二 甍の花(一)
蘇廬も、その北方に位置し、環とも活発な国交のある
「蘇廬の海賊」とされた男女は、都督府に貢納される予定だった
土木建築を生業とする吉氏出身で、木工寮での出世を足がかりに、検非違使として西国に派遣されていた、齢五十をだいぶ過ぎている枝打は、遠辺国の惨状を見て数瞬絶句し、しかし即座に闊達に造作の手配を始めた。
「春野さまは」枝打は、下級氏族出身者らしく慇懃に国守の娘を呼び出し、朗らかに笑った。「兄君野主さまについて諫那島におられたこともあるとか。蘇廬のことばにも通じておられるのでしょう。瓦工を窯場に案内してもらえませんか」
春野は、枝打の明るい表情にあっけにとられながら、ぼそぼそと返す。
「……しかし、わたしは弓馬の術にうつつを抜かしてばかりいたので……造作の細かい用語はわかりませぬが」
「なに、職人は職人同士で、身振り手振りで話を通じさせますよ。細かなてわざのことよりも、春野さまのような、この地で身を粉にして動かれている方がいたほうが、場がうまくいくのです。とりあえず、瓦工を紹介しましょう」
おずおずと部屋に入ってきたのは、年の頃は春野よりわずかに年上か、という青年だった。
顔にも袖から覗く手にも、あばたがある。
《わたしは風声春野という。そなたの名前は?》
彼の眉は、あばたに浸食されて、ほとんど生えていない。表情の読み取りにくい顔だった。
《……
《字は書けるか? どういう字なんだ?》
枝打に木簡と筆記具を借り、差し出す。青年は受け取り、淡々と筆を動かした。迷いのない、書き慣れた者の字。
《わたしはこう書く》
その横に、春野は自分の名を書いた。わずかに、青年の目が見ひらかれる。
《一字、同じだ》
訥々と、青年はつぶやく。
そのときようやく目が合い、春野は微笑んだ。
枝打は赴任の旅の夜営で描き継いだという、図面を示しながら春野と宝春に説明した。
《建築の要は屋根です》
絹布に描かれていたのは、地震前の城柵の建物だった。その久しぶりに見る懐かしいすがたに、春野は胸を衝かれた。
《基壇、》地震使は地面を示す。《礎石、》土台に使われる石。《柱……
優美でしなやかな曲線を描く屋根。枝打の無骨な指の下で、臥田城は昔日のすがたに輝いた。
蝉時雨を聞きながら見上げた夏の夕べ。雪の敷き詰められた真っ白な地面に映える、冬の黒い瓦。
《瓦はとても重い。一枚で肥えた赤子ひとりぶんです。それが、ひと棟につき三万枚は葺かれる》
《三万……》
気にしたことのなかった事実に、春野は瞠目する。
《それが、さきほど申した部材すべてに、一本の筋を通します。ばらばらだった木材や石、土が、重みによって一体化するのです》
《……礎石式の建物は瓦の葺き替えだけで済むだろうが、掘立柱は柱から建て直したほうがよいだろう》
宝春のことばに、枝打はふかく頷く。
《政庁正殿、後殿、東西の楼、脇殿。築地の外の施療院などの曹司。国分寺と国分尼寺。国守さまの館。補修の上、瓦をすべて葺き替えます。一部はいま残っているものが使えるでしょうが、大半は焼き直しです。都から工人を五百人連れてきましたが、彼らだけでは到底賄えません。この地の百姓、そして夷似枝の協力が必要です》
枝打は満面に笑みを刷いた。
《さあ、忙しくなりますぞ。この地は、数年のうちに、必ずいや増して栄えます。元よりもおおきく、つよく。春野さま、お力をお貸しください》
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます