第2話「通りすがりの、大魔法使いさ」
「あなたはまるで太陽を掴もうとするみたいに、ずっと空に向かって手を伸ばしていたのよ」
と、赤ん坊の頃、毎日していたという寝相を、今でも母さんにからかわれる。
それを聞いて「いつか太陽は俺が盗る」なんて軽口を叩くが、どうにもその言葉を訊くのが、セイジ・ゲットウという少年として生まれてから一七年経った今でも苦手だった。
それは俺が後悔し、妥協を悔み、救いを求めたポーズであり、体が全身痛むような気がしてくるからだ。
なんだか長年眠っていたような微睡みから目が覚めてみると赤ん坊になっていて、前世の両親とはまったく違う両親に囲まれて幸せそうにしていた自分を自覚した時は、死ぬほど驚いてしまった。
……いや、まあ、死んだんだけども。
それはともかく、要するに、俺は異世界に転生してしまったらしい。
なんか夢でも見てんじゃねえのかよ、と何度も確認したが、どうも夢じゃないようだ。わざわざこっちの言葉を覚え直さなくてはならないのが非常に面倒で、今となっては日本語とグリッツ語(俺が住んでる国はグリッツというそうだ)のバイリンガル。
鏡に映る自分の姿が、明らかに日本人ではないので(黒髪は一緒だが瞳が緑色だし、肌も日本人より透き通るように白い気がする)、完全に外見が自分ではない事に慣れるのが非常に大変で、鏡に映った自分の姿に悲鳴を上げた事も何度かあった。
さすがに五歳くらいで慣れたけどね。
だが、慣れない事が一つだけあった。
それは、俺が近所の女の子に手品を披露していた時である。簡単なコインマジック。指の隙間に挟んで、硬貨を相手から見えないようにし、何も無い所から現れた様に見せかけるという物。
女の子は喜んでくれたのだが、それが父さんに見つかった時、俺は初めて怒られた。
曰く「魔法使いというは、文化の発展に努めてくれた偉大な職業だ。だから、そんな風に茶化してはいけない」とのこと。
頭が真っ白になり、泣きそうになった。子供だから涙腺が緩いというのもあったのだろうが、嘘だろと思った。
魔法があるのは嬉しい。手品というのはそれをモチーフにして作られているし、俺も難しい手品を覚える時は「魔法があればなぁ」なんてよく言ったものだが、いやいやいや……。
父さんから聞いた話によれば、この世界には本物の魔法があるから手品っていう文化がない。そもそも、父さんにコインマジックを見せたらめちゃくちゃ驚いてたし。
さらに手品という見せかけの魔法は、魔法使いをバカにしていると取られるので、披露できない。
正直に言おう。俺は転生したのを、チャンスだと思っていた。
ここがどんな世界だろうと、今度こそ芸でその身を立てるのだと決意していたのに、まさか手品そのものが禁止されているとは思わなかったな……。
人生は妥協の連続だ。だから、これもまた仕方のない事。
さすがに手品の文化がない所でマジシャンにはなれない。
あんまり転生した意味がないなぁ、なんて思いながら、俺は実家の牧場を、それなりに楽しく手伝っていた。
ここまでは、まだいい。
手品という文化がない? 全然いいさ。もしかしたら他の国にならあるかもしれないし、最悪大人になって金が貯まったら国外に出りゃあいい。
でもさ、だからって、俺は何がなんでも手品をしなきゃならないような状況を望んだつもりはない。
だって俺の望みは、驚いて笑顔になった人が見たいだけなんだから。
■
事のきっかけは、アマデトワールという、この国の首都にあるレストランから牛乳を注文されたことだった。詳しい事は聞いてないが、大事なお客様が急に来ることになったのに、そのお客様が大好きなメニューを牛乳不足の所為で作れないらしい。
それなら市場に行けよ、そっちのが近いじゃん、なんて思ったが、新鮮かつウチの牧場の牛乳でなければならないらしい。そう言われてご機嫌になった父さんに配達を頼まれ、俺は馬車を走らせた。
馬車でおおよそ一時間ほど掛かって、やっと城下町の門に辿り着き、馴染みの門番に挨拶をした後、石畳の舗装された道を、馬車で往く。
煉瓦作りの家が立ち並び、パンの匂いがしてくる雑多な街並みは、普段草原にいる俺からすると、なんだか懐かしさと真新しさを運んでくる光景だ。
遊園地とかだとこういう街並みが広がってたりするよな、なんて思う。仕事で小さな遊園地のステージに立った事がある。
懐かしいなぁ、なんて思いつつ、俺は馬が走り出さないように気をつけながら手綱を操り、さっさと目的のレストランに牛乳を届けた。ちょいとレストランでサービスの飯をいただいて、代金をもらう。
その内、少しばかりは都会で遊ぶのに使っていい、なんて父さんの気遣いをありがたく受け取り、馬車を近くの預かり所に預け、街をぶらぶら散策する。
普段は父さんが配達しているから、俺は城下町に来る事自体久しぶりなのだ。前の人生では田舎で死んだし、やっぱ俺もマジシャンとして花を咲かせるには都会でマジックショーでもやってみたほうが良いんだろうか?
そうは思うが、父さんのリアクションを見ると、受け入れられるとは思えないし。誰かにマジック驚いてもらいてえなぁ、久々にマジシャンやりてぇー。
俺のストレスが溜まったその時である。
ここ、アマデトワールには魔法を学ぶ学校があって、どうやら俺はその近くまで来ていたらしく、アマデトワール魔法学院を囲う植垣と柵の向こうから、ヒステリーな女の声が聞こえてきた。
「いいからっ! あなたがやったって事にすればそれで済むでしょ!?」
なんだろう、ただ事じゃなさそうだが。
俺はこっそり、植垣をかき分けて、中を覗いてみた。
どうやら学院の中庭で、女子が四人、何か言い争いをしているらしかった。
一人――桃色の長い髪をした、妙にボンキュッボンな体の女の子が、女子に詰め寄られているようだ。
肩に外套が乗った深緑の制服に、同色のスカートと、あれが魔法学院の制服なんだろう。
「でっ、でも……よくないですよ……キズムさんが先生の杖を折っちゃったんだし……」
「だから! あたしの為になんとかしなさいって言ってるのよ! いいじゃない、こっちはグループ授業の時、迷惑被ったんだから、それを返すいい機会じゃない」
ふむふむ。
多分、あのリーダー格っぽくてうるさいキズムって子が、多分壊しちゃならねえ大事な杖をぶっ壊しちまって、あの桃色の髪した女の子に責任おっかぶせよう、ってことね。
そういうの、気に入らねえなぁ。
大体こういうのって、素直に謝ったら意外と相手も許してくれたりするパターンだし、素直に謝るのが一番だぜ。
俺は植垣から顔を出し、柵を見る。飛び越えられない高さじゃない。
身体能力だけなら、若返ってるし、牧場仕事してるしで、前世よりあるくらいだ。ジャンプしててっぺんを掴み、体を持ち上げて飛び越える。
「おいおいそこのお嬢さん方、そういうのはよくないんじゃないのかな?」
俺は微笑みながら、彼女達の元へと歩み寄る。噴水を囲むベンチや地面に植えられた花に、柔らかな日差し。こんなにのどかでいい雰囲気なところで喧嘩ってのはねえ。
「……誰よあんた。ここの生徒じゃないわね」
キズムとやらが、俺を睨んでくるので、スッと一歩踏み込んで間合いを詰めて、肩を組んだ。
「やあ、どもども。俺はセイジ・ゲットウ。通りすがりの、大魔法使いさ」
「離してよ! 馴れ馴れしい!」
キズムちゃんは、俺の手を払い除け、胸を押してきた。おっとと、なんて言いながらバランスを整え「女の子には馴れ馴れしくするのが趣味でね」と小さく笑う。
「あ、あの、なんなんですかあなた……?」
俺の後ろに立つ桃色の髪をした子が、怯えたような表情で俺を見る。そりゃあ、俺って部外者も部外者だもんな。
「曲がった事が許せない、通りすがりの男だって。君、名前なに?」
「こ、コスモです。コスモ・シルエッテ……」
「オッケー、コスモね。話は大体察してるぜ、先生の大事なもんぶっ壊しちまったんだろ? 素直に謝りなよ」
「嫌よ! コスモが身代わりになればいいってだけじゃないの!」
……なんだか妙にイライラしてんな、この子。
その先生が怖いとか、そういうんだけじゃなさそうだ。
俺はコスモに「なぁ、その壊した杖の持ち主ってのは、怖いのか?」と耳打ちで聞いてみた。
「い、いいえ。別に普通、だと思いますけど……」
ふむ、と、俺は考えを巡らせる。
「――まあ、別にいいんだけどさぁ」
俺は、腰に巻いていた大きな布を解く。コレは牛乳を包んでいたモノで、何か街でたくさん買い物をした時、風呂敷代わりにできねえもんかと一応持ってきたのだ。
「いいか? 素直に謝れば、俺は君の恥ずかしい秘密をバラさなくて済むぞ」
はぁ? という風に顔を歪めるキズム。
「何言ってんの? 会った事も無いくせに、あたしの秘密ですって?」
俺は布を持っている手とは反対の手を、ひらひらと振る。
「さぁ、よーく確認してくださいよ。俺ぁこの通り、なーんも持っちゃあいませんよ」
「……それがなんだってのよ」
その手を、布で包んで隠し、小さく振る。
「さぁーて、何が出て来るかなぁー?」
ジャンッ! と、勢いよく布から手を引き抜いた。それは、小さな手帳。推測するに、キズムの生徒手帳、だと思う。適当に引っこ抜いたから。
表紙を開くと、そこには『この者をキズム・レリストリと証明する』なんて、身分証明があった。
「な――ッ!」
キズムは、制服の内ポケットを探るが、そこに生徒手帳はない。だって、今俺が持ってるのが本物だし。
「ど、どうして、なんで!? だって、詠唱も、魔力の気配も――」
「言ったろ、俺は大魔法使いだって。そんなもんなくても、魔法が使えるのさ」
魔法って詠唱がいるのか……。だったらしといたほうが、より魔法っぽかったな。
――気配なんて俺には出せねえから、それなら無くてもいいか。
「さて、どうする? 素直に謝らねえってーんなら、俺は次、もっと恥ずかしい物を取り出すかもしれないけど」
「そ、そんなバカな話……!」
「だったら、そうだなぁ。今度は、お前の心を、秘密を暴いてやろうか?」
「何を言ってんのよ……! そんな魔法、あるわけないでしょ!」
ないんだ……。
いや、まあいいさ。言っちまった以上やるしかない。
俺はわざとらしく、掌をキズムに向けて、人差し指を眉間に当てる。
「お前、ここ最近――三日以内か? なんかすげえ嫌な事があったろ? 突発的なトラブルだ。彼氏と喧嘩、とかじゃないか?」
キズムの顔が、見る見る青くなっていく。どうやら当たりらしい。久しぶりにやったが、勘は鈍っていないようだな。
「なん、なんで、そんなことがわかるわけ……!」
「言ったろ? 心を読んだのさ」
キズムは、慌てて俺から生徒手帳を引ったくり、走って逃げていった。あーあ、あんなに慌てちまって。スカートの中身見えちまうぜ。
「あ、あの……」
後ろからの声に振り向くと、そこには、目の前で起こった光景が信じられないのか、目を丸くしているコスモが居た。
「な、何をしたんですか……? 今のは、魔法……じゃ、ないですよね? でも、魔法……みたいな……」
「後ろに立ってたんだから、最初の一つはわかったろ?」
コスモは「半分、くらい……」と、小さく頷く。
「こう、手の後ろに隠してたんですよね? 最初手を振った時、いつの間にか持ってた生徒手帳を、指で挟んでキズムさんの視界に入らないように隠し持ってた……」
「正解。まあ、見てたもんな」
指や掌で物を隠し持つ事をパームという。コイン、カードマジックの基礎だ。手をひらひら振って、何もないことをアピールし、布で手を隠し、普通に生徒手帳を持つ。それだけ。
「……でも、どうやって、いつ、キズムさんの生徒手帳を……」
「それは実際やってみせた方が早いな。コスモ、生徒手帳入れてるのは、胸の内ポケットか?」
「あ、はい……。大体生徒はここに入れてます。この手帳に出席記録入れたりするんで、無くすと大変で……」
ほいじゃあ、と、俺はコスモに肩を組む。
「ひゃっ!」
顔を赤くして、身を固くするコスモ。男に触れられ慣れてないみたいだな。この分だと、彼氏が居たこともなさそうだ。
「いきなり肩に、こうして手を置かれると、意識しちまうだろ?」
何度も何度も頷くコスモ。いきなり知らない男に肩を組まれて意識しちまうのはわかるが、そんな何度も頷くことないだろ。
「だから、肩を意識させてる隙に、ほいっと」
一瞬で、胸に空いている手を忍び込ませ、生徒手帳をスッた。ついでに、指先で胸をちょっと堪能させてもらったが、肩と近づいている俺の顔に意識を向けているコスモは気づいていないようだ。
助けたんだから胸のワンタッチくらい、役得ってことで。
「えっ、そ、そんな単純な事を……? じゃ、じゃあ、心を読んだあれは……」
「あれは一緒にスッた、これ」
チャラチャラと、手に隠し持っていたオレンジ色の丸い石がぶら下がったイヤリングを取り出す。
「お前、普段いじめられてるだろ」
「なっ、なんでそれを……」
「さっき、ちょっと会話を盗み聞きさせてもらった。んでも、だからって自分がぶっ壊したもんをお前の所為にしようってのはやりすぎだし、バレないと思えねえ。それに、お前が抵抗したことについてイライラしてたようだしな。ありゃあ多分、お前への八つ当たりだったんだろう」
「彼氏がいる、しかも喧嘩したっていうのは、どうして……?」
「このイヤリングをしてない理由はどうしてか考えりゃ、すぐわかるさ。アクセサリをしないで持ってる理由なんてのは、したくないけど持ってはおきたい、ってだけだろ」
首を傾げるコスモ。
こういうのは、女の子の方が詳しいと思うんだが……。恋愛経験すらなさそうだなぁ。
「つまり、大事な人からのプレゼントだから、できるだけ身につけておきたい、でもしてるのを見られるのはプライドが許さない。だから、ポケットに入れといた、って感じだろ」
ぽかん、と、コスモが俺の顔を見つめる。
インチキ占い師がよくやる手なんだよな。
「す、すごいですね……。今の、全部魔法使わないで、魔法に見せかけたってことなんですか……?」
「そういうこと」
「で、でも……、それ、もう二度とやらない方がいいと思います……」
「え?」
どういうことだ、と訊こうとしたその時である。
「先生ッ! あいつ、あいつです!」
ヒステリックな声がする。
キズムの声だ。見れば、先生を引き連れてこっちに走ってきていた。
……やっべ、大人呼ばれちった。
「じゃ、じゃあなコスモ! 俺ぁもう行くからよ!」
逃げるしかねえな!
俺は走り出して、先程と同じように柵を飛び越えようとした。が、しかし、地面から湧いて出てきた手に足首を掴まれて転び、俺はあっという間に取り押さえられてしまった。
……ピンチじゃね?
天才マジシャン、異世界転生でショータイム! 七沢楓 @7se_kaede
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