第七話 卵

 北東に位置する管制棟。円柱状の整った塔の壁面には「艮」と大きく書かれている。ラプラスは物憂げに塔を一瞥した。この塔はレプトの城だ。ラプラスはこの塔の全容を知らないし、知りたいとも思わない。きっと彼のことだから、研究のためと言って後ろ暗いことを嬉々としてやっているのだろう。

中央棟は白い壁に煌々と白い照明が当てられた明るい空間だが、この艮の塔は赤い照明が使われている。白いはずの壁も、自分の体もぼんやりと赤く照らされ本来の色はわからない。

 機械人形たちの小さな暴動。この原因調査を担うレプトから連絡があったのは、わずか三日後のことであった。この管制棟に足を踏み入れるのは彼に呼ばれた時のみで、およそ半年ぶりになる。たまに開いたままの扉から部屋の中を覗くと、少し物が増えたような気もするが、大きな模様替えは特にはしていないらしい。以前水素自動車に没頭した時には、至る所に部品が散乱して床が見えなくなってしまい、片付けに骨が折れた。そういうことは彼の得意分野ではない、他に適役はいくらでもいる。それでも気まぐれに物事に打ち込むのが彼の趣味だった。


 昇降機エレベーターの前で、ラプラスはしばし立ち止まった。籠を待つ間、月宮殿全体のエネルギー状況を確認する。ここのエネルギーの大部分は原子力によるものだ…リスク分散のため、至るところに原子炉が配置されている。私の身体にも。既存の生物の居ない今では、原子力に文句を言う者も、それによって滅ぶ者もいない。そのうえ、武力として使う者もいない。生物がまた現れた場合のテストを兼ねて、各原子炉には我々に対して過剰とも言える安全策が講じられている。数値は平常通りで、不審な点は見られない。

 扉が開き、ラプラスは見ていたウィンドウを閉じて籠に乗り込んだ。微かな振動を感じながら、ふと疑問がよぎった。どうしてレプトは、時々私を直に呼ぶのだろう。音声はもちろん、映像や感触に至るまで共有できるほど、私達は呼ばなくたってその場で話せばいいのではないか…そう思ったが、彼の答えはすぐに検討が付いた。

「そりゃなんでって、浪漫だよ、浪漫。」

いかにも言いそうだ。


 静かに開いた扉。差し込む白い光。さすがのレプトも生活圏は赤くしないんだな、と考えながら、彼の根城に足を踏み入れた。

「待ってたよ、姉さん」

城の主は含みのある笑みを貼り付けて私を見つめた。長い前髪が顔の左半分を覆い隠し、口元は笑っているがその左目は視認できず、表情を読み取りにくくしている。辺りにはネジなどの部品類、半導体らしきもの、そして数えきれない程の紙の書籍。紙製の本などとっくの昔に流通が止まっているが、残された数少ないものがここにあるというわけだ。どこから手に入れたのかは知らない。整頓下手なところは、彼の中の人間ロストによるものなのだろう。

「棚を増やすべきだな」

この提案は三回目だ。いつまでも言う事を聞かない、そういうところも彼女に似ている。まぁそのうち、なんて気の無い返事をするのだ。

「で、要件は」

 レプトは目を細め、後ろの壁に触れた。全体にウィンドウがでかでかと開く。一面に文字が並ぶ、一見意味を成さない平仮名の羅列だが、機械語バイナリデータだ。もっとも、今の時代『機械語』というのは近年に発生した我々の…機械による機械の為の言語を指すが、これは人間が使っていた機械を操る為の言葉だ。私たちの中に詰まっている言葉。

「姉さんから貰ったサンプルを基に、ネハ型の中身をごっそり漁ったよ。

 それはそれは膨大な量をね…」

恩着せがましいのはいつものことだ。無言で次の言葉を促す。

「で、ほとんどは他の型と変わらないんだけれど、運動系の隅にね…無駄な行があった。」

無駄、という言い方が気になった。

「異常ではなく?」

彼は頷いた。

「無駄なんだよ。それは、全く何の役にも立たない、何の影響もない文字列なんだ。

 じゃあ暴走の原因は何なんだ、って思うだろう?」

 大仰な手振りを冷めた目で追いながら、ラプラスは問いに答える為思案した。内部には原因が無いのか、もしくはレプトが調べる前に証拠が消されたのだろうか。どちらにしても…

「第三者からの調整ハックを受けた」

「御名答」


 私たちが統制しているこの都市で、ネットワークを不正に使われた事例は皆無だ。全ての機械人形は蜘蛛の巣ウェブに監視され、同時に蜘蛛の巣を監視している。その動き全てを我々は把握し続けている。それに、私とレプト、MOTHER以外にはコードの書き換えはおろか自分の中身さえ見る権限が与えられていない。OSのアップデートも私達だけで構築し、専用の回線、専用の暗号を用いて各機に伝達される。そこに異物を入れ込む隙は無い。

…人間が消え、当時存在していたウェブ上の情報はMOTHER内にアーカイブとして保存したものを除いて全て消滅した。ほとんどの機械が無力化されたことも原因だが、私たちが長い年月をかけて削除して回ったから。私たちに曖昧な知識も嘘も自慢も必要無い。だから…そもそも人形かれらがコードを理解するための知識を持っていない。私が奪った。

残された選択肢か。ローカルネットワークでのやりとりなら、防壁をすり抜ける方法があるかもしれない。この都市を構成する全てにおいて”悪人”はただ一人として居ない、その前提でシステムが成り立っている。できる限り情報は厳重に使うようにしているものの、完璧には程遠い…仮想の敵と戦うのには限界がある。


 逡巡する思考を断ち切った。待て、先走りすぎている。問題は方法では無い。もっと根本的に、確実に対処する問題がある。

「つまりだ。この話で最も重要なのは、」

「知識を持った何者かが潜伏している…。」

相手がかすら不明だが、そう考えるのが自然だ。この大胆とも言える行動は、都市の仕組みを知る者でなければできない。意識を持たぬ機械モノでないのなら、私と同じような存在か、あるいは。

「話のミソはここからさ」

レプトが芝居がかった声音で手を前に出すと、壁の文字列が流れていく。

「その無駄な行が、犯人の消し忘れとは思えない。

 なんせ無駄だからね。入れる意味すらない。」


「メッセージか、私たちへの。」

あっさりとした解答に、勿体ぶって肩をすくめる。

「姉さんは理解が早すぎてつまんないなあ。

 もっと余白を楽しもうよ。人がせっかく必死に謎解きしたってのに」

深く息を吸った。怒りを制御するには最初の六秒が肝心らしい。

「時間があればそうしよう。

 だが、解けたから呼んだんだろう?」

「もちろん。至って古典的な暗号文だったよ。

 しかも、鍵は僕たちにとって特別な言葉だからね、すぐ解けたさ」

胸の前で両手の人差し指と親指同士を繋げて見せてきた。人差しが接する頂点を下に向け、三角形を象っている。それが意味するものは…”三位一体”。を表現するのに最もふさわしい言葉。

 文字の流れが止まる。そこには、


 汝 受肉を讃え 主の道を拓け


とそれだけ表示されていた。それを目にした瞬間、ラプラスの表情は自分でもわかるほど冷え固まっていた。凍りつきそうなほど鋭い目付き。そんな表情をレプトはじっくり見つめ、満足そうに薄笑いを浮かべる。

「姉さんなら、すぐにわかるでしょう?」


「…天使の喉笛」

必要最低限の動きで発声されたその言葉が、部屋中に響いて聞こえる。

復活祭の卵イースター・エッグ

一体何が復活するんだろうねェ?」

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ひもろぎ覓ぐ 砌七兵衛 @hatibee

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