第9話 手討ちにしてくれる!

 宿場町に到着すると、さらに十騎の騎兵隊が捕らえたくノ一を引き取るために待機していた。これで少なくとも哀れな女たちが姫殿下の目に触れることはなくなるということだ。


 姫殿下は相も変わらず平静を装ってはいたが、時折見せる憂鬱ゆううつな瞳からは明らかに精神的なダメージを受けている様子が窺える。男の俺でさえ、未だにあのスノーウルフに食い殺された女の断末魔の叫びが耳から離れないのだ。幼い姫殿下の身であれば、それも無理からぬことだろうと思う。


「ヒコザ先輩、アヤカ様は大丈夫でしょうか」

「俺もそれは気になってるんだよね。立場上誰かに甘えるってことも出来ないだろうし」


 ユキさんが、俺の隣を歩く姫殿下に聞こえないように耳打ちしてきた。


 今回の出来事は王国の姫君としての彼女を大きく成長させることは間違いないはずだ。しかし、それにはまず心に負った傷を癒やす必要がある。これがトラウマになるようなことがあれば、逆に国民の上に立つ王族としての資質さえ失ってしまいかねないということだ。わずか十二歳の少女にはあまりにも過酷な重荷だと思うが、何とか乗り越えてくれることを願うばかりである。それはいいとして……


「姫殿下、お部屋の前に到着しましたので……」


 宿の部屋割りは一部屋に俺、もう一部屋に姫殿下とユキさん、アカネさんの三人ということになっていた。そのため俺の部屋は狭くベッドも一つしかないそうなのだが、問題は姫殿下である。彼女は馬車を降りてからずっと、俺の服の裾を掴んだまま放そうとしないのだ。三人の部屋の前に着いても、一向に中に入る様子がないのはどうしたものか。


「さ、姫殿下、どうぞ中へ」

「ヒコザ?」

「はい、何でしょう?」

「そなたも一緒にか?」


 まずい、可愛い。不安そうに上目遣いでそう尋ねてきた姫殿下に、俺は思わず抱きしめたくなる衝動に駆られてしまったよ。正直に言って姫殿下はこっちの世界では美少女である。ということは俺にとってはブサイクとまでは言わないが、まあ普通の容姿という感じだ。しかしそんなことは抜きにして、今のこのしおらしい姫殿下は男の守りたいという本能を直撃してくれていた。


「私もそうしたいのは山々なのですが……」

「アヤカ様、ひとまずお風呂で温まりましょう」

わらわは寒くなどない」

「殿下、私は寒いので」

「ヒコザも一緒なら妾も風呂に入る」


 これはどうやらいつもの冗談ではなさそうだ。姫殿下が掴んでいた裾を放し、俺の腕にしがみついてきたからである。


「私は何かあっても姫殿下をお護りすることが出来ません。ですからどうかユキさんたちと……」

「いやじゃ! ヒコザが一緒でなければ妾はどこにも行かん!」

「殿下……」

「アヤカ様!」


 駄々っ子のようになってしまった姫殿下を見て、ユキさんが大きな声を上げた。これには俺もアカネさんも驚いたし、当の姫殿下は体をびくっと震わせていた。


「一国の姫君がそんなことでどうするのです! お気持ちは分からないでもありません。私だって身の毛もよだつほどの思いをしました。ですがヒコザ先輩はもと平民、アカネさんも平民です。その二人がこれほどしっかりしている中で、行く行くは民をべるお方であるアヤカ様が、そのような情けない醜態を晒してなんとされますか!」

「妾は……妾は……」

「アヤカ様の一言は私たちにとって逆らうことの出来ない重みがあるのです。アヤカ様が黒と言えば、たとえそれが白と分かっていても黒としなければならないのです。ヒコザ先輩をお放しにならなければ、ヒコザ先輩はアヤカ様から離れることは出来ないのですよ。それともアヤカ様はヒコザ先輩をご自分の婿として、王族に迎え入れるおつもりですか?」

「それは……」

「私はヒコザ先輩が望むなら、男爵家を出てコムロ家に嫁入りしてもいいと考えております。アヤカ様には!」


 ユキさんはそこで姫殿下の肩を勢いよく掴む。お陰で俺にしがみついていた彼女の腕がほどかれた。


「そのお覚悟がおありですか!?」

「ユキさん……」

「お嬢様……」


 ユキさんのこれまで見たことがないような剣幕に、俺もアカネさんもたじろいでしまった。でもユキさん、そんな風に考えてくれてたんだ。これぞまさしく正妻の威厳とでも言うべきなのだろうか。


「ぶ、無礼者!」


 ところが姫殿下はユキさんの手を振りほどき、怒り心頭という感じで叫んでいた。弱者の強がりだ。正論をぶつけられ言い返すことが出来なくなった姫殿下は、一番言ってはならない言葉を口にしてしまった。


「そこへ直れ! 手討てうちにしてくれる!」

「ひ、姫殿下、お待ち下さい。ユキさんは姫殿下のことを思って……」

「うるさい! その腰の刀を貸せ!」

「え? ですがこれは……」

「ヒコザまで妾に逆らうか! いいから刀を貸すのじゃ!」


 姫殿下は正気ではなかった。俺が戸惑っていると、おもむろに俺の刀のつかに手をかけて抜こうとしたのである。


 だがこれは俺専用の魔法刀だ。するすると刀身が姿を現したまではよかったが、刀が完全に姫殿下の手に渡った瞬間に、その重みに耐えきれず彼女はそれを床に落としてしまった。


 そんな姫殿下の姿を見て俺の中にも怒りが湧いてきた。いくら動揺していたとはいえ、これまで傍に仕えてきたユキさんを本当に手に掛けようとしたのだ。気がつくと俺は姫殿下の頬を平手で打っていた。


「ヒコザ先輩?」

「ご、ご主人さま?」

「ひ、ヒコザ、貴様……」


 外気とは無関係の、凍てつく空気が四人を包み込んだ瞬間だった。

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