一 民夷を論ぜず(二)
海口哮吼 聲似雷霆 驚濤涌潮 泝洄漲長 忽至城下
海口は吠え、その声は雷鳴に似ていた
波濤が湧き起こり、川を津波が遡上し溢れて、たちまち城下に至った
「春野!」
ぐい、と腕を引っ張られた。
はっとして振り返る。眩しい陽光のなかに、見慣れた幼馴染みのすがたがある。
「
彼女を目にするのは数ヶ月ぶりだ。北辺を飛び回る夷似枝の商人である
地震発生から数日が過ぎていた。
ふたりは臥田城の外郭南門から、城下を見下ろしていた。
見慣れていたはずの風景が豹変している。
青い田と、風に揺れる葉を持つ森であったはずの臥田の地は、黒い泥水に浸って広大な沼のように見える。苗は潰れ、木々は倒れ、畦道の線で辛うじて区画がわかる。
ぽつぽつと浮いているのは瓦礫の破片。津波と引き潮が一昼夜くり返されたため、遠目ではそれがなんであるのか判然としない。家の柱だったのか、農具だったのか、それとも、ひとや家畜の死体だったのか。
戦や、今回の氷隆城の被害で、春野は死体を見慣れていた。しかしそれは、ひとであるとわかるものが大半だった。
風に乗って猛烈な腐臭がふたりに押し寄せる。
ここに辿り着くまでに、春野は城下の街なみであった場所を通っている。都と同じく、碁盤の目に整備され、数千の百姓が暮らしていた街は、すべて浸水し、川沿いの家は薙ぎ倒された。命を絶たれたひとびとの数は、千を超えるという。沼となった平地に漂う水死体は、白く膨張し、布に綿を詰めた稚拙な
こなごなになってしまった亡骸の一部を、犬がくわえて沼地をぴしゃぴしゃと走り抜けていく。
海辺の村から流されてきた瓦礫や死体。家々は押しつぶされたようにひしゃげ、一部では火事も起きた。
山崩れも発生し、土砂が道を塞いだ。
父の安否を知りたいとの一心で、春野は高樹の許可を得て、臥田の地に来た。最悪の想像を、目の前の光景は遥かに凌駕していた。
臥田城政庁、混乱を極める国司の中枢で、春野は
「日陰に行こう。からだに障る」
女商人は落ち着いた声音で言った。
彼女に手を引かれるまま、春野は門の内側の木陰に入った。
「秋守……
そこには秋守の率いる角嶋の郎党たちがいる。みな憔悴したすがたで、それでも春野を見て顔を明るくした者もいる。
「ちょうど戻る途中だったんだ。井津端側も山崩れで大変だったよ。残りの行程が倍かかった」
「……一族みなは、臥田にいたのか」
「兄上や
「……」
目を見ひらいてこちらを見つめる春野を、秋守は見つめ返した。
「わたしたちは井津端で米をあるだけ買い占めてきた。ここで炊き出しをするつもりだ。春野、手伝え。どうせおまえはまだ仕官していないんだろう」
「……秋守」
親友の両手が、春野の両肩をつかみ、つよく握った。
「春野、いま自分になせることをしよう。わたしたちはこの地に育てられた。今度はこの地を生かす。都からの援助は遅いだろう。しかし、角嶋はありったけの人脈と金で、遠辺を支える。おまえはどうだ。おまえにできることはなんだ?」
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