二 甍の花(一)

 たまき西端の島々を統べ、大陸との玄関口のひとつともなっているのが、縁海都督府えんかいととくふである。その管区には、古くから蘇廬のひとびとが帰化して住み、交易や農事に従事している。よくよく聞いてみると、「襲来」してきた賊本人ではなく、環側からその者たちを支援した疑いが持たれた、帰化済みのひとびとを、彼ら同士のつながりから分断するため、という意向も含めて移配したのが、今回の人事だという。

 蘇廬も、その北方に位置し、環とも活発な国交のある波麗ばれいも、大帝国であるこうも、いまは混迷のなかにある。地方豪族の台頭、百姓の反乱、異民族の侵入、旱魃かんばつや飢饉、疫病、そして地震や噴火――……。ひとびとは多くが貧窮し、流亡し、故郷を追われてさすらう。環が外敵の脅威から辛うじて免れているのは、環の果てである諫那島と蘇廬のあいだを、強烈な海流が走っているからにほかならない。そのために遣洸使や遣波麗使の船はたびたび水没している。

 「蘇廬の海賊」とされた男女は、都督府に貢納される予定だった綿わた[真綿]を、沖合で強奪したという。拿捕にあたったのは、北辺から強制移住させられている夷似枝たちからなる兵士だった。

 土木建築を生業とする吉氏出身で、木工寮での出世を足がかりに、検非違使として西国に派遣されていた、齢五十をだいぶ過ぎている枝打は、遠辺国の惨状を見て数瞬絶句し、しかし即座に闊達に造作の手配を始めた。

「春野さまは」枝打は、下級氏族出身者らしく慇懃に国守の娘を呼び出し、朗らかに笑った。「兄君野主さまについて諫那島におられたこともあるとか。蘇廬のことばにも通じておられるのでしょう。瓦工を窯場に案内してもらえませんか」

 春野は、枝打の明るい表情にあっけにとられながら、ぼそぼそと返す。

「……しかし、わたしは弓馬の術にうつつを抜かしてばかりいたので……造作の細かい用語はわかりませぬが」

「なに、職人は職人同士で、身振り手振りで話を通じさせますよ。細かなてわざのことよりも、春野さまのような、この地で身を粉にして動かれている方がいたほうが、場がうまくいくのです。とりあえず、瓦工を紹介しましょう」

 おずおずと部屋に入ってきたのは、年の頃は春野よりわずかに年上か、という青年だった。

 顔にも袖から覗く手にも、あばたがある。痘瘡とうそう[天然痘]にかかったことがあるのだろう。青年は目を伏せ、こちらを見ようとしない。

《わたしは風声春野という。そなたの名前は?》

 彼の眉は、あばたに浸食されて、ほとんど生えていない。表情の読み取りにくい顔だった。

《……宝春ほうしゅんだ》

《字は書けるか? どういう字なんだ?》

 枝打に木簡と筆記具を借り、差し出す。青年は受け取り、淡々と筆を動かした。迷いのない、書き慣れた者の字。

《わたしはこう書く》

 その横に、春野は自分の名を書いた。わずかに、青年の目が見ひらかれる。

《一字、同じだ》

 訥々と、青年はつぶやく。

 そのときようやく目が合い、春野は微笑んだ。


 枝打は赴任の旅の夜営で描き継いだという、図面を示しながら春野と宝春に説明した。

《建築の要は屋根です》

 絹布に描かれていたのは、地震前の城柵の建物だった。その久しぶりに見る懐かしいすがたに、春野は胸を衝かれた。

《基壇、》地震使は地面を示す。《礎石、》土台に使われる石。《柱……組物くみもの》柱と屋根の間にある、木材の組み合わせ。《長押》柱を連結する横材。《垂木、そして、その上に葺かれるのが、瓦です》

 優美でしなやかな曲線を描く屋根。枝打の無骨な指の下で、臥田城は昔日のすがたに輝いた。

 蝉時雨を聞きながら見上げた夏の夕べ。雪の敷き詰められた真っ白な地面に映える、冬の黒い瓦。

《瓦はとても重い。一枚で肥えた赤子ひとりぶんです。それが、ひと棟につき三万枚は葺かれる》

《三万……》

 気にしたことのなかった事実に、春野は瞠目する。

《それが、さきほど申した部材すべてに、一本の筋を通します。ばらばらだった木材や石、土が、重みによって一体化するのです》

《……礎石式の建物は瓦の葺き替えだけで済むだろうが、掘立柱は柱から建て直したほうがよいだろう》

 宝春のことばに、枝打はふかく頷く。

《政庁正殿、後殿、東西の楼、脇殿。築地の外の施療院などの曹司。国分寺と国分尼寺。国守さまの館。補修の上、瓦をすべて葺き替えます。一部はいま残っているものが使えるでしょうが、大半は焼き直しです。都から工人を五百人連れてきましたが、彼らだけでは到底賄えません。この地の百姓、そして夷似枝の協力が必要です》

 枝打は満面に笑みを刷いた。

《さあ、忙しくなりますぞ。この地は、数年のうちに、必ずいや増して栄えます。元よりもおおきく、つよく。春野さま、お力をお貸しください》

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