第8話 姫殿下、よろしければこちらへ

「我らが何故最強とうたわれるのか教えてやろう。この身には魔法により陛下に忠誠を誓うたがが埋め込まれているのだ。くノ一くのいちの術など、この箍の前には何の用もなさぬということだ」

「くっ! そんな!」

「コチョウにサユリか、聞くところによるとくノ一でも一二を争う美形らしいな」

「はっ! ま、まさか!」

「皆の者聞け! 敵はくノ一、しかもコチョウにサユリまでいるそうだ。捕らえた後は好きにするがよい!」


 騎馬隊の雄叫おたけびが木霊こだました。相手がくノ一と分かって一気に士気が上がったようである。


「お待ちなさい、そんな非道を……」

「我らを殺しにきたということは、むろん殺される覚悟もしてきたのだろう? それが女であれば捕らえられ、慰みものにされる覚悟も出来ているはずだ。お前もそうではないのか?」

「そんな……」


 女の顔が見る見る青ざめるのが手に取るように分かった。


「だが安心しろ。お前は慰みものになることはない」

「私にどうしろと言われるのです?」


 ババさんはそこでようやく女の顔から足をどけた。女は助かったと思ったのか、その表情にはわずかに安堵あんどが浮かんでいる。


「我らの旅が予定より少々遅れていることは知っているか?」

「え? ええ、お陰で私たちも待たされましたわ」

「そういうわけでコイツのエサが若干足りんのだよ」


 言いながらババさんはスノーウルフの頭を撫でた。それを見て再び女の表情が青ざめ、さらに絶望の色までかもし出し始めた。


「ま、まさか……!」

「しかし大事な客人の目に無残な光景を晒すわけにもいかぬ。よって猶予をやろう。次に馬がいななくまでコイツには追わせぬゆえ、忍びの足をもって逃げるがよい」

「な、何を!」

「早く行かないと馬が嘶くぞ」

「はっ!」


 自由を取り戻した女は慌てて立ち上がり、一目散に逃げていった。しかしそれがよくなかった。女の走り出した足音のせいで、すぐさま馬が嘶いたのである。ババさんが忍びの足で、と言ったのはこのことだったようだ。静かに気配を殺して去れば、あるいはずっと追われなかったかも知れないのに。


「皆、目をらされよ!」


 ババさんの声で俺たちは女の逃げた方に背を向けた。それからほどなく、耳を覆いたくなるような女の悲鳴が聞こえ、やがて静寂が戻る頃には辺りが白み始めていた。


 夜が明けてしまえばいかに忍びとはいえタケダ騎馬隊の敵ではなかったようだ。まして相手は力で劣るくノ一である。あっけなく捕らえられ、縄で繋がれてこのまま共に連れていくこととなった。さすがに俺たちがいる前では、慰みものにするわけにはいかなかったのだろう。


「あの者たちはどうされるのじゃ?」

「王女殿下のお耳に入れるにはいさささわりがございますれば、その件はどうかご容赦を」

「そうか。それも世の習わし、致し方なかろう」


 さしもの姫殿下も、他国のやり方まで口を出すことは出来ないということか。同じ女として捕らえられた女たちの行く末を憐れんだのだろうが、敵として牙をいてきた以上はどうしようもないのだ。そこはユキさんもアカネさんも姫殿下と同じ気持ちだったらしい。無事でいられたにも拘わらず二人の表情は暗かった。




 くノ一の襲撃があったせいで、俺たちが野営地を後にしたのは昼つ、だいたい午前十時頃だった。予定では昨日と同じ六時頃に出発することになっていたから、約四時間の遅れということになる。ただババさんの話だとまとまった雨にでも降られない限り、宿場町には夕方頃には到着出来るということだった。


「あの者たちにも食事くらいさせてやってはどうかの」

「そうしてやりたいのは山々なのですが、猿ぐつわを外した途端に彼女らは舌を噛み切ってしまうでしょう」

「なんと! それは真か?」

「楽に死なせてもらえないことは分かっているでしょうからな。それにくノ一としての意地もあると思います」


 どうしても姫殿下はくノ一たちの身を案じずにはいられないようだ。しかし一つ間違えばこちらが殺されていたのである。気持ちは分からないでもないが、行く行くは上に立つ者として非情になることも知らなければならないと思う。憐れみだけでかせを解いて、寝首をかれるようなことになっては本末転倒ということだ。


「姫殿下、よろしければこちらへ」


 そんな姫殿下が可哀想に思えて、俺は彼女をそっと抱き寄せた。その様子に一瞬ユキさんとアカネさんが目を見開いたが、声を殺して泣き始めた姫殿下の姿を見て何も言おうとはしなかった。気丈に振る舞ってはいても、まだまだ幼いと言える十二歳の女の子には今朝の出来事は重すぎたようだ。


 それからしばらく俺は姫殿下の髪を撫でていたが、泣き疲れたのか静かな寝息を立て始めたのに気づいた。そこで起こさないように彼女を横たえ、今度は二人の未来の妻を抱き寄せる。


「俺はこんなことしか出来ないけど、二人ともこれからも頼むね」

「ヒコザ先輩……」

「ご主人さま……」


 二人の体温を感じながら、いつしか俺も眠りに落ちていた。

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