第14話 武闘派サイカ流・くノ一(後編)

「キク様のご命令……」


 五人の同胞はしかし、シノにとってみれば取るに足らない相手であった。サイカ流の奥義をきわめた自分であれば、倒すのは雑作ぞうさもないことなのである。だが自分が抵抗したことがキクに知れれば、いかな武門に名高いサイカ流とはいえ取り潰しのき目にうのは避けられないだろう。おそらく家族を含めた一派は皆殺しにされるはずだ。籠絡ろうらくすべき相手に籠絡されたくノ一くのいちは死をもって償うのがおきてである。逃げても逃げおおせはしない。


 それよりもシノの抵抗する気力を奪ったのは、これがキクの命令だということだった。かつて恋い焦がれたあのキクが下しためいは、りにもよって同門を差し向けての仕置きという非道極まりない裁断である。シノの心は仕置きを受ける前からすでにズタズタに切り裂かれていた。


 それから一時間ほどにもわたる長い時間、シノは五人の同胞から顔以外の全身を忍者刀で打ち続けられた。無抵抗な相手に容赦のない打ち込みは時に肌を裂き、終わった頃には血まみれになって全身には無数のあざと裂傷が出来ていた。しかし痛みは感じない。そればかりか同門ですら無慈悲に刀を振り下ろすやり方に、シノは言いようのない孤独感を感じずにはいられなかった。この手心が一切加えられない仕置きは父も母も知っているはずである。血を分けた実の父母が、自らの手を汚さずに娘を傷つけることに同意したということだ。結局みにくい自分は誰からも愛されていなかったのだということを思い知らされ、男たちが去ってしばらくしてからようやくシノは力なく立ち上がった。


 着ていた服は血だらけでボロボロになってもう着ることが出来ない。シノは溢れ出す涙を拭うこともせずに、それを脱ぐというよりは引き剥がすという感じで一糸まとわぬ姿になって風呂場に向かう。湯を張った浴槽に体を沈めると、自分の血でみるみる真っ赤に染まっていく。まるで血の池に浸かっているかのようだ。刻まれたばかりの傷口に湯がしみるが、その痛みさえ彼女を絶望の淵からすくい上げることはなかった。


「コムロさん……」


 思わず口をついて出た言葉に、シノは愕然がくぜんとなって目を見開いた。しかしすぐに気を静めて冷静に考えてみる。思えば彼は嗅ぎ薬を使う前から、もっと言えば学校に転入して最初に出会った日から今に至るまで、自分をさげすむような目で見たことは一度もなかった。それどころかむしろこの醜い容姿のせいでクラスの誰にも相手にしてもらえないのに、唯一女として扱ってくれていたのだ。くノ一として鍛えられた自分には、男が向けてくる視線の意味が手に取るように分かる。彼の視線はまさに、自分を一人の女として見ているそれだった。


「コムロさん……会いたい……」


 彼の名を口に出しただけで、胸の辺りが何かに包み込まれたように温かくなる。こうなってはもう取りつくろっても仕方ないと思った。自分はくノ一の運命さだめを破り、籠絡すべき相手に心を惹かれてしまったのだ。これが国元に知れれば追っ手がかかるのは目に見えている。いくらサイカ流の使い手とはいえ、いつまでも刺客を退しりぞけて生き延びるすべはないだろう。


 あの時、彼の腕の中で聞こうとして口に出来なかった言葉、それは嗅ぎ薬の効果が切れた後でも自分を抱きしめてくれたか、ということだった。しかし聞かなくても答えはすぐに分かった。彼は術を解いた後もなお、その腕に抱いた自分を離そうとしなかったのである。それだけで満足だった。満足のはずだった。


 なぜ自分は普通の女として生まれ、彼に出会わなかったのか。満足したはずなのに今さらながらに考えてしまう。願っても叶わぬことと知りながら、そう思うと涙が止まらなくなってしまった。


 真っ赤になった湯を捨て、洗い場で傷が痛むのも構わずに石けんで何度も何度も体を洗う。あの嗅ぎ薬の匂いが消え去るまで血がにじんでも容赦せずに。せめて殺される前に、綺麗な体になって彼に会いたい。シノはそう考えて、気が済むまで自分の体を擦り続けた。




「ヒコザ先輩、あれ、刀傷かたなきずですよ」


 昼休み、俺が今日は一人でいたいというカシワバラさんを、ユキさんが待ついつもの校舎裏に無理矢理誘って連れて行った。そこで彼女を見たユキさんが俺に耳打ちしてきたのである。


「か、刀傷?」

「はい、カシワバラ先輩、何か変な事件にでも巻き込まれているんじゃないでしょうか」


 俺はユキさんの言葉に、底知れぬ不安を感じずにはいられなかった。

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