第60話)パタヤに潜むタイ在住組ダークサイド
「ご無沙汰しています。先日は大変お世話になりました。あれから私も数日タイの市場を回ってから日本に帰国しましたが、君たちもいろいろと探し回ってくれたようですね。私が求めている商品は、送ってもらったサンプル画像のような商品で間違いありません。仕入れ価格もほぼ問題ないですが、もう少し下げれるようであれば交渉してみてください。とりあえず先ずは、それぞれの商品を各1~10個ずつ×10数種類といった感じのミックスアソートで計100~300個ずつサンプルを送ってもらおうと考えています。諸々の必要経費込で大体10~20万円程度の予算で考えていますので、商品代金のほか送料や代行手数料などを含めた見積もりをお願いします……」
横浜の貿易業者Tさんとの取引は首尾よく始まった。Tさんが僕らに残した宿題は「ブルース・リーTシャツほか関連グッズ、ミニチュア商品、昆虫キーホルダー」の三つだった。キーワードは、彼の会社の卸し先があるという全国各地のキヨスクや、地方の土産物屋に置いてあるような商品。それらをタイで探し当てることが僕らに与えられた任務であった。僕らはバスを利用して再びバンコクへと足を延ばした。
ブルース・リーTシャツは、衣料品市場のプラトゥーナムですぐに何軒か取り扱っている店を見つけた。まさに映画のポスターやパンフレットをそのままプリントしたような白黒ボディのTシャツで、Mサイズは120バーツ、Lサイズで150バーツ、XLとかXXLサイズになると180~200バーツと細かく値段設定がされている。これが旅行者や現地タイ人相手に売られている小売価格となる。
ただし、ここは衣料品の問屋街でもあるため、ほとんどの店が「WHOLE SALE(卸し販売)」の看板を掲げ、業者向けのビジネスを主として商っている。だいたい3枚以上~、10枚(1ダース)以上~と店によって取り決めがあり、卸し価格は小売価格の6~7掛けの値段、取引量が多くなれば(交渉次第では)半額ほどまで下がるといった感じだ。だからこそ、現地タイ人店主との第一印象、会話、駆け引きといったビジネス交渉術が何より重要だと思われた。
「アンニー・ラーカーソン・タオライ?(この商品、卸し価格は幾ら?)」
「ミー・スィー・アライバーン?(他にどんな色があるの?)」
「ミー・ギーサイッ?(サイズは全部で何種類?)」
「コットン・ロイパーセント・チンルーパオ?(綿100%って本当?)」
「ロンガーン・ティナイ?(工場はどこにあるの?)」
「ラーンニー・プゥート・ギーピー・レーオ?(この店できてから何年ぐらい?)」
「ボス・コンナイ?ユー・ティナイ?(ボスは誰?どこにいるんだい?)」
リュウさんが、どこぞの専門バイヤー気取りの偉そうな態度で店員に話しかけると、その堂々たる只者ならぬ風貌もあってか、だいたい上手く交渉が進んだ。リュウさんの口ぶりは、いつもどこでも気さくだが大げさで誇張した類のインチキくささが常にプンプン漂っていた。しかし、それも同じく金の匂いに敏感なタイ人相手となるとさして問題はないようで、僕はリュウさんが話す直接的な物言いの簡単ビジネスタイ語や、店員の口から出てくる商売用語を逐一メモしては覚え、身につけるようにした。
結局、ブルース・リー関連グッズはTシャツ以外に見当たらなかったが、Tシャツは一つの店で数10種類と豊富にデザインがあったのでそれだけで十分だった。僕らは愛想が良いハーレー系ゴリゴリバイカースタイルの親父が経営する店に取引先を絞り、そこで各デザイン10数種類ほどピックアップすると、M/Lサイズ、色は白黒半々、ミックスアソートでトータル100枚ぐらいといった感じでサンプル商品を見繕った。卸し価格は一枚あたり70~80バーツ程だったので、全部で10,000バーツ(約3万円)以内に収めるようにした。
三つの商品だけに、ちょうどキリがいい3万円ずつで9万円、それに送料1万円ほどでいければ、大体トータルで10万円ほどになる。Tさんからは予算10~20万円とメールが届いていたが、先ずは最低予算で見繕ったほうが必ずTさんも喜んでくれるはずだと二人で相談した上での判断だった。
二つ目のミニチュア商品は、毎週土日の二日間、開かれる大型市場のチャトゥチャック(ウィークエンドマーケット)で見つかった。タイ最大級の市場面積を誇るチャトゥチャックは、ゆうに1万店舗を超えるのではないかというほど多種多様なショップが密集して軒を連ね、各セクションで大まかに区分けされている。衣料品、古着、軍モノ、小物雑貨、日用品、照明(インテリア)、食器に陶器、ペット用品、それにペットの動物(熱帯魚)まで、実に様々なモノ(タイ製品)が現地価格で売られている。そのほとんどが日本の約1/3程度~それ以下の安価な商品ばかりだ。
卸し先はどこか地方のお土産物屋さんなのだろうか、横浜の中華街あたりの軒先で売られるのだろうか。そうやって、あれこれイメージしながら、狙いをつけた店でサンプル商品を買い付けしていると、今まで自分が旅行者として買い物気分で商品を見て感じていた景色とは全く別物に感じられ、それは僕にとって新しく心地いい刺激に満ちた体験になった。まったく自分には興味のないカテゴリーではあるが、小中学生の女の子や、ミニチュア好きの女性などを思い浮かべて、サンプル商品を選んでいった。
定番のピザ、ハンバーガー、ラーメン、カレーライス、タイ料理などの食品類、お菓子、ケーキ、パフェなどのデザート類、10~20バーツ程度の安価な商品から100バーツ以上する陳列用の商品棚まで、いろいろと売られている。ミニチュアグッズを幾つか買い揃えたら、小さなミニチュアショップができあがるような雰囲気で、実に多種多様なアイデア商品が凌ぎを削るように、セクション内の小さな通りに密集し、販売合戦を繰り広げている。僕らは気に入った2、3店舗で1商品あたり大小1~3個ずつ、それぞれ思い思いに選んでサンプル商品を見繕った。
そして、三つ目の昆虫キーホルダーも同じチャトゥチャック内で見つかった。よくタイの土産物屋あたりで見かける、色鮮やかな南国産の蝶とか、クワガタムシ、ヘラクレスオオカブトなんかがガラス張りの木箱の中に標本されているような商品だ。この物珍しい昆虫標本の土産物を売っている店で、だいたい昆虫のキーホルダーも一緒に売られていた。Tさんからの要望、すなわち卸し先は、夏休みに全国各地の博物館やデパート、イベント会場などで催される子供(男の子)向けの商品売り場ということだった。
例えば恐竜博物館とか水族館みたいな場所でも、土産物売り場あたりで、日本にはいないような南国産のクワガタムシや、テカテカ緑色に光るタマムシ、コガネムシなど、色鮮やかな種類の昆虫キーホルダーは子供たちによく売れるという話だった。僕らが目をつけたのは、一つ50~100バーツ程度の商品で、それは硬く透明なアクリル製のキーホルダーの中に昆虫が収められているタイプの土産用商品だった。僕は自分が幼少時代に田舎の野山を駆け巡って、クワガタやカブトムシ採集に熱中していた頃の気分を思い起こし、イメージしてはサンプル商品を選んでいった。
元々ファッションが好きで買い物好きな性分のせいもあるのだろうが、僕はバンコクのいろいろな市場を巡り歩き回ることに全く苦痛を感じなかった。それは趣味の世界の延長みたいな作業(仕事)で、僕はタイ製品の買い付け(仕入れ)代行業に大きな魅力を感じていた。あれもこれもと自分が見て選んだ好きな商品を日本向けに売ってみたいと感じるようになった。
おそらく初めてそれを意識したのは、エビスさんに連れて行ってもらったヤワラート(チャイナタウン)だった。業務用マネキンやカツラ、セクシードレスにクリスマス向け衣装など、タイに来たついでに商品を仕入れて日本でネット販売していた、彼と同じようなことが出来ないだろうかとずっと頭の片隅で考えていたのだ。それから僕らは、Tさんとの取引だけに留まらず、それ以外にも何か日本で売れるタイ製品はないだろうかと、バンコクの大型市場へ度々日帰りで足を運ぶようになった。
そして、「タイ製品の輸出入代行サービス」に加えて、「現地の市場を巡る買い付け(仕入れ)同行サービス」も始めることにした。代行(同行)手数料は、取引額が10万円以内ならポッキリ1万円、10万円以上なら取引額の10%という設定にした。当時はインターネット上で調べてみただけでも、日系の輸出入代行業者はバンコクに数社ほどしか見当たらず、ライバルは意外に少ないように思われた。それにどこも代行手数料は20%以上と高めで、小口の取引はお断りみたいな雰囲気の大手業者がほとんどだった。だから、僕らは新参者ゆえ、その隙間を目ざとく狙って、「小さな取引からでもOK!ポッキリ1万円~買い付け代行(同行)します!」という小回りのきく格安系で売り込み、現地市場へ参戦することにしたのだった…。
輸出入代行業をスタートさせていくにあたり、リュウさんはパタヤでとある人物を訪ね、相談がてら僕を連れて度々会いに行くようになった。パタヤに住んでいる日本人在住者たちの溜まり場は、だいたい決まっていて、昼時にはどこそこの格安食堂で昼飯を食って、昼過ぎは行きつけのカフェ(喫茶店)か、ソイ6(ショートタイム通り)辺りでグダグダ駄弁っているか、誰かの住まいに集合してマージャン大会でもしている。そして、夕方以降から夜にかけてはソイブアカオのクッキーバーあたりに集って、ビリヤードをしながらチビチビ安酒をあおってエロ話や他人の噂話に花を咲かせている。観光産業以上に性風俗産業で栄える夜遊び天国の街パタヤだけに、この街に巣くう男たちの様相は、世界各国様々な人種がいるが、皆一様にエロが根本(前提)にあるようなイメージは拭いきれなかった。
Nさんはそんなパタヤの日本人在住組の中でも、とりわけ古い時代から知られている存在で、悠々自適にタイでの海外移住生活を送る富裕層の一人として有名な人物だという話だった。Nさんの住まいは、パタヤビーチ沿い北部エリアの好立地に大きくそびえる高層タワーのコンドミニアムで、隣に同グループのリゾートホテルが建ち並んでいる。パタヤ隆盛期に建てられた大型ホテル&コンドミニアムの一つで、Nさんは最上階近くの部屋を購入し所有していた。今は経営している会社をご子息に譲り、半ば会長職みたいな自由な立場なので、年に数回、数ヶ月に渡りといった感じで、優雅なパタヤロングステイを満喫しているようである。どうやらリュウさんは彼と面識があり、一応連絡先も知っている仲のようだった。
Nさんは80歳近い高齢で、見た目も程よく禿げ上がった白髪混じりの頭頂部に、分厚くなった老眼鏡、深く刻みこまれた顔のシワ、張りつやのない肌質の所々に浮かぶ大量のシミといった感じのまさにご老体そのもので、口の周りに唾液を溜めながら、同じ話を何度も繰り返し、出歩く際は常に杖を持ち歩いているようなヨボヨボお爺さんという風であったが、実はリュウさん曰く、秘書だという愛人みたいな通訳兼お世話係のタイ人女性(オバサン)がいて、よく取っ替え引っ替えしている現役バリバリの好色爺さんであるらしい。なんでも給料は毎月2~3万バーツぐらいと高待遇らしく、その採用ルールはマッサージが出来ること、あとは日本語が話せて、日本食を作れること。そんなやり手のタイ人女性をどこから募集して連れてくるのかと不思議に思ったが、パタヤだけに、日本に数年住んだことがある経験豊富な元ママさんみたいなバービアやカラオケあがりの女性が定期的に入れ替わり立ち代わりしている様子だという話だった。
そんな好色爺のNさんであったが、よくよく話を聞くと、実はその辺にいる普通の金持ちどころか、どうやら四国のホテル王とも称される大そうな人物で、ゴルフ場も経営しているようなスケールのデカイ本物の大金持ちであるらしいことが分かった。また、僕らが出会ったTさんと同様、古くから貿易業も営んでいるようで、その昔は、タイシルクのネクタイとかパンツ、銀製の食器、象牙の商品、骨董品なんかを日本に輸入し販売していたという。そして、現在は息子さんの一人が後を継いでインターネットショップで全国に向けて大規模に事業展開しているという話だった。すでにNさんは半ば引退しているような立場だが、今でも何かタイで良い商品が見つかれば随時、日本にサンプルを持ち帰ったり送ったりしているという。リュウさんは、Nさんに度々会う機会を見つけては、日本~タイ間の輸出入業に関する細かな質問を繰り返し、いろいろと情報を収集した。僕はその会話に耳を傾けて、Nさんが口にする専門知識や業界の相場などを逐一メモするだけだった。
リュウさんがNさんに連絡を取り、会いに行った先には、いつも決まって誰かNさんの同行者が隣に控えていた。Nさんは在住歴は長いもののタイ語はあまり話せないようで、外出する際は常に一緒に連れて回る子分のような存在のオジサンが2、3人いる様子だった。どうやら皆、同郷の人らしい。その中で僕らがNさんに会いに行くと必ずいる、金魚の糞みたいな怪しい風貌の人物がいた。Nさんより20歳近くは若い、とはいえ、もう60歳を過ぎた頃合の高齢のオジサンで、ボサボサ頭とコテコテの四国訛りが特徴、それにタイ語をペラペラと流暢に話せる人だった。彼もすでに10年以上とパタヤに長く住んでいる在住組の一人で、結婚しているタイ人の奥さんに子供も二人いるという話だった。どうやら金持ちのNさんの傍で、身の回りのお世話をしながら、タイ製品を日本へ送る手伝いとか、現地での調査など、細々とした仕事を手伝い、小遣いをもらっている風であった。
そのNさんの手下のオジサンが、ぽろっと僕らに零した話が、格闘技系グッズとF1関連のコピー商品についてだった。なんでもムエタイ用のグローブとか専用ミット、派手な刺繍のムエタイパンツなんかを日本向けに送っているらしい。また、F1といえばタイではレーシングスーツ等のコピー製品が売られているので、それらを定期的に日本にいるマニアの顧客に発送して、小金を稼いでいるという話だった。
格闘技といえば、リュウさんの専門分野だった。そして、F1なら僕もテレビ業界のスポーツ分野にいた端くれ、モータースポーツ関連の仕事に携わったこともあるので、ある程度の知識があった。また、中学時代からF1にはまっている友達がいて、フェラーリとか、ベネトン、ウィリアムズ、マクラーレン&ホンダといった有名チームや、F1熱狂時代の英雄アイルトン・セナ、ピケ、マンセルなど、当時の一流ドライバーたちに憧れて、関連グッズを買い揃えている姿を間近で見ていたこともあった。格闘技マニアにF1マニア、どうやらブルース・リーだけでなく、他にも探せばいろいろとマニア向けのアイテムは日本で需要がありそうだった。
さっそく僕らは、パタヤの市場やコピー商品が売られてそうなエリアを隈なく探索した。そして、すぐにNさんの手下のオジサンが仕入れで利用しているだろうと思われる店を幾つか見つけ出した。南パタヤのウォーキングストリート界隈に、通りに面した土産物屋が並んでいるのだが、コピー商品を取り扱っているような店は、だいたい店の奥(裏手)にコピー商品を保管しておくための秘密の隠し部屋みたいな場所がこっそりポリスの目を盗むように作られているのであった。表の通りから見れば、いろいろな商品が軒先に並ぶ普通の土産物屋であるが、観光客が決して足を踏み入れない、スタッフ専用の小さな裏通りへと案内され入っていくと、そこはアンダーグラウンドな闇世界が広がるコピー商品専門の裏取引販売所であった。
入口のガラスドアは黒のスプレーでスモークをはったみたいに中の様子が見えなくしてあり、部屋の中に入ると、そこは当たり障りない土産物の在庫が無造作に置かれた在庫部屋といった雰囲気である。しかし、壁一面に張り巡らせるように設置された鏡張りのキャビネットが実は商品棚になっており、扉や引き出しを開けると、中には細かくグレード別に分けられた商品が安価なモノから高額なモノまでびっしり陳列(保管)されている。コピー商品の定番といえば、やはり高級ブランドもの。だから時計、財布、バッグなどの小物類が当然定番アイテムになるのだが、そのほか音楽や映画、アダルトビデオ(AV)等のDVDを焼き増して袋に詰めただけのコピー商品を取り扱う店もちらほら点在していた。
そうして、パタヤのコピー商品市場を隈なく探索した僕らは、その根本(大元)の販売ルートを探るべく、再びバンコクの市場へと足を向けた。先ず、コピー商品として、思い浮かぶのはサイアム地区にあるMBK(マーブンクロンセンター)、ヤワラート(チャイナタウン)、夜のパッポン通りあたりだった。また、週末市場のチャトゥチャック、泥棒市場、ナイトマーケットなど、僕らはバンコクにある市場を根こそぎ回り尽くして、商品や相場の情報収集活動に勤しんだ。
F1関連のコピー商品は衣料品市場のプラトゥーナムで見つかった。商品はレーシングスーツやポロシャツ、キャップなどの類だった。また、市場内で幾つか探し当てたF1関連ショップの一軒で、パタヤで土産物屋を経営しているタイ人夫婦のオバサンに遭遇した。つい数日前にパタヤの店を訪れたばかりだったからすぐに分かったのだ。「あれっ!パタヤの土産物屋のオバサンじゃない?」「あんたたち、よくここを見つけ出したわね…」といった感じでオバサンは僕らに会うと驚きの表情を見せた。どうやら商品はバンコクの縫製工場で製造しているらしく、プラトゥーナム内でも出店して業者向けに販売しているようだ。それで旦那がパタヤの土産物屋、オバサンがバンコクの店を管理しているとのことだが、住まいはパタヤにあるので、オバサンは毎日バスでバンコクまで通っているという話だった。僕らは、そんな縁をきっかけの一つにして、彼ら夫婦が経営するその店に狙いをつけて、事業提携の話を持ちかけるだけであった。
そして、タイといえば国技ムエタイ、もちろんボクシングも有名な世界有数の格闘技王国である。バンコクにはルンピニーや、ラジャダムナンといった有名なムエタイスタジアムがある。僕らは当然、調査のためにと足を運んだ。リュウさんは過去に何度か来たことがあるらしく、スタジアムのすぐ脇にムエタイ(ボクシング)関連の格闘技グッズや専門用具を取り扱う店があった。リュウさん曰く、ボクシングメーカーで世界的に知られているのはアメリカブランドのエバーラスト(EVERLAST)だが、タイではツインズ(TWINS)と、ウィンディ(WINDY)の二つの老舗メーカーが定番の格闘技ブランドだという話だった。リュウさんは自身が好きな分野だからなのか、珍しく財布の紐を緩めて、グローブやミット、ムエタイパンツなどを数点サンプルとして購入した。
また、バンコクの市場内で、たまに古本屋の類を見つけると、一応ながら本好きの僕は興味もあり、ふと覗いてみることになるのだが、タイ語や英語の書籍、毒々しい描写のタイ製マンガ本などに混じって、日本製のコミックや少女マンガ等がそのまま吹き出し部分だけタイ語に翻訳されて売られているのを目にする機会があった。定番のドラゴンボールやスラムダンクの他、オタクとかマニアが好みそうな美少女アニメ系、美少女戦士モノみたいな種類もあった。もしかしたら、これらタイバージョン(タイ語版)を逆輸入みたいな感じで欲しがるマニアックな物好きも日本にはいるかもしれない。
そうして、僕らは、ブルース・リーから始まった流れに忠実に従うように、マニア向けの商品から市場開拓を進めていった。もしかしたら売れそうな、僕らに取り扱えそうな商品を見つけると、いつも決まってリュウさんがジャパンのビッグカンパニーだとか、ビッグボスといった大そう偉そうなデマカセの取引話を勝手に持ち上げ、店員と話をつけて、日本の取引業者に紹介するためのサンプルとばかりに、店の雰囲気や商品写真をデジカメで撮らせてもらった。そして、名刺をもらっておく。そんな感じで、僕らの仕入れノートに貼られるバンコクの業者の名刺の数は徐々に増えていった。
商品のサンプル画像は、単純明快に顧客へと情報を伝えることができる、海外発信のホームページを運営する上でも、最も重要なピースだった。僕らは市場で撮った写真をホームページに掲載し、買い付け代行の商品サンプル一覧を増やしていった。コピー商品に関しては大々的に宣伝するわけにはいかないので、他の商品群の中にこっそり写真を忍ばせて掲載しておいた。パタヤ便利屋コムは、やがて輸出入代行業がメインとなり、Tシャツ製作や豊胸クリーム等はサブカテゴリー行きへと変化した。そして、いつの間にか、夜遊び(ナイトライフ)関連の仕事もそっちのけになっていった。
ただ一つだけ問題点があった。僕らの住まい(兼拠点地)はパタヤである。しかし、輸出入業を本格的にやっていくためには当然バンコクでの作業が中心になるのでバンコク移住が必須事項なのではないか?という話になったのだった。とはいえ、バンコクまではバスで片道2~3時間程度と日帰りで行って帰って来れる距離間だからと、二人の間ではすぐに却下の運びとなった。
僕は、タイの様々な市場を度々訪れ歩き回る度に、次々と溢れ出て来るアイデアを抑え切れず、ただ甘酸っぱい空想と果てしてない妄想にふけるばかりだった。そして、一方のリュウさんも、ついに自分の好きな分野で色々とやれそうな最高の商売を見つけたと言わんばかりの様子だった。超アクティブで社交上手なリュウさん、それを隣で支える控えめ助手タイプな僕。僕らはいいパートナーだと言えそうだった。
アンダーグラウンド、グレーゾーン、イリーガルといった言葉は、もはや南国の天候よろしく浮ついた僕らの頭の中には微塵もなかった。ただ、日本でイケそうな売れそうな商品を探しては、エサを振りまいて、ヒット(当たり)が来るのを待つ。いつでもそんなトライ&エラーの繰り返しだった。
ただ、訪れる運命の流れに身を任せ、ふと目先に落ちてきた金の匂いだけを敏感に感じ取る。そして、そのサイン(前兆)と直感を頼りに、自らの身体をフル稼働させる、原始的なメイクマネー道をひたすら突き進むだけだった。
アジアの衝動―男たちの南国物語 ダオトク @daotok
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