おまけ
ピンク色の花びらを避けて歩こうぜ、オレは踏まずにいけるし、うっそだー踏んだじゃんー、なんて巫山戯てる同級生達を帽子の下からじろりと睨み付ける。途端に奴等は俺にビビって、駆け足で消えていった。俺は一人で鼻を鳴らす。フン。下らねぇ。俺は苛立っていた。最高学年になって初日だというのに気分は最悪だ。それもこれも全部、あの馬鹿兄貴のせいで。朝っぱらから家に連れ込んだ女とベタベタしやがって。うちは両親が共働きなもんで、誰も兄貴のことを咎めてくれない。なんてったってあいつは顔と要領だけは良いんだ。あいつと俺の話だったら皆あいつのことを信じるもんだから、俺はいつからか周りの大人と話すことを辞めた。子供らしくない、生意気だ、可愛げがない。散々言われた言葉だ、今更痛くも痒くもない。
それにしても、と俺は足元に目を向ける。じゃり、という靴底が砂を食む音が多少マイルドになっているのは、ほんの数秒前まで優雅に舞っていた桜の花びらが醜く地面に這いつくばって汚れているからだ。良く言う「ピンクの絨緞」という表現を借りるなら、ここに広がってるのは「ピンクのボロ雑巾」だ。
「……きったねー」
思わず口から飛び出た言葉はそのままピンクに紛れて消えた。ホッとしたような、息が苦しいような、良く分からない苛立ちで俺は深く帽子を被り直すと、その桜の木の幹を蹴ろうとした瞬間、俺の足を誰かが掴んできて、よろめいた。
「蹴っちゃ駄目……!!」
振り上げた足を後ろから誰かが掴んだまま離さない。
「ちょっ、誰だよ! 離せよ!」
ランドセルが邪魔で顔が見えない。かろうじて見える制服のスカートと声からして女なのは分かる。確かあれは兄貴と同じ学校のものだ。年上で、しかも女を本気で蹴って振り払う訳にも行かず、俺は片足でバランスを保ちながら懇願する。
「わ、分かった、蹴らないから離せって!」
「本当に本当ですか……!」
「本当だって!!」
片足ごと抱き抱えられている小学生男子と、自身のスカートが汚れるのも気にせずにしゃがみ込む女子高生と、どちらが可笑しく見えるだろう。通行人の好奇の目が痛い。
「約束! 約束するから! お願いだから離してくれ!」
俺はもう諦めて足の力を抜き、反発するのを止める。無抵抗。すると女の方にも伝わったのか俺の足は解放されたが、それを抱き留めていた彼女の制服はすっかり汚れ、膝小僧は砂利と花びらが混ざりながら引っ付き、痛そうに赤みを帯びていた。
「約束、だよ?」
俺は帽子を更に深く被り、目を逸らした。
「やんなきゃいいんだろ。やんなきゃ。……つか、あんたよっぽど暇人なんだな。朝からこんなガキに構って、制服も足も汚してさ」
どうせあんたも説教するだけだろ、という気持ちが意地悪を言わせる。明らかに間違っているのは自分だ。虫の居所が悪いからって木を蹴ろうとするなんて、俺もどうかしてた。でもそんなの認めたくなくて。思わず噛み付かずにはいられなかった。きっと怒られるだろう。大人っていうのはそういうもんだ。こいつだって大して変わりはしないさ。……なのに。
「良かった」
「え?」
「思った通り、あなたはとってもいい子なんだね」
何を言われたのか分からないまま、混乱した。いい子? 俺が?
「……は? 何言ってんだよ」
「だって心配してくれたんでしょう? 私の制服と足のこと。凄く優しい子なんだね。きっと、桜の木のことも何か理由があったんだよね、よしよし」
帽子を隔てているのにそいつの掌はとても優しくて、温かくて。俺は思わず顔から火が出る思いだった。
「……や、止めろよ! ばか!」
思わず手を振り払うと、その人は少し傷付いたような顔をした後、寂しそうに微笑んだ。
「ごめんね、子供扱いなんて嫌だったよね」
違う、そうじゃない、いや、でも、確かに子供扱いなんて嫌だけど、でもそこじゃないんだ、だって、何だかあんたは他の人と違って、俺は、――、
言葉にならない想いが駆け巡り、俺は帽子の鍔を握る。
「……私ね、お花が好きだから思わずあなたのこと止めちゃった。余計なことしてごめんね。でも、お花とか木に意地悪しちゃダメだよ」
「……分かってるよ」
「怒ってるんじゃなくてね。……私は君にこれ以上傷付いて欲しくないから止めたかったの」
ピクリ、と指先が泳ぐ。なに? もう一度言って。俺に、聞かせて?
「綺麗なもの、誰かのものを傷付けたり壊そうとしては、ダメ。それは君自身を傷付けることになるんだよ。だから止めてね。お姉さんとの約束。……ね?」
差し出された小指は異様に細く見えた。女って、年上でもこんなに頼りなく思えるもんなんだ、なんて。思い起こされたのは兄貴に連れられた図々しい女共で、男になんか負けていられないわとスーツを纏い、キツいメイクを施した母の姿で、生意気なだけですぐに泣くクラスの女子共で、俺の知ってる奴らとは全く違うその人に、心臓を鷲掴みにされてしまったことに気付いた時には、もう手遅れだった。
「……仕方ねぇから守ってやるよ」
そう言うと彼女は心底嬉しそうに笑い、その表情は俺の気持ちまで晴れやかにさせた。
ああ、その笑顔をずって見ていたい。出来れば誰よりも近くで、誰にも知られずに、一緒に笑いながら、時々喧嘩したりして、そうやって俺がもっとオトナになれた時には、いつか。
***
何処の誰かを特定しようと、自分でも少し引くようなストーカーじみた手段に出ていた時に、兄貴の姿を見つけ、それを必死に目で追う彼女を見て、俺はその視線の意味を知った。良く言うだろ、好きな人のことなら分かるんだよ、なんて。悔しいけど、そういうことだった。彼女は兄貴に恋をしていた。じゃあ、と歯軋りしながら考えた。じゃあ兄貴と良く似たこの顔を利用してやるよ。癪ではあるが、この綺麗な顔に感謝しておこう。幸か不幸か、あの時は帽子を目深に被っていたお陰であの子供が俺だとは知らないだろう。彼女の好きなもので何かきっかけを作ろう。……そうだ、花だ。花を介した出会いをやり直すんだ。今度は、今度こそは。柄にもなく図鑑とネットと睨めっこしながら作り上げた偽物は、俺の心の中の本物だ。恋焦がれた人の笑顔を胸に描いて、俺は「初対面」の時を待つ。嘘っぱちでデタラメの花の中に、想いを詰め込んで。溢れる気持ちは押し込めて。
「初めまして」
はにかみと戸惑いの入り混じる、あの眩しい笑顔に貫かれる為に。
喪失を攫う波、頬の雫を撫でる風。 空唄 結。 @kara_uta_musubi
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