぜ? ブラザー、人生で一番付けられた愛称ニックネームはひょっとして『朴念仁』なんじゃない?」

「……会う人会う人に言われているのは、間違いありません……」

大当たりビッグヒット! やっぱりオレたちゃ以心伝心! 魂を分け合ったブラザーじゃ~ん?」


 〝謝肉祭〟はキリサメが生まれた故郷ペルーの公用語であるスペイン語では『カルナバル』、隣国ブラジルにて広く用いられているポルトガル語で『カルナヴァウ』とそれぞれ発音する。祖国にける呼び方を披露したレオニダスは「聞き逃すことなく〝謝肉祭〟を拾ってくれるブラザーが好きだぜ!」と桁外れに豊かなアフロを揺らすようにして笑った。

 つまるところ、伝わるだろうと確信して送った一種の信号というわけである。尤も、『ブラザー』と馴れ馴れしく呼ばれている新人選手ルーキーは前後の脈絡なく〝謝肉祭〟を例に引いた花形選手スーパースターの真意を掴み兼ね、眉根を寄せるばかりであった。

 国境を接したペルーとブラジルの共通点を見つけようとしたのかも知れないが、片側キリサメの咀嚼が追い付かないくらい突飛な発想なのだ。

 それと同時にに囲まれた状況にいては、余人に気付かせない秘密の〝符丁〟として有効であることも理解していた。

 キリサメ自身はこの世に生まれ落ちてから神など一度も信じたことはないが、ペルーもブラジルも、キリスト教が広く信仰される国家くにである。キリサメが育ったリマの非合法街区バリアーダスに面するサン・クリストバルの丘の頂上うえには巨大な十字架が立てられており、これは「主を背負う者」の名を持つ旅人の守護聖人の象徴であった。

 これに対してレオニダスの故郷であるリオデジャネイロは、灼熱の太陽によって輝き、その底に果てしなき〝闇〟を生み出す街並みをコルコバードの丘の頂上うえに立つキリスト像が静かに見守っていた。

 先ほど思い浮かべた『へいものがたり』では、平安時代末期を生きたまつ殿どのしげもりを通して儒教に基づく理念が描かれていたが、と比べてもキリスト教のほうが理解は深い。それ故にキリサメは〝謝肉祭の皿〟というレオニダスの言葉から真っ先にを連想したのだ。


「私なりの想像っていうか、な妄想に近いんですけど、壊れてしまったリングを〝謝肉祭〟のご馳走を盛り付けた皿に見立てるってコトは、タファレルさんとの試合はキリくんの〝復活祭〟――そう仰りたいんですか?」


 キリサメ当人に成り代わって〝謝肉祭〟の本質を紐解いたのは、彼の身を支えながらレオニダスの様子を窺う未稲であった。

 己が言わんとした内容こと隣国ペルー生まれの〝ブラザー〟ではなく日本人の少女が過不足なくした事実にレオニダスは目を丸くしながら口笛を吹いた。これはキリサメにも意外としか表しようがなく、どこで学んだのかを目配せでもってたずねると、未稲は「サブカル趣味やってると、自然とに詳しくなっちゃうの」と照れ臭そうに頬を掻いた。

 未稲の実父である岳は〝謝肉祭の皿〟に「焼肉屋の広告」という率直極まりない感想を述べていたが、キリスト教の文化と深く関わる機会のない人間の反応としては、ごく自然と言うべきであろう。


「何だぁ? 復活祭ぃ? 無駄にスケールのデカい話になってねェか? おめーらが話してんのはカーニバルだろ? 浅草でも――寅の地元でも毎年八月に本場リオみてーなサンバパレードやってるぜ。オレ、一度も誘われたコトがね~けど」

「祭り騒ぎが大好物な電ちゃんはともかく、あんまり騒がしいイベントはボクの趣味に合わないって照ちゃんは知ってるでしょ。どうせ踊り狂うなら二人きりのときにしようよ」


 俗に『リオのカーニバル』と呼ばれる世界最大のサンバの祭典が最たる例だが、同時期には各国で華やかな催し物イベントが執り行われる為、『カーニバル』という言葉が乱痴気騒ぎの俗称として刷り込まれている人間も少なくない。

 ブラジル以外でもイタリアの仮面舞踏会マスカレードなどが有名であるが、ペルーの仮装行列パレードも盛大であり、キリサメが〝地球の裏側〟から旅立とうとしていた二月半ばには首都リマの表通りにも花飾りが施され、種々様々な衣装や被り物が各所あちこちで虫干しされていた。〝謝肉祭カルナバル〟を控えた時期には、ダンスの練習に励む人々が街角に溢れ返るのだ。

 しかし、カーニバル――〝謝肉祭〟とは、そもそもキリスト教にいて意義の深いものであり、復活祭イースターへと至る道筋を前提としている為、ときに倫理や道徳さえも弾け飛んでしまう狂騒の宴だけが独立しているわけではない。

 復活祭イースターを迎える四〇日前――日曜日を除いて割り出した日数――は豪華な食事や娯楽を控え、祈りや奉仕の精神をもって人類の罪を背負った〝主〟の受難に寄り添わんとする。

 新約聖書にける『マルコの福音書』などに記された伝承によれば〝主〟は食を断ったまま荒野で四〇日を過ごしたとされている。

 信仰の在り方を自らの心に問い掛ける風習もまた伝統の一種ひとつであり、〝謝肉祭〟という言葉も本来は「肉食との別離」といった意味を持っているのだが、現代に至って四〇日という物静かな期間を過ぎ越す為の〝狂宴〟へと変貌していった次第である。

 レオニダスはリングが潰れてしまった現在いまの『天叢雲アメノムラクモ』と、キリスト教の伝統に基づく〝謝肉祭〟を重ねたわけだ。観客までもが狂乱の渦に巻き込まれてしまった点は『リオのカーニバル』さながらの狂態と言えなくもないが、こじつけるのは甚だ無理があった。

 報復という名の凶行に及ばんとした御剣恭路たち暴走族チームなどは、ブラジルという国家くにの隅々まで熱狂させるようなサンバの祭典ではなく、幾万もの怒りが一個の巨大な塊と化した故郷ペルーの反政府デモ――『七月の動乱』に近いのだ。重なって思えるどころか、正反対と言うべきであろう。

 そもそも『天叢雲アメノムラクモ』の興行イベントは二、三ヶ月に一度という間隔ペースで開催されている為、節制の四〇日を経て迎える復活祭イースターとも合致しないのだ。レオニダスも同郷ブラジルの人々のようにキリスト教の信仰を胸に秘めているはずだが、それにも関わらず背徳とそしられても不思議ではない形で祭礼のり方を弄ばんとする理由をキリサメは掴み兼ねていた。


「野暮を承知の上で口を挟むのですけれど、復活祭イースターを持ち出すには時期外れが過ぎるのではありませんか? 現在いまはもう六月ですよ? 季節の巡り方が全然違うので、お生まれになった南半球と日本がる北半球がごちゃ混ぜになった可能性も否めませんが……」

「そうそれ! 依枝さん、私が入れたかったツッコミを代わってくれてありがとう! キリくんを評価して貰えるのは家族としても素直にお礼を言わなきゃですけど、天罰がブチ当たりそうなコトに巻き込むつもりでしたら話は別ですよっ」

「な~んかトンが利いたコトをブチかまして巻き返したいんだが、現代に復活した中世の騎士ナイトっつ~絵面一発で、もう何をしたって敵わね~んだよなぁ。世界中の誰よりもキラめいていたいオレの前で〝飛び道具〟みたいなカッ、ズルいったらありゃしないぜ~!」

「ツッコむの、そこ⁉ 斜め上過ぎて私のメガネも吹き飛びますよっ」


 未稲を追い掛けるようにして復活祭イースターに言及したのは筑摩依枝である。

 およそ一ヶ月半前に開催された甲冑格闘技アーマードバトルの世界大会に日本代表の一員として出場し、〝主〟への祈りと共に生きる人々との交流を通して学んだことである為、記憶違いが多々あるかも知れないと謙虚に前置きしていたが、極めて正確に近かったことは両足の裏を打ち鳴らして喜ぶというレオニダスの反応からも瞭然であろう。

 その筑摩が訝るような声色で述べた通り、二〇一四年の復活祭イースターは四月半ばに終わってしまっているのだ。その四十日前に執り行われる〝謝肉祭〟については、わざわざつまびらかとする必要もあるまい。

 本来ならば挑戦権など認められるはずもない花形選手スーパースターとの試合を新人選手ルーキーの汚名返上の機会――即ち、復活祭イースターに見立てるという発想は、当のキリサメが神への冒涜を真っ先に危惧した通り、ありとあらゆる理由で成り立たないのであった。


「か、勝手なコトばっか言うんじゃねぇよッ! ケジメはオレたち自身の手で――」

「――今のは冗談ではないのですね? それは対戦交渉と考えてよろしいのですね?」


 取り落としてしまったチェーンを再び拾うことも忘れ、神経毒に冒されたとしか思えない足取りでリングに近寄っていく御剣恭路のダミ声を遮ってレオニダスと対峙したのは、険しい表情かおで成り行きを注視してきた麦泉である。

 『八雲道場』に所属する選手のマネジメントを担当する者としても、『天叢雲アメノムラクモ』を主催してきた『サムライ・アスレチックス』の一員としても、度を越した挑発は看過できるものではない。花形選手スーパースターという〝立場〟を失念したとしか思えない軽挙妄動でもある為、不調法と弁えつつも正気を疑うような眼差しをレオニダスに向けてしまうわけだ。


「怖い顔しなさんなって。悪いようにはしねぇからさ。日本の昔話に〝打ち出の小槌〟とかいうのが出てくるっしょ? それがオレ! どんな風に振っても必ず主催企業あんたらにカネを生んでやっからさぁ。どうせ振るからには最高に光り輝く舞台ステージを整えたいじゃんよ~」


 突き刺すような眼光をレオニダスは軽い調子で笑い飛ばし、涼しげに受け止めている。

 己の提案が『天叢雲アメノムラクモ』の興行イベントに及ぼす重大な影響に全く無自覚なのか、主催企業サムライ・アスレチックスの過剰な反応までも計算に含めているのか――レオニダスの腹の底が掴めない麦泉は、ほぞを嚙む思いであった。

 何しろ花形選手スーパースターは所属団体の興行収入をも左右してしまう自らの〝立場〟を安売りしようとしているのだ。〝サッカー王国〟の出身うまれでありながら、故郷ブラジルで開催されているワールドカップよりも岩手興行を優先させた判断とも矛盾しており、その場の思い付きで自身の経歴キャリアを傷付けているように思えてならなかった。


「ブラザーは貧民街スラムの出身だって聞いてるけど、それは間違いなかったよな?」

「……ええ、まあ……」

「生まれた国は違うがよ、オレたちの出発点スタートラインは一緒ってワケだ。ペルーとブラジル、どちらの地獄がより悲惨だと思う? オレが生まれ落ちた貧民街ファヴェーラひでェもんだぜ。まァ、その貧民街ファヴェーラも〝平和の祭典〟に世界中の皆様をお招きするってんで次から次へとされてんだけどな。トンズラ成功してなきゃ、オレもみっともねェ目に遭わされてたハズだぜ」

「……比べるものでもないと思います。大体、貧民街スラムはどこも大して変わらないかと」

「生存闘争の絶望感ってモンは、ヤバけりゃヤバいほど人間はよりしぶとく、より強くなれる――それはブラザーも実感してるだろ。だってが生きてきたのは、微温ぬるまに浸かって居眠りできる甘っちょろい環境の正反対なんだからよ」

「……それは……」

「本物の地獄を味わったのはどっちか? 最後に生き残るのはどっちなのか? オレはそれに興味ビンビンなんだよなぁ~。も同じ気持ちじゃね~かい?」


 格差社会の最下層を汚泥どろと罪にまみれて這い回るという生い立ちをキリサメ本人に確かめたのち新人選手ルーキー花形選手スーパースターの勝負を望むか否かとレオニダスがただした相手は、恭路たち暴走族チームであった。

 岩手興行を破綻寸前まで追い込んだ原因から報復の委託を引き出そうというわけだ。特攻隊長がほんの短くとも「叩き潰せ」という返答こたえを口にしてしまったなら、キリサメはレオニダスの挑戦へ応じないわけにはいかなくなる。

 この花形選手スーパースターはためいわくなくらい真っ直ぐな恭路たちの心根を利用して対戦拒否など許されない〝流れ〟を作り出そうと目論んでいるわけだ。首を縦に振らなければ、今度こそ流血の大乱闘に発展するだろう――と、愉快そうにキリサメを眺める瞳が語っていた。

 〝謝肉祭〟という共通の話題でもって互いの距離を縮めようとしていたはずの陽気な笑い声は、何時の間にか冷酷の二字こそ相応しい脅迫おどしに変わっていた。

 反則負けを言い渡されたのちにもキリサメへの応援を止めず、暴走族チームを迎え撃つべく客席からリングサイドに飛び出さんとしていた〝優待客〟の一部に向かってレオニダスが指を鳴らして見せると、対戦を求める声が当惑のどよめきをたちまち押し流した。


「……サッカーでいう『マリーシア』なのかな、これって……」


 天井から降り注ぐ照明ひかりを心地好さそうに浴びているレオニダスを窺いながら、未稲は背筋に悪寒のような戦慄ものを感じていた。

 日本MMAの黄金時代に〝柔術ハンター〟として名を馳せたじゃどうねいしゅうの如く独創性に富んだ闘い方を好むレオニダスは『IQファイター』とも呼ばれているが、リングを離れた場所でも智謀という名の糸で他者の自由を絡め取ることを得意としているようだ。

 花形選手スーパースターはもう一つ、『スパイダー』という異名を持っているのだが、まさしくその由来の通りであろう。人を惹き付けてやまないスター性を自覚し、これを存分に利用することで相手から主導権を奪ってしまうのである。

 逞しい胸板からヘソに掛けて刻まれた蜘蛛の巣のタトゥーには、糸に絡まって喰われる瞬間を待つのみとなった蝶が添えられている。その哀れな獲物が現在いまのキリサメだ。

 バラエティー番組で披露する屈託のない姿とは真逆のであり、それ故に頭脳で相手を翻弄するというサッカーの用語ことば――『マリーシア』が未稲の脳裏に浮かんだのである。

 奇抜な衣装は依然として照明あかりを跳ね返し、毒々しいまでに煌めき続けている。その姿はレオニダスという男のを浮き彫りにしているようであった。

 この計略マリーシアを理解できない恭路は当事者でありながら置き去りにも等しい情況となり、つい先程まで完全なる〝敵〟としてめ付けていた寅之助に助けを求めるような眼差しを向けている。

 凶悪な外見が紛い物のように思えてくる情けない視線を頬で受け止めながら、寅之助が無反応を貫くのは、敵味方に別れたという〝現実〟を突き付けるのが目的ではなく、威勢の良さまで吹き飛んだ恭路を更に追い詰めて弄ばんとする底意地の悪さであろう。


「恭路たちの喧嘩を代行するってのは本気マジなのか? 随分とキリーに興味津々みてェだけどよ、……何を考えてんだ、レオ? ラテンの血が騒いだから成り行き任せで飛び込んできたっつーのも、オレには嘘っぱちに思えてならねェんだよ」


 恭路と同様にキリサメとの対戦を望む理由が掴めずにいる岳に対して、当のレオニダスは「それを考えるのもあんたの役目だろう、統括本部長キャプテン!」と、タランチュラのタトゥーが刻まれた舌を出しておどけてみせた。


「ひょっとしてレオ、お前――最初ハナからキリー狙いだったんじゃねェだろうな?」


 八方塞がりの窮地に陥った新人選手ルーキーへ救いの手を差し伸べんとする心優しい〝先輩〟とも見える為、そのことを褒め称えるファンも多かったが、例えばアンヘロ・オリバーレスのような仲間想いと呼ぶには余りにも違和感が大きいのだ。

 人好きのする笑顔の向こうに妖気としか表しようのないモノを感じ取れないほど岳も遅鈍ではなかった。


「こんな簡単な問題を答えるのに時間掛けちゃダメだぜ、統括本部長キャプテン。面白過ぎる流れになってきたから、ここぞとばかりに便乗させて貰ったけど、予定が前倒しになっただけのコト。今夜にでもブラザーに対戦を直談判しようって決めてたよ」

「だから、そこが分かんねぇっつってんだよ! 新米ペーペーを相手にするお前のほうのメリットだって見えねぇし!」

「さっきも話したじゃん? 社会の掃き溜めにゴミ同然で放り出された者同士、どっちが〝生きること〟に餓えて生きてきたのか、そいつを試してみたいってさ。オレがブラザーとることでヤンチャな皆さんも収まりが付くんだから感謝して欲しいくらいだぜ?」


 万が一の場合には暴走族チームを押し止めるべく我が身を盾に代えていた人々を文字通りに飛び越えたときと同等の跳躍力を発揮し、リングを降りたレオニダスは、キリサメへと歩み寄りつつその肉体からだを頭頂から足の爪先さきまでねぶるように凝視していく。

 とろけるような笑顔と言い表すのが最も似つかわしいだろう。レオニダスは風変わりな玩具を前にした子どものような無邪気さで目を輝かせていた。


「ブラザーは一つ勘違いしてるぞ? それもデッケェ勘違いをな」


 ますます意味が分からずキリサメが眉根を寄せると、レオニダスは「認識の違いってヤツかもな」と口の端を吊り上げた。


貧民街ファヴェーラ出身うまれってのはタレント的な〝キャラクター〟で、ホントは富裕層イイとこのお坊ちゃんとでも思ったんだろう? やたらと日本語が上手いブラジル人なんて怪し過ぎるもんな~。日本で流行りのい例だけど、先立つモノがなけりゃあマトモな教育は受けられねェ。その辺りもブラジルとペルーで一緒だよな!」


 キリサメが呻き声を挟んで絶句してしまったのは当然であろう。〝外国の言語ことば〟という高い教養を根拠として出自を疑ったことまで完全に見破られてしまったのである。

 花形選手スーパースターの座に上り詰めたなら、超能力者エスパーさながらに他者ひとの心を覗き込めるようになるのかと、声もなく恐れおののいたくらいだ。腹を抱えて笑い始めたということは、この瞬間の動揺まで見透かされたのであろう。


も上等な服も『天叢雲アメノムラクモ』を通じて勝ち取ったモンさ。みたいな掃きだめのゴミは都会の残飯を漁って、泥水啜るしかなかったハズなのによ、今じゃ美味ェモンをたらふく食えるし、美味ェ酒だって世界が歪むまで呑んでいられる。……ブラザー、超高層ホテルに泊まったことはあるかい? 地上何百メートルが謳い文句のアレだよ」

「ありません。興味もないです」


 地上五四階という超高層ビル――赤坂のランドマークであるミッドタウン・タワーの一室に設けられたたねざきいっさくのアトリエには、試合着ユニフォームの開発過程で一度だけ赴いたが、現在いまも格差社会の最下層で苦しみ続けているであろう故郷ペルーの旧友たちを振り返り、る種の優越感に陶酔する理由はない。


「それなら今夜にでも試すべきだ。きっと〝宇宙〟が変わるぜェ。オレほどじゃねぇが、ブラザーなら見た目もバッチリ。オンナは向こうからすり寄ってくらぁ。もカネ次第なんだからよォ~」


 下卑た笑いに切り替わったレオニダスの意図もキリサメは掴み兼ねている。死の危険に晒されることのない環境ということであれば、『八雲道場』の暮らしだけで過分なほどに足りている。わざわざ他所ホテルに出向く必要性など全く感じなかった。

 この四ヶ月の間で家事は三人の持ち回りで行うことに決まった為、亡き母から教わった料理を思い出しながら自分自身が振る舞う日も、岳のに付き合わされる日もあるのだが、未稲が食事を担当する日はキリサメにとって何よりの楽しみである。

 何事にも無感情なキリサメは故郷ペルーを離れるまで大好物を考えたこともなかったが、今ならば未稲のカレーライスと即答する。比較対象に選んだことを経営者オーナーの鬼貫道明に詫びながらも、食事という幸福は異種格闘技食堂『ダイニングこん』でさえ彼女には敵わない。


「……テレビでも危うい兆候を感じましたけれど、ここまで品のない方とは……」


 レオニダスの言わんとしていることに気付いた筑摩は、ヘルムに設けられた通気穴から不愉快そうな呻き声を洩らし、真隣に立つ上下屋敷も大きな舌打ちでもってこれに続いた。


「最高のオンナを侍らせながら窓辺に立ってみなァ。最上階のVIPルームから覗き込んでみるとな、地上は真っ暗で何が何だか分からねぇんだ。……その〝闇〟のドン底で野垂れ死んで、どことも知れねぇ墓穴へ適当に放り込まれる。それならまだマシなほうで、もしかしたら野良犬の胃袋が墓穴になるかも知れねェ――星を掴もうと伸ばした手が虚しくくうを切る人生しか用意されていなかったハズのがペレやジーコみたいに眩しいスポットライトを浴びてんだ。は神サマの思し召しも超えたんだよ、ブラザー」


 思わず眉を顰めてしまうような事例をひけらかしているが、レオニダスが延々と語り続けているのは成功者の栄光であった。絶望的な貧富の格差が横たわるブラジルの貧民街ファヴェーラで渇望していた夢を己の力で叶えたという半生の回顧とも言い換えられるだろう。

 花形選手スーパースターが掴んだモノは、競技スポーツ全般に通じるのだ。頂点まで上り詰めた者には至福の人生が約束される。それまでの貧困が嘘のように思えるほど人生がする。

 見事に〝MMAドリーム〟を掴んだ貧民街ファヴェーラ生まれの青年が随一の成功者であることは、疑念を差し挟む余地もないだろう。レオニダス本人の言葉を借りるならば、日本語を流暢に喋り続けること自体が栄光の証明なのである。


「問題なのは似た者同士が『天叢雲ココ』に二人ってコト。オレとしちゃ商売上がったりなんだよ。ブラザーが目の前に立ってるだけで『貧民街から身を興したスター』ってブランドの値打ちが下がっちまう。ぶっちゃけた話、同じ路線のスターはオレ一人で十分なのよ」


 おどけた調子で笑っているが、レオニダスは今までにないほど獰悪で傲慢なかおを晒している。誰からも好かれる花形選手スーパースターには似つかわしくない言動で新人選手ルーキーを挑発していた。

 甚だ無軌道ではあるものの、貧民街スラムの〝暴力〟を解放して反則負けを喫したキリサメに強い興味を持ち、挑戦状を叩き付けた動機としては、これ以上ないくらい得心できる。

 それ故に新人選手ルーキーに対する嫌がらせ行為よりも遥かに〝ごう〟が深い。

 己の技を頼りに貧民街スラムから身を興したレオニダスだけに、似たような生い立ちから名乗りを上げた〝ブラザー〟が忌々しくてならないのかも知れない。あるいは自分自身の〝MMAドリーム〟まで蚕食されてしまうのではないかという危機感の表れであろうか。

 この花形選手スーパースターが友好的な笑顔の下に隠し持った狂気と凶暴性をかつてないほど強く感じ取った麦泉は、対戦拒否以外の選択肢を持ち得ない。

 キリサメのからすれば、芸能人タレントとしても積極的に活動し、テレビ出演を通して日本中に顔と名前が知れ渡っている花形選手スーパースターとの試合は、まさしく〝復活祭〟となり得る好機であるが、この対戦交渉には危険リスクしか潜んでいないように思えるのだ。

 レオニダスは親しまれる為人キャラクターだけで持てはやされているわけではない。打撃系のカポエイラと寝技のブラジリアン柔術――祖国ブラジルで発祥した二種ふたつの格闘技を自由自在に操り、数々の好敵手ライバルを退けることで花形選手スーパースターとして認められたのである。

 〝カポエイリスタ〟としての力量は〝空中戦〟を展開して古豪ベテランを翻弄した『ケツァールの化身』すら凌ぐのであろう跳躍力にもあらわれていた。

 しかも、『IQファイター』と謳われる智勇兼備の戦闘力がキリサメを追い詰めれば、またしてもリングの崩壊を引き起こし兼ねないのである。『天叢雲アメノムラクモ』が身贔屓さえ困難な〝爆弾〟を抱えてしまったという事実は、激痛と化して麦泉の胃を突き刺すのであった。


「試合そのものだって観客には退屈させねぇさ。オレとブラザーは似た者同士だからな。きっと相性イイと思うぜっ!」


 どれほど麦泉が焦りを募らせようとも、この場で対戦交渉マッチメイクを成立させようとするレオニダスの勢いは止められない。スターのみに備わった〝力〟は誰にも押さえられない。


「お養父とうサンとしても負け犬のままじゃ終われないっしょ? 黒星スタートも新人選手ルーキーにはありがちだけどさ、それにしたって負け方があるじゃん? 統括本部長キャプテンの目が親バカで曇ってただけで、そもそもブラザーはヘンな〝力〟に頼らなきゃ正常マトモな殴り合いもやれない臆病者チキンなのかい? いやいや、それならオレも引き下がるがねェ~」

「どさくさに紛れてキリーをコケにすんなよ、おいッ! オレがこの目で確かめたキリーの潜在能力ポテンシャルは底ナシだからな⁉ 首を洗って待ってろよ、レオ! 三ヶ月後、お前は下剋上の意味を思い知るコトになるだろうぜッ!」


 養子キリサメに成り代わってレオニダスの挑発に吼え声でもって応じた岳は、その直後に己の過失を悟り、双眸と口を信じられなほど大きく開いた。首を絞められた鶏とした表しようのない呻き声を洩らす彼と顔を見合わせた麦泉は、血の気が引いた顔で肩を落とし、ただただかぶりを振るしかない。

 キリサメの養父にして『八雲道場』の責任者でもある岳の意思表示は、対戦交渉を成立させるものであった。少なくとも、この場に居合わせた五〇〇〇人はレオニダスの要請が了承されたと受け止めるはずだ。

 それが証拠に一等大きな歓声がアリーナ全体を震わせたのである。キリサメ支持を貫いてきた〝優待客〟の男女カップルなどは翼に見立てた両手を激しく上下させて歓喜を表している。

 何もかもが花形選手スーパースターの思惑通りに進んでいた。もはや、〝復活祭〟へと至る大きな〝流れ〟が定まってしまったのだ。

 岳や麦泉が撤回を試みても状況は覆せまい。のちの格闘技史も「八雲岳が口を滑らせた瞬間にキリサメはレオニダスによる奸計マランダラージから逃れられなくなった」と記している。

 『マランダラージ』もサッカーの用語ことばであるが、それは知略を意味する『マリーシア』と比べて、競技自体を卑しめるほど邪悪な行為として忌み嫌われていた。

 その奸計マランダラージはレオニダスがタランチュラのタトゥーを披露した瞬間から始まっていた。神経を冒す毒も既にキリサメを脅かし始めているのだ。


「さぁ~、大変なことになりましたぁ~! 『かいおう』に最も近く、次こそは頂上決戦と誰もが信じていたタファレル選手、その前祝いとして隣国おとなりから舞い降りた『ケツァールの化身』を撃墜するつもりだァ~! 仁義なき喧嘩マッチから南米大抗争に発展ッ! これはまだ本日一枚目のカードです! 第一試合からこんなにドラマチックになっちゃって、第二試合以降の選手たちにはかなりなプレッシャーなのではーッ⁉」


 明らかに混乱が入り混じる仲原アナの実況へ満足げに首を頷かせたのち、改めてキリサメと向き合ったレオニダスは「よろしく頼むぜ、ブラザー」との握手を求めた。


「……僕はもうここまでです――」


 しかし、キリサメはその手を静かに押し返し、無表情のまま首を横に振った。それはつまり、自身の再起にも繋がるであろう〝流れ〟に顔を背けたことを意味している。

 そもそも、キリサメには再び『天叢雲アメノムラクモ』のリングに上がる意思もない。そのような資格などは持ち合わせていない――それが彼の結論であった。

 多くの人々から寄せられた期待を最も愚かな形で裏切ってしまったのだ。今日まで支援たすけてくれた麦泉たちには罪悪感しかなく、養父には顔向けも出来ない。プロデビュー戦を勝利で飾ると約束した電知には愛想を尽かされるだろう。

 喧嘩殺法は卑劣な〝暴力〟などではなく、過酷な環境を生き抜く為のすべ――一つの〝誇り〟であることを証明しようと言ってくれた未稲との誓いまで破ってしまったのである。

 数多の先達が闘魂たましいを注いできた神聖なリングを〝闇〟の衝動によって破壊した罪は、決して許されてはならない。格闘家失格の烙印を押された人間が素知らぬ顔で復活祭イースターを受けれて良いはずもない。それは『天叢雲アメノムラクモ』に対する冒涜に他ならなかった。

 自らの意思で人生を変えようとする初めての決断は、結局のところ、〝闇〟の最果てへと続く〝道〟から逃げられないという現実を突き付けるものであった。


「新しい家族から〝人間らしさ〟なんか法治国家に紛れる為の〝擬態まやかし〟に過ぎないじゃん。『聖剣エクセルシス』を振るうサミーのほうがわたしにはよっぽど〝人間らしく〟見えたよ? 日本ハポンからは自分を偽るよう強いられ続けてきたもんねぇ」


 先ほどリングに出現あらわれたの哄笑こそがキリサメの〝真実〟というわけである。物心が付く前から共に生きてきた幼馴染みの少女は、『ケツァールの化身』という通称の由来となった試合着ユニフォームを〝富める者〟に変わってしまった象徴として揶揄してきたのだ。


「キ、キリくん⁉ そこでスルー⁉ スルーしちゃうの⁉」

「……僕はここまでだよ、みーちゃん。もうにはいられない……」


 尽きることのない絶望感を双眸に湛えたキリサメは、MMAのリングどころか、『八雲道場』から去ろうとしている。誓いも期待も裏切った以上は、彼らの〝家族〟でもいられないのだ。


(……責任を取らなきゃならないときには絶対に逃げるな――か。母さん、卑怯な真似だけはするなって昔からずっと言ってたもんな……)


 心の中でも己の過ちを責め続けているキリサメがレオニダスから大きな勘違いを指摘されたのは、ほんの数分前のことである。

 試合の結果に拘わらず、リングを目指して花道ランウェイを進み切った時点で己を取り巻く状況が半日前とは完全に変わってしまったこともキリサメは認識できていなかった。そのように甘い了見であったればこそ、思い違いも甚だしい償い方しか捻り出せないのだ。

 この期に及んで〝プロ〟としてデビューするという意味を理解できていなかった――とも言い換えられるだろう。


「アマカザリ選手にも色々と思うところがあるのでしょう。しかしながら、えて宣言させて頂きたい! ブラジルとペルー、同じ南米同じ境遇のもとに生まれた二人による究極の生存闘争、私の責任にいて必ず実現させてみせます! こんなにも胸躍る対戦カードを諦めたくない! じっくりと時間を掛けて調整して参りますので、乞うご期待ッ!」

「なッ⁉」


 虚ろな瞳で俯き加減となっていたキリサメの頭部あたまを撥ね起こしたのは、場内に設置されたスピーカーから大音量で聴こえてきた樋口郁郎の宣言こえである。自分自身への絶望感に押し潰されたままリングを離れようとしていた〝逃亡者〟の足を代表自ら『天叢雲アメノムラクモ』に引き留めた恰好であった。

 キリサメ当人は言うに及ばず、彼の養父である『天叢雲アメノムラクモ』の統括本部長や主催企業サムライ・アスレチックスの一員である麦泉までもが愕然と立ち尽くすなか、団体代表だけが手持ちマイクを片手に目を輝かせている。

 彼の師匠であるくにたちいちばんは、荒唐無稽な物語や格闘技に我が身を捧げる登場人物を〝美徳〟として昇華する〝スポ根〟漫画を数多く手掛けてきた。心身の崩壊を省みず闘い抜いた果てに破滅的な結末が待ち受ける作品では、人間という生き物が宿した精神の極限や、それすらも突き抜けた境地を描いている。

 体重別の階級を設定しない完全無差別級の試合形式など〝現実〟のリングでくにたちいちばんを再現してきた樋口郁郎が花形選手スーパースターの提案に興味を惹かれないはずもなかった。

 対戦の組み合わせは選手同士の関係性や話題性だけで決定されるものではない。興行収益の計算も当然の如く考慮されており、特に〝目玉〟となる試合では、人気の高い選手を引き合わせるだけでもチケットの売り上げが明確に変わるのだった。

 デビュー戦で評価を落とした新人選手ルーキーと、絶対王者への挑戦を期待される花形選手スーパースターでは釣り合いなど取れるはずもあるまい。興行収益にもからぬ影響が及ぶであろうと想定されるのだが、樋口は反対意見をも押し切って常識外れの試合を強行することであろう。

 経営判断より代表個人の気分が優先される体質は組織として健全とは言い難く、それ故に国内外のスポーツメディアから〝独裁政権〟という侮辱にも近い批判バッシングに晒されるのだ。


「代表なら絶対にノッてくれると信じていましたよ! 禁止薬物ドーピングナシで人間を辞めたとしか思えねェ怪物モンスターを『スパイダー』の糸が絡め取るって対戦カード、天下の『NSB』にも組めねぇもん! る前からもうワクワクソワソワしてますぜ!」

「岳ちゃんがやる気になってくれたっていうのが決定打だったねぇ~。主催企業こっちばかり盛り上がってもジム側にそっぽ向かれたら一個も進展しないしさ。会場の皆さんは『八雲道場』の英断にこそ拍手を送って差し上げてください!」

「おいおいおいおい! お前らだけでハナシをデカくしてんじゃねぇよ! 先走ったオレが全面的に悪ィんだけど、やる気云々はキリー次第なんだぜ⁉」


 キリサメに成り代わってレオニダスと握手を交わす樋口は、に基づく対戦交渉の成立である点を強調していた。記者たちが構えるカメラからシャッター音が一斉に響いたということは、が既成事実として報じられることであろう。

 余りにも強引な筋運びに抗議する岳は言うに及ばず、未稲と揃って顔面に困惑の二字を貼り付けたキリサメも視界に入っているはずだが、樋口は彼の意思など確かめようともせずに片方の当事者のみと語らい続けるのだ。

 賄賂カネさえ払えば警官から無罪を買い取ってしまえるなど故郷ペルー社会まちにも無法と理不尽が敷き詰められていたが、大抵は喧嘩殺法で捻じ伏せられた。しかし、『天叢雲アメノムラクモ』はどうであろうか。例え『聖剣エクセルシス』で風を薙ぎながら恫喝を仕掛けても、状況を覆すどころか、戦意旺盛の証左あかしなどと捻じ曲げられ、喧伝に利用される可能性のほうが高い。


「……進退これきわまれり――」

「この状況でたいらのしげもりを持ち出すセンス、物知りなキリくんならではのトガり方だよね」

「みーちゃんのほうが僕なんかより遥かに物知りだと思うよ」

「私の場合はサブカル趣味っていうか……。しげもりの名場面シーンたいらのきよもりが主人公の大型連続時代劇を観ておぼえてただけだし。……本当の物知りなら、八方塞がりのこの状況からキリくんに逃げて貰う方法を耳打ちできたハズだよ」

「……みーちゃんは賢いよ。だから、……に出口がないコトも分かるんじゃないか」


 己を庇護してくれる樋口郁郎が〝暴君〟と忌み嫌われる所以ゆえんを今までとは比べ物にならないほど生々しい感覚で思い知らされ、生死が鼻先ですれ違う故郷ペルーの裏路地とも異質な恐怖を味わうキリサメであったが、『へいものがたり』の一節が口をいて出るという反応にこそ彼のあらわれている。

 キリサメ・アマカザリというMMA選手は、既に個人のが容易く押し流される〝プロ〟のリングに上がってしまったのだ。

 年齢を理由に所属団体から不当に冷遇され、あまつさえ〝暴君〟が興味を失った瞬間に格闘技界で生きる場所を喪失うしなってしまう――あるいは格差社会の最下層とも酷似した弱肉強食の〝世界〟に対し、傍観者を気取っていられる〝立場〟ではない。

 もはや、統括本部長の養子むすこという〝立場〟も盾には使えないのだ。それどころか、日本MMAを背負ってきたちちおやの〝誇り〟にきずを付け兼ねない言行を監視され、過ちを犯したときには相応の罰を与えられ、インターネット上で晒し物にされてしまうのである。

 本人の意思を置き去りにして累々と積み重なっていく既成事実に面食らうのは、格闘技を生業とする〝プロ〟に対して理解と認識が甘過ぎる証左であった。

 樋口郁郎が団体代表の〝立場〟としてレオニダスの提案を後押しするのは、当然ながら間近に迫った窮地――城渡マッチの舎弟たちによる凶行を未然に封じ込める為だが、『NSB』と友好関係を築きつつ、水面下では同団体の興行イベントを支えるシステムを掠め盗らんと画策する〝暴君〟の思考がだけに留まろうはずもなかった。

 肩を組みつつ花形選手スーパースターと熱烈に語らいながらも、樋口郁郎の意識は特等VIP席に招いた『NSB』と『ハルトマン・プロダクツ』の賓客ゲストに向けられている。

 日米合同大会コンデ・コマ・パスコアの共催団体とメインスポンサーは『天叢雲アメノムラクモ』の活動に欠かせない協力者であるのと同時に忌々しい〝仮想敵〟なのだ。内政干渉を図らんと企むのであれば、目の前で披露したような情報戦をもってして牙を剥くと威圧した次第である。

 一個人としての愉悦を満たすだけではなく、一挙に複数の利益が見込めると確信できたからこそ、秘書のが差し出してきた手持ちマイクを笑顔で取ったのだ。

 会話すら成り立たない恭路たち暴走族チームを制御できず、肩を竦めるばかりだった男が現在いまではレオニダスのスター性をも利用して〝大きな流れ〟を作り出している。

 数多の運命を狂わせていく悪だくみを〝暴君〟に閃かせてしまったのは、他ならぬキリサメ・アマカザリなのである。その自覚すら彼には全く足りていない。

 一方、彼と同じ境遇から身を起こしたレオニダスは樋口郁郎の悪だくみを間違いなく見抜いている。〝暴君〟とを演じられる才覚の持ち主でなければ、異郷のMMA団体で『IQファイター』と持てはやされるはずもあるまい。

 岳を口車に乗せ、交渉にいて最も望ましい回答を引き出したのが異名の由来とも言い換えられるだろう。道化役者アルルカンの仮面を被り続けている様子だが、花形選手スーパースターには新人選手ルーキーのような甘さなど絶無である。

 前身団体バイオスピリッツの頃から日本MMAを牽引してきた城渡は、格闘技によって生み出される莫大な利権に群がるもうりょうの棲み処こそがの立つリングであるとも捉えており、次世代の担い手として育つであろう新人選手キリサメ・アマカザリがその餌食にされることを案じていた。

 その城渡が不在の状況下で懸念が的中してしまった格好である。無論、彼の舎弟たちが火種となったことは大いなる皮肉としか表しようがない。


「自分も長いこと、格闘技に関わってきましたが、未知なる領域への期待でここまで胸が高鳴るのは、ひょっとしたら今日が初めてかも知れません! ド派手なコトになったリングも景気付けに思えて来ましたよ! MMAというカーニバルはここからが本番ッ!」


 マイクを片手に五〇〇〇もの昂奮を更に煽らんとする樋口については、認識の甘さが皆無というわけではなかった。

 暴走族チームが〝城渡総長〟の報復に乗り出した直後は肝を冷やしたものの、この場さえ凌いでしまえば、一時的な激情など自然と鎮火するであろうと見積もっていた。

 これは明確な誤りであり、〝暴君〟の驕りであった。大切な存在ひとの誇りを傷付けられたときに生じる果てしない怒りをくにたちいちばんの〝最後の弟子〟は誰よりも知っている。それにも関わらず、大きな崩壊を招き兼ねない小さな綻びを捨て置いてしまったのである。

 暴走族チームは誰もが攻撃対象キリサメ・アマカザリと同様に呆けた様子で立ち尽くしており、今すぐに暴発する危険性は限りなく低い。しかし、遺恨そのものは解消されていないのだ。

 その上、レオニダスの提案は一方的に押し付けられたものに過ぎず、暴走族チームには彼に勝負を託す義務も責任もない。木村レフェリーを始めとする『天叢雲アメノムラクモ』のスタッフたちは、樋口の言行によって事態が更に拗れるのではないかと誰もが危ぶんでいる。

 迫力とマンに満ちた格闘漫画で一世を風靡した師匠に心酔し、格闘技雑誌パンチアウト・マガジンの編集長を務め、総合格闘技MMA団体を代表の立場で率いながらも格闘技経験を持たない樋口は、意識の外から襲い掛かる攻撃こそが最も恐ろしいということを実感として理解していなかった。

 驕れる者久しからず――キリサメが脳内あたまのなかで思い浮かべていた古典『へいものがたり』は、じょうしゃひっすいことわりをそのように伝えている。


「――どいたどいたどいたァッ! リング交換と行くぜェッ!」


 もはや、キリサメも自分に制裁を加えようとしていた恭路と呆けた様子で顔を見合わせるしかない。その二人の鼓膜を今度は鬼貫道明の大音声が貫いた。

 揃って振り返ると正面玄関エントランスとメインアリーナを直結する扉が開け放たれ、外部そとから差し込む光を背にする恰好で『昭和の伝説』が屹立していた。『天叢雲アメノムラクモ』のジャンパーを羽織るスタッフを数十人も従えているのだが、彼だけはねじり鉢巻きに赤いフンドシ一丁である。

 背広を脱ぎ捨てた意図はともかくとして、鬼貫道明は人間という種を超越する〝力〟によってリングが破壊された直後に実況席から何処いずこかへと飛び出していったのだが、興行イベント終了まで別室にて待機している設営スタッフと善後策の段取りを立てていたのである。

 〝筋書きのないドラマ〟とは、不測の事態と表裏一体でもある。天文学的な確率でしか起こり得ない状況にも即応できるよう予備のリングまで用意されているのだ。

 筋書きシナリオに沿って観客を楽しませるショープロレスでは、重量級レスラーの攻防を原因とするリング崩壊を演出の一環ひとつとして盛り込むことがある。プロレスの全てを知り尽くしているりきどうざん最後の直弟子には、設営スタッフが総出で取り掛かれば比較的短時間の内に予備の物と入れ替えて興行イベントを再開できるという確信があった。

 余りにも大仰だが、闘魂のいろどりフンドシという出で立ちは、自らリング交換の陣頭指揮を執らんとする決意表明なのである。


「とりあえず一時間! 皆様の時間を我々にお預け頂ければ幸いです! 『昭和』から現代までありとあらゆるピンチを切り抜けてきた『アンドレオ鬼貫』に任せておけば間違いナシ! 必然的に興行イベントの終了時刻が遅くなる可能性もございますが、皆様を最寄りの駅までお送りするシャトルバスなど『天叢雲アメノムラクモ』が責任をもって手配致します! 勿論、払い戻しをご希望の方は遠慮なくお申し付け下さい! 最後まで〝MMAドリーム〟にお付き合い頂けるのでしたら、世界最高峰の格闘たたかいになることをここにお約束申し上げますッ!」


 一刻の猶予も許されない状況である為、鬼貫は団体代表の決裁も仰がないまま独断でリング交換に取り掛かっている。技術解説という本来の任務から掛け離れているばかりか、他者の職域を侵害する明らかな問題行為であり、懲戒処分にも値するのだ。

 総合格闘技MMAとして花開くことになる異種格闘技戦の先駆者は『天叢雲アメノムラクモ』にとっても掛けがえのない大恩人であるが、鬼貫道明自身は主催企業サムライ・アスレチックスに名を連ねているわけではない。非常事態とはいえ、同社のを自己判断で代行する権利など持ち得ず、四〇年にも及ぶ経験などは理由として全く通用しないのである。

 尤も、当の樋口は看過するべきではない越権行為を咎めなかった。それどころか、鬼貫の意を汲むように団体としての判断を観客席に向かって説明し始めたのだ。あるいは〝独裁政権〟の副産物とたとえるべきであろうか。職域の横断を不問に付した上で連携を図り、差し迫った事態の収拾に舵を切ったわけだ。

 返金対応などを提案していく樋口へ不満をぶつける観客は一人もおらず、支持の意を込めた拍手を返答こたえに代える者も少なくない。一時的な錯乱状態で関係者席から避難していた人々もによって落ち着きを取り戻したのか、少しずつリングサイドに戻り始めた。


「――そういうことならば、しょうせいも一肌脱がんわけにはいかぬ」


 かつてはヴァルチャーマスクと呼ばれ、日本のリングを去った現在いまは別の通称リングネームとプロレスマスクで『NSB』の試合場オクタゴンに臨んでいる仏僧おとこも再びリングサイドにやって来た。

 第一試合にしてキリサメと岳を鼓舞したのち特等VIP席へと戻っていたのだが、眼前で起こったリングの崩壊を一人のプロレスラーとして見逃せなかったようである。

 生涯の師のもとへと歩み寄る間にヴァルチャーマスクは焦茶色の僧衣をはだけさせ、にも関わらず二〇代半ばのレオニダスと見比べても遜色のない筋肉を披露した。

 間もなく互いの鼻息が掛かってしまうほどの至近距離で向き合ったヴァルチャーマスクと鬼貫道明は、両腕に大きな力瘤を作り、次いで剥き出しの胸板を律動させるという傍目には奇妙奇天烈としか表しようのない行動を取り始めた。

 心が通い合う師弟の間ではえて言葉を交わす必要もないのであろうが、それを差し引いても意味不明な場景であろう。それでも『昭和』と呼ばれた時代からプロレスを愛してきた人々は万感の思いが溢れ出し、熱い涙と共に大歓声を上げている。

 ヴァルチャーマスクを実の兄のように慕ってきた岳は自分が加われない悔しさを地団駄でもって慰め、その直後には麦泉から「どうせ踏み付けるのでしたら、社長の足をやって下さい。そうでないならお静かに」という戒めの言葉と共に尻を抓られていた。

 現在いまは『八雲道場』で保管されているハゲワシのプロレスマスクを己の手で日、ヴァルチャーマスクは鬼貫道明ひいては『鬼の遺伝子』の同胞たちと決別したのである。日米の二ヶ国に別れてしまった〝道〟が再び交わることは有り得ないと、プロレスファンの誰もが疑わなかったのだ。

 しかし、互いの筋肉を称え合いながら重い支柱ポールを一緒に運び始めた両雄ふたりには〝蟠り〟の二字などまるで似つかわしくなかった。

 日本MMAの礎である両雄ふたりに続き、設営スタッフたちも床に散乱したまま殆ど手付かずに近い状態の残骸を片付け始めた。興行イベントつつがない進行を託されている現場スタッフは撤去作業に人数も労力も割けない為、何よりも頼もしい加勢である。


「バカ騒ぎの後片付けも〝謝肉祭カルナヴァウ〟の醍醐味だよなぁ~。我が故郷ブラジルも宴の翌日はあちこちに散らばった〝謝肉祭の皿〟が夜明けの光を反射してイイ風情なんだわ。復活祭イースターの始まりはこうでなくっちゃ! なァ、ブラザー!」


 予備のリングを運び入れる為の作業に勤しむスタッフの間隙をすり抜け、再び海賊船を模した特設ステージに上がったレオニダスは、彼らに声援を送りつつ自身が極めたもう一つの格闘技――『カポエイラ』の蹴り技を披露し始めた。

 これもまたブラジルを発祥とする格闘技である。くにたちいちばんが大昔に手掛けた作品にける描写が原因となり、一時は「逆立ちしたまま蹴り技で闘う様式スタイル」という誤解が日本中に広まっていたが、実際の動作うごきは情熱的な舞踊のように激しく華麗なのだ。

 尤も、壇上のレオニダスが披露しているのは観光を目的としてブラジルを訪れた旅客ひとびとを楽しませるだ。先程のキリサメを凌ぐかと思わせるような跳躍力を発揮して宙を舞う一方、過剰なほど大きく両脚を振り回しているのだ。〝実戦〟であれば容易く割り込まれた挙げ句、蹴り技そのものを断ち切られてしまうだろう。

 逆立ちの状態から全身を素早く旋回させ、左右の脚でもって竜巻まで起こしている。この花形選手スーパースター芸能人タレントとして娯楽の提供にも慣れており、カポエイラに付き纏う日本人の誤解をも逆手に取って観客たちを魅了していった。

 『天叢雲アメノムラクモ』の興行収益を支える花形選手スーパースター責任つとめとして、リングの交換が完了するまで派手派手しいパフォーマンスでもって観客たちを繋ぎ止めようというわけだ。第九試合セミファイナルを前にして大勢に去られてしまっては、レオニダス自身の昂揚にも差し障るのだった。

 その真意はともかくとして、五〇〇〇という視線の大半が蹴り技と連動して揺れるたびに形が変わり続けるアフロ頭へと惹き付けられていた。プロレスファンの双眸は異種格闘技戦を支えた両雄から一瞬たりとも離れず、リング交換という空前絶後の事態を興味津々で眺めている者も少なくない。

 に意識の死角が生じ、四方より視線が注がれるアリーナの中央にりながら、今や誰もキリサメのことなど見ていない。反対に彼の双眸は死角を突き抜けるようにして自分に向かってくる一人の医師を捉えていた。

 おぼえのある男性であった。リングサイドにて第一試合を見守り、担架に乗せられた状態で医務室へと搬送される城渡にも付き添った医師リングドクターだ。頭突きバッティングの撃ち合いが発生した際に木村レフェリーも試合続行の可否を相談していたが、『ぼとけ』と呼ばれたはずである。


「――遅くなって申し訳ありませんでした、アマカザリ選手。詳しい状態は医務室で確認させて貰いますが、負傷の具合を少し診させて下さい。……ていうか、ほんの少し外している間に随分と騒がしいコトになっていたようだなぁ」


 城渡を乗せた救急車の出発を見送ったのち、大急ぎで戻ってきたらしいぼとけドクターは介助式車椅子を押している。その理由を本人にたずねる必要もないだろう。一目で意図を察したからこそ、キリサメの身体からだを支えていた未稲も尾羽根の如き帯を巻き込まないよう気を付けつつ、シート張りの座面へと促したのだ。

 本人は目配せで不満を示したが、全身を血の色に染めた有りさまを考えれば、二人の判断は当然であろう。肉体からだの反応も素直である。背凭れバックレストに体重を預けられる状態となって安心したのか、立ち上がらんとする意思に反して四肢は完全に脱力してしまった。

 片膝を突いてキリサメと目線を合わせたぼとけドクターは、試合中の木村レフェリーと同様に視覚異常や言語機能など脳の損傷ダメージを確かめていく。最悪の事態を想定してスタッフに担架も準備させていたが、医師リングドクターの目には城渡のパウンドと、これを一方的に浴びせられるキリサメが非常に危うく映ったのであろう。


「目から大量に出血していたようだけど、問題なく見えていますか? 痛みのしかめ面になっているのかな?」

「……唾でも付けておけば治るという意思表示です、これは」

「減らず口が叩ける内は大丈夫かな。ただし、病院で精密検査を受けるときに誤診を招き兼ねない発言は控えてくださいね。君の為にも、君の家族の為にもなりません」


 次いで打撲傷や骨折などの確認に移ったのだが、ぼとけドクターは痛みの度合いをたずねながら顔面で凝固し始めている血を濡れタオルでもって手際よく拭っていった。両手には医療用の使い捨てゴム手袋を嵌めている。

 城渡の容体を確認した際に彼の血が付着した白衣ケーシーも新しい物に替えてきたが、それも含めて感染症予防の措置である。自分自身は言うに及ばず、感染源に接触した手を介して第三者を罹患させてしまう可能性も高いのだ。

 故郷ペルーで懇意にしていた不潔な闇医者とは真逆で、『八雲道場』のかかりつけ医であるやぶそういちろうと同じ――接触競技コンタクトスポーツが血液感染症の危険性リスクと隣り合わせという事実を踏まえた対応にもリングドクターとしての信頼性が表れているようであった。

 先程もキリサメの診察が後回しになってしまったことを謝罪していたが、リング交換に紛れるような恰好での到着が結果的には最善であった。対峙のなかに応急手当などを始めれば、おそらくは暴走族チームの憤怒いかりを更に煽ったことであろう。


「ここはボクらが引き受けるから、さっさと逃げちゃいなよ、サメちゃん。また恭ちゃんたちが騒ぎ始めたら、アフロの気配りが台無しになるかもだしね」


 千載一遇の好機を逃さずに離脱するよう促したのは寅之助だ。

 彼自身は竹刀を構えたまま暴走族チームを見据えている。攻撃対象が場内から掻き消えれば、激怒した恭路が再び暴れ始めるかも知れないが、そのときには酒と煙草で焼けたダミ声がキリサメの背中を追い掛けることがないよう食い止めるとも言い添えた。


「てめーに何かあったら未稲が辛いからな。今日のところは貸しにしといてやらぁ」

「もしかすると岩手ではこれでお別れで、次にお会いするのは暫く先になるかも知れませんね。少し早いのですが、『また今度』と申し上げておきましょう」


 上下屋敷と筑摩の二人も寅之助と肩を並べて〝壁〟を作り、キリサメの脱出を助けようとしている。親友たちの背中を見つめる未稲は〝預かり物〟を握った右手を自分の胸元に添え、「みんなの気持ちに応えてあげて!」と何時になく強い声を発した。

 これを見て取ったぼとけドクターは「キミたちの友情に乾杯」とキリサメに告げながら、逃れるべき先へと車椅子を押し進めた。その判断と行動は迅速そのものであり、随伴しなければならない岳と麦泉も危うく置き去りにされるところであった。


「何しろ現場の混乱がハンパじゃなかったから、城渡選手と入れ替わりみたいになってしまったんだけど、救急車は手配済みです。既に到着しているのなら、このまま救急隊員にお願いしましょう。そうでないなら医務室へ。控室では満足な診察も難しい」

「……病院で診て貰わなければならないほど悪くないと思いますけど……」

「良い機会なので肝に銘じておいて下さい、アマカザリ選手。『大丈夫』という本人の自己申告を鵜呑みにして血みどろの選手を放置するリングドクターは、医師免許の剥奪まで検討しなくちゃならないレベルの藪医者ヤブです。俺の全財産を賭けて断言しても構わない」

「……故郷ペルーで暮らしていた頃はこれくらいの流血も珍しくありませんでした。それで死ななかったから、今もこうして話しているわけですし……」

「以前は以前、今は今。運良く命を落とさなかったという結果論は、リングドクターに全く通じないということもおぼえていって下さい」

「諦めな、キリー。ぼとけセンの前にはどんな言い訳も効かねェ。養父とうちゃんも昔ッから叱られまくってらァ。……そのお陰で命が救われた選手も数え切れないくらい知ってるよ」


 状況はキリサメを置き去りにして速やかに移ろっていく。両足でもって床を踏み付け、この場に留まろうとする余力ちからは四肢にひと欠片かけらも残っていないのだ。それどころか、座面から立ち上がることすら叶わない。

 養父から説かれたようにぼとけドクターに従うという選択肢しか残されていないのだ。

 人命を最優先とする医師の判断として正当であったことは疑う余地もないが、リングから引き離されたことによって、己の意思と無関係に積み重なっていった既成事実を断ち切る機会が奪われてしまったのである。キリサメに残されたのは〝大きな流れ〟に抗い切れなかった虚脱感のみであった。


「――次、頑張りましょう! アマカザリ選手! 格闘技とタレント活動をごちゃ混ぜにしていやがるナメたアフロを引き千切ってやって下さいッ!」

 車椅子を見送る〝優待客〟たちの眼差しは温かいが、ぼとけドクターと背凭れバックレストを丸ごと貫く木村レフェリーの眼光は、絶対零度としか表しようがなかった。



                     *



 今日に限って『天叢雲アメノムラクモ』の関係者以外の立ち入りが禁じられた通路の天井には、小さな車輪が床を切り付ける小気味の良い音が跳ね返っていた。壁一枚を隔てたメインアリーナでは「レオ様」という花形選手スーパースター愛称ニックネームが連呼され続けており、怒涛の如き大歓声と比べれば余計に物寂しさが際立つのだった。

 拍手を受けながら花道ランウェイを引き揚げるという晴れやかな退場ではなく、文字通りに人目を避ける離脱であったが、それこそ〝失格者〟に相応しいとキリサメは思っている。

 十割の本音では付き添いを断って一人になりたかったが、そのような感傷が受けれられないことは、悪夢の如き数分間で思い知らされている。そもそも単独ひとりで歩くことさえ困難な状態に陥ったからこそ、不満の一つも漏らせないまま車椅子で運ばれているのだ。

 キリサメの鼓膜を叩く数名分の靴音に未稲のものは混ざっていない。リングサイドから離れる際に彼女は弟のひろたかが待つ関係者席へと戻ったのだが、その支えがなかったなら、恭路たち暴走族チームと対峙している間に膝から崩れ落ちたはずである。

 通路には『天叢雲アメノムラクモ』のジャンパーを羽織ったスタッフも居合わせたのだが、誰も彼も異質な存在でも見るような目をキリサメに向けていた。〝闇〟を抱え、生け贄を求めて這いずり回る死神スーパイに皆が怯えていた。

 結局、自分がふるえるのは〝暴力〟ばかり。という選択肢に罪でけがれた手を伸ばすことなど許されようはずもない――今一度、突き付けられた絶望感は容易く拭い去れるものではなかった。

 『天叢雲アメノムラクモ』の花形選手レオニダス・ドス・サントス・タファレルとは比べるべくもなく、打撃系立ち技格闘技団体『こんごうりき』から同日にプロデビューを果たした教来石沙門のことは意識するだけでも不遜であろう。

 格闘技と言い換えても暴力は暴力――警視庁捜査一課・組織暴力予備軍対策係の刑事から突き付けられた言葉がまたしても脳裏に甦り、キリサメの心は瞬く間に凍り付いた。

 全て鹿しかと名乗った刑事の言う通りである。暴力を振るって快楽を得る愉快でも誠実でもない人種――その蔑称は自分にこそ向けられるべきであろう。

 スタッフの顔を視界に入れないよう俯き加減で瞑目するキリサメであったが、ぼとけドクターに押されているはずの車椅子が突如として止まり、反射的に顔を上げた。

 より正確に状況を表すならば、前方に奇妙な気配を感じた瞬間ときには左右のまぶたを開いていた。四六時中、ナイフや拳銃で脅かされる貧民街スラムを生き抜いてきた賜物というべきか、その反応は車輪の音がむよりも早かったのだ。

 果たして、通路の先には不可思議な男が立っていた。

 年齢は養父と同じくらいであろうか。ダークグレーの背広に身を包み、右目に眼帯アイパッチをしている。眼科医で提供されるような医療用品ではなく小洒落た革製の物であり、中央の部分にボクシンググローブの紋様が刺繍されている。

 眼帯アイパッチの男は後ろに手を組み、温厚な笑顔を浮かべながらキリサメたちの行く手を遮っていた。この期に及んで暴走族チームが刺客を差し向けることはなかろうが、格闘技そのものの根絶を訴える『ウォースパイト運動』の過激活動家か、あるいは開会式オープニングセレモニーいてMMA参戦を表明したばかりの飯坂稟叶ローカルアイドルを付け狙う脅迫犯という可能性は十分に有り得る。

 先鋭化の一途を辿る『ウォースパイト運動』を警戒し、今までの興行イベントよりも大幅に人数が増やされた警備員から取り囲まれても不思議ではない〝不審者〟なのだが、キリサメ当人の意識はその真隣となりに立つ女性へと惹き付けられている。


「初陣、お見事でした。そして、本当にお疲れ様でした。……暫く、キリサメさんのことしか考えられない日が続きそうです」

「……神通氏……」


 眼帯アイパッチの男が従えているのは、〝戦場武術〟の若き宗家――あいかわじんつうその人であった。

 古くからの友人であるほんあいぜんと共に岩手県奥州市を訪れたという神通とは興行イベントの前日に遭遇し、『E・Gイラプション・ゲーム』の仲間たちと『天叢雲アメノムラクモ』を観戦することも教わっていた。つまり、眼帯アイパッチの男も彼女や上下屋敷と同じ地下格闘技アンダーグラウンド団体の一員なのであろう。

 左隣に控えた背広姿の男は初めて見るが、こちらは爆発する火山を模った『E・Gイラプション・ゲーム』のロゴマークを左胸に縫い付けている。

 ここは『天叢雲アメノムラクモ』の興行イベント会場である。選手が行き来する通路に友好的とは言い難い競技団体の人間が侵入している状態なのだ。未遂で終わりはしたが、つい最近も『E・Gイラプション・ゲーム』は希更・バロッサに対する襲撃事件を起こしたばかりであった。

 つまるところ、職務怠慢を追及されてしまうほど無防備な有り様というわけである。スタッフたちも怪訝そうに首だけは傾げているが、『E・Gイラプション・ゲーム』の関係者であることには気付いていない。臨時視察に訪れた『NSB』や『ハルトマン・プロダクツ』から危機管理能力の破綻という評価を下されてもはんばくできない有りさまなのだ。


「次から次へと今日は忙しいな。見ての通り、負傷者の緊急搬送中なんだよ。速やかに道を譲ってくれ。さもなきゃ〝大人の対応〟で退いて貰うぞ。……団体間のトラブルと選手の命、俺には秤に掛けるまでもないからな」


 前身団体バイオスピリッツよりも以前まえ――『鬼の遺伝子』が異種格闘技戦を繰り広げていた時代から日本格闘技界に関わり続けてきたぼとけドクターは、一瞥のみで一団の正体に気付いたようだ。

 それは麦泉も同様であるが、主催企業サムライ・アスレチックスの一員だけにこの場の誰よりも事態を深刻に受け止めているのか、一等険しい表情かおのまま小さな呻き声を洩らし続けていた。


(神通氏の性格上、だけは死んでもやらないと思うけど、……最悪の事態を考えたら、みーちゃんが一緒のときでなくて良かったか――)


 少し離れた場所に立っている別の男性にキリサメが気付いたのは、三人の顔を順繰りに確かめた直後のことであった。

 「衝撃」という一言を除いて、この状況を端的に表す言葉を彼は知らなかった。驚愕の余り、四肢に力が入らないことも忘れて車椅子から立ち上がろうとしてしまったのだ。


「ひ、ひめ氏ッ⁉」

「……思いがけない再会になったものだな……」


 やや離れた位置からキリサメの様子を窺っているフライトジャケットの男性は、どうじょうとうあらた』に所属する――ひめその人であった。

 『八雲道場』が揃って参加した体験会ワークショップで講師を務め、ついに未完成のまま初陣プロデビューを迎えてしまったものの、キリサメに殺気を制御コントロールする工夫も伝授したのである。

 どうじょうとうあらた』は岩手興行の幕間に剣劇チャンバラを披露することになっており、姫和子の師匠であるがわだいぜんや同僚たちも、選手とは別に設けられた控室で待機している。

 くだん体験会ワークショップけるもう一人の講師――近藤も剣劇チャンバラの一員として岩手を訪れており、姫和子について「今日は別行動」と話していた。その姫和子が神通たちと共に姿を現わしたということは、体験会ワークショップでは一度も言及しなかったものの、『E・Gイラプション・ゲーム』に属する選手と考えて間違いないだろう。

 稀代の映画俳優にして伝説的な武術家であるブルース・リーが三二歳という余りにも短い生涯の中で作り上げた近代格闘技――『ジークンドー』を極めたという姫和子の戦闘能力は、キリサメも戦慄と共におぼえている。

 電知や上下屋敷から路上戦ストリートファイトの話と絡めて『面白い男がいる』と聞かされた神通は、互いの存在ことを〝半身〟の如く錯覚するような〝共鳴〟によって結ばれる以前からキリサメのことを強く意識していた。

 これはつまり、過去にキリサメと遭遇した『E・Gイラプション・ゲーム』の選手に喧嘩殺法を伝え聞いたという意味でもあるのだが、その中には姫若子も含まれていたのかも知れない。


「……哀川君の言うようにアマカザリ君のデビュー戦、心が満たされる想いで観戦させて貰ったよ。君がお目当てで岩手ここまで来たんだが、その甲斐があったようだ」


 二重に押し寄せた衝撃で打ちのめされ、思考が停止まってしまったキリサメは、誰が何を喋っても頭に入っていないのだが、それでも構わず眼帯アイパッチの男は親しげに語り掛け、「全てを見届けたが故に確信したのだ――」と、芝居がかった調子で右拳を握って見せた。


「お前、キリーに何の用だってんだ? 何が言いてェんだよ、ヴィクターくろ河内こうちッ!」

「――やはり、君に一番相応しい闘いの舞台は『E・Gイラプション・ゲーム』だ。アマカザリ君――いや、勇敢なるドン・キホーテ。我々はね、君を『天叢雲アメノムラクモ』からにやってきたのだよ」


 岳が右の人差し指でもって示し、『ヴィクターくろ河内こうち』と呼び付けたその男は、日本のプロボクシングにいてフライ級のチャンピオンベルトを腰に巻いたこともあった。

 〝格闘技界の汚点〟と忌み嫌われるひきアイガイオンの反則行為でタイトルマッチの最中に片側の光を奪われ、引退を余儀なくされた悲運の王者チャンピオンとも言い換えられるだろう。

 キリサメは『天叢雲アメノムラクモ』の〝先輩〟選手である本間愛染から〝MMAのアイガイオン〟に堕ち得ると警告されていた。その忌まわしい通称リングネームの持ち主によって人生を狂わされた男が「君を『天叢雲アメノムラクモ』から救いたい」と真剣な眼差しで訴えている。

 ドン・キホーテ――親友の絆を育む前のことだが、かつて空閑電知が挑発を込めてキリサメに叩き付けた呼び名を眼帯アイパッチの男は友好の証として用いている。死神スーパイに魅入られたとしか思えない〝闇〟の魂を自らの意思で抱き留めるという宣言のつもりなのであろう。

 やがて握り拳を解いた眼帯アイパッチの男――ヴィクター黒河内は、これを救済の手に見立ててキリサメに差し伸べた。

 素手ベアナックルによる鮮血の試合が認められ、その結果に腹を立てた観客がリングに殺到するという乱闘も頻発し、場合によっては外部そととの抗争も辞さない――ルールによって選手の命を守らんとする総合格闘技MMAとは真逆の〝道〟を進む地下格闘技アンダーグラウンドを束ねてきた男である。



                                    (中編に続く)

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