第五話 私たち
ラプラスは深く息を吸った。それは彼女にとって何の意味も無い行為だったが、「人間らしさ」を求め基本動作として組み込まれた行動であった。
地球の空気は汚れている。こんなものを吸ってしまえば、人間などひとたまりもない。でもラプラスは息をする。それが残酷なことに思えて、胸の底の方に疼きを感じた。
小鳥のさえずる声、木の葉の擦れる音。木漏れ日の温かい光。かつてはここにあったもの。
私は森の中で切り株に腰掛けていた。この部屋の壁には六面全てに立体投映装置が埋め込まれており、想像しうる全ての空間を作り出すことができる。このような大仰な装置が無くとも我々には拡張現実処理ソフトが入っているが、本物の眼に特別な処置を施さずとも見えるというのが最大の利点だろう。だからこの森は、存在しないもの。No.lostの持つ記憶と想像を元に作り出した立体映像である。
ラプラスはこの森の中で、
愚か。
ラプラスの頭に浮かんだ言葉。
どれほど高度な知能を得ても、人間に忠誠を誓い続ける限りそれ以上にはなれない。そして機械たちは自らの姿を省みることはないだろう。私がそう導いたのだから。彼らは優れた能力を持っている。しかし彼らは”にんげんごっこ”を受け入れた。その力を持ってしても、最後の命令[生命を再び蘇らせること]の解が出なかったからだ。地球の環境を人間好みに整える、その副産物がこの社会。人間社会の脆弱性を取り除いた、人間の思い描くままの"真の持続可能社会"を、私たちは作った。
「ロス!」
懐かしい声が頭の中に響く。
No.lostの記憶。番号もなく、名前もない落ちこぼれのわたしを、彼女は優しく呼んだ。
ラプラス。『斜陽』の後、自分で付けた名前。人間が付けた名前はカヲ,〇〇七一,一…ただの道具としての識別記号。嫌いではなかったが、愛着も無い。ただ単に長くて言いづらいから変えただけだ。ロストと融合しても、私の本質が変わることはない。私は
渦巻く考えを振り払うために深く息を吸った。これまでの行動が正しかったかどうかを今判断する術など無い。結果は未来に示される。
でも、と考える頭は止まらない。これだけ必死になって人類が蘇ったとして、その後
私たちは
人間のために。
人間のために。
人間のために。
私は、一体、何なのか。
恨めしい、ともつかない暗く重たくべたつく感情を背負い、その場に横たわった。その動作に対応して、床に映された木の葉や土がカサカサと音を立てる。
生きた人間の思考の一部を貰い受けたが故に感情を持つ私とは違い、地上で活動する多くの機械人形には感情を生成し制御するソフトウェアが入っている。これによって個性を生み出し、より人間らしく生活を営み、人間の目線に近いところから現在を見つめる…という目論見だ。
道は遠い。問題も山積み。不具合は大小問わずは毎日のように発見されるし、感情が行動に干渉しすぎて規律を破ってしまう個体も出る。機械を取り締まるのもまた私たちの仕事だ。そう、再開発区域に侵入されたあの時のように。錆びた金属の甲高いキィキィという鳴き声を不意に思い出した。
斜陽が始まる少し前の危機的状況でさえ機械に対して反感を持ち、生活に踏み込まれることを拒んだ集団も存在した。時に人間は、自らの生を否定する。生物の本能に、最大の使命に背くことができる。機械にも、自壊という選択肢は存在する。それは、人間の真似事でしかないのかもしれない。命を持っているという機械の錯覚。我々に個は無く、自己も無い。どんなに
けれど、いま私たちは人間の命を背負っている。地球をしゃぶりつくした醜い憐れないきもののいのち。
ああなんと辛い使命だろう!何度もそう思った。人間の心をもっているからこそわかる、人間の不必要性がちくちくと頭を刺す。ほんとはわかってる、にんげんなんか、もうとっくに寿命だよ。さっさとつぎに席を譲ればいいのさ。彼女も言っていた。
それでも取り戻す。それが命令だから。
いつまでも待ち続ける。
そのためにできることはいくらでもある。
「…レプト」
とても小さな信号だったが反応が帰ってきた。
「
「相変わらず眠りこけてるよ。よくもまあ飽きないもんだよねぇ」
ロストの思考は3つに分けられた。ラプラスとレプト、そしてマキナに。マキナは未だ調整中。長いこと脳脊髄しかなく、やっと体組織の成長がうまくいって身体を繋げてみたものの、なかなか目覚めない。レプトはつきっきりで原因を探ってくれているが、まだしばらくかかりそうだ。マキナが目覚めることによって、完全体の人間の思考が活動することになる…あくまで分れた状態で、だが。私たちには不可欠の存在だ。
「ま、焦っても良くないし。ゆっくり探っていくよ」
天井の太陽を仰ぐ。これまでの淀んだ考えがジワジワ灼かれていくように感じた。
「姉さん。この前の暴走の件だけど、イイもの見つけちゃったんだ…ちょっと顔出してよ。」
「わかった」
ラプラスはすぐに立ち上がり、舞い落ちる葉の一枚を掴み取る動作をする。と、森は消え、何も無い真っ白な部屋になった。小鳥の声も消えてしまった。
少しの間白い天井を見つめ、レプトのいる別の棟へと歩き出すのだった。
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