12月23日のショートストーリー
カミノアタリ
第1話
☆
クリスマスイブ前日、昼過ぎの百貨店は混雑していた。祝日だし、きっと朝からそうだったに違いない。洋品フロアへまっすぐ向かう私。目的は財布だった。ネットで予習をしてきたから、いくつか候補はある。実物を見て最終決定をしようという段階なのだ。手に取って、大きさ形、色柄、使い勝手とさまざまなチェックを重ねた。こんな日だから、あちらこちらから白くて小さな女の子の手が伸びてくる。これ!と思ったものがすでに誰かの手から離されないことも一度だけあった。それも仕方ない。
やっぱりこれかな?ロックオンして掴んだのは黒一色でほとんど装飾のない長財布だった。取り上げようとしたら、やけに軽い。それもそのはず、もう一本の手が自分と反対側の端を掴んでいて同時に持ち上げたのだった。
「あ、すいません。」
声が重なり、その上、同時に手を放したものだから、財布は重力に従った。
「どうぞ、僕、別のにしますから。」
そう言って私に拾った財布を手渡してくれたのは男の人だった。
「そんな…あ、じゃあ、在庫がないか聞いてみましょうよ。…あの、すいません。これ、もう一つありませんか。」
すぐ近くに店員さんがいた。運がいい、きっとあるに違いない、私はなぜか確信した。
「こんな日に自分の財布買いに来るなよって思ってるでしょ?」
いえ、そんな、と私は胸の前で小さく手を振った。在庫確認の間、見ず知らずの男の人と無言で待つのはたまらないと思っていたから、話しかけてくれて助かった。
「あ、じゃあ、かわいそうな男って思ってるでしょ?」
とんでもない、私はまた同じ反応をした。そして、少し沈黙が続いた。
「遅いですね。見つからないのかな。一つしかなかったら、やっぱりあなたに。僕、本当に違うのにしますから。他の見てようかな?」
「待ちましょうよ。せっかく探しに行ってもらってるんですから。帰って来た時にもういいですって言うのも悪いし。」
われながら律儀だと思った。
「じゃあ、とにかく待ちます。でも、なかったら、やっぱり…」
「あることを祈りましょう。なかったら…そうですね、じゃんけんで!」
ほんの思いつきで言ったのに、ウケた。
「じゃんけん!いいなあ。今年最後の運試しだな。年末ジャンボ買ってないし。2分の1だからな、そうとう確率高いですよね。」
私は急に心苦しくなった。
「あの、一つだけだったら、あなたが買ってください。私はネットで買いますから。」
これでわかったはずだ。
「でも、ネットだったら、明日には間に合いませんよ。プレゼントなんでしょ、彼への。」
わからないタイプの人だった。
「私も自分で使うんです。」
「え?だってあれ男物ですよ。」
「使うんです。いいじゃないですか。逆ならちょっと…だけど。」
ですね、と言って笑ってくれた。
☆☆
「大変お待たせしました!」
店員さんは笑顔だった。
「只今レジがたいへん混み合っておりまして、申し訳ございません。」
店員さんはドヤ顔で去って行った。
同じ財布を持ち、先に立って歩いていた男の人が振り向いた。
「あの、プレゼントごっこしませんか。もしよかったらですけど。会計してから交換するんです。プレゼント包装してもらって!」
私が一瞬固まったことにその人は気付いた。
「すいません、変なこと言って。この財布が自分用だとしても、彼とのプレゼント交換は別にあるんですよね、僕と違って…」
再び背を向けた人の前に、私は小走りで回りこんだ。
「それ、おもしろい!」
こんな日にこんなものを買えば、レジで必ず聞くのは『プレゼントですか』という言葉だ。それに対して私は、自宅用と言える勇気があるだろうかと、ずっと考えていたのだ。自分用なのに無駄なプレゼント包装をオーダーしてしまうかもしれないと思っていた。交換するなら、マニュアルの質問に堂々と『お願いします』とこたえられる。なんなら自分から『プレゼント包装を!』と言ってもいい。長蛇の列で会計を待つ間も予想外に楽しかった。
ラッピングペーパーは色違いにしてもらった。レジの係りの人は、きっと、お揃いをカップルで持つのだと思ってくれただろう。同じブランドの小さな紙袋を手にして、私とその男の人は財布売場から少し離れた。さすがに買ってすぐ、はい交換、さようならというわけにもいかない。お互い思うところは同じだった。
「せっかくだから、あそこでどうですか。」
指差す先にはこの時期いたる所に置いてあるあれがあった。一際大きなクリスマスツリーが。そこまでやるなら私もとことん乗ろう。辺りを見回した。あった!
「待って!」
私は思わず手を伸ばし、前を行く人の袖を摘まんだ。あ、触ってしまった。足を止め振り向いた人は驚いた顔で私を見た。
「あの、ついでというわけじゃないけど、こうなったらカードもつけちゃいませんか。」
嫌だと言われたら、走って逃げよう。下を向いて判決を待った。
「よし、じゃあ、マジで選ぶぞ!」
「はい、私もマジで!」
それから約10分、私たちは、グリーティングカードのラックを回したり、自分たちがその周りを回ったりして、真剣にクリスマスカードを選んだ。相当吟味をしたはずのに、結局落ち着いたのは最初に目が止まった物だった。その渾身の1枚をお互い手にして、またレジに並んだ。そして、やっぱり一言書かないとね、とエスカレーター脇のベンチに腰を下ろした。
「あの、名前聞いてもいいですか。…あ、すいません、本名でなくても全然大丈夫なんで。たとえば、ジェニファーとか…」
「それじゃ、ジェニファーで!」
言いながら笑いがこみ上げて来た。おかげで、あたなは、どうしますか?とたずねようとしたら、最初の「あ」が裏返った。吹き出しそうになったのをこらえて、鼻をフゴッと鳴らしながら、出てきた名前は「レオナルド」だった。
アルファベットの綴りなんかわからないから、カタカナで「レオナルド 様」とメッセージの上にはめ込んだ。
さあ、いよいよだ。目当てのツリーの前に立ち、紙袋を差し出した。小さな声で『メリークリスマス!』軽く会釈をして別れた。
☆☆☆
家に着いた。着替えをして、化粧を落とし、さあ、私の新しい財布との対面だ。リボンをほどき…リボン?そうだ、ラッピングをしてもらったんだ。恥ずかしい出来事がよみがえってきた。紙袋の中には赤い封筒がある。その中にはもう会うことのない男の人からのクリスマスカードが入っているのだ。なんだか気が重くなってきた。このまま開けずに捨てても誰にも何も言われない。だけど、カードをつけようと言ったのは私だ。『この財布があなたに幸せをもたらします様に』私はそんな風に書いたと思う。向こうだって大したことを書いたとは思えない。仕方ない、見るだけ見よう。
やさしいジェニファーへ
意中の財布がもしかしたら手に入らなかったかもしれない状況から
一転、とても楽しい時間を過ごせました。
ありがとう!
あなたに出会わせてくれたサンタクロースに感謝します。
12月23日 通りすがりのレオナルドより
くすっと笑えたけれど、きちんと感が漂う。いい人だったんだ。カードを閉じて何気なく裏返すと、手書きの文字がもう一行あった。アドレスだ。どんな時でも男には下心があるものなのだ。ちょっと呆れて、ちょっと安心した。そして私には、短いけれど楽しい時間を共有させてもらったお礼を言う機会が与えられたのだ。このアドレスが本物ならばだが。
一応用心して、通販用に使っているフリーメールを使おう。慎重に宛先を打ち込んだ。できるだけ美しい言葉を選んでお礼を述べた。件名には『ジェニファーです』と入れた。
それが、はじまりになった。
12月23日のショートストーリー カミノアタリ @hirococo
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