第六話 夜ヲ駆ケル
奇妙な夢を見る。
内容は全く覚えていないが、目を覚ますとその苦味だけが乾いた舌に残っている。
仄かな明かりの中、頰に当たる硬い床の感触。二、三度瞬きをして、体を仰向けにする。湿気を帯びた温い空気。もうすぐ夏になろうとしているのだろうか?前回からどれくらい経ったのだろうか?答えを教えてくれる者はいない。
腹部に右手を当てる。既知。現実。まだ身体の半分は微睡んでいる気もする。長い旅の途中…重なり合う次元の狭間を泳ぐ感覚。
左肩に目をやる。そこにあるべき左腕は無く、断面は黒く塗りつぶされ光沢を持っており、最も暗い中央部分から自分の背丈ほどもある細長い黒い布のようなものが伸びている。左腕の代わりというにはあまりに薄っぺらく、そしてあまりに大きい。先端は五つに裂け、それぞれが揺れ動いている。この左腕を見つめる度に、己を知覚する。他の誰かに成り代わることはできない、自分の役目は、自分にしか背負えない。
左腕はこちらの意思とは関係なく動き、首から上を易々と覆い隠せるほど大きな掌で心配そうに頭をさすってくる。そして私自身の右腕の上にもう一枚、マフラーのように首に巻き付いた黒い…『第二の右腕』とでも呼べるだろうか…布のようなものが右脚に触れる。
違和感に身体を起こしその黒布の指先を見ると、膝が小さく擦りむいていて、内部の機器が露わになっていた。前回負った傷だ、補修されなかったらしい。関節をゆっくり曲げる。動作に影響はない。自己修復で事足りると判断されたのだろう。捲れ上がった合成皮膚を見つめていると、傷を負った時のことを所々思い出す。
音を殺して扉を開くと警告音が鳴り響き、音源に首を向ける暇も無く轟音と共に熱波が襲う。爆風に飛ばされながらも体制を整え、膝をついて踏み止まる。黒い腕の中でベキベキと音を立てて握り潰される胴体、粘性の液体が腕を伝って顔に降りかかり、座らなくなった首がだらしなく頭を手放す。横たわった身体、黒い腕はそれを飲み込み、湿った鈍い音が聞こえる。黒く濁った液、壁に反射する僅かな光だけが私を照らして…
ガコン
物音に一気に意識を引き戻された。壁に細長く開けられた穴から封筒が投げ込まれる音。いつもの音だ。封筒の中には場所と指令が簡素に書かれている。それだけが私の生きる意味。
ふと、蜃気楼のような記憶の中にある昔々の映画のことを考えた。
内容はこうだ、人間は太古に存在した大型生物を遺伝子工学で蘇らせた。最初は見世物程度にしか考えていなかったが、ある時気付くのだ。人間は神ではないこと…これは自らの手に余る代物ではなかったということに。一度は滅びた生物は人間を自らの領地から追い出し、束の間の自由を得た。最後に天に向かって咆哮する。その叫びは勝利宣言か、啼泣か。
中身を確認したのを見計らったように、駆動音が辺り一面に響いて天井が開き始める。四方の高い壁の更に上、遠く遠くに光が見える。薄く明かりが射しこみ、身体の表面を蠢く黒い線が作り出す紋様を照らす。
真上を見たまま足に軽く力を入れる。身体の跳躍に合わせて黒い腕が地面を殴り、常人では不可能な高さまで軽やかに浮き上がる。黒い掌が壁に吸い付き、テナガザルのように器用に壁を伝って這い上がっていく。
十秒足らずで地上六百メートル程の屋上に立ち、押し合うように立ち並ぶビル群を見下ろす。目的地までの最短ルートが
薄く黒い腕が、風にたなびいて揺れる。
夜を駆ける 黒い翼。
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女子高生二人組が並んで夕暮れの道を歩いている。いつものように彼氏の話などでそこそこ盛り上がっていたのだが、
「ね、昨日の夜さ、あたし塾だったんだけど」
声のトーンを急に落としてひそひそ声になる、オカルト話をする時の癖。私はそれを察して彼女の言葉を止めるように口を挟む。
「もーやだ!そういうの苦手って言ってるじゃん」
「お願いお願い!聞いてよー、話す人いないんだもん」
手まで合わせられるとそれ以上止められようもない、仕方なく次の言葉を促す。
「わかったよ…で?塾の帰りに何があったの?」
「見ちゃったかもしれないの、黒い天馬」
私は拍子抜けしてフッと鼻で笑った。高校生にもなって、そんな事を大真面目に話すのは彼女くらいのものだろう。
「はぁ?カラスでしょ、そんなの」
一緒に怖がってくれない私に彼女はご立腹だ。
「いやいやいや、絶対本物だったよアレは。
私にはわかる!」
「何がわかるっての、大体…」
時が進み、知識は拡がり、技術が生まれ、多くの謎は解明されたこの時代。しかし、どんな時代になっても、未知は存在し続ける。生命の根源に眠る恐怖は、時に自ら対象を作り出すこともある。その一つの形が都市伝説。この
賑やかな都市でありながら夜に人通りが極端に少なくなる理由は、幼い頃からこの都市伝説を聞かされているからなのかもしれない。
ああ、今夜も 落ちる。
わたしは 夜を駆ける
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