第3話 混浴されるのでしたら女性が男湯に参られますように

 空が白みかけた頃、御者ぎょしゃさんに起こされて目を覚ました俺は、ほんのり温かくて柔らかい感触と甘い香りに包まれていた。左腕の付け根辺りに心地よい重みと、頬にサラサラした髪があたってこそばゆい。俺がそれを離したくなくて体を横に向けて抱き寄せると、向こうも顔をぐっと俺の胸に押し付けてきた。これはかなり愛おしい気分になるぞ。


「あれ? 王女殿下はどちらに?」

「アヤカ様? アヤカ様……はっ! もしや!」


 まだ寝ぼけた頭の中にユキさんとアカネさんの声が聞こえてきた。朝っぱらから騒々しいけど、何かあったのかな。そんなことを考えていると、荷物で作った仕切りの向こう側から二人の頭が日の出のごとくに昇ってきた。


「やっぱり……ヒコザ先輩、何をしているんですか!」

「へ? 何をって何が?」

「なんじゃ、騒々しい……わらわはまだ眠いぞ」


 壁のあちら側から聞こえてくるはずの姫殿下の声が何故か俺の胸元から聞こえてきた。そしてまたぐいっと俺にしがみつく腕に力をこめる、先ほど愛おしさまで感じた柔らかい存在。それが姫殿下であると俺が気づくまで、そこからさらに数秒を要した。


「ひ、姫殿下! な、何でここに?」


 慌てて姫殿下を引き離そうとしたが、がっちりしがみつかれていてビクともしない。


「んー、暖かいからじゃ」

「暖かいからじゃ、じゃありませんよ。どうか離れて下さい。じゃないと俺の命が……」


 その時俺の視界には、今にも腰の物を抜いて斬りかかろうとするユキさんとアカネさんの姿が映っていた。




「いや、すまんかった」


 俺は何も悪いこともいい思いもしていないのに、未来の二人の妻から頬に引っかき傷をつけられていた。あ、ちょっとはいい思いしてたか。それにしてもとんだとばっちりだよ。


「アヤカ様、ヒコザ先輩はすぐに歯止めが利かなくなりますので、今後はどうかお慎み下さいますよう」

「ま、妾はそれでも構わんのじゃが」

「アヤカ様!」

「王女殿下!」


 姫殿下は相変わらずユキさんとアカネさんにツッコまれていた。それにしても姫殿下のこの突拍子もない行動は、何となくわざとやっているように見えなくもない。まさか二人をき付けて楽しんでいるわけじゃないよね。


 それからほどなく俺たちを乗せた馬車は国境を越え、前後をババさん率いるタケダ騎馬隊に護られながらタケダ王国へと入った。ここから先は平民を装った姫殿下の護衛は付いてこられない。つまり完全にタケダ王国任せということである。国境付近は宿場町としてそこそこにぎわいを見せていたが、しばらくするとそれも途切れて人気ひとけがほとんどない山道をひたすら進むというわけだ。


 ちなみに宿場町があるならさっさと国境を超えてそちらで休めばよかったのではないかと思ったが、それは浅はかな考えだったようだ。タケダに入れば護衛をタケダに頼ることになるが、騎馬隊にとって屋内の護衛は得意とするところではないのである。それにオオクボ王国に留まっている限り、付いてきている姫殿下の護衛もいる。そういう理由で昨夜は国境を越えなかったということだった。


「殿下、昨夜はよくお休みになられましたかな?」


 先頭からババさんが馬の歩みを緩めて、馬車に併走しながら話しかけてきた。穏やかな天気だったので窓を開けていたのである。とは言っても窓には頑丈な鉄格子が備え付けられているけどね。


「うむ、皆ぐっすりじゃった。妾は久しぶりじゃし、この者たちは遠出は初めてじゃろうから疲れておったのだろうな」


 ぐっすり過ぎて姫殿下が俺の布団に潜り込んでいたのにすら気づかなかったくらいだからね。


「それはよかった。まだ先は長いのでご負担をおかけ致しますが、旅をお楽しみ頂ければ幸いにございます」

「心遣いに感謝するぞ」

「勿体ないお言葉、ありがとうございます。これより二刻ふたときほど進みますとコスゲ村がございます。そこで一刻いっときほど休憩致しますので、昼食と温泉で疲れをお取り下さい。コスゲの湯は美人の湯として、我が国では特に女性に人気なのです」


 一刻は約二時間、二刻は約四時間である。


「ほほう、それは楽しみじゃ」

「本日は殿下が村をお出になるまで村人以外の外部からの入村にゅうそんも禁じておりますれば、ごゆるりとなされませ」

「温泉は混浴ではないのですか?」


 隊列の先頭に戻ろうとしたババさんを引き止めたのはアカネさんのこの一言だった。全くこの未来の第二夫人は考えることが煩悩に直結している。とは言え俺もそこは気になるところではある。


「はっはっはっ! 混浴というわけではござらんが、先ほども申した通り本日は貸し切りと同様。混浴されても我らが口出しする謂われはないぞ」

「で、では!」


 アカネさんはもちろんのことだが、ユキさんまで瞳がキラキラ輝いて見えるのは気のせいだよね。てか姫殿下はどうして俺の股間を凝視してるんですか。もしかして興味津々しんしんなお年頃ということですか。


「ただし女湯は男子禁制ですので、混浴されるのでしたら女性が男湯に参られますように」


 ババさんはまさかこの三人が本気だとは思っていないのだろう。高らかな笑い声とともに先頭の方へ馬を進めていってしまった。

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