枢機卿が○○とは限らない

功刀攸

第1部 聖女が○○とは限らない

聖女ギーナの場合

第1話 聖女が女とは限らない

 聖女、という存在がいる。

 初代聖女はこの世界で特に多く信者を抱えるアギスダルト教の始祖であり、三代目聖女は人間と魔族との間に何度も起きた戦争を終結させるために戦乙女として前線で活躍した。六代目聖女は魔族であったが、人間と友好を望み人間からも魔族からも多くの支持を得ており、伝説の聖女と言えば彼女のことだ。七代目聖女は四代目聖女の孫にあたり、文芸に優れ多くの小説――主に恋愛もの――を世に残した。十三代目聖女は料理を得意とし、世界中に様々な料理やお菓子を広めたことで食の女神として奉られている。二十一代目聖女は魔術機関を好み、その研究に一生を投じたそうだ。四十八代目聖女は妖精で人々を魅了する歌声を持っていたと言う。

 そして、五十三代目聖女ギーナはアギスダルト教総本山、グロース・エイティン大聖堂の一角で読書を楽しんでいた。


「あーっ! 七代目様の書いた恋愛小説めっちゃ目が滑るー!」


 ……のは、どうやら気のせいだったようだ。

 この世界には人間と魔族、そして魔物と妖精が、それぞれ三つの大大陸と二つの中大陸、四つの小大陸に領土をもうけて暮らしている。もちろん、異種族同士で共存している国もあるが、現在は戦争を避けるために最低限の関わり合いしか持っていない国の方が多い。人間は人間と、魔族は魔族と、妖精は妖精と――しかしそれでも、お互いが持つ技術を手に入れるために交友を経つことはほとんどないのだ。

 ちなみに魔物は世界中どこにでもいる。彼らは人間や魔族、妖精とは違い国を持つものはおらず、大陸のあちこちにそれぞれの領地を作って暮らしていることが多いのだ。もちろん、人間や魔族に愛玩されるものもいるし、妖精のように領地を守るための守護役として契約を結ぶものもいる。

 さて、聖女という存在はなんなのか。それは種族間で起こる争いを諫めるための存在だ。

 聖女になるためには全属性の魔法を使用できることが前提だが、基本的には特に争いを起こしやすい人間と魔族のどちらにも偏見を持たない存在が選ばれる。偏見を持たない存在などいないと言うものもいるだろうが、それはそれ、これはこれだ。多少の偏見は持っていたとしても、片方に牙を剥かずに双方の意見を聞くことができる中立の存在。――それが聖女だ。

 全属性の魔法が使用できると確認されたものは、種族がなんであれ、一度アギスダルト教総本山、グロース・エイティン大聖堂が存在する小大陸――エイティンに集められる。ちなみに種族が関係なければ性別も関係ない。彼ら彼女らは、選定の日と定められている十歳になる年まで一般的な生活に必要な基礎教養を始め、各種族の歴史に政治・経済、芸術など様々なことを学ぶ。ちなみに基礎教養以外は広く浅く学び、聖女候補らが何か興味を持てば良いと、聖女候補の世話役が教えている。中には自分の専門分野を教え込むものもいるが、それだけでは知識が偏ると他の聖女候補の世話役から苦言を受けることもあるようだ。


「文句を言うほど読みたくないと思うのでしたら、読まなければい良いではないですか」

「アポロニア……。だけど、ペトロネッラ枢機卿が現状を憂いているのならば、知識を得よと仰っているのです」

「まあ、ペトロネッラ枢機卿が。……確かに今の貴方には必要かもしれませんわね」


 ギーナが七代目聖女の残した恋愛小説の一作を手に頭を抱えていると、何かの本を両腕に抱えた気品を感じさせる女性が現れた。

 彼女の名はアポロニア・カスパル・グリューネヴァルト。中大陸の一つ、ツーラルト王国から夫と共にエイティンへ移住してきたとギーナは聞いている。


「貴方も一度読んでみれば分かりますよ」

「残念ながら聖女ギーナ。淑女の嗜みとして七代目聖女の作品は一通り読んでおりますし、その手にお持ちの『メルセリア学園恋愛譚~ペルセフォネと七人の守護者~』、略してメル学シリーズはすでに読み終わっておりますわ」

「……わぁお。本気?」

「嘘をつくことでもないでしょう。わたくし好みではございませんでしたが、七代目聖女の作品はご令嬢の間で話題になりやすいもので……。ええ、本当に」


 現実逃避とばかりにギーナがその手に持っていた本をアポロニアへ差し出すと、どうやらアポロニアはすでに読んだことがあるようだ。『メルセリア学園恋愛譚~ペルセフォネと七人の守護者~』は、七代目聖女が残した作品の中で学園ものと言えばメル学と言われるほどの作品だ。本編十五巻、番外編を集めた短編集四巻のメル学シリーズ計十九巻は、恋愛結婚に憧れる女性ならば確実に全巻そろえているほどの人気を持っている。

 身分が高ければ恋愛結婚よりも政略結婚が優先されるし、身分が低ければ結婚に行きつくかも怪しい現実が待っている。つまりまあ、恋愛結婚とは夢物語であり現実ではないからこそ愛されているとも言う。恋愛結婚がないわけではないが、メル学シリーズを好んで読む女性が全員甘ったるい逆ハー恋愛からの結婚を望んでいるとは思わないので割愛。


「まあ、僕たち男だものねえ。成人するまでは女性の格好をすることになってるけれど」

「わたくしは数ヶ月後に成人を迎えますが、聖女ギーナはあと三年待たなければいけませんものねえ。貴方はどちらかと言えば女性よりの中性的な容姿ですので、その格好も似合っていますが……。もし、筋骨隆々とした方が聖女となった場合も女性の格好をするのでしょうか?」

「あー、過去に何度かそういう例があったとは聞いているよ。その時はまあ、聖女ではなく変則的に聖人と呼ばれていたようだけれど……」

「まあ、本来はそうなりますわね。やはり見た目ですか」

「だよなー。あー、母さんそっくりに生まれたからなあ」

「父親に似ずに生まれて良かったではないですか」

「確かに!」


 実はなんとこの二人、男であった。

 お互い様々な理由で幼い頃より女として育てられてきた二人だが、十六歳の年に行われる成人の日を迎えたあとは男として普通に生活できるようになるのだ。しかし、それまでの期間はなかなか苦難の日々である。

 ギーナはツーラルト国の子爵が、当時子爵邸で勤めていたメイドの母に手を出した結果できた子だ。子爵はすでに婚姻しており、正妻がいたためギーナの母はすぐさま暇乞いして実家に帰ったが、両親は処女を失った娘を他家に嫁がせるわけにはいかないと嘆き悲しんだと言う。幸い母は性根がすわっている人で、一人でお腹の中の子を育てると両親に告げてその日の内に実家を出たとかなんとか。その後は友人の伝を頼り、友人が嫁いだ屋敷のメイドとして働きながらギーナを生んだ。

 それから五年ほど経った頃だろうか。母は不注意により階段から落ちて左足を骨折してしまった。そして共にいたギーナは母の姿に驚き、無意識の内に治癒魔法を発動したのだ。ギーナは母のことが心配で、涙を流しながら母に寄り添っていたと言う。治癒魔法を発動した際に体が仄かに普段とは違う熱を持ったと思われるが、当時のギーナはそれを知らなかったために己が治癒魔法を発動したことなど気づいてもいなかった。しかし、母や周りにいた執事やメイドたちは違う。

 噂は屋敷内に瞬く間に広がり、ギーナは聖女候補なのではないかという話が持ち上がった。多くの視線にさらされたギーナは体調を崩したそうだが、それは初めて魔法を使ったことも原因だろう。折れた骨を元通りに戻すほどの治癒魔法は、初心者には難易度が高すぎるのだ。治癒魔法の難易度が元々高いことも理由なのだが、無意識とは言えまだ幼く魔力も不安定な五歳のギーナには過ぎたるものだった。

 その後、ギーナと母は町にあるアギスダルト教の教会を頼り、エイティンへと移り住んだ。

 体調を崩したと言っても、五歳ながら無意識で治癒魔法を扱えるという事実は聖女候補に選ばれてもおかしくはない。町の教会でギーナは使用可能な魔力属性を調べた際に火、水、風、土、闇、光。全ての属性の魔法を仕様することが可能という結果が出たのも、ギーナが聖女候補としてエイティンへ向かうことになった原因でもある。

 それからなんやかんやあって、十歳の選定の日に聖女として選ばれてから三年。今年十三歳となったギーナは、今日も楽しく女装して過ごしている。


「もしも聖女として選ばれていなかったのなら、僕はすでに男として生活できていたんだろうけれど……」

「聖女に選ばれたからこそ、ペトロネッラ枢機卿の傍にいられるのですから。社会勉強の一つと思えばよろしいでしょう」

「まあねー。ここに残った聖女候補の多くは修道士や修道女として働いているから、聖女じゃなかったら僕も修道士の一人だったと思うけどさあああ。いくらペトロネッラ枢機卿が後見人だと言っても、平の修道士が枢機卿の傍にずっといられない現実ね!」

「まあ、まずは聖女候補の時とは全く違う生活に慣れなければいけませんものねえ。修道士として、修道女として学ばなければいけないこともありますでしょうし……。ペトロネッラ枢機卿とお会いするには、最低でも助祭。いえ、司祭にならなければ難しいでしょう。あの方は特殊な位置に就いておりますから」

「それを考えると、大変なことが多いけれど聖女になって良かったと思うよ」


 ギーナはため息をつきながら、天を仰いだ。

 視線の先には三十代目聖女が手がけたと言う天文図が天井全面に広がっていた。その壁画は世界でもここだけにしかないものだそうで、部屋に闇を落とせば描かれた星々がひとりでに輝きだすように魔法が施されている。その魔法は三十代目聖女が作り上げたもので、彼以外は使用することができないものだ。世界中の魔法を研究する者たちにとって興味深いものだが、未だ誰も解明することはできていないとかなんとか。つまりまあ、このグロース・エイティン大聖堂で過ごすものたちにとって、この天文図は部屋が暗くなると光るお手軽プラネタリウムのようなものだった。


「あ~~~、とにかく問題は僕の現状だね。アポロニア、何か良い解決方法はないでしょうか?」

「解決方法でございますか。このことについては、わたくしよりもあの聖女を自称した者の方が詳しいと思われますが……」

「あれは魅了魔法が原因でしょう。私とは根本的なところが違います」

「そうですわねえ……。それでは婚約者がいると伝えてみてはどうでしょうか」

「お互いを婚約者だと思い違い、殺傷事件が起きかねませんね」

「……ありえないことではありませんね」


 アポロニアはため息をつき、ギーナは頭を抱えた。

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枢機卿が○○とは限らない 功刀攸 @trumeibe_yuu

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